図の赤丸地域の解説です
みどころは
①<はねこし峡と その対岸・岩山>
右図の2つの赤丸のうちの、下の部分です
ここは中央構造線の通っている場所です。
でも、中央構造線(断層)は直接は見られません。(昔はみられたそうですが、
川の流れの変化で、見えなくなってしまった。
またいつか、顔を出してくれるかな・・)
②<石渕橋> 赤丸のうち、上の丸の部分です
中央構造線の北側に分布している特徴のある礫岩が見られます。はねこし峡と同じ礫岩で名前は 神農原礫岩(かのはられきがん)。
道から川を見おろすことになります。
まずは<岩山・はねこし峡>
下の案内図のⅡ(岩山・はねこし峡)の解説をのせます。
なお案内図のⅠ(青岩)は前回紹介しました。(前回、うっかりして青岩の解説文を一部しか掲載してありませんでした。スミマセン。前回のページに、解説を追加しておきました。)
「岩山付近」の案内です
神野原礫岩の写真。解説図のポイント⑤です。
左写真は、解説図のポイント①部分に見られる石灰岩と結晶片岩からできた岩体です。
白い石灰岩と青い結晶片岩が入り交じっています。古い時代の岩石です。(こんな顔つきもあるんだ・・・)
この場所、道がついているわけでなく、繁った草をかき分ける覚悟で到達。秋はチクチクくっつく草の実(センダングサ)に悩ませられました・・・
上図で下の方の「駐車」と書いているところから川原に下ります。コンクリートで固めた作業道が川に向かってできていますが、すぐに草の茂る場所になります。
同じ場所の岩石の一部です。白い部分が石灰岩です。 →
下の写真 ↓
手前の白い岩体は石灰岩と結晶片岩。
奥に見える茶色の部分・普通の地面に見える場所は、下仁田層の礫岩です。ここは解説図のポイント③です。
この礫岩は、この場所では少しだけしか分布していません。
近づいてよく見ると、神農原礫岩と違う顔つきの礫岩だとわかります。
手前の石灰岩・結晶片岩の岩体と、奥の下仁田層との間に、中央構造線が通っているはずです。ですが、断層は、ここでは見ることはできません。
写真の、水がたまっているあたりに断層があるのかな・・・・?
下仁田層の礫岩 →
礫に黒色泥岩が多く、安山岩の礫も。
それに対し神農原礫岩はピンク色がかった、かこう岩に近い仲間の石英斑岩が圧倒的に多い礫岩です。
でも、慣れないと、「礫岩」だから、同じ
と思ってしまうかも。
<下仁田層>
中央構造線の北側に分布している砂岩や礫岩の層です。約2000万年前の、少し冷たい海に堆積したことが、みつかる化石からわかります。
化石は、下仁田駅の少し西の、西牧川の川原で
観察できます。
下仁田層の礫岩と神農原礫岩の関係は??
図の中の④の不整合というのですが、どれだか、ちょっとわかりにくいですね・・・だいいち、はるか昔、理科の時間に出てきたかもしれない「不整合」というのがよくわからない人の方が多いかも。
<不整合>
②その後沈降してまた海の底になり、そこに地層Bが堆積 <不整合>
③再び隆起して、目の前に見えたAとBの境目・・・これが不整合面
大まかに解説すればこんな感じでしょうか。ですから
この境目の間には、大地が上昇したり下降したりの大事件と長い時間の境目があるわけになります。
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←左写真の真ん中あたり、縦方向を境に何だか礫の種類が違う感じがしませんか。ここが不整合面かな・・・でも、「なーんだ、礫の様子が少し違うだけじゃないか」と言われそう。解説をすれば、左側の下仁田層が約2000万年前に海に堆積した地層、右の神農原礫岩の堆積した年代はわかっていませんが・・・
(地層の年代は、基本的には化石で決めていきますが、礫のゴロゴロしたこの地層で化石が見つかるのは、なかなか困難・・礫をつくる花崗斑岩は8500万年前にできたと測定されていますから、これより後ということはたしかですが。)
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*下仁田層の部分を「下仁田層」ではないという説もあります。この場合、不整合は成り立たないことになります・・・・・・
このように意見が分かれ、違った説明がされる例は、ごく普通にあります。下仁田地域でも、異なった説の出されている例は、たくさんあるのです。
自然はなかなか難しい・・・・わからないことがたくさんあるわけです。
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ポイント⑥は 「はねこし峡」とよばれる景勝地。昔は 岩の上にあずまやがあったりして観光利用していたそうです。一部をプールのようにして、水遊びもしたらしい。
今まで広かった鏑川の川原が、神農原礫岩の分布するこの場所で狭まっています。
ひび割れだらけの礫→
礫が切れて、ずれている↓
ずれ礫といって、神農原礫岩に特徴的。こういう礫のみられる場所は全国でもたくさんはありません。
ここでは、大きなポットホールも見られます。
くぼみにはいった石が、川の流れでゴロゴロ回転し、岩に丸い穴を削ったものです。
(大仕事でした・・・・)
このポットホールは、直径2m×3m
深さ 2.5m以上
写真 本多優二さん
この穴、川の流れる面から8mも上の岩の上にありました。
川原からはしごをかけて、やっと登りました・・・
昔、こんな高いところに、川の水が流れていたのですね・・・・川の削る力が強くなって、どんどん削って、川原が低い所になった。
どうして削る力が強くなった? 地面が持ち上がったのかなあ・・
下の写真で川からの高さの感じを
つかんでいただけるでしょうか・・・
白い矢印のあたりです。
写真 本優二さん
<石渕橋付近>
神農原礫岩観察の最適地と書かれていますが、川辺にまで下りられなく、現在は礫岩の観察に向く場所ではないかも。以前はきれいなずれ礫がよく見えたそうですが、今は川の流れの変化で、見えませんので・・・(なお、この資料は2006年作成のものです)
石淵橋から遠望した神農原の崖礫岩