八ッ場ダム ? はて・・何でしたっけ?・・・かな・・・
民主党政権時にダム建設中止が打ち出され、マスコミにも大きく取り上げられた八ッ場ダム、今どうなっているか、ほとんどの方はご存じないと思います。
簡単に今のようすを書けば
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2015年 ダム本体の工事着工
2016年10月より、コンクリート打設工事始まる
2019年完成を目指す
こんな予定が出されています。今はダム本体の工事が進められています。
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国交省は今、盛んにダム建設見学ツアーを宣伝しています。
[ダム建設で変貌 ツアーは今だけ」
「国交省 地域活性へ工事見学ツアー」
「(完成までの)残り3年の 今しか見られない光景をぜひ見に来て」
「八ッ場工事 見に来て、ホタル観賞や紅葉狩りセット 個人や団体向けツアー」
「八ッ場ダム見学のプログラム開始へ 国交省小中学生向けへ」
「八ッ場ダム 大きさ体感 工事現場ツアー」
地元出身の20~30代女性の「コンシェルジュ」が案内
ツアー代金は無料
英語版資料も用意 などなど、 新聞紙面に載る言葉の数々です・・
今しか見られない・・・しかもタダ・・こんないい話はない! って、思いますよね。
でも、ちょっと待ってください。同じように、今しか見られない、料金はタダ、問い合わせればその道のプロが解説してくれるかもしれない、高い学術性のある話が聞ける・・こんな事業が、同じ八ッ場ダム建設地域にあるのですが、ご存じないですよね。新聞等でも目にとまらないし。
この事業の資金を提供しているのは国交省で、八ッ場ダム建設の事業予算にちゃんと入っているのですが。私、案内していただき、熱心で丁寧な説明もしてもらっています。しかも、一度だけではありません。
それって何 ❓
ダムができると水没してしまうもの、発掘中の考古遺跡です。
縄文から平安の遺跡、そして江戸時代、浅間山の天明の噴火による泥流に埋もれた家、畑、寺院などが、今大量に掘り出されています。
天明の遺跡では村全体がそのまま掘り出されているといいます。日本のポンペイ、と呼ぶ人もいます。村の様子がそのまま再現できます。
調査担当は 群馬県埋蔵文化財調査事業団。
(最近の発掘では、榛名山の噴火による火砕流に巻き込まれて見つかった「鎧を着た人」の発掘で大々的な報道がされたのが思い起こされます。渋川市北橘町にある事業団の建物で行われたその展示には、私も見学に出かけました。)
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あまり目にはとまらないのですが、今、八ッ場ダム地域の発掘の展示が、北橘町の事業団の建物で行われています。天明噴火に埋もれた村の展示です。
よみがえった江戸時代の村 -天明三年浅間泥流下の発掘調査から-」展の開催
5月21日から9月3日まで 7月2日には職員によるギャラリートークがあります
http://www.gunmaibun.org/info/event.html
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この地域は浅間山から23kmの距離であり、噴火後1時間足らずで泥流が到達、火のついた岩も流れてきたという話です。川底から30m以上もの高さにある場所に住む人の住居が、この時埋もれました。
工事に伴い立ち入り禁止区域もひろがり、遺跡もますます人の目から遠のいていきます。
ですが、
本来なら、もっともっと話題になっていいはずの場所です。
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天明噴火で埋もれた遺跡
埋蔵文化事業団のパンフレット 2015年3月27日 第23号 より |
たくさんの下駄など腐らずに見つかり、梅干しはそのままの色だったとか。線香が立ったまま見つかったと聞いた覚えもあるのですが、そうだったかなあ・・
埋蔵文化財事業団のHPをみると、様々な案内があり、例えば、西宮遺跡なら、下のアドレスに案内があり、携帯電話の番号まで記されています。こちらに相談すると、現地案内などの相談にも乗っていただけるようです。私はいつも、設定していただいた見学会に参加させてもらっていたので、詳細は知らないのですが。
当日は、とても誠実にていねいに解説をしていただいています。きっと、見学歓迎なのだと思います。
西宮遺跡:
http://www.gunmaibun.org/remain/iseki/hakkutu/2017/20170615-6.html
次は石川原遺跡:水を引いてつくった池・築山のある寺院がありました。泥流の流れが強く、建物は流さてしまいました。住職が命からがら山に逃げたという記述が伊勢崎市の古文書にあります。どうやらこの寺らしい。
http://www.gunmaibun.org/remain/iseki/hakkutu/2017/20170615-7.html
他にもたくさんあります。発掘調査を始めてみると、この地域は
ダム湛水による水没地域全体が遺跡だったのです。
縄文の遺跡
ここにはたくさんの縄文住居跡があります。住居跡などがたくさんあったようで、びっくり。住居跡が何百もみつかっている、など。読み間違ったかな・・などと思ったりするほど。後できちんと資料を見たいな、などと思ったり。
江戸時代の埋もれた遺跡の下に、あちこちから縄文の土器などが見つかるのです。あいだに、平安の遺跡があったりもするというのがこの地域です。
さらに、特に注目しなければならない貴重な遺跡があります。
「石畑岩陰遺跡(いしはたいわかげいせき)」
- 大量の縄文土器や獣骨が出土
- 縄文草創期から晩期まで 1万年以上にわたり、縄文人の生活の場だったことがわかっている
- 火を使ったあとに残る灰層が厚さ4mにも積もっている。横幅は約40m
これって、素人が聞いても、大変に貴重な遺跡 ですよね。
発見は1978年、吾妻線落石防止工事の際に発見されました。場所は、ダム本体工事現場。ダム工事に使う砕石を遠くからベルトコンベヤーで運んでいますが、そのベルトコンベヤーの陰になる場所です。水没する場所になります。
八ッ場大橋からの写真 |
専門家によれば、発掘には10か月以上かかるといいます。2019年完成という予定が建てられていますが、工事が終わってもその後試験湛水という、水を入れてみるということも必要です。いったいこの貴重な遺跡の発掘をきちんとやる時間的余裕はあるのでしょうか。貴重さを知らせることなく、お茶を濁したような発掘をするなどということはないでしょうか。発掘事業団の方々は、真摯に調査に取り組んでいるという雰囲気は伝わってきますが・・・
今のところ、この遺跡についての発掘計画は示されていないようです。
-------------うっとうしいかも知れませんが、ちょっと、グズグズ書かせてもらえば-------
この地域の上流になりますが、約8300年前(縄文早期中葉)の人骨が出土しています。
居家以岩陰遺跡(いやいいわかげ遺跡)といい、国内最古級の人骨です。全国でも数例しかない発見とのこと。日本は酸性の火山灰土に広く覆われ、骨は溶けてしまい残りにくい土地柄です。骨を焼いた跡があるようで、アルカリ性の灰で覆われていたことが幸いしたようです。
発掘は国学院大により、2015年夏。現地説明会も行われているようです。大きく新聞発表されたのは2016年秋。
発掘してもその成果を公表できるのは、詳しく調査してからかとは思うものの、2016年の八ッ場ダム本体工事が始まってから、初めて公表された・・と思ってしまうのは、考え過ぎでしょうか。「ダム工事に影響があってはまずい」という思惑が働いたのではなどと思ってしまうのですが・・・
我が家の近くでは、天明の泥流に埋もれた遺跡の発掘などが何度かありましたが、現地説明会をよく開いていました。こういう時には、たくさん人が集まるものです。多くの人の関心を誘うものなのです。
石畑岩陰遺跡は、できれば闇に葬りたい?迷惑?
さすがに闇に葬るのは無理でも、多くの人が目を向ける光の当たる場所には置きたくない・・・?
美しい花の咲くカザグルマという絶滅危惧種について「工事事務所は扱いに困っている」と、聞いたことがあります。ダムのすぐ近くが自生地でした。もうすぐその場所はほりかえされることでしょう。
いまでも、カザグルマがどうなっているは、まったく知らせませんよね。絶滅危惧種だから、やたらの情報は流せないということはあるとは思いますが。でも、地元に住む、カザグルマの土地の元持ち主も、ご存じないようです。カザグルマをこよなく愛してきた人なのですが。
移植するという話は聞いたことありますが、うまくいくのでしょうか。たしかに、何も知らせないのが一番気楽ですよね。
八ッ場では昨年度、川原湯温泉宿泊者へ3000円の宿泊費補助を行っていました。
ダム関連工事現場見学会(マイクロバスで移動)または八ッ場ダム事業説明会への参加が条件でした。
写真入りの「ダムカード」を作成していて、最初の2種類はすでに1万4500枚を配り切り、さらに工事進捗状況に合わせて完成までに計8種類を作る予定とか。愛好家の間で話題とのこと。
こういったことへの参加には、これほど力もお金も入れているのになあ。
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発掘調査は膨大となり、時間も調査費用も当初想定よりはるかに多くなっています。ちょっと、計画の変遷を
発掘予算 ダム総事業費
1986年 66億円 2110億円
2008年 98億円 4600億円
2016年 165億円 5320億円
お金がかかって、迷惑? いえ、貴重なものなのです。「遺跡公園として整備し、残したい」との要望もだされていました。2013年、科学者の会によるものです。
一部を抜き書きしてみます。
「八ッ場ダムの建設予定地という限定された一地域のなかで、縄文時代から弥生・古墳時代、古代、中世、近世、近現代までの集落の変遷とそこでの人びとの営みを系統的にたどることができるという、全国的にも類例のない貴重な遺跡群を形成しています」
全文は以下です。
http://yamba-net.org/?p=2323
一般的に考古発掘では、江戸時代のものは対象にしないと聞いたことがあります。しかし、群馬県では天明の噴火により流れ下った泥流によって埋もれた遺跡が吾妻川から利根川沿いに広くみられ、その記録を文書だけでなく発掘によっても残しています。考古学に携わる方々の熱意のたまものです。
発掘についての詳しい解説が以下にあります。八ッ場あしたの会のHPに載るものです。
発掘についての詳しい経緯が以下にまとめられています。主にこれらを見て、今回の文をまとめました。
水没する歴史遺産 (やんばあしたの会)
http://yamba-net.org/problem/wazawai/legacy/
私も、見学会の時の記録を少し書いたことがあります。今見ましたら、間違った記述がありました。恥ずかしい・・修正しましたが。
八ッ場の遺跡発掘
http://geoharumi.blogspot.jp/2016/12/blog-post.html
~~ 季節の話題を少し ~~
今までちっとも雨の降らない梅雨でした。
ところで、「梅雨に向かう頃は忙しい時」とご存知だったでしょうか。
・・紹介するにはみんな時期がすぎてしまった・・・この間も、こんなことを言っていた・・・反省しつつ、少し紹介・・・
「梅仕事」という言葉があります。 梅干し作る人は減りましたね。でも、梅の木があったり,近所で青梅をいただいたりすると、梅サワーや梅ジャムに。梅に酢と砂糖をいれるだけの梅サワーは、すし酢や酢の物として、とても重宝しています。
「ラッキョウ漬け」 最近は、ラッキョウ酢なるものを売っているので、ラッキョウを洗って根の部分をとって、放り込むだけ。
麦刈りは終わり、私の住む付近でも、田んぼに水が張られ始めました。田植えが始まります。ちなみに、すぐ近くの田では水はまだです。全国で一番遅い田植えではないかな、といつも思います。
プラムが熟し始めました。ビワはすっかり終わり。ビワを食べるには、烏やヒヨドリと競争です。
ユスラウメという実、ご存知でしょうか。熟したのは6月上旬だったかな。赤い小さな実、素朴ですが少し甘くさっぱりとした味でおいしいのですけれど。
今どきの子が思い浮かべるのは、サクランボだけかな。
アジサイはもちろん、梅雨時の花です。
季節のあゆみ、身近に味わってみませんか。
絵手紙は 小林生子さん