昨日、はっと気づきました。
モミジの季節も終わってしまう・・・せっかく検索表を作ったのに・・・
紹介するなら9月から10月初めだったのに・・・
もう山のもみじは終わってしまったよねえ・・・どうしようか・・・
でも、大慌てでのせます!
表は下仁田自然史館に「ご自由にお持ちください」と置いておくプリントとして、昨年つくりました。グラフィック類など作るのが得意な職員が、今年、きれいに修正してくれました。カラー印刷にはならないのですが、ちょっとは役に立つかも。
モミジ 雪の多い地域(水上など 日本海側)と 雪の少ない太平洋側の下仁田は、少し違う種類が分布していたりします。
表は下仁田地域のもみじです。 なお、植物学ではモミジでなく、カエデと言います
これを片手に葉っぱを見ると、わかるものもあると思います。
図を縦方向に並べ直したのをつくってくれていましたので、もっと見やすくなるかも。
説明を追加 |
検索表はいろいろあるけれど、これ、とてもわかりやすいと思います。
フモトミズナラは、もとの図ではモンゴリナラとなっています。どちらを主張するかは、人によって異なるようです。
まだわからないことがあるんだなあ。
マテバシイは四国・九州・沖縄などに自生する木です。人が植えたものですが、けっこう見かけます。
フモトミズナラについては以前、以下で解説しました。
元の図がカラーで載っていますhttps://www.blogger.com/blogger.g?blogID=481530670025045050#editor/target=post;postID=4233483773130505555;onPublishedMenu=allposts;onClosedMenu=allposts;postNum=69;src=link
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下仁田町の西牧鉱山から産する鶏冠石が 群馬県の県の石に選定されたことは何度かお知らせしました。この鉱山について、詳しく知りたいと思うのは、ごく普通の感情かと思います。
先日、鉱山が稼働していたころをご存知の方にお話をうかがう機会がありました。
この鉱山は戦後しばらくまで掘っていたようで、近所の方など、娘もお年寄りも、働いていたといいます。子供は燃料の薪を集めたりもしたなど、貴重なお話を聞くことができました。
お聞きして記録に残さねば、うずもれて忘れられてしまうわけです。地質的にも大切な記録になりますが、地域の人々の生活を支えたり、その他にもあれこれの歴史があったかもしれません。ぜひ、こうしたものの記録を集め、残したいものです。
下仁田は複雑な地質を反映して、小さな鉱山がいくつもあったりします。古くから知られたものもあれば、戦後の苦しい時期にとにかくお金にならないかと、掘ってみたものもあるような気もします。そんな歴史を、自らの目で見た方が語れるなら、今のうちにお聞きするのも大切な文化の継承と思います。
山本作兵衛さん、ご存知でしょうか。炭鉱夫として働き、筑豊炭田の労働のようすや生活を炭鉱夫の目線で見て、66歳になって初めて絵筆を握り、炭鉱画を描き始めた方です。子供や子孫に炭鉱を伝えたいと思われたのだそうです。その絵は、今、ユネスコの世界記憶遺産となっています。
この登録申請は、おそらく最初で最後、たった一度のチャンスでした。次の年からは、そんな市井の名もない人の絵など、推薦してもらえなかっただろうという状況だったそうです。とにかく、国宝級の文物がひしめくようにあるわけなので。
ですが、その絵を見た審査員たちは絶賛し、迷わず認定したといいます。炭鉱の生活を余すところなく描いた絵。その記憶力にも驚嘆を覚えます。掘削機械の細部まで、あやふやなら調べなおし、こだわって描き、正確さを追及していたとのことです。また、炭鉱という社会のようすも、赤裸に描かれています。
炭田が日本を支えたのは、そんなに昔の話ではありません。ドラマでよく取り上げられる戦国時代より、はるかに最近なのに、まるで知らない世界になっていないでしょうか。
知らなかった市民の歴史の一コマが、こうして残されたわけです。
「山本作兵衛 炭鉱画」といった名前で検索すれば、すぐにご覧になれます。
鶏冠石関連の話、地元の方のお話し等をもう少しうかがい、どこかで報告したいと思っています。
もちろん、鉱山そのものの地質についても。
これ以外の小さな鉱山についても、皆で調べて、記録したらいかがでしょうか。これこそ、地元の方でなければできない仕事です。
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そうそう、忘れてました。西ノ牧鉱山は、「南野牧」にあるのです。南野牧の人にとっては、気になる話でしょう。今回、話をお聞きしたかたも、そんな話をしていました。
先日、かぶら文化講座という富岡の公民館行事?で下仁田で地質見学・自然史館見学にいらした方が、鶏冠石の話も出たあと、最後に、「西ノ牧鉱山は南野牧にあるはずですよ。私はそこの出身だから」と、話しかけてくれました。
「えーっ、調べてみます」と答えましたが、地図を見てもよくわかりませんでした。地元に行ったら、確かに、住所は南野牧でした。
地元の人にとっては、少々悔しい話でしょうね。
標本の採集地にはちゃんと、「南野牧」と書ておきますよ。
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