2017年10月20日金曜日

雨続き・・秋の訪れも、味わう暇がない・・

秋なのだけれど・・・
  10月なのに・・雨ばかり

10月といえば空高く青空の広がるイメージなのですが、今年はちがう・・・雨、雨・・
紅葉を見る間もないまま。10月も半ば過ぎなのですけど。

なんだかご存知?
というわけで、紅葉を見るのもいつになるのかわからないので、今頃見られそうな秋の気配を、ちょっとお届け。
少し前の みなかみ町のものですが。

 左は虫こぶ。ちょっとした山なら、よく見かけますよ。切り株の上に置いたら、素敵でした。(ピントが合っていないのがお恥ずかしい。
シャッター押すだけでなく、ちゃんと勉強練習しなければと思うのですが・・・)

 虫こぶには、ぞくっとするような、あまり気持ちよく見えないものも多いのですが、これは透き通たようなほんのり赤い色も素敵です。何の虫こぶかって?  
  似た写真は見ますが、よくわかりません。

左の写真のように、葉について見つかります。




右の写真のもの、青や紫、白の玉、都会の公園脇などでも見かけるのでは。
ノブドウです。ちょっと一輪挿しに、いかが。
色がついたのは虫こぶだという人もいますが、いやちがうという人もいて、本当のところ、よくわからないようです。



☜いくつわかりますか?

先ほどの虫こぶ、ノブドウ、
山ぶどう(黒)、山の栗、
黄色く丸いのはマメ柿 昔は柿渋を取るのに使ったとか(防腐,防水などに使用)
山里には大きな木も見かけました。
(私が今まで見たのは、盆栽に仕立てたものばかりでした。たまたま山道のわきに、大きな木がありました。そのすぐあと、公園に植えられているのも見つけました。)


 左下は言わずと知れた柿。小さいものがたわわに。少し寒い地域ですから、渋柿でしょう。里山風景の定番という気がします。
 


道端にはチカシバが水滴を付けていました。少し日差しがあれば、水滴が輝いていたでしょう。


(紹介文書いてから、以前にも書いたこと思い出しました。そちらの方がいいので、ちょっと変えて、再度、それを載せます)

子供のころ、夏休みが終わって学校へのあぜ道を歩くと、このチカラシバが生い茂っていました。
素足に触るとむずがゆく、ちょっと嫌でした。紫がかった穂はブラシのよう。踏まれても平気、それどころが、固い土にはえ、引き抜こうったって引き抜けない。力いっぱい引いたって引き抜けないから”力芝”。道端のに、人の踏むようなところにはえるので、別名ミチシバ。
 このいかにも生命力のありそうな草が、繊細に美しく見えるときがありました。細かな水滴が大きな穂をおおい、輝くときに。いくつもいくつも群れてはえるチカラシバに水滴がきらきら輝く姿は本当に美しく、同じように水滴に輝くクモの巣とともに心に浮かびます。あの水滴は雨のしずくだったのだろうかと思い浮かべながら、ふと気づきました。雨のこともあったろうけど、でも、朝露だったのではと。

白露(はくろ)という言葉があります。暦の言葉の一つです。

   白露に風の吹きしく秋の野は 
        つらぬきとめぬ たまぞ散りける     小倉百人一首

 今年の白露は9月7日。なんだかまだ暑くて・・・秋の気配あるかなあ?
でも、夏の中にも秋の気配が感じられ,露をむすびはじめるということ・・
 寒露という言葉もあります。今年は10月8日(あるいは8日から22日)。朝露が一段と冷たく感じるころ、露もびっしりつきます。
 「露は秋のもの」と人々は感じたのですね。
 露を感じた人々の感性を美しいと思います。でも、今年は雨にたたられて終わるかも。
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 ところで、群馬県庁近くの水路にあったバイカモがほとんどなくなっていました。花も見えませんでした。とても残念。探せばあちこちあるのかも。
みなかみにあるバイカモもなんだか元気がない…
10月の今になって元気になって、花まで咲いていました。よかった。
いつもは8月とかに花を見るのですが、10月初旬という遅い時期にも花が咲くのですね。
バイカモ きれいな水に育ちます

イモリ 最近見かけなくなった場所で発見。よかった!
 イモリもいました。みなかみには結構いる、といわれました。
レッドデータに登録された生き物、どうぞいつまでも元気で。

エリマキツチグリ かな?
         キノコも、もちろんあります。ちょっとかわいいキノコを。押すと、真ん中の穴からホコリが、いえ、胞子が飛び出します。乾くとまわりの花びらのような所がくるっと内側に巻いてきます。
 普通のツチグリは周りの皮のようなところに模様があり、形も尖っています。ちょっと違うなあと写真で見比べ。これはエリマキツチグリというもののようです。




その他、秋の山で見かけたものを。      
トリカブト いわずと知れた猛毒植物


なんといっても多いのはこれ、ミヤマガマズミ
たくさんあって、とても目立ちました

赤い実がぶら下がるこんな仲間も多い。いくつかの種類が
見られました。これはツリバナ
ダイモンジソウ 
水辺の滴る岩にまだ咲いていました。

リンドウ 道端にあちこち咲いていていました
きれいですねえ
ホツツジ 
花はふつうもっと早い時期に見られます
センブリ  薬草になります。苦~い薬草。
                       
これが足元にビッシリだと、とてもすてき
ツルアリドオシ


セキヤノアキチョウジ 写真がよくないけれど、
素敵な色合いの素敵な花です。
マムシグサの実
ちょっと不気味な雰囲気も・・


というわけで、ちょっと目をむけると、小さな花や実の世界が見えてきます。
これから紅葉の季節、楽しみたいですね。      
10月8日の三国トンネル付近です




2017年10月13日金曜日

ジオパークの見どころも、簡単に破壊?阿蘇ジオパークで

自然遺産は邪魔なもの?

 日付を見たら9月22日ですので、すこし前のものになりますが、こんな投書がありました。朝日新聞の「声」の欄です。

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以下は毎日新聞の記事です。
◆2017年9月16日 毎日新聞
 <阿蘇・立野峡谷>別の柱状節理「破壊予定」 ダム建設でー
 世界ジオパークに指定されている熊本県・阿蘇の立野峡谷の柱状節理(ちゅうじょうせつり)が国の復興工事で破壊された問題で、峡谷内にある別の柱状節理も国が進めるダム建設で数年後にほとんどが削り取られる予定であることが分かった。
 破壊された柱状節理は白川の支流、黒川に架かり、熊本地震で崩落した阿蘇大橋の600メートル下流の右岸にあった。この現場の約1キロ下流の白川右岸にも高さ約60メートル、幅約300メートルにわたって溶岩が柱状に縦に割れた柱状節理がある。板状に横に割れた「板状節理」と交互に重なっている。
 この場所は国が進める立野ダム(同県南阿蘇村、大津町)の建設予定地で、国土交通省九州地方整備局(九地整)が設置した有識者会議「熊本地震後の立野ダム建設に係る技術委員会」に国が示した資料によると、本体工事に伴い幅約200メートル、高さ約90メートル、厚さ最大約40メートルにわたって削りコンクリートで固める予定になっている。
 破壊されたものとダム予定地の柱状節理は立野峡谷内でも特に規模が大きい。
 阿蘇ジオパークガイド協会員の中島一美さん(69)は「破壊されるのは非常に残念」と語る。九地整立野ダム工事事務所は「柱状節理の掘削を最小限にするなど十分配慮する」としている。【福岡賢正、中里顕】

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写真がないとイメージがわかないので、写真の載っている市民団体のチラシを以下に載せます。立派な柱状節理が見えます。


個人の方の言葉も(小口さん)。

阿蘇カルデラ西部の立野峡谷にあり世界ジオパークの見所だった柱状節理が土木工事で破壊された。昔この地域を調査した際に撮った二枚の写真。破壊された溶岩は数万年前のもので、板状節理を持つ新しい溶岩に覆われる。 より古いラフな柱状節理を持つ溶岩もあり、鮎返ノ滝が懸かる。多様な溶岩の展示場。(写真は1つ省きました)


これらの資料は、八ッ場あしたの会のHPから引用させていただきました。
八ッ場あしたの会 http://yamba-net.org/  
トップページの事務局だより欄には、立野ダムについての項目もアップされています。

希少な生き物が見つかったりすると、「開発の邪魔になる」とされてきたものです。
地質についても同じことが起こっている・・・

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浅間山麓はジオパークに認定されてます。よく見れば、浅間山からはずっと東になる八ッ場ダムのある地域も範囲に入っています。長野原町の範囲になります。

”上毛カルタに「耶馬渓しのぐ吾妻峡」と読まれ、群馬でも、もっとも美しい紅葉スポットの1つ。”と、ツイッターで書いている方がいました。
  上毛カルタは、群馬県で育った人ならほとんどの方が知っているという、よく知られたものです。
でも、その吾妻峡には今、ダム建設工事が進行中。
国は、「吾妻渓谷の最もいい場所はちゃんと残しています」といいますが、まさに地質・地形の見どころの場所を壊していて、そこがジオパーク登録されるというのも、なんだかブラックユ-モアのよう。  
 ここは観光としても、JR旧川原湯温泉駅から簡単に歩いていけた距離で、駅のすぐ近くには、温泉もあるという好条件だったのですが、以前のような観光好条件は、もう、望むべくもないでしょう・・・
 下仁田ジオパークは、こういった問題には、今のところ縁がないようで、よかったですね。
 天然記念物の岩脈もあったのですが、やがて水没地域する予定。もう、立ち入り禁止ですので、見られません。以下は、その天然記念物の案内板の写真。




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 現在は、水没予定地域の発掘調査が進行中。膨大な遺跡が発見されています。
天明3年の浅間噴火の時の江戸時代遺跡があり、その下からは、これもたくさんの縄文遺跡が発見されてます。この地域は縄文遺跡のとても多い地域なのです。
でも何が見つかっているのか、まったく報道がない・・・
 普通なら、新聞報道され、説明・観察会が開かれ、たくさんの人が押し寄せるでしょうに・・・見学を申し入れても、断られました・・・
   この遺跡については、以前に紹介しました。

  今しか見られない・・・ダム工事? いえ、ダムに沈む遺跡群

あしたの会のツイッターから引用します。
八ッ場ダム水没予定地の東宮遺跡。現在、群馬県が江戸時代の天明浅間災害遺跡の下に広がる縄文遺跡の調査を進めている。
列石遺構、土器など貴重な歴史遺産が出土しているというが、国交省による立ち入り禁止で遺跡の全貌は不明。

県議会でも、そのことについての質問がされています。

群馬県議会における県の答弁ー東宮遺跡を立ち入り禁止にしているのは、工事車両が走る工事現場で危険だからと国交省が説明している。 現場を知れば、この説明で納得する人はいまい。これまでも住民の居住地を工事車両が走り回ってきた。
 「立ち入り禁止は、よほど貴重なものが出ているから」と住民。

 
頭が痛くなるような話ばかりです。
とにかく、何も見せたくない…見せるのは、ダム工事現場の「技術がすごいでしょう!!」という話ばかりのようです。


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 こんな記事が紹介されていました。

ワシントンポスト紙は、米国のジンキ内務長官が過去の大統領が定めた自然公園や国定公園10カ所でその指定範囲を変更することをトランプ大統領に提案したと報じた。これらの場所は、聖地、川、森、砂漠、海などの保護地域。
今回は、指定から外し、石油やガス、鉱山開発、漁業を行う目的がある。

やっぱり、金もうけ の世界が優勢なんでしょうか。

いや、人類はそんなのばかりじゃない、と言いたいです。












2017年10月3日火曜日

ワンカップで雨量計、防災は自分たちの手でも

「自分で雨量を調べると、
   雨の降り方が感覚でわかるんですよ」

NHKの番組で、下仁田町にお住いの方の防災への取り組みが紹介されたと聞きました。
自分の手で雨量を計って、防災に役立てようというのです。
 テレビ番組は見なかったのですが、お話をうかがう機会を得ました。

これが雨量計   お酒のワンカップの廃品利用です。目盛りを張り付けていますね
     ⇓
カップにたまった雨の量を記録します。
1つは一日の雨の量、もう1つは大雨の時の1回分の雨の量を測るのだそうです。
 なんと2011年の5月からず~っと測っているとのこと!

 きっかけは、防災の取り組みに、お住まいの下仁田町川井地区が参加することになったこと。
2010年の秋に、群馬大学の片田先生の講演があり、同じく群馬大学の金井先生から、どんなことをやったらいいかを教わったとのこと。(片田教授については、2011年の東北の大津波の時、指導していた釜石の子供たちが、片田教授から教わったように行動して助かったことで、お名前を憶えていらっしゃる方も多いかと思います。釜石の奇跡などと言われたりしました。)

 どういう災害があるかと聞かれたので、「土砂崩れがある」と答えたら、「雨量計が必要だね。測る道具はワンカップがあれば大丈夫」と。そして自作の雨量計で、2011年5月からずっと、今は2017年秋ですから、6年以上測り続けているというのです!!

 ワンカップは、家の裏の手作り棚の上、石で作ったテーブルの上にあります。この記録を取っていらっしゃる市川さんは、本業が石屋さん。石の残り物のきれっぱしも使ったというわけですね。
 やってみて、降水量何ミリというのがどんな雨か実感して、わかるようになったとおっしゃっていました。すごいな。私、わからない。
 「何年も測るなんて、大変だったでしょう」
 「な~んも。朝ここにきて見るし、雨降ったときはちょっと見ればいいんだから」
   いえいえ、それがなかなかできるものじゃないんですよ」

資料を見せていただきました。





お年寄りからも話を聞いて、それも参考に、川井地区の防災マップも作成しています。
  
一部を拡大してみました

 地元の地形を細かく観察して、いろいろ書き込まれています。こういう記録は、住んでいる人でなくては作れないですよね。

 災害の記録も調べていらっしゃる。
1947年(昭和22年)のカスリン台風では、家が1軒流され、歩いていた人を含めて
5名がなくなっています。
昭和62年にも土石流が発生。
 古い資料も調べています。200年ほど前に土石流があったらしいのですが、古文書に「寛政3年(1791年)8月の大雨で2町歩余の被害を受けたが百姓家は無事だった」といった記録があるそうです。この記録なのでは。
近隣にある桑本地区では、1742年に70余の家が流され、死者50余名という記録もあるそうですから、土石流はおそろしいものです。

 こういった活動をしていると、「何かやっているみたいだから」と、昔の沢の名前が細かく書き込まれた古い地図を持ってきてくれる人がいたりと、活動も広がるといいます。

 防災活動を始めてすぐ、2011年の大地震がありました。停電がありましたね。計画停電で、大騒ぎした記憶があります。寒い頃で、暖房に困るお年寄りの家があるかもと、ペットボトルにお湯を入れて暖を取るようにと、民生委員と一緒にお年寄り宅をまわったそうです。ペットボトルには、熱いお湯を入れても大丈夫なものとダメなものがあるとかそんなこともいざという時には必要な知識。(そうだなあ)

 有名国立大学の先生が、「いちいち測らなくても、ドラム缶を使って雨量をはかればいい」と言ったそうです。レーザーを使って、反射を人工衛星に飛ばしてそれをパソコンに受けて記録するシステムとかいうことのようです。今、開発中のようです。でも
  「体験するのが大切なんで、こういう雨でこういう雨量と、
   やっていると体験でわかるんだよ。それが大切なんだよ」 同感!!
それに「災害の時は、だいいち、停電しちゃうかもしれないじゃないか。そうしたら、電気がこなけりゃ、測れやしない」  納得です。

 最新技術の利用も、自分たちでやることも、どちらも大切でしょう。まさに目の前で災害が起こりそうな時、自分たちで判断できるということは、大切です。

 自分の命は他人任せにしてはダメ。自分で考えて、やる。専門家はそこに適切にかかわるのが大切。そんなことを教えられたような気がしました。

 地域の防災委員は次々変わります。情報が受け継いでいかれる保証はありません。
「避難場所は小学校、これだけはみんなに覚えてもらうのが大事だよ。地区の集会所は危ないところにあるから」 地域の実際を知る方の言葉は、重みがあります。

ところで市川さん、本業は石屋さん。本業の様子を載せましょう。
この作業所の裏に、ワンカップが置いてあります。

防災なんて、考えたことなしで生きてきました。でも、最近は豪雨も増えています。
地震も活動期に入ったといわれています。
テレビの教育放送に「学ぼうBOSAI」という番組もあって、びっくりしたものです。
 自然災害の多い国・日本と言われています。ちょっと考えてみたいです。
市川さん、ありがとうございました。




2017年9月27日水曜日

石灰岩利用の工場見学 古い施設も残っています

下仁田自然学校鉱山研究会主催で
   下仁田町にある石灰の工場をみんなで訪ねました 
 
工場全景
訪問したのは白石工業㈱白艶華工場です。
石灰石を原料に、炭酸カルシウムを製造している工場です。

 この企画は白石工業の皆様のご理解とご協力により実現しました。ありがとうございました。参加くださった方は47名で、この皆様にも感謝です。

 町はずれにある、なんだかよくわからないそれほど大きくもない工場・・・・・?
 つくっているという炭酸カルシウムって何? などといった調子で、どうにも馴染みがない・・・
 それが、お話を聞いて「へえ~」という気分に変わったのです。さらに、昔の施設も残されていて、それを見るのも興味深いものでした。

 地元出身の方は「いつも見ていたのに、知らなかった」と。ここで働いていた方のお話もうかがい、懐かしむ地元の方々もいらっしゃいました。
 そんな声の一部は、以下のブログ、「ひとりごと~気の向くままに」に
 紹介されています。

 ここは1932年(昭和7年)操業開始といいますから、長い歴史を持つ工場です。斜面に立つ工場は、その背後の山と向かい側の石灰岩の山を崩し原料として利用してきたわけです。
 古い施設も残っています。炭酸カルシウムの粉を乾燥させるための建物など。
今と違って、昔は自然の力に任せる天日乾燥です。下仁田町の気候は乾燥に適していて、それがこの地に工場が立てられた理由のひとつです。まずは、その写真を紹介します。
      乾燥施設の前で、みんなで記念撮影 
         こんな建物が100棟を超えてあったということです。



奥にある木組みの見えている乾燥棚は老朽化で危険なため、
今年取り壊すとのこと。

昔は吹きさらしの木枠の棚に、木箱に入れたぬれた炭酸Ca(カルシウム)の粉の塊を、人の手で運び上げて乾燥させたわけです。重労働だったことでしょう。

こういった施設が今後保存されるかどうかもわかりませんので、写真をいくつか載せてみます。


トタンで囲った施設は、建物の下の部分は広々とした空間になっていました。内部が物置にでも使われたのでしょうか。

工場敷地の外に向かうと、石灰の岩壁が見えてきます。昔はこの山の下を通る道は石灰岩の岩が覆いかぶさっているようで、子供たちが「こわいから、さっさと通り過ぎよう」と言っていたそうです。


工場では石灰岩の山を発破で崩し、使いました。浅間山が小噴火をしていたころには、
「発破の音か、浅間の噴火の音か?」などと言いあった、そんな思い出もあるとか。参加者の方が話されていました。

 なお、工場の敷地は許可なく立ち入ること禁止です。
道路から、下のような乾燥棚の姿が見えます。


 現在稼行している工場内を案内していただきました。貯水池や脱水設備・乾燥設備など説明していただきました。
なお工場内は撮影禁止ですので写真はありません。

 外を見れば、かつて電力を得るために作った水力発電の跡なども見えます。興味のある人には「ワクワクする」ものでしょう。発電のための水の流れのあることも、この場所が工場立地に選ばれた理由の一つです。
建てるにあたり、製品運搬のできる鉄道があるなど、いくつもの条件を考えて、この場所を選定したとうかがっています。



 今回、最初に炭酸Caの説明や、ちょっとした実験をしていただいています。

 石灰といえばセメント、コンクリートが思いうかびますが、ここの製品はもっといろいろなものに使われているのにびっくり。
「生活に欠かせない、いつもお世話になっているモノじゃん」という投稿が、それを一言で表わしていますね。
一番みんなの印象に残ったのが、「食品に使われている」ということかもしれません。飲み物、ビスケット、カップラーメン・・・それから、以前伺った話では、グミにも、またカマボコのあの弾力を作るにも・・。他にも様々、タイヤのゴムを硬くするのに使われ、紙、インク、プラスチック、シーリング材等々・・・。知らなかったなあ。
 細粒の粒子を作る技術を持っていて、国内で生産を続けています。石灰岩は、今、国内で自給できる地下資源なのです。

ちょっと実験を ・ 炭酸カルシウムの性質を知ろう


昔、ここ青倉地区では家族の誰かが白石工業で働いていたと言えるほどだったとききます。

 ここで働いていた方、堀越明子さんのお話も伺いました。工場のすぐ前で生まれ育ち、昭和24年から37年までここで働かれたそうです。当時の写真も整理されてお持ちで、いくつかを資料として紹介させていただきました。
 工場には石灰の製造過程で発生する熱を利用したお風呂があり、いつでもお風呂にはいれたとか。従業員の方はもちろん、周囲の家の人たちも、顔パスで入っていたり。
旧青倉小学校に二宮金次郎像や書籍を寄贈したりと
地域貢献も
毎年従業員の慰安旅行があり、あちこち旅ができたり、春には下仁田のはねこし峡での桜見物が恒例だったりと、楽しい思い出もお持ちとのこと。おしゃれや旅行を楽しんだりもしたそうで,農家の女性など多くがモンペをまとっていた時代に、ハイカラな雰囲気を楽しむこともできたわけです。

 ご家族が働いていらしたという方からも発言があり、昔の写真を披露してくださる地元の方もいて、貴重なお話を聞くこともできました。工場主宰の運動会もあり、楽しみにしていたという方もおられました。

小沢岳 写真を撮らなかったので
以前の写真です。当日はよく晴れて、
青空で、もっと素敵に見えました



 下仁田自然史館からこの工場まで、2kmちょっとの距離は、正面に「群馬のマッターホルン」と呼ばれる小沢岳が見え、道脇にある石垣には植物も育ち、それを見ても楽しいものです。植物の研究者、里見哲夫氏のお話も聞くことができました。道沿いには青倉川が流れ、地元の方は「ここには水車がまわっていたんだよ」など、あれこれお話がありそうです。

よく晴れた日、多くの方々のご協力で、楽しい時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。