2015年3月1日日曜日

地質案内14  鍾乳洞調べの記録



下仁田でも、生徒と一緒に野外の調査をなさった先生たちがいました。
そこで、残された記録を一つ紹介します。
 下仁田・南牧村の洞窟調べです

調べたのは、1970年~1971年(昭和45~46年)下仁田東中学校の生徒と今は下仁田自然学校運営顧問の堀越武男さん。この時の生徒、今、何歳になっているかなあ・・・みんな、いいおじさん・おばさんですね。

下の図で、洞窟の位置がわかります。「秩父古生層」とあるのが、”1970年代なんだなあ”・・・と。
今、「秩父古生層」は古生層の地層というわけでなく、もっと新しい中生代の地層の中に、古生層の塊が転がり込んでいるとわかってきたからです。古生層とはよばず、秩父帯とか秩父中古生層などとよばれたりしています。
図の記録で、洞窟は小さいものも数えれば10あります。しぼ山、小沢弁天窟は小規模、桧沢は入り口が大きく外気の影響をうけやすく、弁天山は人工的に変えられているとのこと。また、広河原以外は鍾乳洞です。鍾乳洞は石灰岩の中にできるもので、この地域には石灰岩体が点々と見られることがわかります。

ところで、石灰岩については、小さな岩体でも地図に記載されました。石灰岩からはしばしば化石が見つかり、それによりその地域の地層の年代を決めてきたからです。
秩父地域の石灰岩の分布図を下に載せてみます。



秩父帯の岩石からは簡単には化石は見つからず、地層の時代決定には石灰岩がとても頼りになった・・・やがて、まさか化石があるとは思っていなかったチャートから、時代決定にとても役立つ微少な化石・放散虫が大量に見つけられるようになり、地質の見方まで変わってきたという、調査研究の歴史があります。

図は「やさしいみんなの秩父学」より



①下郷(しもごう)鍾乳洞
下仁田の鍾乳洞でいちばん大きいのは、下郷鍾乳洞。これは以前に詳しく紹介しました。
                                                                http://geoharumi.blogspot.jp/2015/02/11.html
ところで、生徒たちは洞窟内の気温、水温を測っていましたので、それを紹介してみます。
第1、第2・3というのは、3つの鍾乳洞があり、それぞれをさしています。



まとめれば こんなことになります。
・下仁田付近の鍾乳洞はすべて秩父帯にある
・各洞窟には方向性があり、節理に沿って地下水に侵食された。また、岩石の境界面は、
 洞窟が広がり易い。
・洞内の気温はほぼ10℃~14℃で、季節による変化が少ない
・鍾乳石などの洞内生成物は、岩肌を流れる水の量や湿度により大きな差がある

生徒たちが、せっせと沢に沿って歩き、洞窟で温度計・湿度計を手に測定をしている姿が目に浮かびます。洞窟内の気温はほぼ10℃~14℃で、小さな洞窟とはいえ、季節による変化は少なめ。
夏から秋の地下水の多い時は、洞床の下を流れる地下水の音が聞こえてきたそうですから、探険気分も増したことでしょう。小さな鍾乳石やリムストーンもみられたということで、地下の神秘に触れた思いだったかもしれません。
  

②砥沢(とざわ)白岩鍾乳洞  1975年の報告です

南牧村(なんもくむら)砥沢から 南に2.5kmの所、
尾根近くの標高約900mにあります。
ここではチャートや粘板岩、砂岩の秩父帯の石を、もっとずっと新しい時代の流紋岩が貫いています。

入洞可能な部分の長さは約30m、幅の最大は約5m。入口付近は天井が低く横に広いのですが、内部は高くなり、最奥部で推定20m以上の高さになっています。
洞の方向はほぼ東西ですが、途中で屈曲。これは石灰岩の節理方向とだいたい一致しています。
側面と天井は石灰岩ですが、床はチャートです。中央部よりやや奥、入り口より20m付近では、このチャートが沈殿物で覆われつつあります。
最奥部では、岩肌をおおう流れ石(フローストーン)が高い側壁を飾ります。側壁や天井には洞窟サンゴや、イボ状沈殿物が多くみられます。イボ状沈殿物は、甘楽地域の他の鍾乳洞と較べ、特に多く見られます。
中央付近には畦石(あぜいし)と流れ石による小さな池がありますが、下の方のものは泥で埋まっています。

下に、洞窟の断面と入り口の形の図をのせます。
左図の縦方向の細長い部分が推定20m以上の高さとなります。





洞内では地下水がわずかですが年間通して流れています。ですが、内部は乾いた感じで、鍾乳石はあまり発達してません。入り口や洞内が広く、その割に長さの短い洞窟だからでしょうか。

<洞内の気温>
             外気  洞内気  水温
昭和46・7/22   25℃   13℃  12℃
       46・10/17  16     10    10
       51・2/11   1      5     5

コウモリやヤスデ、トビムシ、クモ、蛾、
マダラカマドウマ、白いヒルなどみかけたそうです。
 ③広川原最勝洞
ここは主にチャートでできた洞窟です。チャート洞窟としては、日本の代表的なものとも言われるそうです(チャートの洞窟って、ちょっとめずらしい感じがするのですが・・・)。
秩父帯の石(チャート、粘板岩)と、第三紀の岩石(本宿層の凝灰角礫岩や安山岩)の接触部にできています。
7~8の洞窟が分布していて、
それぞれ名前がついています。

<抜穴>
全長約37m、支洞を含めると60m。乾燥していて、沈殿物なし、水なし


<本穴>
入り口より10°の傾斜で2本の洞が線状に下り、最奥部までは約24m。奥には地下水がたまり、池に。水位は30~40cmで増減しているようだ(岩肌の様子から推測)。側壁に沈殿物がわずかに見られる(炭酸カルシウム)。石はチャートだが入口付近に粘板岩のはさみ。

<奥の院>
横に広く、外部に通じる穴も2~3ケ所あり、乾燥している。一部が10°前後の傾斜で、最奥部に地下水の池あり。

<屏風穴>

洞というより、大きな割れ目というのがふさわしいかも

どうやってできた?鉛直方向の節理に沿って発達。
断層によって生じた割れ目と、それをうめる断層粘土や礫が、地下水によって浸食され、拡大されたと思われる。


洞内の池には、目が退化して白色かしたものがいるとのことだが、詳細不明。







まとめ ①各洞穴のでき方と、節理や地質構造とは深い関係がありそう
    ②鍾乳石など洞内沈殿物は、入り口の大きさ、洞の形、湿度、水量などによって
        大きな違いがあるらしい

 
何かの折、のぞいてみてもいいなあ。石灰岩を好む植物もあるかもしれないですね。

 今なら車で近くまで行くこともできますが、この調査の頃は、わずかに走る路線バスに乗って、あとは歩いて、それこそ、たどりつくのも大変だったのではと想像します。

以上、下仁田町と南牧村に見られる洞窟を調べた記録でした。
 群馬県の西の端、山あいの集落、最近は高齢化率全国1ということで知られ、テレビなどにも時折取り上げられている南牧村では、たくさんの石垣がみられ、石を利用してきた様子が見られます。良質の砥石を産することで知られ、江戸時代は幕府直轄だったそうです。石を財産として生きてきた南牧の人たちは、こんな洞窟もきっとよく知っていた事と思います。
だんだん忘れられていくのかも・・・。


 
   

 


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