2020年8月7日金曜日

桑畑


  

感染症にかかった時のことに触れて、思い出を書いたことがありました。以前に紹介しました。それは桑畑の思い出とつながっていたそんな遠い記憶。あらためて紹介しようかな、と。25年も前の秋・9月のものです。季節が1か月以上先の内容になりますが・・・

     桑 畑

青空が見えてきました。トンボがたくさん飛んでいます。  
秋が顔をのぞかせて、酷暑の終わったことを告げてくれます。
うれ
しものです。
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9月上旬は晩秋蚕の季節。年3回の蚕のはきたての最後のものです。
でも、いったい、今、何軒の農家がお蚕を飼っているでしょう・・・
そこで役場に聞いてみました・・・玉村で18軒。
  注 1995年です。今はゼロでしょう)

そんなわけで桑畑は本当に少なくなりました。
近所に放置された桑畑があります。アメリカシロヒトリ
(毛虫にすっかり丸坊主にされ、草が生いしげり、みじめな姿を見せています。

養蚕地帯だったこの地域もすっかり変わってしまいました。


そういえばこんな歌がありました。

  1、桑畑の繁る葉は      3、桑畑葉は握りこぶし
    亡き母の背に負われ         ふり上げて並び立ち
   苗植えた昔から        畑守るこの私と          
    飛ぶ鳥さえなじんでたが     めぐむ春を求め歌う      

2、桑畑は今荒れて          4、春になったら枝を刈り
   爆音はわら屋根に            かおる葉をかごにつもう
  避けるほどたたきつけ         むくどりも高く舞い
   桑畑は
吹きさらし            この喜び告げてくれ

桑をかごにつんだのはそんなに昔のことではありません。
玉村にはそうして働いてきた人がたくさんいます。
それぞれたくさんの思いを持っていらっしゃるのでしょうね。

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40年近く前(今からなら60年ほど前)といえば、まだ伝染病がはやるような時代でした。
遊んでいた近所の子は伝染病で死に、私も重い病状でした。幼い頃のことですが、その時のことでたった一つだけ覚えていることがあります。こんな光景です。

 しっとりとした空気の中、家の前の、
 大きく繁った桑畑の間の道を、母の背に負われていった。
 本当に久しぶりに外気に触れた日なのでしょう。
 大きな葉の揺れる桑畑
 少し湿ったような澄んだ空気・ちょっとまぶしく感じる外の光景・・・

やっと体力の回復してきた子供を、外の空気に触れさせようと、日差しの緩んだ夕方にでも背負ってつれ出したのではないでしょうか。

  幼い日の感覚の奥底の光景がこんな桑畑なのです。

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 「かかあ天下」これは働き者で現金収入をもたらした群馬の女性の姿を現した言葉とか。
確かに、おばあちゃんたち働きものです。そのお金を使って男性は賭博などして遊びまわった(これじゃやくざみたいですね)なんてきいたこともありますが、どうなんでしょうね。

 養蚕は群馬県人の気質まで作ってきたのでしょうか。
 今、桑畑がなくなって、私たちの気質もかわるのでしょうか。

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繊細な絹、シルクの布は本当に美しい。でも仕事でささくれだった手では、糸をひっかけてしまいそう。シルクをまとうのは違った世界に住む人、しらうおのような手の人のような気もして、妙な気分でした。
 今、中国からっとても安くシルクが入ってきています。このシルクは、いったいどんな人たち、どんな女性たちの手を通ってつくられているのでしょうか。

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さわさわと揺れる桑畑、そんな光景が心の奥底の感覚を作っているのかなどと思う。
養蚕地帯で育った人には、そんな共通感覚があるのかもしれません。

今、近所に桑畑は見当たりません。隣にある畑との境に桑の株が2株ほどあって、春になるとすぐに育ってきます。放っておくと太くなって手に負えなくなるので、毎年下から切り取ります。
生命力の強さには感心しますが、邪魔者の気分でもあるのです。歌にある、桑畑を大切にする気持ちは、すっかり忘れ去られているのですが、それぞれの時代の心に想像っを巡らすことを忘れてはいけないと思います。


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