2015年4月19日日曜日

下仁田地質案内18 金剛萱と石器

3万年前 下仁田に人がいた!金剛萱(こんごうがや)の山の上に
      ・・・旧石器時代の局部磨製石斧(きょくぶませいせきふ)の発見・・・・



下仁田自然史館の近くにある金剛萱という山、ここでは約3万年前の旧石器時代の石器が見つかっていました。標高788mの山の山頂から少し下にある畑の跡地で拾ったものです。

下写真は向きを変えて見た金剛萱です。左斜面の少し緩やかになるところで、かつては馬の放牧として利用されたといいます。最近も畑利用したりしました。
(こんな山の上、大変だったろうなあと、思ってしまうのですが・・)

写真と図は下仁田自然学校作成
  「金剛萱に旧石器時代をさぐる」より

昨年11月、この金剛萱での発掘で、3万年前の旧石器時代の石器が発掘されました。埋まった状態でみつかったというのは、重要です。しかもその石器、「局部磨製石斧」という、”特徴ある石器”でした。というわけで、マスコミにも紹介し、新聞にも載せていただきました。

それにしても、あんな山の上のほうに、わざわざ何のために行ったのかなあ・・・
   (下地図の矢印の所です)
下仁田自然史館は標高300mほど、標高700mほどまで行くとしたらけっこうな標高差です。登るコースは右の地図。細い林道をクネクネと車でのぼり、やっとたどりつきます。わだちに車をとられたら・・と不安になる道・・・時々、車の底が何かでゴツン!という時も。作業向きの軽トラなら登れるけれど・・・という作業用林道です。

一般の方は、事故が起きても「自己責任」だし、車の使用はやめた方がよいでしょう。
 道は杉林の中を通り、ハイキングにはそれほど魅力的とはいえないかも・・・でも、上まで行くと、すてきな眺望があります。また、たくさんの種類の火山灰が整然と積み重なっている(関東地方屈指の場所かも)赤土の崖があります。おまけに、3万年前の人類の気配が・・・
 ジオサイトの価値があるということで、下仁田町では、この道のデコボコを補修してくれています。ありがたい話です。登山道としては整備されていなくて、山頂近くでは道もついていませんが、見たらわかる場所で、迷うようなことはないと思います。
4月に行ったとき、ちょうど、案内標識を手作りされた地元の方々が、その設置に来られていました


 
 日本の旧石器時代の遺跡は1万ヶ所ほど(?)あるそうですが、「局部磨製石器」は800個ほどしか見つかっていないとのこと。こう聞くと、「それって何?」と聞いてみたくなるのが、野次馬根性。  
 思いおこすのは、
「旧石器時代は打製石器で、新石器時代は磨製石器」などというステレオタイプの昔の記憶。ですから、旧石器時代に「磨製石器」?などと、単純に思ったりもしたわけです。

 山頂近くまで登れば、浅間山(左写真)妙義山(右写真)も、さらに目を転じれば榛名山や赤城山、高崎方面や、前橋の群馬県庁も見えてきます。






火山灰の層がたくさんみつかる赤土の崖

  ここからもう少し登って、狭いやせた尾根すじを少し歩き、山頂に登ると、さらに良い眺望。登ったのに、カメラを持って行かなかった・・(今ごろ強く反省・・)。
 今年4月12日、山頂付近の岩肌はミツバツツジの紫に彩られ、まだ葉のない木々の間からは山々がさらによく見え、二つのコブのような鹿岳も存在感たっぷり、さらに今まで見えなかった方向の景色もひろがります。
「あれは稲含山?下の集落は桑本かな。造成地のような広がりは何?・・・青倉の石灰岩を掘った場所なんだって」などなど。

 この場所ではもう何年も調査が続けられてきました。2008年から、下仁田自然学校関係者で結成された金剛萱研究グループによるものです

()()
発掘風景 2014年11月






発掘体験希望者は参加することができます。少々泥だらけになりますが。

発掘された貴重品、局部磨製石器は13.7cmの石斧の破片です。先端はツヤツヤと磨かれ、拡大すると、岩石の組織がくっきりと見えていました。御荷鉾緑色岩を使った石器でした。上写真の真ん中付近、白く丸い入れ物のわきにある小さな白い棒のように写っているのが石器です。拡大写真は、研究グループの発表物で見てください。

 あとから調べたら、下仁田の高速道路インター建設時に見つかった鎌田遺跡の発掘品の中にも局部磨製石器があったそうです。長野県の野尻湖周辺からはこの石器が200個ほども見つかっているそうで,
野尻湖発掘を長く担当している方が金剛萱にかかわってくださっていることも、すぐにこの石器に気づくことにつながったことと思えます。

何に使ったの?
ウーン・・ 木材伐採?動物の狩?両方?・・・決着ついてないそうです。
「あのー、木を切るには、何だか小さいように見えるんですけど」・・石器は破片だということ、それから、小さくなるまで修理しながら使っていたということも・・・木をきるというと、金太郎のかついだマサカリのようなものを 思い浮かべてしまうけど、ナイフのような使い方だってあるよね
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
 この石器がみつかるところでは、通常、大規模な遺跡が多いそうです。石器が円形に集まって見つかったりもするとか。そこは多くの人が集まった場所なのでは。でも、あんな山の上・・・と、現代の私たちは思ってしまいます。「登るだけでも大変だよ」と言ったら、地元の中年の方「あんな所、子供の時なんかよく登ったよ。南側から登るんさ」と。現代人でも苦もなく登るということは、昔の人なら、もっと何でもない話かも。
 私たちが山間部を移動するときは沢沿いをつかいますが、昔は案外尾根すじを移動ルートにしていたかも、という人もいました。周囲が見通せて道は間違わないし、道路がついていなければ、沢沿いは案外歩きにくいし、と。
 はて、昔の人はなぜこんな山の上にやってきたのでしょうか


どうして3万年前とわかったの?・・・
このタイプの石器は、3.8万~2.9万年に見つかるとのこと。その後姿を消してしまいます。
でも、どうして年代がわかるの?
放射性同位元素を使って・・とかいった話はここでは置いておき、スコップと草かき鎌、移植ゴテだけしかない現場で、どうしてすぐに3万年前とわかっていたかを、説明します

 じつは、発掘場所には約3万年前に降り積もった火山灰AT(姶良丹沢火山灰)が顔を出しているのです。時折さし込む日光に、小さな粒がキラキラと輝くAT。日本列島に広く降り積もっていて、考古学にとても役立つ、有名な火山灰なのです。キラキラ光るのは、この火山灰にたくさんのガラスのかけらが含まれているから。とても特徴的です。でも、なれないと、日差しでキラキラしてくれないと、判別は難しいかも。噴出源は、なんと鹿児島。桜島のある、鹿児島のあの大きな湾です。大爆発で地下がカラになって陥没したのだとか。
 
 というわけで、この火山灰のすぐ下から出てきた石器は、年代がすぐに推定できたわけなのです


金剛萱に降り積もっている火山灰はどこから来たか  「金剛萱に 旧石器時代をさぐる」より 

顕微鏡で見た火山ガラス 、
プーとふくれたガラスが粉々になったような感じ

ボールペンの先が、地面の中のAT.

 
この場所は、下仁田自然学校に集う研究グループによって見つけ出されました。
最初は、関東山地団体研究グループが、火山灰の大きな崖があるのを発見し、関東火山灰研究グループに知らせました。下仁田自然学校の事務局長の小林さんは、この火山灰グループのメンバー。火山灰の調査をはじめたら、何と、耕作をやめた畑に、旧石器が転がっていたというわけ。そこで、「金剛萱研究グループ」を立ち上げて、毎年調査を続けてきたというわけです。みんなの連携のおかげで今があるというわけです。
 
 
 

3万年前・・・それって、人の歴史のなかで、どんな時代?

日本に人が住み始めたのはいつか・・・少なくとも、4万年前に住んでいたのは確実。
長野県野尻湖周辺でナウマン象を狩っていた人たちは4.8万年~3.3万年前と紹介されています。
3万年は日本のヒトの歴史の中では、けっこう古い時代にあたりそうです。

 では、北京原人は?ネアンデルタール人は?エジプト文明は?・・とか、どこかで聞いた人類の話が頭に浮かびます。
エジプト文明は紀元前3000年頃からはじまったということで、今から5000年前からになります。3万年とは桁がひとけたも新しい。
群馬にたくさんある古墳は、今からおよそ1,700年~1,300年まえころつくられたもの。
3万年前とは2万8,000年以上の年代の隔たりがあるわけです。
     こうしてみると、3万年って、古いなあ・・・・・

 ちなみに、北京原人とかネアンデルタール人は、現代人とは少し違った種類の人類で、北京原人が生きていたのは50万年とか70万年まえとかいう(正しい年代、よく知らないものですから)はるか古い時代。ネアンデルタール人は2万数千年前に絶滅した人類だけれど、現代の人類と混血していたとか。(今地球上にいる人類は、生物学的には1種類だけ、ホモ・サピエンスだけ。でも、昔はもっと、いろいろな種類の”人類”がいた。)
 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
 
局部磨製石器が最初に見つかったのは、群馬の東にある岩宿遺跡、1947年のこと。岩宿遺跡といえば、「日本には旧石器時代に人はすんでいなかった」といわれていたのに、それをひっくりかえした画期的な場所です。
 約3万年前、群馬にひとが 住み始めた頃、群馬の東には岩宿遺跡が、西には金剛萱の遺跡が・・・この人々は同じ時代に生きていたのだろうか、人々の交流は
あったのだろうかなどと、楽しい想像も浮かんできます。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
金剛萱についてまとめた冊子ができています。本の題名は
下仁田自然学校文庫8 金剛萱に旧石器時代を探る・金剛萱遺跡と下仁田ローム層」。1250円です。
この本が完成したちょうどそのとき、ここで紹介した局部磨製石器が発見されました。ですから、
この本にはこの石器については書かれてありませんが、そのほかのことはこまかく書かれてあります。

なお、このブログでも、火山灰についてなど 、載せてあります。
 降り積もった火山灰 その1
http://geoharumi.blogspot.jp/2014/03/blog-post_23.html

 

0 件のコメント:

コメントを投稿