8月ももうすぐ終わり、マスコミでの戦争特集も少なくなってきます。
そんな中、第二次大戦の沖縄戦映像の中でしばしば目にする少女、恐怖に震える少女が誰であったか判明したとのニュースがありました。
あらためて紹介しようかと、思い立ちました。
きっかけは、歴史関連の雑誌を編集している方にお会いする機会があり、そこで、記録することの意味を語られるのをお聞きしたので。
記録に残さねば忘れ去られてしまう・・庶民の記録などはなくなってしまう。
さらに言えば、過ちを忘れれば、人はまた同じ過ちを繰り返す。
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ふと、沖縄戦についての新しい発見のニュースが頭に浮かびました。
沖縄戦で思い浮かぶ3人の子供の姿、
☆ 白旗を持つ少女
☆ 焼き場に立つ少年 原爆の落とされた長崎で、息絶えた弟を背負い、血が出るまで
唇をかみしめ 直立の姿勢で立ち、火葬を待つ少年。
☆ 恐怖に震える幼い少女
白旗の少女は、どなたかが判明していて、本にもなりテレビドラマも作られています。
名乗り出るには長い時間と夫の支えが必要だったといいます。
焼き場に立つ少年は、アメリカから派遣されたカメラマンが自分のカメラで撮影した
写真を長い間・43年間封印していて、その後公開したもの。
核兵器反対の思いを込めて。
ローマ法王がこの写真をカードにし、「戦争が生み出したもの」と書き添えて
配布しているという。 少年本人を見つけることはできていません。
震える少女はまだ誰だかわかっていなかったのですが、今年2019年6月23日の琉球新報に
本人の証言が載ったといいます。生きていらしたのだ。よかった。
当時7歳。8人の家族で生き残ったのは4人だったといいます。
8月18日付けのしんぶん赤旗にも載っていましたので、それを紹介します。
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