春めいてきました。
2月の春はまず光から、「光の春」という言葉もあります。でも、もう草木も春めいています。
なんといっても、3月です。
軒下のサクラソウ |
軒から外へ出してしまうと、少し寒さがきつ過ぎるらしく、株が貧弱になってしまいます。軒下がいい!
ほんのちょっとの差なんですけどね。
私の祖母もこの花を育てていました。まだ花を買うような時代ではなく、それぞれの家にあるものを毎年大事に育てていたものです。
このサクラソウは、たぶん古くからある品種で、丈夫で手間もいりません。
10年以上前、友達の家にあったのを、懐かしくて、もらってきました。
年末に花のカレンダーをいただきました。
絵手紙を描いている方の作品です。花の絵に何の気なしに添えたお地蔵様の絵に多くの人が心魅かれ、それ以来「花地蔵」として描き続けているといいます。1998年からといいますから、長くなります。 久しぶりに会っておしゃべり。
作成 小林生子さん |
2011年、東日本大震災の時、「被災された方々にひとときの安らぎを届けたい」と、花地蔵の絵を被災地に届けたそうです。花地蔵絵手紙はがき1500枚。コピーじゃなくて、1枚1枚手書きです。
絵手紙の中からいくつかを紹介します。 もうじき3・11の日がやってきます。
さしあげるといっても、見も知らぬ人、簡単なことではない話。いろいろな方のつながりで実現したと聞きました。
被災地では、毎日を何とか過ごすのに精一杯だった方々、でも後から聞くと、
「子供にそっくりなんですよ」と大切に持っている方もいらっしゃるとか。似ているとは思えないけれど、でも、似てる、とおっしゃる。被災者の集まる所に何日か展示して、そのあと気に入ったものを、どうぞと持って行ってもらったりしたそうです。
咲く花とお地蔵様で、一時でも心が安らかになれたら、うれしいですね。
・・・・・・・
震災のほんの数年前、岩手から仙台までの海岸沿いを車で走ったことがあります。
一度見てみたいと思って。とてもきれいな海岸。
「ここまで津波到達」といった表示が道沿いに見られ、「今、津波が来たら、どこに逃げる?ちょっと怖いなあ・・」と思ったのを思い出します。
津波被害と防潮堤で有名だった田老町にも行きました。特に目的無く、道路マップと首っ引きで、あちこち訪ねたので、津波被害で出てきた地名に、土地勘がありました。
泊まった釜石の宿は、安価なのに食事はたくさんの海の幸でおいしく、くるくる動く明るいおかみさんがいました。震災のあと1年ほどして、寒中お見舞いが届きました。
「祖母・父・母・姉 東日本大震災で永眠いたしました。 新年のご挨拶をご遠慮しました」。宿は海岸に近く、しかも川沿い。津波は川を伝って奥までやってきます。皆さん、亡くなっている・・・
宿泊者名簿が見つかり、嫁いでいた娘が、その名簿ではがきを出してくれていたのでしょう。なんて丁寧な・・・こんな方にも、花地蔵を手渡したくなりました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
川辺の水に、早春らしいものが見つかります。
何でしょう。
中学校の理科の教科書にも載っていますよね。
カエルの卵。だいぶ発生が進んでいて、だるま型になっています。
種類はアカガエルでしょうね。
利根川の河原、でも本流から外れた、こんな場所。遠くには橋が見えています。
何年も前から、この辺りではカエルのたまごをみていますので、安定した産卵場所なのでしょう。
でも、アカガエルの姿なんて、とんと見かけないなあ。
つまようじのような小魚の群れも、猛スピードで動いている。メダカと言いたいところだけれど、メダカは絶滅危惧種、ウグイなどの稚魚でしょう。
教科書の絵で「何とか胚」なんて覚えるだけでは、面白くないに決まっている。
外に出てごらんん、いろんなものがみえてくる。
ところで、この周囲、右写真のごとく、流れついたごみの散乱。プラスチック系のゴミは、1960年代あたりから急増したのですから、将来発掘で掘り出されたら、時代の特定に結びつくんじゃないでしょうか。
流れる水は、利根川本流。悲しくなりますね。
「子供にそっくりなんですよ」と大切に持っている方もいらっしゃるとか。似ているとは思えないけれど、でも、似てる、とおっしゃる。被災者の集まる所に何日か展示して、そのあと気に入ったものを、どうぞと持って行ってもらったりしたそうです。
咲く花とお地蔵様で、一時でも心が安らかになれたら、うれしいですね。
・・・・・・・
震災のほんの数年前、岩手から仙台までの海岸沿いを車で走ったことがあります。
一度見てみたいと思って。とてもきれいな海岸。
「ここまで津波到達」といった表示が道沿いに見られ、「今、津波が来たら、どこに逃げる?ちょっと怖いなあ・・」と思ったのを思い出します。
津波被害と防潮堤で有名だった田老町にも行きました。特に目的無く、道路マップと首っ引きで、あちこち訪ねたので、津波被害で出てきた地名に、土地勘がありました。
泊まった釜石の宿は、安価なのに食事はたくさんの海の幸でおいしく、くるくる動く明るいおかみさんがいました。震災のあと1年ほどして、寒中お見舞いが届きました。
「祖母・父・母・姉 東日本大震災で永眠いたしました。 新年のご挨拶をご遠慮しました」。宿は海岸に近く、しかも川沿い。津波は川を伝って奥までやってきます。皆さん、亡くなっている・・・
宿泊者名簿が見つかり、嫁いでいた娘が、その名簿ではがきを出してくれていたのでしょう。なんて丁寧な・・・こんな方にも、花地蔵を手渡したくなりました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
川辺の水に、早春らしいものが見つかります。
何でしょう。
中学校の理科の教科書にも載っていますよね。
カエルの卵。だいぶ発生が進んでいて、だるま型になっています。
種類はアカガエルでしょうね。
利根川の河原、でも本流から外れた、こんな場所。遠くには橋が見えています。
何年も前から、この辺りではカエルのたまごをみていますので、安定した産卵場所なのでしょう。
でも、アカガエルの姿なんて、とんと見かけないなあ。
つまようじのような小魚の群れも、猛スピードで動いている。メダカと言いたいところだけれど、メダカは絶滅危惧種、ウグイなどの稚魚でしょう。
教科書の絵で「何とか胚」なんて覚えるだけでは、面白くないに決まっている。
外に出てごらんん、いろんなものがみえてくる。
ところで、この周囲、右写真のごとく、流れついたごみの散乱。プラスチック系のゴミは、1960年代あたりから急増したのですから、将来発掘で掘り出されたら、時代の特定に結びつくんじゃないでしょうか。
流れる水は、利根川本流。悲しくなりますね。