霜枯れの景色が広がってきました。
自然もちょっと一休み?
私もこのブログを,春までお休みしようかと。
ですが、冬なのに今を選んで開く花もあるのですね。
ビワの花は今満開。ほのかな香りも漂います。
目をとめてみませんか。
絵手紙 小林生子さん
サザンカ、水仙、ロウバイと、寒い外にも、
なじみの花が姿を見せます。
パンジーはすっかり「冬に咲く花」になりました
が、もともとは春の花。種苗会社の努力で、
冬にもにぎやかに咲くように品種改良されたと
いうことです。
年の瀬・・なんとなく、いろいろ振り返る気分になる季節。
今年前半のNHK朝ドラの「ひよっこ」は、庶民や若者たちの高度成長時代を描いていました。どこかで見た光景、触れた感触があちこちあって、時代の空気を伝えていました。
冒頭主題歌の場面で出てくる炊飯器の花柄模様、我が家にもあったなあ・・・工場の食堂や裏庭の、塗料が少しはがれたような細い柱・・この柱と雰囲気,記憶の奥にある・・などなど・・・よく再現しているなあ。もっとも、個人の感傷なんて聞きたくもないですよね。でも、下の新聞記事には考えさせられました。
かつて大規模開発された町の今の姿・・・かつての「ニュータウン」の今を10ケ所取り上げています。今となっては高齢者ばかりが多くなった町・・時代の変化とはいえ、何という様変わり。多摩ニュータウンのことを「使い捨ての時代は、町まで使い捨てしてる」などと話していたことあったのですが・・・
私は、この10カ所のうちの2か所を実際に知っているのです。
下の新聞記事の一番右側にある札幌市のもみじ台団地、この場所がまだできたばかりの時、まだ造成中の場所もあった頃をよく知っています。
高齢化率42.7%で、10カ所中のトップ。
場所は北海道開拓記念館・野幌森林公園のある地域といえば、思い浮かぶ方もいるかもしれません。この近くでは新札幌という駅が作られ、地域開発を盛んにしていたころです。
農地を開発して大きな住宅街を建設。若い世代急増で、中学校は1学年11クラス。1クラス45人学級の時代です。1クラス42~43名は普通、教室は机を置くと、ろくに隙間もないほど。昼休みに体育館で遊ぶにも、曜日で交代制。とにかく、子供であふれていました。
それまで、複式学級かといったような小さな学校で過ごしていた地元の子のなかには、戸惑った子もいたことでしょう。中学生時代は誰にとっても3年間。その3年間を少しでも豊かに過ごすにはどうしたらよいのか・・・なかなか難しいこともあったはずです。
沢の残った斜面にはリュウキンカやエンレイソウが咲いていましたが、それも住宅地に変わっていきました。
もう一つは明石舞子団地。日本の標準時の明石天文台のある明石の付近。舞子とは、何ともすてきな名前です。これも地名で、駅もあります。東へ行けば須磨の海岸へも続きます。なんだか源氏物語に出て来るような由緒ある名前がならんでいます。
垂水の駅から明石駅に、しばらく通ったことがありました。電車の窓から見える緩やかな斜面には隙間なく家が立ち並んでいました。この団地のさらに西の丘陵を開発して学園都市とか工場地帯とかにするというわけで、里山の丘陵地帯が一面はがされるようにして、削られていた頃です。こちらは西神ニュータウンといいました。「西神戸」です。神戸から地下鉄がつくられています。
ここは春には一面にツツジに覆われるような明るい雑木林の丘陵でした。
予測できたかもしれない変化にも、その時になっても手をこまねくばかり、という姿がしばしば見られます。なんだか賢くないなあ・・・かつてあこがれだった不動産は、今では「負動産」などと呼ばれたりして、あちこちで空き家が問題になっています。今人気のタワーマンションも、やがてどうなるか・・。
世の中そんなに思い通りにはいかないわけです。
この団地の造成のころからリゾートに狂奔していたころまで、日本中で自然破壊が叫ばれていました。実は今でも生き物の絶滅危惧種は増えるばかり。
こうしてちょっと振り返るだけでも、それなりの歴史が垣間見られるわけです。
あるとき、アンネ・フランクの生年月日を見て、目が釘づけになりました。
アンネの日記を書いたあのアンネです。1929年・・・・私の母の生まれたのが1924年。
母より年下・・まだ生きていて当然だったんだ・・・心に強く感じることでした。
それから、母の世代は女性が20歳で選挙権を持てた初めての世代だった・・今の若者には、歴史の教科書の世界の話としか感じられないのでは。
そんなことから、幾人かの人の生年月日を調べたことがありました。
ローラ・インガルス・ワイルダー、「大草原の小さな家」などの児童文学を書いた人。テレビ番組でも人気を博しました。あちこち開拓地とも言えそうなところに移り住みながら生活していく様子を描きました。このシリーズは大好きで、せっせと読んだものです。彼女の生きたのが1867年~1957年。ここでびっくりしたのは、ずっと以前に生きた人と思っていたのに、私と同じ空気を吸った時間があること。
こうして比べてみるだけでも、見えてくるものがたくさんあります。
はて、来年はどんな年となるのでしょうか。
不安ばかりつのりそう。
いえ、よい年をと願って、そのために少しでも寄与できることを願って。
わたしも、いろいろ学んでみたいものです。
少し早いですが、皆様どうぞよいお年を。
2017年12月11日月曜日
カモシカが目の前に
山すその民家のわきの道を歩いていたら、目の前を横切るものが・・
立ち止まってこちらを見て |
スタスタと道を横切り |
民家の裏の林に入っていきました
|
立ち止まってしばらくこちらを見ている カモシカって、こういう行動するのですよね |
毛皮の利用で、かつては幻の生き物になっていたカモシカ。昔、まだテレビが白黒放送だったころ、NHKの「自然のアルバム」?という番組で、”カモシカを撮影!!”と放送したのをなぜか覚えていました。ずっとあと、カモシカ特集の番組でその映像が出てきて、「ワー、私これ見てる!」とちょっと感激したものでした。
昔は人を見ると逃げたとききました。特別天然記念物になって、「人は怖くない」となってから こうして人のすぐ近くにもやってくるようになったとか。それにしてもこんなに近くで見たのは初めてでした。 また姿見せてね。 |
この日、初冬の里山で、1年分の薪集めと薪割、薪運びを手伝ってきました。
薪割りの機械があるのですね。ぐいぐい力づくで割っていく。この薪を薪ストーブで燃やします。
灯油・電気・ガス等で暖房する前まで、斧とのこぎりだけで冬支度の薪を準備していたわけで、、ずいぶん大変な大仕事だったろうとつくづく思いました。
ちなみに私の子供のころの暖房は、台所で燃やした桑の枝が燃えたあとの”おき”(この言葉、きっと子供には通じない)。稲を脱穀した後のもみ殻を蒸し焼きにしたものを一緒に入れておくと、ちょうど炭のような役割になって、コタツの中は長い時間温かい。
燃料はすべて自給自足でした。というわけで、桑の枝があるので、薪割りは無し。
みなかみ町、赤谷プロジェクトにて
左手から丈夫な刃先で押してくると、 木の目に沿って割れます。 |
「道草をして、何かに偶然出会う。そんな体験の蓄積が科学者を育むのに、意外さや想定外を受容する場が減っている」
これは、朝日新聞に載っていた生物学者の福岡伸一さんの言葉。どんな文脈で語られたかというと、ノーベル賞受賞とネット社会とのかかわりで。
インターネットの急速な普及で、社会が劇的に変わってきています。本当に便利になりました。世界の僻地と言われる場所の子供だって、ネットで多くを学習できるかもしれない。実際にそういう子供の話もあります。写真だって、誰でも簡単に撮れ、それを発信するのも自由。意見交換もできる。調べものだって、検索機能のすばらしさを満喫。本づくりなんて限られた特別な人しかできなかったのに、今ではお金もかけずに発信できる…。自分で作る楽しさをみんなが知って、やるようになっています。
お年寄はなかなか使えないといいますが、外に出るのが難しくなってきた人など、ボタン一つで情報が手にはいったり、誰かと交流できるわけで、とても役に立つのでは。特に、今の若い世代が老人になった時は、ごく普通に使うわけでしょう。
そこで、ふと立ち止まっての話です。ちょっと一部を抜き出して引用させてもらいます。そうだなと思う言葉を、太字にしてみました。
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「ネット社会の出現で、物事を調べるあらゆるプロセスが漂白されている。効率よく知識に到達できるので、学びのリアルさが失われてしまった。」
「イモを採ろうとツルを引っ張たら、探していたのとは違うイモが出てきたというような、偶然の副産物が生まれにくい。」 なるほど。ハッとしますね。
「自然は古代ギリシャで”physis”(ピュシス)という。それは混沌としていてとらえどころがない。チョウのさなぎを育てていたら、中から、寄生バチが飛び出してくることだってある。その驚嘆に意味がある。
ピュシスをロゴス(理性)であえて整理し、近似しようとするのが科学だ。だからおのずと限界があり、予期せぬ展開がある。」
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いろいろ経験したはずの大人で、この驚嘆の心と好奇心を忘れない人はきっと素敵な人。
あちこち道草して、たくさん楽しみたいですね。
sense of wonder (不思議さに驚嘆する感性)
「沈黙の春」を書いたレイチェル・カーソンの この言葉こそが大切。
戦争が終わり、子供たちは「好きなものを好きでいられる自由さ」の中で育つことができたと述べられていました。多くの子供が、好きなことを広く浅くやっていて、それが伏流水になっていると。
翻って今、政府は研究開発の戦略的重点化と称して、いくつかの分野に重点的に国費を投じ、競争させ、世界で競争できる若い人材を増やそうとした・・・・
馬の鼻先に人参ぶら下げて競争させているようにしか見えないけど・・・成果ばかり強調されて。
このところたくさん生まれたノーベル賞受者は、「好きなものを好きに」で育った世代ということは、今、競争させられている世代は、どうなるのでしょうか。
科学研究の世界ではしばしば「現場は疲弊」と言われていますよね。
未来のある子どもではないけれど、年取った世代も、せっせと「散歩」して、楽しいことを見つけて楽しんで、素敵な感性をもてるようにしたいですね。ネットの世界の素晴らしい所も、利用できたら、また世界も広がるし。
1か月前の朝、西の空にきれいな形の虹がかかりました。
色はちょっと薄いのですが。空も灰色なのですが、何といってもこの季節に虹というのが意外。虹といえば、夏の夕立後の東の空にかかるもの、という印象なので、なんだか意外でした。ちょっと玄関を出るだけでも、こんなものに出会えるわけです。
スマホの画面ばかりでなく、ちょっと実物の世界に目を向けてみようよ。
こう言うと、若者に嫌われるかな。