2017年9月27日水曜日

石灰岩利用の工場見学 古い施設も残っています

下仁田自然学校鉱山研究会主催で
   下仁田町にある石灰の工場をみんなで訪ねました 
 
工場全景
訪問したのは白石工業㈱白艶華工場です。
石灰石を原料に、炭酸カルシウムを製造している工場です。

 この企画は白石工業の皆様のご理解とご協力により実現しました。ありがとうございました。参加くださった方は47名で、この皆様にも感謝です。

 町はずれにある、なんだかよくわからないそれほど大きくもない工場・・・・・?
 つくっているという炭酸カルシウムって何? などといった調子で、どうにも馴染みがない・・・
 それが、お話を聞いて「へえ~」という気分に変わったのです。さらに、昔の施設も残されていて、それを見るのも興味深いものでした。

 地元出身の方は「いつも見ていたのに、知らなかった」と。ここで働いていた方のお話もうかがい、懐かしむ地元の方々もいらっしゃいました。
 そんな声の一部は、以下のブログ、「ひとりごと~気の向くままに」に
 紹介されています。

 ここは1932年(昭和7年)操業開始といいますから、長い歴史を持つ工場です。斜面に立つ工場は、その背後の山と向かい側の石灰岩の山を崩し原料として利用してきたわけです。
 古い施設も残っています。炭酸カルシウムの粉を乾燥させるための建物など。
今と違って、昔は自然の力に任せる天日乾燥です。下仁田町の気候は乾燥に適していて、それがこの地に工場が立てられた理由のひとつです。まずは、その写真を紹介します。
      乾燥施設の前で、みんなで記念撮影 
         こんな建物が100棟を超えてあったということです。



奥にある木組みの見えている乾燥棚は老朽化で危険なため、
今年取り壊すとのこと。

昔は吹きさらしの木枠の棚に、木箱に入れたぬれた炭酸Ca(カルシウム)の粉の塊を、人の手で運び上げて乾燥させたわけです。重労働だったことでしょう。

こういった施設が今後保存されるかどうかもわかりませんので、写真をいくつか載せてみます。


トタンで囲った施設は、建物の下の部分は広々とした空間になっていました。内部が物置にでも使われたのでしょうか。

工場敷地の外に向かうと、石灰の岩壁が見えてきます。昔はこの山の下を通る道は石灰岩の岩が覆いかぶさっているようで、子供たちが「こわいから、さっさと通り過ぎよう」と言っていたそうです。


工場では石灰岩の山を発破で崩し、使いました。浅間山が小噴火をしていたころには、
「発破の音か、浅間の噴火の音か?」などと言いあった、そんな思い出もあるとか。参加者の方が話されていました。

 なお、工場の敷地は許可なく立ち入ること禁止です。
道路から、下のような乾燥棚の姿が見えます。


 現在稼行している工場内を案内していただきました。貯水池や脱水設備・乾燥設備など説明していただきました。
なお工場内は撮影禁止ですので写真はありません。

 外を見れば、かつて電力を得るために作った水力発電の跡なども見えます。興味のある人には「ワクワクする」ものでしょう。発電のための水の流れのあることも、この場所が工場立地に選ばれた理由の一つです。
建てるにあたり、製品運搬のできる鉄道があるなど、いくつもの条件を考えて、この場所を選定したとうかがっています。



 今回、最初に炭酸Caの説明や、ちょっとした実験をしていただいています。

 石灰といえばセメント、コンクリートが思いうかびますが、ここの製品はもっといろいろなものに使われているのにびっくり。
「生活に欠かせない、いつもお世話になっているモノじゃん」という投稿が、それを一言で表わしていますね。
一番みんなの印象に残ったのが、「食品に使われている」ということかもしれません。飲み物、ビスケット、カップラーメン・・・それから、以前伺った話では、グミにも、またカマボコのあの弾力を作るにも・・。他にも様々、タイヤのゴムを硬くするのに使われ、紙、インク、プラスチック、シーリング材等々・・・。知らなかったなあ。
 細粒の粒子を作る技術を持っていて、国内で生産を続けています。石灰岩は、今、国内で自給できる地下資源なのです。

ちょっと実験を ・ 炭酸カルシウムの性質を知ろう


昔、ここ青倉地区では家族の誰かが白石工業で働いていたと言えるほどだったとききます。

 ここで働いていた方、堀越明子さんのお話も伺いました。工場のすぐ前で生まれ育ち、昭和24年から37年までここで働かれたそうです。当時の写真も整理されてお持ちで、いくつかを資料として紹介させていただきました。
 工場には石灰の製造過程で発生する熱を利用したお風呂があり、いつでもお風呂にはいれたとか。従業員の方はもちろん、周囲の家の人たちも、顔パスで入っていたり。
旧青倉小学校に二宮金次郎像や書籍を寄贈したりと
地域貢献も
毎年従業員の慰安旅行があり、あちこち旅ができたり、春には下仁田のはねこし峡での桜見物が恒例だったりと、楽しい思い出もお持ちとのこと。おしゃれや旅行を楽しんだりもしたそうで,農家の女性など多くがモンペをまとっていた時代に、ハイカラな雰囲気を楽しむこともできたわけです。

 ご家族が働いていらしたという方からも発言があり、昔の写真を披露してくださる地元の方もいて、貴重なお話を聞くこともできました。工場主宰の運動会もあり、楽しみにしていたという方もおられました。

小沢岳 写真を撮らなかったので
以前の写真です。当日はよく晴れて、
青空で、もっと素敵に見えました



 下仁田自然史館からこの工場まで、2kmちょっとの距離は、正面に「群馬のマッターホルン」と呼ばれる小沢岳が見え、道脇にある石垣には植物も育ち、それを見ても楽しいものです。植物の研究者、里見哲夫氏のお話も聞くことができました。道沿いには青倉川が流れ、地元の方は「ここには水車がまわっていたんだよ」など、あれこれお話がありそうです。

よく晴れた日、多くの方々のご協力で、楽しい時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。



 












2017年9月17日日曜日

わが町自慢もいいですね 鶏冠石など 

鶏冠石って何?」専門家からの紹介 
 
  
下仁田町の鶏冠石は「群馬県の石(鉱物部門)」として公式に選定されています。 
元の紙面
下仁田町の町の広報にとてもすてきな紹介がされていました。
お読みいただくと、鶏冠石のことがスッと頭に入ると思います。
印刷紙面をそのまま載せると文字が薄くて読みにくいので、横書きにして、以下に書いてみました。


世界に誇れる下仁田のお宝
 菅原久誠(群馬県立自然史博物館)・
  吉川和夫(群馬大学名誉教授)

 世界に誇れる下仁田のお宝といえば下仁田ネギのほかにいくつ思いつきますか?胸を張って世界の宝だといえるもの、それは大字南野牧にある西牧鉱山(にしのまきこうざん)の鶏冠石(けいかんせき)という石です。鶏冠石はヒ素とイオウでできていて、読んで字のごとく、鶏の真っ赤なトサカのような色をしています。
 鉱山というのは、私たちの生活に役立つ資源となる石を掘り出す場所です。西牧鉱山はもともと金鉱山で、その後にヒ素の鉱石を掘った鉱山ですが、県内の多くの鉱山と同様に、すでに閉山しています。残念と思いきや、鉱山跡地を訪れると、かつて鉱山がにぎやかだったころの作業所の跡や、石をとりだすために潜った坑口や鉱石を処理した跡などが残されています。これぞ産業遺産と言ってよいでしょう。賑やかだった頃は、重たい鉱石を運ぶためにトロッコも通っていたとのことです。
 今年、下仁田で発足した鉱山研究会の聞き取り調査で、当時西牧鉱山で働いていた小金澤正代さんにお話を伺うことができました(詳しくは、「くりっぺー下仁田自然学校だよりー」第。93号10~13ページをご覧ください)。小金澤さんによると、石を取り出すトンネルの奥に、幅30センチもの鶏冠石が見つかったことがあるそうです。鶏冠石はトンネルの奥で、たなびくきらびやかな帯のように赤く光っていたことでしょう。ついでに、西牧鉱山は、若林鉱という美しい黄金色の石が世界で最初に見つかった鉱山でもあります。そんな石たちが織りなす光景を想像すると下仁田町の西牧鉱山ってすごいな、としみじみ思うのです。
 実は昨年、日本全国からの一般投票と、石の専門家たちによる「県の石」の選考が行われ、西牧鉱山の鶏冠石が群馬県の石の一つとして選ばれました。これは、一般の人たちにとっても、専門家にとっても下仁田町の西牧鉱山の鶏冠石が「すごい!」と認められている証拠です。日本全国の県の石は、それぞれの県の専門家によって読みやすくまとめられて、1冊の本になる予定です。
 これだけ知ってしまったら実際に鶏冠石を見てみたいと思いませんか?少しだけ石の特徴をお話しすると、鶏冠石は光と湿気に弱い性質を持っています。つまり、展示することで光にあったっていると、きれいな赤色がだんだん失われてしまいます。それでも下仁田町の皆さんにぜひ下仁田のお宝を見ていただきたいと言うことで、青倉にある下仁田自然史館は鶏冠石を展示しています。これを機に、自然史館にお越しください。
鶏冠石

  下仁田の鉱山に関する情報をぜひ下仁田自然史館にお寄せください。
   ℡0274-70-3070

とてもありがたい紹介を書いていただきました。感謝です。
 
          
それぞれの地域、場所で
  「わが町のお宝」
を語るのも楽しいかも。
こんなふうに、楽しくわかりやすく
紹介できたら、もう、素敵です。

 そんなお宝なんかないよ、という声が聞こえてきそうですが、どこかのお墨付きをもらっている必要はなくて、自分たちで、価値を発見するつもりで周りを見回すことがいいことかと。

 NHK番組の「ブラタモリ」は地質を広めることに貢献していて、地理学会賞、地質学会賞を受賞していますが、自然や歴史を探してあちこち旅し、それぞれの地域で解説してくれる人がいて、見ていて楽しい番組が成り立っています。ほんのちょっとした坂や段差、道の曲がりが、突然意味を持って、きらきらと輝いてきます。それを解説する地元の人がいて、立派なわが町発掘になってもいると思いませんか。
 一人で見るのも楽しいけれど、誰かと一緒だと、また楽しい。一緒にうなずいたり、解説してくれる人がいることが、理解も感激もふかめるし、記憶にも残る・・・

 SNS発信大好きな現代っ子たち、「いいね」の数を競うばかりでなく、「価値をみつけてみよう」と頑張っても面白いかも。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 鉱山は大地の財産、人は実に多種多様なものを見つけ出し、利用しています。最近は、レアメタルなどと言って、ハイテク産業に使われたりする、聞いたこともなかったもの達も多種あります。化学の時間に眺めた周期表の下の方に載っていた聞いたこともない元素達たちレアメタルが、たくさん見られます。 携帯電話などにもいろいろつかわれているといいますから、知らないうちに、その恩恵をうけているわけです。あらためて、地下の資源たちにも目を向けてみたくなります。
 石油、石炭から金、ダイヤモンドまで、古くから重要な資源とされた鉱物たちを見たとき、それならその富を大量に持っている国たちは、それを売って豊かに幸福になりそうだと思えば・・・たいてい、その逆に思えてきます。国民は貧しかったり、戦乱にさらされたり。石油産油国が国民が豊かで穏やかに暮らせるかというと、むしろ逆かも。ダイヤモンドだって掘り出す最下層の人たちは極貧で、一方で「血塗られたダイヤ」などと、闇の世界の暗躍を感じさせることもあります。
 人は、こんなにも様々な資源の利用法を見つけ出す賢さを持つのに、欲得が絡むと、どうしてこんなにも愚かなのかと思ってしまうほどです。そういった世界への関心も無視してはいけないでしょう。

 下仁田には複雑な地質があり、珍しい鉱物も産出します。こうした純粋な自然への関心とともに、そこに生きた方々もいたわけで、そういった面に関心を寄せてもいいのかも。人と大地のつながりがここにもあるわけです。
 ハイテクとは縁のない時代、そこで鉱山を掘った方々が、数としてはわずかとはいえ、今でもご健在でお話をお聞きできる、そんな今を、大切にしたいですね。
体験をお聞きしてそう思いました。 
 こうした方々は戦争を体験され、鉱山の厳しい労働も目にされています。どうぞお元気でお過ごしください。











  

2017年9月5日火曜日

いろいろな形の山  鹿岳 荒船山・・・いろいろあるね

 山の形   山の生い立ちを伝えることもあります

空気が軽やかになってきて、秋が近づいてきたことを感じます。
今までの空気は、なんだかねっとりと、肌にまとわりつくような感触がありました。
  遠くの山々が見えてきています。 

秋のハイキングシーズンも間近。そんな時に山の生い立ちなど考えるのも、ちょっといいかも。 久しぶりに、下仁田の紹介をします。

   下図は下仁田の山の紹介です。 
   標高は高くないけれど、面白い形の多い西上州の山々です。
 (図は貼り出し用に作ったので、ここに載せると、文字が少々小さめになってしまいました。ご容赦を)



高速道路を西に向かって走ると、写真の山々が見えてきます。とはいえ、運転中によそ見は厳禁。下仁田インターを降りた付近でも見えます。
 図の写真は、インター付近の丘陵から見たものです。写真は5月ですが、ここは下仁田ネギやこんにゃくのたくさん栽培されている丘陵です。

 荒船山は下仁田の町中では見えなくなってきますが、インター出口右手付近では見えています。我が家からもよく見え、幼い頃「屋根みたいな形だなあ」と思っていたものです。厚い硬い溶岩がこの地形を作っていたわけです。
 下仁田の町中に行くと、鹿岳の右手に見えるのは荒船山でなくて三角形の山です。右の写真です。落沢とよんでる山(名前が間違っていたら、教えてください!)。
貫入した玄武岩でできた山とのことです。登山ルートもなく、私もまったく知らない山です。町からはとてもよく目立つのですが・・・

 マグマが地下から上がってきた通り道・火道  これが固まってむき出しになって見えているのを岩頸(がんけい)と呼びます。それが鹿岳。写真の真ん中の二つのこぶです
宮沢賢治が、岩頸の説明を楽しく童話風に書いています。
以前書いた解説が以下にあります。
http://geoharumi.blogspot.jp/2013/09/1.html



下仁田の西部地域は、数百万年前(900万年前とか800万年前とか、もっとあとまで)には大規模な火山活動が繰り広げられていました。大規模な陥没がおこったりもしています。これらは陸上の噴火で、その名残が、こうして様々な形の山となって見えているのです。
              (気づいたら、数百万年前を数百年前と書いていました。すみません。)


 左手の四ツ又山は、下仁田の「クリッペ(根無し山)」の一つで、クリッペのなかでいちばん大きな山です。登山者が登る山で、気軽に行くというわけにはいかないかもしれません。四ツ又山から鹿岳を巡るコースもあります。いろいろな石からできていて、よくわからないなあ・・とにかく、どこからか移動してきた岩塊です。クリッペは、下仁田の地質を代表する現象です。
 下仁田自然史館では、10月から、四ツ又山を取り上げた企画展を開催します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 尖った山頂の小沢岳もハイカーの多い山かと思います。その姿から、下仁田のマッターホルンという人もいました。古い時代の地層からできた山で、山頂のチャートは深い海の底に積もったプランクトン(放散虫といいます)が固まってできた石です。ですからこの山は、火山ともマグマとも関係ありません。深い海の底が、今は山になっているんだあ・・と、考えてみれば、面白い世界。

 幼い頃、山というのはみんな火山が噴火してできたと思っていた・・・
 我が家からよく見える赤城山も榛名山も、みんな火山だったわけですから、無理もない。

~~~~~~~~~~~~~~~
 車で移動する場合、下仁田道の駅に立ち寄ることも多いでしょう。
この場所の入り口には大きな「柱状節理」の「看板」が立てられています。
地質材料の豊富な下仁田らしくて、いいなと思います。




















 道の駅から見える 大桁山(おおげたやま)で採取したものです。山の形に特に特徴はありませんが、なだらかで、どっしりと、おおらかな感じの山が大桁山。マグマが地下から周囲の地層を押し上げてできた山。頂上には押し上げられた、昔の海に積もった砂岩や泥岩があります。その下には突き上げてきたマグマが固まってできた岩が見られ、そこでこの柱状節理が採取されました。骨材として利用されていました。
この柱は、操業していた会社から寄贈されたとのことです。

少し詳しく説明すると、頂上の砂岩・泥岩は 第三紀層の小幡層・井戸沢層、そこに火山岩体が貫入して押し上げたというものです。
 
採石場を遠方から見れば、写真のように 山が削られていますが、近づくと段々になっていて、それぞれに石が柱のようになっています。

下仁田町で廃校になった小学校2校の門柱もこの石を使っていたとのことです。
上の柱状節理写真は、掘り取った後に水が溜まっていた場所です。とてもきれいに見えました。
柱状節理の柱がたくさんありますが、現地は現在閉鎖されています。


柱状節理自体はあちこちで見られ、世界遺産になった荒船風穴周辺にもみかけました。
きれいなものというと限られるかもしれませんが、山に行ったときなど、ちょっと目をとめてみませんか。

遠くの山でも、近くの山でもいいので、その地形に思いを巡らせるというのはどうでしょう。