2016年9月25日日曜日

見学のお手伝いできるかな・・・

 なれるかな・ジオパーク見学のお手伝い  展示紹介

ジオパーク(大地の公園)という考え方が提唱され、各地にジオパークが認定されています。
とはいえ、きれいな景色やお花畑ならば、誰でも眺めただけで「いいなあ~」ですが、
地面の話となると、「石ころの話か・・・」とか、「何だか難しい話で・・・なじみがないなあ」とかいった声が聞こえてきたり・・解説してもらわないと、わからない・・.
一方では、最近の地震災害の話から、中央構造線がにわかに注目を浴びて「下仁田にも中央構造線が通っているって・・・・それって、どうなんだ」などと気になったり。

大地は「母なる大地」ですから、実はすごく根っこのところで人の生活も支えてきているわけです。大地と知り合いになったら、自然とのおつきあいの幅も広がると思います。
下仁田自然史館の展示も、そんな理解のお手伝い、できるのではないでしょうか。

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ジオパークでの見どころをジオサイトと呼びます。
そんな場所の一つで、地層の裏面についた模様が見られます。宮室という場所で、自然史館からもそれほど遠くない場所です。
地層の模様にはいろいろな種類があります。生き物の這いあとなど(生痕化石)もそのひとつで、生痕に詳しい人たちのグループが宮室の模様を調べてくれました。


実物です。何やら模様がありますね。
(地層の模様には、水の流れが削った溝やら、水の流れに小石がかかわったものやら、その他いろいろあります。ここにもいろいろありそうです。区別、難しい)



地層のでこぼこ模様のレプリカです
下の展示パネル、なんだかぼけた写真だったのですが・・・・
写真で紹介。光の加減がいい写真で、模様がよくわかります
現地の写真をのせます。

ちょっと傾いて地層が重なっています。奥の地層の表面がレプリカをとった場所です。
教えてもらわなければ、普通は気づかない、わからない・・ですね。

この地層は川沿いにあり、見学のためには写真右のほうから下りてきます。最初に足をのせる場所付近の表面にこの模様があります。
 
ところでこれらの模様、もともとの地層の裏面についている(!)というところがポイントで、地質調査では重要事項になります。つまり、ここの地層がひっくり返っている・・・

でも、手前の地層はひっくり返っていない・・・・・間に断層があるはずで、なにか大きな大変動があったことがわかる…などと、いろいろな地質現象がみられるということでも大切なジオサイトとなっています。
この場所の地層のようすのパノラマ(業者作成のもの)も並んで置いてあるのに、生痕にだけ気を取られて写真撮ってきませんでした。うっかりでした。

なお、地層の裏面の模様については 以前にブログでも紹介しました。
http://geoharumi.blogspot.jp/2014/01/blog-post_30.html

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雨・雨・雨・・・・
どこかに出かけるのも嫌になる・・・どんな雨の中でもカンカン照りの中でも、外で働いている人もいるのに、優雅なこと言ってる、と言われそう。

というわけで、あまり野外にも出かけず。なので、あちこちの場所の紹介をしようかと。
比較的近くにある県立歴史博物館の紹介をちょっと。

高崎市と玉村町の境付近にある群馬の森には、歴史博物館と県立近代美術館があります。広い芝生とシラカシの木の多い森があり、4月29日には群馬交響楽団の野外演奏もあります。子供の指揮コーナーがあって、人気。(でもあまり行ってない・・考えるともったいない)。
この地域は、もし人が手を加えなければこの森のような、カシの木などの生い茂る場所になります。照葉樹林といいます。冬でも葉の落ちない、比較的暖かい地域に育つツヤツヤとした葉の木々が分布・・・・えーっ?ですよね。ここは夏はやたら暑いけれど、冬はけっこう寒い。温かい地域というには抵抗がある。実はこのあたりは照葉樹林帯の限界近くになっている地域なのです。
 
群馬の森はもともとは陸軍の火薬製造所があった場所で、日本で初めてダイナマイトがつくられたとか。記念碑で知りました。
昔、母が言っていました。大きな爆発音がすると「浅間の噴火?火薬庫の爆発?どっちかな」と思ったとか。

「古墳王国」・「東国古墳文化」の群馬県

歴史館が全面リニューアルされました。群馬に数多くある古墳の文化と、浅間の噴出物に埋もれて最近発掘された「甲(よろい)を着た古墳人」を大きく取り上げています。古墳は関西とここ北関東に多くあると聞いていました。群馬大学の尾崎博士がその研究の中心として努力されたという話も聞いていました。「古墳なんてどこにでもあるもの」と思っていた子供のころ、群馬は奈良などと並んで、古墳がたくさんある場所という話には、「へえー」と思ったものです。
最近、ボランティアも交えてその情報を詳しく調べなおし、古墳は12,000基を超えることも確認したそうです。

歴史館でもらったパンフレット(左)を見て、びっくり。
左隅にある写真は三角縁神獣鏡といいます出土は川井稲荷山古墳、私の家から2㎞ほどの場所です。もっとも今は古墳は残っていませんが。
この鏡が出土した時、まだ地元の集会所の机の上に置いてあるのを見ているのです!
それが取り上げられているーー単純・素直にうれしい!!

玉村町一帯で耕地整理が行われ、不規則な形の田畑を、規則正しく碁盤の目のように作り変えた時期がありました。それは農業の機械化にも対応することだったでしょう。そのために比較的大きな古墳2基を残して、古墳すべてを発掘したときがありました。私が中学生の時です。校内ので授業はやめて、一日かけて発掘現場めぐりをしたことがありました。学校として見学に連れ出してくれた先生方に感謝です。
風に吹かれて、砂ぼこりの舞うなか、石室の石は遠くどこやらから来たとか説明を受けた記憶があります。説明している人がとても寒そうだったということと、長さの説明で、センチをサンチと言っていた・・などと、くだらないことだけは覚えているのですが・・・この発掘も尾崎博士たちが指揮を執っていたのでしょうね。鏡は「群馬大学蔵」です。
(その後も高速道路建設や学校建設などのなかで、うずもれたたくさんの遺跡がみつかり、朝鮮半島との関連を示す冠やら太刀やらも出土しています。中にはかなり重要なものもあるようです。玉村町文化センター内の一角には歴史資料館もあります)

その後コメ余りの時代となり、せっかく作った田にも休耕田がひろがり、農家には耕地整理の分担金が重くのしかかり、機械化貧乏という言葉もうまれました。

身の回りにも案外何か隠れているかもしれません。郷土資料館のようなものも、たまにはのぞいてみるのもおすすめです。

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水上町猿ヶ京温泉近く、国道17号線わきに、こんな場所があります。のぼり旗もたくさんはためいています。ここは何?
 硬貨の並んでいる様子から見当が付きます。真田丸に関係した場所です。
 番組も終盤、ちょっと触れてみようかと。



もう何年も前から、たまには通りかかるのに、最近まで立ち寄ったことはありませんでした。お城の由来とか○○家の歴史とか、どうも疎くて面倒くさくて、という関心のなさから・旗も立っていなかったし・・

旗などにはこの場所の名前が記されていました。  「名胡桃城」
えーっと、なんて読むんだったっけ?見たことある字だったような・・・
朝早めの時間でだれもおらず、ぶらりと歩いても、仮名のふってある場所は見当たらない・・
ちょうど、年配の品の良い男性がやってきたので、「あの~、これなんて読むのですか」と聞きました。 「なごみ  だよ」。  ありがとうございました、と言って、帰りかけて、ふっと気づきました。信号機の下に、ローマ字で書いてあるじゃないか。  「NAGURUMI」  ナグルミ でした。
そういえば、これ、クルミという字だったっけ。 そんなことも知らないのかと思われる方もいらっしゃるでしょうが、でも、いきなり出されて、読める人って、多数派だろうか?? やっぱり仮名ふったほうが親切なんじゃないかな。
ちなみに、下のクイズやったときは、クルミはちゃんと読めてました。皆さんもやってみませんか。植物の名前と思って読めば、上級になれるくらい読めるのにね。
      (スキャナーが使えなくて、見苦しい図になって すみません)





2016年9月18日日曜日

ずれ礫、 秋・水田の植物  

NHK朝のドラマ・とと姉ちゃんに、洗濯機が登場したころのことが。

  「洗濯機を発明した人に、ノーベル賞をあげたいと思った」
今90歳になる方が言っていた言葉が忘れられません。
小学校の先生をしながら3人の子供を育てあげた方、親の援助も得られない環境で、夫は家事などほとんどやらない人でした。重労働の洗濯への強力な助っ人登場は、どんなにうれしかったかと・・・肩の荷が下りる思いだったでしょう。
 私の母も、私を育てるとき、おむつを手で洗っていたのだと・・大変だったよね(そのころは水道もなかった)
そんな時代の人々に思いをはせる想像力を持たねば。しかも、これはほんのわずかの昔のことなのです。


下仁田自然館にあるもの
 
  力の”化石”? 力が加わった場所の石

下仁田には中央構造線があったり、どこからか動いてきた地塊がクリッペ(根なし山)をつくっっていたり・・・過去に大きな大地の動きがあった場所なのでしょうね。
大地の大きな力がはたらいた場所・・・そんな場所らしい石があるのでは。
 次のものなど、どうでしょう。

 
写真の石、下仁田では「 ずれ礫」とよんでいます。
礫がスパっと切れてずれた感じです。
「くいちがい礫」ともよばれます。
左下のような礫を、「お刺身を並べたような」と言っていた人もいました。
力がはたらいて切れて、ずれた。よくあんなにスパッと切れたものだ。たしかに、よくまあ、・・・全国でもあまり見かけないようです。
 もっと大きな力ならボロボロになってしまったでしょう。下の写真のようにボロボロ、粉々に。崩れないように、周りを石膏で固めてますね。これは泥の固まった頁岩、南蛇井層の石です。ずれ礫の礫は、石英はん岩という、マグマが深いところで固まった石からできたものです。


南蛇井層の頁岩





ずれ礫については、以前に下記で紹介したことがあります。

大地の深くまで割れ目や隙間があると、地下深くの物質が上がってくる・・かんらん岩などは、そんな石ですよね。下仁田にもかんらん岩があります。

展示してある左写真の石を見て、きれいと感じる人はいないかなと思うので、かんらん岩の顕微鏡写真も紹介します。
実際に見ると、色づいてきれいですよ。顕微鏡下のかんらん岩は特にきれいだと思います。

 ただし、この顕微鏡写真は展示の石のものではなくて、下仁田町にある黒内山のものです。
黒内山は三波川結晶片岩地域にあるかんらん岩の少し大きめの岩体で、左の写真とは、違う場所のものになります。

かんらん岩顕微鏡写真  中島啓政さん作成
 
このように、自然史館も含んだ青倉・栗山地域には、地下深くから上昇してきた岩石も見られます。
左写真のような岩石も見つかります。角閃石の大きな見事な結晶の含まれる岩石で、地下の深くからやってきたとも考えられます。
あまり見かけることはない石ですね。

下仁田地域には、実に様々な石があります。見かけもいろいろですが、どうやってできたかも、実に千差万別なのです。

ここでは河原の石の学習会もあります。自然史館にも、さらに工夫して石をお見せできるようにと、願うところです。



探してみませんか、近所の田んぼ・・
        もしかしたら、絶滅危惧種がいっぱい・・


田んぼのようす

たんぼのあぜの草が刈り取られてきています。
稲刈りシーズンが心に浮かびます。

生い茂った草がなくなって、水田の中をが見やすくなっています。ちょっとのぞいてみましょうか。
田んぼにはえていたミズオオバコ ピンクがかるのですが・・
水路の水にゆれるミズオオバコ
 
はるか昔、学校への行き帰り、道のわきを流れる水路にぽっかり浮いた薄ピンクの花、大好きでした。
ミズオオバコといいます。

この頃なんだか見かけないなあ・・と探したことがありました。数年前のこと。よく見れば、ところどころで姿を見かけました。
 
 ほかの花も見てみましょう。
 ところで、これらの中に、絶滅危惧種が何種類かあります。あててみませんか。
   (☆マークです)
私の家からほぼ6㎞以内、自転車でトコトコ行くのに適した距離の範囲にあるものです。
                                                


イボクサ

アゼムシロ(ミゾカクシ)

オモダカ
ホソバヒメミソハギ
      下の植物、名前がわからない・・
      名前、突き止めたはずなのに・・忘れた
   田んぼいっぱいを埋め尽くしているのに・・比較的最近
    広がった外来種です。↓






 左も外来種で、はびこりますね。


ホソバヒメミソハギの花
コナギ





ミズワラビ














ウリカワ
シャジクモ
シャジクモ




干上がった田んぼのミルフラスコモ ?


ミルフラスコモ




    
トリゲモ と思っているのですが・・・・?
 
 
次は 水が干上がったころの田んぼです。おととし10月の写真
葉っぱの細い、真ん中のものがミズマツバ、周りがキカシグサ 



 
ミズマツバとキカシグサ
 
  
アブノメ










☆
アブノメ










☆
エダウチスズメノトウガラシ

まだまだいろいろな植物ありますが、あげていてもきりがないのでこのくらいで。

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 調べた玉村町の絶滅危惧種のリストを書いてみます  群馬県は2012年改定のリストを使用

             環境省      群馬県        指定している都道府県数

ミズオオバコ   絶滅危惧Ⅱ類    絶滅危惧Ⅱ類      39
ウリカワ        -            Ⅱ類   9  農家には厄介な雑草ではあります。花はきれい
      
シャジクモ          Ⅱ類           -       10  
ミルフラスコモ    絶滅危惧Ⅰ類         -      3  ちゃんと同定してもらわねば・・
ミズマツバ          Ⅱ類         Ⅱ類      36  結構たくさんあるのですけどね
アブノメ           -        絶滅危惧Ⅰ類     17  かわいい花です


トリゲモ          Ⅱ類           絶滅       32)
トリゲモは群馬県絶滅となっているので、ちゃんと専門家にもっていってみてもらわないとだめですね・・・3年だか4年前、調べたり聞いたりしたのですけど・・・
なお、3年ほど前、館林の人が来てくれたとき、ウスゲチョウジタデというのを記録していかれました。チョウジタデとの違いをおしえてくださったのですが、微妙で、どうもよくわからない・・・似たものがたくさんある世界です。

<絶滅危惧種の調べ方 : ネット検索で、「日本のレッドデータ検索」といれてください>
 
  多くの人が田んぼの植物で目を留めるのは、きっとオモダカ。葉も花も整っていて、
本当に美しく、しかもたくさんはえている。雑草というには惜しい。でも、田んぼにとっては厄介な害草だと思います。
 水田の除草剤が開発されたころ、この草もすっかり駆逐されていたはずです。私が子供のころのこと。学校への道の途中の曲がり角の小さな湿地に、ちょうどこんな葉っぱが育っていて、ほかで見ることはなく、「きれいだなあ」と思っていたのを覚えていますから。50年も昔の話。
でも、今思えば、それはクワイだったかも。お正月料理につかうクワイを植えていたのでは・・オモダカの変種がクワイですから。しかも、田んぼで見るオモダカより、ちょっと大きかったような気もするし。
 この植物にそっくりなアギナシという植物があります。ネット上などにはしばしば間違ってオモダカをアギナシと書いてあります。こちらは環境省指定で準絶滅危惧種、群馬県で絶滅危惧Ⅰ類、42都道府県で指定しているという、まさに希少なものです。群馬では数か所しかはえていないようです。
根のつくりが違うのと、葉っぱの先がオモダカのほうが鋭くとがっているという違いがあります。でもまさか、絶滅危惧種を掘ってみるわけにはいかないですよね。

 
シャジクモ  生物学では有名なもの。高校の生物の教科書には載っているかも・・少なくとも、副教材で資料集を買ったら,のっています 。私も写真で知っていましたが、まさか身近にあるものとは思ってもいませんでした。
数年前、ミズオオバコが絶滅危惧種になっていると知って、びっくりして、そこらの田んぼを見て回りました。そうしたら、「ん・・・・」。シャジクモみたいなものがたくさんはえている・・どう見てもシャジクモ。専門家に聞く機会も得て、「やっぱり」。ついでに、いろいろな田んぼの植物も調べたというわけです。
 私が子供のころは 魚もどんどん死んでしまうような強い除草剤が使われていて、田んぼの雑草は一掃されていました。ですから、どの田んぼの植物も見たことがなく、「はじめまして」といった気分でした。
 田んぼには顕微鏡で見るような生き物から、ゲンゴロウの仲間、貝の仲間など、いろいろな生き物がいます。田植え前など、ミジンコ等があふれるほどたくさん動き回っています。稲につく虫、昆虫・クモもたくさんいます。一方、外来種もはびこっています。
 田んぼは、ちょっと目を向けると、すぐ見ることのできる身近な小宇宙という気分になれるかもしれません。
 
(学校の教科書に載っているような生き物、実はほとんどが身近な場所にいるものだと、だいぶあとになってから知りました。学校時代には、なんだかわけのわからない、妙な生き物と思っていたのですけどね。身近なものだと知ると、がぜん興味がわくものです)
 
 
ミルフラスコモという藻類は、神戸の大学のシャジクモ研究者が、写真を見て「十中八九、ミルフラスコモですね」。これ、高速関越道の玉村インターのすぐ近く・・・生き延びられるかなあ・・・栃木県にはたくさんあるとのことなのでこのあたりにもあるのかも。


だいぶマニアックな話になってしまいました。でも、けっこう身の回りの話なのです。近くに田んぼがあったら、ちょっと目を留めてみませんか。

 

 

 


2016年9月10日土曜日

秋の湿地の植物と下仁田自然史館にあるもの紹介

 
群馬県庁のすぐ近く・水路にゆれる植物

右の写真の植物、何だと思いますか?
群馬県庁から歩いて10分もかからない場所の水路の中なのですけど。下の写真の水路です。

 昨年、水路が白い花で一杯のこの場所を通りかかりました。びっくりしました。こんな町中に!?と。今年は、花はほゼロ。                                                   たしかに、毎年は咲いてくれないんですよね・・・
サマにならないと思ったのですけど、でも紹介しようか、と。
                                          一応、花をつけている写真ものせておきます・・・
右写真のまん中あたり、水の波がたっている所の、白いポチっとしたものです。
(拡大写真が無くてすみません)

  これ、バイカモです。
(今ごろになって、間違っていたらどうしよう、なんて思っています)
冷たい水の清流に育つことで知られる植物です。

ここは、群馬県庁の隣の前橋市役所の、その隣の市立図書館の向かいにある桃井小学校(現在建てかえ中)の塀の東側の水路・・・まさに市街地。    こんな場所にこんな植物があるって、ちょっといい話だなあ。

20年以上前、玉村町の五料橋の下で、ちぎれた水草を見つけました。何だかわからないので、高校の生物の先生にみてもらいました。図鑑を持ってきて、「これ、バイカモ」と。
えーっ・・・あんな場所にバイカモ??と思ったものです。山に近いわき水の湧くような地域にあるものと思っていたものですから。
前橋市では市街地に近い桃の木川などにも、バイカモが見られると聞きます。この川は利根川に流れ込みます。さらに、農業用水路が縦横に走る地域ですし、私の家の近くでちぎれたバイカモが見つかっても、なるほど、です。
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次は山麓の放棄田にあった植物です。


ホシクサという仲間。「干し草」ではなくて、「星草」?   花がたくさんあると、点々とした星のように美しく見えるからでしょうか。

写真のものは、詳しくは ヒロハノイヌノヒゲ になります。
ホシクサの仲間は、昔は田んぼの雑草だったりもしたようですが、今では絶滅危惧種入りのオンパレード。どこかの湿原とかでやっと見られたり、といった状態です。平野部では無理でも、山沿いなどなら田んぼでも見られるかもしれません。9月がシーズンですから、気づいたらわかりそうな人に知らせて下さいね。詳しい種名は、種子で判定するとかで、相当のプロでないと判別困難な植物なので。

水田もそろそろ水が干される頃になります。畦の草も刈り取られてきています。水のなくなる前に田んぼを見れば、様々な小さな花など見られます。絶滅危惧種に指定されているものも、けっこうあるのですよ。暑さと、わが家の草退治に負けて、今年は見ていないのですが、なんとか紹介したいですね・・・・

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このブログ、「下仁田ジオパーク」と銘打っているので、下仁田自然史館にあるものの紹介をしようか、と思いたちました。

ここの自然史館にあるものは、多くが寄贈されたものです。
長く下仁田で活動し、今は自然史館の一角をお借りして活動をしている下仁田自然学校には、関係者からいろいろなものが寄贈されていました。それは今はすべて下仁田町に寄贈となっています。また、地元の方からの寄贈もあります。
地域のものを収集・展示することは目指しますが、世界各地の様々な標本類もあり、そういったものも展示されています。まだ整理ができていない部分も多いですが・・・

近くに立派な群馬県立自然史博物館があります。ここはそれとはひと味ちがった、地域に根ざした手作りの展示となるわけで、これから智恵をしぼっていくことになるかと思います。
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最初に、下仁田地域の地質調査を長く続けてこられ、下仁田自然学校の運営委員を長くつとめられた高橋さん作成、細矢さんが着色された、地形模型を紹介します。
2つの地域が作成され、展示されています。展示室4と展示室2です。
 




























 ①クリッペ地域の地形模型
    日本の地質100選に選ばれたクリッペ(根なし山)地域が模型になっています。
   ここは、今注目の中央構造線も東西に走るという、複雑な大変動にさらされてきた
   場所なのです。

  


 
荒船山・荒船風穴 地域 
  ①を作った後、今度はどこを作ろうかと考えたそうです。そして、荒船風穴が
世界遺産になるより前に、この場所を決め、作成を始めたとのことです。

 最適の場所を、ぴったりと当てました!! 



      

縦方向から見ました。手前が低く、だんだん標高が上がります。左手の平らな山が荒船山です。
右方向の奥に、世界遺産・荒船風穴があります。
手前から見ると、その先に荒船山の大きな写真が見えるようになっているのですが、そのアングルの写真、撮り忘れてました。



 
②の模型の解説を書き加えてみました。
 
 


これを作るには、コツコツと時間をかけています。高橋さんはご自宅の物置で、時間があれば作成をされていたそうです。②の模型を作るのにかかった期間、1年半!!板165枚を使用しています。
     「作るのたいへんだったでしょう」
     「いや、好きだから、楽しんでやっていたよ」


最近は3Dプリンターで 何でも簡単に作れるようになってきているようです。
いったいどうしてそんなことができるのか、私などにはブラックボックスの世界です・・・
でも、もしかしたら若者には、これを手作りできるという方が、驚異かもしれません。

これから、こうした手仕事はなくなっていくのでしょうか・・・
ちょうどつい先日、朝日新聞で、人工知能革命の発展礼賛・第四次産業革命といった記事と、「スモール・イズ・ビユーティフル」を再読して感じたこと、といった、まるで正反対のような記事が同じページに並んで載っていました。

先端技術をいち早く採用した国や企業が世界を制するといったものに対して、「人間が楽しんでする仕事や、頭や手を使っておこなう創造的な仕事を奪ってしまわないか。人間の創意工夫や楽しみと結びついた、より機械化のレベルの低い人間的な技術があるはずだ」と。「小さくても大事な自分たちの土地や天然資源の面倒をよく見ることも大切」など。
「グローバル競争に勝つための技術革新に躍起になっているのは、人に何をもたらすのか・・」

ITどころか今では人工知能のAI革命などと聞いても、ついて行けそうもない人間には、身の丈に合ったほっとする言葉・・・そういえば、iPhoneを作ったジョブスは、デザインに没頭していたときもあったとか。それが、わかりやすくシンプルなデザインをうんでいると・・・やっぱり、実際にものを手に取りふれながら、人はいろいろ発想していくのだろうなあ。


   

2016年9月1日木曜日

下仁田自然史館にある鶏冠石

下仁田産 鶏冠石の紹介


先に紹介したように、下仁田に産する鶏冠石が「群馬の鉱物」になりました(選定 日本地質学会)。下仁田町の西ノ牧鉱山産出の鉱物です。

下仁田自然史館にはこの鉱物が保管され、展示もされています。
地元ですから、そんなの当然といわれそうですが、現在この鉱山は閉山し、
さらに立ち入り禁止となっています。もちろん採取禁止です。
ですから、地元といえども、現在では簡単に入手することはできなくなっています。
 地元の方々などの好意、ご協力により、鶏冠石の所有が可能となりました。それらのいくつかを紹介します。なお鉱山跡のある土地は私有地です。坑道はコンクリートで閉じられています。

ところで、この鉱物、実にデリケートで気むずかしく、そこらに置いておくと、色が変わってしまうのです。から黄色に変わります。赤い鶏冠石から黄色のパラ鶏冠石という鉱物に変化してしまいます。対策は、まず第一に「光に当てないこと」。ですから、普段は目に触れないところに保管することになります。
そんなわけで展示されているものは、黄色く変色したものになっています。

では、保存してある鶏冠石をごらん下さい。他にもいくつか保管したものがあります。
同じような画像がズラズラ並んでしまいますが、その点はご容赦を。











 


 






現在、展示されているものは左の写真になります。ほぼ
パラ鶏冠石になっているのでは。
かつて顔料として絵の具に用いられたことがあり、
「絵の具に用いられた鉱物」
のコーナーにも
標本が展示してあります。



ミネラルフェアで見られるような大きな結晶というわけにはいきませんが、正真正銘の国産鶏冠石です。赤いものも、かなり黄色になってしまったものもありますが、どれも大切にしていきたいものです。
   ( 並べてみて気づいたのですが、もう少し拡大した写真を撮るべきだった・・・後ほどそんな写真もお届けしたいと思います・・・・・)

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 群馬県立自然史博物館で、「群馬の石」の紹介を書いています。鶏冠石の項を転載させていただきます

   展示している場所:群馬県立自然史博物館,下仁田町自然史館
閉山した西ノ牧(西牧)鉱山から産出したものである.本宿層(約600万年前)中の安山岩質凝灰角礫岩をほぼ同時代の安山岩-デイサイト岩脈が貫入してできた低温熱水型の脈状鉱床で形成されたと考えられる,As4S4の化学式を持つヒ素の硫化鉱物.国内では本産地の他に青森県,北海道などで産出が知られる.町全体が日本ジオパークの一つ,下仁田ジオパークである.産地が私有地であるため,基本的に入山できない.(撮影 髙桒祐司 ©群馬県立自然史博物館(GMNH-EM 455)
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ところで、鶏冠石とパラ鶏冠石はどちらもヒ素とイオウの化合物As(Asがヒ素、Sがイオウの元素記号)で、成分はまったく同じでも、元素の並び方が違う(結晶構造が違う)鉱物です。つまり地学の教科書で多形(同質異像)とよぶものになります。光があたると、光のエネルギーが結晶構造を変えてしまうのでしょうか。多形で有名な例は炭素からできるダイヤモンドと石墨せきぼく(鉛筆の芯に使う、あの黒い炭素)。どちも炭素原子だけからできていますが、まるっきり違う顔つきと性質となっています。できたときの圧力の違いから違ったものができたわけです。
鶏冠石は光が当たると変化してしまいますから、パラ鶏冠石もいっしょに見られるわけです。

ところでかつて鶏冠石の針状結晶と思われていたものがそうではなくて、成分としてアンチモンを含んだ新種の鉱物とわかり、若林鉱と名付けられました。1970年のことです。下仁田の鶏冠石の標本の中から、見つけ出されました。他の産地としてはアメリカ・ネバダ州の鉱山が取り上げられていますが、はて、他にはどこに?といわれそう・・・・フランス、ロシアでも発見との記載がインターネット上にはありました。
まれなもので、これはまず見つからないと思います。若林鉱についてはネットで調べた範囲のわずかなものですが、以下で取り上げました。

これも鶏冠石に負けず劣らず、誇るべき鉱物ではないでしょうか。
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鶏冠石関連を説明していると、混乱してくることがあります。名前がいろいろあって、どれがどれやらわからなくなってくる・・・実は私も混乱しています。用語と光による変化の両方についてです。
一応、まとめたものをのせてみます。ごたごたして すみません。

   鶏冠石  (赤色)   光に当たると 
     ⇓
 パラ鶏冠石 (黄色  鶏冠石とは同じ化学組成だけれど結晶構造が異なる。
                                       多形の関係)
  
Orpimenntは 別の鉱物のようですね。以前は鶏冠石に光が当たるとできるのが石黄だとか、いや雄黄というのもあるとか、なんだか頭が混乱・・・。以下に表にしてみました。


 


 


日本名


中国名


Realgar


  AsS     AsS 

鶏冠石


雄黄


Orpiment


黄色


As2S3

石黄 
明治時代間違えて雄黄とよんだ人がいて、混乱のもとになっている


雌黄

薬学では今でも使うらしい


Pararealger


黄色 AsS     AsS 


パラ鶏冠石


 

現在流通している鉱物図鑑の過半は、オーピメントに雄黄(ゆうおう)または石黄・雄黄併記を採用しており、鉱物学者間では訂正しない派が主流のようである。


 
光による変化について
①鶏冠石AsS(AsS4のほうがよいのでしょうか?)が光によって分解してAs2S3とAs2Oの混合物になり黄色の粉末状になる、との説明がありました。
 
   鶏冠石  (酸素が加わって) →As2S3(オーピメントと呼びます)とAs2O
       (世界大百科事典といったもの、他の権威ある事典にも載っていました)

②一方、ネット上には次の説明も
     鶏冠石  → AsS(パラ鶏冠石)
 
正しいのがどれかはわかりませんし、やはり名の通ったものに頼ることになります。ですから以前に書いた鶏冠石の解説には、①を書きました。ですが最近の解説にはパラ鶏冠石の言葉がのっています。新たに解明が進んだのかとも思いますが、正確には、詳しい人に聞いて見るほうがいいですね。

次に用語について
鶏冠石とそれが変化してできたパラ鶏冠石は古くから知られ、利用もされていたようで、いくつかの呼び名があります。中国での呼び名がそのまま日本に持ち込まれて、違ったものに適用されたりで、混乱の極み。でてくる用語は 雄黄・石黄・雌黄。これらの言葉が、中国での使用と日本の使用が違っていたり、日本でも人によって違って使用されたりしてきていたようで、混乱。
だいいち、言葉がにているところからして間違いやすい。それに肉眼で見たときに赤から黄色の鉱物が混じり合っていて、果たして昔の人がそれを区別していたかも不明なのでは。
あれこれ書いてあるのは表にしましたが、言葉で書けば
 
鶏冠石AsS     :  リアルガーともよぶ。 中国では雄黄とよんだ。
オーピメントAs2S3  :  雄黄ゆうおう  石黄せきおう  または  雌黄
              現在の鉱物学では雄黄・石黄とよぶことにしているが、
            薬学では現在も雌黄とよぶ、との記述が 薬関係のサイトに載っていました。

パラ鶏冠石AsS  :特に呼び名はみつかりませんでした
 
 
昔からの中国起源の名称はやめた方が間違いが少ないのではと思ってしまいます。
赤い鶏冠石を黄色の文字の入った雄黄と呼ぶことからして、混乱を感じてしまいます。
なお、これらは毒性の強いヒ素のはいった鉱物ですが、「毒は薬」で、薬にも使われていたようです。また、かつては絵の具にも使われていました。赤や橙、黄色として。毒性があるし、現在は使用していないようです。

あまり見ることのできない鶏冠石、下仁田にいらしたときは、ぜひごらんになってください
今までに鶏冠石について触れたページは以下です
 
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下仁田で見た、季節の花です
 
ギボウシなのですが 道路脇のコンクリートの急斜面にはえています。以前、蒔田不動の滝に行ったとき、崖の斜面に一面びっしり生えている植物が、どうもぎぼうしにみえる・・・探すと、咲き残りの花がある。たしかにぎぼうし・・・・でもこんな斜面に?と思ったことがあります。調べてみると、イワギボウシという花があることを知りました。蒔田不動の滝まで行くのも大変だなあと思っていたところなので、写りは悪いのですが、この写真でご勘弁を。
 



イワタバコもたくさん咲いていました
シラネセンキュウ
夏も終わりに近づきました。
    生い茂った草も、だんだん勢いがなくなってくるでしょうか。
    花の種類も少なくなってきますね。