企画展は7月18日から始まっていたのですが、私は8月の暑さに負けて、
しかも2基。
灼熱の日
空に どこかで
演説会がある 石が
真夏の正午 音を立てて乾いている
人間には聞こえない声を
万物が
しーんと聴いている 高見 順
暑い・・暑い・・・ きっと人間が作り出した猛暑なのだろう。
詩人は暑さも、的確に表現してくれます。
春と秋をあまり感じられなくなってきていると思いませんか。
このままでは日本の情緒ある自然・四季がなくなってしまいそう。
雨の降り方も変わってきているようです・・・雨を表すたくさんの語彙がある日本語
でも苛烈な雨ばかりみていると、雨から感じる情緒も失ってしまいそう
雨を表す多くの言葉からは、生活の中で自然を良く見つめた人々のまなざしが伝わってくきます。 小雨 小糠雨 通り雨 村雨 時雨 五月雨 氷雨 慈雨 梅雨 霧雨
白雨 凍雨 秋霖・・・・・まだまだたくさんあります。
山道で、木からときおり落ちるしずくに少し濡れながら歩いていた時、これを
「樹雨きさめ」と呼ぶと教わったことがあります。ぬれるのはそれほどうれしくはなかったはずですが、一緒にいたみんな「いい言葉だねえ、感激!」と大喜び。
最近のゲリラ豪雨などは、情緒とは縁のない言葉でしょう。いえ、防災のためには役立つ言葉かもしれません。
真夏のオリオン座
数日前のこと、朝の4時過ぎに目が覚めました。
窓から外を見ると、太った三日月といった形の 月が見えました。そのすぐ近くに、やけに明るい星が見えます。何?
気づくと、よく知った形の星座が。何だと思いますか・・・オリオン座。そして明るい星はシリウス、少し離れてスバルも見えます。言わずと知れた「冬の星たち・星座たち」。
真夏にオリオン座を見ちゃった!!
えっ、夏にオリオン座見えるの??と思った方もいらっしゃることでしょう。
電気のない時代、陽が落ちれば夜は暗く、人々は月や星をよく見たのは想像に難くありません。おのずと月や星の動きはよく知っていたのでは。
学校で学ぶ星の日周運動や年周運動など、こうして夏のオリオン座を見たりしたら、理解も進むのでは。むづかしく見えてしまいがちな天体の動きも、こうした事実を見てから考えると、案外親しみが持てて、理解につながるかも。
ところで、昨年からオリオン座のベテルギウスが急に暗くなったと話題になっていました。超新星爆発を起こすのではないかなどと、話題沸騰。最近では、放出された塵が原因なのではという話が出ているようです。はるか遠くの星のこと、難しいとはいえ、それなり、調べることができるということにも、驚きを感じませんか。
マツバボタン
マツバボタン 改良品種かな? |
最近のような夏の暑さには夏バテしてしまう。でも、そんなことはものともせず、庭のそこらにいつの間にかはえ、いっぱいの花をつけていたマツバボタン。日差しに負けない真夏の花。たっぷり光が当たらないと生きていけない植物。
昔、農家の庭先には、あちこちで咲いていた記憶があります。
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作家・灰谷健次郎さんの随筆に
マツバボタンが登場していました。
(児童文学者。2006年逝去。内容の一部を紹介します)
麻里子ちゃん、筋肉マヒが進行してその表情すら読み取れない子…
道を歩くにもはげしい踊りを踊っているように歩かなくてはならない。
マツバボタンのこんな性質、知りませんでした。午前中,雄しべは触れた方向に向かって動くのです。やってきた虫に花粉をくっつけるために。午後になると、雄しべは自分から真ん中にある雌しべに近づき自分の花の雌しべに花粉をくっつけます。もし虫が来なくても、何とか種子を作ろうということなのです。なるほど、あんなに咲き誇っていた花も、午後、早々と花をしぼませていました。
草におおわれると育てなくなってしまうので、この花が咲いていたというのは、どなたかが目をかけて世話をしていたということなのでしょうか。
最近は八重咲のマツバボタンが広まって、雌しべも雄しべも、よくわからないかも。性質もいろいろ変わっているかも。
園芸用の様々な花が広まり、「あちこちにマツバボタン」という光景はなくなりました。
庭の花にも流行があります。最近は似ているけれどちょっと違う花が植えられています。ポーチュラカと呼ばれます。一昨年は植えていたけれど、今年は植えていないなあ。そういえば、これも雄しべが動くのか、やってみたことなかったなあ。じりじりとした暑さのなか、咲いている花を探しに行く気にもなれず、写真なしで。すみません。
何でも興味を持って、ちょっとやってみる、こんな姿勢が若さを保つ秘訣かもしれないですね。
いつもいつもコロナと雨・水害の話になってしまうので、夏の点描を書いてみました。
感染症にかかった時のことに触れて、思い出を書いたことがありました。以前に紹介しました。それは桑畑の思い出とつながっていたそんな遠い記憶。あらためて紹介しようかな、と。25年も前の秋・9月のものです。季節が1か月以上先の内容になりますが・・・
桑 畑
青空が見えてきました。トンボがたくさん飛んでいます。
秋が顔をのぞかせて、酷暑の終わったことを告げてくれます。
うれしものです。
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9月上旬は晩秋蚕の季節。年3回の蚕のはきたての最後のものです。
でも、いったい、今、何軒の農家がお蚕を飼っているでしょう・・・
そこで役場に聞いてみました・・・玉村で18軒。 (注 1995年です。今はゼロでしょう)
そんなわけで桑畑は本当に少なくなりました。
近所に放置された桑畑があります。アメリカシロヒトリ(毛虫)にすっかり丸坊主にされ、草が生いしげり、みじめな姿を見せています。
養蚕地帯だったこの地域もすっかり変わってしまいました。
1、桑畑の繁る葉は 3、桑畑葉は握りこぶし
亡き母の背に負われ ふり上げて並び立ち
苗植えた昔から 畑守るこの私と
飛ぶ鳥さえなじんでたが めぐむ春を求め歌う
2、桑畑は今荒れて 4、春になったら枝を刈り
爆音はわら屋根に かおる葉をかごにつもう
避けるほどたたきつけ むくどりも高く舞い
桑畑は吹きさらし この喜び告げてくれ
桑をかごにつんだのはそんなに昔のことではありません。
玉村にはそうして働いてきた人がたくさんいます。
それぞれたくさんの思いを持っていらっしゃるのでしょうね。
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40年近く前(今からなら60年ほど前)といえば、まだ伝染病がはやるような時代でした。
遊んでいた近所の子は伝染病で死に、私も重い病状でした。幼い頃のことですが、その時のことでたった一つだけ覚えていることがあります。こんな光景です。
やっと体力の回復してきた子供を、外の空気に触れさせようと、日差しの緩んだ夕方にでも背負ってつれ出したのではないでしょうか。
幼い日の感覚の奥底の光景がこんな桑畑なのです。
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「かかあ天下」これは働き者で現金収入をもたらした群馬の女性の姿を現した言葉とか。
確かに、おばあちゃんたち働きものです。そのお金を使って男性は賭博などして遊びまわった(これじゃやくざみたいですね)なんてきいたこともありますが、どうなんでしょうね。
養蚕は群馬県人の気質まで作ってきたのでしょうか。
今、桑畑がなくなって、私たちの気質もかわるのでしょうか。
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繊細な絹、シルクの布は本当に美しい。でも仕事でささくれだった手では、糸をひっかけてしまいそう。シルクをまとうのは違った世界に住む人、しらうおのような手の人のような気もして、妙な気分でした。
今、中国からっとても安くシルクが入ってきています。このシルクは、いったいどんな人たち、どんな女性たちの手を通ってつくられているのでしょうか。
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さわさわと揺れる桑畑、そんな光景が心の奥底の感覚を作っているのかなどと思う。
養蚕地帯で育った人には、そんな共通感覚があるのかもしれません。
今、近所に桑畑は見当たりません。隣にある畑との境に桑の株が2株ほどあって、春になるとすぐに育ってきます。放っておくと太くなって手に負えなくなるので、毎年下から切り取ります。
生命力の強さには感心しますが、邪魔者の気分でもあるのです。歌にある、桑畑を大切にする気持ちは、すっかり忘れ去られているのですが、それぞれの時代の心に想像っを巡らすことを忘れてはいけないと思います。