町中のちょっとした段差にも斜面にも 「!」とひらめく ・・・・・
そこから次々解き明かされる謎解き。
段差・斜面,そしてちょっとした道の曲がり等々、普通ならさして何も感じないことが、突然キラキラと輝き出す。それは自然のつくりだしたものだったり、人がつくったものだったり・・・知的好奇心を呼び起こしてくれる・・・地形や地質が大好きな人、そう、タモリさん(”さん”って、あんまりつけないかな)が連れていってくれる世界。
ブラタモリは人気のテレビ番組です。
このNHKの番組「ブラタモリ」のスタッフが、国土地理院から「測量の日の功労者」に選ばれました。この功労者の選定は1989年(平成元年)からはじまっていますが、テレビ番組がえらばれたのは異例だそうです。
地理学会賞も受賞しているのですね。2010年度のことで、新設された団体貢献部門での受賞で、研究者以外から選ばれたのは、はじめてだったそうです。
あんなちょっとした段差にまで目をとめ、その意味を考えていくなんて、「はあ~」と感嘆のため息が漏れてしまう。
そこで、段差の話を。
でも、私には小さな段差では目にとまりそうもなく、大きなものなら・・ちょっと見上げるような高さのもの、誰の目にもとまるような段差です。
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下仁田の段差
下仁田インターをでてすぐの所です |
下仁田のみなさん、当ててみませんか。
今はたくさん花が植えられていて、数年前から公開しています。
アジサイ祭りの開かれる場所です。
高速道路下仁田インターを降りてすぐ、下仁田方面への道沿いの斜面には、たくさんのアジサイが植えられています。斜面なので花がよく見えるし、斜面を登れば、見おろす景色もなかなか良い感じです。
何の疑問もなくこの斜面を登りますが
この斜面って、何?どうやってできた?・・
「何言ってんのよ。山がちの下仁田には、
斜面なんてどこにでもある。斜面の何が
不思議なの??山が削られれば斜面に
なるに 決まってるじゃないか」
こう言われそうです。
でもこの場所、上に登ると、あれっ?
今度こそ、タモリさんなら、目をとめるのでは。
そこはほぼ平らな土地が広がって、ネギやコンニャクが植えられているんですよね。登っていったら山じゃないわけ。
ゆるやかにうねってはいますが、とにかく平地なんです。畑が広がっているのです!!
アジサイの写真は 関谷友彦さん
斜面を登ると・・手前はコンニャク畑 |
右写真は下仁田市街を見おろす
風景です。
斜面を登って見た風景です。
この場所は高い位置にある段丘の平坦面で、アジサイの咲く斜面はその段丘の段丘崖です。
昔、鏑川がつくった地形です。
こんな高いところに川が??と
不思議な感じ、しませんか。
今、川は、写真の一番低い所を流れています。
平坦面と崖がどうやってできたかは、学校で勉強するような話になります。説明が面倒くさいので、教科書みてもらおうか。(以前にもこんなこと書いたかも・・・地面が持ち上がったりとか、そんなこともあったかも)
こちらは下仁田ネギの畑です |
写真は以前、9月に撮ったもの
ですけど。
ところで、このあたりを春先に歩くと、
畑の土の上に、めずらしいものが・・・
土器のかけら、石器、黒曜石のかけら
昔の人たち、ご先祖様がつかったものです。ご先祖様に出会える場所なのです。
馬山(まやま)丘陵「遺跡街道」と銘打って、看板も立てられています。下仁田ジオパークのジオサイトのひとつです。
下は、以前にみんなで拾ったときの、拾いものの写真です。
立派な石器を拾った人も、黒曜石の小さなかけらを拾ったた人もいたのですけど、写っていませんね。「おーい」とみんなを呼んで、拾ったものの 鑑定をしていたときのものなので・・・・
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「 高い位置にある段丘面」があれば、もちろん「低い位置にある段丘面」もあります。
アジサイの写真の2枚目、遠くの方に、一直線に家がたくさん建っているのが、何となくみえませんか。これ、低いほうの平坦面に立っている家並みかな。
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下仁田の段差の続き
これらの段丘、下仁田からずーっと東の方まで続いています。吉井の小串(おぐし)という場所の段丘崖を載せましょう。
右図で黄色のところが上位段丘の面です。
小串は道路<254>と書かれた場所の少し東(右)の道沿いです。
下仁田は・・・? この図よりずっと西(左)、甘楽町の隣に富岡市があり、そのさらに西が下仁田。
図を準備できなかったので、思い描いていただけましたら・・何kmあるかなあ・・・けっこうな距離ありますね。
小串では 斜面にカタクリが咲いています。ここが段丘崖。
カタクリは小学校をはじめとした地元の方々の保護活動で増え、きれいに整備されています。斜面の写真3を枚載せます。
この上には、もちろん平らな面が広がり、畑が広がっています。農家もあります。
下仁田から続く、鏑川がつくった段丘がここまで広がるわけです。
夏にはキツネノカミソリも咲きます。
大間々の段差
市役所の裏は段丘崖です |
写真の場所は大間々(おおまま)の町役場裏の斜面。段丘崖です。
なかなか立派な段差。
段差 15m 。
「ママ」というのは古語で 「崖」 のことをあらわしたとか。
海辺沿いや川辺でもないのに、「大きな崖」が「段差」があるわけです。「昔の川沿い」の崖です。
大間々町は合併してみどり市になりましたが、それでもこの崖は、この町のシンボルでしょう。
斜面には花壇 右上のフェンスは大間々高校 |
斜面の上から見下ろしました |
写真映りもよいですが、それ以外は木が生い茂ってうっそうとして、写真だけでは何だかわかりません。
大間々でも、すぐわきは杉林に下草がうっそうとしています。でも、春先には、林の斜面には、希になった野の花も咲いています
おいなりさんも奉られていて、人の暮らしを感じさせてくれます。段丘は昔から人々の生活の場所でした。
左図は大間々扇状地の地形区分です。
5万年ほど前までにつくられた高い平坦面桐原面(深緑色)の東の端に、役場裏の段差がみられます。
左図の一番上のあたりですね。
黄色がかったところは、少し低い平坦面になります。薮塚面は5万~2・1万年前につくられたもの。
段丘をつくったのは渡良瀬川です。
今、図の東の端を流れている渡良瀬川は、昔は西の桐原のあたりを流れていました。川はやがて東側に流路を変えてきた結果、こうした地形ができました。
日本ではじめて旧石器がみつかった岩宿遺跡は赤丸で示されています。
図は 岩宿博物館常設展示解説より
斜面の上は 桐原面(きりばらめん)とよばれる平坦面で、ここにはかつて、足尾銅山から銅を運ぶ道が通っていました。
桐原村は幕府天領だったとかかれてありますから、ここは重要な宿場だったわけです。
街道沿いには、銅を保管した銅倉や、食料を保管した施設も残されています。
段丘については、以下にも載せました。やたら長ったらしいのは、最初のころでよくわからなくて、あれこれやっていたからでしょう。
https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=481530670025045050#editor/target=post;postID=5484042810556109332;onPublishedMenu=allposts;onClosedMenu=allposts;postNum=119;src=link
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大間々の博物館 コノドント館
ところでこの崖を下ってすぐのところには、コノドント館という博物館があります。
「コノドント・・・・? 何それ??」と聞かれますよね。化石の名前です。長い間、正体のわからなかったものです。わかったのが1983年。初期の魚の歯ということです。
日本で最初にこの化石を見つけ出したのは、崖の上にある大間々高校に長く勤められた先生の林信吾さんです。1958年のこと。そしてコノドント研究をすすめられました。
1mmほどの小さな化石・・・恐竜ならまだしも、そんなわけのわからない化石の名前をねえ・・・といわれそう。でも、実は地質の時代を決めるとき、おおきな役割を果たしました。古生代と思われていた地層から中生代のコノドントが発見されたのです。日本列島の歴史が変わるような話です。今では広く放散虫も果たしているような役割を担った化石でもあるわけです。
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前置きが長くなりましたが、コノドント館に立ち寄ってみました。地質やいきもの、歴史民俗資料などがあります。
学校が夏休みだからでしょうね、「緑色の鉱物」という企画展が開催されていました。大間々はみどり市ですから。
そこに行ったら、緑の鉱物ではなくて赤い鉱物なのですが、「群馬の石 鶏冠石」と、大きなケースに展示されていました。下仁田の鉱物です。うれしいですね。ありがとうございます!!
左写真の大きなケースに置かれたのが
鶏冠石です。上がその 鉱物展示の部分。
鉱物展の案内チラシ・これが 紙の表面、裏に展示鉱物 |
二つ折りの表と裏になります 鶏冠石を大きく取り上げてあります |
子供達が喜びそうな、お土産もたくさんありました。
写真のトレーの中はさまざまな鉱物のかけら。こんなトレーが3個くらいあったかな。
石英は当然として、その他さまざまな色のものがありますねえ・・
一人2個まで持ち帰りOKと。私もつい、もらってきました。ペリドットと猫目石なのですが、ラブラドライトもあったかなあ・・などと、今ごろ思っているところです(子供みたいですね)。
「これ 本物ですか?」などと、やってきた職員の方に聞いてしまいました。失礼しました。
他にも 「ガーネットを探そう」、とか「黄鉄鉱を探そう」とか。地味な石のかけらが置いてあるわけですが、黄鉄鉱は金みたいにキラキラしますから、探せたらうれしいでしょう。化石の入ったかけらもありました。
こまめに館内に足を運んでいた女性職員の方に「クイズに答えると賞品がもらえますよ。大人の方もどうぞ」と二度も声をかけられたものですから、その気もなかったのですが、つい書いて窓口に提出しました。クイズ用紙は何種類かありました。一番端のを取って提出。ちょうど鶏冠石がのっている用紙でした。
中にいた職員の方が、その場で赤鉛筆で丸つけをしてくれました。幸い、花まる、でした。賞品は、子供向けのおもちゃからアンモナイトやサメの歯などまで、いろいろ・・・私はテレビ石をもらってきました。隣にいた子どもは、アンモナイトだったかな。
ちょっと話をしましたら、なんと、小石と混じったフズリナとウミユリ(栃木県葛生のもの)を下仁田自然史館に持ってきてくださったのが、この職員の方。知りませんでした。ありがとうございました。
今下仁田自然史館で、化石を探すコーナーにして
「一人化石1個持ち帰りOK」で平たい箱に入れて置いてあります。
葛生の化石は、もうほとんど採集できないでしょうから、貴重なものです。土嚢袋に入れてたくさんいただいたものですから、一部を残して、来館者にお土産にしてもらっています。ちょっと惜しいような気もしながら、でも、お蔵入りでしまっておいても・・と。いつまで使えるかなあ・・・そのうち、他のものを考えねば・・・ 展示を見て、参考になりました。これもありがとうございました。
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大間々の近隣にある岩宿博物館 日本で初めて旧石器の発見された場所
それほど遠くない所には、岩宿博物館があります。ちょっと寄ってきました。久しぶり。
敷地内には、古代ハスが美しく花開いていました。こんなにすてきなピンク色で、こんなに大きい花だったんだ・・・。
花はそろそろ終わりかけの頃でしょうか。
私が子供の頃、古代ハスの話はとても有名でした。2000年も前の遺跡から出土したハスの種が生きていた、芽を出した!と。大賀博士が成功させたので、大賀ハスといいました。
隣接する小山の北斜面はカタクリの咲くことで知られますが、そこには今はキツネのカミソリが咲いていました。ここは段丘ではなくて、山の斜面ですけどね。
なお、下仁田の段丘については、以下に解説があります。遺跡街道や低位段丘の紹介です。
http://geoharumi.blogspot.jp/2015/02/13.html
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国土地理院と地理学会がブラタモリに寄せた言葉を載せます。
国土地理院
「普段は気に留めない街中の『高低差』やひっそりとたたずむ路地などに注目し、様々な地図を分かりやすく使いつつ、地理・地学・地形といった視点も含めた街の魅力が紹介される。その際、国土地理院(および、その前身機関)が作成した旧版地形図や基盤地図情報等もしばしば使われ、視聴者が地図や地理に興味を持つきっかけとなっている」
地理学会
「NHK総合テレビの番組「ブラタモリ」(2009年10月から2010年3月まで放送)は,タモリ氏が古地図を持って地域に刻まれた歴史の痕跡を追い、地域の変容ぶりを探求していくという番組であり、いくつかある街歩き番組の中で、地理学的にも最も優れた番組であり、大きな評判も呼んだ。
2010年10月からはシリーズ第二弾が放送されており、好評を得ている。本番組の内容は、一般視聴者に地理学的視点を広める役割を果たしているとみられ、広い意味での地理教育の場としても非常に高く評価されよう。他方、「ブラタモリ」でのテーマへの切り込み方は、会員に対して地理教育へのヒントを与えるものになるであろう。」
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