下仁田の鉱山 補足
複雑な地質の下仁田ジオパーク地域では、小さな鉱山があちこちにあったようです。皆さんに話を聞いて、紹介してみたのですが、今までに取り上げなかった所も書き入れてみました。
新たなところは、緑色で書きました。場所がわからないので書き入れていませんが、鶏冠石を産したという、荒船鉱山というのもありました。
砥石・・・・・・・ 小坂砥山
小坂(おさか)・・虻田(あぶた)付近かな?・・にも砥石の採掘場所がありました。明治維新の頃から切り出しはじめたものだそうです。今では掘っていませんが、作業機械などがそのまま放置されてあるようです。
下仁田自然学校運営委員の本多さんは、行かれたときの様子を、ご自身のブログに載せています。いつまで切り出していたとかは、はっきりしないようですが、きっと地元には詳しい方もいらっしゃるのでは。今の様子の写真をご覧いただけます。
http://geogunma.blogspot.jp/2013/06/blog-post_9.html
馬山鉱山
ジオパーク推進室の室長は、この鉱山で、子供の頃遊んだことがあるそうです。
「ろうせき」がとれたとか。白っぽくて軟らかくて、昔、子どもはこれで道のアスファルトの上などに絵など描いたものです。
ろうせきは専門用語で言えば、「滑石(かっせき)」(タルク)・・・・・・こう書いてしまったのですが
「葉蝋石 ようろせき」という鉱物がもあって、これを「ろうせき」として使っていたようでした・・・「滑石」と見かけはそっくりで、滑石も「ろうせき」にしたような・・・
両者は成分もでき方もまったく違うものですけど・・
というわけで、今のところよくわかっていないのですけど・・・
秩父土産の「ろうせき」はどれかなあ・・・・・私は、「滑石かな?」などと思っているのですけど。
馬山のものは・・・?行ったことも見たこともないのですけど、地質条件からしたら、滑石では、と思うのですけど・・・・・・・・
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滑石って、たしか蛇紋岩(じゃもんがん)と関係したりしていたと思うけど・・・
(あやふやなことばかり言っていて、すみません)
調べてみたら、滑石は「超苦鉄質岩の熱水変質鉱物」とありました。これを読んでも、用語がわからないと、何のことかわからない。
超苦鉄質って、玄武岩やはんれい岩のような黒っぽい岩石(二酸化珪素が少ない)よりも、さらに
二酸化珪素(岩石を白っぽくする成分)が少ないもの・・・具体的には、かんらん岩などのことです。
以前、岩石の説明を書いていたとき、「この部分はよくわからないから、あとで」、とか書いて、先送りした部分なのです・・・・・
かんらん石といえば、地下深くのマントル上部の主要成分。こんなのがあるのは、地下深くに何か関係するのでは、とか思ったり・・・なお、カンラン石はオリビンともいい、ペリドットはカンラン石の一種で、宝石として扱われるときの呼び名です。
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「上蒔田(かみまいた)の超苦鉄質岩」などという記述を見つけました。「上蒔田を流れる柳瀬川の川原にはダナイトとよばれる超苦鉄質岩がたくさんみられる。黒っぽい岩石で、蛇紋石鉱物の細脈が貫いている。」 (松原 聡 鉱物ウオーキング)
ダナイト(ダンかんらん岩)って、ほとんどカンラン石からなる岩なのです。どこにでもあるというものではないものです。蛇紋岩が貫いて・・・というのも、滑石形成につながりそう・・・・・
上蒔田の柳瀬川は、しょちゅう通っている場所の近くです。いってみようかなあ。でも、こういう石って、私には見てもよくわからないのですよね・・・
下仁田地域の中央構造線の近くなどには、かんらん岩やはんれい岩がぽつぽつとみられるようです。黒打山も、そんな場所とか聞いたことがあります。これらの石は、何だか、大地の変動に関係していそうに思えませんか。。。。詳しい方にお聞きしたいものです。
滑石の鉱床は「蛇紋岩を交代したもので、小さなレンズ状か脈状」とありました。
少量とれただけなのでしょう、馬山も、今では廃鉱になっています。
マンガンの鉱床
茂垣(もがき)で、マンガンをとったという話を聞きました。それ以上はわからないのですけど・・
この茂垣の付近、枕状溶岩が見られ、また、ひすいも見られるとか。ここのひすい(ひすい輝石)は翡翠色(ひすいいろ)をしていないで、白。純粋なひすいは、じつは無色なのだそうです。
これも、見ても私にはわからないなあ・・・
先の本に記された解説を書いてみると・・・(かなり専門的な話ですが)
この付近の緑色岩は、かつてのホットスポット海山のアルカリ玄武岩が変成をうけたもの。
タマラ閃石とか、なにやらめずらしい鉱物もあるような。とにかく、ちょっとよくわからないような、さまざまな鉱物を含んでいるようです。
何だかやたら、難しい話になってしまいました。
よくわからない、不思議なことがたくさんあるような気がしてきました。
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気候がつくる地形
山の形には意味がある、そんな話をしようと思います。
下仁田の山の形にも、それぞれ理由があります.。以前、このブログでも取り上げました。
http://geoharumi.blogspot.jp/2013/09/1.html
上越県境の山、平標山(たいらっぴょう)に行ってきました。
7月6日、梅雨の真っ盛り・・・・・どうしてそんな時期に行くかというと、お花畑が花盛りだから。
前日までの大雨のあと、水上ではまだぐずついていた空が・・・三国のトンネルをぬけると、そこは”雪国だった”ではないけれど、日差しののぞく空。天に感謝!!
ここ平標山の山の形のできた理由は、下仁田の山とはだいぶ違います。
写真は平標山(1984m)の山頂から、仙ノ倉山への登山道を見たものです。
2000mをきる標高しかないのに、木も育たず、なめらかな緩斜面に高山植物が咲きほこり、もっとずっと標高の高い山のような姿です。
ちなみに、この付近の森林限界(高い木の育たなくなる高度)は多分2100m~2200m(これ、日光付近の森林限界の高度)。本来なら木がはえていてもいいはずの標高なのです。
谷川から三国・平標までの谷川連峰の山々は寒さと多雪と強風にさらされます。高い木なんて、育てない!草原、・非常に背の低い低木、・時には砂礫地がひろがり、標高よりも、ずっと高い山のような光景が広がるのです。偽高山帯なんて名付けられています。
上の写真部分は、特に風の強い所です。冬の風は新潟から群馬へ、左手から右手方向に吹き越していきます。
手前は背の低いチシマザサですが、その先の緑の中には、さまざまな高山植物の花が姿を見せて、とても美しい・・・
でもこの場所の秘密は、それだけじゃない。
寒い気候では、地面が凍ったり溶けたりしているうちに、小石が少しづつ動いていきます。こんな凍結融解作用が長く続いた斜面は、のっぺりとした形になるのです。
この山の「のっぺりさ」は、そのため。こんな作用、周氷河現象と呼びます。日本アルプスの砂礫地では、今でもこの作用が働いているそうです。
よく見ると、下っていく道に直角方向に、なんとなく筋が見えませんか?これ、階段状構造土というもの。
でも、この階段状の模様は、今の凍結融解作用だけではできそうにないとか・・・過去の寒冷期にできたというのだけれど、つまり氷期にできた・・・・ 地形の化石?
石に目印をつけて、観察した人もがいます。そうしたら、平標でも、年間2~3cm動いていたとか。20年間も観察したそうです。なお、ここでは砂礫地はだんだん減少して、草に覆われてきているようです。
(寒冷気候では、地面にもっとさまざまな模様ができることもあります。多角形だったり線状
だったり。草津白根の鏡池の多角形の模様は有名です。)
草津白根山の鏡池の構造土 寒冷期に礫が移動して、亀甲模様を描きました |
「山の自然学入門」 小泉武栄・清水長正 より 説明もこの本を参考にしました |
左図は、高山地形の模式図。
風は左から右に吹き越していく。
風下側には、大量の雪がたまり、夏まで残る・・雪田という部分。
平標山では、写真の雪田の部分は、プーンでえぐり取られたような地形で、最後まで雪が残っていて、目立ちますね。残雪凹地というのだけれど、これも、過去の寒冷期にできた化石地形のようです。
砂礫のカラカラに乾いた場所から泥炭のある湿地まで、高山の雰囲気いっぱいです。
ところで谷川連峰には針葉樹林がほとんどない。強風・多雪で、育たない・・・
右写真の遠景は、山ノ家近くで、めずらしく育った背の高い針葉樹シラビソの林です。
手前はワタスゲ。
ブナやミズナラから、急にシャクナゲやツツジの花の咲く登山道になり、あとはお花畑。
たくさんのトンボ'(避暑に来ているアキアカネだと思う)が迎えてくれた道でもあります。
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登るのにけっこう歩かねばなりませんが、山の上は気持ちのいい場所(晴れていれば・・・・)の広がある山です。
これからもこんな場所に行けるように、足腰をちゃんときてておかねば・・・人間、目標があると頑張れるものですよね。
ハクサンコザクラやチングルマも迎えてくれました。他にもいろいろな花。
オノエランがあちこちにたくさん咲いていました。
階段状に見えるのは、こんな部分かな?
気象条件が大きく作用する山の形と植物でした。
こんなふうに見ていくと、ハイキングをしていても、散歩をしていても、ちょっと見方がちがってくるかも。
今回はやたら理屈っぽい話になってしまいました。
(登るには,ガイドブックにあるコースよりも,松手山経由で登る方がいいな,と思います。下りながらお花畑を見るより,のぼりながらお花畑を見る方が、ステキです。それに、ガイドブックコースは最初が単調な林道で,その先が長い上り階段を延々と登るし・・どちらにしても,ぐるっと廻って,同じ所に戻れます)
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お盆・・・
以前、お盆は7月に行っていましたね。今ごろ、提灯を下げて、お寺に盆迎えに行ったりしたはず・・・記憶があやふやですが。
道端の茅をあつめて縄をつくり、棚をつくって大きくなりすぎた茄子で馬(?)などをつくって飾ったり・・・緑の縄は青草の香りがし、そこにしかれたゴザも新しく、青畳の趣。
今はお盆はすっかり8月になりましたが。
考えたら、7月の今ごろが、農作業が一息ついたときなのかなあ・・・田植えも終わって、少しゆっくりできるとき。お蚕を飼うのはいつだったっけ・・・
ちなみに、お蚕を飼うには、以下のような時期がありました。
以前に書いたものをのせてみます。
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5月が春蚕(はるご という) 。そのあと 夏蚕(なつご),秋蚕(あきご)、秋の彼岸ころ蚕を繭作り
のための”まぶし”に移す(「ずあげ」といった)のが晩秋蚕(ばんしゅうさん)。これで4回です。
10月上旬に「ずあげ」の晩々秋蚕(ばんばんしゅうさん)というのもあったようですが、これをおこな
う家はまれだったようで、私もまったく記憶にありません。作業は晩秋蚕とダブっておこなうものと
のことです。
なお、9月下旬から10月にかけての初冬蚕(しょとうご)とよばれるものもありますが
温暖地で実施されたもので生産量も少ないとのことです。これをやったら、年6回になります。
一番収量の多いのは、春蚕でした。
春から秋まで、とにかく忙しい毎日だったわけです。
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