2021年1月12日火曜日

利根川の洪水対策  河川改修の様子

コロナ感染、心配です。仕事に行くわけではないわけで、なるべく家にいよう、と。
こんな中、働く人たちに感謝です。特に、人と接する仕事の方々には。


我が家の近くの利根川は、また大々的に工事が始まっています。
  何の工事?
  川の流れる場所の土砂の掘削です。多分堤防強化も。河床を下げることによって、洪水によって川が氾濫するのを防ごうというものです。

ショベルカーが動き、砂利を運ぶトラクターが何台も列をなしています。

玉村町の五料橋から下流は国交省の工事担当区で、昨年、大々的に土砂をとっていて、この地区は終了かと思っていました。


前回の工事場所と同じ付近からもまた土砂を運び出しています。厚さ2mほどもの土砂を運び出した場所です。もう終わった場所と思っていたのですが、まだ少し高かった部分の土砂をとっているようです。橋は五料橋。

この土砂、どこに運んでいるのかなあ。



こちらは五料橋の少し上流。工事担当は群馬県。

さらにすこし上流では、古い堤防だった所を作り直すという話もあるようです。一昨年秋の台風19号のあと、大きな土嚢を2km以上にわたって積んでいます。下の写真の場所はその関連でしょうか。工事は群馬県の担当です。

 気候が変わってきて大雨が増え、水害が多発している今、こうして川にたまった土砂を取り除くのは、防災に役立ちます。堤防強化も必要です。堤防が決壊すると、なんと言っても大災害になりますから。

 でも、ほんの少し間まで、ダム建設は行うけれど、川底をさらうなどということはやってきていないのでは。ダム建設に反対して「それより、川の土砂の取り除きや堤防強化を」と何度も何度も訴え続けた人たちは、まったく無視されてきたと思うのです。ダムで洪水を防ぐという話ばかりで。
 利根川では、八ッ場ダムができたら、手のひらを反すように、これほど大々的に、一斉に川の工事が始まった・・・「国土強靭化政策」で、多額の資金投入がされたわけでしょうか。今までは何だったの?と言いたくなります。どうして今まで、こうしたことを主張する人たちの声に、絶対に耳を傾けようとしてこなかったの?専門家は、必要性はわかっていたわけでしょう。

 大雨災害の頻発する国・日本、突然、「災害対策」とあちこちで言い出ししたような印象を受けてしまうのですが…必要なことで、ありがたいことですが。
 今までダム建設にまい進してきた人たちが、今度はこちらに資金が投入されるやいなやあれこれ言いだして自分の手柄のようにいうとしたら、「川底の土砂の取り除きや堤防強化を繰り返し言っているのに、徹底して無視されてきた方々」にたいして、失礼甚だしい話です。時には、本当に必要なことを言っているのか、目を凝らしていく必要があるのかもしれません。
 近年、毎年のように日本のどこかで大水害ですものね。これに地震災害が加わったりしたら、もう、大変。今はコロナも大変ですし。自然は甘く見てはいけないです。


 五料橋の下流の坂東大橋にかけても、大々的に川の工事が始まっています。
広い川原に大型土嚢が堤防のように積み上げられ、川の流れを制御しながら工事が進んでいるようです。


この付近で利根川には烏川という大きな川が合流し、広い川原を形成しています。すぐ下流には坂東大橋がかかり、その付近の八斗島(やったじま)は利根川管理の重要地点になっています。
河川内の木の伐採

 この付近の利根川や烏川は、50年、60年前の高度成長期には建設資材として川砂利が大量に採取されていました。コンクリートの骨材になるわけで、大量の需要があったと思います。

 あとに残された大きな穴に水がたまった所は、危ないから近づくなと言われていました。もし落ちたら、水底には冷たい水が溜まり、藻がはえていて足に絡みついたら、もう逃れられない…といったイメージは今でも覚えています。 
こんな頃、日本各地でダム建設も進められていたと思います。小学生の頃だからもう50年以上も昔、学校で多目的ダムのすばらしさの話を聞いたのを、なぜか覚えています。世の中で、脚光を浴びていたのでしょう。観光でダム湖に行くのも流行っていたように思います。

 川砂利は不足して、海砂まで建設に使い、海砂はを含むためコンクリートの中の鉄骨が錆びて強度が弱くなり、問題になったと聞きました。
 その後、砂利採取禁止になったり、あるいは、廃コンクリートの利用で、川砂利はなくてもまにあったのか・・・30年近く前にこの地域に住むため戻ってきましたが、川の浚渫をしているのを見たことはないように思います。そんな目で見ていなかったので、はっきりとは言えませんが。中洲や川原にはヤナギなどの木が茂り、大きくなっていました。




遠くに見える川辺の木も、これから伐採するようです。
ヤナギやアカシアの木が多く見られます。


手前の堤防は、強化する作業中なのでしょうか。


実際の感じは、写真ではよくわからないものです。
近くでこんな場所があったら、行って見たらいかがでしょう。


 ところで、川辺の風景が殺風景になって生き物がいなくなってきていることが訴えられるようになり、生きものとの共存をはかる川の管理が言われるようになりました。
流れを直線化して少しでも早く水を流すことだけ考えるのでなく、曲がった流れが作り出す環境の多様性が多くの生きものの生きる場を作り出すことも顧慮するとか、ヨシ原を保全するとか・・・こうしたこと、多少は考慮されるのでしょうか。流行を追うように、以前のことはすっかり忘れ去られて、などということにはなってほしくないです。
 今回の伐採場所は氾濫原に生えるヤナギやアカシアなどですから洪水で流されることもある木で、保全に考慮というほどものではないでしょうが、「生きものの水辺」「水辺の環境学」といったタイトルの本を見ながら、生きものにも思いを馳せてみたいものと、ふと思いました。

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子猫の子の行動,なんだかかわいいものですね。まあ、当然でしょうが。

 自由自在に動く身体の柔らかさ、自分のしっぽで遊んでいる。そういえばまだ立つこともできない人間の赤ん坊も寝転がったまま、自分の足の指を手でいじったりして遊びますよね。
何にでも興味を持ってじゃれついたり潜り込んだりを飽きずに繰り返す。新しいものを見るとすぐ飛んで行ってじゃれつき、かじってみる・・テレビに映った画面にちょっかいを出したり(テレビ壊さないでよ!)。庭の木にはどの木にも登ってみているようだ。心理学者の言うには、人間の子供は低い塀があるとその上を歩くものだそうですが、猫もブロックの低い塀の上の細い所を走っている。人間の子供の場合は、ちょっとむづかしいことを何でもやってみたいという行動なのだそうですが、猫も同じか。こうやって学んでいくんだなア。
いつもぴょんぴょん飛び跳ねていて、ふと見るとコトンと寝ている。しばしお昼寝。
人間の子供も、ご飯を食べながらウトウトしていたりするものです。すっかりくたびれてちょっと眠くなるのでしょう。子供は、人も動物も、みんな同じなんだなと、しばし子育ての頃を思い出したり。

歳をとると好奇心も薄くなくなってきて、新しいことに挑戦しなくなる・・・と、これまた、しばしの感慨。

たかが猫ですが、飽きないものです。
タダで手に入ったおもちゃ、かな。生き物をおもちゃなどと言ったら、叱られそうです。


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