2013年10月29日火曜日

岩石⑤ 下仁田で見られる花こう岩の仲間


下仁田で見られる花こう岩の仲間

 
今日は花こう岩の話・・・・・
小学校や中学校の教科書で、この石だけはテストの時覚えた、という人も多いかも。
黒い点々ごま塩状の石で、「黒いのが黒雲母、透明なのが石英、白いのが長石という鉱物」などと暗記したかもしれません。
見まわすと、あちこちで使われている石です。下仁田町で見られるものの写真を撮っていなかったので、我が家のまわりのもので紹介を

玉村町の火雷神社
 狛犬・石灯籠は花こう岩です
 さびれてみえる神社ですが、この神社は上野(こうずけ)十二社の八之宮。
なお一之宮は、富岡の貫前神社です。








        花こう岩は公共施設などにもよく使われているかと思います。
墓所にもたくさん見られます。
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下仁田の山の中に、自然のままの花こう岩なんてあったかなあ?・・・と思いませんか。
   石材として利用されたものなら見ますが。
そこで、下仁田の花こう岩の仲間の分布図をのせてみます。

図が小さくなってしまいましたが・・・・・真ん中付近に下仁田駅があります

 

 
ピンクに塗った場所が花こう岩の仲間の見られるところです。
どこも点々として小規模分布ですが、比較的広く見られるのは、上図の左上地域の小坂付近や、右上の神成山(かんなりやま)になります。平滑(なめ)花こう岩と名前がついています。

 
この図を見ても、首をかしげたくなる・・・・神成山にハイキングに行っても、西牧川に沿って国道254号線を走っても、ごま塩模様の石なんて、見たことない、と。
じつは、下仁田の花こう岩の仲間は、花こう岩らしくない顔つきをしていたりで、ちょっとわかりにくいのです。学校の授業向きではないですね。
 しかも、ほんの少し見られるだけなのに、かなり古い時代のものと少し新しめの時代にできたのがあったりと、できた時期の違うものが入り交じり、けっこう複雑なのです。
以下に、少し詳しく解説を書きます。
 
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その前に、花こう岩の一般的説明を。



マグマが地下でゆっくり固まってできた、白っぽい岩石が花こう岩。

 < 補足>
全体にピンクやかなり赤っぽい色の花こう岩もあります。これは含まれる長石が白ではなくてピンクや赤っぽい色をしているためです。都会では、壁や床に使われたりしているのを見かけます。輸入されものです。
   谷川岳地域は広く花こう岩が分布しますが、ピンク色がかった花こう岩がみられます。
 
左上は我が家近くの利根川の川原に転がっていたものです。少々ピンク色。右は磨いた石材。
少し色づいてみえます。
それよりもっと注目していただきたいのは、構成している粒が、それぞれ大きいことです(何のこと?といわれそう・・・)。


「地下深くでゆっくり冷えて、一つ一つの粒が大きくなった」といわれますが、なんだかわかりにくいですよね。教科書によくあるような図を載せてみます。(図の中のアルファベット文字は無視して見てください)
 


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←岩石の表面を拡大してみたときの図

上の図 : 溶岩のように、早く冷えた石。
大きい粒(はん晶は)結晶が育っているけれど、まわり(石基)はほとんど育つ暇がなく固まったということ。

下の図 : 花こう岩のようにゆっくり冷えたもの

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  実際の岩石を透き通るほど薄くすって顕微鏡で見ると、こんなのが見えてきます。                                               
自然学校の中島啓治さんが下仁田の石をすって顕微鏡で見て、写真にもとっています。
後ほど紹介します。乞うご期待。

       
花こう岩の仲間は詳しく調べられていて、成分、鉱物のすこしの違い,結晶のようすなどで専門的にはいろいろな名前がつけられ、複雑です。専門家でないと、よくわからない!
下仁田にも何種類かの名前が出てきます。
 
下の表に、マグマが固まってできる石を表にしました。
ここでは黄色の網掛け部分を一応、花こう岩の仲間としました。
花こう岩の仲間の中で青字になっているのは下仁田にあります。
     
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下仁田の花こう岩の仲間 古い順に書きます

    (写真のないものも多く、それは解説だけになりますがお許しを。自然史館には
    サンプル展示もありますので、いらしたときにごご覧いただけます。)
 

川井山石英閃緑岩----- 2億7千万年前 
クリッペを形成する川井山とふじ山に見られる石。蒔田不動の滝はこの石です。激しく破砕された部分もあり、風化すると真っ白にみえます。こんな古い時代の花こう岩は日本にはあまりありません。

                  石英閃緑岩なので、花こう岩より少し黒っぽい石です。
 

四ツ又山石英閃緑岩---- 1億1千万年前 
四ツ又山はクリッペのひとつで、時代も種類も異なる様々な岩石からできた山(砂岩・泥岩・チャート・石灰岩・四ツ又山石英閃緑岩など)。
なお、“川井山石英閃緑岩と同じもの”という考えもあります。(岩石は後から熱を受けると、できたときの年代ではなく、熱を受けた年代が測定されるので、年代が若返ることはあり得えます)


平滑(なめ)花こう岩----------- 6500万年前 
花こう岩というと黒ウンモの入ったごま塩状の石を思い浮かべますが、これには黒い点々は見当たりません。白や赤みがかった石で、黒雲母はみあたらない・・・普通ではとても花こう岩には見えない・・・。中小坂から神成山方面まで見られます。小坂川が西牧川に合流する付近の川岸にも見られます。鍬柄岳の岩峰もこの石です。

この石が地層に貫入した時、中小坂鉄山の鉄鉱石ができたと考えられています。

 

これがどうして花こう岩??
顕微鏡でよくみると、もう黒くないけれど、黒雲母だった
「あと」がみえるのだとか。
右は平滑花こう岩の野外での様子。
なんだかよくわからない石・・・       写真 :中島啓治さん  
 
透明に見えるまで薄くすって(薄片にして)顕微鏡で見ると、たくさんひび割れで砕けたように見えます。何か強い力を受けているように見えます。顕微鏡写真、あとで紹介します。
平滑花こう岩は中央構造線に沿って分布しているので、なるほどと思えます。







(せん)(だいら)花こう閃緑岩------ 6500万年前 角閃石という鉱物を含み、少し暗色に見えます。

           このサンプルをみても、肉眼では花こう岩には見えませんが、顕微鏡で見ると、花こう岩のつくりが見えるのだそうです。





()(やま)花こう斑岩--------- 5500万年前


神農(かの)(はら)礫岩の礫・石英斑・・)・・・・・

            礫(いしころ)の種類の石英斑岩は8500万年前のものだそうです
         含まれる長石が赤みかっていて、赤っぽく見えるのでよく目立ちます。
         神農原礫岩そのものの堆積時期は8500万より後には違いないので
         が、いつ堆積したかは、わかっていません・・・

     この礫にはひび割れが入り、なかには、それが少しずつずれて、お皿に載せた
     お刺身状になっているという特徴的な形態を示すものもあり、「ずれ礫」と
     よばれています。どうやってこんなになったか、興味がわきます!
  

 
神農原礫岩のずれ礫(石英斑岩・含まれるカリ長石が赤っぽい色をしていて、目立つ)

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日本にある花こう岩を調べると 中生代の終わりの白亜紀後期から古第三紀はじめにかけてできたものがとても多くみられます。年代は1億年から5000万年ほど前のものになります。下仁田の花こう岩の仲間にもこの時代のもの、ありますね。


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    神戸の六甲山は花こう岩でできています。その神戸には御影(みかげ)という地名があって、花こう岩の石材がたくさんとれました。

    「 なーんだ花こう岩って、”みかげ石”のことだったんだ」という人もいるかも。
            
    (なお、黒みかげ というのは、花こう岩ではなくてハンレイ岩です。成分がちがいます)

    山陰や中国地方にも花こう岩がたくさん分布しています。


    この石、風化してぼろぼろになるのです。
    硬く、ピカピカと輝くようにきれいに磨かれ、ビルの壁や足元の敷石を飾るこの石が風化しやすいとはとても思えません。しかし、人の一生よりもっとずっと長~い時間、地球の歴史の時間単位で考えると、花こう岩は地下深くまでぼろぼろに風化する石なのです。30mとか100mとかいった深さまで風化することもあるとか。ちょっと信じられない・・・
    その細かくなった粒が海まで運ばれ、「白砂青松」の砂浜となりました。瀬戸内海の白砂青松の美しい景色には、花こう岩が一役かっているというわけ
    (なお、沖縄の白いビーチは、サンゴや貝や有孔虫からできていて、花こう岩には関係ありません)。

    さらさらとした粒は真砂(まさ・まさご)とよばれます。どこかで聞いた言葉ではないですか。きめの細かい砂を真砂というようですが、花こう岩から真砂がたくさんうまれる・・・

     
     出雲地方は古来からの製鉄技術の「たたら」が知られています。

    やまたのおろちの尾から立派な剣がでてきたというのも、この技術を伝説に取り入れたものでしょうか。
    下仁田の中小坂鉱山は高品質の鉄鉱石をもとに製鉄をおこないましたが、たたらは何を使ったかご存知ですか。「砂鉄」ですね。では、この砂鉄がどこから来たかは?

    じつは、出雲の砂鉄は花こう岩の仲間からやってきたものなのです・・・・・・・
       花こう岩のどこに鉄のもとがある???花こう岩を見ても、ふつう、わからない。あの黒い雲母
       の粒?いいえ、違います。

    花こう岩の中には磁鉄鉱などがほんのちょっと入っていて、砕けた石から磁鉄鉱などだけが選り分けられて、それが砂鉄になって集まって・・・(水に流されたりすると、比重の違いで集まります・・)
    ホント??と疑われそうですが、ホントの話。
    (・・・ちょっと心配になって、インターネットで製鉄会社のページを開いて確認してみました。一般の人向けに工夫して、いろいろなことが書かれてありました。)
    それにしても、花こう岩が相当たくさんないと、砂鉄をたくさんとるのは無理でしょうね。
    たしかに、あちらの地域には「相当たくさんの花こう岩」があるのです。

    島根県の斐伊川は荒れる川。かつては何本にも枝分かれしながら流れ、しばしば流れを変え荒れ狂う・・・・枝分かれの様子からいくつもの頭を持つヤマタノオロチの伝説もうまれた、オロチは「洪水の化身」という説もあります。

    たたらが盛んになると、自然に集まった砂鉄ばかりでなく、花こう岩の風化した砂を大量に流して砂鉄を集め、その結果川はさらに荒れ狂う・・・・
    たたらには大量の燃料が必要で、そのために木を切り払い、保水力を失った山はさらに洪水を引き起こしやすくなったともいわれます。

     西日本の、花こう岩の岩肌の見える山地の姿には、花こう岩のもつ性質だけでなく、この歴史もかかわっているかも、などと、ちょっと思ったりしました・・・


    日本で最初の近代製鉄の歴史を持つ下仁田で、日本古来の製鉄の世界にも思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。
     
     

    

    2013年10月22日火曜日

    岩石④ 緑色岩・輝緑凝灰岩・枕状溶岩

    緑色岩類・輝緑凝灰岩(きりょくぎょうかいがん)
    青岩付近の川原でもたくさん見つかります 
      
    <緑色岩>

    緑色の石のこと?と、誰もが思います。緑色の石といっても、いろいろな種類のものがあるだろうに、とも思えます。ところが、緑でない緑色岩もあると聞くと・・・・・エーッ何それ??・・・・・・
    じつは、私もあまり説明をしたくない気分なのです。 説明しにくいなあ・・と。 
    下の写真の二つはどちらも緑色岩
      
    左側は川原の石の観察会でよく目にする石。輝緑凝灰岩と呼んでいるものです。




    緑色岩とは

    玄武岩質の溶岩や火山灰、枕状溶岩や貫入岩が、熱(低め)と海水の作用で少し変質したと考えられるもの

    ・しばしば緑色になりますが、赤紫色などにもなり、これも緑色岩と呼びます。
      色を書いてみましょう : 暗緑・緑・黄緑 ・ えび茶・赤紫・青緑・赤紫を帯びた灰色・・・
    ・ややざらついた岩肌をしています
    ・なぜ緑色になる?・・・緑色の鉱物ができたから・・・鉱物の名前は 緑泥石、緑レン石など
                                                         (実務者のための岩石肉眼鑑定法 より)

    輝緑凝灰岩は玄武岩質(苦鉄質)の火山噴出物がほんのすこし変質したもので、秩父帯のような古い時代のものがしばしばこのように呼ばれています
    古い時代の地層でたくさん目にする、見かけに特徴のある石で、古くから使われた名称ですが、最近は緑色岩とよばれることが増えているようです。玄武岩質火山噴出物ともよばれたりします。
    用語も時とともに変化していっています。どれが正しい正しくないというわけではなく、多くの人が使うようになった言葉が広まっていったといったところでしょうか。

    名前には名付けられた歴史があり、流行もあり、少しずつ変わっていったりもするというわけです。定義・意味も少し変わってきたりすることもあります。
    私たちの生活でも、「スポーツ選手」がいつの間にか「アスリート」になっていたり、料理の「作り方」が「レシピ」になったり、たくさん見かけますよね。










    下仁田自然学校作成の「かぶら川の石図鑑」から、輝緑凝灰岩と緑色岩のページを載せておきます。(ページを開いただけのゆがんだ写真でスミマセン。先ほど思いついたといったことで・・) 参考にしてください。
    緑色岩は三波川結晶片岩の分布する地域でみられ、
    輝緑凝灰岩は秩父帯で見られると書かれてあるのがわかります。
    地質調査をしているとき、これらの岩石は明らかに区別できたわけです。でき方が同じようだと、今ならいえるのかもしれませんが、そんなことは以前、わかっていたわけではありません。違う名前がついたのもうなずけます。

                                


    <補足>

    「ミカブ緑色岩類は結晶片岩の仲間だといったじゃないか」、といわれそう。
     ミカブ緑色岩は三波川結晶片岩の仲間で、変成の弱いものと紹介しました。
     2億年とかいった昔の海底火山の噴出物が変化してできた、弱い変質のものです。
     定義からいうと、これは緑色岩になりますよね。『これを結晶片岩っていうの・・・・!!」などと
     いうもいるくらいです。というわけで、わざわざ、緑色岩類などと言っているわけです。
     ミカブ緑色岩は三波川結晶片岩ができるときに同じはたらきでつくられたので三波川
      結晶片岩の仲間になりますが、緑色岩というものは、他の場所でも、あちこちでできている
      という関係・・・何だかゴタゴタしてきました・・・私もよくわからない・・・
    どうでもいいような面倒くさい話ばかりして、ゴメンナサイ
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    海の中にもたくさんの火山があるのはご存知でだったでしょうか。

     陸の火山と少し性質が違ったりします。
     この火山から噴出するのは黒っぽい岩石・玄武岩です。
        一方日本の陸上の火山だったら、灰色の岩石・安山岩が多いですね。

    <補足>
    黒っぽい火成岩の性質を表す言葉 3つ
      ・玄武岩質    ・苦鉄質(くてつしつ)   ・塩基性

     どれも同じような意味で使っていると思います。本にはどれも出てきます。
    「塩基性」は化学の時間に勉強した「アルカリ性」になるわけではありませんので・・
    色の濃い鉱物が多く含まれていて、鉄やマグネシウム成分が多いものになります。
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    下仁田のどこにあるの?

    仁田では、輝緑凝灰岩とよばれるものは古い時代の岩石の分布する下仁田の南の地域(地質の秩父帯)にたくさんあり、南牧川(なんもくがわ)の河原の石にもたくさん見られます。
    赤紫色のものが多いですが、緑色混じりのものもみられます。南牧川と西牧(さいもく)川が合流した川・(かぶら)の礫にも、もちろんたくさん見られます。
    緑色岩は三波川結晶片岩の分布地域ですね。
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     枕状(まくらじょう)溶岩   

    岩石名ではなくて、岩石の産状についていう言葉です。
    枕状溶岩を形づくる岩石はもともとは玄武岩で、古くなると緑色岩に変質しています。
    下仁田の枕状溶岩は、古い時代のものなので、緑色岩になっています。


    水中に流れ出した溶岩の表面が急冷されて表面が固まり、内部のかたまっていない部分がさらに流れ出し、ソーセージ状になって積み重なってできたもの。枕を積み重ねたような形に見えるということで枕状溶岩と名付けられました。でも枕といっても、私の使う枕とはずいぶん違うなあと、いつも思っていたものです。

    太さは数10cm~数m。断面には放射状の割れ目が見られたりします。ハワイの火山で、海に流れ出した溶岩から形成される様子が撮影され、テレビで放送されていたこともあります。

        というわけで、現在つくられているものから、はるか昔のものまであるわけです。

    地層の中で見つかると、そこはかつて水中だったことがわかるし、その形から、地層の上下(どっちが海面方向だったか)がわかることもあります
     

    ● 下仁田で見られるもの 

    茂垣((もがき)の枕状溶岩  
    写真 堀越武男さん
    秩父帯という古い時代の岩石の分布地域にあります。
    ですから、非常に古い時代のもので、そこはかつては海底火山だったわけです。
    この枕状溶岩も緑色岩でできています。

    *先ほど、上の写真の枕状溶岩の分布地域を、「ミカブ緑色岩の分布地域」と書いて公開してしまったのに気づきました。間違いです。既にお読みになった方、ゴメンナサイ。正しくは秩父帯です。
    なお、ミカボ山を通るスーパー林道はミカブ緑色岩の分布地域で、ちょっとわかりにくいですが、ここでも枕状溶岩が見られます。



























    房総半島・鴨川の枕状溶岩  (上と下の写真)
      
    今は火山のない県、千葉県でみられる昔の「海底火山」の溶岩です。
    古い時代のものです。


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    緑色岩も庭に飾られます。
    下仁田の青岩のような石は三波石としてずいぶん愛されてきているでしょうが、もう少し違った感じに見えるものも、お庭で見かけます。
     「 あの学校の玄関近くに大きなのがあったなあ」とか、「あそこの庭にあったのもこれだったかなあ」などと今頃そんなことを思い出しているところです。
      
                                
    下仁田町の文化ホールの前に置かれた石にもあったかな・・と、以前にとった写真を見てみました。上の写真は緑色岩かな?
    日本庭園に使われた石には何があるか・・・チャートなども使われていますよね。
    石と松、これらが主人公の世界でしょうか。
    あらためて、お庭に飾られた石など、眺めて見ようかと思っているところです。
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    中国の上海近郊の世界遺産の庭園を見学したことがあります。水と、とにかくたくさんの石が使われた庭でした。風雨にさらされて奇妙な形に削られ溶かされた石灰岩が大量に使われていました。遠くから運河で運んだものとのことです。高価な石を、財力のある人たちが競って使ったようです。日本とは少し違った感覚も感じられます。また、石を敷きつめて、さまざまな模様をつくりだしてもいました。   昔から人々は石を愛でてきたのがわかります。
                


       蘇州の名庭 
       獅子林  
    周囲の岩石は石灰岩(太湖産出の太湖石)
    水によって奇妙な形に
    溶かされています

    この地域は水路が張り巡らされていて、庭にも水が多く、蓮が一面に育っていました



    足元にはきれいにデザインされた小石が敷きつめられて、たのしませてくれています。
    もっとすてきなのがあったのに、写真を撮っていなかった・・残念



     

    2013年10月15日火曜日

    岩石③ 結晶片岩


      結晶片岩

        下仁田の青岩公園の石はこの仲間です。岩石が地下深くに押し込まれ、高い圧力を受け
    
    下仁田青岩公園
    変化してできた岩石です。

    庭石によく使われます。

    群馬県や埼玉県の人なら
    「どこかで見たことのある石」 なのでは。三波石という名前で知られています。
    神流川沿いの町、鬼石町(おにし町・現在は藤岡市)では、かつてたくさんの庭石業者が石の販売をしていました。
    鬼石には三波石峡(さんばせききょう)という名勝もありますが、下久保ダム完成後、渓谷の美しさが失われてしまいました。今また、回復の努力をしています。


    宮沢賢治が盛岡高等農林学校3年(2年?)の時、学校の行事「秩父・長瀞・三峯地方土性地質見学旅行」で長瀞にやってきたことがあり、そのとき、川岸の石のことを友に書き送りました。

        つくづくと「粋なもやうの博多帯」
            荒川ぎしの片岩のいろ

    長瀞にある三波川結晶片岩を詠んだものです。今では、博多帯ってどんなんだっけ? という人の方が圧倒的に多くなりました・・・・博多帯がわかっても、結晶片岩として下仁田の青岩の石を思い浮かべると、歌の意味がわかりません。
     結晶片岩は青緑色が多いとはいえ、赤・白・黒・ピンクなどさまざまな色あいがあります。そのどれも、うすい板を重ねたように見えるという特徴を見せています。長瀞の岩畳がまさにそれ。その姿が、博多帯を連想させたわけです。埼玉県立自然史博物館から荒川におりてすぐに目にとまる「虎岩」の、褐色と白の複雑に褶曲した縞模様などは、きっと賢治の歌心を誘ったのではと言われます。色の違いはもとになった岩石の違いなどからうまれます。
    四国の大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)も美しい渓谷として有名です。ちょっと行って見たくなるような地名です。

    なぜ「長瀞結晶片岩」でなくて 「 三波川 」結晶片岩?

     いちばん有名な景勝の地は長瀞でしょう。それなのに、名前をつけるとき、長瀞でなく、知名度の低い「三波川」がなぜ選ばれたのか?・・・

    三波川ってどこにあるかもわからないですよね。鬼石に、神流川の支流の三波川という小さな川があります。三波川という集落もあります(現在は藤岡市)。群馬県の人には、冬桜で有名な桜山公園の付近、と言ったほうがとおりが良いかもしれません。
       
    この岩石を最初に研究した人がこの三波川で調べ、三波川結晶片岩と名付けました。
    名前は最初につけたものが尊重されます。

    こうして群馬県の地方の小さな川の名前が全国区の名前になりました。

    私の住む玉村町では、南部を流れる烏川の対岸に神流川が合流しています。そこで、川原にたくさんの結晶片岩が転がっていることとなります。本家本元の三波川からやってきた石もあるかもしれない・・
    小学校の頃、学校の授業でこの川原にやってきて、一日中遊びほうけていたこともありました。学校からゴロゴロとリヤカーを転がしてきて、帰りには石を積んで帰りました。
    先日、ちょっと出かけて、川原で拾ってきました。写真でごらん下さい。
     


    まず、身近に見られるものから

    三波石は、立派なお庭でなくとも、こんなふうに気軽に使われています。
    青緑色の結晶片岩です。写真はちょっと白っぽく写っていますが・・・



    下には玉村の川原の石ころを載せます。
    白っぽいものも多く、少しピンクがかったものもあります。太陽の光をあびると、銀色にきらきら輝くものもあります。結晶片岩についてはあまり知らないのですが、これは絹雲母。ですから石の名は、絹雲母片岩となります。写真では、どれもきれいに見えないのですけど・・・
     下仁田の青岩より、高い圧力でできた石が多そうです。 
    すぐに区別できる石のようにも思えますが、奥栗山渓谷の細かなしわ模様のチャートなど、私には結晶片岩かと思ってしまう。あのチャートは大きな力を受けたチャートだそうですが、いったいどこから結晶片岩に分類するのか・・・新しく変成鉱物できている必要はあるでしょうが、肉眼ではなかなかわからないのでは・・・・石の区別はむずかしい・・・
    左は、秩父で道ばたに崩れていた石です。絹雲母片岩といって、ぺらぺらはがれる雲母の性質そのままのように、うすくはがれていきます。

       

    結晶片岩ってどんな石>
        どうやってできたのか。 いつ ・どこで ? ・・・・ 理屈っぽい話になりますが・・・・
     
    l 岩石が地下深く押し込められ、 溶けることなく固体のままで変化してできました。
    このとき
    新しく鉱物が生じて平らに並び、薄くはがれるような構造になりました。この構造を「片理」といいます。
    下仁田の青岩の石も、弱い片理が見られます。この鉱物が、さまざまな色合いのもとになっています
    l  有名なものが三波川結晶片岩。
     群馬県藤岡市鬼石を流れる神流川支流の三波川の石が最初に研究されたので、三波川結晶片
    岩と名づけられました。
    下仁田の青岩は三波川結晶片岩の仲間ですが、圧力が少し弱めでできて、はがれるような構造
    弱いので、特に   
        ミカブ緑色岩類  とよばれています。庭石にはこちらの方がよく利用されるようです。
     
    青岩の石は玄武岩質の岩石(マグが冷えてできた石で、黒っぽいもの。専門的には苦鉄質の岩石と言います)が地下深くにおしこめられ、高い圧力を受けて変身してできたものです。この苦鉄質の岩石は海底火山の活動などでできたものといわれています。もとは海底の岩盤でした。
    ですから青岩の石は
    「生まれは海底の火山で、海の底をつくっていたが、やがて地下深くに押し込められ、ものすごい圧力を受けて変身し、そして再び地上に持ち上がってきた」という、大旅行と大変身をしてきた石なのです。


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    下仁田の東の方に御荷鉾山(みかぼやま)があります。下仁田の結晶片岩はミカブ緑色岩とよばれます。ミカボでないのは、この石を最初に研究して報告した学者が、ミカブと間違えてしまったから。そんなの直せば良いだろうと思ってしまいますが、学術的に最初に報告されたものは、そう簡単には変更しないのだそうです。それで、今でも、ミカボ?ミカブ?どっちだっけ・・・と 間違いそう。
     
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    l  結晶片岩の種類   
    結晶片岩には緑色片岩・黒色片岩、珪質片岩、雲母片岩など、いろいろな観点からいろいろな呼び名があり、いろいろな色のものがあり、いろいろな種類があります。

       もとになった岩石もさまざま、受けた圧力もさまざまなので、顔つきもいろいろ変わってくるわけです。名前も様々につけられてきた歴史があり、混乱してきそう・・・・・・
     
    青岩の石は緑色片岩の一種です。
    緑色の鉱物の(りょく)(でい)(せき)をたくさん含んでいるもので、これは岩石学的には緑泥石片岩となります。
    この地域の結晶片岩という意味では、ミカブ緑色岩類になります。何だか混乱しますよね。

      結晶片岩は、「青や緑がかったものは、玄武岩質の石からできたと考えられる」などと、岩石としては詳しく調べられています。
     
    l  含まれる鉱物から、変成作用の時の温度や圧力の推定ができ、低温高圧でできたとわかっています。

      ところで、「低温」って、何度くらいだと思いますか?三波川結晶片岩は200℃~300程度、せいぜい400℃程度でできたといわれています。これが地質の世界では「低温」です。(この温度で正確かなあ、とちょっと心配・・ご意見等ありましたら、お寄せください)「深く」は15km~30kmなどといわれたりします。圧力は6000気圧から7000気圧など。(長瀞の石は200~300℃、圧力6000~7000気圧でできたそうです)
                  

    補足解説:(1気圧は私たちの住む地上での圧力です。水深10mも1気圧の水圧になります。1気圧は1cm1kg の重さがかかっていることになります。けっこう大きい感じがしますね。
    世界最深の海、マリアナ海溝の水深1万m=10000m=10kmでは1000気圧。これ、1cm1000kg=1トンの重さがかかるという力です。(淡水の重さで計算していますので、海水なので、もうすこし大きくなるでしょうが)

      7000気圧・・・・1cmに7000kg=7トンの力がかかる・・・すごい力です・・)


    l  圧力を受けて、結晶片岩となったのはいつ? 
    もとになった岩石は、ジュラ紀の海底火山の噴出物で、圧力を受けて変成したのが白亜紀後期、8,000万年ほど前ではといわれます。年代測定では7,000万年から1億年前ほどの数値が測定されているようです。ただし、こういった数値については異なった意見があったり、研究の進展で変わってくることもあります。

       
    ちなみにジュラ紀は2800万年前~14600万年前、白亜紀は14600万年前~6500万年前。
     <結晶片岩の見られるところ>
          結晶片岩は限られた地域で見られる岩石です。
     
    l  三波川変成帯は中央構造線の南側に沿って、
    狭い幅(最大でも幅30km)で、なんと九州から関東まで
    1000kmにもわたって分布します。


     l  下仁田のどこにある?
    中央構造線(大北野-岩山断層)より南側で、
    青岩より東の地域でみられます。
               (図はすべて下仁田自然学校作成のものです)



    青岩近くのクリッペの山・御岳(おんたけ)は下部の少しなだらかな部分が結晶片岩でできています。  
                          
    山の中腹の 黄色いはちまきのような黄色の線より下側が結晶片岩、上が砂岩泥岩。下はなだらかな地形になっています。
    平らに割れやすい結晶片は、のっぺりした平らな感じの地形をつくりやすいわけです。(線は私がエイッと書いているので、少し不正確ですが・・・)

    自然史館付近にも顔を出しています。有名なジオサイトとなっている大崩山クリッペの底は断層になっていて、断層の下は青岩と同じ結晶片岩(ミカブ緑色岩)です。断層付近はぼろぼろに砕けています。
     
    もう少し広い範囲で見ると、下の図のようになります
    結晶片岩が広く分布しているのは、下仁田より東で、中央構造線より南の地域ということがよくわかります。

    黄色はくりっペ部分です。小川町にかけて、数ヶ所か見られることに注目です。

    西御荷鉾山は結晶片岩地域にあります。おだやかな山容の山です。

    稲含山は、結晶片岩からはずれた地域にあります。そういえば、チャートの山でした。



     
      地下深くからどうやって地表まで上昇してきたの?
           はっきりわからない・・・    押し上げられたということのようですが・・



    
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    三波川結晶片岩以外に、結晶片岩ってあるの?
     低温高圧の変成を受けた変成岩は、北海道の神居古潭(かむいこたん)や中国地方の一部といった地域でも見られます。
     石狩川の渓谷神居古潭も、三波川変成岩の分布地域同様、景勝地として知られています。
     中国地方については、私はほとんど知りませんので、ここまで、ということで。

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    板状に割れやすく強度の足りない結晶片岩は、実用的には使われなかったかもしれませんが、その美しさで、観光地になったり、庭や塀を飾ったりしてきました。
    人々を楽しませてくれた石 といえます。