コロナで行事も外出も控える日々、皆様はどんな毎日をお過ごしでしょうか。
私はグズグズとした毎日・・・
森喜朗オリンピック組織委員会会長の発言が、世界を巻き込んで話題です。
森氏のような女性に対する感覚がごく普通、という時代を知っているのが私の世代。
理想の女性は、気配りのできる人、やさしく皆を気遣い世話をしてくれる、口答えなんかせず、微笑んでいる人、・・とてもいい人なのでしょうが・・・誰かにとって都合の良い人にされてしまうことが多かったのでは。良妻賢母かな。
森氏の発言の何がそんなに問題なの?と思っている人、ちょっと感度が低いですね。
二階氏の「オリンピックボラティアを辞退します」といった人への言葉、派遣社員などに対し「お前の代わりはいくらでもいる」という上から目線の雇用者のことがふっと頭をよぎりました。相手への感謝や経緯がみじんも感じられないので。単なる「駒」としか見ていないのでは。
あの女性蔑視の発言、ちょっと前までなら、笑って済ませられた発言でしょう。事実、発言のあった会議では笑い声があったとか。
これを問題にして広げているのだから、世の中、変わってきているのだな、進歩があるのだなという感慨もあります。
こんなこと言うと、今の若い女性は「進歩?当たり前のことでしょう」と思うかもしれない。
ひとつ思い出す写真があります。ある本に載っていました。
「輝いて、しなやかに 物語男女差別裁判の40年」中西英二 著 2002年発行
二人の男性の表情を見てもらいたい。ふてぶてしい表情。
手前に立つのは、解雇撤回を求める女性。写真は1969年。
新婚早々別居配転され、出産退職を拒否すると「子持ち女は半人前だから」と独身寮のまかないに配転を命じられ、それも拒否すると解雇。
納得できませんと、毎日立ち続けたときのもの。「なぜ子供を産んでも働きたいというだけで、こんな思いをしなければならないのか」と悔しさと情けなさで泣きたい思いだったと。この時から11年、長い裁判を戦った人です。
中学を卒業後、集団就職で企業内に高校のある会社に。その頃仕事といえば紡績工場くらいしかなく、仕事はきつい。その後会社を変わったりもしたが1967年結婚退職制が導入され、妊娠すると窓際に一人机を移動され、執拗に嫌がらせを繰り返され、出産後出社すると、門を入る事も許されず、配転拒否を口実に解雇・・・
どうして会社を変わらないの?と聞かれたそうです。「私もよい職場を求め,資格もとり、2度転職しました。でも自分でつかんだ仕事も会社は平気で取り上げる。それならどこへ行っても同じじゃないか。職場を転々としてだんだん給料も下がってしまう人もいますが、私は気づいたのです。必ず職場に戻る、と」地裁に地位保全仮処分を求めた。1969年6月30日のこと。ほぼ半世紀前。人類が月にはじめて降り立った年です。80年2月、和解が実現。実に11年間です。この本が書かれた時、彼女は定年の2年前(2011年)。こんな人がいたのだ・・・ほかにも、たくさんの事例が載っていました。
こうした人たちのおかげで今がある。この歴史は、若い人にも知ってほしい。
このころは、女性の結婚退職は当然と思われ、寿(ことぶき)退職とよんだものです。30歳とか35歳とかの若年定年制も普通。
結婚退職を訴えた最初の裁判は1965年だそうですが、地裁で勝訴,高裁でそれをひっくり返す動きのなか、職場組合はストライキを行ったり・・会社は68年、女子35歳定年制の破棄第2子出産で退職、で和解した。
中学生の頃、国語と社会を教えていた先生から、結婚退職や出産退職とか、職場結婚したら、二人を遠く離れた別の場所に転勤させる例とかの話を聞いていました。東京オリンピック開催から少しあとの頃のことです。それと同じ事例が、この本に載っていました。先生から聞いた話より後の事例です。写真の人も、その一例です。そんなこと、世の中にいくらでもあったということです。
この先生は、様々な世の中の事、考え方を、授業の合間などに話していたものです。今でもいくつも思い出せます。 感謝です。
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「話が脱線しますが ちょっと一言・・・・
最近は、授業の進度もすべてのクラスで統一して、学校からの便りで知らされ、それができないと力のない先生と見られるとか、教科書にない実験をやるとお叱りを受けるとか。 「ええー本当?」という話を聞くことがあるのですが。信じられない・・・
私の通った小学校は通知表もなかった。信じられない、と言われますが、本当です。川に行って一日中石ころを拾ったり何やかや見たりしたこともあったし、村の中を歩いて地域のことを調べたり、なんてことも。授業時間内に学校外の人が来てくれ、たくさんの歌を教えてもらったり。時間割はありますが、結構それを無視した授業がありました。先生がガリ版を切ってつくって印刷した文学作品を読み合って学んだり。教科書でない教材を使ったというわけ。今は、危険だからとマラソン大会の校外練習なんてやらない、火を使う焼きイモなんて無理、その他いろいろ不自由なこともあるような・・・
工夫はダメ?自分の頭で考えてはだめ?勝手なことするな、そのうえキリのない長時間労働、残業代の仕組みのないのが、気楽に働かせ放題ができることにもつながってしまう・・まじめで熱心が、命を削る長時間労働につながってしまうこともある。そんなバカな話、あってはいけない。
最近、教員採用試験の倍率が、ひどく低くなってしまっていると、先日の新聞の一面にものっていた。魅力のない職場になってしまっているのだ。教育や文化をあまりにも粗末にしていませんか。今の日本の政府は。
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話を戻します。
・私の同学年の女性、短大を出て、銀行に就職。ところが勤務年数が多くなってきたころ、何やかやと言われて、退職を促される・・ついに辞めたら、すぐにパートに来ないかと…「絶対いやだ。人を馬鹿にして!」と。その後ずいぶん経って会ったら、家計を支える仕事として、やはり銀行のパートをやっていた。他地域の銀行ですが、仕事がわかるし、賃金などの条件を考えれば、他の仕事より良かったのでしょう。やめさせられた銀行とは違う銀行だし。銀行が花形産業のころのこと。業務に明るいベテランを非正規として使う・・昔からあったわけですね。たしかに、家庭と両立させるには、短時間労働はありがたいのですが。
・1970年代後半か80年代初めでしょうか、あるNHK の大物アナウンサーが、
「トップニュースを女が読むようになったら、俺はアナウンサーをおりる」と言ったとか。これを聞いた時私は「まあ、そんなものでしょう。」と思ったものです。怒るというより、そんな意識の人がたくさんいるわけですから、まあ、普通、と。今では、女性の名前を冠したニュース番組もあるのですが。この方、まだご存命でしょうか。
今回の森会長の発言など、「たいした問題じゃない」と思っているのでしょう、擁護する人たちは。時代についていってないですね。世界の流れもわかってないですね。そういう人たちが国の方針を決めるというのは、ちょっとまずいんじゃないですか。
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第2章は、男女による賃金格差・待遇格差に戦ったひとたちを取り上げていました。
女性が同一賃金を得られるのは公務員の世界でした。ですが、昇進は?あらためてこの本を見たら、鈴鹿市役所の裁判が載っていました。初任給から昇進、研修…どうせお茶くみと扱われ・・生涯賃金差はマンション1戸、と。
教職は教諭として働き、昇進とか考える必要のない場所だったことも、女性にはうれしい場所であったはずです。やめさせられることもないでしょうし。
写真は金融関係で働く人たちです。
生涯賃金の男女差はマンション1戸分、とありました。定年が男56歳、女46歳、などというのもありました。そういったことに意義を申し立てた方々は、本当によく勉強し、皆で支え合ったようです。
「男性については年功によって全員が副参事(後に課長職)に昇格 する労使慣行があるが、女性に対してこれを適用しないことは、性 別により労働条件について差別的取扱いを受けないと定めた就業規 則に違反する」裁判でこんなことが認められたことがありました。
芝信用金庫(東京都)で働く女性13人が男女の昇格差別の是正と差額賃金の支払を求め、1987年提訴から15年を経て、2002年最高裁で和解しました。
芝信用金庫では、男性は入稿後13年から16年でほぼ全員が係長、さらに4から5年で副参事(課長職)に昇進だったとか。ネットを見ると載っていました。
女性の係長は9名だけ、昇進に12年から36年を要し、さらに課長になったのは1名だけ。
2002年の勝利は、新聞等で大きく取り上げられ、記憶にあります。この本の発行より後のことです。写真は東京高裁勝利の時のものです。
今、社会は非正規労働の人たちを大量に生んでいます。
ここに会紹介した人たちのように、裁判に訴えることさえできない。だいいち、正規に契約してして働いているわけでなく、スマホで連絡が入ったらそこに行くとか。「日雇い労働者」と言われた人たちが脳裏に浮かびます。コロナの中、路頭に迷いかねない人も生んでいます。
非正規が増えてきたころ、フリーターなどと言って「自分の能力を生かし、自由に働く」などと言って、夢を振りまいていませんでしたか。
非正規を「危ない」と問題視した人たちもいますが、あまりわからなかった…
このころ若者だった人たちの今は‥‥大変な人もいるのでは。
この本の最後は、こうして結ばれています。
「かつて雇用形態差別は女性が圧倒的でしたが、いまは男性にも拡大しています。男も女も人間らしく生き働く社会を作り上げていくことが重要でしょう」
20年前の言葉とは思えない。世の中をきちんと見つめる人には、問題点も、未来も見通せるのですね。
こうした裁判の多くに携わった女性の弁護士がいました。坂本福子さん。1932年生まれ。最初に関わった職場の男女差別問題が女子30歳定年制裁判だったそうです。
やむにやまれず裁判を越した人たちに、どんなに力になった方でしょうか。
ふと思いました。森喜朗氏はいくつ? 1937年生まれ 83歳
二階幹事長 1939年生まれ 81歳
職場入り口に立ち、解雇撤回を訴えていた女性のいたころ、50年少し前だから、このお二人、30歳ほどのころ、前に立ってバカにしたような態度をとる男性と同じくらいの年だったりして。今話題のこのお二人、その頃の感覚からそう遠くない人たちのいる場所で、ずっと生きてきたのかもしれない、などと思ったり・・・・
阿部政権で「女性活躍社会」とか言っていたけれど、あれ、最初は「女性活用社会」だったか、そんな言葉で発表していました。あわてて変えたはず。「活用」という言葉を新聞で見て、あきれてしまったので覚えています。何だ、「働くな」と言ってきたのに、人手が足りなくなって「活用」しようと思っているのが本音って、それを正直に表に出してしまうほど鈍感。
そういえば戦時中は工場などで女性も子供も働かせ、男子が返ってくると、また「家庭に戻れ」と追い返したのに。
「若い人たち、だまされちゃいけませんよ、注意しないと」、と思ったものです。
ーーー うんざりしますので、春の便りを ーーーー
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このたよりもすっかりさぼってしまっていました。
庭のフクジュソウがほころび始めています。
すっかり冬ごもりだったなあ。
でも、世の中、いろいろあって、
腹の立つことがどっさり。
コロナ蔓延でなるべく家にいる日々。
庭の花がうれしい。
昔、買い求めたツバキ、正月頃からぽつぽつ咲き始め、
やがて木いっぱいにピンクに咲き誇る。
やさしい色合いが好き。
丈夫で、すぐ大きくなり、枝をせっせと切るのですが。
か弱いものは大事にするのに、元気だと邪魔にする。
なんと勝手なことか。
木の下にはたくさんのツバキの子がはえるのですが、「ツバキは親なし、親と同じのは生えない」と言っていた人がいましたが、この木の子供も、ごく普通の白だったり赤だったりでした。
年末に咲き始めていた「冬至梅」は、もちろんもう満開です。
庭の草をとっていたら、土の中には、もう、水仙などの芽がしっかり育ち、ぽつぽつと土から顔をのぞかせているものもあります。
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私はぐずぐずと、「今日何やったっけ」などという日々。一方で医療関係者を筆頭に息をつく間もない人たち、また収入の激減の職種、あるいは仕事を失い住む場所さへおぼつかない人たち、様々な社会状況がひろがっている・・・それなのに株は空前の値上がり・・・もう、私などにはわからない世界で巨額の富を得ている人もいるのだろう・・・・
とにかくコロナ対策に集中して取り組んでほしいし、みんなが医療を受けられるようになってほしい、世界の中では、忘れ去られたような地域で、飢えをはじめとしたさまざまな困難に苦しんでいる人、子どもに目を向けてほしい。
まるで中学生の作文のようだと言われそうです。ただの理想を書いているだけで。
でも、様々な情報・映像の飛び交う昨今、多くの人が正しい情報を知り、自分のできることを少しでもできたら、と思うこの頃です。
朝8時からTVの羽鳥モーニングショーを見るのが、日課のような日々。夜はBSTV1930を見たりする日も。こうしたことにずいぶん時間を費やしています。
いえ、費やさずにはいられませんね。
でも、家にいても、こうして様々なことを知ることのできる現代、それを活かさねば。
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