下仁田の隣の南牧村、ここはかつて砥石で知られた場所ですが、他にも、古くから利用された石があります。
石材として、財務省(旧大蔵省)の入り口に使われたとか聞く椚石。
近くまで行ったときに立ち寄ってみました。
南牧村野の道の駅、オアシス南牧から、それほど遠くない所です。
椚石は以前にこのブログでも、少し紹介したことがあります。
http://geoharumi.blogspot.jp/2014/07/6.html
財務省(旧大蔵省)や日本銀行の建物に使われており、また県内では、富岡製糸場の基礎石、甘楽町の楽山園、太田金山城の復元工事など、利用には有名どころがならんでいます。
道沿いに、 石材を切り出した崖が見えてきます。
中年の男の方が働いていました。若い女性の姿もありました。
「すみませ~ん。写真撮らしてもらっていいですかあ」
「ああ、いいよ」
入り口には、石材店の紹介が板に書かれ、石に彫ってあります。
山の神・・お酒も供えてあります |
5代続く石工の家とのこと |
150年間 営業しているのだそうです
「中も見させてもらっていいですか」
「見ていきな」
|
板になったり、くりぬいたり・・・
そういえば、この石、コンニャクを粉にするときの「石臼」に使ったと聞いていました。
三角の形に割った石が積んであります。
石垣用に割られた石 |
「あの~、これ、石垣にするんですか?」
「うん」 「この付近にたくさんある石垣、この石を使っているんですか?」「そうだよ」
石垣が椚石を使っていると聞いたこともありましたが、”いや違う”といわれたこともあり、分からずにいました。
「古そうなのがあるんですけど、江戸時代とかの石垣なんですか?」
「違うよ、あの石垣は昭和30年代からだよ。中にコンクリート入れて。ここ来る途中、道を直してるところがあったろう。あそこに今使っているから、見ていきなよ」「えーっ、もっと古いのかと思っていた。そうなんだ。見ていきます。だだの四角いブロックより、趣があってずっといいですよね。」
左が積んでまもない石垣 |
椚石で石垣工事中 |
下仁田から富岡まで、このタイプの石垣はあちこちで見られ、
きれいな姿を見せてくれます。
「ここの石工は、高遠から婿入りしてきたんだ。154年前にね。山を見て、この石を見つけて、ここにやってきたんだ。
少し古い石垣、コケやシダが生えている |
「へー、知らなかった。」
あとで調べたら、高遠石工職人の仕事はあちこちに残され、そんな各地の石像物のリストをつくっている人までいました。私の住む玉村町でも、複数箇所リストアップされていました。びっくり。
有名な職人集団いたということなのでしょうか。
石を手に持ってきて、「これさ、石や地質を調べる人には宝物なんだよ。地下にある石をつかんであがってきたもので。椚石は1800万年前にできたんだけど、それが捕まえてきた石で地下のようすが分かるからね。」と。
地質図でみると、億年単位の古い時代の中古生層の分布域にありますから、古い石の分布域に貫入したものと推測できます。
黒っぽいのが椚石に 取り込まれている石 |
「石屋さんには、邪魔なだけのものなんじゃないですか」
「まあ、そうさ」
そうは言いながら、ちっとも邪魔と思っていないふうで、大切なものを見るような雰囲気で、なにやらうれしそう。
「この道路の反対側は、もう、この石は無いんでしょう?」
「いやいや、まだまだある。みんなうちの土地さ」
(面積等もおっしゃっていたのですが、メモもとってなかったので・・・
これは「捕獲岩」で、たくさんはないようです。あとから石切場で探したけれど、見つけられませんでした。石材にするにはその方がありがたいでしょう。見せていただいた捕獲岩の写真を撮らなかったので、以前にも紹介した、下仁田自然史館のものを載せます。
「石垣をつくる技術って、例えば、アンデスのマチュピチュなんて、栄えていたときは ピタッとすきまなくできているけど、国が衰えてくると、いい加減な石積みになってきたとか聞いたことあるんですけど」
「マチュピチュ、よく知ってるねえ。ところで石を組むのに、石を見ただけで、あそこに置くといい、とか、見ただけで分かる人なんかいたり。」
話があれこれ飛んでいったのですが、仕事のお客さんが来たので、このあたりで終わりに。「石切場も見ていきなよ」
「はい、ありがとうございます」
椚石の表面 |
石切場にて |
表面は黒ずんでいますが、 割ると白い石が出てきます |
安山岩よりもう少し流紋岩に成分が近くて、白っぽい岩石です。
椚石は安山岩が変質を受けて白っぽく軟らい加工しやすい石になった、との説明も聞いています。
いろいろお話し聞かせていただいて、ありがとうございました。
0 件のコメント:
コメントを投稿