かんらん岩の山 黒内山(くろうちやま)
かんらん岩・・・どんな石かときかれれば・・・
教科書を開けば、「マントル上部はかんらん岩質岩石からなる」などと書かれています。
地球表面をおおうのが地殻で、その下がマントル、
つまり地下数十kmの深さの主要な岩石 ということになります。
そんな岩石が下仁田で見られるというのですから、「どんなものなのだろう?」
と、ちょっと興味が湧いてきます。
単純化してかんらん岩のことを書いてみると
・地表で見られる岩石中で、とても比重が高い、つまり、同じ体積で較べたら、
ずっしり重い。
・鉄やマグネシウムを多量に含む
・「超塩基性岩(超苦鉄質岩)」と分類される
塩基性岩(苦鉄質岩)は、玄武岩やはんれい岩のような、黒っぽい石のグループです。
それに、「超」がつく石というわけです。
・地中深くから持ち上げられてきた・・・どうやって?
でも、もしそうなら、地下深くの情報を伝えてくれるかもしれません。
・水と反応して、蛇紋岩になる。蛇紋岩が風化すると石綿(アスベスト)ができる・・・
(アスベストは盛んに利用されましたが、発がん性が判明。大問題になったので、
ご存知の方も多いかと)
なんだか、あまり普通ではない石の感じがしてきます。
こんな石が下仁田にもあります。
右図の赤丸(下のほう)の黒内山は、かんらん岩からできているのだそうです。
鉱物ウオーキングという本で、上蒔田(かみまいた)を流れる川の川原の石に、ダナイト(ダンかんらん岩)がたくさん見られると、紹介されていました。右図の上の赤丸付近です。
ダナイトとは、ほとんどかんらん石からなる石です(主要造岩鉱物にカンラン石という鉱物があります)。
この筆者はご存じなかったかもしれませんが、この石は黒内山起源です。
下仁田自然学校の元運営委員の方は、黒内山周辺の尾根を歩いて、そこにかんらん岩がずっと分布しているのを確かめたことがあるそうです。
というわけで、黒内山から流れ出す沢では、この石が転がっているわけです。北側のいくつかの沢で見られるそうです。また、南側、稲含山方向でも見られたりするそうです。
下蒔田の川原で、この石を拾ってきました。地域の集会所のわきを流れる小さな川の川原です。
超塩基性岩ですから、すごく黒っぽい石だろうと想像するのですが、「表面が錆びたようになっているからすぐわかるよ」といわれました。左写真の、錆びたような色の石です。
教わっていなかったら、「黒い石、黒い石・・・」と探していて、きっとわからなかったなあ・・。割ってみると、中は黒いのですけどね。左下の写真のように。
鉄分をたくさん含むといいますので、それが酸化して(錆びて)鉄さび状になっているというわけでしょうか。どんな化学変化なのか、ちょっと知りたい気分です。
下仁田自然学校運営委員の中島啓治さんは、この石の顕微鏡用薄片をつくり、顕微鏡写真撮影もしています(右写真)。縦の線は1mm。
偏光板というものを通して見たものになります。きれいですね。
この一つ一つの丸い部分が結晶で、鉱物はカンラン石が多いわけです。ですが、岩石顕微鏡は馴染みのない方が多いと思いますので、肉眼で見たで見たカンラン石の写真も載せます(左下写真)。
(カンラン石という鉱物がたくさん集まって、かんらん岩という岩石ができるという関係です)
これもきれい!
じつは、カンラン石のきれいなものはペリドットとよばれ、8月の誕生石になっています。
なんと宝石扱い!!
オリビンともいいますが、これは、オリーブ色をしていることからついた名前です。「かんらん」という植物の実の利用法がオリーブに似ていて、オリーブのことを橄欖(かんらん)と書いたので・・とかいった、名前の由来があるようです。いまではほとんど知られていない言葉になっていますが、鉱物の名前では、主要造岩鉱物として知られています。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
3月に、下仁田自然学校主催の研究交流集会が開かれました。そこで、新潟大学の井澤さんから黒内山の石についての報告がありました。南北2km、東西1kmのひろがりのある岩体で、北関東最大だそうです。
ちなみに、関東山地北部の御荷鉾緑色岩(三波川結晶片岩のうち、変成の弱い地域)分布地域には、小規模の超苦鉄質岩が点在するのだそうです。
黒内山のかんらん石をより専門的にこまかく見ると、主にダナイトとウェールライトに分けられる
ダナイト・・・・・・・・ダンかんらん岩、ほぼカンラン石からなる石
ウェールライト・・・単斜輝石かんらん岩、透輝石を10~50%含むカンラン石に富む石
ちなみに、このウェールライトというのは、日本では三波川変成帯中に特徴的に
分布しているものとのこと。
この岩体の分布を調べたところ、岩体全体の下に底角断層がある可能性がみえてきたそうです。つまり、断層で区切られて、結晶片岩の上にかんらん岩の塊が乗っている・・・
なんだか、くりっぺ、根なし山と同じような形に思えてきます。でも、どうなんだろうかなあ・・さらに、これから解明されていくのでしょう。
さらに、成分分析から、このかんらん岩の起源にもふれていました。この石の起源を考えていくと、いろいろ難しい話が出てきそうです。
かんらん岩でできた山では、北海道のアポイ岳が有名です。
かんらん岩から蛇紋岩ができるといいますが、群馬でも尾瀬の至仏岳は蛇紋岩の山として知られています。こんな山では、そこにしか生育できない植物がたくさん知られています。そんな意味では早池峰山も有名。マグネシウムなど植物の生育を阻害する成分が多いために、こんなことがおこるわけです。
黒内山は小さな岩体ですから植物にまでそれほど影響を与えるわけではないのでしょうが、それでも、「特別」な気分がしてきます。
かんらん岩はどこにもここにもある石ではなさそう。私もほとんど見たこともないし、知らないことばかりの石です。
下仁田にあるとはいえ、黒内山にはなかなか行けない。私も行ったことありません・・・でも岩石は川原で手軽に拾えます。
思いついたら、拾ってみるのもいいいと思いませんか。
2015年3月30日月曜日
2015年3月23日月曜日
下仁田地質案内15 蒔田不動の滝・・クリッペの上にあります
岩壁の高さ25mといいますから、滝の落差も25mほどということになるでしょうか。
滝の脇には階段がつけられ、
たどりついた場所からは滝がよく見え、お堂が建てられて
お不動様がまつられています。
左写真は、下から見上げた石段なのですが、なんだか、上から見おろしたような感じになってしまいました・・・
この滝のある場所の地質は、下の地質図で。
黄色の楕円に囲まれた付近が、今回解説する場所で、楕円の中に引かれた黄色の線を、上から下(北から南)に向かって歩きます。
地質図の黄緑から薄茶色を横切って歩くことになります。
薄茶はクリッペ部分、黄緑は三波川結晶片岩地域です。
より詳しく見ると、水色部分も入り込んでいるのです。水色は下仁田構造体地域と言われる部分になります。
というわけで、わずかな距離に、様々な種類、様々な生い立ちの岩石が顔をのぞかせることになります。複雑ですね。
はじめてここを調査した人は、どうなっているのか、理解するのも大変だっただろうなあ。 今歩いてみても、よくわからない・・・
じつは、ここを中央構造線も通っています。ますます複雑な感じ。
しかも、断層は直接は見えていません。(数字は本の解説用で、ここでは関係ありません)
茶色がっかった色に塗ってある部分がクリッペ部分です。
茶色く塗られたくりっぺ部分の模様を見ると、2種類あります・・・
+印が石英閃緑岩、
点々が跡倉層(あとくらそう)の砂岩や泥岩です。
赤い線は大きな断層の大北野ー岩山断
層、じつはこれが中央構造線にあたるといわれています。
ひょろひょろとした短い波線は三波川結晶片岩(青岩公園の石と同じ石)。あちこちに顔をだしています。何しろ、クリッペの下に広く分布するのがこの石ですから、顔を出すのも不思議ではないわけです。
大きめの点々が神農原礫岩(かのはられきがん)。
はねこし峡によく見られる礫岩で、ずれ礫が見られたりする礫岩です。中央構造線より北側(図の上側)に分布する礫岩になります。
はて、こうなると、図の中に見られる、中央構造線より北側にある結晶片岩は何?という話になります。結晶片岩は中央構造線より南にあるという岩石ですから・・・
この図をよく見ると、
千平ー蒔田(せんだいらまいた)断層
という断層が横切っています。
どうやらこれがかかわるようです。
いやはや、何とも複雑な構造です。
こういうときは、断面図を見ると、理解しやすくなります。
下の図が断面図。 右上図の上から下に歩いたコースが、断面図の左から右となります。蒔田橋(横瀬川)から岩山クリッペまでのコースです。
(注意:上の図では跡倉層の砂岩が点々の記号ですが、下の断面図では横線になっていました。)
断面図で茶色に塗られたのが、クリッペ部分。先に述べたように、クリッペの岩の種類は、2種類あります。
地下には 結晶片岩が広くひろがっているのがわかります。
そこに神農原礫岩が、断層に区切られて、入り込んでいるというのですが、このあたりがよくわからない。いったいどんな動きがあったのか・・・よくわからないけど、ま、仕方ないか・・・
(スラストというのは、底角断層、つまり、平ら(水平)な感じの断層のことです)
やっぱり複雑で難しいですね・・・
コースを写真で見てみます。
道路脇に蒔田不動の案内板があります ずっと杉林の中を歩きます
↑まずは、沢沿いに青緑色の石がみえます。結晶片岩です。やがて、顔つきが変わってきま
す。礫岩らしい。
砂防堰堤が見えてくる頃、ジオサイトの看板が立っています。 その下の川底は、いかにも「礫岩」という感じ。神農原礫岩です。↓
このあたりに中央構造線の断層が通っているはず(神農原礫岩と結晶片岩の境目部分)。
ウーン・・・なかなかわからないけど・・・
←沢の方を見ると、石が転がっています。その石の種類は、青緑の結晶片岩と、ごま塩模様のかこう岩の仲間の石(石英閃緑岩)、
この2種類の石が目だっています。↓
上流にはこの石があるはずです。
やがて滝が見えてきます。
たどりついた滝の下の石は、右写真のように見えます。見ても、何の石かわからない。ハンマーでたたいてみなければ、色もわからない・・・
でも、お不動様の奉られる付近をたたくのも不謹慎かと・・
滝の脇に、上まで登る道がついているので、登ってみると、水の流れる沢に行き着きます。
この水が滝となって流れ落ちるわけ。水が石を磨いてくれるので、そこを見てみます。ハンマーでたたかなくても、岩石の新鮮な面が見られるわけです。ですが・・・
写真で見てもよくわからないし、実物を見ても、ウーンという感じですが、石英閃緑岩だそうです・・・解説プリントにも、「砂岩のように見えるときも・・」と書かれていました・・下の2枚の写真の石です。
道に戻って歩き始めると、また、青緑色の石が見えてきます。結晶片岩です。
道脇に、イノシシが泥あびしたヌタ場があって、結晶片岩が粘土のように軟らかくなっていて、青緑の粘土のように見えていました(右の写真)。
やがて、また違った雰囲気の石・・・これは跡倉層の砂岩。風化していてわかりにくいし、こういう場所ではちゃんとハンマーでたたいて、石を確かめるべきでしょうね。 こんなふうに、様々な石が出てきて、石も風化していたりしてわかりにくかったり、それらの関係も難しく・・・つくづく、「自然は一筋縄ではいかない」
こんなことを感じるコースでした。
こんなことを感じるコースでした。
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今回出てきた岩石などの簡単な解説を三波川結晶片岩: 結晶片岩は岩石が地下15km~30kmに沈み込んで高い圧力を受けてできた
岩石。三波川結晶片岩の変成作用は白亜紀後期といわれます。
神農原礫岩 :下仁田付近で中央構造線の北側に分布する礫岩。狭い範囲に見られて
います。ずれ礫(食い違い礫)がみられます。礫は石英斑岩が多く、石英斑岩は
8,500万年まえにできています。ですから、この礫岩ができたのはこれよりあと。
でも、いつ堆積したかは不明です。
跡倉層 :中生代白亜紀後期に海に堆積した地層(8千数百万年前)。下仁田自然学校の
化石探険隊が跡倉層から発見したアンモナイトナから、年代が少し古くなる可能性も
考えられています。
石英閃緑岩 :花崗岩に近い成分で、花崗岩より少し黒っぽい。花崗岩と同じに、マグマが
地下深くでゆっくり冷えてできた石
2015年3月15日日曜日
ツバキの育つ地域
早春の花が咲き始めています・・・スプリングエフェメラルの紹介
早春、まだ木々が葉を開かない頃に、光の差し込む林床に可憐な花たちが姿を見せます。
そして木々が葉を開く頃には姿を消します。こんなふうによばれます。
スプリング・エフェメラル、春の妖精 、春のはかないもの、春植物
名前を挙げれば・・カタクリ、イチゲの仲間、ニリンソウ・フクジュソウ・ヤマエンゴサク・・・・・・
早くに咲く花、セツブンソウを見てきました。秩父小鹿野に群生地があります。2cmほどの小さい花ですが、かわいらしく、カメラを抱えた多くの人たちが訪れています。
石灰岩地を好むとの説明。下仁田にはなさそうですが。
ツバキ・・・・・日本の花
ヤブツバキが赤い花をたくさんつけています。
庭先に植えられた様々な園芸品種のつばきもたわわに花をつけています。そんな豪華な花も含めて、地面に重たく散り敷いた花を集めて首飾りをつくった記憶がうっすらと浮かんできます。
ヤブツバキ
欧米ではつばきをカメリアとよびます。あでやか,異国的で「日本のバラ」,花の貴族にたとえられたそうです。品種改良を重ね、1万種を超える品種を生み出したといいますが、はて、本当のところ、何種類あるものなのか・・・
日本のつばきは床の間に似合う清楚さをもったイメージかと思いますが、カメリアはもっと華やかな感じがします。大きく,厚みもたっぷりあって,社交界のパーティーに身につけて出かける・・・
ベルディ作曲のオペラ「椿姫」にこうしてつばきが登場してくるわけです。「三銃士」を書いたデュマの息子が原作というオペラの中で歌われる「乾杯の歌」は、多くの方がどこかで聞いたことのある旋律かと思います。
品種名・桃太郎
東アジアに固有なつばきそのものがヨーロッパに持ち込まれたのは、16世紀、ポルトガル人によって。18世紀初めイギリスに伝えられ、19世紀のフランスでは夜会のアクセサリーとしてパリジェンヌの胸をときめかせた・・こうして椿姫もうまれる・・・
ヤブツバキからはだいぶイメージが違ってきました。
人が手を加える前、その地域をもともとおおっていた林は何か。
私の住む玉村町をもともとおおっていた林は照葉樹林です。群馬よりだいたい西の地域・関西・九州に広がっていて、カシやシイの木が生い茂る森です。そんな森にいつも見られるのがヤブツバキ。森を特徴づけるので、専門家は”ヤブツバキクラス”という言葉を使っているくらいです。
ツバキの仲間は日本・朝鮮半島・中国の一部にあるといいますが、それがヨーロッパの海外進出とともに世界に広げられていったというわけです。
それにしても,そこらにはえているヤブツバキ、そのすっきりとした花には魅力があります。
しだれ桜で知られる高崎の慈眼寺に隣接して、たくさんの品種のツバキが植えられています。品種名が書かれてありますが、そのプレートもだいぶなくなっていました。スペースも狭いので、育ちも、もう一歩でしょうか。園芸品種は人の手で世話する必要もありそうです。 いくつか紹介します。お寺に植えてあるので、いかにも「つばき」といった感じの、和風の品種が多いようです。(ヨーロッパでは、バラにたとえられたのですから、多分、八重咲きの大ぶりの花が好まれたのでは)
玉霞 ふくつつみ 太郎冠者
正義(まさよし)
←都の春 百合つばき→
高源(こうげん) ↓ 鹿児島
まざまな品種のツバキを見て、それでもヤブツバキは美しさで遜色ないと思いました。ヤブツバキの大きな木には魅力があります。
玉村町にあるわずかな面積の照葉樹の林が、かつて北関東の平野を広くおおっていたシラカシの林の名残といわれ、群馬の自然100選というものに選ばれています。だいぶ以前になりますが、こんな照葉樹林の名残はどれくらい残ってるのだろうと調べたことがあります。1990年の群馬県林務部発行の本に載っていました。県内では、次の場所でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
安中湯沢鉱泉付近の急斜面 (比較的大規模)
下仁田不通渓谷 (急斜面)
富岡貫前神社 (神社の森)
玉村上福島 (屋敷林・・この地域では空っ風を防ぐ防風林が民家の周囲にあった)
桐生泉竜院 (神社の森)
他では、アラカシ林が前橋橘山の急斜面にあります
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東日本でも早くに開かれたといわれる北関東のこの地域には、昔の植生そのままの場所は、ほとんど残っていないようです。下仁田にもあるわけです。大切にしなければ。
下仁田のシラカシ林の中に生える植物をあげてみます。
どれも照葉樹林によく育つものですが、特徴づける種類をいくつか太字にしてみました。
<高い木>
シラカシ アラカシ コナラ ケヤキ ムクノキ
<低い木> ヤブツバキ アオキ シロダモ
テイカカズラ キヅタ ムラサキシキブ
ダンコウバイ アブラチャン 茶
<草>
ベニシダ ヤブソテツ
ヤブコウジ ヤブラン
アイアスカイノデなど
←キヅタ アオキ→
玉村の照葉樹の森は、小さな川沿いで、利根川を渡る大きな橋の近く。ゴミなんかが転がっていそうな雰囲気。価値をちゃんと知るというのは大切ですね。知らぬ間に消失してしまわないためにも。
早春、まだ木々が葉を開かない頃に、光の差し込む林床に可憐な花たちが姿を見せます。
そして木々が葉を開く頃には姿を消します。こんなふうによばれます。
スプリング・エフェメラル、春の妖精 、春のはかないもの、春植物
名前を挙げれば・・カタクリ、イチゲの仲間、ニリンソウ・フクジュソウ・ヤマエンゴサク・・・・・・
早くに咲く花、セツブンソウを見てきました。秩父小鹿野に群生地があります。2cmほどの小さい花ですが、かわいらしく、カメラを抱えた多くの人たちが訪れています。
石灰岩地を好むとの説明。下仁田にはなさそうですが。
ツバキ・・・・・日本の花
ヤブツバキが赤い花をたくさんつけています。
庭先に植えられた様々な園芸品種のつばきもたわわに花をつけています。そんな豪華な花も含めて、地面に重たく散り敷いた花を集めて首飾りをつくった記憶がうっすらと浮かんできます。
ヤブツバキ
欧米ではつばきをカメリアとよびます。あでやか,異国的で「日本のバラ」,花の貴族にたとえられたそうです。品種改良を重ね、1万種を超える品種を生み出したといいますが、はて、本当のところ、何種類あるものなのか・・・
日本のつばきは床の間に似合う清楚さをもったイメージかと思いますが、カメリアはもっと華やかな感じがします。大きく,厚みもたっぷりあって,社交界のパーティーに身につけて出かける・・・
ベルディ作曲のオペラ「椿姫」にこうしてつばきが登場してくるわけです。「三銃士」を書いたデュマの息子が原作というオペラの中で歌われる「乾杯の歌」は、多くの方がどこかで聞いたことのある旋律かと思います。
品種名・桃太郎
東アジアに固有なつばきそのものがヨーロッパに持ち込まれたのは、16世紀、ポルトガル人によって。18世紀初めイギリスに伝えられ、19世紀のフランスでは夜会のアクセサリーとしてパリジェンヌの胸をときめかせた・・こうして椿姫もうまれる・・・
ヤブツバキからはだいぶイメージが違ってきました。
人が手を加える前、その地域をもともとおおっていた林は何か。
私の住む玉村町をもともとおおっていた林は照葉樹林です。群馬よりだいたい西の地域・関西・九州に広がっていて、カシやシイの木が生い茂る森です。そんな森にいつも見られるのがヤブツバキ。森を特徴づけるので、専門家は”ヤブツバキクラス”という言葉を使っているくらいです。
ツバキの仲間は日本・朝鮮半島・中国の一部にあるといいますが、それがヨーロッパの海外進出とともに世界に広げられていったというわけです。
それにしても,そこらにはえているヤブツバキ、そのすっきりとした花には魅力があります。
しだれ桜で知られる高崎の慈眼寺に隣接して、たくさんの品種のツバキが植えられています。品種名が書かれてありますが、そのプレートもだいぶなくなっていました。スペースも狭いので、育ちも、もう一歩でしょうか。園芸品種は人の手で世話する必要もありそうです。 いくつか紹介します。お寺に植えてあるので、いかにも「つばき」といった感じの、和風の品種が多いようです。(ヨーロッパでは、バラにたとえられたのですから、多分、八重咲きの大ぶりの花が好まれたのでは)
玉霞 ふくつつみ 太郎冠者
正義(まさよし)
←都の春 百合つばき→
高源(こうげん) ↓ 鹿児島
玉村町にあるわずかな面積の照葉樹の林が、かつて北関東の平野を広くおおっていたシラカシの林の名残といわれ、群馬の自然100選というものに選ばれています。だいぶ以前になりますが、こんな照葉樹林の名残はどれくらい残ってるのだろうと調べたことがあります。1990年の群馬県林務部発行の本に載っていました。県内では、次の場所でした。
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安中湯沢鉱泉付近の急斜面 (比較的大規模)
下仁田不通渓谷 (急斜面)
富岡貫前神社 (神社の森)
玉村上福島 (屋敷林・・この地域では空っ風を防ぐ防風林が民家の周囲にあった)
桐生泉竜院 (神社の森)
他では、アラカシ林が前橋橘山の急斜面にあります
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東日本でも早くに開かれたといわれる北関東のこの地域には、昔の植生そのままの場所は、ほとんど残っていないようです。下仁田にもあるわけです。大切にしなければ。
下仁田のシラカシ林の中に生える植物をあげてみます。
どれも照葉樹林によく育つものですが、特徴づける種類をいくつか太字にしてみました。
<高い木>
シラカシ アラカシ コナラ ケヤキ ムクノキ
<低い木> ヤブツバキ アオキ シロダモ
テイカカズラ キヅタ ムラサキシキブ
ダンコウバイ アブラチャン 茶
<草>
ベニシダ ヤブソテツ
ヤブコウジ ヤブラン
アイアスカイノデなど
←キヅタ アオキ→
玉村の照葉樹の森は、小さな川沿いで、利根川を渡る大きな橋の近く。ゴミなんかが転がっていそうな雰囲気。価値をちゃんと知るというのは大切ですね。知らぬ間に消失してしまわないためにも。
2015年3月8日日曜日
石垣のシダ
人里のシダ
道端にはいろいろな植物がはえます。
「湿った日陰にはえる」というイメージのシダだってはえています。
石垣は、人々の生活の場で、あちこちでつくられてきました。山道の脇・斜面、畑の縁、民家の塀・土台・・新しくコンクリートでビシッと固められた斜面ばかりでなく、古くからつくられたらしい、石の積み上げられたものもあります。そんな場所には、植物が育っています。シダも目につきます。
ノキシノブ
下仁田でも、歩いていると、石垣に出会います。
古くからの集落の道沿いの石垣は、なかなか趣があります。
下の写真で、石の間にたくさん見える緑のものは何でしょうか。
拡大するとわかりますが、ノキシノブ(シダの一種)です。もちろんコケもはえています。シダなのに、カラカラに乾く石の上にはえている・・・。雨が降ったらたっぷり水を吸い、あとはひたすら堪え忍ぶ??
庭木や石灯籠などにもつくといいますが、私の暮らす玉村町では見かけないかも・・。山も林も古いお庭もあまりないからなあ・・お寺や神社も、それほど立派なたたずまいのものはないし・・・湿度も関係するかも、などと、しばし考えました。皆さんのお住まいの場所はどうでしょうか。
にわか勉強でノキシノブを紹介してみます。
いくつか種類はあるようですが、標高の低い民家の近くにあるものは、まず「ノキシノブ」と思っていいとか。木の幹についているのも見かけますが、屋根の軒下などにもよくはえることから、ノキシノブ。
”軒の下など、カラカラに乾いた苦難の環境で堪え忍ぶから「軒忍」”などという人もいるようですが、解説を読んでいると、どうやら本当のところは、「軒下などにもはえ、シノブのように着生するから」のように思えます。シノブもシダの名前で、いかにもシダらしい姿で園芸用によく栽培されていますから、写真を見たら、「ああ、あれか」と思う人も多いはず。もっといえば、シノブはシダの古名だそうです。
イノモトソウ
左のシダ、下仁田なら、よく見かけるものだと思います。山の表土の薄い所によく見られるようです。つまり、掘るとすぐ岩のでてきそうな所。こんな崖のようなところにもはえています。
イノモトソウという仲間のシダで、似た感じの園芸品種はお店にも売っています。白い斑入りのものなども見かけるかも。
これもにわか勉強してみました。
イノモトソウ (井の許草)
人里の道端や石垣、崖面、ごく明るい森に普通に見られます。私の住む平地の玉村町では見かけませんが。
井戸の脇などにはえる人里のシダというのが名前の由来だそうです。
このシダ、じつはここに3種類あることを教わりました。
イノモトソウ、オオバノイノモトソウ、そして、この2種の雑種のセフリイノモトソウ。
ふっと思いついて解説を書き始めましたので、しおれた葉っぱの写真になってしまい、すみません。なにぶん、私の住む平地の玉村町には、このシダは、はえていませんので・・・
外で見たときは、よく見れば少し違うかなあという程度ですが、真ん中の軸にヒラヒラ(翼)が付いているかどうかではっきり区別できます。
ヒラヒラありがイノモトソウ、なしがオオバノイノモトソウ、ちょっとあるのが雑種のセフリイノモトソウ。
なお、この種類のシダの葉は、胞子をつけるためのものと、胞子をつけないものがあり、胞子のつくものはどれも少し葉が細めです。違いが目について、「違う種類だ」と思ってしまいそう。ちょっと注意して、胞子がどこにつくか観察してみたらいかがでしょう。
じつは、シダはどんなふうに胞子がつくかが同定の大切な要素なのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ちょっと理科の勉強を・・・・・・いまさら”勉強”なんてしなくてもいい・・かな・・・・
「雑種?シダって胞子で増えるんじゃなかったっけ」と、昔勉強したのを思い出して、首をかしげる人もいるかもしれません。もっともそんな疑問を持つ人は、ずいぶんよく知っている人でしょうから、疑問ではなく、解答を知っているかも。
以下の内容は以前にも書きましたが、今回はシダの話なので、もう一度紹介してみます。
シダには花は咲きませんから、種もできません。花って、種子をつくるためのものなのです。胞子は、おしべめしべで行われるようなような受精とは関係なく葉につくもので、胞子からはえるのは、前葉体という小さな「コケ」のようなもので、右写真の、ちょっとハートっぽい形のものです(ここの石垣とは別の場所のもの)。これに卵と精子ができて、それが受精して、やっとシダがはえてくる、という、何だか面倒に思える事をやっています。
精子は水の中を泳ぐから、水のある場所の方が都合がよい・・・石垣では乾いていて大変だろうと思うのですが、ここを選んで育ち、増えているのだから、うまくやっていく仕組みがあるのでしょう。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
道路脇の石垣には、他にもいろいろ植物がはえます。石垣のような、比較的限られた環境に育つものだってあります。シダも、紹介した2種だけでなく、まだまだ他の種もみられます。
当たり前に見られそうな石垣ですが、植物たちの育つ独特の場所として、大切な場所にもなりそうです。下仁田では道端や畑の端の石垣ですが、お城の石垣にだって、同じような環境があります。石垣は絶滅危惧種の生育場所だったりもします。
月並みな言い方になりますが、人の暮らしと共存して生きるものたちを大切にして、あたたかく見守っていけるような場所になれたらと願います。
少し山よりの民家の塀の石垣には、「フサフサ」といえるほど、シダたちが大きく育っていました。ヤブソテツやイノモトソウといったシダたちでした。
ヤブソテツ イノモトソウの仲間
道端にはいろいろな植物がはえます。
「湿った日陰にはえる」というイメージのシダだってはえています。
石垣は、人々の生活の場で、あちこちでつくられてきました。山道の脇・斜面、畑の縁、民家の塀・土台・・新しくコンクリートでビシッと固められた斜面ばかりでなく、古くからつくられたらしい、石の積み上げられたものもあります。そんな場所には、植物が育っています。シダも目につきます。
ノキシノブ
下仁田でも、歩いていると、石垣に出会います。
古くからの集落の道沿いの石垣は、なかなか趣があります。
下の写真で、石の間にたくさん見える緑のものは何でしょうか。
拡大するとわかりますが、ノキシノブ(シダの一種)です。もちろんコケもはえています。シダなのに、カラカラに乾く石の上にはえている・・・。雨が降ったらたっぷり水を吸い、あとはひたすら堪え忍ぶ??
庭木や石灯籠などにもつくといいますが、私の暮らす玉村町では見かけないかも・・。山も林も古いお庭もあまりないからなあ・・お寺や神社も、それほど立派なたたずまいのものはないし・・・湿度も関係するかも、などと、しばし考えました。皆さんのお住まいの場所はどうでしょうか。
にわか勉強でノキシノブを紹介してみます。
いくつか種類はあるようですが、標高の低い民家の近くにあるものは、まず「ノキシノブ」と思っていいとか。木の幹についているのも見かけますが、屋根の軒下などにもよくはえることから、ノキシノブ。
”軒の下など、カラカラに乾いた苦難の環境で堪え忍ぶから「軒忍」”などという人もいるようですが、解説を読んでいると、どうやら本当のところは、「軒下などにもはえ、シノブのように着生するから」のように思えます。シノブもシダの名前で、いかにもシダらしい姿で園芸用によく栽培されていますから、写真を見たら、「ああ、あれか」と思う人も多いはず。もっといえば、シノブはシダの古名だそうです。
イノモトソウ
左のシダ、下仁田なら、よく見かけるものだと思います。山の表土の薄い所によく見られるようです。つまり、掘るとすぐ岩のでてきそうな所。こんな崖のようなところにもはえています。
イノモトソウという仲間のシダで、似た感じの園芸品種はお店にも売っています。白い斑入りのものなども見かけるかも。
これもにわか勉強してみました。
イノモトソウ (井の許草)
人里の道端や石垣、崖面、ごく明るい森に普通に見られます。私の住む平地の玉村町では見かけませんが。
井戸の脇などにはえる人里のシダというのが名前の由来だそうです。
このシダ、じつはここに3種類あることを教わりました。
イノモトソウ、オオバノイノモトソウ、そして、この2種の雑種のセフリイノモトソウ。
ふっと思いついて解説を書き始めましたので、しおれた葉っぱの写真になってしまい、すみません。なにぶん、私の住む平地の玉村町には、このシダは、はえていませんので・・・
外で見たときは、よく見れば少し違うかなあという程度ですが、真ん中の軸にヒラヒラ(翼)が付いているかどうかではっきり区別できます。
ヒラヒラありがイノモトソウ、なしがオオバノイノモトソウ、ちょっとあるのが雑種のセフリイノモトソウ。
なお、この種類のシダの葉は、胞子をつけるためのものと、胞子をつけないものがあり、胞子のつくものはどれも少し葉が細めです。違いが目について、「違う種類だ」と思ってしまいそう。ちょっと注意して、胞子がどこにつくか観察してみたらいかがでしょう。
じつは、シダはどんなふうに胞子がつくかが同定の大切な要素なのです。
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ちょっと理科の勉強を・・・・・・いまさら”勉強”なんてしなくてもいい・・かな・・・・
「雑種?シダって胞子で増えるんじゃなかったっけ」と、昔勉強したのを思い出して、首をかしげる人もいるかもしれません。もっともそんな疑問を持つ人は、ずいぶんよく知っている人でしょうから、疑問ではなく、解答を知っているかも。
以下の内容は以前にも書きましたが、今回はシダの話なので、もう一度紹介してみます。
シダには花は咲きませんから、種もできません。花って、種子をつくるためのものなのです。胞子は、おしべめしべで行われるようなような受精とは関係なく葉につくもので、胞子からはえるのは、前葉体という小さな「コケ」のようなもので、右写真の、ちょっとハートっぽい形のものです(ここの石垣とは別の場所のもの)。これに卵と精子ができて、それが受精して、やっとシダがはえてくる、という、何だか面倒に思える事をやっています。
精子は水の中を泳ぐから、水のある場所の方が都合がよい・・・石垣では乾いていて大変だろうと思うのですが、ここを選んで育ち、増えているのだから、うまくやっていく仕組みがあるのでしょう。
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道路脇の石垣には、他にもいろいろ植物がはえます。石垣のような、比較的限られた環境に育つものだってあります。シダも、紹介した2種だけでなく、まだまだ他の種もみられます。
当たり前に見られそうな石垣ですが、植物たちの育つ独特の場所として、大切な場所にもなりそうです。下仁田では道端や畑の端の石垣ですが、お城の石垣にだって、同じような環境があります。石垣は絶滅危惧種の生育場所だったりもします。
月並みな言い方になりますが、人の暮らしと共存して生きるものたちを大切にして、あたたかく見守っていけるような場所になれたらと願います。
少し山よりの民家の塀の石垣には、「フサフサ」といえるほど、シダたちが大きく育っていました。ヤブソテツやイノモトソウといったシダたちでした。
ヤブソテツ イノモトソウの仲間
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私が育った家の井戸はまわりを大きく石垣にかこまれ、その石垣にはユキノシタがたくさん育っていました。南牧村に、ユキノシタがびっしりとはえ、花に覆われる大きな石垣があると、ききました。花の頃、いってみたいなあ。
我が家の井戸はその後,石垣を崩して埋められましたが、そのとき、石垣の間からたくさんのヘビが出てきたそうです。話してくれた母の、いかにも「気持ち悪い・・・」といった表情を思い出します。冬眠中だったのかな。
下仁田の石垣も、いろいろな生き物の住みか、冬越しの場になっているかもしれません。
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下仁田在住の里見哲夫さん(下仁田自然学校名誉顧問)は、群馬県の植物を長く研究してこられました。なかでも、シダについては大変に詳しく、野山を歩き、調べてこられました。花の咲かないシダは区別が難しく、わかる人も少ない分野になります。
下仁田にはたくさんの種類の植物が見つかります。群馬県には雪国タイプの植物もたくさんありますが、これはもちろん下仁田では見かけません。そんな中で群馬県全域と下仁田町に分布する植物数を比較した表を見比べてみました。シダでは、特に多くの割合で、生育が確認されています。これは里見さんのおかげなのでは、と思っているのですが、いかがでしょうか。
群馬県 下仁田町
シダ 235種 142種 60%
種子植物 2966種 1197種 40% (ほぼ、皆さんが普通の植物と思っている植物のこと)