信州方面へ出かけたときに、ちょっと思い出してみたら・・
下仁田から長野県へ、信州へ向かうとき、今は高速道路をつかったりもしますが、国道254号線を走り内山峠(うちやまとうげ)を越えるのも、よく利用される道です。
多くの人に馴染みのこの道周辺の地質を少し紹介してみます。
なお、使用した図表類は、「下仁田町と周辺の地質」および下仁田自然学校作成の観察会案内プリントからです。
この道路沿いでは、周囲の山々が、紅葉のころは特に素敵。
高速道路ではよそ見できませんが、ここなら停車して眺めることもできます。
荒船山がきれいに見える場所では、この山の地質案内板もあります。以前、下仁田自然学校と下仁田町で設置しました。
右の地質図で、若草色の部分がそれらの岩石の分布する地域です。地質的には本宿(もとじゅく)陥没地域となっています。
妙義山は右上、中ほどを横切る赤い線が国道254号線です。その道路の左下には荒船山、上には「屋敷の風穴」。今では、「世界遺産・荒船風穴」と呼ばれているのがこれです。
この若草色部分は丸い感じで分布していて、かつての激しい火山噴火のあとになります。カルデラのような陥没した凹地を、火山噴出物が埋めつくしたものです。
国道254号線はクネクネとくねり、さらに進むと内山峠の内山トンネルが見えてきます。
よく見ると国道254の通る部分の左のほう、若草色の中に、 違う色の四角い部分が見えます。
下の図で、拡大してみて、その部分の話をしてみます。
ここには、道路のすぐわきで貝化石の産出する場所もあります。
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図には等高線がはいっています。でも、こういう図を見ても、立体的なイメージはなかなか浮かびませんよね。等高線を見ただけで、地形が思い浮かぶ方もいるそうです。練習するのだそうですが、すごいなあ・・以前、こういった地形図から、空をバックに見える山のスカイラインを見事に描く人をテレビで見て、本当にびっくりしました。
最近は、立体地図が開発されていて、パソコン上で立体図が見られるのだとか。だんだん一般公開もされ始めているそうです。それなら、誰でも立体図があたまに浮かびそうです。利用価値が広くて、期待されているようです。最近のこういう技術の進歩って、すごいですね。
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解説文を、観察会の案内プリントから転載します。
小屋場付近の地質
西牧川上流域は、本宿層の凝灰角礫岩が広く分布していますが、小屋場付近には海の中の小島のように内山層や大月中生層が分布しています。
内山層・大月中生層の分布域は東西・南北とも約1.6kmで、台形をした地域です。内山層と大月中生層は断層(中央構造線にあたるようです)、内山層と本宿層は不整合の関係です。
内山層は泥岩・砂岩からなり、塊状で層理はあまり発達していません。化石は二枚貝、巻貝、破片状の植物化石を産しますが、保存状態はよくありません。
大月中生層は、砂岩、泥岩からなりますが、もまれていて構造はよくわかりません。
内山層と本宿層
内山層は産出する化石から下仁田層(1800万年前)と同時代の地層と考えられています。これに対して本宿層は900万年前後の堆積物です。断層でもないのに堆積時代の異なる地層がどうしてとなりあわせになるのでしょう。
約950万年前、本宿層の分布している地域が、小屋場付近の内山層を残して大きく陥没しました。その凹地に火山活動による火山灰や火山角礫が堆積し、凹地を埋めて行きました。この堆積物が本宿層です。
残った内山層の周囲は高い崖となり、崖下には内山層の礫などが崩れ落ち堆積していきました。
その礫が本宿層の泥岩の礫になったのです。こうして約1800万年前の地層と900万年前の地層が隣り合うことになったのです
(1) 1800万年前の海の中。砂や泥が堆積 (2)海底は隆起して陸になり、、陸の一部が
大きく陥没しました。約950万年前のことです
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(3)その後 、激しい火山活動が起こり、凹地はそのとき吹き出したもので埋めつくされました。900万年ほど前の話です。上の大きな地質図の若草色の部分(もう少し新しいものもあります)。 その凹地の中に、たまたま山のようになって 残っていたのが「内山層・大月層」という、古い時代の地層。内山峠近くで見えているというわけです。土台の地層が顔を出しているわけです。
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こんな化石が見つかるかも。
いまは雪に閉ざされている時期、春になったら、たまには
緑の中に出かけてみたいものです。
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