鏑川の川原の石の観察会で、小学校1年生に「ゴッツゴツの石、拾ってきて」といったら、みんなこの石を拾ってきました。とても堅く、表面がちょっとツルッとした感じで、透明感というと言い過ぎですが、
ようかんのような感じといったらいいのか(これも言い過ぎか)、とにかく、そんな特徴があったりします。
以前に取り上げたように、ここには大洪水のときに運ばれた大きなチャートの岩塊もありますが、もちろん小石も転がっています。
幼い頃、暗いところで石をカチカチッと打ち合わせ、硬い石から火花の出るのを楽しんだことがあります。独特の匂いも思い出します。あの石はチャートだったのかもしれない、などと思っています。
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ところで、この石の名前、語源は何かな、と思いませんか。チャートという言葉、時々聞くことがあるかもしれないので。仕事の手順など・その他書類などに出てくる「フローチャート」だったり、株式の世界の「株価チャート」だったり、なかには学習参考書の「チャート式」を思い浮かべる人もいるかも。グラフとか図の類を、チャートといっていますが、もともと海図という意味があったように思います。でも、岩石のチャートは、これらとはまるっきり関係なく、語源はわからないそうです。
どうにもなじみのない名前ですが、ま、仕方ないか。
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下仁田町の南の方の地域で見られます。切り立った崖・渓谷や滝にもなります。
栗山川の上流地域・・・・・・・・・チャートの岩肌の続く奥栗山渓谷がある
ここは群馬県指定の天然記念物になっています。
右下の写真は、調査の時の様子です。
この場所のチャートは白っぽいですね。
蝉の渓谷のチャートの拡大写真です。
縞模様がよく見えます。縞の厚さは数cmあるかと思います。
こんなチャートを、層状チャートとよんでいます。チャートにはこのような層状のものがよくあります。
どうしてこんな縞模様ができるのか・・・・・
地層の縞模様なんて、どこにでもあるじゃないか、何が不思議なの?といわれそう。
でも、じつはこれ、なかなか難しい問題なのです。 この話題は、あとで触れます。
写真 堀越武男さん
<地質学的な説明>
チャートは下仁田では南の地域で見られると書きましたが、もう少し詳しく言うと、
中央構造線より南の地域でみられます。
ここは地質学で「秩父帯」と呼ぶ、古い時代の地層の分布する地域になります。どうやらずいぶん昔にできた石のようです。
どうやってできた石?
生物からできた石です。チャートは下仁田では南の地域で見られると書きましたが、もう少し詳しく言うと、
中央構造線より南の地域でみられます。
ここは地質学で「秩父帯」と呼ぶ、古い時代の地層の分布する地域になります。どうやらずいぶん昔にできた石のようです。
放散虫という小さな(0.1mm程度)海のプランクトンの殻などが積ってできた!
チャートの成因は長いことわからず、やっとわかってきたのは1970年代・・・そんなに昔じゃない。何しろ、人類がはじめて月に行ったのが1969年です。月に行けても、こんなことがわかっていなかった・・・・
「チャートは生物からできたとなったけど、知ってる?」と話しかけられたことを、よく覚えています。
ふつうに顕微鏡で見ても何も見えなかったし(放散虫が少し見えることもあったけれど)、化学的に沈殿したのだろうと思われていました。
今は、フッ化水素で表面を溶かすことで、たくさんの放散虫の化石がみつかっています。というより、石そのものが放散虫の塊です。
簡単に言うと、陸から離れた海の深い海底に、非常に長い時間をかけて積った放散虫が石になりました。放散虫はガラス質(主成分が二酸化ケイ素で、チャートの成分と同じ)の殻を持ち、まるで繊細なガラス細工の飾り物のようです。これが石に変わるわけです。
放散虫は肉眼ではふつうはほとんど見えないので、本に載っている写真からの転載をご覧下さい。ホームページでできれいな画像を公開しているものもあります。
右は放散虫の化石の写真 日本化石集より
中生代三畳紀という時代のものです。様々な形のものがあります。
下仁田では中生代三畳紀とジュラ紀後期の放散虫が見つかっています。三畳紀(トリアス紀)の放散虫はチャートから、ジュラ紀のものは砂岩・泥岩中からの産出です。放散中は泥岩からもよく見つかります。なお、地層は南蛇井層になります。
(「江戸時代」や「縄文時代」ならわかるけれど、「三畳紀」などという地質の時代については、皆目わからないという方が多いかと思います。ジュラ紀は映画の”ジュラシックパーク”から、恐竜がいた時代らしいということは見当がつくかもしれませんが・・・これからもこんな言葉が出てくると、話がわからないということになります。そこで地質の年代表を、別項目で載せておくことにします)
チャートについては、様々な説明項目があるので、箇条書きにしてみました。
● チャートの主成分 二酸化ケイ素
二酸化ケイ素って、じつは石英や水晶と同じ成分なのです。ほとんどこの成分だけからできている石です。二酸化ケイ素を90%以上含むものとされているようです。
ですから非常に細かな石英成分の集合といえます。
・・・・・・・・・・・・・・ちょっとおまけ
化学成分は、化学式ではSiO2 と書きます。岩石の分類の時、マグマが冷えてできる岩石では、二酸化ケイ素が多いと白っぽい石になり、少ないと黒っぽい石になるという話で出てきたものなのです。いろいろな石に入っている成分だけれど、ほとんど二酸化ケイ素からできている石、というと、チャートになるわけです。
(Siはケイ素という元素を表し、これを英語でいえばシリコン。しばしば耳にするシリカとかシリコンなどといった言葉のつくものは、この元素に関係しています・・・
高級なおせんべいの袋などに入っている半透明でつぶつぶの乾燥剤のシリカゲルも、成分はSiO2です。他に水も含まれていて,水晶ほど硬い感じはしませんけど。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
チャートの堆積スピード
非常に遅く、1000年に1mm程度、あるいはもっと少なくて0.3mmとかいわれ、超ゆっくり。10mの崖ができるには、何年かかる・・・小さな生き物が積もるというのだから、当然でしょうが、それにしても、あれほど厚く積もるというのは、考えると、信じられない感じです。
非常に遅く、1000年に1mm程度、あるいはもっと少なくて0.3mmとかいわれ、超ゆっくり。10mの崖ができるには、何年かかる・・・小さな生き物が積もるというのだから、当然でしょうが、それにしても、あれほど厚く積もるというのは、考えると、信じられない感じです。
陸から離れた海の、4000mより深い海底に積もったものといわれます。
野外で見ると、塊状のものと層状になって産出するものがあります。
硬いので、しばしば山のピークをつくったり、滝をつくったりします。
このブログの、”山の形その1”や、”滝・ポットホール”の項をご覧下さい。
もとになった放散虫はカンブリア時代から現在まで、つまり5億年以上前からずっといる
という生物です
放散虫は時代によって種類が変わり、それを調べると生きていた時代がわかるので、つもった時代を決定できます。
今まで化石が見つからなかった地域から大量に放散虫の化石が見つかり、時代を決めるのに使われました。ですからチャートは日本列島の歴史を明らかにするのに大きく役立っています。
チャートは日本のあちこちに見られ、時代もいろいろですが、下仁田の南の地域にも分布している古い時代の岩石の分布する「秩父帯」に多く見られます。約2.5億~1.8億年前の三畳紀からジュラ紀前期という時代に堆積したものが多いとのことです。ここまでずらずら書き連ねましたが、よく考えると、いろいろ疑問がわいてきます。
①砂や泥は混じらないの?
②海で積もったのに、有孔虫(石灰岩をつくった生き物の一つ、とても小さい)や魚の骨などは混じ
らないの?これが混じれば、石灰分も混じるはずだけど。
③どうして4000mとかいった海の深さがわかるの?
④材料は放散虫以外はないの?
⑤水深4000mとかいったら、そこは日本列島からは遠く離れた場所ではないのか。
どうして日本の陸地に、そんな場所に堆積したものがたくさんあるの?
①について・・・砂や泥は陸地に近い場所でつもるものです。陸から遠く離れた大洋の真ん中では
つもりません。懸濁した細かな泥なら少し届くかもしれませんが。
②について・・・海の生き物は死んだあと、ゆっくり沈んでいきます。その様子が雪のように見えるの
でマリンスノーとよびます。はじめてその映像を見たとき、「こんなにたくさん!この生き物
たちは、いったい何なのだろう」と驚きました。有孔虫には海にぷかぷか浮いて生活するも
のもいますから、もちろん沈んでいきますし、つもります。
ここからが 説明です。
有孔虫の殻の成分の炭酸カルシウムは、水深4000mより深い所では溶けてしまうのです。炭酸塩補償深度、などという言葉もあります。ですから、石灰分のものがないということは、4000mを超える深い海の底で堆積したことになるのです。これは③の答えにもなります。4000mと書きましたが、5000mくらいの所もあります。
『石灰分がもともと堆積しなかったのじゃないですか?』と聞かれそうですが、そんなことはありません。生物は地球上、どこにでもいます。
④放散虫以外もあります。量は少ないと思います。「海綿の骨針」などと解説がありますが、私には具体的によくわかりません。海綿なら見たことありますが。海岸に転がっていたりもしますし。
⑤海底部分がゆっくり動いていて、それが日本列島まで到達してくっついた、ということです。
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層状チャートの層はどうやってできた?
大規模な海底の土石流や大規模な火山噴火といった天変地異で、普通なら届かない大海原の真ん中まで泥や火山灰が届いたのではと言われます。
でも、それにしても、そんなにうまく規則的に層状になるものかなあ・・・
地球の公転や自転の動きの変化が関係するという人もいるようです・・・まだまだわからないことのある石なのです。
かつて人は、チャートを火打ち石のひとつとして、また石器として利用しました。石器なら、それに適した良質のものをさがして使いました。そんな、人との付き合いの深い石でした。そして、まだまだ謎のある石なのです。
でも、それにしても、そんなにうまく規則的に層状になるものかなあ・・・
地球の公転や自転の動きの変化が関係するという人もいるようです・・・まだまだわからないことのある石なのです。
かつて人は、チャートを火打ち石のひとつとして、また石器として利用しました。石器なら、それに適した良質のものをさがして使いました。そんな、人との付き合いの深い石でした。そして、まだまだ謎のある石なのです。
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実物を使って地学の基礎を学ぼうという 「誰でもわかる地学講座」が、今年5月から開催されています。町民の皆さんやジオパークに関心を持たれる皆さんにお役に立てたらといった講座です。1月には放散虫の講座も予定されています。ぜひご参加下さい。放散虫を研究されている方が教えてくれます。専門家に、いろいろ質問してみてはいかがでしょうか。
なお、講座は現在までに 4回開催されています。内容は以下です。すべて、実物を”いじりながら”の実習です。
岩石いろいろ ・ 地層の見方いろいろ ・ 火山灰 ・ 植物化石
次回 は動物化石 の予定です
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硬くとがったチャートの岩場、そこを歩くと、岩に付くコケのようなものが見えることがあります。
なにやら暗い灰色のものがペタっと張り付いている・・・・・イワタケといいます。
群馬の植物に詳しい里見哲夫さんから、「イワタケはチャートによく着いている」、ということを教わりました。チャートと仲良しのイワタケ、どこが気に入ったのでしょう。
「日当たりのよい深山の岩場」に育つといいますが、もっと何か他の理由はないのでしょうか。
成長は非常に遅いというものです。
( イワタケは何度も見ているはずですが、今までいろいろ写真をとろう、などという気がなかったものですから、今、手元に写真がありません。スミマセン。ちょうど話題にあった写真をすぐに撮るというのは、なかなか難しい・・・自然学校の方々とかから、さらにいろいろ提供していただこう・・・などと勝手なことを思ったりもしていますが・・・・・)
イワタケは珍味とされ、採取されてきました。絶壁にはえるものですから、事故もあります。ずっと昔、販売されている袋を、「これは安い!珍味ですよ。こんな値段では手に入らないですよ」といわれ、なんだかわからないけれど買い求めたことがあります。下ごしらえの方法は教わったのですが、何とも手間のかかること・・・・命がけで、手間もかけて、それでも食べようというのですから、人間は「食い物」には何ともエネルギーを注ぐものです。ネットで見てみたら、食べる話ばかり、ずらずらと出てきました。
採りすぎて「絶滅危惧種」などにならないことを切に願います。何十年か前までは、山にあるものも、それほど我も我もと採ることはなかったと思います。というより、採集に山に入る人がすくなかったのかもしれません。採ったものも流行の消耗品のように扱ったわけではないと思います。飽きれば捨てるといったような。
今は、様々な情報とブームで、野生のものがあっという間になくなってしまう事態もまれではないという世界になっているものですから、ちょっと心配です。
分類では地衣類(ちいるい)になります。古いお墓の石にくっついる「コケ」は、正しくはコケではなくて地衣類。梅の木に着くウメノキゴケも、コケではなく地衣類。コンクリートにくっついているオレンジ色の”しみ”も地衣類。石の上のような厳しい環境で生きていける生き物なのです。ツンドラでトナカイが食べているトナカイゴケも地衣類です。
自然界では、草一本はえていない岩(たとえば溶岩)の上に最初に進出し、草のはえることのできる場所に変えていく役割を果たしています。
菌類とソウ類が仲良く一緒に共生して生きている、という、不思議な生物です。
ほとんど学校の勉強的になってしまいました。
これに懲りずにおつきあいいただけましたら、幸いです。
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