2014年4月26日土曜日

下仁田の化石 その3  アンモナイト



下仁田には、古い時代から新しい時代まで、いろいろな時代の化石があるようです。
有名どころの化石もあります。なかでも、いちばんよく名前の知られている化石はアンモナイトでしょうか。


下仁田のアンモナイトはどんなもの?

下仁田自然学校には、化石探険隊が結成されています。
いちばんの目的は、ずばり「アンモナイト発見!」・・・・・・・”化石はアンモナイトばかりじゃない”と言われそうですが。

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アンモナイト発見!!どこにあるかわかりますか?
                              写真 本多優二さん
50年ほども昔の1961年のこと、有志の集まりの跡倉団体研究会の調査中、アンモナイトが見つかりました。ところがその後、化石は行方知れずに・・写真が残されていました。
それなら、アンモナイトをまた見つけようと、2011年、化石探険隊を結成、参加者を募って実施。するとなんと、第2回調査でアンモナイト発見!じつに50年ぶりのことでした。
発見者は埼玉県から二人で参加した母親と女の子。同じ日には小型ですがもう一つ、中学生も見つけました。やってみるものです。

 50年前の化石は崖に下に落ちていた転石中のものでした。今回は地層中からで、これも価値があります。
自然学校運営委員の本多さんは、この化石発見者の隣にいて
「これなんですか?」と聞かれたのだそうです。大興奮だったことでしょう。

このアンモナイトについては、現在、研究中
というわけで、化石がちゃんと見える「もっといい写真」は、研究発表後に・・乞うご期待。実物は下仁田自然史館に展示してあります。


見つかったのはこんなタイプのアンモナイト
ところでこのアンモナイト、解説してもらわないと
「これがアンモナイト・・・?」いわれそうです。
なぜかというと、

★地殻変動の影響で、化石の変形が著しい。ずいぶんつぶれた感じです。
クリッペ(どこからか横滑りしてきた地層で、ひっくりかえっっていたり断層で切れていたりと、大きな変動を受けてきている地層)になっている地層の中から見つかっているということは、相当な地殻変動にさらされたのかも。こうしてつぶれたり変形しているのは、そんな歴史の語り部と思うと、「大変だったねアンモナイト」、といってあげたくなります。

★アンモナイトというと、カタツムリのような渦巻型が思い浮かびますが、何だか違った感じ・・
  ・・・今回発見のアンモナイトは右の写真のようなアンモナイトの仲間になります。

ご存知の方も多いと思いますが、アンモナイトは時代が新しくなるにつれ、カタツムリ型でないものが現れてきます。巻き方がゆるくなったり解けたり、逆に複雑になったり、さまざまなものが現れました。異常巻きタイプなどという言葉もあります。

発見されたのは異常巻きタイプで、巻きのゆるんだパイプ状グループのもの。
日本産としてはめずらしいものとのことです。
  
アンモナイト
中生代のジュラ紀中頃から白亜紀にかけて大繁栄白亜紀になると巻き方に異常なものがたくさん現れてきました。中生代の終わりに、恐竜と同じように絶滅しました。

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下仁田のアンモナイト、素人が見て、見かけが立派なものというわけではありませんし、数もたくさん見つかっているわけではありません。しかも変形が著しい。
ですが、クリッペをつくる地層の時代を詳しく考察するのに役立つという、重要な役割を果たすのです。
この化石からの考察では、跡倉層は白亜紀ではありますが、今まで考えられていたより、少し古くなりそうです。

 このたった1個のアンモナイトを見に、大学の先生が下仁田に来て、研究用に一日かけて写真を撮っていかれました。早稲田大学の平野弘道先生で、研究スタッフ2名と一緒に、撮影機材を持ち込んでの撮影だったようです。化石の保存状態がいいとは言い難いため、苦労されていたようです。
やっぱり、もっとたくさん見つけたい!

跡倉層は今まであまり化石が発見されていない地層です。化石採集に行って、なかなか化石が出ないとがっかりしそうですが、ここでは化石が見つかれば、そのこと自体がすごいわけなのです。
なお、わずかですが、トリゴニアやイノセラムスという、名の知られた化石も見つかっています。これらの化石から、クリッペの地層が白亜紀の地層と判断されてきました。
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じつは今日、4月26日、化石探険隊でアンモナイト探しをしました。総勢25名、うち小学生から幼児が12名、ご家族連れのみなさんがたくさん来て下さいました。はじめはなかなか化石は見つからず、だんだん気分ものらなくなってきた感じだったのですが、一つ発見、するとそのあと、見つかりはじめたのです。そして
  発見したアンモナイト7個!! 今までで一番数が多かった!
どれも大きさは数cmで、殻の一部分が見つかっているのですが、一緒にいらしたアンモナイトを研究なさっている生野さん、うれしそう。「ひとりで探していたら、一生かかります」。
みんなの目はすごい。だんだん化石を見る目も身についてきたようです。小さいかけらなど、最初は化石とわからなかったかもしれませんから。
 他に二枚貝のかけら1個と、植物片やはい跡らしいものも見つかっています。
 みなさんも参加してみませんか。




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 JRが国鉄だったころですからだいぶ昔になりますが、北海道の幾春別(いくしゅんべつ)にお住まいの方に、たくさんのアンモナイトを見せていただいたことがありました。現在の三笠市幾春別、当時は国鉄幾春別駅があり、その駅員の方だったと思うのですが、趣味で化石採集をなさっていたわけです。どういう経過で見せていただいたかも忘れてしまっているのですが・・・
昔のことなので記憶があやふやなのですが、ご自宅に、子供の背丈ほどもありそうな大きいもの(大げさかもしれませんが・・・)から小さなものまで、たくさんのアンモナイトが飾られていました。見事だった記憶があります。どうやって山の中から運んだのだろうと思ったのをよく覚えています。
 北海道は有名なアンモナイトの産地で、こうして楽しみながら、とはいえ苦労しながら採集された方々がいらしたわけです。こうしたアンモナイトを大学の研究者が研究の資料に使っていたりしています。なお、これらアンモナイトの産地は国有林内にあり、国有林の入林には許可が必要という規定があり、化石の持ち出しは原則禁じられていると思います。

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大学で地質学を学ばれ、その後経済分野に詳しい国会議員として長く活躍された工藤晃氏から、アンモナイトと学生のころのノート数冊が寄贈されています。
緻密な観察とスケッチに「、ああ、こうして学んだのだ」と 息吹が伝わるようで、ため息が出ます。鉛筆と万年筆で細かく丹念に描かれたスケッチ・メモ、・文章で、大学ノートがびっしり埋められていました。経済学者と思われていた方の、知られざる一面でした。
スケッチのあるページの一部を紹介させていただきます。

1926年生まれの工藤氏が今日まできちんとこれらを保管されていたことに、深い思いを感じます。若き頃、心血を注いだ記憶なのでしょう。
我が身を振り返ると、まず、まともなノートなんてとってない、保存もしていない・・またため息が出ます・・












現在では様々な研究手法と機器の発達がめざましいわけですが、こうした、人の目による観察と手による記録という基本を見せられた気がします。



















目で見て、手を動かして記録する過程で、人は頭の中に克明に記憶し、考察することができるようになると思えます。
私にとっては、今からでは、目的が、「ぼけ防止」になってしまうかな。





















                                





くの方々を魅了してきたアンモナイトにちょっと会ってみませんか。みなさんから寄贈されたアンモナイトが、自然史館にも展示されています(世界各国のものだったりして、下仁田産のものは少しですが)。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
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自然史館から青倉川沿いの道を車で上流にたどり、最後に少し山にそってうねうねと登ったことがあります。4月上旬です。
思いもかけずステキな光景が広がって、「わあー、いいなあ」
   桑本の集落から少し登ったところです。写真は春霞の季節で、すこし霞んでいますが・
      写真では、風景の良さがよく伝わらない感じで、残念。
この場所には別荘と思われる家がありました。きっとこの光景を見ながら、のんびりと時を過ごしてみたいと思った方がいるのでしょう。

「私の出会ったこんなステキな場所・物」などと、みんなで出しあったら、楽しいかも、などとふっと思いました。
山々のひろがり 左端が鹿岳・右端が妙義、少し遠方には雪をかぶった浅間山も


鹿岳(かなだけ)は迫力ある姿!  安山岩のが噴出した通り道・岩頸です
双眼鏡があったら、きっと、もっと迫力あるのでは

妙義も見えていました

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春の自然は忙しい。1週間たつと、もうまるで違った顔つき。
紹介するにも、何を選んでいいものかと、困ってしまう。
きれいな花は目にとまるでしょうから、川原で見た、見過ごしてしまうような花をのせてみましょう。

このあいだ紹介したオニグルミ、今日は花が咲いていました。河原ではあちこちで見られるのですが、ご存知だったでしょうか。 
ぶらんと下がっているのが、オニグルミの雄花。今になって、雌花もさがしてみればよかった、などと、後悔しているところです。
でも、今まで、雌花を探してみたことなんてなかったなあ。
探してみようっと。

バタグルミという、もう絶滅してしまったクルミを、宮沢賢治がみつけています。大好きだった「イギリス海岸」の地層に埋まっていた化石がこのクルミだったのです。このクルミ、「銀河鉄道の夜」にも登場しています。


  次は、クワの花です。実は知っている人でも、花なんて気にしたことはないのでは。実は食べられますから、ジャムにしたりする人もいるようです。「桑の実」というお菓子屋さんがあったなあ。
園芸カタログを見ていたら、マルベリーという名で売られていました。へえー、桑の実はマルベリーとよぶのか・・・おしゃれな感じ・・・・・・群馬ではドドメなんですけど。この名前だと、突然泥臭くなる・・・
高校生物の教科書では、必ず「桑実胚」という言葉が出てきます。「くわのみはい」ではなくて「そうじつはい」と読みます。受精した卵が成長していく初期のころ、ちょっと桑の実のような形になる時期があるということで名付けたのでしょう。昔、日本では桑の実は、誰でも知っているものだったのだろうなと想像できます。いまでは、子供たちには何だかわからない謎の名前になっています。

話を花に戻します。
図鑑を眺めてみたら、雌雄異株とかいてある・・・雄の木と雌の木があるということ。エッ・・・そうだったの・・・お蚕を飼っていた家に育ったのに・・・なんとも・・・
写真は雄花、雄の木です。写真は養蚕地帯だったところですから、このクワはマグワなのでは。山の中にあるクワは、ヤマグワという種類になります。
なお、マルベリーの解説には、雌雄異株も雌雄同株もあるようなので、品種改良でいろいろあるのかもしれません。花のあるうちに、もう一度、ちゃんと眺めてみようかな。







2014年4月20日日曜日

下仁田の化石 その2  植物・昆虫化石、地形模型、里山の花


手作り地形模型 いよいよ完成へ


自然学校運営顧問の高橋武夫さんが下仁の田地域の地形模型を作成されました。
    荒船山・兜岩(これから紹介する化石の産地)もあります荒船風穴もあります。
 

地形がよくわかります。 迫力満点!!荒船山はどこでしょう .
山頂が平らで、見たらわかりますよ。
高橋さんのお宅の作業場でつくりました。人物は高橋さん

この模型は2mmの厚さの発泡スチロールの板を重ねて作りました。。板を165枚使用。
一枚一枚、地形図の等高線に沿って切り抜き、張り重ねていくという作業。すべて手作業です。
   ・・・根気と緻密さの結晶!
    ご自宅でコツコツと作業され、ここまで来るのに1年半!!

作業の工程です。
まず最初に、どの地域の模型をつくるかをじっくり考えたそうです。
次に縮尺をどうするか・・・・じつは、距離と高さの比率を1:1にすると、人の目には、実際に見て感じたときよりものっぺりと、平坦な感じになってしまうのです。高さの比率を、少し多めにすることで、実際に見たときの感じに近づきます。どんな比率にしたらよいのか・・・模型では水平距離と高さの比は1:1.5としました。板1枚、厚さ2mmが10mの高さを表しています。

こうしてやっと実際の作成作業がはじまりました。
じつは、地形模型は2作目で、1作目は下仁田町付近のもので、すでに自然史館に展示されています。このときは厚紙を積み重ねてつくりました。切り抜くときはスチロール板の方が、はるかに切り抜きやすく、作業が楽だったそうです。「楽」とはいっても、「紙より楽」という話です。
完成までに1年半・・
実際に見ていかがでしょうか。実際の山の雰囲気がよくでていると思うのですが。ぜひご覧になってください。


「単純作業だけれど、等高線をなぞりながら、それぞれの場所を歩いた時の光景を思い浮べ、楽しかった。こういう仕事が好きだから。」とおっしゃっていました。
  この作業、なかなかできるものじゃない、 ご苦労様でした

地質の違いがわかるように、今から細矢さんが色塗りをします。
作業は自然史館の展示室でおこないますので、運がよければ作業をご覧になれます。

自然史館に運びました







  本宿層上部層の昆虫・植物化石 


ここは保存のよい化石の数々で知られてきました

 荒船山周辺では、保存のよい植物や昆虫化石などがたくさん見つかっていました
カエルの化石のが見つかっていることでも知られています
薄い昆虫の羽まで保存したのは、その地域にかつてあった大きな湖
静かな環境にゆっくりとたまった火山灰は生き物の繊細な姿、模様を地層に残しました

地層は下の写真のようなきれいな縞模様(ラミナ)の石になっています。
兜岩、星尾といった場所が、化石産地として知られてきました。

かつてこの地域でそれらの化石を集め保存された方々がいます。故茂木伊一(もてき)さんのご家族からは、百数十点に及ぶ植物や昆虫の化石が、きちんと整形され10箱に整理された形で寄贈されています。特に昆虫化石を熱心に集められたということです。きれいにケースに保管され整理する作業だけでもたいへんな手間です。散逸することなく保管していくことが大切でしょう。

運営顧問の堀越さんから、当時の話をうかがいました。
細かなラミナが水平みられる湖にたまった地層です

今でこそ自動車で現地の近くまで行ったりできますが、皆が自家用車を持つようになったのはそれほど古い話ではありません。
南牧村星尾の化石は昭和30年代後半から知られるようになりました。当時、採集に行くには、南牧村羽沢までバスで行き、そこから片道7kmほどを歩いて登りました。帰り道、重い化石を背に7kmの道を歩くのは大変な苦労で、途中、せっかくとった化石を置いてきたこともあるそうです。

昭和40年代になると、道路も整備されてきて、車を買う人もでてきました。茂木さんは免許を取り車も買い、仲間と一緒に化石採集に出かけるようになったといいます。これで、前よりもずっと目的地の近くまで車で行けるようになりました。そんなことで、昭和30年代、40年代に集められた化石が多いということでした。一度など、車のトランクの中に鍵を入れて閉めてしまい、夕暮れてきた山を駆け下り(いったい何km駆け下りたことか)、タクシーに乗り、茂木さんの自宅までスペアキーを取りに行く羽目になったりと、忘れられない思い出もあるそうです。山道も長い距離も、若さで乗り切ったのでしょう。

現在は化石も見つからなくなり、採集も遠慮してもらっているとのこと。今までに集められた貴重な資料を大切にしていきたいものです。
茂木さんと堀越さんの化石の一部を紹介します。





昆虫化石


水草です 

カエデの実の房
カエデの種子、風にのってヒラヒラ舞います

ブナの葉









 寄贈された化石は、展示されたもの以外は収蔵されています。これからさらに整理していくことになります。

棚の上にある立派な箱に、きちんと標本箱に入れた化石が並べられ、ガラスの蓋も付いていて、そのままで展示できるようになっています。










これまで発表されている化石のリストを載せます。作成は堀越武男さんです。


八木貞助さんは昭和6年頃
「兜岩の植物化石」として、
この地域の化石をはじめて発表された方です。


植物化石の種類はほとんどが現在もみられる種類です。
現在の植物と見比べてみます。

★ほとんどの種類は、現在、北海道南西部から本州中・北部に分布します

★現在の山地上部から亜高山帯に分布するもの (ちょっと寒いところ)もあります
 ブナ、シラカンバ、ダケカンバ

★現在、中国南部 (暖かいところ)にみられるもの
   フウ 、スイセイジュ


化石の年代としては、本宿上部層ということで新生代中新世といわれます。約800万年前と推定されています。
(中新世は2300万年前~530万年前)。

一方、年代を新生代鮮新世の350万年前前後とする意見もあります。

まだまだわからないことがたくさんあります。


ところで、この化石を含んだ湖にたまった地層、現在は標高の高い、山の上部にあります。
昔、湖の水がひろがっていた場所が、今は高い山のてっぺん付近・・・・
下の図は地学講座という催しで兜岩の化石の学習会をしたとき、堀越武夫さんが書いて下さった図です。昔の湖の地層が、わずかに傾いているとはいえ、ほぼ水平に見えています。ずいぶん大きな湖だったのでは。この中の4カ所ほどで化石がみつかっていました。現在、標高1100m~1200mの所になります。

どんな大地のはたらきがあったのか、昔の地形はどんなだったのか、大地の世界は、どれも想像するのもなかなか難しい世界です。

自然学校名誉校長の野村さんが、下の写真のような図を黒板にかいて解説してくださいました。
これを見ても、この湖の地は,山のてっぺん付近。ずいぶん削られて残った部分というわけでしょうか。
大地の歴史・動きは、スケールが大きい・・・・・・・


地形模型を見ながら考えたら、湖の広がりなどが、思い浮かべるかもしれません。

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季節の便り
新緑の季節を迎え、下仁田の川や道のわきには、黄金色の山吹が輝いています。


                    絵手紙  小林生子さん

下仁田に行った日が雨。新緑の山の姿の写真が撮れない・・・そこで藤岡の新緑を。4月14日の光景です。
下仁田から東へ、富岡・藤岡・高崎と続くなだらかな丘陵地には、新緑の雑木林が続きます。
    ( リゾート開発の頃、ずいぶん沢山のゴルフ場がつくられた地域でもあります)

芽吹いた木々の緑と山のサクラの薄いピンク色が混じる柔らかな山の姿です。
ソメイヨシノが咲き終わったこの頃がこそが、林の一番きれいな時、と、私は思います。 

写真では山里の暖かで輝く雑木林がよくわからないのが残念です
ケヤキの新緑は輝くばかり


道沿いには時折、こんな花も。  アマナ  ・  ニリンソウ



  サクラとはいっても、ひっそりと咲くチョウジザクラの花         イタヤカエデの花


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下仁田市街地付近には、林の下にアオキが育っています。赤い実がきれいで、庭に植える園芸用の木かと思ったら、じつは野生のもの。
本州西部にひろがる林、照葉樹林という林によく見られる低木で、下仁田は照葉樹林がギリギリ分布。というわけで、アオキもはえています。

雄の木と雌の木があり、かつて18世紀後半、イギリスに持っていかれたのが雌の木だけで、実をつけなかったそうです。実をならせるべく、19世紀半ばにプラントハンターによって雄の木がもたらされて、やっと実が実ったという、有名な話があります。
ガーデニングの国イギリスでは、日本では普通にあるアオキやツバキが、珍重され愛された歴史があるのです。
                               
アオキ・・・実は目立つけれど花は目立ちません。今頃咲きます。探してみませんか。