2016年8月1日月曜日

暮らしの手帖にのった八ッ場ダム


    暮らしの手帖 

 NHKの朝ドラ、制作に力が入っているなあ、と。最近では実在の人物をモデルにしたものが多く、そんな意味で皆の関心を引くこともあります。例えば「花子とアン」の村岡花子・・私の世代の女の子達は、みんな彼女が翻訳した本のお世話になったものです。
現在放送中のものは、雑誌「暮らしの手帳」がモデルです。これも、多くの女性がお世話になってきたもの。親しくさせていただいている80歳ほどの方、「ああ、しず子さんのことね」と、いろいろよくご存知。主人公常子のモデルは大橋しず子さん。暮らしの手帖もたくさん持っていたけれど、だんだん処分してきたと。
 私は購読してはいませんでしたが、「商品テスト」の話は知っていました。水かけ論争といって、出火した石油ストーブを消すのに、水をかけるか、それは危険かといった論争も記憶の奥にありました。消防庁は、水はダメといっていたのですが、「バケツの水で消せる」の暮らしの手帖が勝利した・・・この話、いつ聞いたのかなあ・・・? 調べたらこの話は1968年のこと。もしかしたら、学校だったかもしれない。当時、学校ではあれこれ世の中のことを話してくれたものです。(私の年齢もわかるなあ・・・)

 若い人たちは「暮らしの手帖」といっても知らないかもしれませんが、このドラマで、物のない貧しい時代からの人々の生活の歴史を興味を持って知ることができるかもと、なんだかうれしく思います。

長い購読者で、古いバックナンバーも持っている方が、「暮らしの手帖に八ッ場ダムが2回載っているのよ」と、持ってきてくれました。
現在2016年、本体工事が始まっている八ッ場ダム。これが雑誌に取り上げられたのが1985年と2005年。。
計画がはじまったのが1952年と聞けば、ため息のでる話です。そして長野原町長と県知事が
生活再建案の覚え書きを締結して、実質的にダム計画を受け入れたのが1985年。

民宿雷五郎の女主人政子さんの生活を、「ある日本人の暮らし」の連載に取り上げています。
くるくる動き回る目の回るような民宿のようすを活写した文が続きます。
政子さんがおじいちゃんからダムの話を聞いたのが17歳の時。物静かな父はダム反対運動で書記長となりこぶしを振り上げ、活動した。政子さんも乳飲み子をおぶって、雪の中を出かけたりしたといいます。
(今、政子さんは80歳を過ぎ、川原湯温泉の代替地で暮らしているといいます・・・・その気持ちは・・・と思ってしまいます)

この1985年の冊子には、私がどこかで知った方々のお名前がたくさんありました。
名前は知らなくても、藤城清治さんの影絵は、きっとどこかでごらんになっていると思います。童話の挿絵となっていました。
今、藤城清治さん美術館が那須に立てられ、誘われていきましたが、たくさんの人が訪れていました。
 
住井すゑさんの文章   牛久沼のほとり
    「志の人 花森安治」
 「橋のない川」の作者住井すゑさんが、書いているんだ。しかも花森安治さんのことを。   
戦前の部落問題は、私の親の世代では、まだ生々しく息づいていました。優しい父も「結婚相手は部落出身でなければいい」と言っていましたね。今でも底のところでは、今でもこれが沈んでいて人を苦しめることもあるのかも・・
 
田辺聖子の文
 映画「黄昏」を、夫や友人の男性と居間で見た時の話を・・・キャサリン・ヘプバーンやジェーン・フォンダの出演で、年とった夫を見守る妻、均斉の取れた美しい映画・・・でも、なぜか違和感
なぜ?そこでハタと気づいた「あのジイさんの甘えがイヤなのよ」。  今日の老老介護とその現実が、そんなに美しく甘いものじゃないことを示すし、認知症の現実だって妻が夫をやさしく見守る?でも夫を看取るというけれど、いったい妻は誰が看取ってくれるの?ペットの犬だよね。それしかない。
    こんな調子で書かれていて 、こういう歯切れの良さに気分爽快。今の深刻な現実を先取りしてるよね。この田辺聖子の言葉に喝采を送った女性も多かったろうな。
 
「本当のリハビリテーション」などという項目もあり、今でも通じる。
  リハビリとは人間らしさを取り戻すこと
  社会復帰の条件作りも治療のひとつ
  安静は全身の体力を急激に弱らせる

古屋綱正の映画時評   「アマディウス」を取り上げていました 
 この方、しっかりとしたニュースキャスターとして思い浮かぶ方です。ずいぶん昔のことに思えます。
吉沢久子さんは、この人の何だっけ?夫?
(吉沢久子さん・ 通販のコマーシャルに出ています。90歳代になっても家事をおこない一人暮らしをされ、あたたかな生活の文を送り届けてくれる人。まさに暮らしの手帖の価値観を地で行く人におもえます)。

吉沢さんが「夫は家のことは何もしない人で、忙しいとき、なぜ私ばかりが・・と思ったものです」とか言っているのを読んだことがあったのです。そして夫が亡くなって2年間だったか、一切家事をしなかった、と。ですがその後、再び家事をやり始め、やがて家事・生活評論家として活躍される。
    調べたら、古屋綱正氏の兄が吉沢久子さんの夫でした。
 
「町の名前を返してください」 犬養智子
地名変更は、その土地に住む人々を その土地の歴史や伝承から切り離す。そんな土地で、土地への愛情が育つはずがない。
合理的な住居表示として再編成されたが、 読みや救う簡明なものという法律の1行  どれほど由緒ある町名が無残に捨てられた、安直な名に変えられたか ・・

  長い文なので、ちょっとだけ抜き書きしましたが、土地柄をあらわす地名、歴史をあらわす地名そんな観点が明確です。「そうだ、そうだ」と声をあげたくなります。
世界的に言えば、植民地などは、地元の名前を考慮することもなく、勝手に名付けたりした歴史もたくさんあります。だからエベレストだって、チョモランマと言い換えたりしますよね。そんな例もたくさんあるのでしょう。
以前住んでいた上野幌(かみのっぽろ)という場所、区の分離にあたり厚別区の南で、「厚南 こうなん」にしたら、などという回覧板が回ってきたことがありました。冗談じゃない、のっぽろはアイヌ語からきていて、意味のある言葉です。勝手に変えるな、ですよ。幸い、元の名前に落ち着きましたが。

長くなってしまいましたが、こうして、かつて本やらテレビでふれて、その思想や生き方を通して「お世話」になった方々が思い浮かんだ気分でした。みなさん ありがとうございました。
むしろ、今活躍されている方々のことを知らないような気がします。それぞれの時代で、人々に受け継いでいくということでしょうか。こんなりっぱなかたがたでなくとも、誰もが少しづつ、周囲に引き継ぎながら生きていくことができるのではないでしょうか

さて、2005年の八ッ場の紹介記事です。


下の写真には
 
代替地が見え始めています。

ここまで水に沈みますというラインも示されています。下の写真の左の黒い縦線につけられた三角印の所です。

はじまったらやめられない公共事業といいますが、今また、大規模な建設事業があちこちで再開されています。ダムも・・
リニアなんて、目をむくような大規模事業。そういうのって、時代遅れもはなはだしいんじゃないでしょうか。

だいいち、そんなにお金を使っちゃって、これからの生活はどうなっちゃうのだろうか・・
次の世代のこと、考えてるとは思えない。

途上国に援助するとき、女性にお金を渡す算段をした方がいいとか。そうすると、子供のためにそのお金を使い、将来のためにもそなえるから。男は飲んじゃって終わっちゃたりするとか、どこかで読んだことありますけど。


ここで生活する人々の姿を、写真に撮り続けた方がいました。
相沢曜一さんという方で、その写真を紹介していました。

これを紹介すべきだったと後から思い、追加しています。
今までにお読みいただいた方には、申し訳ありませんでした。





そして、本体工事の始まった、今の吾妻渓谷の様子です。

小蓬莱(見晴台)より  渓谷が削られていきます


7月30日の様子です。 八ッ場あしたの会 HPツイッターより  http://yamba-net.org/
 上が上流側。
ダムサイト予定地右岸(写真左側)では、岩の色は写真上部が白く、下が黒い。白い部分は変質帯。境目には岩脈が走る。節理が見えるようだ。右側重機の下は 赤っぽい煉瓦色だが・・・。
地質条件は、本当のところ、どんななのだろうか・・


この渓谷を深く愛した歌人 若山牧水の言葉をここに載せたい。80年以上前に書かれました。

  私はどうかこの渓間の林がいつまでもいつまでも
    この寂びと深みとを湛へて
       永久に茂っていて呉れることを心から祈るものである。
       ・・・・・・・中略
 どうか私と同じ心でこのさう広大でもない 森林のために   
        永久の愛護者となってほしいものである
    若しこの流れを挟んだ森林がなくなるようなことでもあれば
            諸君が自慢して居るこの渓谷は
        水が涸れたより悲惨なものになるに決まっているのだ

                     「静かなる旅をゆきつつ」  若山牧水


八ッ場地域では環境省のレッドデータにのる動植物が66種、大変豊かな自然の場です。
ダムに沈む植物もたくさんあるようです。その中で特に有名なものがあります。国交省では土地を取得したとき、その扱いをどうしてよいか困っているといった話を小耳に挟んだことがあります。
よく知られているものでもあり、移植を考えたようですが、なにぶん、気むずかしい植物を扱うには高い技能が必要になります。ですが、広く知識を募るといったことにもならずにきたようです。
一般人が手を出せない世界となってしまっていますが、何としても、保全をしてもらわねばなりません。 なお、その他の植物については、移植等の計画はないようです。
 今までにどれだけの動植物が、こうして姿を消していったことだろうか・・・




2 件のコメント:

  1. 私もブラタモリ大好き!色々おたくと言われる人達がいますが、オタク力も突き詰めて行けば学者と言われたりするのでは?河岸段丘が好きなタモリさん、海食崖地形に付いても語っていました。本当に博学❗️
    水の力って面白いし、凄い。水と地形は切り離して考えられないけど、ダム以外の道もそろそろ考えないと影響が大きすぎると私も思います。失った命、自然は戻りませんもの。
    繰り返しで申し訳ありませんけど、上野三碑、二つが安山岩でこれは理解できたのですが、多胡碑だけが砂岩の理由?もし説明がつけられたらよろしくお願いします。

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  2. 今ごろ返事を書いていてスミマセン。砂岩の理由・・・えーっと、何と答えたら・・・あの石は牛伏砂岩で、石材名では多胡石とか天引石。牛伏山という山を中心に分布している石で、昔から、それこそ縄文時代から利用されてきた石。古墳の石室にもたくさん使われているはず。今でも石灯籠などで見かけます。加工しやすく使いやすかった。でも雨風には少し弱くないかなあ・・・。多胡碑は吉井町にあって、牛伏山はすぐ近く。昔から使い慣れた地元の石を使ったのではないでしょうか。むしろ、安山岩のほうが「どこから持ってきたのかな?」。三碑のあるのは、海にたまった堆積物でできた丘陵ですから。昔の人が、どうやって石の材質を選んだか、調べたら、何かわかるでしょうか・・?答えになってないかなあ・・・

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