2017年1月28日土曜日

堀のある環濠屋敷

部屋の中で咲かせました
 春を少し先取り


寒い日が続きました。
   少し春めいた話題を
ハクモクレンの花
ハクモクレンの枝を12月に切り取りました。光の差し込む暖かい家の中に置いておくと、早々と白い花を見せてくれます。3月に咲く花ですが。

外ではまだつぼみ。
花芽はふんわりしたコートに包まれて、寒さから守られています。
ハクモクレンの花のつぼみ
このコートがはらりと落ちて、白い花びらが現れます。

寒い玄関に置いたものは花弁がクタッとなってしまいました。
今年は寒かったんだ。

 白い花に誘われてつい苗を買い、後悔するのがこの木。
すぐ大きくなります。公園じゃあるまいし、庭に植えるスペースなんてない。しかも、春先の霜にあたり、花が茶色く変色することもしばしば。
北を向くつぼみ
 そんなわけで毎年せっせと枝を切り、そのまま捨てるだけではかわいそうなので、その一部を家の中でバケツに入れておくというわけです。
 農家の敷地にのびのびと育った大きな木が、一面に花に覆われていた時、写真を撮ったことがあります。とても素敵。でも見つからない。
削除しちゃったかな。

 この植物、コンパスプラントと呼ばれます。コンパスとは、円を描くコンパスではなくて、方角を示す方位磁針のコンパス。
花が開く前、つぼみが一斉に北を向くのです!!
3月になって、思いだしたら、見てみませんか。
 どうして北を?植物の芽は光の方を向きますが、これは逆ですね。これは、えーっと・・・調べたことあった気がするのですけど・・
          ・・・今日のところは説明をパス・・・
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寒さに負けて、家の中でぬくぬくと(幸せな身分ですね)
   そればかりではと思い、外でみられるものの紹介を。

 
 環濠屋敷(かんごうやしき)

 下の写真は玉村にある農家の家のたたずまいです。
お米をつくりたくさんの蚕を育て、本当によく働いた農家だったようです。80歳を過ぎるおばあちゃんは、今でも畑の世話をし、敷地内の庭もきれいに手入れされています。
「私なんか体を使うしか能がないから」などとおっしゃりながら、とても優しく穏やかに話をされ、上品な雰囲気。作った野菜は、さすがプロの出来ばえで、みんなに分けてあげています

 このお屋敷をよく見ると、周囲に堀がめぐらされています。1辺50mほどの堀。四角く周囲をめぐっています。お堀のあるのはお城ばかりじゃなかったわけです。
  こういった屋敷を環濠屋敷と呼ぶそうです。
大きな農家の屋敷です
家の東側には池と堀があります。
堀の名残でしょうか

 子供のころ、田植えの田んぼから見える大きな家の周りに堀があったような気がします。
キショウブのすっきりとした黄色い花と、柳(?)の小さな茂みと、水の流れる用水掘が、一緒に脳裏に浮かびます。ですから、家の周りの堀というものは、ごく普通のものに感じていました。
 でも、違いました。
  
 玉村町の文化センターの一角に歴史資料館があります。昨年の企画展が「環濠屋敷と城館」。
玉村には堀を巡らせた屋敷がたくさんあったようで、発掘時にその遺構が見つかるそうです。たくさん集まったところは、環濠集落。群馬では前橋南部、高崎東部、伊勢崎にたくさん見つかるそうです。玉村って、これらの地域の真ん中にあります。

屋敷の西側の堀
今は干上がっていますが、夏には水が入ります
でもどうしてこんな堀を作ったの?・・・よくわからない・・古来、集落を守るため堀は作られてきたけど・・・灌漑?区割りのため?・・・玉村のものは中世から始まるとか。
中世って、いつからだっけ?と思ってしまう程度の知識なのですが、平安時代が終わってからですよね。玉村は13世紀とか14世紀から見つかり始めるとか。よくまあ、今まで続いているなあ。このお屋敷のように、人に住み継がれている場所は、めったにない話なのでは。そういえばお住まいの方は魚も好きそうで、高級そうな金魚もずっと飼っていらっしゃる。鯉もいるし。
裏手近くの堀は、さすがに手がまわりきらないようで
草や木が茂っています。


バブルのころ、宅地開発が進み、こうした堀も、ずいぶん無くなったと思います。



北西部分、北側の堀への曲がり角です

歴史館の企画展では、写真や図をたくさん載せた資料を無料配布していて、こうしたことに興味を持つ人には、とてもうれしいことだったようです。

ちょっとした溝やくぼみ、土塁にも、あれこれ歴史を感じる人達っているのですね。あちこち回っては、ネットに公開しているページが見つかります。
そういえば、タモリさんもちょっとした坂とか、でっぱりとか、大好きですよね。テレビ番組のブラタモリは、人々に、知的好奇心の楽しさを知らせてくれています。

我が家のすぐ近くで、中世の大きな屋敷跡が発掘されていて、見に行ったことがあります。立派な堀で囲われていてたなあ。「やげん堀」と説明されましたが、v字型(?)にほった堀で、あれって、守るための堀ですよね。
ほとんど平らなこの地でも、たくさんの人が工夫しながら暮らした生活跡が、古墳時代から連綿と続いて見つかるのですから、びっくり。知らなかったなあ。苦労して今を築いてくれたご先祖様に、感謝です


 ところで、この堀、昔はたくさん魚がすんでいたのだそうです。用水路とつながっていて、その用水路は利根川につながっていますから。
ウナギについてのアンケートがあって、お話をお聞きしたことがあります。今80歳代でこの家にずっとお住まいのおばあちゃん、昭和20年代から30年代のことを語ってくれました。

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昔、ウナギはいました。
大きな農家に嫁ぎましたが、その家のまわりには堀が巡らされていました。その堀は今でもあり、水がたまっています。堀にはナマズや小魚がいて、ウナギもいました。時折(時期は決まっていた?)近所の人と堀さらいをし、その時つかまえたウナギは新町(高崎線新町駅のある所)の料理屋に持って行って売り、帰りに酒を買い(ウナギを売ったお金を使っていると思う)、みんなでいっぱいやっていました。他の魚は火であぶってから煮付けて食べました。
農薬を使うようになって、魚はあっという間にいなくなりました。
(農薬で、田んぼの用水堀にたくさんの魚が浮き上がっていたのは、私が子供の頃、昭和30年代だと思います)

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堀からウナギの話になりました。
話がずれてきましたが、ちょっと紹介。

長年どこで生まれるのかわからなかった謎の魚・・・最近、産卵場所が見つかりました。マリアナ諸島の西方海域。(グアムやサイパンはマリアナ諸島)
あまりにたくさん食べてしまって、絶滅危惧種になってしまった・・
   堀にウナギが住めるようになれたらなあ~

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群馬県玉村町で昔から魚を捕っていた70歳代の人からも、数年前、お話聞きました。投網も得意で、数年前までは川で魚捕りをしていました。

 ・ウナギは川、小川、農業用水路(ただし、コンクリートU字溝でなかったところ)、田んぼにいました。利根川、烏川、およびそこに注ぐ小河川、用水路には、数は少ないですが、いまでも見られます。藤川、滝川、井野川(高崎市)

 ・昭和30年代~平成20年代まで、すべてウナギはいました。ウナギを捕って川魚料理店へ売りました。館林方面はナマズ料理など川魚料理が名産となっているので、そちら方面の店で需要があったので
    二十数年前(?数字はかなりアバウト)頃には、4月~10月まで、毎日のようにとれた。
だんだんとれなくなってきて、数年前では一週間に1~2匹といった程度。

・かつて田んぼの水路は土だったが、いまではコンクリートU字溝。コンクリート3面張は管理は楽になったが、生き物はいなくなった。
農薬が使われるようになった時から、ホタルなどいなくなった。
・モクズガニ・・いまでも少しはみられるが、昔は田んぼにもいた
・小さいエビ・・ヌカエビかな、いました・・40年とか昔の話

年配の方に聞くと、いろいろな思い出がありそうです。

寅さんの映画で、出てくる例が思い浮かびます。太地喜和子がマドンナ役での宇野重吉の画家が「ウナギ食ってきた」といってひんしゅくを買う場面…この映画、よかったなあ。
  同様に寅さん映画で、病の人にウナギを釣ってくる場面など思い浮かびます。庶民にとって、ウナギとは、そんなものだったと思います。

 大切にして、絶滅危惧種から早く脱してほしいです。
 
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前回、あまりに見えにくい図だったので、山の写真を載せます。おととい、たまたまよく晴れてたので。  みんな、育ったところの山の光景がいい、というようですよ。

自分の家から見える赤城山の姿がいちばんきれいだ、と言う人が多いとか。

 

 右方向に男体山があるのですが、写ってなかった・・・
 赤城山の右に映っているのは、袈裟丸山など。皇海山や日光白根も見えているといわれましたが・・     皆さんのふるさとの山は、何でしょうか。

2017年1月20日金曜日

ふるさとの景色・山々の姿

北風季節です

冬___はるか遠くをながめると、山々が美しい。
  夏の間は大気中のたっぷりとした水蒸気によって隠されていた山々が、今、
  その姿を存分に見せてくれます。 


私の町から見える山 ーー 冬になるとクッキリと青い姿を見せる山々。
  グルッと見渡すと、周囲2/3くらいは山々が見えます。遠く青く連なる山々。

利根川と赤城山  この日はすっきりとした晴れでなく、少しかすんでいますが・・
もっときれいに見える時に、撮りためねば・・・

利根川を前面にすそ野を広げた赤城山には、ふるさとの山というにふさわしい貫禄があります。

西の空、浅間山はいつも真っ白、端正な姿で美しい。
真っ赤な夕焼けに浮かぶ山々を、学校帰り思わず自転車をとめて眺めたことを思い出します。空気の冷たさまでよみがえってきます。


上毛三山(赤城・榛名・妙義)はそれぞれ美しく、はるかに白銀に輝く山々は山好きの人たちなら、一度は登ってみたい著名な山々です。遠い山並みを美しいと思います。

絵 小林生子さん

  ”ふるさとの山”という言葉があります。      
    啄木はこうあらわしました。

      ふるさとの山に向かひて
      言ふことなし
     ふるさとの山はありがたきかな

彼はふるさとでは暖かく迎え入れられていなかったと聞きます。それでもこの詩をうたうわけです。


                                                                           前橋の誇る詩人、萩原朔太郎も書いています。

                                                                 帰郷  わが故郷に帰れる日
       汽車は烈風の中を突きいけり
       一人車窓に目醒むれば
       汽笛は闇に吠え叫び
             火焔は平野を明るくせり
       まだ上州の山は見えずや
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 ずっと以前のこととなってしまい、すでに鬼籍に入られた方となってしまいましたが、評論家の俵萌子さんのお話を聞く機会がありました。
萌子さんのお父様は群馬で生まれ育ち大阪(?)で働いていました。そのお父さんがよく言っていたそうです。
「ああ、赤城山の見えるところに行きたいな。(”赤城山の見えるところで死にたい”だったかもしれません)」。
 父から赤城山へのあこがれの思いを受け継ぎ、萌子さんは自分の力で赤城山の見える所に家を建てたいと思うようになったといいます。赤城山の見えるところという条件で熱心に探したそうです。そして、山の見えるところではなく、その山のふもとに家を建てました。そしてこういうのです。
「高崎駅に列車が止まった時、そこをただ通り過ぎるだけでなく、降りてみたいと思えるな、そんな文化の香る場所にこの地をしようではありませんか。そのために私も力を尽くしたいと思います。」
 お父さんには赤城山に重ねて、多くの大切なものをはぐくんだ故郷があったのでしょう。それを全部ひっくるめて赤城山が代表してくれたのでしょう。
そして父の心に焼き付いた赤城山の姿はその娘に引き継がれ、そこの文化に尽くしたいという心まで育てたのです。
山の図が小さかったですね・・・名前、間違ってないか・・難しい・・


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日本を代表する山,富士山の姿は、多くの人の心にとどまるものでしょう。これも少し古いものですが、そんなことを感じた一文も紹介します。

 心臓病に苦しむ筑波大学2年生のその青年は、教授に「故郷の静岡へ戻ります」と告げ、学業半ばで富士山ろくの町へ帰っていた。
 「先生、僕はこのごろしきりに富士山の夢を見るのです。心が安らぐようで、これからはずっと富士山の見える街で暮らしたい」
帰省してほどなく青年は成功の見込みに乏しい手術を受け、再び目覚めることはなかった。
 「子供の時から眺めて育った富士山の景色が、生きようという心の支えになっていることを、手術を直前にして彼は初めて強く意識したというのです。この弱い自分を、意識の根っこのところで支えていたのが富士山だったことに気づき、感謝し、短い人生を永遠の価値として残る富士山に重ねることによって、自分はここまで生き続けることができた、と彼の手紙に記されていました。」
 青年の相談相手だった教授は、それぞれの人の心に生きる原風景が、魂をどれだけ勇気づけ、安らぎを与えうるものなのかを、痛感させられたという。

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景観はこんなにも人の心に多くを与えるものなのでしょうか。
遠くの山を見ると、凝り固まった心がふっと溶けて広い視野が開けるかもしれません。

東京で生まれ育って、今は前橋に住んでいる方が言っていました。「群馬は空が広い」。
ああ、そうなのか。なるほどな。大きなビルをはじめ、建物にびっしり覆われた場所では、空は四角に切り取られた光景になるのでしょう。それぞれなのだなあ。

ふるさと というと、ふるさとの歌が思い浮かびます。
  「うさぎ追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川」 ・・・ 「山は青き故郷 水は清き故郷」  
本当は、ふるさとは人それぞれ、路地のわきの植木鉢の並びだったり、近所の人との会話だったりするかもしれません。大きなマンションに暮らせば、またちがったものでしょう。

 みなさんのそれぞれのふるさとの景色、大切にしてください。


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居間のガラスに、ドタッと音が。パッと見ると、鳥が飛んでいく。
ガラスには、なんと、鳥の翼の跡!!  広げた翼は約50㎝。
左上にも広げた翼の一部が


この鳥、大丈夫だったんだろうか。                     
鳥がガラスに衝突する事故の話は聞きますが、実際にそのあとを見たのは初めて。

事故のないこと、願います。

ところで、この白い粉,何なんだろうか? 説明してくださる人、いませんか。



鳥の衝突事故・バードストライクは、近年、話題になることもふえたのでは。
飛行機にぶつかるのは重大事故につながるので、対策も必死。
風力発電所での事故も、何とか減らそうということで、話題になります。渡り鳥の渡りのルート上に風車が設置されると、多くの鳥が犠牲になることから、設置業者が自然保護団体に問い合わせをする例もでてきていると聞いたことがあります。数が少なく貴重な鳥が風車に巻き込まれてしまう例もみられるようです。
都会のガラス張りのビルは、どうなのかなあ。  
自然界にはなかったものが次々できると、思いもよらない影響が出てくるものです。








拡大した様子です。 




 

 
 
 

2017年1月8日日曜日

新年のご挨拶

2017年が始まりました。

 それぞれの新しい年。 テレビで見る難民の姿を、砲弾の飛び交う地での緊迫した表情を、「この人たちと同じ空気を呼吸している」と、しかし「今この同じ時に」と、現実というのが信じられない思いでもありました。

私の世代にはよく知られたギターの名曲「禁じられた遊び」、それは映画の中の曲ですが、ずいぶん昔に見たその映画のなか、歩み続ける避難民の列の姿が、歴史の中から再び浮かび上がってくるような錯覚を覚えます・・・・生まれた場所の違いで、これほどまでに違う人生を歩まねばならないとは・・いつまでも他人事と思っていてはいけないはず。

 こちらでは暖かく穏やかな日差しの新年でした。
早咲きの梅がちらほら。花の近くに寄れば梅の香も。
この梅は12月末の冬至のころに咲く年もあり、「冬至梅」と呼ばれます。今年は1月7日に花を見ました。
早咲きの紅梅は、すでにたくさんの花。

 霜の当たらないところでは
水仙もサザンカも、ヤブツバキも花をつけていますが、やはり
新年には梅が似合いますね。





の便り、いつから書き始めたのだっけと見たら、2013年9月からでした。
下仁田がジオパークになったということで、地質の勉強をしたことのない地元の方々が解説したりする時、少しでもお役に立てたらと、始めたものでした。
 回数も重ねたので、最近は下仁田とはかかわりのない所の内容も増えました。実際に野外に出かけたり調べたりしないと、なかなか書けないものなのですが、それほど下仁田地域を歩くこともできない・・・ということで、これからは、あれこれの場所、あれこれの話題を書こうかと。
 というわけで、題目も、「下仁田ジオパーク地学講座」ではなくて、「野道 山道」にしてみました。
 書く回数も減るかもしれませんが、お伝えすることをたくさん見つけたい、と思います。大地の話をなるべく多くして。何といっても、自然はゆたかです。
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 たまたま目にした新聞記事で、中学生の言葉が載っていました。
目をパッチリ開き、わくわくした思いをいだく少女の、こういった柔らかな感性、文化を紡いでくれた先人への感謝の気持ち、いいなあ。  以下にこの子の言葉をのせます。

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”不思議いっぱい”

「何でも考えてみると不思議なことばかりだと思いました。何気なく学んでいるけど、それを考えついた人って、すごい努力をしたり、すごく大変だったのではないかと思いました。感謝感謝」

「考えてみれば学校の勉強ってこんな不思議なことをたくさん勉強するってことなんだよなあ。
世の中の不思議なこと、昔の人たちが頭を悩ませて、考えて、考えて、見つけ出した不思議をたくさん集めて学校で教えてるってことなんだ。人類の文化遺産をぐーっと凝縮して、コンパクトにそのエキスを教えているのが学校だと思うなあ」

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 たった1日の授業からでも、数学の式の、複雑に見えたものをシンプルに表現する美しさに驚き、消化の学習からいろいろなものが自分の体に入っている、人の体ってすごい、不思議、と感じ、それを日記に書いたりしているのです。その感性に、こちらこそわくわくします。しばらく忘れていた楽しさです。

 学校の勉強というと、無味乾燥だったり、テストに追われたり、そんな話ばかりが伝わってきます。でも、本当はこの中学生が感じとったもののはず。大人たちは、そのための手助けをしなくては。
 以前、あまり学習成績の芳しくない子に聞いたことがあります。
「小学校からの勉強で、できなかったことが何かできたとき、わかったとき ”わあ~、うれしい” と思ったことない?」
 即座に 「ない」。
うれしかった、楽しかった経験を積んで、人は成長するものでしょう。大人でも、子供でも。これこそ財産。子供は特にその影響が大きいでしょう。誰でも、お金をかけることもなく、そうした財産を増やすことのお手伝いをできるかもしれない。。

 ですが、お金はいらないといっているわけではありません。
昨年末、「給付型奨学金を始める。年額70億円程度」という報道を聞いて、えーっと・・・
給付型とは返済しなくていい奨学金のこと。今は、奨学金とは名ばかりで、利子の付く、実質は教育ローンが多い時代です。「奨学金」の言葉に騙され、数百万円にものぼる多額の借金を背負い、卒業後の返済ができず(正規雇用になれない子も多い)、窮地に陥っている若者が多数出ている・・・・(ローンとよべば、借りることにも、もう少し警戒するのに)。授業料だって、かつてと比べたら、ものすごく高額ですよね・・・豊かな国になったはずなのに・・


 億単位の金については、額が多すぎてイメージがわかなかったのですが、昨年、八ッ場ダム工事で720億円増額がいとも簡単に決まったのを聞いて、
  「必要とも思えないコンクリートの塊に720億円、将来を作る教育に70億円!!?」
と思ったものでした。
もう少し詳しいのを見たら、18年度で72億円の予算(初年度は1学年での実施)、4年制大学全体にいきわたるのが21年度で220億円の予定とか。その予算も、教育関連とかから削って捻出するような話もあるような・・・・はて、どうなっていくのか・・とにかく、教育に対する政府の公的支援は世界的には最低水準、教育費は個人が負担するもので、社会が負担するものとはあまりみなされていない国なのです。無料の国もあるのに・・・これじゃ感謝の気持ちもわきませんね。
一方で、初等教育も受けられない子供たちが世界にたくさんいる・・・

 お金の使い方、大事ですよね・・・



   庭に来る鳥 鶏ではないけれど  今年は酉年


正月前に買い込んだみかんの箱を開けたら、いくつも傷んでいる・・・1週間も開けずにおいたのが悪かった。
とてもおいしいミカンで、悔しい!

取り除いたミカンは・・
    そうだ,鳥にあげよう
庭に放り出していたら、2日ほどしたとき、たくさんの鳥が目の前に。
地味で声も美声とはいいがたく、人気もどうかという鳥・ヒヨドリが群がっている。50羽はくだらないと思う。
これだけいると、ちょっと目を引きます。
ミカンはあっという間になくなりました。

昨日はオナガが10羽以上。
かわいい小鳥のジョウビタキも毎年やってきています。先日はメジロが2羽。
少し前にはアオゲラも。めったにみないけど。コゲラもアカゲラも見たことあり。
最後の3つ、これみんなキツツキの仲間。

写真もなくて名前を並べても、ばかばかしいだけですよね。ごめんなさい。

でも、皆さん、身近な場所で、ちょっと自然を楽しんでみませんか
「心が癒される」ということば、最近よく聞く言葉です。癒されます。