2016年6月28日火曜日

「群馬の石」に・・下仁田の鶏冠石

県の石・・・日本地質学会が選定 (岩石・鉱物・化石)  

 下仁田の鶏冠石  
   「県の石」の鉱物分野で選ばれました。選定は権威ある日本地質学会です。 


 6月11日付けの上毛新聞にのっていましたので、ご存知の方もいらっしゃるかと。

鶏冠石はヒ素を含む鉱物として知られています。以前にこのブログで紹介したことがあります。
見ると ちょうど2年前。
その時は
「世界遺産登録 おめでとうございます       荒船風穴」
という記事を最初に載せ、そのあと鶏冠石の話を書きました。はからずも 今回
も登録のお祝いとお知らせになりました。
 以前のブログは以下です。

http://geoharumi.blogspot.jp/2014/06/5.html
(鶏冠石の詳しい解説はこちらでごらんいただけます)

次々と価値を認められ登録されるものが出てきて、地元下仁田にとっては喜ばしいことと思います。
こうした文化的価値を守り、人々に広めていっていただきたいです。

ところで 下仁田自然史館に展示してある鶏冠石の色がちょっと・・・
鶏の「とさか」のような赤い色のはずなのに、全然そんな色じゃない!
見学に来られた方が感想を書いていかれました。
「鉱物の保存の仕方が悪い。リアルガー(鶏冠石のこと)など展示の仕方を考えるべき」
確かにそのとおりで、お恥ずかしい限り。上の写真のように、ケースにいれ それをガラスケース内においてあるだけですから。(写真に光が反射していて不出来なのですがご容赦を)
鶏冠石は光が当たると結晶が変化してしまい、赤から黄色に変化して、正確に言えば鉱物名も変わってしまいます・・・展示、むずかしいなあ・・・

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ブルーの食塩が自然史館にあるのですが 光で色が消失するということで展示していません。写真をとったらたら良いかな。

 酸素に触れることで変化する鉱物もあります。黄鉄鉱は酸素・水に触れると酸化して 硫酸ができたりする・・・地層の中にできた黄鉄鉱の小さな粒子は 山が崩されたりして地表に現れ酸素に触れると そこにできた硫酸が岩石をくずしていく・・・昔は黄鉄鉱から硫酸をつくっていたというほどです。八ッ場ダムの現場で酸性水があったり 法面が赤茶けてくずれそうなのが 心に浮かびます。
   様々な原因で引き起こされる変化、変質にも注意をはらう必要があるわけです。
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光の当たらない場所に赤い色のサンプルが保管してあります。その写真をのせます。赤い色ですね。

なお土地は個人所有で 現在は立ち入り・採集とも 禁止です。
産地を大切に守りましょう。














岩石と化石は以下です。
上毛新聞のインターネットサイトのものです。
新聞記事はもう少し詳しく書かれています。

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「県の石」に鬼押出し溶岩など3種類   日本地質学会 

更新日時:2016年5月11日(水) AM 09:00
 日本地質学会(東京)は10日、47都道府県で産出する特徴的な岩石、鉱物、化石を一つずつ選び、計141種類を「県の石」(都道府県の石)として認定したと発表した。

 群馬県は「鬼押出し溶岩」(嬬恋)、「鶏冠石(けいかんせき)」(下仁田)、「ヤベオオツノジカ」(富岡)がそれぞれ認定された。             
 
上毛新聞より
 
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県の木・花・鳥などはあるのに石というのはなかったなあ。誰もそんなこと考えなかったし。でも 少しでも多くの人に眼を向けてもらうには こういった工夫も必要でしょう。
学校で地学という教科があまり教えられなくなり、関心をもつ人が減り、基本的なことが知られずにきた昨今、こんな試みも意義があると思えます。自然災害の多い日本では 特に。大地の公園・ジオパークはユネスコの正式事業になりました。地震が増えている昨今、大地に眼をむけるきっかけ作りになってほしいとも思いました。

ところで群馬県の花とかは何だけ?
 木 : クロマツ  
 花 : レンゲツツジ
 魚 : アユ
 鳥 : やまどり 
たしかに みんなが知っているなあ。 やまどりは知らないかな?
 
「クロマツ」というのがどうも・・・これ 天女が羽衣をふわりとかける 海べの松、海岸の木という感じがするのですが・・・たしかに赤城山の南面には松林が広がりますが・・・たしか ケヤキと最後まで争ったと聞いたのですが・・ちなみに 埼玉県の木はケヤキです。赤城山の「くろまつ」 ずいぶん枯れて 酸性雨調査が盛んにおこなわれていたのですが 最近は話をきかなくなっています・・・どうなっているのかな・・・

30年近くも昔、群馬から離れて住んでいたとき 「町が売られている」という番組をぼんやり見ていた時のこと。「なんだか故郷を思いだすなあ」などとふっと感じたりしていたら なんと「玉村町」と出てきて、びっくりしたことが・・バブルのころ、土地が切り売りされ、急激に人口がふえていった時のことでした。平らに広がる光景に ケヤキがポツポツとたつ風景・・何の変哲もないけれど、なにか空気を感じる・・それが育ったところというものなのか。

ところで 玉村町の木は 「もくせい」 花は 何と「バラ」。しかもマリア・カラス という品種! バラは確かにきれいです。でも 田んぼのまんなかの田園花火が知られているように、つい最近まで田んぼや畑が広がり、養蚕の盛んだった地域。もんぺ・かっぽう着姿のお母ちゃんが身を粉にして働いていた という地域とは ずいぶん感触が違う・・マリア・カラスは歌に生き 恋に生きといった 華やかな女性だし・・
 単純に「なにがいいですかあ」と 投票しただけだったのかなあ。花の名前なんて知らないし、きれいだからこれでいい とかなったのかなあ・・?
経緯を知らないで言うのは良くないですが、とにかくその地域にあった、特徴をあらわすのを選ばなくては、ね。それも文化でしょう。 

梅雨の雨が降っている・・ 季節の花 咲いている・・
写真とってこよう。
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どうせなので 県の石 一覧をのせます


大切なお願い
各都道府県で岩石・鉱物・化石をそれぞれ1つに絞って認定いたしましたが,
これ以外にも各地域には選びきれないほど,すばらしい岩石・鉱物・化石が多々あります.
特に化石・鉱物の産地については,充分な保護が必要です.国立・国定公園、並びに自治体の条例で保護が指定されている地域等ではもちろんのこと,そうでない場所で試料の乱獲や盗掘などはせず,
露頭保護を心がけるようお願い致します。

 

「県の石」発表

 

「県の石」発表
 


日本地質学会は、全国47都道府県について、その県に特徴的に産出する、あるいは発見された岩石・鉱物・化石をそれぞれの「県の石」として選定いたしました。日本地質学会は来る平成30年(2018年)に創立125周年を迎えますが、都道府県の石の選定をその記念事業のひとつとして実施するものです。
2014年8月に学会のHPやプレスリリースを介して一般にも広く推薦を呼びかけました。それをもとに学会内で各支部から委員を選出して選定委員会(委員長:川端清司(大阪自然史博物館))を構成し、約2年をかけて検討し、選定いたしました。

2014年にこの事業を推進するにあたって調査しましたところ、都道府県の花や樹木、あるいは鳥というのはほぼ全てにありました。しかしながら、各都道府県へのアンケートでは「県の石」あるいはそれに類するものを制定しているという回答はありませんでした。
地元の地質を愛する心は国際共通であり,米国では「州の石」を定めているところもあります.我が国では石や岩などというものは、奇岩や特別な景観の中で愛でることはありますが、産業として成り立っているもの、あるいは一部の愛好家を除いて、日常的にはほとんど意識されていないものだと思います。日本は国土の面積こそ小さいのですが、複雑な地質構造をもつ世界でも特異な場所です。
このような日本列島の北から南までの各都道府県の地域特有の「県の石」を選定することによって、一般市民の方々に大地の性質や成り立ちに関心を持っていただき、大地とうまく付き合っていくことができるようになることを目指しております。
また、各都道府県においては、近年盛んになっております「ジオパーク」への貢献ならびにこの「県の石」をさまざまに活用していただくことを希望しております。
2016年5月10日
 

 都道府県名岩石鉱物化石
支部 岩石名主要産地鉱物名主要産地化石名主要産地
北海道北海道かんらん岩様似町砂白金北海道中軸部アンモナイト北海道中軸部(空知,留萌,日高など)
東北青森県錦石(鉄分を含む主に玉髄からなる岩石)(全域)菱マンガン鉱尾太鉱山アオモリムカシクジラウオ青森市
 岩手県蛇紋岩早池峰山鉄鉱石釜石市シルル紀サンゴ化石群大船渡市樋口沢
 秋田県硬質泥岩男鹿市船川港女川など,女川層分布地域黒鉱北鹿地域ナウマンヤマモモ(特定の場所無し)
 宮城県スレート登米市登米,石巻市雄勝砂金のの岳,涌谷ウタツギョリュウ南三陸町歌津
 山形県デイサイト凝灰岩山形市山寺ソロバン玉石(カルセドニー)小国町ヤマガタダイカイギュウ大江町三郷甲,用地区の最上川川床
 福島県片麻岩阿武隈高原ペグマタイト鉱物石川町フタバスズキリュウいわき市大久町
関東茨城県花崗岩八溝山地南部リチア電気石妙見山ステゴロフォドン常陸大宮市
 栃木県大谷石(凝灰岩)           宇都宮市大谷町黄銅鉱足尾銅山木の葉石(植物化石)那須塩原市塩原
 群馬県鬼押出し溶岩(安山岩)浅間山鬼押出し鶏冠石西牧鉱山ヤベオオツノジカ富岡市
 埼玉県片岩   長瀞町スチルプノメレン長瀞町パレオパラドキシア小鹿野町,秩父市大野原
 東京都無人岩小笠原諸島単斜エンスタタイト小笠原諸島トウキョウホタテ(特定の場所無し)
 千葉県房州石(凝灰質砂岩・細礫岩)    鋸山千葉石房総半島木下貝層(きおろしかいそう)の貝化石群印西市木下
 神奈川県トーナル岩丹沢山地湯河原沸石湯河原町丹沢層群のサンゴ化石群丹沢山地
中部新潟県ひすい輝石岩糸魚川市青海,小滝自然金佐渡金山遺跡石炭紀−ペルム紀海生動物化石群糸魚川市青海の青海石灰岩
 富山県オニックスマーブル(トラバーチン)宇奈月地域十字石宇奈月八尾層群の中新世貝化石群富山市八尾町
(2016.5.11訂正)
 石川県珪藻土(珪藻泥岩)能登半島霰石能登町恋路大桑層の前期更新世化石群金沢市大桑町
 福井県笏谷石(火山礫凝灰岩)足羽山自形自然砒赤谷鉱山フクイラプトル キタダニエンシス勝山市北谷
 静岡県赤岩(凝灰角礫岩)富士火山宝永火口自然テルル河津鉱山掛川層群(大日層)の貝化石群掛川市,袋井市
 山梨県玄武岩溶岩富士火山青木ヶ原日本式双晶水晶乙女鉱山富士川層群の後期中新世貝化石群身延町など
 長野県黒曜石和田峠ざくろ石和田峠ナウマンゾウ野尻湖
 岐阜県チャート木曽川(鵜沼-坂祝),飛水峡,金華山ヘデン輝石神岡鉱山ペルム紀化石群大垣市赤坂金生山
 愛知県松脂岩鳳来寺山カオリン瀬戸市師崎層群の中期中新世海生化石群知多半島
近畿三重県熊野酸性岩類三重県東紀州地域辰砂丹生鉱山ミエゾウ津市・亀山市・鈴鹿市・伊賀市・桑名市
 滋賀県湖東流紋岩滋賀県南東部トパーズ田上山(大津市)古琵琶湖層群の足跡化石湖南市野洲川河床
 京都府鳴滝砥石(前期三畳紀珪質粘土岩)京都市右京区桜石(菫青石仮晶)亀岡市綴喜層群の中新世貝化石群宇治田原町
 兵庫県アルカリ玄武岩玄武洞黄銅鉱明延鉱山丹波竜(タンバティタニス アミキティアエ)丹波市山南町,篠山川河床
 大阪府和泉石[和泉青石](砂岩)和泉山脈ドーソン石泉南マチカネワニ豊中市柴原の待兼山丘陵(大阪大学豊中キャンパス)
 奈良県玄武岩枕状溶岩玉置山山頂,吉野郡川上村深山の吉野川河床、川上村下多古,十津川村折立などざくろ石二上山前期更新世動物化石馬見丘陵(広陵町~河合町)
 和歌山県珪長質火成岩類潮岬地域の橋杭岩,古座川弧状岩脈の一枚岩,虫喰岩などサニディン太地町白亜紀動物化石群有田川流域(有田川町など)
四国香川県讃岐石(古銅輝石安山岩)五色台珪線石猫山コダイアマモ阿讃山脈
 徳島県青色片岩眉山-高越地域紅れん石眉山プテロトリゴニア勝浦川流域(勝浦町,上勝町)
 高知県花崗岩類(閃長岩)足摺岬ストロナルシ石高知市蓮台シルル紀動物化石群横倉山(越知町)
 愛媛県エクロジャイト東赤石山周辺輝安鉱市之川鉱山イノセラムス宇和島周辺,松山~四国中央
西日本鳥取県砂丘堆積物鳥取砂丘クロム鉄鉱日南町多里中新世魚類化石群鳥取市国府町宮下
 島根県来待石(凝灰質砂岩)松江市宍道町自然銀石見銀山ミズホタコブネ(県内各地,模式地松江市玉湯町布志名)
 岡山県万成石(花崗岩)岡山市ウラン鉱人形峠成羽植物化石群高梁市成羽町
 広島県広島花崗岩広島県南部蝋石庄原市勝光山アツガキ三次・庄原地域(備北層群)
 山口県石灰岩秋吉台銅鉱石長登鉱山美祢層群の植物化石美祢市
 福岡県石炭筑豊地域リチア雲母福岡市長垂脇野魚類化石群北九州市,直方市,宮若市
 佐賀県陶石(変質流紋岩火砕岩)有田町緑柱石富士町杉山唐津炭田の古第三紀化石群佐賀県西部
 長崎県デイサイト溶岩雲仙岳日本式双晶水晶奈留島茂木植物化石群長崎市茂木町
 大分県黒曜石姫島斧石尾平鉱山更新世淡水魚化石群玖珠盆地(九重町野上)
 熊本県溶結凝灰岩阿蘇山周辺鱗珪石(トリディマイト)熊本市島崎の石神山白亜紀恐竜化石群天草市,御船町
 宮崎県鬼の洗濯岩(砂岩泥岩互層)青島海岸ダンブリ石土呂久鉱山シルル紀−デボン紀化石群五ヶ瀬町祇園山
 鹿児島県シラス(主に入戸火砕流堆積物)(島嶼部を除くほぼ全域)金鉱石(自然金)菱刈金山白亜紀動物化石群甑島・獅子島
 沖縄県"琉球石灰岩"(全域)リン鉱石沖大東島港川人八重瀬町字長毛



 

 
 

2016年6月17日金曜日

湧水をうみだす・・大間々扇状地


アサザの花が咲きました      
近所のお宅の庭の隅におかれた鉢の中で、黄色い花が咲いていました。一昨年のことでした。アサザ?少しいただいてきました。
メダカの入れ物に入れたのですが、忘れているとアオミドロが絡みついて、かわいそうなほど。それでも今年、花が咲きました。一日で閉じる黄色い花。

汚れて生き物も住めなくなりそうで、再生不可能とまでいわれた霞ヶ浦で、そこに残るアサザをシンボルとして、湖の再生に取り組んだ人たちがいました。1995年、アサザプロジェクトと名付けられ、そこでアサザ名前を知りました。プロジェクトは事業化し、今も活動しています。長く続けるのは大変なことと思います。
 アサザは環境省の準絶滅危惧種(以前は絶滅危惧Ⅱ類でした。ランクが下がりました。
 よかったね)、なお群馬県では絶滅危惧Ⅰ類です。42の都府県で指定していますから、
  ほぼどこでも希少な植物となっているわけです。


株をいただいたお宅では、住んでいる方が体調を崩され、小さな入れ物は水が干上がっていました。いただいたものを枯らさぬようにせねば。

梅雨というのに、今年はカラカラの日が続き、すでに30℃を超える日もあるありさま。先日やっと雨が降りましたが。でも、今日、私の住む玉村町は34℃なんですよね~        まだ6月なのに
少し涼しそうな話にしましょう。湧き水の話です。山の湧き水ではなく、だだっ広い畑の広がる場所の湧き水です。

大間々扇状地

学校で、きっと”扇状地”というのを勉強したことがあると思います。
扇のような形をした地形・・・山から平野や盆地に川が流れだしたとき、土砂が扇形に堆積した地形。

扇状地の大きいのが群馬県にあるの、ご存知ですか?大間々扇状地といいます。

この扇形は大きいし、肉眼で土地を見てもわからないのですけど、地図上で等高線をたどると扇形が現れます。
左図です。
扇のかなめが大間々です(オレンジ色)。
黒く塗りつぶしているところは古い地層の分布しているところです。渡良瀬川と利根川も黒ですね。
数字が標高で、そこに走る線が等高線です。弧を描いていると思いませんか。

大間々から伊勢崎、太田の方まで・・・大きいなあ。


それと湧き水のどこが関係あるの?と聞かれそう

実はこの大間々扇状地、図の標高60m付近を水色に塗りましたが、この付近に湧き水がたくさんあるのです。
どうして?

まず扇状地についてちょっと説明。
 扇状地に積もるのは、山から川で運ばれたものですから、石ころや砂利が多いのは想像がつきます。こんなものが積もったら、すき間だらけでよく水を通しそう・・・確かに水はどんどん地下にしみこんでいってしまう。
この扇状地のスタートは大間々です。昔、「娘を大間々には嫁にやるな」と言われたとか、大間々で聞いたことがあります。なぜかって?
ここには厚く砂利層が堆積しているのでしょうね。水は砂利層の下層に流れ、水をくむための井戸は深く掘らねばならない・・・かつて水くみは女の仕事、大変な仕事を背負わせることになるかもしれない・・・・

同じような図が続いて恐縮ですが、右の図の標高60m付近の
地名をごらん下さい。

平井・東新井・金井・市野井・
小金井・寺井

共通点は何でしょう。
 みんな」がついている
ここには昔、井戸があった・・水があった・・湧き水があった
状地の緩やかな傾斜に沿って地下を流れていた水が、この付近でわき出しているのです。扇状地の末端(扇端)で再び姿を見せているのです。何と、地名だけからでもその場所がわかるというわけです。
ここでは深い井戸なんて必要なかった。泉が湧いているのだから。
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最初の図で、左部分にも井の付く地名がいくつかあります。青色で書きました。
田部井・向井・今井・武井    
ここにも湧き水があったりしたと思います。田部井にはあまが池という湧き水の池があります。段丘も関係しているかなあ。
明治時代の土地利用図では、この付近には水田が描かれてありました。やっぱり、水に恵まれた場所だったのでしょう。
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地形図で大間々扇状地周辺の地名を探してみたことがあります。
国土地理院の1/2.5万の地形図でこの範囲をカバーしようとすると、5枚も必要になりました。地図は「大間々・桐生・大胡・伊勢崎・上野境・」・・・やってられない・・そこで
1/5万地形図を利用すると、4枚つなぎ合わせで、その中ほどに収まってくれました。印刷すれば、紙1枚におさまります。
 地図は「桐生及足利・前橋・高崎・宇都宮」
南北約16km、幅約13kmの扇状地です。


さらにいえば、このすぐ南からは「田」のつく地名が見られます。わき出した水で、田んぼをつくることができたのでしょう。これも5万分の1の地形図で拾ってみました。

上田中・下田中・上江田・中江田・下江田・村田・上田・上田島・
世良田という地名は、かつて栄えた世良田一族の名前でしょうから、
語源はどうなるのかな?

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ついでなので、さらに南、利根川近くになると、今度は島のつく地名が広がります。
利根川が乱流して、周辺は島になっりしたこともあったのだろうなあ・・・・
  ここには世界遺産のある島村もあります。

尾島・前島・武蔵島・備前島・小島・上小島・下小島・
少し西の地域でも、  中島・西島・島村・飯島・八斗島(やったじま)

 他にも、長沼上蓮(かみはす)、下蓮といった地名も見られます。  
 なんだか、湿地帯が想像されます。

それぞれマーカーペンで色分けすると、扇状地の高いところからから低い所へ(北から南)、帯状にきれいに色分けされました。へえー・・と、感心してしまいました。

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 お勉強的になってきたので、実際の湧き水を見ましょう。

まずは国指定の史跡となっている矢太神水源(やだいじんすいげん)

     小規模とはいえ、水が砂を巻き上げているのが見えます。
       湧出量は安定していて、ほんのわずかの湧き水に見えるのに、
     利用する側にとっては、じつに頼りになる泉だったそうです。
 
この奥から水が湧き出しています




水がぷくぷくとわき出しています

いつ行っても
砂が舞って見えています。
水にはニホンカワモズクという紅藻類が見られるそうです。


この水は石田川となって、やがて利根川にそそぎます。




付近では縄文時代の遺跡も多くみつかっています。ここには4000年前の遺跡があります。水のあるところを選んで、人々が住みついたのだなあ。
付近は公園となっています。ホタルも飛び交うらしく、その看板があります。
水は小川となって流れ出します。



公園の続きにはちょっとした沼があります。妙参寺沼。
湧水でつくられた低地に矢太神からの水を溜め、利用したようです。江戸時代の開削との推測されています。






湧水の下流には江戸時代につくられた
水の利用のための池があります



アオサギなどみられます



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北海道大学では正門をはいってすぐの所に、湧き水があります(ありました・・・地下水位が下がってしまい、今は人工的に水を流していると思う)。これも実は扇状地の末端からわき出る泉で、近くからは竪穴式住居跡や、鮭を捕獲するための柵も見つかっています。豊平川をさかのぼり、さらに小さな小川をさかのぼり、鮭たちがここまでやってきて産卵していたわけです。
 ここでも、水の湧くところには昔から人々の暮らしがありました。アイヌの人たちは、こんな泉をメムと呼びました。札幌の町にはかつてこんなメムがたくさんあったといいます。どうやら札幌は豊平川がつくった扇状地の末端にできた町といえそうです。
 帯広の近くの芽室(メムロ)はメム・オロ・ペツ(泉からくる川)に由来し、女満別はメム・アン・ペツ(泉のある川)に由来すると言います(北海道の自然史・小野有吾 他)
地名に自然の様子が反映されています。

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場所の確認をします。       (ぐんまの大地・上毛新聞社 より)
矢太神水源のあるこの付近には115ヶ所もの湧水池があったそうです。 2002年では25ヶ所。
今でも見られる場所を案内しましょう。
湧き水の見られる場所がたくさん見られるのは、新田暁高校(にったあかつきこうこう)の周辺です。ここは新田湧水群と名付けられています。ハイキングできる距離に、いくつもの池があります。
上に描いた扇状地の地図でいえば、金井の近くになります。

自然にできた湧水は先に紹介した矢太神湧水です。水を求めて人々が掘ったものもたくさんありますので、自然のままの湧水かどうかは、調べてみないとわかりません。

段蔵坊(だんぞうぼう)


 それぞれ紹介しましょう。
矢太神湧水は紹介しました。


①まずは段蔵坊湧水地だんぞうぼう)

コンクリート真四角で、味も素っ気もなく、アオミドロで水はどろんとしていましたが、以前見たときには、ところどころで水の湧く様子が見られました。

コイが泳いでいました。




②次は風吹湧水池(かざふきゆうすいち) かな?地図で見ると、これだと思います。人工的に掘られたものだそうです。

水神様が奉られてありました。

流れ出す水の水路をたどります



ポンプでくみ上げるのですが、
今はそのままで、藻類が浮いていました。



開けた畑の広がる中に
水のたまる池があります。
コンクリートの四角い池で、周囲は草の絡まったフェンスに囲まれています。
暑くなった時期、水はちょっとどろりとして見え、アオミドロの塊のようなものが浮いていました。












みのがいと
水神様がまつられている。奥に鳥居がもうひとつある

③みのがいと湧水池 (美濃谷戸)

 大切な水には、神様が奉られていました

水神様
マコモも育つ
池は3つの部分からできている


④重殿湧水池  新田荘(にったのしょう)遺跡 重殿水源(じゅうどのすいげん)


このあたりでは、やたらと新田荘という言葉が出てきます。そういえば、「田」のつく地名・新田(にった)が、標高60mの湧水ラインより高い場所にあります。新しく開発した田だから・・・とも思いますが、中世の武士・新田氏の活躍した場所でもあるので、そこからきているのでしょうか。
 新田氏はこの地域に荘園を開き、新田荘は中世東国の荘園として知られているそうです。国指定の史跡があります。歴史には疎いのでにわか勉強で書けば、荘園は12世紀中頃から開かれ、足利尊氏とともに名前が思い出される新田義貞は、その8代目だとか。
とにかく、荘園経営にとって、水は重要、湧水は重要なものだったわけです。
ちょっと干上がり気味
この重殿水源は、人工的に掘られたものだそうです。これを大切に守るのは水田を増やすためには大切なことだったでしょう。
1322年には、これをめぐって争いが起こったという記録があるそうですから、ずいぶん古い歴史を持つもので、この水源も国指定の史跡です。
工場の建ちならぶ中にある、古くから利用されてきた湧水地です。干上がりそうな状態でした。国指定史跡といわれて、びっくりするような少々みすぼらしく見える姿・・・
利根川の支流、大川の水源になっています。

左下写真のように片隅には祠も奉られ、ちょっとは歴史を感じさせます。
この水は水路に流れるはずですが、今は干上がっています。下の写真に見るように、水路に向けて階段がついています。昔、近所の人は、この水を利用して、洗いものなどしていたのかな。




湧水といっても、多くはただのたまり水に見えるかもしれません。
でも、この水を頼りに人々は生き、荒れ地を開発してきたのも見えてきます。
蛇口をひねれば欲しいだけ水が出るのが当たり前という感覚の現代人は、その水を得るためにあらゆることをしてきています。大規模な土木工事を行う能力を手に入れ、川をせき止め、流れを変え・・水を制する者は国を制するといわれたほどの重要事項だったわけで、その水を制する能力はすばらしく向上したと言えるのではありますが・・・けれど、そのために失うものはなかったか、少し考えて見ることも必要では。
ダム建設で故郷を失う人だっています。公共のため、といって、何でも許されるわけではないことも、心にとめねば。
こんな簡単に誰もが水が使えるようになったのは、つい最近です。私でさえ、手押しポンプを押して、お風呂に水を張った記憶があるのですから。
新藤兼人監督の「裸の島」、あそこでは乙羽信子、殿山泰司演じる夫婦が、井戸のない島から、毎日舟を漕いで水をくみに行くようす、段々畑に天秤棒を担いで水を作物にかけるという生活が描かれていました。
水なんて当たり前に手に入ると思っているみなさん、ぜひ、先人の苦労の歴史を学んで下さいね。
そして、今でも清潔な水を手に入れられない人たちが世界にたくさんいることも。これは、ユニセフのHPなど見れば、すぐに知ることができます。

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東新井付近にも、沼がいくつかあります。名前は多少間違っているかもしれませんが・・
農業に利用することもなくなったのでしょうか、管理されずに草の生い茂る場所になってきていました。
東新井池3号 釣り堀になっていました
東新井池 ヨシなどが生い茂っています
もう一つの池、管理されていないらしく、
すっかりヨシ原になっていました
天沼
もともとは段丘上の凹地などにある自然湧水の沼らしい。
地図で見ると、小さな川から水がはいるようで、鯉がいっぱい泳いでいました。公園になっています。

(地図で見ると、風吹湧水池から水路でつながっている三角がかった沼がこの天沼のようですが・・)
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ところで、湧水より標高の高い扇状地のこと、何もふれてきませんでした。 
伊勢崎から大間々に向かう道を通ったとき、バス停の名前を見て、びっくりしたことがありました。「野」というのがその名前なのです。扇状地の西端付近の、標高120m付近です。
地図で見ると、さらにその先、145m付近にも「」があります。
120m付近が「伊勢崎市野町(のちょう)」、近くに草倉という地名もあります。
145m付近は「桐生市新里町野」(にいさとまちの)。

 びっくり。きっと草原が広がっていたんだろうな・・・などと想像。
水は地面に潜ってしまい、水がない場所だもの。田んぼはもちろん無理、草しかはえなかった??
明治初め頃の土地利用図には、雑木林が広がり、畑が点在する感じで描かれていました。

扇状地のはじまりの大間々・・・ママというのは古語で「崖」のことと聞きました。
大間々とは、「大きな崖」という意味になるということか・・・。

大間々の役場の裏は崖になっていて、崖の上には大間々高校があります。
その段差はなんと15m!!
古い段丘と新しい段丘の境のこの崖は、きれいに花壇がつくられ、花で飾られていました。
今度は段丘の崖を調べてまわって見るのもいいかな

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  書き忘れてました。
最初にあげた地図で、大間々に近いところに岩宿と書かれてあるの、お気づきでしょうか。旧石器時代の遺跡、岩宿遺跡のあるところです。日本で最初に発見された旧石器遺跡。これも、必ず教科書に載っている場所です。大間々扇状地よりもっとずっと有名な場所かと思います。琴平山というちょっとした丘陵、扇状地より古い時代の地層が顔を出した場所付近にあります。
  3万年も前の岩宿の人が利用していた水は、どんなだったのかなあ、などと、ふと思いました・・・旧石器時代だから農耕はしていないだろうし、ちゃんとした定住もしていない・・・でも、はて、どんな生活をしていたんだっけ・・・・3万年、2万年前といった長きにわたる遺跡があるのだから、人が集まった場所ではあるのだろうし・・・
現在は、岩宿の博物館のわきに池があたと思うけど、これは昔からあった?
 はるか昔のご先祖様の生活に、だんだん興味がわいてきます。

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NHKの番組ブラタモリで、タモリさん、学生時代、沼田のあの美しい段丘地形を見たくて、わざわざ訪れたとか。さすが!!

大間々は合併してみどり市となったわけですが、私にはどうもピンと来ない名前です。
失礼な言い方になりますが、つまらない名前・・・考えた方々には申し訳ありませんが・・。
地名には意味がある、歴史がある・・・そんなこと、感じました。
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ついでなので、地質図も載せましょう。(大間々町町史誌から)
図中の数字は無視してください。

ピンク色がかった桐原面というのと、水色の藪塚面というのが、扇状地をつくるおもな地層です。この2つに注目。
桐原面は古くて約5万年ほど前までに運ばれた礫が堆積し、、薮塚面は新しくて約2万年ほど前まで礫が堆積し、扇状地となりました。この2つの面の境が崖になっていて、大間々の役場付近の高い段差をつくりました。
(境目がどうして崖になる?説明が必要になりそうですが・・・・省きます)
礫を運んだのは渡良瀬川で、今は東側を流れている川ですが、昔は西側を流れていて、やがて東側へと流れをかえていったのだそうです。渡良瀬川の労作、大間々扇状地、ですね。
 すっかり教科書の勉強みたいになりました。でも、池があるのにも理由が
 あるんですね。
よくわかります。