2018年9月23日日曜日

マツタケ・北海道でもとれる !

キノコの季節とはいえ、 
 「また~」といわれそうですが・・・
 知っていましたか? 北海道でもマツタケがとれます

マツタケをいただきました。北海道産の。
9月6日の地震で被害のあった地域、厚真町の隣町鵡川町穂別から送られてきました。
地震で家の中はめちゃくちゃと言っていた人ですが、山で採ったマツタケを送って下さいました。感謝です。

  北海道でマツタケ??
最初聞いてびっくりしました。
「北海道の山にはアカマツなんてないでしょう」
「いや、はえる」というわけで、送ってくれたのが始まりだったでしょうか。。
山の自然の中で見つけたものです。
お吸い物、マツタケご飯、茶わん蒸しなど…香を楽しみました。
葉っぱの先っぽ、微妙なんですが、わかりますか
2つに割れています。

 ところで、マツタケは生きた松にはえます。このマツタケ、はえていたのは、下に敷いた針葉樹のようです。これ、松というより、クリスマスツリーの木の葉っぱ。北海道の山にはこんなのがたくさんあります。札幌付近でも。
よく知られた名前はエゾマツ・トドマツでしょうか。
でも、どっち?似ていて、見分け方がわからない・・・こう教わりました。
 「エゾに来たときゃ一人で来たが、とどのつまりは二人ずれ」
この覚え方、子供には言えないなあ・・・すぐに覚えられるけれど。

 葉っぱの先っぽが1本で尖っていればエゾマツ、二つに分かれていれば、トドマツです。というわけで、これは「トドマツ」でした。トドマツはモミの仲間で、この仲間は葉の先が2つにわれています。そっくりさんのトウヒの仲間は1本で尖っています。関東の平地にもあるモミで見たらいかがでしょう。
 他も、カヤの仲間(マツ科カヤ属)があったり(1本で尖る)、ツガの仲間(マツ科カヤ属)があったり(葉の先が少しへこむ)、う~ん・・ ちょっと整理してみました。
 
モミの仲間  マツ科モミ属
 モミ・トドマツ・シラビソ(別名シラべ)・オオシラビソ(別名アオモリトドマツ)・
  ・ウラジロモミ

トウヒの仲間  マツ科トウヒ属
 トウヒ・エゾマツ・アカエゾマツ・そのほか、ハリモミとかヒメバラモミとかヤツガタケトウヒとか、いろいろな名前のものが出てきます。どれも地域的に見られるもののようです
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ついでなので、ずいぶん昔になりますが、2007年10月に見つけたマイタケを紹介。
みなかみ町にて。  
マイタケ 1カ所で採れました


大きなミズナラの根元を埋め尽くしていました。ちゃんとしたはかりがなかったのですが、重さは20㎏は超えていたろう、と。
みんなで手分けして運びました。
車の入れる道の近くだったので、なんとか運べました。







 マイタケは今でこそ人工栽培で安価に手に入りますが、これはほんの最近のこと。おいしいし、大量にとれるし、見つけると喜びで舞い上がった、それでマイタケ、と聞きましたが、気持ちがわかります。天然のものはおいしくて、長持ちしました。
   ミズナラの株いぱいに育っている写真、あるはずなのに・・・
     この間もそんなこと言っていました。整理をせねば・・


 ところで、鵡川町は最近、恐竜の全身骨格が発見されたと、話題を集めている町です。以前から穂別博物館という、地元で発見された化石の首長竜やらアンモナイトやらを展示する博物館がありました。穂別町は合併で鵡川町になっています。
 この博物館の名前、どこかで聞いたことのある人もいるかも。恐竜の全身骨格が発見され、収蔵された博物館です。もともとは2003年に発見された化石ですが、その後、恐竜とわかったというもの。息の長い話です。
その全身骨格、10月から公開予定でしたが、地震のため延期。いつ開けるか…  幸い、標本類には損傷はなかったようです。
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 東北の震災では、南三陸町歌津にあった魚竜化石で知られた博物館が津波で壊れました。ウタツサウルスという魚竜。海外の姉妹都市?だったかから寄贈された立派な化石も展示されていました。
津波の数年前、東北の海岸を車でずっと下ってきたことがあり、この博物館にも立ち寄っていました。津波のあと、東北大学の学術品レスキュー隊の手で、化石などの多くは救い出されたとのことです。ありがたい話です。


 写真は、石巻から送られてきたさんま。
鮮度よく、焼いても皮まできれいにこんがりと。おいしい。
 送ってくださった人はお医者さんをしていますが、東北震災の時、診療所から必死で逃げたそうです。自宅は津波の被害を免れましたが,医院は流されました。
今でも現地で医院をやっています。




 神戸にも大きな震災がありました。学生時代、神戸市の垂水駅近くで、調査のために長く滞在したことがありました。垂水海岸ユースホステルという場所でした。
当時は学生はユースホステルと言った安価な宿に泊まって旅をしたものです。近所の若者もやってきて、管理者を、「お母ちゃん」と呼んで、親しんでいました。私もワイワイと楽しく過ごしたものです。
地震ではびっくりして連絡しました。「死ぬかと思った」というほど揺れたそうです。建物にそれほど被害がなくてすんだとのこと。「寒かったからまだ遺体が腐ったりしなくてね・・」と。6000人以上の方が亡くなっています。

夫婦二人のどちらかの知り合いとはいえ、3カ所もの大きな被害の地震の起きた所に知った人がいるとは・・私の父も終戦近くのころに大きな被害を出した鳥取地震にあっています。 思い浮かぶ大地震 神戸・東北・熊本・北海道・・・他にも・・・。
 こうして考えると、地震災害がなんとまあ、身近なものかと。日本って、そういう国なんですね。水害も目立ちます。頭に入れておかねば、と思うこの頃・・・防災教育とかずいぶん耳にするようになりましたが、本当に必要ですね。




2018年9月17日月曜日

ながめ余興場 群馬に残る戦前からの建物

秋の花
空気がガラッと秋に入れ替わりました。

変わった感じのキノコを一つ。  サンコタケ。
竹林や道端など、つまり人里でも見られます。
これは下仁田町の林の中の道ですが、みなかみ町でも見たなあ。みなさんも出会うかも。


アケボノソウ  


次は、すこし湿った場所に咲く花

夏が終わって咲く花たち。
すっきりとした感じの花たちです。
ウメバチソウ
サワギキョウ

  伝統ある建物  
   ながめ余興場 
  秋と言えば、菊の花。
菊づくりが流行った頃があり、父も鉢植えの菊をつくっていたことがありました。
植木鉢が今でも実家の家の隅に転がっています。
 
菊祭りも開かれます。
大間々(みどり市)の菊祭りは知られています。
 大間々には 『ながめ余興場』 という昭和12年建造の劇場があるのをご存知でしょうか。戦前からのこんな施設はあまりないでしょう。全国で12カ所と聞きました。
この付近、ながめ公園を会場に菊祭りが開かれます。
ながめ余興場
渡良瀬川が刻んだ谷に面しています
高津戸峡は手軽に渓谷美を味わえます



遊びに来た友人が群馬昆虫の森に行きたいというので、高津戸峡も見ていこうかと・・ふと気づいたのが余興場。音楽など好きで、ホールなどいくことも多いのではと。…・・でも、建物見たってなあ…と思ってもいましたが。

300円の入場料を払うと、女性の方が説明をしてくれました。「お時間ありますか」と聞かれたので「15分くらいかな」「30分くらいかかりますが、それでは簡単に」
 でも結局、30分ほども案内していただきました。
2階までで650席 左手には花道
2階席
  
座布団には
寄付された方の名前が書かれてあります。

2階席から

上写真の左が花道、舞台の上の丸い模様は、回り舞台。もともとは手動で回しました。
江戸時代の伝統を引く作りだそうです。
私たちも上に乗って、くるっとまわる経験をさせていただきました。まわす力は、電気でしたが。

楽屋裏や資料を集めた場所も見せていただきました。

役者さんの控えの部屋
大入り袋
梅澤富美男さんの父母はここで年間5か月を過ごす生活を
していたのだとか

  桂歌丸さんの顔も見えています。
ここでは落語の公演もあり、安い値段の公演も定期的に行っているとのこと。







永六輔・萩本欽一といった名前も見えています。




かつてこの町を通る足尾銅山からの道はあかがね街道とよばれ、町も栄えていました。足尾銅山から流れる渡良瀬川の流れる町です。
こんな中で、芸事などにも多くの人が目を向けていったのかと思います。
 足尾銅山と言えば、田中正造‥採掘場所ばかりでなく下流でも甚大な鉱毒の被害が起きています。
やがて大繁盛した劇場もすたれていきます。映画館として利用した時代もあったようです。
高津戸峡
橋の上から眺められます

    1991年、竹下内閣のふるさと創生資金は、1億円の資金を各自治体に分配したわけですが、大間々町ではこれを余興場の改修に使ったのだそうです。さらに1996年から97年かけて4億円かけて改修したと聞きました。
 今こうして町の文化財として大切にされている、利用されているというのは、気持ちのいいお話でした。
 江戸時代の芝居小屋の雰囲気を残すという場所、ていねいな説明のおかげで、楽しく味わうことができました。

さいごに、ながめ公園を流れる渡良瀬川の写真です。高津戸峡と名付けられています。
菊のころ、モミジのころは素敵でしょうね。山歩きの服装でなくても行ける渓谷です。


2018年9月11日火曜日

地震の話を聞きました

酷暑・台風・豪雨そして地震  
  自然災害とは言うけれど・・・

9月6日の朝、テレビの画面に、エッ!
 北海道で、札幌に近い地域で大きな地震・・山崩れ、道路の破壊、停電・・・
 私は札幌に結構長く住んでいて、親しい人たちもいるのです。
 
 5日には北海道近くを台風が通り過ぎていました。関西空港をダウンさせた台風です。
みんながスマホで撮影する総カメラマンの時代、風に吹き飛ばされる屋根や車の映像が流れていました。
 5日の夜に電話してみようかと思っていて、うっかり9時ちかくになっていたので、「明日でいいや」。その「あした」に、地震とは。
とんでもないほどの土砂崩れ、土砂に埋まってたくさんの方が行方不明、さらに北海道全域が停電・・・・ちょっと信じられない。

知り合いに電話しました。9日に札幌と余市、10日に大被害の厚真町の近くの鵡川町穂別の人に。すぐに電話するのは迷惑行為ですから。

 穂別は震度6強。ハンターでもあり、クマやシカの肉、山で取ったマツタケなどいただいた方です。地震の来る前の日、台風のあとすぐ山に行ったとのことで、木が根こそぎ倒れ、急斜面などにはたくさん倒れていたそうです。そのすぐ後に地震・・・厚真町の山一面が茶色く崩壊した映像に驚きですが、前日の台風がなければ、もう少し被害が軽減されたのではと思うばかりです。
 電気は6日未明から停電で、8日に回復。テレビ・ケータイが通じたのは9日。家の中はめちゃくちゃ、停電で冷凍庫内の釣った魚もその他も全部ダメ。畑には亀裂が入るし、道路は盛り上がったり片側半分が落ちたり、震源の厚真方面に行こうとしても、道路がダメになっている。通行止めの看板も間に合わない・・・
お墓は、もう、何といっていいか…めちゃくちゃ、粉々・・いくつか立っていた墓石は、回転して前と後ろが反対になっていたり・・
 穂別でも家具か家かの下敷きで亡くなった方もいたそうです。お元気でいることだけでも、よかった・・昼でも氷点下の真冬でなくてよかった・・・
水道は大丈夫だったようですが、断水しても沢水を使えるから大丈夫だし、薪で煮炊きも暖房もできるし、野菜は畑にあるし、そういったことでは都会と違ってだいじょうぶだよ、と。ホームセンターにはカセットコンロが山積みにされていたと。

 札幌では軟弱な地盤でドロドロになってる清田がクローズアップ。私はかつて清田地区で働いていたこともあり、親しみのある地名でした。同僚だった人がある時、地震で、「すごく揺れた」と言っていました。そんなに揺れてないよなあ、と思いながら聞いていました。彼女の家が清田かどうかはわかりませんが、どうだったのでしょうか。
 かつて住んでいた上野幌もニュースになっていました。断水が続いていると。水道の系統が清田方面からきているらしいのです。電気もしばらく止まったわけで、冷蔵庫内のものも処分、9日になっても店には商品がないとか。前日の台風の風で街路樹・公園の木がたくさん倒れていて、とにかく災害といった風景とか。車のガソリンを入れようとして5時間並んだ,近所のスタンドはひらかず、こういった時にガソリンを提供するスタンドが決まっているからと、それを教わっていったのだそうです。穂別では、10リットルしか入れてくれないと言っていたなあ。東日本大震災の時、群馬でもそんな感じだったなあ。

札幌でも、朝3時なのにゴーッという音で目が覚め、突き上げるような振動で、とても怖かったとのことでした。震度5だったかな。

余市では、真っ暗な時間なのに、雷のようにバチバチと光が走り、周囲の家など見えて、おそろしかったと。電線がスパークしていたということなのでしょうか。前日の強風の影響があったのでしょうか。停電で、何が起こったのかの情報を得るのが大変だったでしょうから、怖かったでしょう・・・

防災という言葉、災害の多い国日本という言葉が、本当に迫ってくるこの頃です。
   聞いた話のちょっとした報告でした。



2018年9月3日月曜日

気分は 秋です、キノコはいかが

9月になりました
   秋を探して

1週間ほど前に「もうそんなに 暑くならないのでは。」と書いていたら、
 その日は38.9℃ 次の日は30.0℃   ・・・・

さすがに、だんだん涼しくなってきてはいますが。
そこで、県北部の少し山の方に行って、秋の気配を感じてきました。標高1000mです。
キノコの紹介を。
  でも本当は、秋でなくてもキノコはあるのですけど、やっぱり”秋”のイメージですね



  右上は、ハナビラタケ。
両手で抱えるほど大きく育つ。食べられると教わって・・・おいしい。炊き込みご飯にしたり。でも、県北地域は放射能汚染が結構強かったので、まだどうでしょうか・・
 左上はキノコ家族、いえ、タマゴタケ。
いつ見てもかわいい。傘の裏は黄色でなかなか派手。こんなにハデハデで、食べられるというのが、うそみたい。お味噌汁で恐る恐るたべたこともありましたけど。

次は、 えーっと、名前はわからないのですが、ホウキタケの仲間でしょう。

サンゴのよう赤く、いくつもの株で
大きなリングをつくってはえているのです。
右の写真はそのリングの一部です。
フェアリーリングといって、ヨーロッパでは妖精たちが輪を描いてダンスした跡、というおとぎ話があります。ここでは毎年リングが見られます。ところでこの赤色、つまらない褪せた茶色になってしまうのですよね。
 以前、白いきれいなキノコのリングもあったのですが、はえなくなってしまいましたね。

左は何だかパッとしないキノコなのですが、実は・・
 ミミブサタケ といいます。

もう少し大きくなり、この丸まった筒から、何と、煙のように胞子を噴き上げるのです。

近くで地面にドンと足をつくと
振動からでしょうか、結構派手に”煙”が上がって、びっくり。
もう10年ほども前に出会いました。
 しばらく目にしなかったのですが、またはえてきました。楽しみです。”煙“の写真、どこかにあるはずなのですが、はて? 整理が悪いですね。
せかっくの資料なのですから、その気になって、整理整頓しなければ。
 

 右は、真ん中の丸い袋を押すと、パッと煙が上がる・・煙じゃなくて胞子ですけど。
ツチグリというのがよくありますが、まじまじと見ると、まわりのむいたミカンの皮みたいなところが、めくれています。調べたら、
エリマキツチグリというものかもしれません。
 奥の方にあるような形が普通のツチグリ。乾くとこれが袋を包むように丸まってきて、それで胞子を飛ばすのでしょう。同じような場所にあったので、紹介しました。
 袋だけのもよく見かけますが、こちらはホコリタケ(キツネノチャブクロ)。ホコリタケという名前は、あまり魅力がないですね。たしかに,ほこりを飛ばしますが。靴でふんずけて遊んだ人いるでしょうね。
 ゴロンと大きいタイプなら、ラグビーボールみたいなオニフスベというのもあります。公園のわきに転がっていたりします。今回の場所では見たことはありません。

赤いヒョロヒョロしたのもたくさんはえていて、きれい。
写真よりもっと赤く見えていました。

もちろん、いかにもキノコらしい形のキノコもはえています。
ナラタケがどっさりはえていたこともありました。木を枯らすキノコということで、植木関係の方は嫌がっていましたが。とてもおいしく食べました。
 私は野生キノコを見分ける目はありませんが、「これは食べられる」とか、詳しい方はいるものです。一緒に行くと、とても得した気分になります。
 以上のキノコは、ほんの狭い範囲で見たものの一部です。不思議な生き物、キノコと言う気がしてきます。

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木に付いた跡 いくつか


これは、クマの爪痕。
結構見かけるものです。あの巨体が、よくまあ、登ると思いますが。

その木の裏側には、下の写真のような跡。

これは鹿の角とぎの跡だろうと。

 傷をつけた後の木くずが、上の方に残っている…つまり下から上に向かってほりあげている証拠になります。木にはヤニが垂れていますね。
少し傾いた木は、ちょうどよい角度だったのかも。

下は、クマがはいだものかと思った?ですが、
違うと言っていたかなあ?鹿の仕業?いや、違ったかな。鹿の角とぎの話を面白がっているうちに、忘れてしまった。

 すこし人里離れただけで、目を凝らすと、日常生活から離れたものが見えてきます。
何人かの人と行くと、また違たものが見えてきます。

たまにはこんな自然の中に出かけるのもいいですよ。