カムバック・ウナギ
表題のようなテーマで、利根川中流域の堰を見る企画がありました。一般の人たちで作る団体ですが、水管理の担当の方たちから、お話をうかがうことができました。
利根川は流域の人達に大切な水を供給してきました。以前は利水と洪水対策だけを考えていたと言えるかと思いますが、今、生き物との共存もテーマとなってきています。
ところで利根川をサケが上っていること、ご存知だったでしょうか。
利根川はサケ遡上の南限の川と聞きます。この川べりで育ち生活した私の母は、
時たまサケを見たと言っていました。きっと誰かが捕まえたのでしょう。
そういえば、サケの稚魚を育てて放流しませんかと誘われたこと、あったなあ・・
ちゃんと育てられそうもないので、参加しませんでしたが。
ある時
(20年近くも前だったかな)、利根川のかわべりで、見かけない小さな魚を
見つけました。「流したサケの稚魚」と言われたこともあったなあ。
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利根大堰の魚道を上るサケ 今年の11月9日 |
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小さな魚、これはオイカワでしょうか |
黄色で囲った3か所の場所を見学しました。マイクロバスで回りましたが、10時から4時近くまでの一日仕事になりました。
①坂東大堰 前橋や高崎の農業用水の供給などに貢献してきました
群馬県水産係の職員の方にお話をうかがいました。
ここから取水された水は、川の左岸では前橋市を流れて広瀬川・桃ノ木川となり、
伊勢崎のはずれで、再び利根川に合流します。
さらに、左岸にある取水口から取水した水を、暗渠で利根川を横断して右岸に持っていき、その水は天狗岩用水に入り、”やがて滝川に入る”と聞いて、え~・・・知らなかった。我が家の近くにある農業用水路といった感じの滝川は、烏川に注ぎ、すぐに利根川と合流します。縦横に走る農業用水路と川は、どうつながっているのか、見ただけではわからない・・・
いずれにしても農業用水として利用するために、大変な努力がはらわれてきたわけです。
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坂東大堰 橋は坂東橋 |
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橋の欄干の隙間から見えるコンクリートの
四角いところが取水口・坂東大堰合口。 |
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橋から下を見ました。この日は水量が多く、
吸い込まれるような迫力でした。 |
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魚道。古いタイプのもので、
果たしてどれだけ魚が上がれるか・・・ |
海から川をさかのぼってくる魚には、サケ・アユ・サクラマスがいると聞きました。
海と川を行き来する魚たち。まだ他にもそんな生き物はいるかも。
魚道整備を行っているが、うまく機能していないものも多いと、管理にあたっている県職員の方が説明の中で話されていました。
昭和22年のカスリーン台風で、天狗岩用水の取水口施設はすべて破壊されました。そこで写真にある取水口を建設することになったそうですが、当時の金額で事業費2億1900億円を費やしました。農林省で働いていた父はこの施設に思い入れがあったのでしょうか、この橋を一緒に通ったとき、あそこが取水口と説明してくれた記憶があります。さして興味もなかった私は「ふーん」と聞いていただけ。今となれば、もっといろいろ聞いておくのだったと悔やまれます。
②八斗島(やったじま) 利根川の治水基準点
「ここがあの八斗島なのか。一度は来てみたかった」と、ちょっと感激していた人もいました。 河口からの距離181.5㎞。
何の変哲もないだだっ広い川原ですが、2つの大きな川の合流点の下流です。
前橋市を流れ下る利根川と、
高崎市を流れる烏川の2つの川。
そしてここの川の中にかすかに見えるのが水位計かな?
ところで洪水時には
人手を使って流量測定をするのだそうです。橋から浮子
(ふし)を流して、一定区間を流れる時間を計測して流速を求め、その速度と河川の断面積から流量を測定する・・・台風が来た時、わざわざ川に近づいて、人が測る・・・危ないなあ、そんな「命がけ」のことやってるの?・・・ありがとうございます。このテクノロジーの時代、もう少し何とかならないのかなあ・・と、みんな思ったものです。
ところでここの橋、坂東大橋といいます。①で紹介した「坂東橋」とまぎらわしい・・・ここに橋を架けるのはいろいろ大変だったそうで、昔の橋の工事では死者も出たと聞きました。これも父が話していたのを思い出しました。橋は2004年に作り変えられ、今は新しい橋となっています。
③利根大堰
都市用水を東京や埼玉に供給するための取水を行っています。もちろん農業用水もあります。河口より154㎞、ちょうど川の中間点とききました。1968年完成。
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利根大堰 |
大堰のすぐわきには水資源機構利根導水総合事務所があり、今回、職員の方にていねいに説明をしていただきました。
埼玉の学校の見学が年間3万人ほどあるとのこと。この日も小学生たちの姿が
ありました。
かつては田んぼの水を求めて水争いがあったわけです。
今、どれだけ取水するか、渇水時に取水制限をする場合はどうするのか等、治水は昔から難しい問題でしょう。
左図は、大堰と、その水を分配する水路の写真です。こうして 利根川の水を利用しつくしているのだなあと、あらためて感じたものです。
縄文時代、人々は水のあるところに集落をつくって生活しました。
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左から邑楽用水路・埼玉用水路・武蔵用水路・見沼用水路
それぞれに水をわけています |
今は「ここに住みたいから水を持ってきて」と当然のように要求し、ちょっと蛇口に手を触れれば、いくらでも清潔な水がでてくる・・・考えたら、すごく贅沢なこと。私でさえ子供のころ、井戸水を汲んで、お風呂に入るには、せっせと井戸の手動ポンプを押した記憶があります。
武蔵水路は利根川と荒川をつなぐものとか。この2つの川の取水量は、東京の都市用水の30~40%とか。もしこのシステムが破壊されたら、都市生活は成り立たない、まさにライフライン。でも、そんなこと、みんな知らない。
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魚が登りやすいタイプという魚道 |
世界では今でも清潔な水を手に入れられない人たちがたくさんいることも、しっかり心に刻むべきと思います。
管理された水を手に入れられない人が世界に21億人もいるそうです。こうした水は病気も招き、多くの子供の命も奪っている・・・・
ちょっと想像すればわかる通り、この堰を魚が超えるのは難しい。それまで海と川を行き来していた生き物にとっては、生死にかかわる話でしょう。紹介したサケ・アユ・サクラマスだけではないはず。八斗島の上流の私の住む場所でも、例えば、モクズガニなどというカニがみられます。これは海から遡てくるカニです。昔はたくさん見たと、母が言っていたのを思い出します。
ここにはコの字型にマスをつくった魚道があります。改良型なのでしょう。この時期、サケが上っていました。サケの稚魚の放流を行っていますが、自然産卵も見られるようになってきたとか。
途中に柵をおろして、上に行けないようにしていました。サケが飛び上がっていましたが、越えられません。イベント用にとのこと…魚が見られるのはうれしいものの、なんだか、かわいそう。「とんでもない、不愉快だ」とおっしゃる方もいて、サケを見て喜んでいたのがちょっと恥ずかしい・・・
「夜には柵はとりますから大丈夫ですよ」とは言われましたが。
「ところでウナギは見かけますか」と職員の方に聞いてみました。「うーん・・うなぎは夜行性ですから」たしかにそうですね。うなぎは調査対象ではないわけです。それに、ウナギはたくさん群れているわけじゃないでしょうから、簡単に見ることはできないでしょう。
かつて札幌を流れる豊平川にサケを呼び戻そうという「カムバックサーモン」運動がありました。昭和40年代、川が汚れ、サケの遡上が見られなくなっていた・・・川をきれいにしてふたたびサケの姿を、と。放流事業をしてきましたが、今では自然産卵が増えているそうです。うれしい話です。
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柵で上にいけないようにしているので、たくさんのサケが見られました |
ところで今、魚たちを苦しめているのは、超えることのできない堰など。
うなぎの漁獲高グラフをご覧ください。利根川側河口堰(河口近くにある)運用開始以後、急激に減少が続いています。かつて利根川・霞ヶ浦でのウナギのシラス捕獲量は日本1だったそうです。利根川はウナギたちにとって、大好きな場所だったわけです。
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小さな超音波発信機をウナギに取り付けて行動を調べます。 |
うなぎに発信機を付けて放流したところ、利根大堰より上流で放流したものは堰より下流には下っていなかったとか。あの堰を超えるのは難しいのでしょうか。
一層の調査研究も必要でしょう。
ごく最近、二ホンウナギたちの産卵場所が見つかりました。西マリアナ海海嶺・・なるか遠くから日本にまでやって来るウナギたち、彼らをもっと暖かく迎えられないものでしょうか。さらに人が食べつくしてしまうことのないように。
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かつて、河川管理の会議で、ダムの下流で水がなくなっていることを問題にしたら(本当に、まったくなくなっている)、「なぜ水がなければいけないんですか」と言われて、何度説明をしても理解してもらうことができなかったという話を読んだことがあります。もちろん、生き物のことなんて、頭にない・・・自分の都合にしか目が向いていない・・・そんな時代から、すこしは変わってきたのでしょうか。
平野は、もともと、川が好き勝手に流れを変えて、小石や砂・泥を置いていってできたものです。広い関東平野だって同じ。その流れを、ひとところに閉じ込めて流れてもらおうというのが、今の河川です。力ずくで抑えようというのは、自然を見くびっていることになるでしょう。自然はそんなにヤワじゃない。また、もともとそこに住んでいた生き物たちも、私たちよりずっと以前からの住人です。人の都合だけを考えるのでなく、川や生き物とも少しでも仲良くやっていけるように知恵を絞ることは、とても大切なことと思うのですが、いかがでしょう。
カムバック・ウナギには、そんな願いも込められているように思えました。
桜井善雄さんの「水辺の環境学 生き物との共存」という本が手元にあります。何冊もの続編もあります。発行年を見たら、1991年。 遅々としたあゆみ・・・でも、公の機関が生き物との共存といい始めたのですから、変わってはきているのでしょう。