2019年9月15日日曜日

あらためて、日本は自然災害の多い国

ふっと気づくと9月も半ば・・・
 月日の過行くのは・・と、嘆くようになってきたのは、年を取ったということか・・
 昔の人も、光陰矢の如し と言っていましたが、そんな高級な感じではなく、
 日常のあわただしさに追われているだけなのが悲しいですね。
 
台風被害、大変ですね
 成田空港で一夜を明かした人が一万三千人!
 この中に、シンガポールからたまたま日本に来ていた夫の親戚関係の人がいた・・
   情報もわからず、何とかならないのかと電話が来たり・・・
 
停電の続く千葉、大変ですね。
 南房総市に住んでいた同級生だった人がいます。焼き物をやっていて家があったのですが、つい最近引っ越していて・・・あの家、どうなったか・・・聞いたら、まだ見に行ってないとか。でも、その地域では家の壊れた人もいるようです。
 
 昨年の北海道での地震でも、何人もの知人があれこれ大変な思いをしていました。
東北の地震でも、すぐ近くまで津波が来ていたという知人の話。
神戸の地震でも、家が壊れるかと思ったという、お世話になった方の体験・・
 話は古くなるが、私の父は終戦に近い1943年に多くの死者をだした鳥取地震にあったし、群馬では1931年の西埼玉地震での揺れも経験している。戦後のカスリン台風による利根川堤防決壊による水害も経験。
それほど多くの人を知っているわけでもない私でも、こんなにも多くの災害経験者がいるーー日本は自然災害の多い国という人がいましたが、本当に実感します。
  温暖化により気候は苛烈になり、台風も勢力を増している。地震は活動期に・・・
  ひしひしと感じるこの頃です。

ところで、日本の機能をマヒさせるのは簡単なんだ、と思った次第。
電気をとめてしまえばいい。
それには送電網を壊すだけで十分。張り巡らされた送電網はそれほど守りが固いわけでもないでしょうから、簡単に壊せるのでは。
 そういえば、福島原発が津波で壊れた後発表された小説「原発ホワイトアウト」では、吹雪く雪の中、高圧送電線の鉄塔をテロリストが破壊、原発は電源を失い、メルトダウン…といった設定がされていました。作者は霞が関の現職キャリア官僚、もちろん実名は伏せて。
 警備の薄い送電網で電気をダウンさせ、原発の1つでも攻撃されれば、日本は立ち行かなくなるのでは。威勢のいいことを言って日本を守れと言っている方々には、少し頭を冷やしていただきたいものです。

 私が幼いころは、こんなにも電気に頼ってはいない生活でした。
ご飯はかまどで、養蚕に使った桑の枝があるので、それが燃料。ですから薪割はしないですみました。お風呂は麦を刈り取った後に残った麦わらでたきました。風呂焚きは子供の仕事。水は井戸から。携帯やスマホどころか、電話なんて無し。ラジオはあったけれど、テレビは無し。クーラーも。それどころか、洗濯機も、冷蔵庫も。コンビニなんて、あるわけない。車もなし。
 若者からは、どうやって生活していたの、と言われそう。でも、戦中を生きた人たちは、間違いなく、こうした中で生活していました。私が幼いころから、こうしたものが次々と家の中に取り込まれてきました。
 炊飯器の出現は、誰よりも早く起きて働いていた主婦の負担を大きく減らしてくれました。洗濯機はたらいに座り込んでの重労働をなくしてくれ、清潔さを保つことに大きく貢献しました。冷蔵庫は食生活を飛躍的に変え、向上してくれました。
そしてどれも、電気がなければ動いてくれないものなのです。

 オール電化が宣伝されたとき、私にはこれはどうしてもいやでした。生活のすべてが電気に頼りすぎる、何かあった時、何もできなくなる、と。一つのものに頼りすぎるのは危険だと。今、その感覚が正しかったと思う。
 昨年の北海道の地震の時、震源の近くに住んでいる知人が言っていました。
「食料は農家だから何とかなる。燃料は木で間に合う。水は沢からとれる。あとは電気だけだな。自分の所で発電できれば、全部自前で生活できるさ。」

 今便利な生活を送れるのは、誰かがそのために働いてくれているから。そのシステムが壊れたら、あっという間に困ってしまう。ずいぶんもろい基盤の上にいることを、自覚せねばいけませんね。

千葉の方々、暑さ・雨と、本当に大変かと思います。
つくづく「命の綱」と思える電気、早く皆の所に届きますように・・

0 件のコメント:

コメントを投稿