2014年11月9日日曜日

川原の石のふるさとはどこ

川原に転がっている石たち ふるさとを思い浮かべて 

我が家の近くに利根川が流れています。
この川原には、角が取れて丸くなった石が転がっています。
たくわんや白菜を、大きめの入れ物にたくさん漬けていた頃、母や祖母はそんな石を重石にしていました。安山岩や閃緑岩が重石になっていたはずです。
 まどみちおさんの 次の詩を読んだとき、おもわずクスッと笑ってしまいました。
  

        つけものの おもし                     
                                  まど みちお

  つけもののおもしは            こっちむきのようで                
  あれは なに してるんだ        あっちむきのようで
  あそんでいるようで             おじいのようで            
  はたらいているようで           おばあのようで                                              
  わらっているようで          
  すわっているようで          つけものの おもしは      
  ねころんでいるようで         あれは  なんだ         
  ねぼけているようで                                                   
  りきんでいるようで

(今はスーパーマーケットで取って付きの重石を買う・・・いえ、できあがった漬け物を買う)

     次も、まどさんの 石ころの詩
そうか、むかしは雲をまとった岩山だったかもしれないのだ・・・

  でも、もっとスゴイ人生、いえ、石の生い立ちだったかもしれない・・・たとえば地下深く20km・30kmとかいった所できゅうぎゅう押されたり・・・・・・そんな話もできそうです。

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下仁田では、川原につどって、石の学習会がしばしば開かれます。
鏑川という、それほど大きくも長くもない川が流れる下仁田ですが、ここにはとにかく、石の種類が多い。 小さい川だけれど、私の家の近くの利根川より、ずっと種類が多い。主なものでも17種類。
下仁田自然学校では、かつて、そんな川原の石の学習用のテキスト本も作りました。これは今でも観察会に利用して,重宝しています。

  川原の石は,もともとは上流にある石です。どこにあったのかな。
  今回は、そんなことを取り上げてみます。

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 上流のどこにどんな石があるかは、地質図をみると、見当がついてきます。
地質図なんて馴染みのないものかと思います。地面にどんな石があるのかとか、その地面の地層が曲がったり断層で切れたりしていたりの様子も示したものです。ヨーロッパなどでは、地質図を普通にそこらに売っていたという話をずっと以前に聞いたことがありますから、国によっては広く知られて利用されているのかもしれません。
 先日、川原の石の学習会をした時に、群馬県の地質図を眺めました。簡単にした図を作りましたので,参考に紹介します。ちょっと図が小さくて、見づらいかもしれませんが。

(「群馬県10万分の1地質図」に添えられた図をもとに作成しました。もとの図は時代だけで分けていますので、少し書き加えました。 片品川付近は蛇紋岩などが分布したりしていて、私はほとんどわかっていないのでここにはちゃんとかきませんでしたが、あしからず。)


 住んでいるのが群馬県なので、ここでは群馬の地質図だけを示しました。
 ”鶴舞う形の群馬県”は川の水をすべて利根川に集めて、鶴のくちばしに向かって流れていくのですね。東の端を流れる渡良瀬川も,もう少し下流で利根川に合流します。
  利根川水系に沿ってできたツルの形に見えてきます。

 図でみるように、地質はちょっとづつ違いますから、場所によって川原の石も違ってきます。
前橋では,安山岩や閃緑岩がたくさん見られました。上流を見ると、「なるほどね」と納得。
こうしてみると、県の北の方は、マグマ起源の石が多いですね。

 県の西部、鶴の翼の付近はどうでしょうか。
下仁田付近を拡大した図を下にのせます。
 結晶片岩があったり、秩父中古生といわれる地層(横破線の部分)が分布したりしていて、他地域とは違った種類の岩石がみられます。斜め破線は第三紀という時代のもので、砂岩・泥岩・火山噴出物などが見られます。
 
 なるほど、バラエティーに富んでいていろいろな石が川原に出てくるわけです
(中古生層は県の東部、桐生の方にもありますが、ここのものは渡良瀬に流れていくのもわかるかと思います)
 


 三波川という小さな川(神流川の支流)が図にあります。この川が「三波川結晶片岩」の名前の元になった川です。この付近で最初に結晶片岩の研究がされ、論文が書かれ、名前がつけられたという、記念すべき川です(図に緑色に色がついているのは、学習会の解説のために塗ったもの)。
 横破線の秩父系の石は、ここから南へ、秩父方面へずっと続いています。秩父までの地質図を見ると、よくわかります。秩父でこの地層の研究がされたので、”秩父”の名を冠しているというわけです。
 ”中古生層”というのも、妙な言葉です。40年ほど前までは、ここは古生層と考えられていたのが、中生層の中に古生層が転がり込んで混じっているのがわかって、こんなふうに呼んだりしたわけです。

純粋な中生代というのは、群馬県では切れ切れにあちこちに見られるだけです。
参考に紹介します。右図です。
下仁田の跡倉層が、しっかり載っています。
火成岩というのは、かこう岩だったり,閃緑岩だったり、溶結凝灰岩だったり、いろいろあるようです。
     群馬の自然をたずねて 日曜の地学 より



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馬北部、水上方面などには新生代第三紀の地層がひろく分布しています。斜め破線で現されている場所です。温泉があったりして、たまには出かけますよね。
ここでは,火山灰その他火山噴出物が固まって、さらに色が緑色になっている岩石が見られます。海底火山の噴出物で、日本ではグリーンタフ(緑のタフ=火山灰・緑色凝灰岩)とよびならわされていて、緑色は変質してできた緑泥石(りょくでいせき)などのためです。日本海側に広く分布していて、関東北部にも分布がみられます。そんな石を,先日見る機会がありました。
左写真です。ちょっと緑っぽいのがわかります。
この地域ではこんな石を石材に利用しました。青波石という石材の名前もありましたが、今はもう取っていません。
この地域の温泉に行くと、緑色の石が湯船に使われているときがあります。ぬれて、きれいな色が映えます。大谷石かななどと思ったこともありますが、きっとこんな地元の石なのでしょうね。
少し軟らかそうな石なので、川原の石ではみつかりませんが。

 この石を取った場所は、月夜野、現在はみなかみ町後閑にあるJR後閑駅近くの、山裾に開けられたトンネルの中です。
 今から70年ほど前、1945年2月、地下壕を掘って工場疎開すると、突貫工事で地下壕を掘ったというのです。中島飛行機製作所尾島工場の疎開移転先とされました。無理を重ね、多くの犠牲者をうんだ工事が,あちこちで行われていた頃のことです。
 トンネルは主幹が170m、横穴が16本、長いもので140m、高さ6m、幅5m、トラックが通れる広さです。8月10日に完成、でも、敗戦で使われることはありませんでした。交通の便を考え、また適度に丈夫で,また掘りやすい岩であることも、白羽の矢の立った理由なのでしょう。200台の工作機械が設置されていたとのことですが、それらは残っていません。
 今は一部がキノコ栽培に利用されています。他は真っ暗で足元は水で少しぬかっている状態でした。薄暗い中で白く見えた石のかけらを拾ってきたら、緑のグリーンタフの石でした。

 戦争の遺跡として、ここを保存・活用したいと努力されている方々が案内してくれました。




















キノコ栽培の様子です。
天井や側面の所々に
戦争当時の電気設備の残骸が残っています。




 この壕は学徒や中国人ら約3,000人を動員した突貫工事だったとのこと。中国人は利根川の発電所建設のため、約14kmの導水路(ほとんどトンネル)建設工事に従事させられ、その後、月夜野地下壕にも移され、612人のうち合計59人が死亡しています。飢え、過労、栄養失調、逃亡を図って溺死、毒草による中毒、中には撲殺も。月夜野にある如意寺の住職は「死者に中国人も日本人もない」と、丁寧に戒名をつけ、檀家の者と同じに手厚く葬り、出身地や年齢まで過去帳に記載し保存したといいます。死亡した中国人の氏名と出身地,死亡原因が判明しているのは、全国でもめずらしいといいます。合祀された方々のために、「中国人殉難者慰霊碑」という墓標をたて、毎年冥福を祈りました。安置所には「何年後トイエ共此札取リ去ル可カラズ」と書かれた木札が掲げられ、1953年には遺骨を本国へ送置することもできました。
お寺には「中国人殉難者慰霊之碑」があります。1970年竣工でした。日中国交回復より前からこうしたことを行っていたのですね・・・月夜野町はじめ21すべての部落人々が、当時10円20円を出し合って、総額50万円のお金で建設されたものとのことです。
こんなことがあったんだ。この地域の方々には頭が下がります。
 このお寺にも、いつか立ち寄ってみたい!

この壕の案内は、「月夜野戦跡文化を守る会」が行っています。多くの方に紹介したいとおっしゃっていました。連絡すると,案内していただけます。

石はいろいろ利用されるわけですが、かつて、あちこちで地下壕が掘られたこともあったのを、あらためておもいうかべた日でした。


 
 

2014年10月24日金曜日

”八ッ場ダム”の今

 
 
八ッ場ダム工事の場所を歩いてきました
 

60年以上前に計画がはじまり、今、ダムの本体工事がはじまろうとしている八ッ場ダム、以前見学会に参加して紹介したことがありました。
本体工事が始まると、古くから使っていた国道が工事用道路となり、通行禁止予定となっています。その国道を歩く企画があり、晴れた秋の日に歩いてきました。10月19日のことで、2週間ほど前になります。
なお、この国道を生活道路として使っている方がまだいらっしゃるのですが、11月18日に使用を禁止すると発表がされました。

 吾妻川の水は工事現場の上流で迂回用のトンネルに吸い込まれ、下流で滝のようになって流れ落ち、川へ戻されています。

 
 

       写真は今の川の姿です。

       ダムの本体準備仮締め切り工事で
       堤が築れ、水はほとんどみられ
       ません。
       締め切りの上流の川の様子も
       眺めながら歩きました。
        

       上流側では迂回トンネルの前で水が
        たまっています。
        迂回トンネルの後では,右下写真の
        ように水はなく,川底が見えていま
        す。
   
 



















ダム予定地に一番近くの最近建設された橋、八ッ場大橋から見おろすと、 橋の影が視界を横断して見えています。川は手前から奥の方へ流れていますが、仮締め切り工事は橋の影のもう少し先の位置にあります。ですから下の写真の水の流れのその先にダムが築かれることになり、この付近一帯は水没することになります。
この地域一帯には様々な大規模な土木工事が行われてきました。新しい道路、新しいJR線路と駅、複数の大きな橋、トンネル(国道用、工事用)、代替地造成・・・ダム本体工事費用予定は、このダム建設に使った費用全体の1割以下なのだそうです。
JR線路が付け替えとなり、写真右側には廃止となった旧川原湯温泉駅が見えています。吾妻川を横断して川原湯温泉へ向かう時に渡っていた橋も見えています。これらはすべて水没予定となっています。

この日は10月19日でしたが、木の葉は色づきはじめていました。
その後の報道では、今年はとてもきれいな紅葉の年となったようです。見事な紅葉も眺めたかった・・・

10月31日のニュースステーションはこの八ッ場からの中継でした。左手奥に白く見えている橋付近からの中継です。雨の夜でしたが、ライトに照らされた紅葉がきれいでした。

 
                              

国道を川の上流に向かうと、途中には水没予定の天然記念物、昇龍岩・臥龍岩があります。


貫入してきた安山岩を龍に見立てて名付けられたものです。










川原湯層に入り込んだ輝石安山岩の岩脈が、まっすぐ上に伸び、角材を積み重ねたような姿が龍の腹のようだとみなされました。
貫入は230万年より古いようです。
 


臥龍岩(左下の写真)は水に洗われるような場所で、写真ではちょっとわかりにくかった・・・
 これは230万年前の貫入で、龍が寝ているようだという見立てです。

これらもすべて水没します。

  



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 次は下流から2番目の橋、不動大橋を国道から見上げています。この写真のかなりの高さまで水没の予定です。
今まで使われていた橋(上湯原橋)が低い位置に見えています。
 
 
下写真は、八ッ場大橋から見た周囲の様子です。廃止された旧川原湯温泉駅と、新しく作られた代替地が見えています。遠方の中程に見えている代替地にはかなり家が建っています。背面の斜面が少しくぼんで見えているところがあります。土が流れたようなこともききましたが、気になるところです。斜面下方はダムの水がたまることになります。盛り土もある代替地は、水が張られたとき地面が安定していてくれるか・・・こんな心配がずっと語られてきています。
八ッ場大橋より
 



橋を渡り、代替地側から見た対岸のようすです。
新しく付け替えられた国道が、長いトンネルをぬけ、見えている所です。すすめられている工事で削られた部分も見えています。


写真左に見える、法面をコンクリートで覆った部分に行って見ました。

下写真のように、デコボコと飛び出した岩もすべてコンクリートで覆った面が見えています。(もう少し拡大した写真ならよかったのですが)
                                       長い茂四郎トンネルを上流側にぬけてすぐの場所ですが、斜面の石が落ちてきたことがあるとのこと。その後コンクリートで岩の上までおおって固めたとのことです。かなり気を遣わねばならない場所かもしれません。

コンクリートに覆われたこの場所のすぐ左手、隣接した法面をみると、格子状に区切られた枡が茶色く変色して見えます・・熱水変質帯を含み、粘土化した部分が見られるようです。付近は酸性化していて、中の金網がボロボロになているというのですが・・・。
写真にはありませんが、国道近くの水路が橙色となり、pH3のかなり強い酸性の水が流れているとのことです。酸性熱水変質帯から黄鉄鉱,カオリナイトなどを溶かしこんだ水が浸出してくると思われます。この付近は2005年造成、2013年、写真のようなアンカーボルトを差し込んだ工法での工事が行われているとのことです。まだできてそれほどたっていない道路のはずなのですが、すぐにこうなるものなのだろうかと、素人目にも不安を感じてしまいます。


  
 
この場所の道路脇の縁石は、少しゆがんで、前方向に傾いているように見えます。縁石と路肩のあいだには亀裂ができています。表面は赤茶けた色でおおわれています。付近の道路も少しデコボコとしているのか、通行している車が少し揺れて見えました。路面の凹凸で、9月に舗装のやり直しが行われたばかりとのことです・・・

地質関係の方が見て、これは地滑りがはじまっていると言っていたそうです。開通してまだわずかしかたっていないはずですが・・


地元をよく知る人は、この道路付近は、山を大々的に切り取っていて、以前とはまるっきり違った姿になっている場所だといいます。山の真ん中が切り取られ、残った端くれが道路法面の反対側に、無意味な岩の塊になって残っていました。

        
        道路脇の地面を見ると、白や茶色になっています。
        変質していると思えます。
         工事現場へ向かう切り通しも見えますが、
        土の色が白、茶、灰色と、まだらにあれこれ色付いて見えます。
        温泉地域ですから、変質の起こりやすい場所もあるのでは。

切り通し 変質している

山を切り取れば、それはそれで、地面の力の加わり方も変わるでしょうし、温泉があれば、化学的作用も強い場合もあるだろうし、など、あれこれ頭に浮かんできます。
八ッ場ダムの湖予定地域周辺には地滑り危険区域が22カ所もあるといいます。地滑りに困ることになったら、あるいは地滑り対策に多額のお金が投入され続けるといった事態になったら、といろいろ心配になってきます。

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8月5日毎日新聞に、八ッ場ダム工事その他に環境基準を超えた有害物質を含む鉄鉱スラグが使われていたことがスクープされました。フッ素とクロム化合物が検出され、強アルカリ性の性質も示しています。スラグとは鉄の精錬で出る廃棄物です。
スラグは渋川にある大同特殊鋼からもたらされたものでした。環境基準を満たしていれば工事に使うことは許可されていますが、これは基準の5倍~23倍といったものです。
電気炉での洗練時、ホタル石を入れると温度が低くてすむとのことらしいです。ホタル石はフッ素の化合物、CaF2という記号で表されます。Fがフッ素です。(下仁田自然史館にも、寄贈された大きなホタル石が展示されています)。フッ素といえば虫歯予防で聞いたことのある名前かと思います。ですが、フッ素そのものは大変危険な物質です。一方、六価クロムといえば、かつてこれを扱う工場で働く人の鼻に穴があいて・・という話をきいたのを思い出します。ずいぶん昔なのですが、びっくりしたので、よくおぼえています。東京などでも大規模な土壌汚染で大問題になったことのある物質だったはずです。そんなこととは知らず、庭に蒔くと雑草がはえなくて良い、などと校庭にまいたりなどという話もあったような・・・クロムは鉄を錆びにくくするために使用するのだそうです。このクロムが六価クロムに変化します。

28日の県からの発表では、56工事での使用が認められ、26が八ッ場ダム関連、30が国道17号線バイパス工事とのこと。八ッ場代替地盛り土や道路土台などに使用していると言います。
他にも渋川の遊園地の駐車場など、あちこちでの使用も明らかになってきています。
 八ッ場にお住まいの方々も心配なことなのでは。気になる話です。

  詳しくは 八ッ場あしたの会HPで http://yamba-net.org/
 
 

5月にここを訪ねた記録は
  
http://geoharumi.blogspot.jp/2014/05/blog-post_25.html
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毎日様々な事件も起こり、世の中はめまぐるしく動いていきます。八ッ場ダムも、一時はマスコミに大々的に取り上げられました。ですが、その後を知る方はどれほどいらっしゃるのでしょうか。
前のことをすぐに忘れてしまうのでなく、いつまでも見続けていくことも、大切なことと思えます。
このダム建設も、これからも見続けていく必要があると思えます。

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   秋の花は菊だけではありません。
      菊とサザンカの咲くシーズン、地味ですが、ほかにも花が咲いています。
   


お茶の花

   →
シロダモの花

お茶の木にも少し前から白い花が咲いていました。

シロダモはご存知ないかもしれませんね。ツバキのはえているような場所で見られる,同じような背丈の木です。人とは関係なく、自然にはえている、自生している木です。やがて赤い実がみのります。
これらは皆、照葉樹森(常緑広葉樹森)に育つ木です。

照葉樹林は少し暖かい地域、関東南部から日本列島の西部、四国や九州といった地域に、さらに海を渡って中国の南部地域にひろがる森です。
下仁田はその分布のぎりぎりの地域で、下仁田の標高の低い場所の林には、これらの花が見られます。








2014年10月23日木曜日

秋の木の実 ナツハゼなど

 
丘陵の木の実
 ・・・ 虫めがね一つでひろがる世界  ・・・
 

下仁田近郊の低山、神成山の尾根筋を歩いていたら、こんな木の実がなっていました。
小さくて(直径6~7mmほど)、黒くて、あまり目にとまりません。
でも、虫めがねを使って拡大すると、なんと、花模様がしっかり見えてくるのです! カワイイ!一緒に歩いていた子どもたち、「ほんとだあ」と喜んでいました。  これは花の咲いていたときのガクのあとです。
  これはナツハゼという木で、この実、食べられます。ジャムにもできます・・・と言ったら、子供の頃、このあたりで遊びまわったに違いない人が「食べたことない。いろいろ口に入れたけど」と。・・・何だか心配になってきました。これ、ナツハゼですよねえ。食べたことある人いたら、教えてくださいね。

”山渓ハンディ図鑑・木に咲く花”によると、ナツハゼは「かこう岩の土地を好み、関東ローム層の武蔵野や相模野ではみられない」とありました。へえー、そうなの・・・日当たり水はけのよい場所、酸性の場所というくらいならわかるのですが・・何しろツツジ科なので、ツツジの仲間はそんな性質を持っていますから。
 ここ神成山は、かこう岩でできています。高崎市の裏山、山名丘陵にもはえていましたが、ここは砂礫。みなかみ町の大峰山の北側の吾妻耶山にもあったなあ。ここは流紋岩質の溶結凝灰岩の山でした。流紋岩が深くで固まればかこう岩になるわけなので、成分的には同じようなものなのでしょう。
最初にこの実を教わったのは札幌市近郊の野幌の丘陵。食べられるというので、何となく名前をおぼえたようです。野幌丘陵は海でたまった砂や泥の地層でできていますが、表面には支笏火砕流堆積物が広くみられます。白っぽい色の火砕流で、支笏から札幌周辺に広く分布します。これも、「白い」ということは、成分的にはかこう岩と似ているでしょうね。
西日本はかこう岩が広く露出していますから、そんな地域では「かこう岩の所に多い」と言うことができるのでしょう。
こうしてみると、本当に、「かこう岩を好む」植物なのかも。地質と植物の関係・・・が少しあるかな

 地質と植物の関係と言えば、下仁田では、石灰岩地域を好んで育つ植物が数種類見られます。この関係は、アルカリ性の石灰岩の性質が関係します。

ところで、ネットで見ると、ナツハゼは園芸用に、またジャム販売用に、けっこう人気のある植物のようで、販売関係がたくさん載っていました。知りませんでした。

子どもに、実のなっているものに何があるかきいたら、左のものをあげた子がいました。
これに気づいたなんて、意外で、目の付け所に感心しました。

何だと思いますか?
ミツバツツジの実です。
こんなものには、なかなか目を留めないですよね。



その他、山名丘陵などで見かけた実を紹介します。

コバノガマズミ                           ガマズミ













              ゴンズイ (典型的でなくてわかりにくいですが )               クサギ(花の頃は蝶がよく訪れます)




 
ヒラヒラ飛ぶ木の実も紹介します。 機会があったら子どもと遊んでみませんか。
 
左はシナノキの実です。丸い実はほとんど落ちてしまっていますが、上の羽で、くるくる回りながら遠くまで飛んでいきます。これは羽の部分が6~7cmほどの大きさ。下仁田のホタル山公園に植えてありましたが、山にみられます。
オオバボダイジュやボダイジュ(中国産)もこんな実をつけます。大きさは少し大きめ。どこかに植えられているかもしれませんね。

くるくる回ってとんでいくものは、何でも楽しいですね。

 家のまわりに植えられたアオギリにも、ヒラヒラ舞う実がなります。舟のような形に丸い実がくっついていて、なんともかわいいものです。これを2階から落とすと、くるくる舞いながらとんで行き、ひとしきり遊べるわけです。
昔は家のまわりに植えられていたのですが、最近はあまり見かけないような気もします。
広島で、被爆して生き残ったアオギリを「被爆アオギリ」として大切にしている話を聞いたことがあります。広島市では被爆樹木として選定しています。この木を親とした2世は国内各地、さらに世界中に送られ、育てられているとのことです。多分、昔はよく植えられていた樹種だったのでしょう。ちなみに 、私の育った家にもありましたが、今はありません。
   アオギリの実                               実をつけたアオギリの木 背が高くなります
 

 ついでなので、川沿いなどによく見られる木の実も紹介します。
写真の大きい木、どれも同じように見えます。でも3種類写っています。
  左が皆さんよくご存知の ケヤキ。   右写真のいちばん左がエノキ、いちばん右がムクノキ。
  

どれもよくある木なのですが、なかなか区別がつきそうもない感じです。でも、実を見ると、一目でわかります。
 
  ケヤキ  右のように、小枝に実がついていて、これで風に乗って飛んでいくのだそうです。大きなケヤキの木に枯れたような葉がたくさん下がっていたら、それは種のついた枝かもしれません。

                    
                             







ムクノキ







黒みを帯びた実はムクノキです。
昔は子どもが食べたそうです。
今では食べるなんて、思いも浮かばないでしょう。鳥が運んできた種から、庭にはえてきたりして、邪魔になったりはしますが。

 赤い実はエノキ
エノキの葉は国蝶とされるオオムラサキが食べるといいますが、オオムラサキの住むところは、めったにないでしょうね。(エゾエノキというのは実が黒っぽいですけど・・

 

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 子どもたちに、ぱっくり口を開けた実を指さして、「これなんだ」ときいたけれど、みんな知らなかった。「ザのつくもの」のヒントでやっと当てました。ザクロです。
   そうか、「ガーネットのことを日本ではザクロ石とよんだ」なんて話しても、何のことやら
   わからないのだなあ。                                        

 
地味な草木たちですが、野山に出たとき、様々な自然が友達になれたら、うれしいことです。