2017年11月1日水曜日

川の水の中和 品木ダム見学してきました


品木ダム見学

紅葉いっぱいの日・・・雨模様の天気が恨めしい。  ところで、この湖の色 ちょっと変わっていますね。

品木ダム
ここは品木ダム。群馬県の草津にあります。
草津温泉は、流れ出る湯が強酸性(pH2.31 )。この水を中和させて中性にするという事業があり、1964年(昭和39年)から運転開始しています。

そこで思い浮かぶのが畑にまく石灰。土の酸性を緩和するために細粒にした石灰をまきます。でも、ここは規模がちがう。
1日50~60t!
年間約1万8千tの石灰投入!

ダムから流れ落ちる水


そんな場所なので水にいろいろ混じりこんで、こんな色に見えるのかな。



 品木ダム水質管理所では、申し込めば解説をしてくれます。中和事業は理科の教科書に載っており、学生などの学習も多いようです。年間2万人ほどの来訪があると聞きました。解説にも力を入れているようです。。案内・解説お願いしました。
 
 この石灰、下仁田から運んでくるのだそうです。とはいえ、もともとの石灰岩は下仁田産のものではなく、神流町の叶山のものとのこと。
到着したタンクローリー
有恒興業という企業のようですから、下仁田のとなりの南牧村にある工場かと思います。叶山の石灰を工場で細粒にし、草津まで運んでいるのでしょう。

下仁田にはもともと石灰岩があり、江戸時代とか古くから利用していたのですが、今は採掘はしていません。ですが、こうして今でも石灰にかかわっているというわけです。






どうして中和をするの?
 ★魚の住めない「死の川」だった
 ★農作物への酸性による被害
 ★そして、酸性の水はコンク
  リートを溶かし、橋の橋脚
  などにも被害が。
釘も溶かす・・
この写真、科書にのっていたなあ

こんな話は理科の教科書にも載っています。

 下の写真は、草津温泉から流れてくる湯川の水に、石灰の混じった水を注いでいるところ。24時間体制。停電時の自家発電設備も持っているとのこと。
一時もやめるわけにはいないのです
下流側では石灰で水が白く濁って見えています。


これで中和して万々歳と言えなところが辛いわけです。
この中和事業の年間予算は10億円
 内訳は
石灰の運搬費用:約2億円  
品木ダムの浚渫費用:約3億円
その他:電気系統管理・施設メンテナンス・品木ダムに流入する川へ貯砂ダム設置費用など
 
浚渫?・・・
普通のダムでも周囲から流れ込んだ土砂がたまってしまう問題があります。
品木ダムに流れ込む湯川にある貯砂ダム
品木ダムができて半世紀ほど、ここでは中和でできたものも加わるのですから、浚渫しなければ満杯になるのは当たり前。そして今、もう満杯状態。年間3億円の浚渫費用では、大体1年でたまる量の浚渫しかできないとの話です。本当はもっと浚渫したいが、予算に限界があるので無理と。
 まわりからダム湖に流れ込む土砂を減らすための貯砂ダムもありますが、結構土砂でいっぱいになっている・・・今のところ問題はないのでそのままとのことですが。

                     ダムと周囲の位置関係をご覧ください。



ダム湖にたまったものはどこへ
 中和作用では、何か「できるもの」があります。草津の湯は硫酸系の水だそうで、そこに石灰を投入したら、硫酸カルシウムができてくるはず。これって、石膏の主成分ですよね。石膏って、石膏ボードとかギプスとかその他、あれこれ利用する白い粉のイメージ。・・というわけで、1日に50~60tも石灰を投入して石膏成分ができたら、なんだかすぐ埋まってしまいそう・・・
 
今の処分場
ネットで見たところ、最初、中和事業を考えて実験したところ、石膏がたくさんできてしまって、沈殿してしまったとか。あれこれやってみて、中性になりきらないようにすると水に溶けて、沈殿しないということがわかり、そうした調整をしながら石灰を投入量しているわけです。ですから石膏などはダムにはあまりたまらないようにしているわけです。
 というわけで、沈殿するものは白い石灰や石膏のようなものかと思っていたら、ちょっと違いそう。色も黒っぽいようです。
すでに満杯の処分場
イオン状態のだったりアルミニウムが石灰中の酸素原子と結びついたりといった、いろいろ含んだヘドロ状のものがたまっていくとか。水が多いので絞って運んで(水が多くて絞りきれないほどで、やわらかいようです)、セメントも混ぜて…そんなにして、品木ダムの周囲の山の中に作った処分場にすてています。50年たって、今は2つの処分場がいっぱいで、3番目の処分場に捨てています。今後10年は使えるといいますが、それでいっぱい。新しい処分場を造るわけです。次の候補も決まっているようです。50年、100年後まで、捨て場所あるのかなあ・・
 堆積物をリサイクルできないか・・・お金がかかってしまって、コスト面で現実的でない・・こんな山の中に工場もないし・・捨てるのが一番安価。
 それに、この堆積物にはヒ素が混じっているため、さらに処分に気を遣うことになります。2004年の資料で、ヒ素の量は1キロ当たり最大5.6gで、農地での土壌環境基準の370倍超(やんばあしたの会の資料から)。
 
左の写真の中ほど遠くに、湯けむりが見えます。これは万代鉱という、草津温泉の泉源の一つです。ここの湯は中心街の湯畑のまわりではあまり使いませんが、周辺の温泉では多く使っていて、この2つで源泉の多くを占めているとのことです。湯畑は少なくとも1,000年の歴史のある源泉ですが、万代は1970年に硫黄鉱山掘削中に湧出した新しい源泉。万代鉱などにはヒ素が含まれていて、品木ダムにたまる・・・
 ヒ素と聞いただけで、いやだな、と思いますが、自然由来でヒ素はあります。火山地帯などでは、ヒ素が見られたりします。たとえば、ヒ素を含む鉱石があったら、温泉に溶けだすこともあるわけです・・・解説の方は堆積物のリサイクルをするとしたら、ヒ素があっても、物によっては利用できますと説明していました。
 ここの堆積物は産業廃棄物、法律では管理型なので下に遮水シートを敷かなければならないのですが、処分場は品木ダム周辺で、しみ込んだヒ素等は品木ダムにもどるため、群馬県との協定で、シートをしかなくてもよいことになっているとか。ということは、ダム周辺以外には簡単に捨てられない・・いや、想像しただけで、あれこれ大変。
 
 今のところ、中和する方法としては、この石灰投入の方法が一番安上がりとのこと。それでも、大変。投入量を細かく調整したり、努力はしていると・・
 「もっといい方法ありませんか。募集中」
とは、水質管理事務所の職員の方の弁。

 ところで実は、この品木ダムの完成が、一度消えかけた八ッ場ダム計画を復活させたのです。コンクリートのダムは、酸性の水で溶けてしまいます。中和事業のおかげで、コンクリートの構造物建設が可能になりました。目的の1つでもあったのかな?
そうして、再びダム建設へ走り出したという歴史があります。
  自然界も、人間界も、複雑に入り組んでつながっていると、つくづくと思います。
  それを見通せるように賢くならねばとは思うのですが・・


ところで、草津白根周辺の中和事業は、実施されているのは4割です。
まだまだ酸性河川はたくさんあります。下図です。
万座温泉付近が目立ちます。
 実は以前、「吾妻川上流総合開発事業」というものがありました。平成23年国土交通省関東整備局の報告書がHPに載っていると、専門家の方から教わりました。
ですが、この事業、ダムを試みるとしたら、お金がかかりすぎる、技術的面でも難しい…ということで中止と提案しています。水質改善として、プラント方式に触れていますが、ちょっとやってみて、それだけで中止されていて、今は何もやっていません。 
  この広大な自然、そんなに人間の思うようにはいかないと、つくづく思います。

 

 川全体を中和しようなんて、世界でも他にない、と解説の方が言っていました。
小規模には秋田県の田沢湖で実施しているそうです。

 かつて高い透明度を誇っていた田沢湖、クニマスなどが生息していて漁業も成り立っていたといいますが、ここに玉川温泉の水を引き入れ、クニマスは絶滅、それが2010年西湖で発見されたのは、さかなクンの活躍もあって、知る人も多いかもしれません。
 どうしてそんなことをしたか・・食糧増産と発電といいますが・・玉川温泉はpH1.05 で日本で一番の強酸性の温泉。こちらは塩酸系の温泉。温泉としては大人気ですが、農作物等にとっては川に入った温泉水は農作物の生育を阻害し、「毒水」と恐れられていました。その水を田沢湖に入れたわけです。薄めるつもりだったのでしょうか。1940年のこと。結果は、惨憺たるもの・・・。その後石灰石に酸性水をまいて中和を進めたり、1991年には中和施設も運用開始したり。でもまだ田沢湖は改善への努力中といいます。
クニマスがまた田沢湖に住める日の来るのを待ち望みます。
  人の知恵も、なかなか総合的には働かないのですね・・・
  自然の力、自然のバランスを侮ってはいけない…そう思えてきます。

 鉱山の排水などでも、酸性水の処理には四苦八苦しているものかと思います。
一方、草津に行くと、「チャツボミゴケ」への案内板も見えます。群馬鉄山の酸性の跡地に育つコケが観光資源になっているわけです。行ったことないから、いつか行ってみようかな。
 ちなみに、下仁田の鉱山跡の排水(pH4.5程度のようです)に育つコケも、ちょっと魅力的です。

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上野三碑が「世界の記憶」(旧・記憶遺産)に登録決定!!
 おめでとうございます。
 文化をきちんと評価し、大切にすることは、人類の豊かさをうむと思います。
 
「アンネの日記」や「ベートーベンの第九の楽譜」が登録されているとしばしば紹介されますが、日本で最初に登録されたのは、筑豊炭田の炭鉱夫だった山本作兵衛さんが描いた筑豊の生活の絵と文。申請は参加できるおそらくたった1回のチャンスだったといいます。まだ他の申請者たちの準備が整わなかったので、リストに滑り込ませてもらえた・・そのあとからは、国宝級の文書等が目白押し。リストに加えてもらうのはまず無理。
ですが、作兵衛さんの作品を見た審査員たちは、激賞したと聞きます。
ネットで作品、見られるはず。

碑のある山名丘陵は、春先の新緑と桜が魅力、しかも昔から道がきれいに整備されています。手入れしてくれる方々がいるわけです。春にはしばしば散策したものです。以前にこのブログでも紹介しました。夏は暑苦しくてダメですが、春や秋、散策はいかがでしょう。

以下で紹介しました。
  上信電鉄に沿って・天井川
http://geoharumi.blogspot.jp/2014/10/blog-post_11.html








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