2013年10月15日火曜日

岩石③ 結晶片岩


  結晶片岩

    下仁田の青岩公園の石はこの仲間です。岩石が地下深くに押し込まれ、高い圧力を受け

下仁田青岩公園
変化してできた岩石です。

庭石によく使われます。

群馬県や埼玉県の人なら
「どこかで見たことのある石」 なのでは。三波石という名前で知られています。
神流川沿いの町、鬼石町(おにし町・現在は藤岡市)では、かつてたくさんの庭石業者が石の販売をしていました。
鬼石には三波石峡(さんばせききょう)という名勝もありますが、下久保ダム完成後、渓谷の美しさが失われてしまいました。今また、回復の努力をしています。


宮沢賢治が盛岡高等農林学校3年(2年?)の時、学校の行事「秩父・長瀞・三峯地方土性地質見学旅行」で長瀞にやってきたことがあり、そのとき、川岸の石のことを友に書き送りました。

    つくづくと「粋なもやうの博多帯」
        荒川ぎしの片岩のいろ

長瀞にある三波川結晶片岩を詠んだものです。今では、博多帯ってどんなんだっけ? という人の方が圧倒的に多くなりました・・・・博多帯がわかっても、結晶片岩として下仁田の青岩の石を思い浮かべると、歌の意味がわかりません。
 結晶片岩は青緑色が多いとはいえ、赤・白・黒・ピンクなどさまざまな色あいがあります。そのどれも、うすい板を重ねたように見えるという特徴を見せています。長瀞の岩畳がまさにそれ。その姿が、博多帯を連想させたわけです。埼玉県立自然史博物館から荒川におりてすぐに目にとまる「虎岩」の、褐色と白の複雑に褶曲した縞模様などは、きっと賢治の歌心を誘ったのではと言われます。色の違いはもとになった岩石の違いなどからうまれます。
四国の大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)も美しい渓谷として有名です。ちょっと行って見たくなるような地名です。

なぜ「長瀞結晶片岩」でなくて 「 三波川 」結晶片岩?

 いちばん有名な景勝の地は長瀞でしょう。それなのに、名前をつけるとき、長瀞でなく、知名度の低い「三波川」がなぜ選ばれたのか?・・・

三波川ってどこにあるかもわからないですよね。鬼石に、神流川の支流の三波川という小さな川があります。三波川という集落もあります(現在は藤岡市)。群馬県の人には、冬桜で有名な桜山公園の付近、と言ったほうがとおりが良いかもしれません。
   
この岩石を最初に研究した人がこの三波川で調べ、三波川結晶片岩と名付けました。
名前は最初につけたものが尊重されます。

こうして群馬県の地方の小さな川の名前が全国区の名前になりました。

私の住む玉村町では、南部を流れる烏川の対岸に神流川が合流しています。そこで、川原にたくさんの結晶片岩が転がっていることとなります。本家本元の三波川からやってきた石もあるかもしれない・・
小学校の頃、学校の授業でこの川原にやってきて、一日中遊びほうけていたこともありました。学校からゴロゴロとリヤカーを転がしてきて、帰りには石を積んで帰りました。
先日、ちょっと出かけて、川原で拾ってきました。写真でごらん下さい。
 


まず、身近に見られるものから

三波石は、立派なお庭でなくとも、こんなふうに気軽に使われています。
青緑色の結晶片岩です。写真はちょっと白っぽく写っていますが・・・



下には玉村の川原の石ころを載せます。
白っぽいものも多く、少しピンクがかったものもあります。太陽の光をあびると、銀色にきらきら輝くものもあります。結晶片岩についてはあまり知らないのですが、これは絹雲母。ですから石の名は、絹雲母片岩となります。写真では、どれもきれいに見えないのですけど・・・
 下仁田の青岩より、高い圧力でできた石が多そうです。 
すぐに区別できる石のようにも思えますが、奥栗山渓谷の細かなしわ模様のチャートなど、私には結晶片岩かと思ってしまう。あのチャートは大きな力を受けたチャートだそうですが、いったいどこから結晶片岩に分類するのか・・・新しく変成鉱物できている必要はあるでしょうが、肉眼ではなかなかわからないのでは・・・・石の区別はむずかしい・・・
左は、秩父で道ばたに崩れていた石です。絹雲母片岩といって、ぺらぺらはがれる雲母の性質そのままのように、うすくはがれていきます。

   

結晶片岩ってどんな石>
    どうやってできたのか。 いつ ・どこで ? ・・・・ 理屈っぽい話になりますが・・・・
 
l 岩石が地下深く押し込められ、 溶けることなく固体のままで変化してできました。
このとき
新しく鉱物が生じて平らに並び、薄くはがれるような構造になりました。この構造を「片理」といいます。
下仁田の青岩の石も、弱い片理が見られます。この鉱物が、さまざまな色合いのもとになっています
l  有名なものが三波川結晶片岩。
 群馬県藤岡市鬼石を流れる神流川支流の三波川の石が最初に研究されたので、三波川結晶片
岩と名づけられました。
下仁田の青岩は三波川結晶片岩の仲間ですが、圧力が少し弱めでできて、はがれるような構造
弱いので、特に   
    ミカブ緑色岩類  とよばれています。庭石にはこちらの方がよく利用されるようです。
 
青岩の石は玄武岩質の岩石(マグが冷えてできた石で、黒っぽいもの。専門的には苦鉄質の岩石と言います)が地下深くにおしこめられ、高い圧力を受けて変身してできたものです。この苦鉄質の岩石は海底火山の活動などでできたものといわれています。もとは海底の岩盤でした。
ですから青岩の石は
「生まれは海底の火山で、海の底をつくっていたが、やがて地下深くに押し込められ、ものすごい圧力を受けて変身し、そして再び地上に持ち上がってきた」という、大旅行と大変身をしてきた石なのです。


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下仁田の東の方に御荷鉾山(みかぼやま)があります。下仁田の結晶片岩はミカブ緑色岩とよばれます。ミカボでないのは、この石を最初に研究して報告した学者が、ミカブと間違えてしまったから。そんなの直せば良いだろうと思ってしまいますが、学術的に最初に報告されたものは、そう簡単には変更しないのだそうです。それで、今でも、ミカボ?ミカブ?どっちだっけ・・・と 間違いそう。
 
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l  結晶片岩の種類   
結晶片岩には緑色片岩・黒色片岩、珪質片岩、雲母片岩など、いろいろな観点からいろいろな呼び名があり、いろいろな色のものがあり、いろいろな種類があります。

   もとになった岩石もさまざま、受けた圧力もさまざまなので、顔つきもいろいろ変わってくるわけです。名前も様々につけられてきた歴史があり、混乱してきそう・・・・・・
 
青岩の石は緑色片岩の一種です。
緑色の鉱物の(りょく)(でい)(せき)をたくさん含んでいるもので、これは岩石学的には緑泥石片岩となります。
この地域の結晶片岩という意味では、ミカブ緑色岩類になります。何だか混乱しますよね。

  結晶片岩は、「青や緑がかったものは、玄武岩質の石からできたと考えられる」などと、岩石としては詳しく調べられています。
 
l  含まれる鉱物から、変成作用の時の温度や圧力の推定ができ、低温高圧でできたとわかっています。

  ところで、「低温」って、何度くらいだと思いますか?三波川結晶片岩は200℃~300程度、せいぜい400℃程度でできたといわれています。これが地質の世界では「低温」です。(この温度で正確かなあ、とちょっと心配・・ご意見等ありましたら、お寄せください)「深く」は15km~30kmなどといわれたりします。圧力は6000気圧から7000気圧など。(長瀞の石は200~300℃、圧力6000~7000気圧でできたそうです)
              

補足解説:(1気圧は私たちの住む地上での圧力です。水深10mも1気圧の水圧になります。1気圧は1cm1kg の重さがかかっていることになります。けっこう大きい感じがしますね。
世界最深の海、マリアナ海溝の水深1万m=10000m=10kmでは1000気圧。これ、1cm1000kg=1トンの重さがかかるという力です。(淡水の重さで計算していますので、海水なので、もうすこし大きくなるでしょうが)

  7000気圧・・・・1cmに7000kg=7トンの力がかかる・・・すごい力です・・)


l  圧力を受けて、結晶片岩となったのはいつ? 
もとになった岩石は、ジュラ紀の海底火山の噴出物で、圧力を受けて変成したのが白亜紀後期、8,000万年ほど前ではといわれます。年代測定では7,000万年から1億年前ほどの数値が測定されているようです。ただし、こういった数値については異なった意見があったり、研究の進展で変わってくることもあります。

   
ちなみにジュラ紀は2800万年前~14600万年前、白亜紀は14600万年前~6500万年前。
 <結晶片岩の見られるところ>
      結晶片岩は限られた地域で見られる岩石です。
 
l  三波川変成帯は中央構造線の南側に沿って、
狭い幅(最大でも幅30km)で、なんと九州から関東まで
1000kmにもわたって分布します。


 l  下仁田のどこにある?
中央構造線(大北野-岩山断層)より南側で、
青岩より東の地域でみられます。
           (図はすべて下仁田自然学校作成のものです)



青岩近くのクリッペの山・御岳(おんたけ)は下部の少しなだらかな部分が結晶片岩でできています。  
                      
山の中腹の 黄色いはちまきのような黄色の線より下側が結晶片岩、上が砂岩泥岩。下はなだらかな地形になっています。
平らに割れやすい結晶片は、のっぺりした平らな感じの地形をつくりやすいわけです。(線は私がエイッと書いているので、少し不正確ですが・・・)

自然史館付近にも顔を出しています。有名なジオサイトとなっている大崩山クリッペの底は断層になっていて、断層の下は青岩と同じ結晶片岩(ミカブ緑色岩)です。断層付近はぼろぼろに砕けています。
 
もう少し広い範囲で見ると、下の図のようになります
結晶片岩が広く分布しているのは、下仁田より東で、中央構造線より南の地域ということがよくわかります。

黄色はくりっペ部分です。小川町にかけて、数ヶ所か見られることに注目です。

西御荷鉾山は結晶片岩地域にあります。おだやかな山容の山です。

稲含山は、結晶片岩からはずれた地域にあります。そういえば、チャートの山でした。



 
  地下深くからどうやって地表まで上昇してきたの?
       はっきりわからない・・・    押し上げられたということのようですが・・




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三波川結晶片岩以外に、結晶片岩ってあるの?
 低温高圧の変成を受けた変成岩は、北海道の神居古潭(かむいこたん)や中国地方の一部といった地域でも見られます。
 石狩川の渓谷神居古潭も、三波川変成岩の分布地域同様、景勝地として知られています。
 中国地方については、私はほとんど知りませんので、ここまで、ということで。

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板状に割れやすく強度の足りない結晶片岩は、実用的には使われなかったかもしれませんが、その美しさで、観光地になったり、庭や塀を飾ったりしてきました。
人々を楽しませてくれた石 といえます。

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