2017年1月20日金曜日

ふるさとの景色・山々の姿

北風季節です

冬___はるか遠くをながめると、山々が美しい。
  夏の間は大気中のたっぷりとした水蒸気によって隠されていた山々が、今、
  その姿を存分に見せてくれます。 


私の町から見える山 ーー 冬になるとクッキリと青い姿を見せる山々。
  グルッと見渡すと、周囲2/3くらいは山々が見えます。遠く青く連なる山々。

利根川と赤城山  この日はすっきりとした晴れでなく、少しかすんでいますが・・
もっときれいに見える時に、撮りためねば・・・

利根川を前面にすそ野を広げた赤城山には、ふるさとの山というにふさわしい貫禄があります。

西の空、浅間山はいつも真っ白、端正な姿で美しい。
真っ赤な夕焼けに浮かぶ山々を、学校帰り思わず自転車をとめて眺めたことを思い出します。空気の冷たさまでよみがえってきます。


上毛三山(赤城・榛名・妙義)はそれぞれ美しく、はるかに白銀に輝く山々は山好きの人たちなら、一度は登ってみたい著名な山々です。遠い山並みを美しいと思います。

絵 小林生子さん

  ”ふるさとの山”という言葉があります。      
    啄木はこうあらわしました。

      ふるさとの山に向かひて
      言ふことなし
     ふるさとの山はありがたきかな

彼はふるさとでは暖かく迎え入れられていなかったと聞きます。それでもこの詩をうたうわけです。


                                                                           前橋の誇る詩人、萩原朔太郎も書いています。

                                                                 帰郷  わが故郷に帰れる日
       汽車は烈風の中を突きいけり
       一人車窓に目醒むれば
       汽笛は闇に吠え叫び
             火焔は平野を明るくせり
       まだ上州の山は見えずや
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 ずっと以前のこととなってしまい、すでに鬼籍に入られた方となってしまいましたが、評論家の俵萌子さんのお話を聞く機会がありました。
萌子さんのお父様は群馬で生まれ育ち大阪(?)で働いていました。そのお父さんがよく言っていたそうです。
「ああ、赤城山の見えるところに行きたいな。(”赤城山の見えるところで死にたい”だったかもしれません)」。
 父から赤城山へのあこがれの思いを受け継ぎ、萌子さんは自分の力で赤城山の見える所に家を建てたいと思うようになったといいます。赤城山の見えるところという条件で熱心に探したそうです。そして、山の見えるところではなく、その山のふもとに家を建てました。そしてこういうのです。
「高崎駅に列車が止まった時、そこをただ通り過ぎるだけでなく、降りてみたいと思えるな、そんな文化の香る場所にこの地をしようではありませんか。そのために私も力を尽くしたいと思います。」
 お父さんには赤城山に重ねて、多くの大切なものをはぐくんだ故郷があったのでしょう。それを全部ひっくるめて赤城山が代表してくれたのでしょう。
そして父の心に焼き付いた赤城山の姿はその娘に引き継がれ、そこの文化に尽くしたいという心まで育てたのです。
山の図が小さかったですね・・・名前、間違ってないか・・難しい・・


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日本を代表する山,富士山の姿は、多くの人の心にとどまるものでしょう。これも少し古いものですが、そんなことを感じた一文も紹介します。

 心臓病に苦しむ筑波大学2年生のその青年は、教授に「故郷の静岡へ戻ります」と告げ、学業半ばで富士山ろくの町へ帰っていた。
 「先生、僕はこのごろしきりに富士山の夢を見るのです。心が安らぐようで、これからはずっと富士山の見える街で暮らしたい」
帰省してほどなく青年は成功の見込みに乏しい手術を受け、再び目覚めることはなかった。
 「子供の時から眺めて育った富士山の景色が、生きようという心の支えになっていることを、手術を直前にして彼は初めて強く意識したというのです。この弱い自分を、意識の根っこのところで支えていたのが富士山だったことに気づき、感謝し、短い人生を永遠の価値として残る富士山に重ねることによって、自分はここまで生き続けることができた、と彼の手紙に記されていました。」
 青年の相談相手だった教授は、それぞれの人の心に生きる原風景が、魂をどれだけ勇気づけ、安らぎを与えうるものなのかを、痛感させられたという。

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景観はこんなにも人の心に多くを与えるものなのでしょうか。
遠くの山を見ると、凝り固まった心がふっと溶けて広い視野が開けるかもしれません。

東京で生まれ育って、今は前橋に住んでいる方が言っていました。「群馬は空が広い」。
ああ、そうなのか。なるほどな。大きなビルをはじめ、建物にびっしり覆われた場所では、空は四角に切り取られた光景になるのでしょう。それぞれなのだなあ。

ふるさと というと、ふるさとの歌が思い浮かびます。
  「うさぎ追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川」 ・・・ 「山は青き故郷 水は清き故郷」  
本当は、ふるさとは人それぞれ、路地のわきの植木鉢の並びだったり、近所の人との会話だったりするかもしれません。大きなマンションに暮らせば、またちがったものでしょう。

 みなさんのそれぞれのふるさとの景色、大切にしてください。


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居間のガラスに、ドタッと音が。パッと見ると、鳥が飛んでいく。
ガラスには、なんと、鳥の翼の跡!!  広げた翼は約50㎝。
左上にも広げた翼の一部が


この鳥、大丈夫だったんだろうか。                     
鳥がガラスに衝突する事故の話は聞きますが、実際にそのあとを見たのは初めて。

事故のないこと、願います。

ところで、この白い粉,何なんだろうか? 説明してくださる人、いませんか。



鳥の衝突事故・バードストライクは、近年、話題になることもふえたのでは。
飛行機にぶつかるのは重大事故につながるので、対策も必死。
風力発電所での事故も、何とか減らそうということで、話題になります。渡り鳥の渡りのルート上に風車が設置されると、多くの鳥が犠牲になることから、設置業者が自然保護団体に問い合わせをする例もでてきていると聞いたことがあります。数が少なく貴重な鳥が風車に巻き込まれてしまう例もみられるようです。
都会のガラス張りのビルは、どうなのかなあ。  
自然界にはなかったものが次々できると、思いもよらない影響が出てくるものです。








拡大した様子です。 




 

 
 
 

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