下仁田で見られる花こう岩の仲間
下仁田の山の中に、自然のままの花こう岩なんてあったかなあ?・・・と思いませんか。
石材として利用されたものなら見ますが。
そこで、下仁田の花こう岩の仲間の分布図をのせてみます。
どこも点々として小規模分布ですが、比較的広く見られるのは、上図の左上地域の小坂付近や、右上の神成山(かんなりやま)になります。平滑(なめ)花こう岩と名前がついています。
じつは、下仁田の花こう岩の仲間は、花こう岩らしくない顔つきをしていたりで、ちょっとわかりにくいのです。学校の授業向きではないですね。
しかも、ほんの少し見られるだけなのに、かなり古い時代のものと少し新しめの時代にできたのがあったりと、できた時期の違うものが入り交じり、けっこう複雑なのです。
以下に、少し詳しく解説を書きます。
しかも、ほんの少し見られるだけなのに、かなり古い時代のものと少し新しめの時代にできたのがあったりと、できた時期の違うものが入り交じり、けっこう複雑なのです。
以下に、少し詳しく解説を書きます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その前に、花こう岩の一般的説明を。
マグマが地下でゆっくり固まってできた、白っぽい岩石が花こう岩。
< 補足>
全体にピンクやかなり赤っぽい色の花こう岩もあります。これは含まれる長石が白ではなくてピンクや赤っぽい色をしているためです。都会では、壁や床に使われたりしているのを見かけます。輸入されものです。
谷川岳地域は広く花こう岩が分布しますが、ピンク色がかった花こう岩がみられます。
谷川岳地域は広く花こう岩が分布しますが、ピンク色がかった花こう岩がみられます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
←岩石の表面を拡大してみたときの図
上の図 : 溶岩のように、早く冷えた石。
大きい粒(はん晶は)結晶が育っているけれど、まわり(石基)はほとんど育つ暇がなく固まったということ。
下の図 : 花こう岩のようにゆっくり冷えたもの
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
実際の岩石を透き通るほど薄くすって顕微鏡で見ると、こんなのが見えてきます。
自然学校の中島啓治さんが下仁田の石をすって顕微鏡で見て、写真にもとっています。
後ほど紹介します。乞うご期待。
花こう岩の仲間は詳しく調べられていて、成分、鉱物のすこしの違い,結晶のようすなどで専門的にはいろいろな名前がつけられ、複雑です。専門家でないと、よくわからない!
下仁田にも何種類かの名前が出てきます。
下の表に、マグマが固まってできる石を表にしました。
ここでは黄色の網掛け部分を一応、花こう岩の仲間としました。
花こう岩の仲間の中で青字になっているのは下仁田にあります。
花こう岩の仲間の中で青字になっているのは下仁田にあります。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
下仁田の花こう岩の仲間 古い順に書きます
(写真のないものも多く、それは解説だけになりますがお許しを。自然史館にはサンプル展示もありますので、いらしたときにごご覧いただけます。)
川井山石英閃緑岩----- 2億7千万年前
クリッペを形成する川井山とふじ山に見られる石。蒔田不動の滝はこの石です。激しく破砕された部分もあり、風化すると真っ白にみえます。こんな古い時代の花こう岩は日本にはあまりありません。
石英閃緑岩なので、花こう岩より少し黒っぽい石です。
四ツ又山石英閃緑岩---- 1億1千万年前
四ツ又山はクリッペのひとつで、時代も種類も異なる様々な岩石からできた山(砂岩・泥岩・チャート・石灰岩・四ツ又山石英閃緑岩など)。
なお、“川井山石英閃緑岩と同じもの”という考えもあります。(岩石は後から熱を受けると、できたときの年代ではなく、熱を受けた年代が測定されるので、年代が若返ることはあり得えます)
平滑花こう岩----------- 6500万年前
花こう岩というと黒ウンモの入ったごま塩状の石を思い浮かべますが、これには黒い点々は見当たりません。白や赤みがかった石で、黒雲母はみあたらない・・・普通ではとても花こう岩には見えない・・・。中小坂から神成山方面まで見られます。小坂川が西牧川に合流する付近の川岸にも見られます。鍬柄岳の岩峰もこの石です。
この石が地層に貫入した時、中小坂鉄山の鉄鉱石ができたと考えられています。
これがどうして花こう岩??
顕微鏡でよくみると、もう黒くないけれど、黒雲母だった
「あと」がみえるのだとか。
右は平滑花こう岩の野外での様子。
なんだかよくわからない石・・・ 写真 :中島啓治さん
透明に見えるまで薄くすって(薄片にして)顕微鏡で見ると、たくさんひび割れで砕けたように見えます。何か強い力を受けているように見えます。顕微鏡写真、あとで紹介します。
平滑花こう岩は中央構造線に沿って分布しているので、なるほどと思えます。
千平花こう閃緑岩------ 6500万年前 角閃石という鉱物を含み、少し暗色に見えます。
このサンプルをみても、肉眼では花こう岩には見えませんが、顕微鏡で見ると、花こう岩のつくりが見えるのだそうです。
馬山花こう斑岩--------- 5500万年前
神農原礫岩の礫・石英斑岩・・・・・・・
礫(いしころ)の種類の石英斑岩は8500万年前のものだそうです。
含まれる長石が赤みがかっていて、赤っぽく見えるのでよく目立ちます。
神農原礫岩そのものの堆積時期は8500万より後には違いないのです
が、いつ堆積したかは、わかっていません・・・
この礫にはひび割れが入り、なかには、それが少しずつずれて、お皿に載せた
お刺身状になっているという特徴的な形態を示すものもあり、「ずれ礫」と
よばれています。どうやってこんなになったか、興味がわきます!
神農原礫岩のずれ礫(石英斑岩・含まれるカリ長石が赤っぽい色をしていて、目立つ)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
日本にある花こう岩を調べると 中生代の終わりの白亜紀後期から古第三紀はじめにかけてできたものがとても多くみられます。年代は1億年から5000万年ほど前のものになります。下仁田の花こう岩の仲間にもこの時代のもの、ありますね。
「 なーんだ花こう岩って、”みかげ石”のことだったんだ」という人もいるかも。
(なお、黒みかげ というのは、花こう岩ではなくてハンレイ岩です。成分がちがいます)
山陰や中国地方にも花こう岩がたくさん分布しています。
硬く、ピカピカと輝くようにきれいに磨かれ、ビルの壁や足元の敷石を飾るこの石が風化しやすいとはとても思えません。しかし、人の一生よりもっとずっと長~い時間、地球の歴史の時間単位で考えると、花こう岩は地下深くまでぼろぼろに風化する石なのです。30mとか100mとかいった深さまで風化することもあるとか。ちょっと信じられない・・・
その細かくなった粒が海まで運ばれ、「白砂青松」の砂浜となりました。瀬戸内海の白砂青松の美しい景色には、花こう岩が一役かっているというわけ
(なお、沖縄の白いビーチは、サンゴや貝や有孔虫からできていて、花こう岩には関係ありません)。
さらさらとした粒は真砂(まさ・まさご)とよばれます。どこかで聞いた言葉ではないですか。きめの細かい砂を真砂というようですが、花こう岩から真砂がたくさんうまれる・・・
● 出雲地方は古来からの製鉄技術の「たたら」が知られています。
やまたのおろちの尾から立派な剣がでてきたというのも、この技術を伝説に取り入れたものでしょうか。
下仁田の中小坂鉱山は高品質の鉄鉱石をもとに製鉄をおこないましたが、たたらは何を使ったかご存知ですか。「砂鉄」ですね。では、この砂鉄がどこから来たかは?
じつは、出雲の砂鉄は花こう岩の仲間からやってきたものなのです・・・・・・・
花こう岩のどこに鉄のもとがある???花こう岩を見ても、ふつう、わからない。あの黒い雲母
の粒?いいえ、違います。
花こう岩の中には磁鉄鉱などがほんのちょっと入っていて、砕けた石から磁鉄鉱などだけが選り分けられて、それが砂鉄になって集まって・・・(水に流されたりすると、比重の違いで集まります・・)
ホント??と疑われそうですが、ホントの話。
(・・・ちょっと心配になって、インターネットで製鉄会社のページを開いて確認してみました。一般の人向けに工夫して、いろいろなことが書かれてありました。)
それにしても、花こう岩が相当たくさんないと、砂鉄をたくさんとるのは無理でしょうね。
たしかに、あちらの地域には「相当たくさんの花こう岩」があるのです。
島根県の斐伊川は荒れる川。かつては何本にも枝分かれしながら流れ、しばしば流れを変え荒れ狂う・・・・枝分かれの様子からいくつもの頭を持つヤマタノオロチの伝説もうまれた、オロチは「洪水の化身」という説もあります。
たたらが盛んになると、自然に集まった砂鉄ばかりでなく、花こう岩の風化した砂を大量に流して砂鉄を集め、その結果川はさらに荒れ狂う・・・・
たたらには大量の燃料が必要で、そのために木を切り払い、保水力を失った山はさらに洪水を引き起こしやすくなったともいわれます。
たたらが盛んになると、自然に集まった砂鉄ばかりでなく、花こう岩の風化した砂を大量に流して砂鉄を集め、その結果川はさらに荒れ狂う・・・・
たたらには大量の燃料が必要で、そのために木を切り払い、保水力を失った山はさらに洪水を引き起こしやすくなったともいわれます。
西日本の、花こう岩の岩肌の見える山地の姿には、花こう岩のもつ性質だけでなく、この歴史もかかわっているかも、などと、ちょっと思ったりしました・・・
日本で最初の近代製鉄の歴史を持つ下仁田で、日本古来の製鉄の世界にも思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。