2019年6月24日月曜日

星尾温泉源泉には階段?の地形が

梅雨ですね
草がどんどん生い茂り、木はうっそうと枝を延ばし、生き物をはぐくむ水の力を感じます。とはいえ、家の周りはあっという間にむさくるしくなり、草取りも追いつかない。

 種を蒔いてからカラカラの乾いた日々が続き、芽も出なかった。雨が降ったら、忘れたころになっていたのに発芽したインゲンは、まだ ”いじけた” 感じ。はて、育つだろうか・・・インゲンって暑くなると実をつけないし・・・

 「カッコウが鳴いたら豆の種を蒔け」と聞いていました。
私も「カッコー」の声を聞いて、豆の種を蒔いていたものです。澄んだ大きな声が、
5月のさわやかな緑と一緒に思い浮かびます。
 今、我が家は利根川の近くにあります。以前は川の方からはっきりとした大きな声がきこえました。  いつからあの声を聞かなくなったろうか・・・
カッコウは夏に渡ってくる鳥、夏鳥だそうです。「夏鳥が減少している」という報告を聞いてからどれくらいたったかなあ。
 世界中で生き物が減っています。大量絶滅時代という人もいます。
そんなこともあり、日本でも絶滅危惧種の調査は各県で取り組まれています。そんな調査に今年、植物調査でお手伝いをすることになりました。

南牧村星尾の湯 


星尾の湯のあるのは群馬県南西部、
もう少しで信州、という場所です。

昔利用していた温泉を、最近再開したと聞きます。
この地域の植物調査にでかけた折、温泉とその源泉も訪ねてみました。

温泉のようす











この温泉では温泉水(冷鉱泉・温度は高くない、地下水と同じ)に落ちた葉っぱが石のようになって 「木の葉石」ができるといいます。何だかステキな名前。
 「数ケ月で石のようになるんですって?」と今回、地元の方に聞きましたら、
 「数ケ月? 10日もすれば固まるよ」。

大きな入れ物から水があふれています。茶色は鉄分で、容器のまわりいっぱいには細長いコケが
びっしりついていて、そのコケに鉄さび色の粉がビッシリ絡みついています。
 

休止した温泉を再開したと聞きました。
「昭和25年 廃止 物資不足に依る」の言葉が、
戦後の時代を感じさせます。

 


水の湧くところは神様の宿る所。
鳥居がありました。                 
                          


 流れ下る鉱泉水は、階段状の地形をつくっています。リムプール?
 鍾乳洞では流れる水に棚田のような段々がつくられることがあります。それと同じ?
石灰分がくっついてできた?
水玉模様のような丸い点々は、
まるで卵みたいですが、木漏れ日です。
段々には、 それぞれ水が溜まっています

以前、””星尾の木の葉石”とメモが書かれてあって見た石は、
鉄分を含んだ赤茶色でした。草津に近い所にあるチャツボミゴケ公園の鉄鉱石のような感じでした。
チャツボミゴケ公園は鉄鉱石として採掘していました。強酸性の水で、石灰分はみんな溶けてしまうはずです。

「本当に石灰分で固まったのだろうか?」
 それで、どうしても現地を見たかったわけです。
 



とりあえず、家にあって持っていけるものを持っていきました、
  ・簡易pH試験紙、・塩酸(というより、薄めたトイレの洗浄剤のサンポール)
  ・石灰水(簡単に作れる)

容器のまわりの赤茶色の沈殿物も、周辺も、塩酸をかけると泡を出しました。石灰分があるようです.
pH試験紙ではpH5程度かなあ・・(温泉にあった温泉分析表ではpH6.09 でした)。
湧き出る水は、石灰水でしっかり濁りました。二酸化炭素が入っているのですね(分析表で402㎎/kg)。

きれいな容器のような形。
石灰分が樽のまわりにくっついたとのこと


かつてこの温泉を利用していた方に、家の裏にある、写真のようなものを見せていただきました。
「4斗樽のまわりにくっついて、そのあと樽が腐ってね。年輪みたいにくっついていくんだ」

温泉水を流した溝は、すぐに埋まってしまうので、削らねばならなかったとか。
真ん中の溝で温泉水を
とりいれたそうです
すぐに埋まって、
削らねばならなかったそうです















こうしてできた石、以前に見た”木の葉石”とはずいぶん感じが違うなア・・・
 よく見れば、中に葉っぱが見えたりします。
「家の裏にたくさん置いてあったのに、工事の時、
みんな持っていかれちゃってさ」と、これらを見せてくださった地元の方、残念そうでした。
どうやら勝手に持ち出されたようです。

こんな石にもなります。
ここの温泉、泉質は
「ナトリウム・カルシウムー炭酸水素塩・
塩化物冷鉱泉」

昔の言い方なら、「含食塩重炭酸土類泉」
う~ん・・地元の方は 「塩水鉱泉」と呼んでいたとか。

炭酸水素ナトリウムって、台所で使う重曹のこと。ベーキングパウダーにも入っています。
重曹って、水に溶かすと弱アルカリ性。
ところでここの温泉はpH 6.1程度で、弱酸性。どっちにしても、中性に近い話ではありますが。
  まあ、化学の話になってしまうし、教科書の勉強みたいになってくるので。ここらでやめましょう。

石灰岩礫
写真がよくないけれど 
他に撮ってなかった
この場所には石灰岩の礫がいくつか転がっていました。しかも、砕けて固まったような石灰岩。石灰岩の成分は炭酸カルシウム。塩酸をかければ、泡を出して溶けます。そこで、温泉にカルシウムが含まれるのも、ここに鍾乳洞のような段々の棚田のような地形ができるのも、なんだか納得できる気分。
 弱酸やら弱アルカリの世界の話って、なんだか面倒くさい・・・それに、え~と、食塩成分はどうやって出てくるのかな・・・化学の勉強、もうちょっとやっとくべきだったなあ・・・


 ところで、この場所に行くには、温泉から遠くではないけれど、ちゃんとした道があるわけでなく「途中の橋がずぶずぶだったかな」などと言われました。
いろいろ見せていただいたお宅の裏から登れると言われたのですが、鹿よけのネットがはり張り巡らされていて・・・よく見ると、1か所穴が・・・鹿がここから侵入したのでは。その穴から山に入ったといったことでした。落ちるかもしれない橋は、渡りたくないですよね。
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 ところで、温泉施設のまわりの様子ですが・・
 すぐ目の前の沢には大きな岩が転がっています。
 その表面にはびっしりとイワヒバ等の植物が育っています。
 豊かな自然の中にあることが見て取れます。
こうして生える植物を大切に。取るような不心得者も絶滅危惧種増加の大きな原因なのです。

 
 岩はゴツゴツした凝灰角礫岩、地元では「えぼいわ」と呼ぶそうです。ゴツゴツ飛び出す石を「いぼ」に見立てているのでしょう。
この石は数百万年前の大規模な火山活動で積もった火山噴出物が固まったもの。このツゴツゴは、植物たちが育つにはいい足掛かりなのでしょう。

温泉源では石灰岩が見られます。上の写真の石とはまるっきり違う時代の石なのです。歩いて行けるようなすぐ近くなのに、どういうこと?
地質図を見ると、
 中古生層と言われる、古~い時代、中には億年単位の古い石もある地層が広がっています。そこに数百万年前の、上の写真のような石の地域が、四角く分布しています。
そうか、その境目付近なのか・・

少し歩けば、複雑でわからないことがいろいろ見えてくるようです。調べた人もいるのかな。
これだから、野外に出ることは楽しい!!
豊かな自然のこの地域は、植物もいろいろありましたよ。
もう少し先まで行くと、線ケ滝という見事な滝があります。

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温泉のすぐ隣の民家です。
石垣を組み、そこに建てられ家は、大きく見事な造りです。



 南牧村と言えば
「高齢化率全国1」で知られることになった村です。
こうした大きな家にも、お年寄しか住んでおられないようです。
ですが少し前には、多く人が住んでいて、たくさんの子供たちもいました。
 かつては良質の砥石の産出で幕府の天領となり、木材や炭がお金になるころも、多くの人がいたわけです。

この地域の民家 手作り模型です

温泉の中には、こうした家を再現した模型がありました。茨城?の方が作って、置いていったそうです。


 植物調査には里見哲夫さんがいらしています。こうした昔ながらの家を、温泉関係のことを聞きに尋ねていくと、「お父さんに教わったよ。そっくりだねえ」と大歓迎(里見先生のお父さんも先生をされていました)。地域にかかわりのある方がいると、地元の方も喜んでいろいろ教えてくれます。
 星尾温泉を再開した方は、千葉の方とか。古い家を手作りで温泉施設に改造したのだそうです。「里見先生」と呼んでいるのを聞いて、「里見先生ですか。親戚の方と知り合いです。」と嬉しそう。この日はお休みの日でしたが、施設の中に招いていただき、お話も伺いました。

南牧でも先生をつとめられた里見さんのおかげで、地元の方とも知り合え、いろいろ教えてもいただけた1日となりました。






2019年6月14日金曜日

60年以上前のチョウの標本

地元の自然・生きものたちと ずっと親しんで

下仁田町在住の方のお宅で、手作りのチョウの標本を見せていただきました。

 最近は昆虫も植物も、採集はあまりしなくなりました。でもかつては、子どもの夏休みの研究に昆虫採集はポピュラーでした。チョウが大好きという人はたくさんの標本をつくったものです。
この標本、採集の日付を見てください。
昭和28年年6月(右下のオレンジ色の日付は撮影の時日付入りの設定をしていた時でうっかり入っています。無視してください)

うーん、古いなあ。
でも色もちゃんと残っている。
こういったものが箱にたくさん保管してありました。

よく見ると、展翅してない・・・・?
じつはこれ、ガラスの板にはさまってる。
 写真乾板に挟んで保管したのだそうです。
廃品を利用しながらすてきなものを工夫してつくられたわけです。

これらは地元でずっと教師をされていた里見哲夫さんがつくりました。

 
 

 教師になったころは戦後の貧しい時期、学校にも教材は乏しく、本も手に入らない頃、図鑑もなかったそうです。ご自身で教材用にこの標本をつくられたそうです。
どうせつくるなら、長持ちして使えるものと考えたとのこと。



標本には採集地が書かれてありませんでした。「みんな下仁田だよ」
学校周辺やご自宅周辺で採集したわけでしょう。
「きっと神津牧場がありますよね。そこだけは遠いから、もしメモしていただけたら」とお願いしたら、何と、採集地がみんな書かれてありました。
何と 記録ノートが残っているのだとか。
わが身を振り返れば、いろいろみんなごちゃ混ぜ…今になって反省しても遅い・・・

 

標本は写真のように箱にたくさん入っていました。他にチョウの鱗粉転写もありました。生徒の中にはそんなことをした子もいたのでしょう。
 

 里見さんはチョウに詳しかったわけではなく、専門の方が来られた時など一生懸命に聞いて、独学で覚えていったそうです。
「一時ちょっと凝ったんだよ」と。その後、植物については県内でも大変著名な方として知られて現在に至っておられます。

現在92歳、お元気で道の無い山の斜面でもすいすい歩いておられます。

知人でチョウ大好きの人に聞いてみました。こうした古いものは大切なんではないですか、と。すぐに返事がきました。
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同一場所で、かつ古い時代のものなので、すごく価値のある標本だと思います。

私が中高生時代に集めたチョウ標本は、家族も管理法などわからす、このままだと廃棄されてしまうのが目に見えていたため、この2月に知り合いのツテである大学に寄付しました。同大学では、標本を再加工して永久に保存してくれます。

日本全国で生息地のヒストリーを積み重ねるのは(今となっては地域絶滅したチョウが多いので)採集が盛んに行われた我々の代のデータが貴重なのです。
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そういえば、下仁田でもヒメシロチョウは昭和40年頃まで見られたが、その後見つからないと、里見さん、おっしゃっていたなあ。教職について数年後、クロツバメシジミを初めて見つけたとか。今でも、「昨年アカボシゴマダラみたよ、おそらく下仁田で初めてじゃないかな」と。これ、最近入りこんでいるチョウ。
いつまでたっても興味いっぱい、野山を歩けばとにかく周辺目を皿のようにして見ていらっしゃる。この姿勢少しでも学ばねば。

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あっという間に6月も半ば。
庭のビワ、朝見れば・・、ああ残念、実が少なくなっている・・・・きっと烏の仕業。
やっと発芽
甘~くおいしくなると、あっという間になくなる。だいぶ取ったのですけど、でも残念。


今年、ここらは乾ききっていて、蒔いたツルありインゲンがはえてこなかった。ふと見ると、今頃芽が出ている・・インゲンって、暑くなると実がつかないようで、遅くなると実がならないことがあるような。大丈夫かな。
ちなみにインゲンって「三度豆」というそうで、年に3収穫できる、そこで、お盆からお盆過ぎに種をまくと、秋にたっぷり収穫できるのです。これ、おすすめ。

 栗の花が咲く季節。白く長いのは雄花。

東北には栗の花が咲くことを 
  「天縄てんながかかる」
という地域があるそうです。

縄文の昔から食料として大切にされてきたクリ。山々に白く咲きほこるこの花は、秋の豊かな実りを約束するもの。

 白い縄のような花、それをたとえて
「天の縄」とは。なんと感性豊かな言葉でしょう。
自然の恵みに感謝する心が伝わってきます。

  




2019年6月5日水曜日

カスタネット ここで作っていました

子供のころ使いましたよね 
         
  赤と青の色に塗られたカスタネット 
  小学校の音楽の時間、きっと手に取ったことがあるはず。
  これをつくっていたのが 群馬県にある小さな工房だったことは知りませんでした。
  全国のみんなが使ったカスタネットが、ほとんどここで作られていた!

一度は作るのをやめたのだそうです。2013年に。
今また作り始めたカスタネットは、色を塗らず絵が描かれていたり。
自分で絵を描いたりという体験も行われるとのこと。
冨澤さんのお宅の玄関に飾ってありました  みなかみ町にある「たくみの里」で販売されています

下の写真の場所で冨澤さんがカスタネットをつくっています。
カスタネットは父親が工夫してつくり、やがて全国の学校で使われるようになりました。





最近、NHKのクイズ番組
「チコちゃんに叱られる」
に登場していたので、ご覧になった方もいるのでは。

きっかけは、大学の先生が、小学生にリズムを取る楽器をつくりたいのだけれどと話を持ち込んだことらしい。戦後すぐのころ。それで工夫してつくったとのこと。



                   


つくる様子を少し紹介  
①板を丸くくりぬきます

くりぬいた後
①板をくりぬいて、丸い材料ができます。

②カスタネットは内側が丸くくぼんでいますね。
くぼみをつくるのが ②の装置。

丸い板がいっぱい。
これを削ってくぼみをつけます
②くぼみを削ります
      








手作り感いっぱいの装置が並んでいます。

②の拡大 手づくりの刃が取り付けられています
くぼみを削る刃はこの鉄から
自作で作ります
 じつはここの装置は
冨澤さんの手作り!!   
自分で工夫して作成したものだそうです。

  ものづくり日本の言葉が
   思い浮かびます。

大学生が3人参加していました。環境問題サークルのメンバーです。
カスタネットをつくらせていただきました。
 集中して真剣な顔がまぶしい。
削ったり
ゴムを通す穴をあけたり




音を出すポッチをつけたり









      
    モノづくりって、教育効果あると思うなあ。
 学生たちの真剣な顔を見て、思いました。
聞いてみました「これ、みんなも使っていた?」。
冨澤さんからは「学校の備品だったんじゃない」。
すると
「ちゃんと自分で持っていたよ。”お道具箱”に入っていた」と嬉しそうに男子大学生。
  大学生の男の子から“お道具箱”という言葉が飛び出してくるのが何ともアンバランスでたのしい。

冨澤さんがつきっきりで教えてくれました。
 楽しそう。


  他にもいろいろ、手作り道具が。
   皆それぞれ、必要な道具なのです。




木を削ってつくっちゃうのですね
これなあに?
脇には背の高い入れ物に赤と青の塗料が・・
学校用カスタネットの色付けは
これで行ったのですね。

カスタネットは全国の学校で使われるようになり、年間200万個を4社で製造したころもあったそうです。一時は倉渕村や足利でも作っていたとか。
材料の木の板。
「こういう材じゃダメなんだよ。
子どもが絵を描いたりするのに
白くなくっちゃ」と冨澤さん。
重なったところが
シミのようになっている。

使用する木は最初はサクラ。ヤマザクラは音がいいのだそうです。でも大きな木が手に入らなくなり、樹種を変えていきました。

カエデ(赤城のすそ野の根利から) → イヌブナ「(下仁田) → ブナ → 東北のブナ → 2000年代からは輸入北米ブナ(フロア用につかう材、パナホームの子会社が沼田にあって、そこから入手) → だんだん材が手に入らなくなり、2013年製造をやめる。

この地域では赤谷プロジェクトという活動が以前から行われています。
そこに参加している日本自然保護協会の出島さんがカスタネットに興味を持ち、ぜひまた作りませんか、と。「地域保護と地域創生」をめざす活動をしているわけなのです。
地元の材の有効利用ができないか、地域に役立つきっかけにならないか、と。
今は地元の森の間伐材のミズキなど使っているそうです。こけしをつくるミズキは白くきれいな材。でも、切れるのはわずかの期間(1月2月とかだったかなあ…)、それに、間伐材だから細くて、板にするのも大変だし、そのあとも手間がかかるということです。出来上がるまでに時間がかかるとのこと。捨てられるようなものを利用するわけで「いいな」と思えますが、大変なこともたくさんあるわけです。


今回は出島さんと一緒に訪問したのですが、冨澤さんの奥さんも、手作りのキャラブキやらお茶やらお菓子やら・・・とにかく、とてもうれしそうに歓待してくださる。
ご夫婦の親切さ、歓迎してくださる心も、皆さんが集ってくれることに繋がっているんだろうなと。上の写真を見ても思います。
これからもお元気でお過ごし下さい。