下仁田町青倉にある石灰岩の岩壁 白石工業株式会社 白艶華工場
この石灰岩の崖は道路わきに見られますが、昔はもっと大きな崖だったそうです。
ここではかつて採掘され、今でも会社があるわけです。
何に使われるの ?
工場があるわけですから、何かに利用しているわけです。何にか、ご存知でしょうか。
<石灰石の利用>
何といっても「セメント原料」。
ある資料では、国内生産の約半分47%がセメント材料で、21%がコンクリート骨材とありました。
東京のビルは、石灰岩の山を崩して運んで作られた!
ただし、下仁田の石灰岩は小規模の産出で、セメント材料には使われていません。
他の使い道
青倉の工場のパンフレットにのっていたもの
ゴム プラスチック 塗料 インキ 紙 食品 など
(食品利用を調べると、じつに様々に使われているようです。パン・ビスケット・チョコレート・米菓・豆
腐・寒天・麺類・マカロニ類・漬物 そしてコンニャクなど。役割は発酵、変色・変質防止、中和など)
ほかにもいろいろ使い道があるようです・・・化粧品 マッチ 歯磨き粉 皮革、
ニワトリや牛の飼料に混ぜる(しっかりした卵の殻をつくり、良質の牛乳をつくる)、
火力発電所や工場の排ガス処理、 群馬では、酸性の水が流れる川・吾妻川(草津温泉
温泉水が流れ込む)の中和のために使用
グラウンドの白線も、畑にまく石灰も、お菓子や海苔の乾燥剤も、みんな石灰です。生石灰だっり
消石灰だったりで、詳しい説明は省きますが、とにかく、身近にあるものです。
よくもまあ、こんなにいろいろな使い道を考えついたものだなあ、と感心しているところです。
秩父武甲山(埼玉県秩父市)
秩父の武甲山は石灰岩の山。神流
町の叶山も。どちらも山を削り尽くす勢いで採掘されています。(「秩父太平洋セメント」という会社があります)。 鍾乳洞で有名な山口県の秋吉台も石灰岩の大地。 石灰岩は東北の北上山地にも北海道にも、また西日本から沖縄まで、日本各地に分布しています。
沖縄では琉球石灰岩という新しい時代の石灰岩が広く分布しています。サンゴ礁からできたものです。
第2次世界大戦の沖縄戦で住民が逃げ込んだガマは石灰岩にできた洞窟・鍾乳洞のはずです。
叶山(群馬県神流町) 採掘前の叶山 写真提供 細矢尚さん
現在の叶山 西荷鉾山より撮影(風景がかすんでいてすみません)
石灰岩は日本で自給できる数少ない地下資源です。 叶山 秩父太平洋セメント提供
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宮沢賢治と石灰岩には深いつながりがありました。
賢治は学校の教師を辞めて,農家への科学的な援助・肥料指導をはじめています。
その後、東北砕石工場という会社で、石灰石利用のために働いています。
作物のための主要な肥料分としては窒素・リン酸・カリとよくいわます。ですが,石灰も重要な役割
を果たします。酸性土壌の改良のためです。とはいえ農民は,石灰の効用に半信半疑だったそう
です。その理解を深め広げるためにも、賢治の努力は続けられました。
今ではその名前のよく知られた「小岩井農場」は火山灰土の荒れ地で、酸性土壌の改良が必要
な土地でした。そのために大量の石灰が使われました。消石灰というタイプでは、石灰石を焼いて
つくっていたため、それなり値段が高くなります。小岩井農場では焼かずに岩を細かく細かく粉砕
したものを使用し、価格を抑えました。これを引き受けた工場が東北砕石工場でした。農民に価格
の安い石灰を提供することは賢治にとっても大切なことだったはずです。この工場のために賢治
は宣伝文を考えたりもし、献身的な活動で、石灰を広めました。石灰の効用を宣伝するため、大量
の宣伝文書を送り続けたともいいます。今のようにコピーで簡単に印刷物をつくることももちろん
なく、ましてやメールなどない時代です。
石灰岩からつくった建築用壁材の販売にも取り組み、その重いサンプルをトランクに詰めて,東京
まで営業に出かけています。その旅先で倒れ、その後回復することなく、亡くなりました。
残された革鞄の中には数個の石灰石と1冊の手帳があったそうです。
この手帳に書かれてあったのが、「アメニモマケズ・・・」の詩でした。
自らの持つ科学の知識と言葉への感性、働く人々への思い、それらをもとに、あまりにも献身的に
働いた姿がありました。
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日本建築の白壁、これにも石灰がかかわっています。白い漆喰(しっくい)を塗って白壁を仕上げ
ます。私にとっては、漆喰って聞いたことはある言葉でしたが、よくわかっていない言葉でした。
奥栗山渓谷の入り口付近では,かつて石灰岩を採掘したそうです。その石灰で漆喰(しっくい)
をつくり、富岡製糸場で使用した記録があると聞きました。白い漆喰は赤いレンガに映えます。し
かし、いまではその石灰岩は見つからず、採取場所もはっきりわからなくなっているようです。漆喰
は石灰岩からつくるというのを、あらためて知りました。
白鷺城として知られる姫路城の白壁は、貝殻を焼いてつくった灰を漆喰(しっくい)の材料にしてい
るそうです。ですから、大がかりな修理にあたって、その材料確保が大変だったようです。今、石灰
岩なら簡単に入手できますが、歴史的価値を持つものとしては、石灰岩を使うわけにはいかな
い・・・
貝殻も石灰石も、どちらも主成分は同じで、炭酸カルシウムになります。
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