2016年6月9日木曜日

麦刈りが終わって 天明泥流など

あれこれ紹介を・・・

麦刈りが終わろうとしています。暑さのなかの、チクチクとホコリにまみれた麦刈り。
きつい仕事です。   今年はカラカラ天気続きで、畑の野菜も庭の花も、青息吐息。
関東は梅雨に入ったと言います。麦刈りは梅雨の雨との競争です。
 麦が刈り終わったら、もう雨、降っていいよ。

道路端にカルガモの死体が・・・交通事故に間違いなし。今年はこれを見るの、2度目なのです。こんな姿、ときおり見かけます。
道路をよたよた歩いている姿を見ると、あれでは無理もないか・・と思ってしまう。
写真を撮りましたが、なんだか載せたくない気分です。
 みなさん、カルガモには注意してください。スズメと違って、車がきたからと、機敏に飛び上がる鳥ではないのです。

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ちょっと遅くなってしまいましたが、きれいなバラガーデンを紹介。
館林茂林寺の隣にあります。






何だ、草だらけじゃないかと思ったら、それは見る目がないかも。
バラの株のまわりには、さまざまな草花が咲き乱れているのです。これが何とも言えない良さなのです。
みたこともない、多分宿根草が、これもたくさんの種類植えられています。手作業の手入れでしょう。大変そう。
バラも種類豊富で、平均、1種につき2株しかないようです。

夏の暑さのきびしいこの場所で、こういった植物を育てるのは、本当に大変でしょう・・特に宿根草類は。

すぐ近くが茂林寺の湿地で、水があることが生育にプラスになるのでしょうか。バラとクレマチスが混じり合って咲いているのもなかなかの風景です。クレマチスは日本原産のカザグルマという花を、シーボルトが母国に持ち帰り、園芸家により改良、中国のテツセンとともに、現在のクレマチスのもととなったものです。
日本のアジサイもツバキも、みんなヨーロッパに持ち込まれ、たくさんの園芸品種をうみだしたおおもとの植物なのです。
カザグルマは、園芸品種のクレマチスに負けず劣らずの見事な花を咲かせる植物です。今は日本で絶滅寸前になっています。大切にせねば。


入園料の高さにちょっとひるみますが、それだけの手間暇がかかっているでしょう。
バラの季節に訪れるのが良いですね。

 比較的最近造られた庭らしいので、この場所は以前何だったか聞きました。ゴルフ場だったそうです。世の中の動きを察知する、先を見る目のある経営者だったのかな。
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前回、浅間の泥流の話を書いたので、天明噴火の泥流に埋まった遺跡の話を書こうかと思ったのですが・・・・

 人口が増え、高崎からの広い道路がつくられ、橋ができと、あれこれ工事の行われてきた玉村町なので、近所でも何度も発掘風景が見られました。
 ずっと以前、私が子供の頃は、塚状に点々とたくさんみられた古墳が発掘されました。小さな古墳から三角縁神獣鏡が出土し、学校では普段の授業をやめ、一日かけて発掘中の古墳巡りをしました。柔軟に対応し、こんなことをしてくれた先生方に感謝です。
 
今は畑や田んぼをひっくり返しての発掘です。もちろん、天明の泥流に埋まった物ばかりではありません。いろいろな原因で、埋もれているわけです。
ここではバブルの頃から、すいぶんたくさんの発掘がありました。高速道路や学校建設工事では大きな古墳も見つかっています。その頃は遠くに住んでいたので、その発掘風景は見られなかったのですが。


次は天明泥流に埋まったものの紹介です。

左写真は、近所の発掘のようす。利根川べりで、農家の跡です。裕福にしっかりした農家だったろうとのこと。泥流到達までに少し時間があったようで、家財道具は運び出されたと思われ、ほとんど残っていなかったとのことです。
 玄関やいろいろな部屋まで、家の見取り図がしっかりわかるとのことです。


神棚や仏壇のあと
以前は発掘現場で「すみませ~ん、ちょと見学させてもらっていいですかあ~」なんて、図々しくお願いしたりしたのですが、最近は車で通り過ぎるだけだなあ・・・。反省。もっとも、立ち入り禁止になっているでしょうから、迷惑だったかもしれませんが。
田園地帯だったこの町、もうそろそろ開発も少なくなり、発掘も見られないなるでしょうから、貴重なチャンスのはずなのですけど。
 ところで、あまり写真がない・・・
手元に見つかったもので、紹介です。

畑の畝のあと、最初火山灰が降ってきて
畝を埋めました。
畝跡はあちこちに見られます。
 




ご先祖様を偲ぶ気持ちが湧いてきたりします。
どんな人たちだったのだろう、どんな苦労をして生きていたのだろう・・・


台所あと、洗ったり調理した、流しがわかります




 
昔発掘された古墳は、もちろん今はありません。このあと耕地整理が行われ、直線で区画された効率的な田んぼができました。機械化がすすんだころ、この耕地整理で農家は楽になるはずでした。
 ところがこの頃から、米あまりがいわれはじめ、やがてイネの植えられていない休耕田もひろがりました。
 耕地整理には農家の人たちがお金を出資しています。その分担金は負担になりました。
「あのお金がなければ、すいぶん楽だったんだけど・・」専業農家の方が言っていました。
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 もっと上流、八ッ場ダムの発掘場所でも、この泥流に埋まった遺跡がたくさん発掘されています。日本のポンペイなどと呼びたいほど。
ところで、一般的には江戸時代の遺跡はあまり重視しないのだそうですが、群馬では火山噴火に埋まった物もあり、考古学に携わる人たちの考えで、ていねいに発掘をしているとのことです。
鎌原の観音堂での、年老いた女性を背負った若い女性の遺体の話は有名です。あとちょっとで助かったのに・・階段の途中で泥流に埋もれてしまった・・・


不動大橋から見た遺跡発掘現場
上に骨材を運ぶベルトコンベヤーが見える
八ッ場でもさまざまなドラマがあったのでしょう。
現地に行くと、川底の深さを感じます。こんな上まで泥流が到達したんだ・・(以前、水面までの高さを調べたのですけど、忘れてしまって・・・)

こんな山の中・・と思うかもしれませんが、ここには縄文中期後半の大集落もあるのです。平地の玉村町には縄文なんていう古い遺跡はない。大きな川が自由に流れる場所は、水を制することができるまで、人には住める場所ではなかったということです。山と小さな川のある、つまり燃料と水のある場所が住みやすかったのでしょう。縄文人の人骨も見つかっています。4500年から5000年前の人骨で、県内最古。

遺跡拡大写真です。
畑の畝らしきものが見えます



こんな古くから人々が住んでいたんだ。
話を江戸に戻して・・・八ッ場ダム地域では地域が広く天明の泥流に覆われていて、あちこちから人の生活の跡が出てくる・・まさに遺跡だらけ。


 発掘はずっと続けられてます。まだまだ
作業は必要。

畑の畝も見えます。

堀をめぐらした地方豪族の館らしいものがあったり、かなり大きかったと思われるお寺が見つかったり。池や築山があったと良いますから。建物がながされ、住職は命からがらに山の斜面を登って助かったと。
下流(伊勢崎だったかな)での記録に残っているのだとか。


人のつながり、自然とのつながり、
川を通して感じることができます。


それにしても、ダムに沈む集落は、あとに何か残るのでしょうか・・いえ、残さねば



















 
今でも湯煙が上がる


川原湯温泉共同浴場、王湯。もうじき解体される






 
 
 
 
 





 











2016年6月3日金曜日

岩神の飛び石


国天然記念物 飛石(とびいし) 実は浅間山から

               浅間山から流れ着く

今年3月、新聞紙面を上のような言葉が飾りました。

飛石だから、浅間から飛んできた? まさか。あんな大きなものが飛んでくるわけがない。場所は前橋市ですよ。高さ9.65m、周囲60mの石で、さらに地下に数mは埋まっているでしょう。火山灰ならいくらでも飛んでくるけど、これは無理でしょう。


流れ着く?飛石は前橋市の利根川のすぐ近くです。北上して渋川に達した利根川は、そこから枝分かれした支流の吾妻川の流れ部分が、浅間山近くに至ります。
でも、川の水があんな大きな石を運べる?

  
飛ぶのも川を流れるのもどちらも難しそうに思えます。
実はこれ、泥流が運びました。泥や火山から噴出した砕屑物に大量の水が混じって流れ下るとき、相当大きなものも軽々と運んでしまうのです。



1938年、国の天然記念物に指定。前橋は赤城山の裾野にありますから、赤城山からやってきた石だろうといわれていました。ですが最近は、浅間山ではと言われてもいました。
今回、石の化学分析をして、浅間山と確定しました。なんだ、分析もしてなかったのか・・・調べてなかったんだなあ・・
石は赤みがかって縞のような模様も見える石。火山から噴出したものです。

岩神稲荷神社の境内にあり、そういえばおいなりさんのキツネが奉納されていました。
日本では大きな木・大きな石・山そのものなど、しばしばご神体とされます。おかげで、人が手をつけず残された自然もずいぶんあります。この飛石も、ノミを当てたら、血が流れ出したという言い伝えがあるそうです。
 現代では、大きな建造物がたくさんあって飛石も大きく見えず、あがめる気持ちもあまり起きなくなってきそうです。

位置関係の地図を下に載せます。(群馬県植物誌1987年より)
左の浅間山、赤でマークした前橋、そして私の住んでいる玉村町、位置と距離、おわかりになりますか。
実はこんな岩、あちこちで見つかるそうです。
中之条のとうけえ岩、阪東橋の赤岩、長野県佐久の赤岩、高崎市の聖岩、伊勢崎竜宮の赤岩 などなど

誰も目にもとめないけれど、私の家のすぐ近く、利根川にもそんな岩がいくつかあります。写真でごらん下さい。

渇水の時には川底が広く見え、岩盤のような平らな面に、
こんな岩がゴツゴツと飛び出して見えていました。

昔、男の子達は夏、この付近で泳ぎました。今見ると、昔あったのが小さくなった、なくなったなどと言っていました。
  岩は水鳥の休憩場所になっていますね。

  












  「川でこんなもの見つけてきた」
川底の硬い岩に埋まっていたという丸太をもってきてくれた人がいました。  見てすぐ思い出しました。

メジャーは1m

子供の頃、利根川の川辺で遊んでいて、同じような丸太を見たことがあります。水に洗われるようにして、ゴツゴツした石混じりの硬い崖土の中に突き刺さったように横たわり、顔をのぞかせていました。
生っぽい木に見え、さっきまでそこらにはえていたかのようでした・・・…不思議でした・・・角張った石混じりでゴツゴツと硬い崖の中に、どうしてこんな木が入っているのか・・
持ってきていただいた木は太さ15cmほど、幹の中は黄色みがかった普通の木の色をしていました。手でボロボロ崩せる堅さでした。

もしかして、天明3年(1783年)の浅間の大噴火の時埋まったのじゃないかと思った人、いませんか。あの時は、浅間山から噴出した火砕流に、水やまわりの岩石が大量に混じって、玉村にも流れ下っています。玉村にある古い石垣には、その時流れ下った石でつくったものもあると聞いて、ヘエー、と思ったものです。
わが家の周囲の畑にも石がゴロゴロしています。
 でも、あんなに硬くしまった川沿いの崖が、その時できたとはちょっと思えない・・

前橋泥流

この埋もれ木、時々見つかり、ちゃんと調べられています。はえていたのは24000年ほど前、ずいぶん古い木なのです。木の種類は針葉樹が多いとか。でもこの木、玉村にはえていたわけではなのです。はえていたのは、もしかしたら浅間山だったかもーーー

この木がはえていたちょうどその時、高くそびえていた浅間山が大噴火を起こしました(山は2800m~2900mあったろうと言われます)。爆発が派手で、なんと山の上半分を吹き飛ばしてしまいました。吹き飛ばされ崩れた山は、まわりの岩石・土砂・森林を巻き込み、さらに水を加え、ものすごい流れとなってまわり中を埋めたのです。泥流といいます。
発生からわずか数時間で80km以上流れ下ったと推定されています。
浅間山からまわりじゅうへ、小諸方面、長野原方面、さらに下って渋川・前橋・高崎・伊勢崎そして玉村も埋めつくしました。ちょっと信じられない量。

玉村付近のものは前橋泥流とよばれます。県庁裏の崖も同じ前橋泥流です。積もった厚さは玉村でも17m~20mもあります。
分布を簡単に書いてみましたが、正確なものではないこと、ご容赦を。

 吹き飛んだ山の痕跡は今でも残っています。このときの浅間山は、今の端正な姿の浅間山ではなく、そのわきにある黒斑山(くろふさん)です。登った方はおわかりでしょうが、黒斑山は半円形にえぐられた不思議な形をしています。これこそ吹き飛んだ傷跡。今見える浅間山は、この事件のあとできた部分なのです。

それにしても,こんな噴火、おきて欲しくないなあ。

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玉村でみられた岩で一番大きいのは斉田地区の大岩かな。赤岩と呼んでいました。前橋泥流でながれてきたものです。やっぱり赤いのですね。
以前、斉田には雑木林が続いていたそうです。その林を踏み分けて行った先、利根川べりにこの岩はありました。何人かが上にのれる大きさで、利根川の流れが迫力を持って見られます。流れを見おろすと、水ではなく、自分が動いているように錯覚します。だから、「この岩は川をさかのぼるんだよ」なんていわれたりしたそうです。
 
昔、小学生がこの岩の上で国語の教科書をひろげ、おおきな声で読みました。普段、蚊の鳴くような声しか出せない子も、ここに来ると不思議と大きな声で朗読できたそうです。
岩の上で気持ちよく声を張り上げた人たち、きっとたくさんいたのでしょうね。
 今では赤岩は笹藪に埋もれて、人が立ち寄る雰囲気の場所ではなくなっています。私には、どこだかもわかりません。

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私の家のまわりでは、畑に石ころがゴロゴロ出てきます。じゃまな石ころですが、これは浅間山天明の大噴火の落とし物。
畑や田んぼで「拾っても拾っても出てくるんだよなあ」・・もともと泥流が積もった場所だからね、石ころ、なくならないんだよ・・・
たいていゴツゴツしていて,軽石をぎゅっと押し詰めたような、小さなすき間のある石です。


柿の畑にほうりだされた
泥流で運ばれた石
噴火で発生した泥流は利根川を伝って流れ下り、川からあふれて、周囲につもりました。吾妻川、利根川沿いに、泥流の落とし物がずっと見られるようです。
 前回紹介した八ッ場ダム建設地域にも、2種類の泥流がしっかりと積もり、天明泥流の中からは、豊富な遺跡が見つかっています。

というわけで、地表近くのふるいわけの悪い、火山礫混じりの部分、厚さ1mほどありますが、これは天明3年のものといえます。



畑にころがる石を取り去るため集めました
 








敷地のまわりをぐるり取り囲んだ塀
石は天明泥流にふくまれていたもの














大きめの石を集めて石垣も作られました
江戸時代の話です。


玉村 五料の石垣


天明噴火の
証人のような石垣ですね。
   






かつて母がこの石垣についてこう話してくれました。
「仕事がなくて皆が困ったとき、大だいじんが、
石垣を作らせた。ただ お金を施してはよくない。仕事をしてお金を稼がねばいけないと。その石垣がこれ。敷地の中に何があったかって?・・・何もなくても石垣を作ったんだよ」・・・・・ほんと?不肖の娘は、調べてみようともしていませんでした。
  ここはかつて、江戸から日光への街道、例幣使街道に面した、そんな土地柄の所でした。

浅間山からの、2つの泥流,そこからつくられたわが町でした。



               

2016年5月26日木曜日

八ッ場ダム 今どうなっている・・・



八ッ場ダム、最近、聞かないですが・・・

八ッ場ダム・・・一時は建設中止がマスコミで大々的に報じられ、「コンクリートから人へ」の象徴だった・・その後また建設再開となり、はて、その後はどうなった?・・・・
もうダムはできてるの?いや、そんな話は聞いてないと思う・・・・とか。
そんな方も多いと思います。

今はダムの本体工事が進められています。基礎岩盤の掘削がほぼ終わるころで、これからコンクリートの打設がはじまるといった段階です。
国交省ではダム見学と称して、マイクロバで観光客をダム工事の周辺へと案内し、ダムの宣伝に余念がありません。(工事現場そのものは遠くから見るのですが)。

そんなダム現場の今を見てきました。
 その前に、八ッ場ダムの歴史を、大急ぎでおさらいしてみます。

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1947年 カスリン台風により利根川流域の大洪水
1952年 八ッ場ダム構想 ・洪水調節目的 
   しかし凍結(草津の水などが入る吾妻川はコンクリートも溶かす酸性の水の
         流れる川)

1965年 ダム計画再浮上 ・治水、利水目的(1964年、吾妻川には中和工場が完成)
     住民の大反対運動が起こる

1985年 長野原町長と群馬県知事、生活再建案の覚書締結
1992年 町、県、国が八ッ場ダム建設事業に係る基本協定調印
2009年 民主党政権 国交大臣が八ッ場ダム中止を明言
2011年 国交大臣が八ッ場ダム継続を発表
2015年 ダム本体工事開始

 ため息のでるような歴史・・・親の代から子供の代まで延々と続くダム問題は、そこに住む住民にとって、大変な重荷の歴史です。
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 川の上流側から見たようす。ここにダムができます (4月17日) 

ダム本体工事が始まっているので、まずはその様子です。
写真はダムの上流側から見たもの
(ここにダムができると、手前側が水没します。)

これまで渓谷の岩盤を発破で砕き削っていました。 夜間にも明るくライトで照らし、発破作業を進めていたとききます。迷惑だったろうなあ・・・いや、ここまで来たら、早く完成して欲しいという住民の声だった・・とダム事務所。

下の写真は5月22日のダムサイトの様子です。



ダムサイトの左岸(川の北側、国道のすぐわき)には大きな茶色の”屋根付の筒?”が並んでいます。
骨材(砕石)を貯蔵できる骨材ビンとのことです。2日分を貯蔵できるように準備されているとのこと。コンクリートの打設がはじまれば、24時間作業となるようです。ダム本体を作っていく準備も万端なのでしょう。



 右はダム下流側からの光景です。
この正面にダムができる予定。

八ッ場あしたの会の現地見学会に参加し、緑のハイキングコースを歩き、小高い岩山の小蓬莱(しょうほうらい)から見ました。

削られて茶色い岩肌を見せている眼下の工事現場は吾妻川の流れる吾妻渓谷の一部で、観光客が歩く散策の場でした。
今、川の水はトンネルで迂回され、干上がった部分で工事が進行しています。

下はダム上流側の光景です。


ダム工事現場近くに設けられた「やんば見放台」からの写真です。
この写真の下半分はダムに沈みます。右すみの川は吾妻川。その上高くにかかる橋は
八ッ場大橋。この橋げたすぐ近くまで水がたまる予定。

その橋と同じ高さに左に向けて横一線に並んで見える家並みは、造成された水没地区の代替地にたてられたものです。新しく作られた共同浴場や温泉宿などもあります。
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ここは長野原町になりますが、長野原町水没予定地の世帯数の変化をあげてみます。

 1979年      水没予定地の世帯数 340世帯
 2015年3月末  代替地への移転世帯数 86世帯(外部からの流入を含む)

       多くが代替地を選ばずに、他の地域に流出したということです。
    ため息の出るような数字です。
(国の政策との対立、さまざまに入り組んだ関係、そして先の見えないなか、代替地はなかなか完成せず、また分譲価格は、この地としては相当高価な設定でもありました)

代替地は、背面の山を削り、さらに30m以上もの盛り土の人工造成地です。数ヶ所ある代替地の中で一番厚いところでは50mもあるような・・・・こんなにも厚い高盛り土・・・今までに例はあるのでしょうか・・
写真で見ると、その様子がよくわかります。代替地に建設された家並みと、その下の斜面が見えます・・やがて水没予定の斜面です。ここが高盛り土。
家並みの後には、切り取られた山の大きな法面が見えます。
 (付け加えると、写真左端、法面に見えるくぼみは、斜面が崩れたあとだとか・・
   これからの管理をしっかりやってもらわなければ)

 水没後も気になります。写真の水没予定斜面はまだ暫定のもので、さらに工事をおこなうため、調査もしているといいます。水没してもしっかり頑丈に支えられる埋め立て斜面をつくらねばならないはずです。
かつて、水を溜めはじめたら、ダム湖周囲で地滑りが起きたダムもある・・・この地域のダム湖予定地周辺は、もともと地滑りの発生している場所も多いのです。21ヶ所とか22ヶ所の地滑り地帯があると聞いたこともあります・・・
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八ッ場ダムといえば、下の光景を思い浮かべる方も多いのでは。十字架のようだ と。
この写真は2009年10月のものです。たまたま榛名山をこえて、下を見ると、この橋の光景が目に飛び込みました。


左写真の手前の橋は丸岩大橋、建設中の橋は不動大橋。
なお先に写真を載せた橋は 八ッ場大橋で、一番下流になります。
狭い範囲に何本もの立派な橋がかけられています。



このダムでは、水没地区の人が別の場所に移住するのではなく、町をダム湖周辺にそっくり底上げして作るという「現地再建ずり上がり方式」をとりました。
(きっと住民の反対運動をなだめるためだったのでしょう。何といっても、古くからの由緒ある温泉のある場所でしたから。住民の反対運動も激しいものだったとのことです)
というわけで、この周辺は、大規模土木工事の現場です。里山的山がちの地域を車で長く走っていると、突然、さまざまな土木工事の結果が現れます。

「付け替え国道」「付け替え県道」「JR吾妻線のつくり替え・線路も駅も」「何カ所もの代替地」 などなど 。具体的にはわかりにくいので、昔と現在を比べた写真を載せます。国交省が観光客用に掲示しているものです。

静かな山あいの町が激変しているのがおわかりいただけるでしょうか。
写真上の方向に進むと、草津温泉方面へ向かいます。
急峻な地形の場所に平地を造成する工事は、簡単なものではないのも想像できます。
 
じつはこの現地ずり上がり方式のために、工事はブラックボックスのようにお金を吸い込んでいったといわれます。



 ・写真で八ッ場ダム予定地と書いてある近くが、旧川原湯温泉街、
・「川原湯地区代替地」には民家と温泉旅館が、トンネルをくぐって少し離れてJR川原湯温泉駅がつくられています。
ここには付け替え県道も作られています。立派なトンネルを通って代替地に達するこの県道は、一部斜面の工事がまだ完成せず、片側1車線交互通行が続いています。
・写真右にある川原畑代替地には付け替え国道がつくられ、道の駅八ッ場もこちらがわに建設されています。草津へ向かうメイン道路です。交通量も多い。草津へ向かう道路を走ったとき、長いトンネルをぬけた所が、この写真の部分です。


川原湯温泉駅近くに口を開ける工事用の大柏木トンネル
この山の向こう側で山を崩して砕石を得、ベルトコンベアー
ダム工事現場まで運ぶ
・写真ではわかりませんが、道路や鉄道には、長いトンネルが掘られています。JRの場合、岩島ー長野原草津口駅感の約10.4kmの77%はトンネルだとか。まさに、トンネルだらけ・・・
さらに、ダム建設に必要な骨材(砕石)は写真の山の裏側にある山を崩して運びますが、そこまでは大きなトンネルが掘られ、ベルトコンベヤーが作られています。コンベヤーの全長約10kmになるそうです。

延々と続く工事用ベルトコンベヤー
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ところで、先ほど、地滑りの心配にふれました。

すでに地面の変形が見られる所もあります。
前橋からこちらに向かい、付け替え国道の長いトンネルをでた所、ダム本体工事をしているすぐ近くの場所です。
道路を作るとき、山を崩して平らにして、道路など施設をつくったと聞いています。

 
路面に補修のあとが見られます。
デコボコしてしまうため、何度も補修しています


近づくと、赤茶けてボロボロとした感じです
歩道の縁石は茶色く変色し、道路側にせり出し
傾いています。
調査のための装置が
あちこちに見られます
この場所は専門家から見たら酸性熱水変質帯。

岩石が切り出され、空気に触れると急速に変化をおこします。さらに地下水は強い酸性となり、構造物に被害をもたらすといいます。
ダムサイトはすぐ近くなんですけど・・・

国道をさらに走ると、他にも赤茶けた場所がみつかります。
割れ目やずれが広がってもいます。



      



 

「八ッ場ダムは完成したら 難しい維持管理が永遠に続くダムである」といっていた人もいます・・・・

  もし地滑りが起こるようなら、その維持管理にはお金も相当かかる・・・ところでこの国道は、管理が群馬県になる種類の道とのことですから、管理費用は群馬県の税金でまかなうことになるのでしょうね。

以下に調査の資料をのせます
ダム予定地から上流の地滑り地区です


 国道沿いの 熱水変質帯の法面の様子  亀裂もあちこちに
道路脇の法面は、赤茶社に変色 
びっしりと置かれたアンカーボルト
水も赤茶け、酸性に
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最近、また新たな問題が・・・

2014年8月、毎日新聞のスクープが報じられました。
渋川にある大同特殊鋼の鉄鉱スラグに有害物質のフッ素と六価クロムが基準値を超えて含まれていたというものです。道路の路盤等さまざまな場所に使用されているものです。また、これを使った場所で、スラグが膨らむことにより、家が傾いたり、道路がデコボコになったりと、さまざまな被害が生じている、というのです。本来きちんと処理していれば、スラグの膨張は起こらないはずなのですが、それもされていなかったということになります。
六価クロムといえば、発がん性があり、かつての「鼻に穴があいた」という話が思い浮かびます。

県内各所で次々みつかっているのですが、スラグが盛んに搬出されていたのが2002年~2014年1月。八ッ場ダム予定地で多くの工事が行われていたのが2000年代~2010年代まで。
代替地造成、付け替え国道・県道・町道など・・・  一部からラグが見つかって、撤去作業も行われています。。
でもいったい、たとえば30mの厚さの盛り土にはどうなのか、とか、心配は尽きません。
 

道路がひび割れていても、これはスラグがあるのでは・・・とか、あれこれ思ってしまいます。皆さんの家の近くにも、使用した場所があるかもしれない、という、身近な話でもあります。
 それにしても、あまりにもさまざまな問題が出てくるこのダム関連の話・・・書いているだけで、なんだか疲れてきました。
 しかもここでは、このダムのそもそもの意味には、一切ふれてもいないのに。

吾妻川の川原に積み上げてあったというスラグの場所の写真をのせます。撤去作業が勧められていました。

 さまざまなことの詳しい説明が やんばあしたの会 http://yamba-net.org/ のHPに載っています。

鉄鉱スラグについて調査報告されている 名付けて「リットン調査団」のページもあります。
 http://blog.livedoor.jp/lytton_cyousadan/
楽しく(??・・・”楽しい”は変なのですが・・・)書かれてあります。
載せるつもりで忘れていて、追加です。ごらんになってください。


丸岩大橋の近く、吾妻川の川原に大量のスラグが
 野積みに・・・

鉄鉱スラグの塊です
磁石にくっつきました。



道にこんな茶色のしみが。
スラグが混じっているのではと聞いたのですが・・・

 わが家の近くのサイクリングロード取り付け道路にも、こんなしみがあるなあ・・


あれこれありすぎて、こんなページ1回では取り上げきれないこともわかりました。簡単に説明できる話ではないと、あらためて感じているところです。
それでも、またこの場所にも目をむけていただくことがありましたら幸いです。