2013年11月12日火曜日

岩石⑦  凝灰角礫岩・溶結凝灰岩

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  はじめにちょっと一言
サツマイモの花って知ってますか?
  下仁田自然学校では毎年、子供たちと一緒に焼き芋大会をしてきました。
運営委員の堀越さんがたくさんのサツマイモを栽培して提供して下さっています。家庭菜園では、ごろんと大きいサツマイモになってしまったり,なかなかきれいな形にそろってくれないものなのですが、堀越さんのは毎年ちょうどいい大きさのサツマイモです。今年も11月11日が芋掘りでした。
我が家の近くの畑で、サツマイモの花が咲いていました。昨年も今年も。あまり見ることのない花のはずです。見たことありますか?
サツマイモはヒルガオ科、朝顔もヒルガオ科。花を見ると納得しますよ、サツマイモと朝顔が親戚だって。
これ以前に見たのは、10年以上前だったなあ。どんな条件の時咲くのかなあ・・・

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下仁田の石を ちょっと整理

<どこにどんな岩石があるのか>

下仁田のさまざまな石が登場してきました。
どこにどんな石があるのか、ここでちょっと整理したいですね。石はめちゃくちゃに混じって分布しているわけではなく、どこにどんな石があるかには、それぞれ理由があるので。
   「かぶら川の石図鑑」にのっている図で見てみます。
    

    ・・・・・・・・・ 石を仲間わけして、名前を色塗りしてみました・・・・・・・・
 : 火山にかかわるもの        ピンク: マグマが深くで固まった・深成岩
黄色: 砂や泥・小石からできたもの   ブルー: 生物からできたもの
 : 三波川結晶片岩の仲間     輝緑凝灰岩はどこにも入れにくいので、そのままにしました。
オレンジの線は中央構造線です

西の方には火山噴出物が多くて、中央構造線を覆って見えなくしています。


 
 

凝灰角礫岩(ぎょうかいかくれきがん)


聞き慣れない名前ですが、漢字を見ると何となくどんな石かわかります。火山灰と角張った岩片(溶岩の岩片)が混じって固まったものです。「凝」という字は「凝集」とか「凝縮」とか、「凝り固まる」とかいう言葉で使いますし。
火山活動活動があった証拠になります。ごつごつした岩肌をつくり、奇岩・奇峰の生まれることもあります。

  
   
左は荒船風穴の南にある沢で、水にあらわれて見えている凝灰角礫岩です。角張った岩のかけらがはいっています。落ち葉が邪魔な写真でスミマセン。写真の角礫は小さいものですが、場所によってさまざまな大きさがあります。かなり大きい物が含まれることもあります。


l  下仁田のどこにある? 

上の図の左部分の地域です。
妙義山の多くの部分、じいとばあ、鹿()の土台(突き出た部分は、マグマが通りぬけた跡で、安山岩ですが)、荒船山の土台、その他いたる所、下仁田の西部、本宿地域には広く分布しています。

700万年~950万年前 あるいは500万年前といった昔に、こんな岩石をつくる大規模な活動があったといいます。
 
   右は妙義の石・凝灰角礫岩です
   ずいぶんでこぼこして見えます。
水で洗われた所とは、ずいぶん違って見えますが、同じような石です。
 
 

l  正確に言えば、火山灰と岩片の量比で、すこしずつ違った名称になります。
  火山灰ばかりなら、凝灰岩とよばれるわけです。

でも、細かい分類を気にする必要はなく、昔の激しい火山活動をしのんでみたらいいのではないでしょうか
   
 
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下仁田での凝灰角礫岩の岩片を見れば、安山岩質のものが多くみられます。溶岩になって固まれば安山岩、吹き上げて火山灰と岩片の塊になれば、安山岩質凝灰角礫岩になるというわけです。
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溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)         


き慣れない名前ですが、「火砕流が固まった時できるもの」というと、「ん・・火砕流?どこかで聞いた言葉」という人が出てくるかもしれません。

火山から吹き出て、山麓を猛スピードで流れ下る高温の塊・・少し前の話になってしまいましたが、雲仙普賢岳の火砕流の映像を覚えている方もいらっしゃるかもしれません。モクモクとした灰色の雲のような塊が、ぐんぐん迫ってくる映像です。巻き込まれて多くの方が亡くなり、その危険性が知れ渡りました。

つもったあともその熱で内部が溶け、軽石などは溶けてつぶれてひものように見えます。
こんなものを溶結凝灰岩とよびます。すぐに冷えてしまったら内部が溶けることはないので、冷えるスピードの早い水の中では、ふつうつくられません。
地上に噴出した場合にできる岩石ということで、これが見つかると、昔、陸上で火山活動があったと考えられます。

古い時代の例なら、沼田市の”吹き割れの滝”は溶結凝灰岩でできているし、新しいものなら赤城山などでも見られます。
下仁田には今、火山はないけれど、古い時代の「溶結凝灰岩」なら、本宿地域のあちこちにあります。
右写真の上の方が溶結した部分です。荒船風穴の近くで見つけました。


溶結部分がわかりにくい場合もあり、見分けの難しいときもあります。下は利根川の川原の石ですが、これも溶結凝灰岩でしょうか。
 

 

 
l  どこにあるの?
物語山の北の阿唱念の滝・・ 溶結部分が硬くて滝になりまた。      
その他、あちこちに みられます。
下図は荒船山を縦に切ってみた断面図です。山頂はしっかりした硬い溶岩ですが、その下には
なんと、湖にたまった地層やら凝灰角礫岩やら、さらには溶結凝灰岩まであります。
                                             


溶結凝灰岩が広く厚く分布している地域・・・噴火当時の光景はどんなだったでしょう。
生き物はすべてが焼き尽くされ、荒涼とした風景が広がっていたにちがいありません。

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<おまけの情報>

地質調査している人にくっついて歩いていたり、時には地質の説明を聞いている時にも、
何だかわからない言葉が飛び交うことがあります。何のことやらまったくわからないと、
聞く気もなくなってきます。
   たいてい、単純に、英語などの言葉を,そのまま使っているだけなんですけど・・・
     

 「ぎょうかいかくれきがん」・・まともに発音していたら、舌をかみそうな言いにくさ・・当然、発音しやすい言葉を使います・・・そこで慣れた人は「タフブレ」といいます。「タフブレッチャー」の省略。タフは「火山灰」、ブレッチャーは「角礫岩」。

 
  ちょっと知りたいという人もいるかもしれません。そこで今まで出てきたものを中心に、
  よく使いそうな、いくつかの単語をあげてみます。
     (学生時代の単語暗記やってるわけではないのですけど。覚えてみたい人は,どうぞ)

安山岩・・・・アンデサイト
玄武岩・・・・バサルト
花こう岩・・・グラニット
凝灰角礫岩・・・タフブレ
結晶片岩・・・・・シスト
溶結凝灰岩・・・ウェルディッドタフ       
石灰岩はライムストーンですが、ふつう、石灰岩とよびます。チャートはそのままチャート。

火山灰・・・・・・・タフ
溶岩・・・・・・・・・ラバー   


 
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 世界遺産を目指している富岡製糸工場見学に、お年寄りグループと出かける機会がありました。

昔お蚕を飼って忙しく働いてきた人たちもいて、見学にも親しみがわくようです。

   私は数年前、まだ世界遺産なんてまるで話もない頃、ふらっと立ち寄ったことがあります。
 


 
門は開け放されていて、誰もいない場内を何となく見回って、「ふーん」と出てきました。きれいに残されているな、とは感じました。とりわけて感銘もなかったけれど、何しろ、日本史の教科書に必ず載っている場所ですから。

今回は観光バスも目にとまり、30分ごとに集合したメンバーをガイドさんが旗を持って案内説明していました



 解説を聞きながら見学してみて、「一人で何となくぶらついたときと、ガイドさんの解説のあるときでは、ずいぶん感銘が違うなあ」と。
レンガを見ながら、「瓦職人さんがレンガを焼いたんですよ。福島(”福島県”ではなくて、すぐ近くの富岡市の”福島”です)で焼いて。レンガなんて焼くのははじめて。こことここの出来映えを比べてみて・・今のようにコンクリートがないから、青倉の石灰岩で漆喰をつくって・・・」指さしながら表情をまじえての説明を聞くだけでも、すっと頭に入るものです。当時の人の気持ちが、何となく脳裏に浮かんできます。
フランス人が指導に来ていたけれど、その給料の高額さ!人がかかわっている場所ですから、その当時の人たちの「人」を感じると、なんだか身近になるものです。

工女を集めるのがたいへんだったことは聞いたことがありますが、仕方なくやってこさせられたお嬢様たちの中には、付き人を引き連れてきたのもいるとか。”幸か不幸か”やってきた和田英の「富岡日記」のおかげで私たちはいろいろここで話ができるんですよ、といった感じで、英さんって、どんな人だったかな、とか思ったり。給料は能力に応じて段階をつけたとか、経済観念のないお嬢さんたちの中には、付け払いですっかりお金を使いすぎ、支払金が足りず、迎えに来た人まですぐには帰れなくなったとかの裏話も。労働時間は8時間労働が守られ、休日も完全にとったとか、「へーっ」と思うことも。その後の女工哀史を思ってしまう。建物をつくるとき,いちばん大変だったのは煙突だった・・足場を組むのに,材料は竹しかなかったので、高い煙突をつくるのは大変!その他いろいろの解説。案内が終わったら、みんなで拍手でした。その後も、何か質問は・・といわれたら「あのー、瓦、大きくないですか?それに、屋根が波打ってみえるんですけど・・」などからはじまって、あれこれと。瓦は大きいし、波打って見えるのは『錯覚』だそうです。
個々のエピソード・内容は、いただいた印刷資料にも載っていたりしますが、やっぱり、実物を前に人の口から聞くのはいいものだと、あらためて思ったしだい。それに、ガイドさんも熱心に勉強している様子で、どんな質問にも答えていました。案内してもらって、何だか、得した気分でした。
それぞれの個性で、やり方で、伝えていくことの意義を思った次第です。

労働条件等、家に帰って調べてみて(ネット情報で)、ずっと8時間労働というわけではなかったとか、英さんは,初期の時期に1年いただけで、技術を持ち帰るべく頑張っていた人のようだとか、観光向けの解説とは少し違った現実があるような。養蚕・製糸から、日本の資本主義経済の始まりと歴史の断面をたどれそう。
今まで調べてみようとも思わなかったことを調べる気になったのですから、現地に行って話を聞くというのは,貴重です。

 
 というわけで、ガイドさんの役割をしっかり感じた日になりました。

 


 



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