2014年7月27日日曜日

夏の風物・自然と数学・関孝和   自然史館展示の鉱物  



真夏の日差しがやってきました。 
          絵手紙   小林生子さん


最近は、以前よりもずっと暑い!気温が高い・・・・
35℃なんていう気温は,昔はなかったのでは。昨日の気温は、36.1℃などといっていました。今日はもっと暑くなるとか・・・


せめて、涼しさのイメージで、
    気分だけでも涼しく。










笹舟で遊んだこと,あるでしょうか。

クーラーのなかった頃は
水辺に涼を求めたり
虫やら小魚やらが遊び友達になったりで、
ついでに、そこらにはえている植物をちぎって,何となく遊んだわけです。

そういえば、久しく笹舟を流したこともありません。

ササの新芽をすーっと引き抜いて,カメもつくりました。

      


      ササでつくるカメ

     しっぽの所を糸で縛ります。

    そのあと、たくさん集めた新芽を
    たがいちがいに わたしていきます。


    








包丁で切ると、星の形のあらわれる食べ物  オクラ・・・・

夏の食べ物・・・・粘りのある食べ物は、なにやら健康によいそうで。
夏を乗り切る手助けになるかもしれません。







お星さま模様の5角形のついでに、 ほかの模様も。

真夏の花、ひまわり
花の真ん中に,なんとなく、渦巻き模様が見えてきませんか。
時計回りと反時計回りの2方向で。


ついでに、松ぼっくりものせます。これにも、うずまき模様(らせん)が見えてきませんか。

サボテンなどにもよくあるかと思います。パイナップルには?、ブロッコリーには?・・・・と、いくつも頭にうかんできます。




このらせんの数、フィボナッチ数という数列にあてはまるのだそうです。今から800年ほど前に、イタリア・ピサのフィボナッチさんという方が考え出したのだとか。

植物はできる限り単純な法則に従って成長します。
詳しいことは省きますが、その結果が模様・数にあらわれるのだそうです。

「アルキメデスのらせん」と名付けられたらせん模様があります。中心からのある角度の整数倍の順に、中央から離れながら点を打っていくと(言葉で書くと,何だかよくわかりませんが・・・),らせんが現れる・・・・・植物も、そんな角度を使っているとか。

(フィボナッチ数を書き忘れていました。   1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,・・・・・・・
 この数列のルール、わかりますか? 2数をたしてみてください。 
  この数は花びらの数などにもよく表れます。)

そういえば、巻き貝のらせんも、アンモナイトの形も,こんな数学の世界で表せるような規則に従っているはず。

「数学の話」と聞いたとたん、
もう話を聞きたくなくなる人が多いかも。

私も、はるか昔、数学には苦戦しましたし,我が身を、数学のセンス無いなあ、などと思ったものです。ですが、こうして、自然界に数字の規則があふれているのを知ると、またちょっと興味が湧きもします。子供の頃、こういうことを知っていたらよかったかなあ・・・

ついでに書けば、音楽の1オクターブの中にも、このフィボナッチ数があります。この数列は1.618034・・・という数に深い関係があり、美術・建築・音楽といった芸術家はこの数と形などとの関係を,数千年も前からよく知っていたということです。もちろん,レオナルド・ダ・ヴィンチも。

数学好きやパソコン好きの方には、お手のものの話になりそうですが、そうでない人も、
「そうか、昔習った数学も、けっこう身近な話だったのか。お金の計算ばかりじゃなかったのか
   と思っていただけましたら。
   「こんなもの習ったって、何の役にも立たない」と、思った人も多いにちがいないので。
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群馬県で数学に縁の深い人といえば、江戸時代の和算の関孝和がいます。群馬で育った人ならたいてい知っているという上毛カルタにも出てきますよね。でも、まるで興味も関心もありませんでした。
最近、テレビ番組でこの人の話を見て、びっくり・・・知らなかったなあ・・・・NHKの番組ですが・・・そこで述べられていたのは・・・

日本の和算のレベルは非常に高く、明治開国の時、西欧の技術がなだれ込んだとき、すぐにそれを自分のものとし、自力で近代技術の産業をおこすことができた。これには数学の知識が欠かせなかった。その下地のなかったアジア各国は植民地化の中で下働きに甘んじて、富は吸い上げられ、持ち出されるばかりであった・・・こんな論調でした。近代技術には数学の知識が欠かせない・・・・

江戸時代、庶民はクイズを解く感覚で数学の問題を出し解き、競い合っていたそうです。今残るその例題は、レベルの高いもの。巷の寺子屋から高度な数学を解く集まりまで、庶民のがつくっていた教育システムとレベルは馬鹿にできない水準だったのではないでしょうか。
西洋数学が入ってきたとき、それは,記号が違ったりするだけで、内容的には,すでに日本人が解いていたりしたものが多数・・・・少し翻訳すればマスターでき、すぐに使うことができた。この和算を築いたのが関孝和  」
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せっかく上毛カルタにあるのですから、関孝和について少し調べてみました。ネット資料でみたものです。間違いがあたら,ごめんなさい。
 江戸時代のはじめ頃、ニュートンと同時代を生きていた人。
 生まれが、群馬県藤岡市と江戸の両説あります。群馬県としては,当然、、「藤岡」と主張。
 記号を使って高度な数学を解くことを考案し、筆算による計算を・・・今なら当然のことですけど、当時としては画期的。
 円周率の計算・ヨーロッパに先駆けて行列式の発見、・ベルヌーイ数を、より早く発見、・ニュートンや ライプニッツとほぼ同時期に微分法にたどりつく(違うという人もいるようですが)・その他・・・

えーっ・・・・・・という思いです。関孝和以外の名前は、教科書はじめ,さまざまな書籍などに出てくる人ばかりです。超有名どころの人たちばかり。成果には、弟子たちも頑張ったのでしょうが、それにしても,スゴイ。
こんな先人が近くにいたかもしれないというのは、なんだか、うれしくなる話ではありませんか。
「やる気」がうまれるかも。
それにしても、こんな評価、いままであまり聞いたこともなく、広められていない・評価もされていない・・・・・という気がします。

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下仁田自然史館  鉱物の標本

自然界で,「規則正しい法則に従ってできた形」といえば、鉱物が思い浮かびます。
カッチリとした形と美しさ。これこそ、素人目にも、「数学の式」がでてきそう。
数学はイヤでも、美しさは魅力です。
昨今のパワーストーンブームや、販売目的のミネラルフェアなどのブームも、石・鉱物の持つ魅力なのでしょう。
美しい石たちが、かなりの高額で販売されているようです。

地学分野をカバーする自然史館としては、当然、鉱物の展示も求められます。
地元産出の鉱物はもちろん展示しますが、他にも、さまざまな鉱物の標本をいただき、展示すべく準備しています。まだ準備中・・・
下仁田自然学校の名誉校長の野村さんや自然学校関係者からも、たくさん提供していただきました。その他多くの方々(町の職員の方からも)からも、たくさんの標本の寄贈をうけています。


 地元や群馬県内のものをいくつか紹介

下仁田西ノ牧鉱山の鶏冠石・砒素の鉱石      下仁田での観察会で採取したアスベスト
























下仁田中丸鉱山の閃亜鉛鉱          
                         

         木の葉石・葉が褐鉄鉱になっている
                          

                                                                   
高崎市の裏山では亜炭がとれました





皆さんの協力に,本当に感謝です。皆さんの熱意と協力で作り上げる、これは地方の博物館としては、本当に望ましい姿だと思います。




手持ちだった、販売されていた標本類の寄贈もたくさん
あります。

販売業者から買うなら、ずいぶん資金を準備しなければならない話でしょう。
ミネラルフェアには見た目の「美しさ」では負けるかもしれませんが、学術的価値などを示しながら、石たちの世界をお見せできたらと,願うところです。




こちらは 群馬県とは関係のない鉱物標本たち


誕生石コーナーの予定
誕生石って、宝石にされますから、大好きな人も多いでしょう。
鉱物の中で、希少で美しいもの・・・・身にまとうには、カットして、もっとも美しく光り輝くように,いわばお化粧します。
鉱物も、質のよいものを選んでカットし、磨き、宝石として扱います。
ここでは、宝石ではなくて、鉱物の元の姿をご覧いただけたら。

これから整理して展示しますので・・
でも、高価な原石になるものはないと思いますので、,あしからず。




鉄を含む鉱物たち                           銅を含む鉱物たち




左下はみんな水晶と同じ成分のもの             右下はみんな方解石  

 いろんな形があるものですね。色も。  
 鉱物好きの人には、こんな多様な顔つきもおもしろさになるのかもしれません           


 



左はすべて石膏です。
よく聞く言葉です。建材の石膏ボードとか。
あるいは骨を折ったときの,石膏ギブス。
美術室にある、スケッチの練習につかう白い石膏像とか。

たまたま昨日、テレビ番組で、真っ白な砂のおおう砂漠、チワワ砂漠が放送されていて、すごいなあ・・と。この砂が,すべて石膏!
2億5千万年前の海水が蒸発して石膏がたまり、これが今地上に現れ、0.1mmほどに砕け、白い大地ができたと。ちょうどうまいバランスで,その砂が飛び散りなくなることなくたまり、真っ白な砂の大地ができているのだとか。「海」から石膏ができる,というのも、「ヘエー」と思いますよね。
がぜん、石膏が魅力的になりました。

石膏は3種類に分けて、
・透明な石膏(ガラスのない頃は窓ガラスのように使ったとか)
・繊維状石膏
・細かな結晶の集まり、雪花石膏、アラバスター

ここには3種とも標本があります。チワワ砂漠は透明石膏のようでした。
雪花石膏は美しいので、美術品などに使われます。
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こんなものたちを、楽しく展示できたらいいですね。
ご意見等ありましたら、下仁田自然史館、あるいは下仁田自然学校までお寄せください。





2014年7月20日日曜日

田んぼのいきもの  川原の石の観察

田んぼの水をのぞいたら

梅雨の雨が続きます。ニュースを見ていると、日本中あちこちで、例年を超える大量の雨が降っているようで気になります。

群馬県の南の地域では、田植えの時期が遅いのです。冬の間、田でつくった麦を刈りとってからですから。玉村町では、7月になった今ごろやっと、微風に早苗のそよぐ田んぼがひろがります。
          そんな場所ではカルガモがのんびりと姿を見せています。
    時々道路をよたよた歩いています。車にはねられることも・・・・あの歩きっぷりではねえ・・・・

 こんな田んぼの水の中をのぞいてみると、いるいる、小さな生き物がーーーーーーー
















ちょっとわかりにくいので、入れ物に入れて見てみます。                                                      

上の2つはカブトエビ 右はひっくり返って泳いでいます。

こちらはホウネンエビ。いつもおなかを上にして,ひっくり返って泳いでいます。
外国では「妖精エビ」とよぶそうです。透き通りそうなからだに、赤や緑の色をまとい、なんだかはかない感じ。

どちらも、田んぼに水が入ると,すぐに卵からかえり、,すぐに大人になり、すぐに卵を産んで死んでしまいます。水のないときは卵ですごしています。
この仲間、砂漠地帯にいるそうで、砂漠にたまに雨が降ると卵からかえり、水たまりが干上がる前に、すぐに大人になって卵を産んで一生を終える・・
1ヶ月から2ヶ月のうちには姿を消してしまいます、よく見ると,脱皮殻もみつかります。じつは外国からやってきた生き物です。
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写真を撮るために田んぼの水をのぞいていると、イヌの散歩中のおばさんが「何みてるのですかあ」と。「生き物を探してます。カブトエビとか」「ああ、それ、いるいる。ひっくり返って泳いでたりしますよねえ」と。

 ある時、ちょうど通りかかった自転車の2人の男の子が、「何やってんの?」。
「カブトエビっていう虫探してんの」
「あっ、,いるよ。こっちだよ」自転車をほうり出して、「こっち、こっち。あっ、ここはね、ちっちゃい虫がいるんだ」
水の中には、ゴミみたいな、ミジンコみたいな小さいのがたくさん元気に動いている。
「先生に言って、顕微鏡で見せてもらったら。おもしろいよ」
「うーん、僕まだけんび鏡、使ったことないんだ」「先生に頼んだら大丈夫だよ」「うん」
「こちっはシオカラトンボがいるのがとくちょう。いつもいるんだ」 
  なるほど、スイーッとシオカラトンボが飛んできた。
「そっちはドブ。きたないからダメ」
「あっ、ゲンちゃんがいる」小さめのゲンゴロウらしい虫が泳いでいった。
「つかまえるときはね、こうやってこっちから網を近づけないと逃げられちゃうんだ」と、
網の使い方も,手まねで解説。
カブトエビの抜け殻がひとつ、プカプカ浮いていました。「ほら、抜け殻があるよ」
「エーッ、はじめた見た!」
「去年のその前はね、あっちの田んぼにいたんだよ」。「だから僕が幼稚園の時」これは弟の方。
「お昼ご飯食べに行かなくちゃだめなんだ。またおしえてあげるよ。じゃ、さよなら!」
    まだ、虫大好き少年が、健在のようでした。
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私の住む玉村付近では7月前半の田んぼをのぞき込めば、さまざまな生き物が動いています。
畦を歩けばピョンと小さなバッタが水に飛び込んだり。ツツーつ  水の上を走るのは?クモが大慌てで水の上を走ります。
 今年はもう大量発生の時期を逃したかもしれませんが、来年、もし思い出したら、ちょっと田んぼをのぞいてみませんか。                                      
 
 

小さなゲンゴロウのようなのも、あちこちで泳いでいます。その幼虫らしものもいます。
ゲンゴロウといっても、昔、少年だった人が思い浮かべる,4cmとかの大きなゲンゴロウではなく、
(これは今は絶滅危惧種)、ヒメゲンゴロウとかコシマゲンゴロウといった、体長1cm少々といった大きさのゲンゴロウ。見かけの似ているヒメガムシとかいった、ガムシの仲間もいるかもしれません。
もちろん,オタマジャクシもいます。

顕微鏡で見るような生き物も,たくさんいます。田んぼに水が入ってすぐの頃は、小さなゴミのように見えるミジンコ(粉微塵みじん という言葉で使う、ミジンなのでしょうね)が、大量に忙しくツンツン動いています。
























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下仁田の虫・・・ホタル山のホタル

私の住む玉村町でも、昔は田んぼでホタルが光っていました。これはヘイケボタル。農薬を使うようになり,用水路がコンクリートの三面張になって、すっかりいなくなりました。特に,初期の農薬は、大きなナマズが田んぼの水路に大量に浮き上がって死んでいるといったような、毒性の強いものでした。
今年、猿ヶ京の田んぼで、今も光っているのを見ました。ヘイケボタルもゲンジボタルも、両方。

下仁田にはホタル山という名前の小さな山があり、公園になっていますが、そのあたりでは、夏にホタルが光ります。田んぼでも川沿いでも,池でもなく、少し高いところにある、山道の付近で・・・・どうしてこんな所に?と思いませんか。
光は弱めで、道端の草むらなどで静かに光るのですけど・・・これ、クロマドボタルといって、陸に住む陸生ホタルで、幼虫が光ります。よくさがすと、ちょっとテントウムシの幼虫みたいな虫(ちょっと違うかな)が光っています。

下仁田自然学校で開催した子どもキャンプでも、このホタルに出会ったりすることがありました。
ゲンジボタルやヘイケボタルは光る時期が短いので,時期を逃すとみられませんが、クロマドボタルは,長い期間、光ります。秋になっても光るので,秋蛍と呼ばれたりするとか。9月でも光っていると思います。10月にもとか、夜の気温16℃以上ある時とか,いろいろ書いている人もいました。 
  皆さんも探してみませんか。
ちなみに、猿ヶ京ではクロマドボタルも光っていました。
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川原の石の観察


下仁田では、川原の石の観察がしばしば行われています。
学校でも観察に来ます。東京の学校から,観察案内の依頼が来たりもします。

観察場所の下仁田青岩公園の川原には、たくさんの種類の石がみつかります。
ほかの川ではどうでしょうか。
ということで、先日、ジオパーク応援団の人たちと、石しらべに行きました。
川原の石は,上流にある岩石が、砕け削られ運ばれてできます。ですから、上流の地層を反映するはず。行った場所3カ所は、それぞれ違った石の組み合わせでした。


ポイント1 : 利根川 中流 (玉村町)
  前橋市を流れてくる利根川。

 遠方に見えるのは五料橋。
利根川中流域のこの付近は、川原の石がたくさんたまります。
五料橋から下流へ、広い川原をつくりながら、「いよいよ関東平野がはじまる・・・」
と感じさせる姿を見せていきます。


下の石、何種類ありそうですか?
白い石は、きっと、マグマが深い所で固まった石、かこう岩の仲間・閃緑岩などでしょうね。


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ポイント2 : 烏川 最下流 (玉村町)

ほぼ対岸で、神流川が合流しています。
     下仁田を流れる鏑川かぶらがわ)が、もっと上流で流れ込んでいます。
     このあとすぐ、利根川に合流します。
      
 調べ方 ーーーーーーーーーーー
半径1mの円の中の石を、大きい順に拾います。
決めた数(100個とか200個とか)拾ったら、種類別に分類します。
縦横に線を引いてそこに名前を書いたブルーシートがつくってあって,そこにのせていきます。
                  下仁田自然学校作成「 鏑川の石図鑑」参照
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上の写真では、左下にたくさん集まっています。これ、「チャート」をと書かれた場所。
下仁田で見たような石があるねえ」  これが皆さんの感想でした。
  チャートや結晶片岩も数多く見られます。神流川は三波川(さんばがわ)結晶片岩地域を流れてきますからね。

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ポイント3 : 烏川 (高崎市)

    高崎市を通って流れてくる川、烏川。高崎での川原の石を調べました。
    上信電鉄が烏川を横切り、また,人が歩ける木の橋がかかっている場所です。
     運がよければ,車体にいろいろな絵の描かれた、ラッピングされた上信電鉄が川を渡る姿    が見られますよ。

奥の橋が上信電鉄の鉄橋               遠くの高架橋は新幹線

雨が降りそうな中、大慌てで石集め。
とにかく,安山岩が多い!!

すぐ上流で、碓氷川(うすいがわ)が合流しています。
碓氷川は妙義山付近を流れる川ですから、
どうやら、下仁田ジオパークにも関わりの深い川原の石になりそうです。

      
   
種類別に石の割合を出して
その結果を下仁田自然史館に展示する予定です。
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川原の楽しみ   これ、何の足跡?


前日の雨のあとの湿った泥の上に、ぺったりと足跡。

こんな足跡でこのあたりにいるのは、イヌかな・・・でも、イヌの放し飼いは、いないのでは。
いずれにしても、狸やキツネのイヌ科か、イタチ科といったところ。
イタチは小さいし、形も違いそう。

タヌキは生息しています。猫は爪痕が付かないのでは・・などと、知っている人から馬鹿にされそうなことを書いています。要するに、知らないものですから・・・・

昔はイタチもたくさんいましたが、今はほとんど見かけない・・・数年前、姿を見たことがありましたが・・・
最近はハクビシンもいるかも、他にも外来種が何かいたかも・・などと、いろいろ思い浮かんできます。

野ウサギも本当にまれですが、見かけます。本人に出会うのはなかなか難しいですが、丸いウサギのフンなら,たまにみかけますね。
  足跡は,写真とはまるっきり違います。。



野外に出ると、さまざまなものに出会います。
皆さんも、外に出て、身近な自然にふれてみませんか








2014年7月13日日曜日

下仁田の鉱山・補足 平標山の地形



下仁田の鉱山 補足

複雑な地質の下仁田ジオパーク地域では、小さな鉱山があちこちにあったようです。皆さんに話を聞いて、紹介してみたのですが、今までに取り上げなかった所も書き入れてみました。
新たなところは、緑色で書きました。場所がわからないので書き入れていませんが、鶏冠石を産したという、荒船鉱山というのもありました。



砥石・・・・・・・  小坂砥山

小坂(おさか)・・虻田(あぶた)付近かな?・・にも砥石の採掘場所がありました。明治維新の頃から切り出しはじめたものだそうです。今では掘っていませんが、作業機械などがそのまま放置されてあるようです。
下仁田自然学校運営委員の本多さんは、行かれたときの様子を、ご自身のブログに載せています。いつまで切り出していたとかは、はっきりしないようですが、きっと地元には詳しい方もいらっしゃるのでは。今の様子の写真をご覧いただけます。
http://geogunma.blogspot.jp/2013/06/blog-post_9.html


馬山鉱山

ジオパーク推進室の室長は、この鉱山で、子供の頃遊んだことがあるそうです。
「ろうせき」がとれたとか。白っぽくて軟らかくて、昔、子どもはこれで道のアスファルトの上などに絵など描いたものです。

  ろうせきは専門用語で言えば、「滑石(かっせき)」(タルク)・・・・・・こう書いてしまったのですが
「葉蝋石 ようろせきという鉱物がもあって、これを「ろうせき」として使っていたようでした・・・「滑石」と見かけはそっくりで、滑石も「ろうせき」にしたような・・・
両者は成分もでき方もまったく違うものですけど・・

というわけで、今のところよくわかっていないのですけど・・・
秩父土産の「ろうせき」はどれかなあ・・・・・私は、「滑石かな?」などと思っているのですけど。
馬山のものは・・・?行ったことも見たこともないのですけど、地質条件からしたら、滑石では、と思うのですけど・・・・・・・・
 
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 滑石って、たしか蛇紋岩(じゃもんがん)と関係したりしていたと思うけど・・・
          (あやふやなことばかり言っていて、すみません)
調べてみたら、滑石は「超苦鉄質岩の熱水変質鉱物」とありました。これを読んでも、用語がわからないと、何のことかわからない。
超苦鉄質って、玄武岩やはんれい岩のような黒っぽい岩石(二酸化珪素が少ない)よりも、さらに
二酸化珪素(岩石を白っぽくする成分)が少ないもの・・・具体的には、かんらん岩などのことです。
以前、岩石の説明を書いていたとき、「この部分はよくわからないから、あとで」、とか書いて、先送りした部分なのです・・・・・

かんらん石といえば、地下深くのマントル上部の主要成分。こんなのがあるのは、地下深くに何か関係するのでは、とか思ったり・・・なお、カンラン石はオリビンともいい、ペリドットはカンラン石の一種で、宝石として扱われるときの呼び名です。
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「上蒔田(かみまいた)の超苦鉄質岩」などという記述を見つけました。「上蒔田を流れる柳瀬川の川原にはダナイトとよばれる超苦鉄質岩がたくさんみられる。黒っぽい岩石で、蛇紋石鉱物の細脈が貫いている。」 (松原 聡  鉱物ウーキング
ダナイト(ダンかんらん岩)って、ほとんどカンラン石からなる岩なのです。どこにでもあるというものではないものです。蛇紋岩が貫いて・・・というのも、滑石形成につながりそう・・・・・
上蒔田の柳瀬川は、しょちゅう通っている場所の近くです。いってみようかなあ。でも、こういう石って、私には見てもよくわからないのですよね・・・

下仁田地域の中央構造線の近くなどには、かんらん岩やはんれい岩がぽつぽつとみられるようです。黒打山も、そんな場所とか聞いたことがあります。これらの石は、何だか、大地の変動に関係していそうに思えませんか。。。。詳しい方にお聞きしたいものです。


滑石の鉱床は「蛇紋岩を交代したもので、小さなレンズ状か脈状」とありました。
少量とれただけなのでしょう、馬山も、今では廃鉱になっています。


マンガンの鉱床

茂垣(もがき)で、マンガンをとったという話を聞きました。それ以上はわからないのですけど・・
この茂垣の付近、枕状溶岩が見られ、また、ひすいも見られるとか。ここのひすい(ひすい輝石)は翡翠色(ひすいいろ)をしていないで、白。純粋なひすいは、じつは無色なのだそうです。
これも、見ても私にはわからないなあ・・・

先の本に記された解説を書いてみると・・・(かなり専門的な話ですが)
この付近の緑色岩は、かつてのホットスポット海山のアルカリ玄武岩が変成をうけたもの。
タマラ閃石とか、なにやらめずらしい鉱物もあるような。とにかく、ちょっとよくわからないような、さまざまな鉱物を含んでいるようです。

何だかやたら、難しい話になってしまいました。
よくわからない、不思議なことがたくさんあるような気がしてきました。

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気候がつくる地形

山の形には意味があるそんな話をしようと思います。
  下仁田の山の形にも、それぞれ理由があります.。以前、このブログでも取り上げました。
       http://geoharumi.blogspot.jp/2013/09/1.html


上越県境の山、平標山(たいらっぴょう)に行ってきました。
 7月6日、梅雨の真っ盛り・・・・・どうしてそんな時期に行くかというと、お花畑が花盛りだから。
前日までの大雨のあと、水上ではまだぐずついていた空が・・・三国のトンネルをぬけると、そこは”雪国だった”ではないけれど、日差しののぞく空。天に感謝!!

ここ平標山の山の形のできた理由は、下仁田の山とはだいぶ違います。

写真は平標山(1984m)の山頂から、仙ノ倉山への登山道を見たものです。
2000mをきる標高しかないのに、木も育たず、なめらかな緩斜面に高山植物が咲きほこり、もっとずっと標高の高い山のような姿です。
 ちなみに、この付近の森林限界(高い木の育たなくなる高度)は多分2100m~2200m(これ、日光付近の森林限界の高度)。本来なら木がはえていてもいいはずの標高なのです。
                               



谷川から三国・平標までの谷川連峰の山々は寒さと多雪と強風にさらされます。高い木なんて、育てない!草原、・非常に背の低い低木、・時には砂礫地がひろがり、標高よりも、ずっと高い山のような光景が広がるのです。偽高山帯なんて名付けられています。

上の写真部分は、特に風の強い所です。冬の風は新潟から群馬へ、左手から右手方向に吹き越していきます。
手前は背の低いチシマザサですが、その先の緑の中には、さまざまな高山植物の花が姿を見せて、とても美しい・・・

 でもこの場所の秘密は、それだけじゃない。
寒い気候では、地面が凍ったり溶けたりしているうちに、小石が少しづつ動いていきます。こんな凍結融解作用が長く続いた斜面は、のっぺりとした形になるのです。
この山の「のっぺりさ」は、そのため。こんな作用、周氷河現象と呼びます。日本アルプスの砂礫地では、今でもこの作用が働いているそうです。

 よく見ると、下っていく道に直角方向に、なんとなくが見えませんか?これ、階段状構造土というもの。
でも、この階段状の模様は、今の凍結融解作用だけではできそうにないとか・・・過去の寒冷期にできたというのだけれど、つまり氷期にできた・・・・ 地形の化石?

石に目印をつけて、観察した人もがいます。そうしたら、平標でも、年間2~3cm動いていたとか。20年間も観察したそうです。なお、ここでは砂礫地はだんだん減少して、草に覆われてきているようです。
  (寒冷気候では、地面にもっとさまざまな模様ができることもあります。多角形だったり線状
    だったり。草津白根の鏡池の多角形の模様は有名です。)

草津白根山の鏡池の構造土 寒冷期に礫が移動して、亀甲模様を描きました 


「山の自然学入門」 小泉武栄・清水長正  より
説明もこの本を参考にしました

左図は、高山地形の模式図。
風は左から右に吹き越していく。

風下側には、大量の雪がたまり、夏まで残る・・雪田という部分。

平標山では、写真の雪田の部分は、プーンでえぐり取られたような地形で、最後まで雪が残っていて、目立ちますね。残雪凹地というのだけれど、これも、過去の寒冷期にできた化石地形のようです。






この山の斜面には、湿地があります。ワタスゲが風に揺れ、モウセンゴケが育ち、タテヤマリンドウが咲いていました。泥炭層ができているのです。

砂礫のカラカラに乾いた場所から泥炭のある湿地まで、高山の雰囲気いっぱいです。

ところで谷川連峰には針葉樹林がほとんどない。強風・多雪で、育たない・・・
右写真の遠景は、山ノ家近くで、めずらしく育った背の高い針葉樹シラビソの林です。
手前はワタスゲ。




ブナやミズナラから、急にシャクナゲやツツジの花の咲く登山道になり、あとはお花畑。
たくさんのトンボ'(避暑に来ているアキアカネだと思う)が迎えてくれた道でもあります。

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登るのにけっこう歩かねばなりませんが、山の上は気持ちのいい場所(晴れていれば・・・・)の広がある山です。
これからもこんな場所に行けるように、足腰をちゃんときてておかねば・・・人間、目標があると頑張れるものですよね。

こんな光景の中を歩きます
ハクサンコザクラやチングルマも迎えてくれました。他にもいろいろな花。


オノエランがあちこちにたくさん咲いていました。
 



階段状に見えるのは、こんな部分かな?
     
気象条件が大きく作用する山の形と植物でした。
こんなふうに見ていくと、ハイキングをしていても、散歩をしていても、ちょっと見方がちがってくるかも。

今回はやたら理屈っぽい話になってしまいました。

登るには,ガイドブックにあるコースよりも,松手山経由で登る方がいいな,と思います。下りながらお花畑を見るより,のぼりながらお花畑を見る方が、ステキです。それに、ガイドブックコースは最初が単調な林道で,その先が長い上り階段を延々と登るし・・どちらにしても,ぐるっと廻って,同じ所に戻れます)
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お盆・・・
以前、お盆は7月に行っていましたね。今ごろ、提灯を下げて、お寺に盆迎えに行ったりしたはず・・・記憶があやふやですが。

 道端の茅をあつめて縄をつくり、棚をつくって大きくなりすぎた茄子で馬(?)などをつくって飾ったり・・・緑の縄は青草の香りがし、そこにしかれたゴザも新しく、青畳の趣。
今はお盆はすっかり8月になりましたが。
考えたら、7月の今ごろが、農作業が一息ついたときなのかなあ・・・田植えも終わって、少しゆっくりできるとき。お蚕を飼うのはいつだったっけ・・・
ちなみに、お蚕を飼うには、以下のような時期がありました。
以前に書いたものをのせてみます。

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 月が春蚕(はるご という) 。そのあと 夏蚕(なつご)秋蚕(あきご)、秋の彼岸ころ蚕を繭作り
のための”まぶし”に移す(「ずあげ」といった)のが晩秋蚕(ばんしゅうさん)。これで4回です。

10上旬に「ずあげ」の晩々秋蚕(ばんばんしゅうさん)というのもあったようですが、これをおこな
う家はまれだったようで、私もまったく記憶にありません。作業は晩秋蚕とダブっておこなうものと
のことです。

お、9月下旬から10月にかけての初冬蚕(しょとうご)とよばれるものもありますが
温暖地で実施されたもので生産量も少ないとのことです。これをやったら、年6回になります。

一番収量の多いのは、春蚕でした。

春から秋まで、とにかく忙しい毎日だったわけです。