2021年2月21日日曜日

ホタルの化石 日本初です

だいぶ遅ればせとなってしまいましたが、紹介します。
私たちの参加している下仁田での活動に関連して寄贈されていた昆虫化石から

   「日本初のホタル化石」 発見。

みんなが大好きな”ホタル”ということで、親しみがわきます。 ”日本初”というところが何ともうれしく感じるものです。ホタル化石は世界でも7つしか出ていないのだそうです。
新聞大手各社にも載せてもらっていますが、群馬の方々には目に触れることは少ないと思われる信濃毎日の紙面を紹介します。

コツコツ化石を集めた茂木さん、小さな昆虫化石の同定をコツコツすすめられた田中さん、
おかげでこうした宝が見つかりました。ありがとうございました。
さっそく下仁田町自然史館に展示されています。
小さな化石ですが、小さくても貴重!


春の足音
河津さくらが咲きだしていますね
 高速道路の玉村インター近くの道沿いにたくさん植えられた木も、咲きだしていました。

我が家の近くのお宅のを写真に撮ったのですが・・・
     一応「証拠写真」で、左に紹介。

 桜と言えば、先日新聞で見た川柳に思わず「クスリ」と笑う。
      「梅のあと 桜といって
              口つぐむ」
 解説するだけヤボ。
 ですが、いつまでも嘘とわけのわからない言葉で居直る政治家たちには腹立たしい。川柳で一矢報いている。
 それにしても、こうした川柳を考え出す人達って、ステキですね。私もできたらどんなにいいだろう‥
無理・・でも楽しませてもらいます!

ついでに、ハクモクレンの花も紹介。
もちろん、外ではまだ咲きません。
切り落とした枝を花瓶にさして部屋に置くと、咲きだします。ほのかな香もするのですよ。
一足早い春です。

 コロナで過ぎた一年・・・

昨年の感染の始まりのころ、知り合いの神主さんから、アマビエのお守りをいただいていました。上野12社になる由緒ある神社の神主さんです。
ありがたく財布に入れています。

神頼みしかなかった時代、感染症ではどんなに恐怖を感じる毎日だったでしょうか。

 現政権の得意としてきた「脅しと忖度」では自然は言うことなんて聞いてくれません。
科学の世界です。「科学」と、何度でも言います。
 科学の進んだ今でも、そうは簡単に対処できる相手ではないわけで、神様に祈るのもいいんじゃないですか。最前線で戦っているひとたち、医療関係者、難しい対応に日々神経をすり減らしている様々な職場の皆様には、感謝いっぱいです。
 それにしても、PCR検査拡充など、もう1年近くも前からニュース番組などでいわれているようなこと、コメンテーターが口を酸っぱくして言ってるようなこと、例えばPCR検査の拡充など、なかなか実現しない、広がらない、どうなっているのでしょうか・・・一方で民間検査は広がっている。ワクチン頼み、で手をこまねいている?それも、まだ自国では作れないで外国頼みなのに。自分の国では科学にも教育にも力を入れないで、お金もケチって削減ばかりしてきたのがたたってか・・・

目に留まった言葉やら気になったことを時折ノートに書き留めたりしている。片付けをしていて、ふと、文をみると、面白いというか、・・・

2016年のメモ
森喜朗氏:リオオリンピックへ向けた壮行会で、選手たちが君が代をうたわないと苦言を言ったとか・・こんな人間ばかりがトップに立つ日本って、どうなるんだろう(当時の感想)    

丸川珠代氏:当時環境大臣  石炭火力発電所新設にゴーサイン。環境省のことを、「エコだなんだと言っていればよかった」。メディアのことを「自分の身を安全なところにおいて批判していれば商売が成り立つ。文句は言うけれど何も責任は取らない」
ちなみに、2015年12月、石炭火力新設計画48基だって。何という嫌な国になったのだろう。
(今、企業も環境を考慮しないと、世界から相手にされなくなってきているようだ。消費者がそっぽを向くこともあるだろうが、いえ、資金調達でお金を貸してもらえなくなったり、と。取引してもらえなくなる。石炭火力なんて、非難の的になっている。マスコミ関係者には、命を懸けて取材している人もいるのに。マスコミのおかげで私たちは世の動きを知ることができ、判断の基準を得られるのに)

菅首相 :2017年 官房長時代 会見はすこぶる評判が悪い。曰く「スガ語」
   「そのような指摘は当たらない」
   「まったく問題ない」  (川柳から  この一年、問題ないで耳にタコ)
 2016年 官房長官在任最長を記録したという。あの爬虫類のような冷たい目、イヤだ。バングラディシュで日本人7人がテロで殺されたが、その折、事件を知りながら選挙応援演説に。勝手に危ない所に出かけて、国に迷惑をかけているという考えが透けて見える。どんな時だって「救う」気持ちなんてテンからないのだ。とにかく国民の命を第一に考えていない。国民は自分たちが使う「数」でしかない。一人一人の顔を見てはいない。   ・・・・・などなど・・・
2014年  菅官房長官という人は策士でマスコミ対策をうまくやって‥いやな奴だ。

こんなメモがいっぱい。でも、振り返るのも面白い。何やってんの、と言われそうですが。でも、これからもいくつか紹介しようかな。

春らしいポカポカ陽気です。
みなさ~ん。人のあまりいない野外に行きましょうよ。有名観光地はやめて。
私は近所の里山周辺をふらつくつもりです。

2021年2月10日水曜日

女性をどう見てる?

コロナで行事も外出も控える日々、皆様はどんな毎日をお過ごしでしょうか。
私はグズグズとした毎日・・・

 森喜朗オリンピック組織委員会会長の発言が、世界を巻き込んで話題です。
森氏のような女性に対する感覚がごく普通、という時代を知っているのが私の世代。
理想の女性は、気配りのできる人、やさしく皆を気遣い世話をしてくれる、口答えなんかせず、微笑んでいる人、・・とてもいい人なのでしょうが・・・誰かにとって都合の良い人にされてしまうことが多かったのでは。良妻賢母かな。
 森氏の発言の何がそんなに問題なの?と思っている人、ちょっと感度が低いですね。
二階氏の「オリンピックボラティアを辞退します」といった人への言葉、派遣社員などに対し「お前の代わりはいくらでもいる」という上から目線の雇用者のことがふっと頭をよぎりました。相手への感謝や経緯がみじんも感じられないので。単なる「駒」としか見ていないのでは。
 あの女性蔑視の発言、ちょっと前までなら、笑って済ませられた発言でしょう。事実、発言のあった会議では笑い声があったとか。
 これを問題にして広げているのだから、世の中、変わってきているのだな、進歩があるのだなという感慨もあります。
こんなこと言うと、今の若い女性は「進歩?当たり前のことでしょう」と思うかもしれない。

ひとつ思い出す写真があります。ある本に載っていました。
  「輝いて、しなやかに 物語男女差別裁判の40年」中西英二 著  2002年発行








 二人の男性の表情を見てもらいたい。ふてぶてしい表情。
手前に立つのは、解雇撤回を求める女性。写真は1969年。
新婚早々別居配転され、出産退職を拒否すると「子持ち女は半人前だから」と独身寮のまかないに配転を命じられ、それも拒否すると解雇。
納得できませんと、毎日立ち続けたときのもの。「なぜ子供を産んでも働きたいというだけで、こんな思いをしなければならないのか」と悔しさと情けなさで泣きたい思いだったと。この時から11年、長い裁判を戦った人です。
 中学を卒業後、集団就職で企業内に高校のある会社に。その頃仕事といえば紡績工場くらいしかなく、仕事はきつい。その後会社を変わったりもしたが1967年結婚退職制が導入され、妊娠すると窓際に一人机を移動され、執拗に嫌がらせを繰り返され、出産後出社すると、門を入る事も許されず、配転拒否を口実に解雇・・・
 どうして会社を変わらないの?と聞かれたそうです。「私もよい職場を求め,資格もとり、2度転職しました。でも自分でつかんだ仕事も会社は平気で取り上げる。それならどこへ行っても同じじゃないか。職場を転々としてだんだん給料も下がってしまう人もいますが、私は気づいたのです。必ず職場に戻る、と」地裁に地位保全仮処分を求めた。1969年6月30日のこと。ほぼ半世紀前。人類が月にはじめて降り立った年です。80年2月、和解が実現。実に11年間です。この本が書かれた時、彼女は定年の2年前(2011年)。こんな人がいたのだ・・・ほかにも、たくさんの事例が載っていました。
  こうした人たちのおかげで今がある。この歴史は、若い人にも知ってほしい。

 このころは、女性の結婚退職は当然と思われ、寿(ことぶき)退職とよんだものです。30歳とか35歳とかの若年定年制も普通。
 結婚退職を訴えた最初の裁判は1965年だそうですが、地裁で勝訴,高裁でそれをひっくり返す動きのなか、職場組合はストライキを行ったり・・会社は68年、女子35歳定年制の破棄第2子出産で退職、で和解した。

 中学生の頃、国語と社会を教えていた先生から、結婚退職や出産退職とか、職場結婚したら、二人を遠く離れた別の場所に転勤させる例とかの話を聞いていました。東京オリンピック開催から少しあとの頃のことです。それと同じ事例が、この本に載っていました。先生から聞いた話より後の事例です。写真の人も、その一例です。そんなこと、世の中にいくらでもあったということです。
この先生は、様々な世の中の事、考え方を、授業の合間などに話していたものです。今でもいくつも思い出せます。 感謝です。
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「話が脱線しますが ちょっと一言・・・・
 最近は、授業の進度もすべてのクラスで統一して、学校からの便りで知らされ、それができないと力のない先生と見られるとか、教科書にない実験をやるとお叱りを受けるとか。 「ええー本当?」という話を聞くことがあるのですが。信じられない・・・
 私の通った小学校は通知表もなかった。信じられない、と言われますが、本当です。川に行って一日中石ころを拾ったり何やかや見たりしたこともあったし、村の中を歩いて地域のことを調べたり、なんてことも。授業時間内に学校外の人が来てくれ、たくさんの歌を教えてもらったり。時間割はありますが、結構それを無視した授業がありました。先生がガリ版を切ってつくって印刷した文学作品を読み合って学んだり。教科書でない教材を使ったというわけ。今は、危険だからとマラソン大会の校外練習なんてやらない、火を使う焼きイモなんて無理、その他いろいろ不自由なこともあるような・・・
 工夫はダメ?自分の頭で考えてはだめ?勝手なことするな、そのうえキリのない長時間労働、残業代の仕組みのないのが、気楽に働かせ放題ができることにもつながってしまう・・まじめで熱心が、命を削る長時間労働につながってしまうこともある。そんなバカな話、あってはいけない。
 最近、教員採用試験の倍率が、ひどく低くなってしまっていると、先日の新聞の一面にものっていた。魅力のない職場になってしまっているのだ。教育や文化をあまりにも粗末にしていませんか。今の日本の政府は。
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話を戻します。
 ・私の同学年の女性、短大を出て、銀行に就職。ところが勤務年数が多くなってきたころ、何やかやと言われて、退職を促される・・ついに辞めたら、すぐにパートに来ないかと…「絶対いやだ。人を馬鹿にして!」と。その後ずいぶん経って会ったら、家計を支える仕事として、やはり銀行のパートをやっていた。他地域の銀行ですが、仕事がわかるし、賃金などの条件を考えれば、他の仕事より良かったのでしょう。やめさせられた銀行とは違う銀行だし。銀行が花形産業のころのこと。業務に明るいベテランを非正規として使う・・昔からあったわけですね。たしかに、家庭と両立させるには、短時間労働はありがたいのですが。
 ・1970年代後半か80年代初めでしょうか、あるNHK の大物アナウンサーが、
「トップニュースを女が読むようになったら、俺はアナウンサーをおりる」と言ったとか。これを聞いた時私は「まあ、そんなものでしょう。」と思ったものです。怒るというより、そんな意識の人がたくさんいるわけですから、まあ、普通、と。今では、女性の名前を冠したニュース番組もあるのですが。この方、まだご存命でしょうか。
 今回の森会長の発言など、「たいした問題じゃない」と思っているのでしょう、擁護する人たちは。時代についていってないですね。世界の流れもわかってないですね。そういう人たちが国の方針を決めるというのは、ちょっとまずいんじゃないですか。
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第2章は、男女による賃金格差・待遇格差に戦ったひとたちを取り上げていました。

女性が同一賃金を得られるのは公務員の世界でした。ですが、昇進は?あらためてこの本を見たら、鈴鹿市役所の裁判が載っていました。初任給から昇進、研修…どうせお茶くみと扱われ・・生涯賃金差はマンション1戸、と。
教職は教諭として働き、昇進とか考える必要のない場所だったことも、女性にはうれしい場所であったはずです。やめさせられることもないでしょうし。

写真は金融関係で働く人たちです。
生涯賃金の男女差はマンション1戸分、とありました。定年が男56歳、女46歳、などというのもありました。そういったことに意義を申し立てた方々は、本当によく勉強し、皆で支え合ったようです。


「男性については年功によって全員が副参事(後に課長職)に昇格 する労使慣行があるが、女性に対してこれを適用しないことは、性 別により労働条件について差別的取扱いを受けないと定めた就業規 則に違反する」
裁判でこんなことが認められたことがありました。
芝信用金庫(東京都)で働く女性13人が男女の昇格差別の是正と差額賃金の支払を求め、1987年提訴から15年を経て、2002年最高裁で和解しました。
 芝信用金庫では、男性は入稿後13年から16年でほぼ全員が係長、さらに4から5年で副参事(課長職)に昇進だったとか。ネットを見ると載っていました。
 女性の係長は9名だけ、昇進に12年から36年を要し、さらに課長になったのは1名だけ。

2002年の勝利は、新聞等で大きく取り上げられ、記憶にあります。この本の発行より後のことです。写真は東京高裁勝利の時のものです。

 今、社会は非正規労働の人たちを大量に生んでいます。
ここに会紹介した人たちのように、裁判に訴えることさえできない。だいいち、正規に契約してして働いているわけでなく、スマホで連絡が入ったらそこに行くとか。「日雇い労働者」と言われた人たちが脳裏に浮かびます。コロナの中、路頭に迷いかねない人も生んでいます。
非正規が増えてきたころ、フリーターなどと言って「自分の能力を生かし、自由に働く」などと言って、夢を振りまいていませんでしたか。
非正規を「危ない」と問題視した人たちもいますが、あまりわからなかった…
このころ若者だった人たちの今は‥‥大変な人もいるのでは。

この本の最後は、こうして結ばれています。
「かつて雇用形態差別は女性が圧倒的でしたが、いまは男性にも拡大しています。男も女も人間らしく生き働く社会を作り上げていくことが重要でしょう」
20年前の言葉とは思えない。世の中をきちんと見つめる人には、問題点も、未来も見通せるのですね。

こうした裁判の多くに携わった女性の弁護士がいました。坂本福子さん。1932年生まれ。最初に関わった職場の男女差別問題が女子30歳定年制裁判だったそうです。
やむにやまれず裁判を越した人たちに、どんなに力になった方でしょうか。

ふと思いました。森喜朗氏はいくつ?  1937年生まれ 83歳
        二階幹事長      1939年生まれ 81歳

 職場入り口に立ち、解雇撤回を訴えていた女性のいたころ、50年少し前だから、このお二人、30歳ほどのころ、前に立ってバカにしたような態度をとる男性と同じくらいの年だったりして。今話題のこのお二人、その頃の感覚からそう遠くない人たちのいる場所で、ずっと生きてきたのかもしれない、などと思ったり・・・・

阿部政権で「女性活躍社会」とか言っていたけれど、あれ、最初は「女性活用社会」だったか、そんな言葉で発表していました。あわてて変えたはず。「活用」という言葉を新聞で見て、あきれてしまったので覚えています。何だ、「働くな」と言ってきたのに、人手が足りなくなって「活用」しようと思っているのが本音って、それを正直に表に出してしまうほど鈍感。
そういえば戦時中は工場などで女性も子供も働かせ、男子が返ってくると、また「家庭に戻れ」と追い返したのに。
  「若い人たち、だまされちゃいけませんよ、注意しないと」、と思ったものです。

ーーー うんざりしますので、春の便りを ーーーー

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このたよりもすっかりさぼってしまっていました。
寒いけれど、自然は春を迎え始めています
庭のフクジュソウがほころび始めています。

すっかり冬ごもりだったなあ。
でも、世の中、いろいろあって、
腹の立つことがどっさり。

コロナ蔓延でなるべく家にいる日々。
庭の花がうれしい。

昔、買い求めたツバキ、正月頃からぽつぽつ咲き始め、
やがて木いっぱいにピンクに咲き誇る。
やさしい色合いが好き。
丈夫で、すぐ大きくなり、枝をせっせと切るのですが。

か弱いものは大事にするのに、元気だと邪魔にする。
なんと勝手なことか。   

木の下にはたくさんのツバキの子がはえるのですが、「ツバキは親なし、親と同じのは生えない」と言っていた人がいましたが、この木の子供も、ごく普通の白だったり赤だったりでした。

年末に咲き始めていた「冬至梅」は、もちろんもう満開です。

庭の草をとっていたら、土の中には、もう、水仙などの芽がしっかり育ち、ぽつぽつと土から顔をのぞかせているものもあります。

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 私はぐずぐずと、「今日何やったっけ」などという日々。一方で医療関係者を筆頭に息をつく間もない人たち、また収入の激減の職種、あるいは仕事を失い住む場所さへおぼつかない人たち、様々な社会状況がひろがっている・・・それなのに株は空前の値上がり・・・もう、私などにはわからない世界で巨額の富を得ている人もいるのだろう・・・・
 とにかくコロナ対策に集中して取り組んでほしいし、みんなが医療を受けられるようになってほしい、世界の中では、忘れ去られたような地域で、飢えをはじめとしたさまざまな困難に苦しんでいる人、子どもに目を向けてほしい。
 まるで中学生の作文のようだと言われそうです。ただの理想を書いているだけで。
でも、様々な情報・映像の飛び交う昨今、多くの人が正しい情報を知り、自分のできることを少しでもできたら、と思うこの頃です。

朝8時からTVの羽鳥モーニングショーを見るのが、日課のような日々。夜はBSTV1930を見たりする日も。こうしたことにずいぶん時間を費やしています。
いえ、費やさずにはいられませんね。
 でも、家にいても、こうして様々なことを知ることのできる現代、それを活かさねば。




2021年1月12日火曜日

利根川の洪水対策  河川改修の様子

コロナ感染、心配です。仕事に行くわけではないわけで、なるべく家にいよう、と。
こんな中、働く人たちに感謝です。特に、人と接する仕事の方々には。


我が家の近くの利根川は、また大々的に工事が始まっています。
  何の工事?
  川の流れる場所の土砂の掘削です。多分堤防強化も。河床を下げることによって、洪水によって川が氾濫するのを防ごうというものです。

ショベルカーが動き、砂利を運ぶトラクターが何台も列をなしています。

玉村町の五料橋から下流は国交省の工事担当区で、昨年、大々的に土砂をとっていて、この地区は終了かと思っていました。


前回の工事場所と同じ付近からもまた土砂を運び出しています。厚さ2mほどもの土砂を運び出した場所です。もう終わった場所と思っていたのですが、まだ少し高かった部分の土砂をとっているようです。橋は五料橋。

この土砂、どこに運んでいるのかなあ。



こちらは五料橋の少し上流。工事担当は群馬県。

さらにすこし上流では、古い堤防だった所を作り直すという話もあるようです。一昨年秋の台風19号のあと、大きな土嚢を2km以上にわたって積んでいます。下の写真の場所はその関連でしょうか。工事は群馬県の担当です。

 気候が変わってきて大雨が増え、水害が多発している今、こうして川にたまった土砂を取り除くのは、防災に役立ちます。堤防強化も必要です。堤防が決壊すると、なんと言っても大災害になりますから。

 でも、ほんの少し間まで、ダム建設は行うけれど、川底をさらうなどということはやってきていないのでは。ダム建設に反対して「それより、川の土砂の取り除きや堤防強化を」と何度も何度も訴え続けた人たちは、まったく無視されてきたと思うのです。ダムで洪水を防ぐという話ばかりで。
 利根川では、八ッ場ダムができたら、手のひらを反すように、これほど大々的に、一斉に川の工事が始まった・・・「国土強靭化政策」で、多額の資金投入がされたわけでしょうか。今までは何だったの?と言いたくなります。どうして今まで、こうしたことを主張する人たちの声に、絶対に耳を傾けようとしてこなかったの?専門家は、必要性はわかっていたわけでしょう。

 大雨災害の頻発する国・日本、突然、「災害対策」とあちこちで言い出ししたような印象を受けてしまうのですが…必要なことで、ありがたいことですが。
 今までダム建設にまい進してきた人たちが、今度はこちらに資金が投入されるやいなやあれこれ言いだして自分の手柄のようにいうとしたら、「川底の土砂の取り除きや堤防強化を繰り返し言っているのに、徹底して無視されてきた方々」にたいして、失礼甚だしい話です。時には、本当に必要なことを言っているのか、目を凝らしていく必要があるのかもしれません。
 近年、毎年のように日本のどこかで大水害ですものね。これに地震災害が加わったりしたら、もう、大変。今はコロナも大変ですし。自然は甘く見てはいけないです。


 五料橋の下流の坂東大橋にかけても、大々的に川の工事が始まっています。
広い川原に大型土嚢が堤防のように積み上げられ、川の流れを制御しながら工事が進んでいるようです。


この付近で利根川には烏川という大きな川が合流し、広い川原を形成しています。すぐ下流には坂東大橋がかかり、その付近の八斗島(やったじま)は利根川管理の重要地点になっています。
河川内の木の伐採

 この付近の利根川や烏川は、50年、60年前の高度成長期には建設資材として川砂利が大量に採取されていました。コンクリートの骨材になるわけで、大量の需要があったと思います。

 あとに残された大きな穴に水がたまった所は、危ないから近づくなと言われていました。もし落ちたら、水底には冷たい水が溜まり、藻がはえていて足に絡みついたら、もう逃れられない…といったイメージは今でも覚えています。 
こんな頃、日本各地でダム建設も進められていたと思います。小学生の頃だからもう50年以上も昔、学校で多目的ダムのすばらしさの話を聞いたのを、なぜか覚えています。世の中で、脚光を浴びていたのでしょう。観光でダム湖に行くのも流行っていたように思います。

 川砂利は不足して、海砂まで建設に使い、海砂はを含むためコンクリートの中の鉄骨が錆びて強度が弱くなり、問題になったと聞きました。
 その後、砂利採取禁止になったり、あるいは、廃コンクリートの利用で、川砂利はなくてもまにあったのか・・・30年近く前にこの地域に住むため戻ってきましたが、川の浚渫をしているのを見たことはないように思います。そんな目で見ていなかったので、はっきりとは言えませんが。中洲や川原にはヤナギなどの木が茂り、大きくなっていました。




遠くに見える川辺の木も、これから伐採するようです。
ヤナギやアカシアの木が多く見られます。


手前の堤防は、強化する作業中なのでしょうか。


実際の感じは、写真ではよくわからないものです。
近くでこんな場所があったら、行って見たらいかがでしょう。


 ところで、川辺の風景が殺風景になって生き物がいなくなってきていることが訴えられるようになり、生きものとの共存をはかる川の管理が言われるようになりました。
流れを直線化して少しでも早く水を流すことだけ考えるのでなく、曲がった流れが作り出す環境の多様性が多くの生きものの生きる場を作り出すことも顧慮するとか、ヨシ原を保全するとか・・・こうしたこと、多少は考慮されるのでしょうか。流行を追うように、以前のことはすっかり忘れ去られて、などということにはなってほしくないです。
 今回の伐採場所は氾濫原に生えるヤナギやアカシアなどですから洪水で流されることもある木で、保全に考慮というほどものではないでしょうが、「生きものの水辺」「水辺の環境学」といったタイトルの本を見ながら、生きものにも思いを馳せてみたいものと、ふと思いました。

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子猫の子の行動,なんだかかわいいものですね。まあ、当然でしょうが。

 自由自在に動く身体の柔らかさ、自分のしっぽで遊んでいる。そういえばまだ立つこともできない人間の赤ん坊も寝転がったまま、自分の足の指を手でいじったりして遊びますよね。
何にでも興味を持ってじゃれついたり潜り込んだりを飽きずに繰り返す。新しいものを見るとすぐ飛んで行ってじゃれつき、かじってみる・・テレビに映った画面にちょっかいを出したり(テレビ壊さないでよ!)。庭の木にはどの木にも登ってみているようだ。心理学者の言うには、人間の子供は低い塀があるとその上を歩くものだそうですが、猫もブロックの低い塀の上の細い所を走っている。人間の子供の場合は、ちょっとむづかしいことを何でもやってみたいという行動なのだそうですが、猫も同じか。こうやって学んでいくんだなア。
いつもぴょんぴょん飛び跳ねていて、ふと見るとコトンと寝ている。しばしお昼寝。
人間の子供も、ご飯を食べながらウトウトしていたりするものです。すっかりくたびれてちょっと眠くなるのでしょう。子供は、人も動物も、みんな同じなんだなと、しばし子育ての頃を思い出したり。

歳をとると好奇心も薄くなくなってきて、新しいことに挑戦しなくなる・・・と、これまた、しばしの感慨。

たかが猫ですが、飽きないものです。
タダで手に入ったおもちゃ、かな。生き物をおもちゃなどと言ったら、叱られそうです。


2021年1月6日水曜日

コロナ禍の新年

コロナに暮れた2020年、感染急拡大で始まった2021年

年の瀬のせまったころ、厚労省が生活保護受給をよびかけたという。びっくり。今まで、窓口で追い返そうとすると、さんざん言われてきたのに。”生活保護は国民の権利です”と。いかに多くの人がこの寒空の中、困窮しているか、それを見過ごすことは、いくらなんでもできなくなっているということか。以下は朝日新聞から。

『コロナ禍で迎える初めての年末年始に生活困窮者の増加が心配されるなか、厚生労働省生活保護の積極的な利用を促す異例の呼びかけを始めた。生活保護の申請は国民の権利です」「ためらわずにご相談ください」といったメッセージをウェブサイトに掲載し、申請を促している。民間の支援団体もこれに呼応して、SNSで一斉に利用を促すメッセージを投稿する試みを25日夜に行った。

 厚労省は22日から「生活保護を申請したい方へ」と題したページを掲載し、申請を希望する人に最寄りの福祉事務所への相談を呼びかけている。「よくある誤解」として、同居していない親族に相談しなくても申請できることや住むところがない人や持ち家がある人も申請できることなどを説明。インターネット上のウェブ広告にもメッセージが表示されるようになっている。』

 いつもは生ぬるいNHKのニュースでも、正月明け、路上生活に陥っている人などをかなり力を入れて取り上げ、その窮状を伝えていた。そういった人たちは、自分が困窮者となるなど夢にも思っていなかった、どのような援助がうけられるのかも、どうすればよいかもわからない、という。 手持ち資金が数十円、1円玉いくつかといった人も。食べ物支給の列に並ぶ人たち、相談の場を作っているNPOによって、やっと寝る場を得ても、生活保護の申請はしない‥何としても自力で生活を立て直したい、離れて暮らす娘に連絡が言ったら心配する、まずは自分で立ち直って、などとつぶやく・・・・非正規で働いてきた若者も、還暦を超えた人も・・・そういえば、数年前、NHKは「ワーキングプア―」という現状を伝えていた。こうした現状に目を向け伝えようとする人たちがいるわけです。カネと時間のある人がお金を落とすことで経済を回そうといったことしか考えられない人たちとの、なんという違いだろうか。生活保護を受けるのは恥だという意識。遊んで金をせしめているとか揶揄する人もいますが、多くはこうしてまじめな気持ちの人たちでしょう。「自助」「自己責任」では、普通の人も、いつ生活できなくなるかもしれない、セイフティーネットの破れ放題の国になっているのだろうか。 新年早々、気が重い。


正月らしく、梅の花を。
神社の入り口にある梅の木は『冬至梅』という種類とかで、ほぼ例年、正月前に花がほころんでいます。
昆虫もやってきていました。
コロナウイルスも”自然の現象”、梅の花もスイセンも”自然の現象”、こうしたものに活かされている私たち。

 自然について、きちんと知ることは大切なことです。




 昨年の10月、手のひらに乗るような小さな子猫が我が家にやってきました。家のわきの草むらに、片目がつぶれたようになっていて、動こうともしません。
5日前に、14年近くも家にいた猫が死んだばかりで、まるで生まれ変わりのような・・・食べ物をあげて数日したら、元気はつらつ、飛び回っていました。今では庭の木にもタタタと登ったり。前の猫も、食べ物を求めて台所に忍び込んで、追い払っても追い払ってもやってきて、すっかり家猫になった子でした。。
 首輪をした猫が家の周囲を歩き回っていました。そのうち子猫を連れていました。子猫を3匹、我が家と同じ姿のが2匹、ちょっと模様の違うのが1匹。その子猫たち、兄弟ですね・・・すばしこくて、見かけるとさっと逃げるし・・・今は姿を見かけなくなりました。親猫は飼猫と思っていたら、もしかしたら捨てられたのかもしれない・・・実は少し前から姿を見かけていて、夏の頃、2匹の子猫の姿を見かけていましたから。猫は飼い主がいなければほぼ生き残れないと思います。写真の子はたまたまけがをして我が家に来たので生き延びたということでしょう・・・本当に,「運」としか言いようのない話。
  ユニセフの報告など見ると、世界には食べ物も足りず、医療も受けられず、おいしいものも食べることなく生活し、いえ、その前に亡くなっている子供たちがたくさんいます。コロナウイルスなど、そんな地域にはどれだけ入り込んでいるかもはっきりわかっていないのでは。

たまたま生まれた国によって、生まれた家によって、こんなにも違いが出てくる…猫ばかりじゃない・・・とにかく、我が家の猫、長生きしてほしいですね。

 猫と言っても、みんな違う。写真の子、食べるものにびっくりしています。
納豆…知り合いの家の猫が納豆を食べると聞いてびっくりしていたら、この子もよく食べる。
 0655というEテレの朝の5分番組がありますが、それにも納豆を食べる猫が出ていてびっくりしたことがあるのですが、そんな猫、いるのですね
ヨーグルト・・・酸っぱいものも好き?
カボチャ  菜っ葉のお浸し  パン  せんべいも食べますね
  ケーキの類も、食べているとかぎつけて、うるさく寄ってくる。

前の猫はこういうの食べなかったなあ。
たかが猫、でも、それぞれ違う。人だって違うの当たり前、と、妙に納得しました。

今年、何とか良い年になりますように。


2020年12月22日火曜日

今年も終わり よい年を迎えたいものですが

今年も終わります。ニュース解説を、毎日見て過ごしていた気がします。

  誰もが同じことを言っているわけですが、コロナで始まりコロナで終わった年でした。
これからどうなるか、予想がつかない・・・
 自然は忖度(この言葉は知っていても、漢字は知りませんでした)してくれない、ということをわかっていない人がトップに立つ怖さ。自然は人事で支配なんてできませんから。自然の法則にしたがう、科学の世界ですから。。
トランプ政権を見て、リーダーによって戦争で殺されることがあるばかりでなく、こうした時にも、死ななくていい人が死ぬ、と思っていたのですが、日本も同じになるかも、と思うこの頃。

 ところで先日、玉村町では夜に空から轟音。少しの間をあけて2度も。行きと帰り?その数日前に、すぐ頭上をオスプレイが飛んでいた、写真をとればきっと撮れたとも聞いていました。飛ぶのは夜9時までと決めていたのに、その後押し切られてなのか、もっと遅くまで飛んでいるとか。12月18日の昼間には5機・・この日は別の場所の屋内にいたので、わかりませんでした。みなかみ町上空がオスプレイの飛ぶルートとして発表されていたのはいつだったっけ。ルートはどこまで広がっているのだろうか。

 緊急のコロナ対策は後手後手で、専門家の言うことを聞こうともしない、必要なことをしていないのに、防衛関係はせっせとしかも多額の予算をつけて…と思ったものです。とにかく、憂鬱なことが多い日々。

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年末でもあり ここではもっといい話を。
毎年手作りカレンダーをいただいています。

いつもお地蔵さまがやさしいですね。         絵手紙 小林生子さん




 東北の大震災の時、お地蔵様の入った絵手紙をたくさん書いて持って行って、皆さんに手渡したとのこと。その後もずっとお付き合いが続いているわけです。
 オリンピックのためと早くに日本に来て、前橋でトレーニングを始めた南スーダンの陸上選手のことをご存知でしょうか。大量虐殺のあったスーダン、そこからやってきた若者たちに、”頑張って”と毎月絵手紙を送ったり(絵手紙教室の生徒たち)…コロナのためにオリンピック延期、今も前橋に留まる選手たちは、どんな思いでしょうか。
 いつも、絵手紙でまわりを明るく豊かにしていただいて、ありがとう。

 遠くには行かなくても、歩いたり自転車に乗ったりすると、車とは違った速度で見えてくるものがあります。絵手紙をみていると、そうした目も感じてきます。
冬咲きクレマチス

   クリスマスも近いですね。
   今年はお祭り騒ぎはダメ。
   いえ、職を失った人、住む家もない人も増えて
   いる 年の暮れ。
   今年を何とか乗りきらねばという人がたくさん
   出てきていると、ニュースも伝えています。

  我が家では、2年ほど前に買った
  「冬咲きクレマチス」が、
   絡まったツルからベルのような花を下げて、
   揺れています。
  何の手入れもしなくても、たくさん咲いてくれます。
           花を愛でるのはいいですね。

ブドウ果樹園



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 ゆっくり近所をみれば、世の中の変化を感じるもの、ありました。

巨峰(ブドウ)の果樹園

 




太陽光発電パネルは、ずいぶん目立つようになりました。空き地利用が多いですが、農業をやりながら太陽光発電という施設も、身近に目につきます。

 ブドウ巨峰の果樹園です。ぶどう棚の上に何やら板のようなものが…これ、太陽光パネル。
発電とブドウの収穫を狙っています。欲張り? いえ、大丈夫なのだそうです。
利根川のすぐ近く、伊勢崎市西部です。ずいぶん昔のことですが、川が流れていて、川の礫がごろごろ埋まっていて、水はけがよく、果樹の生育に適している土地柄です。


左写真、ここは広い畑。

中に育ってるのがよくわかりませんでした。何だか、アシタバのように見えましたが、
お店で見かけないから、違うんだろうな。

玉村町から北方向に利根川を渡ってすぐの所。伊勢崎市かな?玉村町かな?





右も伊勢崎市の西の端。伊佐玉大橋を渡ってすぐ。パネルの下では、冬の季節で何も育っていなかったので、何を作っていたのかわからないなあ。


烏川の近くにも同じような施設があって、カボチャが植わっていたのを見ました。


 1年ほど前、自然エネルギー利用を訴えて全国で講演している方のお話を聞いたことがありました。金融機関で働いている方、城南信用金庫の吉原毅さん。原発セロ・自然エネルギー推進連名会長として活躍されています。「原発ゼロで日本経済は再生する」など、経済界からこうして活動していることが新鮮に見えます。この信用金庫は早くから自然エネルギーに関心を向けていたはずです。この時のお話で、農業をやりながらの太陽光発電のあることを知りました。目を向けると、なんと、結構あちこちにあるのです。こうして、広く知識を知らせている人たちがいるわけです。

豪雨が増えて、水害ニュースも目立つ昨今。夏の猛暑にも、温暖化を感じる日々。
自然エネルギー利用の重要性が、他人事でなく感じられます。

コロナも温暖化も、とにかく、正しい知識を持って、ちゃんと科学の世界を大切にして、

よい年を迎えたいものです。

このブログはすっかりさぼってしまいましたが、みんながよい年を迎えられますように。
当たり前の日常が迎えられますように。




2020年11月28日土曜日

近所で秋を楽みませんか 

照葉峡にて
コロナが勢いを増していて、何とも気が重い。
今年の紅葉は美しいと言われるのに、あまり見に行かなかった。あっという間に時は過ぎる・・
妙義山に行こう、と思っていたはずなのに。

でも、早い時期に急に思い立って照葉峡(てりはきょう)に行ったのはよかった。渓谷とそこに見られる小さな滝の連続と色づいた葉。みんな車で時折停まっては通りすぎていきましたが、私たちはしっかり歩きました。
グズグズしてないで、エイっと物事は始めるものですね
木の冬芽
オオカメノキです
これからはこんな木の芽でも
楽しめます

今の時期楽しむのは、イチョウを代表とする平地での身近な紅葉でしょう。きっと身近に、きれいだなという木や場所があると思いますよ。

左は近所のゴルフ練習場にあるメタセコイアです。
均整の取れた円錐形に大きく育ち、秋になると葉は色を変え、落葉していきます。

 これぞ「生きている化石」の代表格で、日本人が化石で見つけて名前を付けたら、中国の山奥で生きているのが見つかったという、ドラマのような話があります。
 子どもの頃、父がこの枝をもらってきて差し芽をしていたのを覚えています。誰かとの思い出があると、心に深く残るものかもしれません。そんな思い出がたくさんあったら、豊かな人生なのかもしれません。
 日本中あちこちに植えられたので、学校などに大きく育っています。個人の家では、ちょっと手に余る木ですね。植えても、きっとみんな切ってしまったでしょう。

 メタセコイアの写真があまりにみすぼらしいので5月の頃の写真をのせます。
メタセコイアの葉
近所の、元学校のあった場所のメタセコイアの写真を撮ろうとしたら、枝が大胆に刈り取られていましたので。確かに、大きくなりすぎますよね。

花の終わったオキナグサが綿毛になりかけて、5月の風にそよいでいます。
向こうの方に メタセコイアが育っています。公園ですね。


近所で自然を楽しむのには、我が家では川沿いが最適です。 
高崎市を流れ下ってきた烏川の川原には、オギがいっぱい。

  オギ??と言われそう。ススキと思っている人が多いでしょうね。
水の多めの所にはえているのは、ススキとちょっと違う「オギ」が多いでしょう。
少し違う種類なのです。
人の名前にも、荻原オギワラさんがいます。昔の人も、ちゃんと区別していたわけです。



世の中は心配事でいっぱいなのに、ずいぶんのんびりしたことを書いていると言われそう。

 ちょっと、世の中に関わる事を。
我が家のすぐ近くの利根川では、洪水対策工事がまた始まっています。昨年大々的に土砂を掘り取った場所を、さらに掘り取っています、
最近の豪雨災害によって、こうしたことに国の予算・県の予算が投入されるようになってきているのでしょう。


利根川中流域 玉村町五料橋付近
昨年、川原に堆積した土砂を2mほども取り去ったのですが、
おなじ場所の土砂をまた撤去しています
国交省の事業です

ここも玉村町。古い小さな堤防を、新しく作り直す工事が始まっているようです。
群馬県の事業です

最近の豪雨と洪水被害で、各地で水害対策事業が始まっているようです。
流域全体で水害に備えると言っています。
ありがたい話です。が、利根川上流の八ッ場ダムの建設の反対運動などあるときには、
河床の土砂撤去などは一切行われてこなかったことを思わずにいられません。我が家の近くの利根川では大きな中洲も形成され、たくさんの木も生い茂っていました。生き物の生息場所にはよいのですが、河床が上がってしまうので治水対策には難点が出てきます。洪水の心配の増す場合があるわけです。バランスをとる必要があるわけです。

 河床の土砂撤去や堤防の強化をと、何度も声をあげる人たちは、ずっと無視されてきました。ダムによる治水が中心とばかり、予算をほぼダムに投入していたのです。河床整備や堤防強化の方が安く迅速に工事が進むと言っても、聞く耳を持たなかったと言えます。これって、どういうこと、と言いたくなります。

今、グリーンディールという言葉があるそうです。環境関係の計画を総称したもの。
欧州グリーンディール委員会にはこんな一節もあります。
「2030年までに脱ダム化した河川を総延長2万5000㎞5に増やす」
日本も良い政策を高く掲げてほしいです。


2020年11月13日金曜日

イチョウの履歴 マツタケジャゴケ

 紅葉のたよりが、関東でも平野部に移ってきました。


そういえば、先週、ちょっとした山に行った時,光に照らされて黄色く色づいた葉が輝き、
時折ハラハラと舞い落ちていたなあ。

キラキラというより、光そのものが舞っているようで、しばし見とれました。

落ち葉を カサカサ 踏みながら歩く気分もいいもので、そんな情緒を詩人や文学者はしばしば書いていますね。

何という木か覚えたい時も、紅葉した葉を見るのなら、なんだか楽しいです。


マツタケジャゴケ







いっしょにいた人に、変わったものを教えてもらいました。
 コケの仲間です。マツタケジャゴケ。
ジャゴケって、家の裏などの湿った所にはえるゼニゴケに近いような仲間で、ジャは蛇かな。あまり印象の良いとは言えない姿。ですがこれ、なんと
 「マツタケの香り」  がするのです。
マツタケなんて食べないから香りわからないと一緒にいた人が言ったら「永谷園のお吸い物の匂い」と即答した人あり。香りはまさにその通り。同じ成分が入っているのでしょうか。
これ、全国にあるそうですが、あまり見かけるものではなく、よくわっかっていないコケのようです。

いろいろな人と一緒に出かけると、それぞれ知っていることが違うので、新しいことを知りあえて、楽しいですね。

          もう少しすると、イチョウが色づきます。

我が家のすぐ近くの畑、この銀杏は大粒でおいしいです。
手入れをして、きれいに洗って出荷しています。あまりお金にならないけれど。ここまで育た木ですから、やはり放ってはおけないのです。

イチョウは自然の野山では見かけません。つまり、人が持ち込んだもの。どんな履歴を持つか、ご存知でしょうか。

 「 生きている化石 イチョウ 」

   金色の ちひさき鳥の かたちして
     銀杏ちるなり 夕日のをかに    与謝野 晶子

誰もが大好きな字あざやかに黄色く色づいたイチョウの木。
神社、お寺によく見かけます。年の街路樹にもたくさん採用されています。東京都の木はこのイチョウですよね・・ゴミ収集車のイチョウのマークが脳裏に残っているのですが。
防火のためにイチョウを街路樹に植えようと奮闘した人がいたと聞きました。防火??と思いますよね。イチョウは燃えにくいのだそうです、これが防火帯の役割を果たし、延焼を防ぐと。実際に関東大震災で燃え残ったイチョウが役割を果たしたとのこと。
どこかで聞いた話でしたが、人気番組「チコちゃんに叱られる」で、取り上げていました。これできっと、多くの人に知られたでしょうね。

 日本人なら知らない人はないというおなじみのこの木、しかしヨーロッパの人にとっては驚きの的でした。1690年ころ、鎖国中の日本にやってきたドイツ人ケンペルは、長崎のお寺の境内のイチョウを見てびっくり。それを伝えられたヨーロッパの学者もびっくり!なぜってイチョウの仲間は化石ではたくさん見つかるけれど、もうとっくに死に絶えたと考えられていたのですから。今でも生き残っていたなんて!
 イチョウの仲間はジュラ紀という時代などに全盛を誇っていました。恐竜たちと一緒に生きていたということになります。2億年前には現れ、1億5千万年とかいう前には大変に栄え、世界中に広がっていたといいます(この年代、最近の研究結果で少し変わっているかなあ?)。それが中国に生きのび、多分仏教伝来の頃につたえられました。今では親戚にあたる種類は一つもなく、分類の上では1属Ⅰ種、それでもたった1種で頑張っています。そして、こんな古いタイプの生きものたちを守ってきたのが中国や日本の地域だったわけです。

身近なものにも、壮大な歴史があるわけです。銀杏を食べながら、太古の昔に思いをはせてみましょうか。