2014年12月28日日曜日

地質案内 その6 歴史の道 町の裏山

 
下仁田の古き道を訪ねて・・歴史の道・・・

 今年も終わり・・今年をふり返る気分ですが、そんな時、私たちの先人のことも心のどこかに思い浮かべてみたくなります。日々の暮らしのまとめの気分にもなります。
下仁田の「歴史の道」という資料がありますので、紹介します。
 
下仁田町市街の北側は雑木の茂る低い山、裏山といった感じの山になっています。
かつてここには、人々が行き交う道がありました。


 いまでは鏑川には両岸に車の走る道路がはしり、川にかかる橋では、自由に行き来できます。ですが、かつては 、川を渡るのはたいへんだったことでしょう。。
下仁田の市街は川の北側に位置していますから、下仁田に行くには、川の北側(下流に向かって左側)を通った方が良かったはず。
紹介する「歴史の道」は川の北側の低い山の中を通っています。
かつては 多くの人が行き交う道だったそうです。

   ”歴史の道に沿った地質学” も ときには いいかもしれません。
下仁田地域の中央構造線の南側の紹介を続けてきましたが、今回は中央構造線の北側の紹介です。
     中央構造線を境に、南と北で、まったく違った地層が分布しています。

②ゴミ処理場付近の道路わきには、南蛇井層の黒色泥岩(黒っぽくこまかい割れ目)、砂岩(暗灰色、やや塊状)が見られます。たくさんの割れ目は南蛇井層が地下深くで強い圧力を何回も受けてできたものです。下仁田構造帯の岩石に共通した特徴です。 


あまり広くはない道がうねうねと続きます。

岩石はたいてい苔などに覆われています。というわけで、
少々わかりにくい場合が多くなります。

所々で見られる岩石をたよりに、この地域の地質を見ていくことになります。







なにやら複雑な雰囲気の岩ですが、これが
南蛇井層の泥岩
古い時代に海につもった泥が固まった石です。
その後、押されたり切れたり、いろいろな歴史をたどって、こんな顔つきになりました。
 苦労が忍ばれる顔つき・・・・人と同じかなあ・・







道路に沿っておよそ150mの間に平滑(なめ)花崗岩が見られます。崖の色がいままでみてきた岩石より、少し白っぽくなるので、見わけられます。ハンマーでたたいて新鮮な面をよく見ると、白い大きな鉱物が見えます。およそ6500万年前、花崗岩のマグマが地球内部から突き上げ、南蛇井層に入り込んだ出来事を見ていることになります。













    これが花崗岩とは、ちょっと思えない顔つきですが、これが平滑花崗岩。もともとわかりにくい石なのですが、風化で、さらにわかりにくい顔つきだなあ・・・

道路脇に、鉄橋への案内板があります。
ここには今から100年以上も昔に造られた鉄道の鉄橋が残っています。上信電鉄の前身、上野電鉄時代のもので、苔のついた赤煉瓦造りの鉄橋はしっかりとしており、当時の姿を伝えています。
 案内板をたよりに道路から南に下ります。鬼が沢とよばれるこの場所では石の様子が一変し、丸い石のゴロゴロした礫岩、神農原礫岩が崖をつくっています。鏑川と合流する場所には鉄橋が見られます。

















鉄橋は 舗装された道からほんの少し奥にはいります。
道沿いに、鉄橋への案内看板がありますから、迷わずにたどり着けます。
                       

鉄橋の下やすぐわきの崖は礫岩の崖で、礫には平行なひび割れがたくさんみられます。神農原礫岩の"ずれ礫”ですね。                                          




上信電鉄千平駅の南の不通橋から、上流にある鬼ヶ沢の合流点付近までの鏑川は、渓谷となっています。ここを不通渓谷といいます。
両岸の高い崖は主に南蛇井層の黒色泥岩でできていますが、鬼ヶ沢合流点より200mには神農原礫岩も露出。鬼ヶ沢合流点や不通橋には平滑花崗岩の小さい露出もあります。
 


 
 
















写真左は狭まった渓谷部分、右は不通橋から下流方向を見たようす。  
                  下流はおだやかな川筋にみえます。

昔、荷物を運ぶのに川を利用したでしょうが、登ってきた舟も、この渓谷からは「もうのぼるのは無理」と、荷物を陸揚げして運んだとか・・・
かつて人々は、どんなところでも、いとわず歩いていたのでしょうね。
すぐに車に乗ってしまう私たちの生活、少し反省した方がいいかも。

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少し前、 この「歴史の道」の場所にはゴルフ場建設計画が持ち上がり、それがつぶれると、産業廃棄物処分場計画が持ち上がりました。ほとんど人が立ち寄らなくなっていたとはいえ、町の中心部のすぐ裏山への計画・・・町一丸となって反対運動を繰り広げ、最終的には処分場予定地は町が買い取ることとなり、この計画は取り下げとなりました。町の環境は守られたわけです。ただ、小さな町としては、多額の出費も伴ったわけです。下仁田自然学校も地質・水質調査という面から、協力しました。
 バブルの頃のゴルフ場ブーム、高額のゴルフ会員権が飛び交ったことを思い出します。また、大量消費大量廃棄の時代のゴミ問題と、地方の小さな町が、時代に翻弄されたという、これも「歴史」。
静かに眠ったような裏山の雑木林も、さまざまな歴史を持っているようです。
皆さんの近くでも、身近な地域の歴史をたどってみてはいかがでしょうか。知ることは、それを大切にする気持ちもはぐくんでくれます。
  
身近な歴史、自然も、我が目で見て、自分で判断して、物事を考えていく力も養っていきたいものです。
    どうぞ 良いお年を



2014年12月21日日曜日

その5の続き 宮室 (下)

宮室の地層の解説の続きです 
 
羽状割れ目過去に力が加わってできた岩石中のひび割れで、白い方解石が割れ目を埋めています。力の加わり方で、この模様の形が決まってくるといいます。
以前、以下のページで解説を書きました。http://geoharumi.blogspot.jp/2013/12/blog-post_21.html



羽状割れ目です
 
   次は流痕生痕です。地層の裏面にデコボコとみえています
  以前に解説を載せました。じつはこれも地層の逆転の証拠になったりします。
   http://geoharumi.blogspot.jp/2014/01/blog-post_30.html




写真の模様は地層の底面にできます。靴底のように飛び出した模様・・・底にあるはずの、下向きの面にあるはずの模様が上を向いて飛び出している・・・靴底が空を向いているようなもので、地層がひっくりっかえっている証拠になります。




 宮室から川を上流に向かうと地層は逆転した地域となります。下流に下ると、逆転していない地域になります。

では、下流では平らにつもった整然とした地層がみられれるというと、そんなことはありません。傾いたり、曲がったり。どうやら大地は、ブロック状になって切れて、ガタガタと変形しているようです。
下の2枚の写真をごらん下さい。



宮室の万年橋のすぐ下流、地層がほとんど立っている

大桑原の褶曲 地層が大きく曲がって横倒しになっている
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最後に、この地域の解説を
 
輝緑凝灰岩は 今では緑色岩、あるいは 玄武岩質火山噴出物などとよばれたりしています

地質案内その5 宮室(上) 地層の”模様”の数々

 
宮室(みやむろ)で見られる「跡倉層上部層」
      クリッペ・ナップを構成する地層です
         ・さまざまな地層の”模様”が見られます
   
    ・海底につもった地層 約8000万年前のもの

    ・砂や泥が交互に見える地層・砂岩泥岩互層です
       
見たところ、平らな縞模様の地層・・・・海底に平らにつもったそのままに見えるのですが・・・・じつはこの地層は並でない経験を経てきた地層・・・・
断層でぶっつり切れたり逆転したりしています。
相当な大変動を経験してきた地層なのです。

さらに地層にさまざまな模様があったり、さらに、後からできた割れめにしみこんだ脈が、きれいな模様を見せていたりと、見所も多い場所となっています。

考えてみれば、クリッペ・ナップの一部なのですから、大変動を経験してきたはず。


図の左下、小さな赤丸の付近が宮室です。
 (以前にのせたものとダブる内容も多々ありますが、まとめということでの紹介とさせていただきます)

(なお、図表などが多くてデータが重くなりますので、上下2部に分けます)

宮室の万年橋付近は、地層の観察にとても良い場所です。地層にあらわれるさまざまな模様なども見られます。

早稲田大学の高木秀夫さんは学生の野外学習にこの場所を利用しています。「天然記念物クラスの貴重な露頭」とおっしゃっています。

         N30°Wというのは、「真北から西に30°傾いた方向」という意味。「ほぼ北西方向」ということですね

ここの地層、ごく普通の砂岩泥岩互層に見えます。
ですが、この地層、つもったときから180度回転、つまり、ひっくり返っている部分があります。地層の上の方が下よりも古いのです。逆転層といいます。
 (水の中につもった地層は普通、だんだんつもっていくのだから、下より上が新しい・・・・でも、その後の出来事で、曲がったりひっくり返ったりするわけです)

上の写真では、左半分は180度ひっくり返っている・逆転している地層。右半分は逆転していない普通の地層です。
・・・つながった同じ地層に見えるのにね・・・・・境は断層です。写真中央の草の繁った付近に断層があるわけです。
 

じつは、この断層より左(西)の地域は、広い範囲にわたり地層が逆転しています。どんな動きがあったのか・・・知恵を絞るのもなかなかたいへん・・・でも、過去の大規模な大地の動きを解き明かす手がかりとなるのです。
高木秀夫さんが、下仁田自然学校の連絡誌「くりっぺ」の12月号に、この大規模な大地の動きについての考えを紹介しています。
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 どうして逆転しているとわかるのか
まずは、級化層理という現象が見られたから


右の写真は、砂岩泥岩互層の部分を上から撮ったもの。逆転した部分です・
灰色のところが少し粒が粗く、黒い部分がとてもこまかい粒子の泥の部分です。灰色と黒の1セットで1枚の地層になります。でもこれを見ただけでは、どこからどこまでが1セットかわからない・・・

 注意深く見れば、灰色っぽい部分で粒子が下から上へ、「小さい粒→大きい粒」と変化しているところがみつかります(私のような老眼の者は、虫眼鏡がほしくなりますが・・)。粒子がつもったときは、「大きい粒→小さい粒」でつもりました。というわけで、ひっくり返っている、とわかるわけです。
 なお、1枚の地層は「灰色部分(下)→黒部分(上部)」で1セットです。


  以前に紹介した級化構造の解説が、以下にあります。
  
http://geoharumi.blogspot.jp/2014/01/blog-post_26.html


宮室では、他にも見所があります。羽状(うじょう)割れ目生痕(せいこん)流痕(りゅうこん)です。
ページをあらためて紹介します。







 
 
 




 

2014年12月14日日曜日

 その4の続き 続クリッペ (後半部分)

「続クリッペ観察」の続き・・・・ 道沿いに顔を出している地層の観察になります。

    

⑦から⑩の観察です。

クリッペを形成する跡倉層が見られます。
跡倉層は礫岩部分と砂岩泥岩互層部分が見られます。


一部に断層があり、クリッペの下にある結晶片岩が、断層にはさまれて顔をのぞかせています。













ポイント⑦
左下の写真のような場所です。右の写真がこの場所の跡倉層上部層の砂岩泥岩互層。道路から眺めたのですが、ちょとわかりにくいですね・・・。   橋を渡ってすぐの場所です。
砂岩泥岩互層





ポイント⑧  ⑦のすぐ上流。結晶片岩があるというので探してみました。写真では何だかよくわからないのですが、沢の底に少し青っぽい岩が見えていました。

                                                          

                    



結晶片岩は高角断層に取り込まれているというのですから、縦方向にできた断層があるはず・・
道の山側の斜面をみたら、少しつるつるした感じの面がありました。ここが断層かな・・・断層面についた筋が見えていました。

 



断層の面の一部。ひっかき傷・条線が現れている
←  →


⑨ 道端の礫岩層 
草や苔、落ち葉に覆われて、何だかよく見えませんが ・・・
調査の時は、こんな場所はしっかりハンマーでたたいて、調べねば・・・
道端の石を調べるときは、風化していることが多い・・・たたいて割って、新鮮な面を出さねば、きちんとした観察は難しいです。
調査の時、水で削られた川に沿った部分に目を向ける理由がわかります。上流の川なら、地層・岩石がたくさん見えやすいし、岩石は削られていて、新鮮な面が見られますから。
                           
                   

         

       

⑩跡倉層上部層  道沿いの沢のむこうに ”地層”という感じの層が見えています。砂岩泥岩互層です。
    

  

このあと少し上流へ歩いて行くと、道端に鏡のような平らな面が出ていました。地層の面がちょうど現れていたというわけです。傾斜した面は、ツヤツヤ光るような輝きを見せていました。

断層面にも「鏡肌」などとよばれる平らな面があらわれることもありますが、写真は地層が堆積したときの「層理面」。
断層ならまわりが圧力で破砕されていたり、平らな面にひっかき傷のような条線が見えたりします。それよりなにより、地層の重なり方と面との関係が違ってきます。・・・と書いて、ちゃんと見てこなかったことに気づきました。どうだったかなあ・・・
断層面ではないよね。


          
ここの道をもう少し上っていくと、小さな集落があります。高倉の集落です。
さらに先には、茂垣の集落もあります。
沢に沿って、山中の小さな集落が点々とみられるのも下仁田の一つの姿になります。市街地からひどく遠いというほどでもないのですが、深い奥山の村の雰囲気の場所になっています。
   
・・・集落の写真、撮ってくるんだった・・・


 このコース、なかなかわかりにくいかもしれませんが、小さな崖もていねいに見ながら、大地の生い立ち・歴史を解き明かしていく過程の複雑さを、少し感じていただけるかもしれません。
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最後に、跡倉くリッペの全体的な解説を。詳しい解説が書かれてあります。運営顧問の細矢さんの書かれたものです。クリッペの解説は、あちこちで何度もありましたが、あらためて参考にしていただけましたら。
 

跡倉クリッペ        (下仁田の自然地質編 解説編 )
 
下仁田町の地質で広く親しまれている跡倉クリッペは、日本の地質100選にも選ばれ、ネギ・コンニャクにならぶ名物になっています。
 
 
跡倉クリッペの形態
 大北野ー岩山断層の南に、東西約8km、南北約4kmの範囲に跡倉クリッペ群が分布しています。西は本宿(もとじゅく)陥没で、南は断層で区切られますが、青倉川より東ではクリッペのすべり面である底角断層で三波川系の上に載っているのが見られます。東部では岩山クリッペ、鎌抜山クリッペ、御岳クリッペ、大山クリッペ、奥栗山クリッペに分けられます。すべり面は大崩山(おおぐいやま)周辺では標高300~350 m 、青倉川のフェンスターでは標高260mですが、御岳山のほたる山公園では公園より高い約400mと、大きく変動があります。全体としては西ほど高く、南北では南ほど高くなっています。
 
跡倉クリッペの岩石
 
  跡倉クリッペを作っている岩石・地層は、跡倉礫岩層、跡倉砂岩層、跡倉砂岩泥岩互層、川井山石英閃緑岩とそれに伴うホルンフェルス、四ッ又山石英閃緑岩などです。
 
 川井山石英閃緑岩は川井山山頂、大北野から小北野、ふじ山から蒔田不動まいたふどう)の滝で見られます。全体的に破砕され塊状になったり、砂岩様になった部分があります。破砕の少ない部分でも、多くは風化して有色鉱物が緑色に変質しています。放射年代は2億7000万年(古生代ペルム紀)です。構成鉱物は斜長石、石英を主とし、黒雲母、角閃石です。埼玉県小川町にもクリッペがあり、そこで見られる金勝山石英閃緑岩は、放射年代、構成鉱物などが川井山石英閃緑岩と一致するので、同一のものと考えられています。
ホルンフェルスは川井山石英閃緑岩のマグマの熱により周りの砂岩、泥岩が熱変性をしたものですが、そのときの変化とその後の変動で、源岩の構造はほとんど残っていません。砂岩の砂と思われるところはチャートのように見えます。顕微鏡で見ると、石英、炭質物、黒雲母、ザクロ石(ガーネット)、緑泥石などです。
 
 跡倉礫岩層は長源寺橋上流が観察の適地です。礫の大きさは直径10~20cmのものが多く、直径数十cmから細礫まであってふぞろいです。礫の形は円礫ないし亜円礫で、変形したり切断したのが見られます。礫の種類は花崗岩、閃緑岩、ホルンフェルスがほとんどですが、砂岩、泥岩、チャート、石灰岩、玄武岩質凝灰岩、はんれい岩なども含まれます。特に閃緑岩は川井山石英閃緑岩と同じであり、ホルンフェルスはザクロ石を含むので、川井山石英閃緑岩やホルンフェルスが浸食され、それがその上に堆積した不整合の関係であると考えられています。礫の間を埋めている砂も、石英や長石の岩片などです。跡倉礫岩層は、大北野西部から跡倉、大崩山、御岳、大山と、ほぼ東西方向に続いています。
 跡倉砂岩層は跡倉礫岩層といれかわる部分があり、一括して跡倉層下部層とよぶこともあります。層理面はあまり見られず、黒っぽい泥岩が多く含まれる部分もあります。
 跡倉層砂岩泥岩互層は、クリッペの南部に広く分布します。灰色の砂岩と黒灰色の泥岩の10~30cmの互層で、級化構造が見られます。一見おとなしそうな外観にもかかわらず、この地層はしばしば数m~数十mごとのブロックに分かれ、地層の走向傾斜が変わり、時には逆転している部分もあります。宮室(みやむろ)の下郷の沢では、沢に沿って広い範囲で逆転層が見られます。四ッ又山の南面でこの層からアンモナイト、二枚貝の化石がみつかっています。          (ここに紹介されている宮室の部分は、次回コース図で解説します)
 
クリッペの地質構造
 クリッペの地質構造をしらべてみると、川井山石英閃緑岩・ホルンフェルスと跡倉礫岩層は不整合と考えられます。不整合面と考えられる境界は、長源寺橋上流部から小北野入り口、大北野川に連続しています。また、岩山のふじ山でも、川井山石英閃緑岩に跡倉礫岩層が接しています。これらの露頭観察から不整合と考えていますが、不整合面がわかりにくく、小断層でずれているところ多く、判定しにくくなっています。
 
 大北野川の入り口の橋から300mのところで、河床近くにほぼ水平な断層が、道路からも見えます。上盤はホルンフェルス、下盤は跡倉砂岩泥岩互層です。この断層は水平のまま河床近くを下流まで続き、下流では上盤は跡倉礫岩層となり、下盤の跡倉砂岩泥岩互層は南牧川(なんもくがわ)に広く分布し、、宮室の万年橋下で詳しく観察できます。
このことから、跡倉クリッペは二重構造になっていて、三波川系の上に跡倉砂岩泥岩互層がクリッペとして乗り、その上に重ねて他の岩石が乗っていると考えられています。
 
 クリッペがいつどこから移動したのかということは、多くの研究がなされています。移動の方向については、中央構造線より北、つまり北から南という考えがありました。岩石の様子などを総合してこう考えたわけです。しかし、断層面に見られる移動したときの傷跡(条線)の解析から、西北西、次いで北へ移動したとする考えも出されています。
  移動した時代については、跡倉層の中に中生代白亜紀の化石が発見されているので、白亜紀よりは後、新生代第三紀の5500万年~1600万年の間と考えられています。
 
 
跡倉クリッペと同じような構造は、下久保ダムのすぐ南の神山から東の岳山にかけて、埼玉県小川町でも見られます。
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 構造については、ここでは図の解説もありませんので、わかりにくいかとも思います。にかく、複雑・・・
二重構造の話などは、話がこまかく難しくなってしまい、また、調べた人により見解の相違なども出てくるので、これらについてはのせるにしても、後から紹介ということにしたいと思います。
 
たまには地図を片手に、あるいは案内の方と一緒に、歩いて自然を見るのも、いいものですよ。
 
 

地質案内その4 続クリッペ観察(前半部分)

クリッペ観察 
 
栗山川にそったコースです。赤丸の付近を見ます。
              (写真等が多くて少し重くなるので、2回に分けてお送りします)

 結晶片岩(変成の弱い御荷鉾緑色岩系の石)の上に、跡倉層の砂岩や礫岩、砂岩泥岩互層が乗っています。跡倉層はどこからかやってきたもので、クリッペ(根なし山)になります。
両者は底角断層(断層面が水平方向に広がる・すべり面)で接し、その断層もみられます。ただし、ちょっと離れた場所からの観察になりますが・・・・


このコースでは、道から川を見おろして眺めます。




 

もちろん、調査するときは、
沢に下りて歩きます。
 
観察場所がちょっとわかりにくいかもしれませんが、ハイキングしながら眺めたら、普通のハイキングと少し違った新しい気分もあるかも。



青岩公園からスタートして、 ②は道から川を見おろすことになります。木が繁っていたりで、あまりよくは見えませんが・・
 

 

     

←ポイント③の甘楽用水



   →                            清流荘





この水路の先にぽっかり穴があいています。水路は大崩山(おおぐいやま)の底の部分にあけられているそうです。自然学校顧問の高橋さんは水路に入ったことがあり、「水路の下が青い結晶片岩、天井は跡倉層の砂岩だった」と。水路が、ちょうどすべり面(断層)のところに掘られていたわけです。



下仁田でも昔、お茶を栽培し、製品までつくっていたそうです。
その工場跡かな?            →
このあたりまではお茶が育ち、シラカシなどが育つ照葉樹林帯の植生がみられます。


ポイント④のすべり面です。道から見おろします。
      段差がついていて、何となく、境目が・・・
                すべり面の断層はここなのでしょう。
      調査の時は、この沢にジャブジャブ入って調べます。
      上からながめているだけでは、ちゃんとわからないわけです。

拡大しました

ポイント⑤の断層はどこ?・・・・         ↓ ⑥の結晶片岩。クリッペをのせる土台です。
わからなかったのでこの付近の写真を      道端では岩石の風化で、青い色もあせています
 ↓                    風化を「石が腐る」といったりします。 
                                   
                                  
                                    


 

2014年12月7日日曜日

地質案内 その3 クリッペ

下仁田地質案内  その3

下仁田の地質でいちばん有名なものーークリッペ    でしょうね

2009年発行の「下仁田町と周辺の地質」の作成にあたって、下書きで書かれたものなどから、解説を載せてみます。(下書きを載せることになってしまいますが、お許しを)



下図の色塗りした部分がクリッペになります。
 
立体的イメージの図もあります。








図では黄色部分がクリッペ(根なし山)、ナップです。「どこからか横滑りしてきた大地の塊」がナップで、そのうち「ナップがけずれて、一つの山の形になっている」のを,特にクリッペとよびます。
下仁田ではクリッペという言葉がよく知られているため、説明するときに、少し広めに使うこともあるかもしれません。
ナップ部分は南牧川や栗山川のほうに伸びています。下の図でごらん下さい。下郷(しもごう)や宮室(みやむろ)、高倉といった地域まで見られ、クリッペ・ナップの下は結晶片岩ばかりでなく、秩父中古生層の部分もあるのがわかります。中古生層との境が直接見える場所は、残念ながら知られていないようです。



クリッペと下にひろがる結晶片岩との境目は水平に近い断層です。この断層がいちばんよく見えるのが下仁田自然史館のすぐわき。ジオサイト(観察場所)として、有名です。

写真の左から右上にかけて見える線状の境目が断層面です。断層の上が跡倉層の砂岩、下が破砕されてグズグズになった結晶片岩(御荷鉾緑色岩・青岩の石)です。  
     写真 下仁田自然史館
                                
以下が解説です。なお、今の自然史館は、元青倉小学校でした。

  • 断層の上盤は、跡倉層(中生代白亜紀、8千数百年前)の砂質泥岩で、よく見ると、堆積後の変動が原因の大小のひび割れが見られます。
  • 下盤は、青岩公園と同じ緑色片岩ですが、ひどく破砕されています。断層面の近くでは、暗緑色の蛇紋岩ができ、塊状になって、表面が磨かれた状態になっています。
  • 青倉川の浸食作用で、河床近くの下盤がけずりとられ、上盤がおおいかぶさる形になっていますので、上盤の断層面が見られます。上盤の断層面には、鏡肌、条線が見られます。断層の動きによってできた線構造で、動きの方向を示しています。
  • 断層の走向はN70°W、傾斜は北東へ25°です。
  • この断層は、すぐ下のフェンスターとともに、クリッペのすべり面がもっともよく観察できるところです。

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クリッペの底の断層は他の場所でも観察できて、いちばん見やすいのが自然史館わきの断層というわけです。他の場所も少し紹介します。







上に紹介した断層のすぐ下流。フェンスター(ウィンドウ)という現象がみられる場所で、断層面もみられます。


左写真の岩の境目が低角断層です。断層下の結晶片岩は、強い力で破砕されて、グズグズです。

ドイツ語がフェンスターで英語がウィンドウ。最近はウィンドウとよぶことが多いようです。英語の表記に変えていっているのかな・・酸性度を現すpHも、ずっと昔からドイツ語読みのペーハーと呼んでいましたが、最近はテレビのニュースでも英語読みのピーエイチといいますね。)


下の図がこの場所の概念図です。写真を入れる場所が、仮のスケッチになっていますが、上に紹介した写真は真ん中のスケッチ部分です。
  図の「道路面」の道を左方向に行くと、自然史館があります。上に説明した大断層も
  図の左手にあります。


いろいろな説明を描いているので、同じ場所の少し詳しい説明もあります。下に紹介してみます。
なお、川辺は川の流れの変化・大雨の時の土砂の流出などで、見え方が変わってしまうこともあります。
鏑川用水:大崩山をくりぬいて流れていきます。
 


 最後に、この付近で見られる地質現象をまとめた図をのせましょう。





クリッペの底の「すべり面」は 自然史館のあるこの付近でよく観察できるのですね。


「跡倉礫岩 」というのは、跡倉層群のいちばん古い部分ですが、かつて、有名な礫岩でした。
「礫岩だ」
「いや、火成岩が地下で圧砕されたものだ」などという論争が繰り広げられました。長い間多くの研究者によって研究議論されたのです。
長源寺橋付近では、水に洗われて、この礫岩がくっきりきれいに見えます。
硬く固結して礫が変形したり切断されたり、形がぼやけてみえるところなどがあったりします。







  このブログで以前にも簡単にクリッペの紹介をしています。ダブるところも多いですが、これもお許しを 。以下のページで紹介しました。
https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=481530670025045050#editor/target=post;postID=2867420626418628404;onPublishedMenu




クリッペの形成過程の説明も、下に紹介します。
次回は、別のコースで、クリッペの紹介をします。