2013年11月24日日曜日

岩石⑧  泥や砂・礫からできた岩石  その2

<泥や砂からできた石 >   説明の続き

野外での肉眼鑑定は、目でみたり、触ったり,音を聞いたり(ハンマーでたたいたときの感覚)、それこそ感性を総動員です。
左の写真は薄く剥がれるように割れる泥質岩(下仁田のものではありませんが)で、割れる面に沿って化石が”ペタンコ”になって入っています。圧力を受けたんだなあ,と感じます。こんな石はスレート(粘板岩)でしょうか。

割ったばかりの泥質の石は黒光りしていたりしますが、その石も、割れ目・はがれた面はしばしば茶褐色や灰白色になっています(下の写真)。水や空気にさらされた風化作用によるもので、もっと風化すると,岩石全体が黄土色になったりもします。茶色は鉄成分の酸化でしょう。白っぽいのは・・・わかりません・・・












左のような石は,”普通”の泥岩。よく見ると、右端に貝の化石が入っています。
では右の石は,といわれると、慣れた人でないと、だんだん答えにくくなってきます。野外での産状も重要になるでしょう。
 



砂からできた石はごく普通に、「砂岩」。
何の不思議もない話ですが,でも考えるとちょっと不思議と思いませんか。
 砂や小石がどうしてバラバラにならずに石になるの?
 海岸の砂はさらさらとして固まりません。

 ・・・・「いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあいだより落つ  啄木 」

その砂が硬い岩になる・・・・・これは続成作用のおかげ。

強く押しただけでは砂や小石は固まらないように思えます・・・
地下水に成分が溶けたり、水に含まれた成分が再結晶したり、といったさまざまな作用がおこり、長い間には、砂粒の間には「のり」のようなものができたりするとのことですが、目で見ただけではわからないですね。糊にあたるのは、炭酸カルシウム、水酸化鉄などとのことです。低い温度、ふつう200℃以下の温度での変化をいいます。それ以上高温になると、続成作用ではなく、変成作用とよばれます。

左上は砂岩。
「そんなこといちいち説明されなくてもわかるよ」といわれそうです。
でも、粒子に火山噴出物がたくさん入っていると、「凝灰質砂岩」とよばれたり、それぞれ少しづつ違った顔つきになったりもします。

ところで、泥質岩が高い温度にさらされると、ホルンフェルスという石になります。やけどした石というわけです。 
下仁田でも、川井山石英閃緑岩のまわりに出てきます。石英閃緑岩でやけどしたのでしょう。
泥質岩の変身の一つですが、私にはきっと,肉眼で見てもよくわからない・・と思っています・・・
岩石分類では変成岩の一種になります。高熱をうけて新しい鉱物が生じているはずです。
泥質岩でなくても、やけどして変質した石はホルンフェルスというらしいのですが、これもよくわかりませんので、詳しい方、教えて下さい。
                                                              

下仁田で見られる砂・泥の地層  どこで見られるの?>


あらためて、下仁田でみられる岩石の分布図をのせます。下仁田自然学校作成の「かぶら川の石図鑑」からです黄色い部分が泥や砂,礫の見られるところです。左下が古くて,右上が新しい地層になります。(真ん中が縦に白くボケているのは,冊子のコピーそのままなので,ページの真ん中です。見苦しくてスミマセン。真ん中付近の下仁田と書いてあるあたりが下仁田市街地です。)



古い地層の順に説明をしてみます。

<秩父帯>
  図の左下の地域です。南の地域・秩父帯地域には、古い時代の砂岩や泥岩が分布しています。2億年から1億年といった古い時代に海に積もったものです。長い歴史をへてきたような、古そうに見える石。
 

南蛇(なんじゃ)()層の泥岩>
中生代という古い時代の黒色泥岩で、ジュラ紀から白亜紀にかけての海底に堆積しました(一部に砂岩もあります)。
図で”下仁田”という文字の上にある「泥岩」の地域です。中央構造線(図の赤い線)の北側で、下仁田市街地の裏山のゴミ処理場付近や不通(とおらず)渓谷、さらに南蛇井(なんじゃい)まで分布しています。

強い力を受けたらしく、小さい断層がたくさんはいり、細かい割れ目が無数に入り、圧砕されてつるつる光るように見えたりします。右の写真は,下仁田自然史館に展示されているものです。ぼろぼろ崩れるからでしょうか、まわりを石膏で覆っています。      
   ところでいつも思うのですが、「なんじゃい」って、妙な名前ですよね。全国珍地名とかに 登録されているのじゃありません?
 

跡倉(あとくら)層の礫・砂・泥の層>
図の真ん中付近、赤い線(中央構造線)の下で、礫岩・砂岩と書いてある部分。どこからか横滑りしてきた岩体・クリッぺをつくっている岩石です。
l  クリッペをつくる跡倉層は約8000万年前の地層です。
中生代の化石で有名な、アンモナイトの化石も発見されています。ですから、海に積もった地層ということになります。

   先日、中学生に説明していて、アンモナイトのことを話していたら「エッ、海だったの!!」と、とてもびっくりして目を丸くした女の子がいました。もちろん,知識としては海の生物が化石になって出てくるとかは知っていたでしょう。でも、実際の地層を目の前にしていると、突然、具体的なイメージとして頭の中で動き出したのでしょう。言葉だけでなく「目の前のこれが海の底にあった!」と。自然の不思議と夢をちょっと感じたのかも。そんな小さな知識や感覚や出会いを繰り返して,人は成長するものではないでしょうか。

跡倉層のいちばん古いほうには礫岩があり、跡倉礫岩という名前で、かつていろいろ議論を呼んで、地質学者には有名でした。長源寺(ちょうげんじ)橋付近でよく見えます。

l  大崩山(おおぐいやま)(下仁田自然史館の隣の山も跡倉層です自然史館のすぐ東にある青倉川の大断層で、すべり面の上にのっているのは跡倉層の砂岩。
            下仁田ジオパークの代表的なみどころ(ジオサイト)です。

l 南牧川沿いの宮室・ 万年橋付近では砂岩泥岩が交互に
 縞模様を作っています。右の写真です。
こんな見え方の地層は砂岩泥岩互層
砂泥互層 さでいごそう)とよばれます。()
 
さまざまな地質現象が見られるので、ここも有力なジオサイトです。
   * 砂泥互層   砂と泥が交互にリズミカルにくり返す
      地層のこと。   

      大陸棚斜面の堆積物が泥流のように一気に流れ
      下ってつもってできたもの。

     (この砂泥の流れを乱泥流・タービダイトとよびます)
      粒の大きな砂は早くに沈殿し、その上に泥が

        ゆっくり積もって、砂泥の1セットができます。
      これが何度もくり返されて、縞模様の地層を
      つくります。

        

 
<下仁田層>
 図の真ん中付近、”下仁田”の文字の左側で赤い線(中央構造線)のすぐ上の「砂岩」とか書かれた場所です。海でたまった泥岩や砂岩で、貝化石を含むので知られています。サメの歯やカニも見つかっているそうです。化石から推測すると、少し寒い海だったようです。約2000万年ほど前の地層です。
この下仁田層の分布する場所では、中央構造線(日本列島を横切る大きな断層)がはっきり見られ、有力なジオサイトになっています。何しろ、関東地方で,こんなにはっきり中央構造線が見られるところは他にない,という場所ですから。下仁田層の砂岩と三波川結晶片岩が,断層で接しているようすがはっきり見られます。


<富岡層群の地域>

下仁田の北の地域から富岡・安中さらに高崎の観音山などにかけての丘陵は、砂・泥・礫の地層が広がっています。富岡層群といいます。たくさん化石が出ることで知られている、1600万年から1000万年ほど前の地層です。カメやほ乳類の仲間(イルカの先祖にちかいもの、象の遠い親戚ともいえるパレオパラドキシア)、多種類のサメの化石など、多彩な化石が見つかっています。下仁田ではそれほどさまざまというわけではありませんが、化石を産出しています。
最近は、この地層をさらに、富岡層群と安中層群と分けると提唱されたりしています。なんだか複雑ですね。
いずれにしても、1600万年から1000万年ほど前の地層で、海にたまった砂や泥の地層で、化石をたくさん含む」ということです。下仁田地域では「時代の新しい地層」といえます。1600万年というと、人の感覚ではすごく古いのですけどね・・・
 
図では 砂岩(新)・泥岩(新) と書かれた地域です。
  
l  下仁田では、只川橋付近で砂岩層から貝化石などがみつかっています。下仁田自然学校で子供たちと一緒に化石採集をしていた時、サメの歯が出てきたこともありました。
小坂川では有孔虫の化石が見つかります。

化石については、のちほどもっと詳しく報告できたら・・化石のことはほとんど知りませんので、詳しい方に教えていただけたら、と思っているところです。自然学校運営委員の方には,長年にわたってこの地域の化石採集をおこない、調べてこられた方々もいます。

こまごま書いてきましたが、野外に行って見るときの参考になれば幸いです。






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