2021年4月29日木曜日

4月の花の頃の点描


 あっという間に「花」から「新緑」へ。

毎年、「もっとあちこちに行くんだった」と思うのですが・・・
行くの里山は、車で1時間かかるかかからないかで行ける場所がたくさんあるのに・・・

とはいえ、訪ねた場所や見た花など、少し並べてみましょう。

このコロナ禍の中、出歩いているとはなんだ、と言われそうですが、どこもほとんど人に出会わず、また、場所はすべて県内。
人の集まる観光地はやめて、こうした楽しみ方はいかがでしょう。


まずは町中から
 前橋市の市内、広瀬川べりを散策しながら行くと、立派な藤の見られる公園があります。「須賀の園」といいます。樹齢300年を超す藤もあります。

   いったい何年生きた藤だろう、と思ってしまう樹形です



明治42年、須賀さんが臨江閣(県庁近くの建物。昔は迎賓館の役割の建物でしたよね)などから藤を移植して作ったといいます。池もある回遊式日本庭園だったそうですが、だんだん面積も減り、前橋市が買い取って2004年からは無料の公園として開放しています。
 駐車場はありませんから「前橋子ども公園」に車を置いて、広瀬川沿いに散策路をぶらぶら歩けば行けます。
もっとも、もう今年は花は終わりですね。
 人々に愛され、手入れをされてきた藤なのでしょう。古い株が9本、新しく植えたのが8本あるそうです。

次は 里山で見た花
 松の木につていました。小さな花ですが、ランの仲間、カヤランです。きれい。
 この場所は地元の方に教えていただきました。
 野生のランは採取されてしまって、絶滅危惧種だらけ。この花も。
  梅の木や杉の木につくことが多いそうです。
  植物に詳しい方が、「松についているの、はじめてきいたな」と。
  「うちの庭木に黄色い花が咲いているんだけれど」と前橋の人に聞かれたことがあり、
  カヤランと教えたという人がいました。
  家の庭木につくかもしれませんよ。


すこし標高の高い所ではつぼみでした

ウラシマソウも咲いています
花の先っぽが長~い釣り糸のように伸びています



ウラシマソウは、それなり見かけます‥と言っても、最近、咲いている場所を何カ所も知るようになったから、こんなことを書いています。

植物には絶滅危惧種に登録されているものがたくさんあり、それを調べて記録し、保護に役立てようとしているのです。皆さんも協力お願いします。
きれいだから、珍しいからといって採っていって自分のものにするというのは、考え直していただけましたら。
というわけで、場所は内緒。





みなかみ町の早春
  新幹線上毛高原駅近くから周囲を見ました。
  山の光景と、水仙など植えた民家の様子が、とても素敵です。4月20日の様子です。
  

桃の花でしょうか。日の光を受けて輝いていました。
周囲はリンゴ畑で、リンゴの花のつぼみが膨らみ始めていました。


リンゴの花のつぼみ
ほんのり色がついています








山沿いではキクザキイチゲが咲いていました
白が多いですが、これは青色を帯びていました

 下仁田町の山です  3月18日のもので、少し古いですが。
     右方向には妙義山も見え、ここからの眺望、気にいっています。
     妙義山の入った写真がなくて、すみません・・・
白い山は浅間山、手前の山の左は鹿岳(かなだけ)溶岩が噴出した時の通り道が残って見えている「岩頸」です。その右、てっぺんがギザギザとしたのは四ツ又山、どこからか横滑りしてきた岩・地層の塊の「クリッぺ、根なし山」です。もう少しすると、桜が咲き、点々と見えます。

皆さんは、ご自身のお気に入りの風景、ありませんか。
ふるさとの風景なら、私は利根川とその後ろに広々と裾を引く赤城山。
  と書きながら、最近、赤城山の写真、撮ってないのに気づきました。










2021年4月22日木曜日

やんば天明泥流ミュージアム


天明泥流を伝える博物館(縄文時代の発掘品も) オープン

 多額の資金を投入してできた八ッ場ダム、
ダム本体だけでなく、じつはいろいろな工事が行われてきている。盛り土による代替地建設、道路、橋、鉄道付け替え、駅づくり、地すべり対策から地域振興施設建設・・・山間地に急に大土木工事現場が出現したような光景…
  ダム本体よりもこうしたことに膨大なお金が使われてきました。


 工事をするにあたっては、文化財調査が行われます。要するに、発掘があるわけです。
やんばでは、掘ったら、実に膨大な埋蔵文化財が出てきたのです。JR長野原の駅付近から八ッ場の駅、ダム堤へと、とにかくどこからでも、たくさん。
 あの付近は江戸時代の浅間山噴火による天明泥流に襲われており、村がそっくり埋まっていたのです。タイムカプセルと言われるくらいに。掘っても掘っても,家や畑、生活のあとが出てくるのです。膨大な量。

 普通、発掘調査があると、現地見学会が開催されるものです。今月、我が家の近くでも見学会があり、田んぼの下から出てきた水路跡の説明などありました。玉村道の駅付近です。古墳もたくさんあった地域で、発掘説明会は今までも結構ありました。参加者がいるものです。

 考古ファンの方、八ッ場での現地説明会って、行ったことありますか?聞いたことありますか?たかだか、田んぼあとの水路なんていう程度の発掘場所ではありませんよ。村ひとつ、結構大きそうなお寺の跡、名主クラスと言われるような堅固な作りの家の跡、井戸やら生活用品がたくさん・・・そんなの、聞いたこともことなかったのでは。 
 じつは八ッ場では、天明遺跡の下に、縄文時代の遺跡も広がって、たくさんの出土物があったのですが・・・見学ではなく、「工事現場で危ないので、見学許可しない」といった感じでしたね。遺跡見学を認めないという対応だったわけです。
 発掘担当は群馬県埋蔵文化財調査事業団で、そこに直接申し込めば見学できるという場合もあり、詳しい方がいて、私は数回、見学に行きました。でも、新聞に「現地見学会があります」なんていうのがのったりしたこと、なかったのでは。

 素晴らしい出土品がたくさんあるようです。
多くの人に見てもらったら、反対運動もあるダム建設、貴重な遺跡が水底に沈む・・という話にはしたくなかった?
 発掘担当の埋蔵文化財事業団の人たちは、本当は見てもらいたかったようです。「見学希望者は〇〇に電話ください」などと、携帯電話番号が書かれた看板が立っていたりしたのを見たこともありました。
 今回、この発掘品を展示する博物館が開館し、見学に行ってきました。よく工夫し、熱心に取り組んでいる方々がいるのではと感じました。

発掘品はまだまだたくさん収蔵されていて、入れ替えながら展示していくと聞きました。
現場で遺跡のをきちんと記録し、出土品の収蔵に努力された人たちがいたのでしょう。  

下駄がたくさん出てきています。
塗下駄もあり、豊かな生活だったのでは、

梅干しが入っていて、掘った時は梅干しそのままの色だったそうです


さまざまな生活用品


縄文時代の出土物、たくさんあります。    

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 やんばダム周辺の様子です。                       

湖に枯れ木の立つ場所が、以前の川原湯温泉の旅館の跡です。

この付近に何軒もの温泉旅館があったのですね。ムササビのやってくることで知られた木もありました。
上方に散策できる道がつくられたのです












ここに行くの、けっこう急な坂道をおりて・・・なんだか、わざわざ行く人、少ないんじゃないかなあ・・・             



昔、温泉街のどこかで使っていたのではというコンクリート製などの物が置かれてありました。ベンチになっていたのもありました。
かつての街の一部でも残そうと、心を寄せた人がいたのでは。何の解説もないので推測ではありますが。


一方で、でんと大きな石が置かれて、解説パネルが立っているものがありました。
「衣掛石」でも、触ってコンコンとたたいてみて、
 「ん?」   これって石ではなくて模造品。
これにお金かけなくてもいいんじゃないかなあ。








下はこの付近の工事をしている時の
 写真です。






ダム堤付近です  これからこの町はどう変わってくのでしょうか。
歴史や文化も大事にしていってほしと思います。


2021年4月14日水曜日

三波川の集落 身近な歳時記

三波川を訪ねて

 三波川さんばがわという名前、聞いたことあるでしょうか。
地質学を学んだことのある人なら、必ず出会う名前です。
「三波川結晶片岩」、「三波石」(庭石として有名)という言葉がすぐに出てきます。
この名前の石、関東から九州まで、細い帯のように狭い幅で、延々千㎞ほども見つけることができます。板状に薄くはがれるかのように見える、青緑色などの美しい石・・・などなど、解説も多岐にわたります。長瀞の岩畳もこの三波川結晶片岩です。

 ところで「三波川」は地方の小さな川の名前です。今、川の全長を調べたら、8.2㎞!
そんなに短かったのか、とびっくりでした。
 以前、三波川の集落を通ったことはありましたが、あらためて行ってみよう、と思っていました。行くなら、春の花のシーズンがいい。
というわけで、出かけました。1週間前です。 
  (実はそんなに遠い所ではないので、いつでも行けるのに、行っていなかった・・・)
                         
 この付近には、冬ザクラで知られた桜山があります。
ずいぶん昔、2度ほど来たことがあったなあ。途中にも桜が咲いていました。
場所は藤岡市。というより、”以前の鬼石町”、といった方がよくわかるのは何歳以上の人だろうか。

 桜山にもちょっと行きましたが、あまりに整備されていて、通り過ぎただけ。
かすかな記憶の冬ザクラ公園とは、ずいぶん違っていたような気がしました。



みはらしの良い場所に墓地があり
白い花の桜の大木がすてき。






西上州の里山の風景が広がっていました。



 三波川に流れ込む大きめの沢筋の道に入ると、中学校跡がありました。                 
 こんなに大きな学校・・・たくさんの子どもがいたわけですね。



「三波川中学校之跡」と刻まれています。
学び舎に、何かの跡を残したいという気持ち、わかりますよね。

 青空を背景に、大きく育ったメタセコイアが見えます。60年ほど前、この木は学校等公共施設に植えられました。「生きている化石」と言われた木です。終戦まぢかころ、日本人の三木氏が化石でみつけて命名した木が、その後中国で、生きて見つかったというものです。ああ、あのころたくさんの子どもたちが学んだ場所だったのだと。

廃校の建物を利用して、時折、子どもたちのための活動が行われているようです。

 ここからさらに、細い道を車で登っていくと、南郷という集落がありました。かなり急斜面で、杉林の繁る中、空き家が7件ほど、1軒はお住まいのようですが、もう1軒も生活されている?   ここでの生活、大変そうだな・・・
他の沢でもぽつぽつ家の見える場所があり、登っていくと一番奥が開けて、何軒かの集落があったりしました。ほんの何十年か前、自家用車なんてない頃、ここでほぼ自給しながら生活がなりたっていたのを感じることができました。
 ところで三波川は、沢深く流れ、石を見るのも難しそうでした。
この付近で、昔、調査をした人たちのおかげで、「三波川結晶片岩・三波川帯」という名前が生まれたのかあ・・・・ちょっと感慨深いことです。

 三波川は鬼石で神流川に合流し、流れ下ります。JR高崎線は新町駅のすぐ近くで神流川を渡ります。結構幅広い川原です。神流川はそのあとすぐ烏川に合流して、さらにそのあとすぐ、利根川に合流します。(何やら混乱しそう・・図で書けば簡単なことですね・・)
 私の育った場所はこの神流川が烏川に合流した地点の対岸にあります。そこで、烏川の川原に行けば、きれいな石・結晶片岩がいくらでも拾えたわけです。ですから、結構馴染みの石だったわけです。小学校の頃、学校の授業で川原に出かけ、石を拾ってきたりしたものです。烏川はそこからすぐに利根川に合流します。というわけで、利根川にも歩いていけ、そこにも出かけたりしたのを覚えています。利根川の石はまるっきり違う石で火成岩が多く、それほどきれいには見えませんでした。
 きっと半日かけてクラスで出かけていたんだろうな。川で遊んできた感じだったでしょう。のんきで自由なころだったなあ。
 でも、川によって全く違う石のあるのを、楽しく見たわけです。
いい先生たちに恵まれたと、今でも思います。

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自分の周辺の様子も、ちょっと紹介

庭の藤が咲き始めました。

毎年、すぐにクマバチがやってきます。
「やあ、
いらっしゃい。久しぶりだね」
いったいどこから、どうやってかぎつけて、やってくるのでしょうか。

ブンブン音を立てて飛んで怖そうな見かけなのだけれど、じつはあまり怖くないのだとか。暖かめの日は、小さなアブの仲間もたくさんやってきています。

庭のサンショの芽がずいぶん伸びて、あわてて摘み取りました。
「木の芽」とよべば、これのこと。春の芽吹きを代表する芽。
 山でたくさん取って佃煮にする人が多いでしょうが、たくさんの量がほんの少しになってしまって寂しいので、私はすこし乾かしてから電子レンジでチンして水分を飛ばし、カラカラにします。それをすりこ木でこすって粉に。葉っぱはすぐに粉になるけれど、茎はそうはいかない。これをあらためてカリッとさせてもう一度すりこ木でこすって、粉にしたり。
サンショの粉、買ったらけっこういい値段しますよね。
こんなこと言いながら、昨年のものが、奥に入ったまま、まだ残っていた・・・

 他にも食べられるものが顔をのぞかせています。タラの芽とアケビのツル。タラの芽はもう終わりの頃ですが。栽培用品種を少し植えたのが増えて、せっせと採ってみんなにあげていたのですが、とにかく増えて邪魔に感じ始めたころ、ほとんどが根から枯れてしまいました。外れた場所に少し残って、我が家の天ぷらちょうどよい程度の収穫となりました。三つ葉も葉っぱが大きくなっています。いつの間にか生えたニラも葉が伸びています。
 今でこそコンビニもある地域になりましたが、50年、60年前の昔なら、家の畑や庭で野菜を作り、ちょっとした山菜風の物も植え、柿やイチジク、ビワ、プラム、ユスラウメなどの果樹を植え、食べたものです。
 子供の頃の経験って残るもので、ビワもプラムもイチジクも桃も植えました。柿は剪定と消毒が大変と思ってやめましたが。イチジクはカミキリムシ被害で昨年枯れ、とてもおいしかった桃は、剪定を怠って上が重くなり、台風の時ぽっきり折れて、何とも残念・・・買えばいいというけれど、自分で育ててみるというのは、心豊かな気分になれます。ポポーのように、あちこちから芽がでてきて手にあまし、切ったものなど、それなり思い出もあります。北海道から持ってきたブルーベリーは、時々古株を切るだけで毎年実ってくれ、ジャムやお菓子に重宝しています。こうしたことに時間をとって生活できるのって、豊かともいえるのでは。とはいえ、夏の草退治は大変。こんなものたち、ない方が楽でいいのかも、と思ったり。都会育ちだった人の多くは、もう、嫌になるのだろうなあ。
体力的に大変になってきたら、悩むかも・・・
 
アケビの新芽
  タラの芽 大きくなりすぎですが

 平野にある我が家付近は、植えたもの以外には、山椒もタラも見けません。山に行かないとダメでしょう。
今ごろの新緑は
柿の葉やイチョウ。早々と芽を出していたケヤキはもうすっかり緑色濃くなっています。




柿の葉です。
まだ葉が開き始めですね。









イチョウもやっと新芽が出て、イチョウ畑が薄緑に煙っています。
東京ではイチョウの雄花が咲きだした、やたらと早い、と、ニュースで聞きました。ここのは咲いているかな?と見ましたが、まだ咲いていないようです。
 ちなみに、イチョウの花ってご存知ですか?花びらのない花、きれいに見えない花、花のイメージと違うかも。ちなみにイチョウは裸子植物という、原始的なタイプのグループの植物です。チョウや虫が花粉を運ぶわけではなく、きれいな花びらは必要ないのです。

日々の季節の移り変わりなんて、興味のない人、目に入らない人も多いでしょう。ですが、こうしていると、自然を知り、自然が好きになるものです。歳時記として季節の移り変わりを俳句にする人もいれば、動植物そのものに興味を持つ人もいたりで、生活が豊かになると思いますよ。季節の変化に敏感なのは、日本人の良い所だったと思うのです。

2021年4月10日土曜日

里山 緑の芽吹きの頃は素敵です

 新緑の始まるころ

木々の芽がのびはじめ雑木林がうすくけむり、やがて緑に変わっていく頃、里山はとても魅力にあふれています。

ポカポカした日、里山歩きは心が浮き立ちます。
コロナ流行の中でも、ほとんど人に会いませんし、心配なく出かけられます。

こんな時期、木々の中にちらほらと白や薄いピンクの木が目に留まります。サクラです。

 群馬の里山で、木々の中に咲くサクラの品種は、早春のソメイヨシノの咲く前の頃ならエドヒガン、木々の緑が見え始める事なら、カスミザクラ(ケヤマザクラ)かヤマザクラです。


里山の風景ですね


 左や下の写真で右の白いのはカスミザクラ、左に少し赤味がかっているのはヤマザクラと教えていただきました。ソメイヨシノと違って、花と葉が一緒に出ます。ヤマザクラの若葉は赤褐色なので、こうした違いが生まれます。
 山に咲くのはヤマザクラ、と思われているかもしれませんが、じつは群馬の私の住むあたり、藤岡市の付近とかでは、ヤマザクラはほとんどなく、ほとんどカスミザクラです。花に少し毛があるので、ケヤマザクラとも言よばれます。ですから花を見れば、区別がつきます。ヤマザクラはあまり見かけません。

  1/25000の地図ってごらんになったことありますか。等高線のひかれた地図です。最近はカーナビ地図やグーグルマップ、その他さまざまな地図があり、あまり目にしないかもしれません。少し前まで、野外調査と言えば、まずは等高線のこの地図を持ち、ルートを確認し、記録していきました。
 こんな地図を見ると、山の中に入りこむ道路があり、ぽつぽつと家の見られる場所があちこちに見られます。我が家から20㎞ほど行けばそんな低山の場所がたくさんあります。高崎市中心からわずかの距離、裏山のような観音山もそうですし、さらに離れた場所にも、こうした場所がたくさん見られます。サクラの咲く頃になると、1/25000の地図を持って、こうした場所に、行きたくなります。
 行き止まりの道も、その付近にの付近に家のマークがついていて、人家があります。そこには車で行けるし、1人で出かけても、危険はほとんど感じませんし、家々はきれいに花を咲かせていますし、木々の緑に心洗われるようで、足元にはカタクリから始まる可憐な花々が咲きます。毎日でも行きたいけれど、結局そんなにはいけません。そうこうするうちに、あっという間に緑色濃くなり、シーズンは終わてしまいます。
 先日行った場所を紹介しましょう。

   養蚕関連の世界遺産となった高山社からさらに奥に山あいの道を進むと、思いがけなく開けて、集落があります。道はその先行き止まりです。「こんな山の中に・・・」と思ってしまいそうですが、立派な構えの大きな家もいくつもあります。どのお宅も家のまわりには美しく花が咲き競っています。何だか「隠れ里」「桃源郷」の言葉が浮かんできます。


                      






 場所は高山の椚山。高山社が世界遺産になるよりずっと前、この場所に出会って、以来、春には時折訪れます。
周囲にはリンゴ畑もあり、花の頃はりんごの花をみられました。
畑はきれいに手入れされていましたが、リンゴの木も放置されたものが増えてきているようです。


アズマイチゲの花は終わり、ニリンソウが咲いていました。
ニリンソウ
小路にはニリンソウがいっぱい 



  
ウラシマソウ

  
ヒメニラ 花、わかりますか? 

                   

 マムシグサです        
          


     
アマナ すくなくなった花
何でしょう マムシグサです

お城の石垣のように反りの入った石垣



道路の行き止まりは、桜がたくさん植えられています。公園整備しているわけです。
この山には階段がついていて、これを登ると、二千階段とよばれる、長い階段に出ます。
階段を降りると鮎川沿いの日野地域に出ます。徒歩なら隣の谷筋に行くことはできます。




今回はかすんで見えませんでしたが、赤城山や前橋でしたか、都市部も見渡せます。
サクラの頃は新聞紹介などされるのでしょう、この公園には人が来ていました。
まだ木はすこし小さめですから、最近植えられたものでしょう。

古くから人々が養蚕や林業で働いてきた場所なのでしょう。もう少しすると赤い山ツツジも咲きます。暑くなる季節の前に、こうした里山はいかがですか。