コロナウイルス蔓延でたいへんのですが、暑いので、お天気の話を少し。
数日前でしたが、空いっぱいに虹がかかりました。
明け方に上がった雨に朝日が差し、西の空いっぱいの虹。
てっぺんから地面近くまでしっかりとアーチを描いて。
夕立のあとに見ることもありましたが、これは東の空にかかります。西の空の虹ってあまり見てないなア。
虹に願いをかけたら、いいことあるかな。
わずかの時間で消えていった虹でした。
大きすぎて写真に全部おさまらなかったのが残念でした。
8月は真夏なのに梅雨時のような長雨が続きました。
最近の雨の降り方は、”豪雨”という雰囲気が多く、情緒を感じる間がありません。
今年も西日本は大雨による災害が発生しています。いえ、日本列島のもっと北の方まで大雨です。
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広重の版画 |
ずっと以前、雨の中を着物姿の女性が小走りで駆け込んで行くような情景だったか、そんなテレビコマーシャルがありました。他にもいくつか雨の情景があったと思います。まるで広重の版画を見るような情緒あふれる雰囲気で心に残りました。
四季折々の自然の味わいのある日本では、雨にもたくさんの名前を付け、それぞれを味わってきました。
雨の呼び名、たくさんあるといいますが、一体いくつ思い浮かぶか…わずかしか浮かばないわが身が悲しい。
時雨 小糠雨 小雨 菜種梅雨 五月雨
穀雨 白雨 氷雨 ・・・
今どきはネットで調べるとたくさんの名前が出てきます。わあ~、こんなに細やかに雨を味わっていたんだ。
それなのに、最近は雨が災害の元になっていて、線状降水帯、集中豪雨、ゲリラ豪雨といった言葉ばかり。
そういえば、春と夏も時期がわずかになってきて、そのうち夏と冬だけになってしまうのではと、心配になってきます。
地球温暖化で気候が変わってきたことは確定、と科学者が言っています。
群馬は養蚕が盛んで、蚕の飼育のため温度管理には気を遣っていました。ぶら下げた棒状温度計をいつも見ていたのです。今80歳代の方が言っていました。「私たちはいつも温度計を見ていたけれど、こんな35℃なんていうことはなかった。30℃超えたら、暑い暑いと言っていたのに」。 厚い藁ぶきの屋根は断熱効果があって、夏に家に入るとひんやりしたものです。冬には、私が子供の頃、つららが下がったものです。今はつららなんてありません。
植物の育ち方も違います。冬に咲く日本スイセンの仲間は、藁で覆いをしなければ、花の茎が折れてしまい、お正月に飾る花に使えませんでした。今は、野外で普通に咲いています。
今年の雑草の育ち方は、もう、大変。家の周りはすぐに草の山。
「うちは畑があるから、大変」知り合いが言っていました。雑草退治が、もう、やってられないほど、と。「特に去年からたいへんだよね」。
私も、朝はこの草たちと格闘です。毎年「雑草には負ける」と思っていましたが、今年は特にその気持ちを強く感じています・・・もういいや、とは思うのですが・・・
今年は高温で雨がふって、草の育つ条件がそろっていますね。
田んぼのある道を通ると稲穂が揺れ、ほっとする光景が広がります。
でも、こうなっているのは、誰かが手入れしているから。
道ばたの畔もきれい。農作業を知らない方は、これをあたり前と思うでしょう。でも、これは誰かが暑い中、草刈りをしてくれたおかげです。
「誰か」って、田んぼの持ち主です。
時たま、稲と雑草が混じった田んぼを見かけます。
田植えまでは共同作業で何とか出来ても、そのあとの管理ができないのでしょう。田んぼは持っているけれど、
暑い中の作業まではできないのでしょう。
右の写真、道端の草が、茶色く枯れています。除草剤をまいたから。
この田んぼは稲が植わっておらず、田んぼの世話をする人がいないわけです。もし田んぼを放置すれば、草が背丈高くおおい、数年すればやがてガマがはえ、ヤナギが育ってきます。以前、近所でそんな田んぼを見たことがあります。今は田に戻っています、何か手立てを講じたのでしょう。
ですから、そこまで行かないように、それなり何とかやっているわけでしょう。
道は車も通るし、いつまでも生い茂らせておくわけにもいかず、とりあえず除草剤で枯らしたわけでしょう。
かつては少しでも田んぼを増やそうとしてきたわけですが、今、相続した子供たちには、お金にもならず、面倒を見なければならないのが重荷になってしまっているわけです。
「農業は無償で国土保全をになっている」と言っていた人がいました。なるほど。もしこうした手入れをする人がいなければ、地域はあっという間に草に埋もれます。
原発事故のあった福島を見ればわかります。立ち入り禁止となった地域が草木に埋もれ、家が朽ちていく様子があります。
汚染地域にあった飯館村は、「日本で最も美しい村」連合に加盟して、熱心に農業もやっていた村です。その努力が無にされかねない事態に、その場所で頑張ってきた人達は、どんな思いを抱いたことでしょう。
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夏なので、それほど高くない山で見られる花を少し紹介しましょう。今年はコロナで出かけることもあまりないですね。写真は、8月撮影ですが、今年のでないのが多いです。
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ハナイカダが実をつけています |
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夏にはやっぱり、ヤマユリですね
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モウセンゴケ |
この花、何でしょう。
わかる人は花に詳しい人かも。私、草の中からこの花が見えた時、何だろうと、思わずちょっと引っ張ってしまいました。そうしたら、下にはなんと、モウセンゴケの葉っぱが。
写真がぼけていてすみません。
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ウメバチソウ かわいくていいなあ |
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イヌタヌキモ 食虫植物で、何やら丸っこいものがついていますが これが捕虫袋です。減少している植物です。 水辺の植物は埋め立て等が進んで 減少したものが多いですね |
キノコは秋と思っている人、いませんか。実はキノコの見られるのは、秋ばかりではありません。ちょっと目を向けてみたらいかが。 こんなキノコもありました。右のは、いくつもの株が大きな輪を描いてならんではえていました。
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ところで、世はコロナウイルスのまん延で、大変。
ウイルスの手ごわさ、すぐに変身して、今は感染力を増して、コロナ感染が広がっている。それなのに自宅療養という名の自宅放置・医療放棄が急増。
対策が後手後手で専門家の言うことを聞こうともしないのは、これって、政治の責任、行政の失敗だろうに。
さらに加えて、暑い! 雨ばかりが続いていたと思ったら、今度はまた暑さがぶり返している。この酷暑のなか、工事等で野外で働く人を見ると、頭がさがる。
相変わらず、毎日テレビニュースなどを見て情報を得る時間が続く・・・世界を見れば災害や戦災で難民となる人々が大量に生まれている報道には胸が痛む。満足に寝起きする場所もないとは、耐えられない苦しみだろう。
科学技術の進歩で、過酷な労働が減り、食料も物資も豊かになると思ったのに・・・21世紀がはじまったとき、人々はこれからの時代に、豊かで穏やかな日々を夢見て、あれこれ期待を語っていたのだけれど・・
世界の若者の間に、気候変動への問題視と行動が広がっているとのこと。私たち戦後世代は、地球の資源を食いつぶしてさんざん贅沢をし、ゴミを散らかし放題で逃げ切ったなどと言われかねない。
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こんな調子で、家で文句を言っているだけではだめなのですが・・・
私の少し下の世代は、今の生活が当たり前だと思っているのでは。蛇口からは飲める水が出る、スイッチを押せば明かりがつき、ご飯は炊きあがり、お風呂は温かいお湯が満たされる。暑ければクーラーを入れ、冷蔵庫にはいつでも食べ物がたっぷり。なくなればちょっと買いに行けばいい。遠く離れてもいつでも電話で話せ、いえ、今は映像付きでも話ができる。その他まだいろいろ・・・インスタントラーメン、保温のポット・電子レンジ、扇風機・その他その他・・・、こんなの昔からあった?
私が物心ついた頃、この中のいくつがあっただろうか。
実はほとんどありませんでした。登場したころを知っているのです。
以前子供たちの理科の勉強の時、こんなことをクイズにしたものです。子供たち、びっくりしていたものです。
蛍光灯なんて、はじめて買った時「明るいなア」と思ったのを覚えているのですが、それが既になくなろうとしている。製造されなくなっているでしょう。もちろん、白熱電球も。
ずいぶん豊かになった、と思ったら、無料や格安で利用できる子ども食堂が全国にできたり、今では学生から大人まで、無料食糧配布がある。住まいを失った人もたくさんいて、への援助を行っているグループもある。すっかり格差社会になってしまった。
1950年代から後あたりを、「人新世」と名付けようという話が持ち上がっていますが、そんな時代を生きてきたんだな、と、実感を持って感じます。どうしてこの年代かというと、もちろん人間活動の急速な拡大がありますが、核実験で放射性物物質が地層中に入り込み、はっきり区別しやすいから、ということもあるようです。
ちょっと長くなったので、こんな話はまた後で。
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