2013年9月17日火曜日

山の形 その3 神津牧場

山をよく見ると、様々な形があります。

4. なだらかな地形  神津牧場 
       
 
車で登っていった先に、なだらかな牧場の地形があるのはなぜ?
    日本最初の洋式牧場:濃い牛乳を出すジャージー種の飼育で有名





 地滑りによってできた地形といわれます。過去に繰り返し大規模な地滑りがあったことがわかります。今でも動いている場所があります。

地滑りの末端には、「荒船の風穴」があり、ここからは夏でも2~3℃の冷気が吹き出しています。ちょっと驚き。
風穴の上方にあるヒン岩の貫入岩体に節理がたくさんあり、これが砕けた岩片がたくさん見られます(地質用語は後に解説します)。崩れ落ちた岩のかけらは積み重なり、その岩の塊の隙間に氷の塊ができ、夏でも冷気が吹き出すといわれています。     
         写真は荒船風穴

明治時代、冷蔵庫のない時代、この場所を使って蚕の卵の保存管理を行うようになりました。天然の冷蔵庫というわけです。

おかげで年に1度しかできなかった蚕の飼育が、3回、4回(時には6回)とできるようになり、養蚕業の発展を推し進めました。明治時代の外貨獲得に大きな割を果たした絹の産業に、大きく貢献したわけです。


風穴は各地にあり、風穴を利用した養蚕施設は他の地域にもありますが、荒船の風穴は日本最大の規模であり、この風穴を利用しながら養蚕技術を開発向上させ、またその普及教育を熱心に進めた方々の努力は、絹産業に、また日本の発展に多大な貢献を果たしました。 

ぐんま絹産業遺産群として
世界遺産登録を目指している施設の一つとなっています。    

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私の育った群馬の玉村町も、養蚕が盛んでした。蚕のことを祖父などは「お蚕様(おこさま  と読む)と呼んでいました。ちなみに、子供は『ガキ』でしたね。兄は悪さをすると『このガキ!』と、首根っこをつかまれて、ネズミのごそごそする倉に放り込まれたりしたものです。うまく逃げおおせて、大きなかしぐね(防風用に植えた樫の木)にのぼって「くそじじい!」などと悪態をついたりもしていたものです。

 蚕は5月から始まります。5月2日頃の八十八夜を『八十八夜の別れ霜』と呼びました。霜がおりなくなる頃ということです。このころ霜がおりると,出始めた桑の新芽がダメになり、遅霜として恐れられました。蚕の食べる桑がなくなるわけで、ずいぶん昔のことのようですが,泣く泣く蚕を捨てたことがあったと聞いたことがあります。八十八夜から10日あとを九十九夜とよび、これ以後はもう霜の心配は無いといわれました。

 5月が春蚕(はるご という) 。そのあと 夏蚕(なつご),秋蚕(あきご)、秋の彼岸ころ蚕を繭作りの”まぶし”に移す(「ずあげ」といった)のが晩秋蚕(ばんしゅうさん)。これで4回です。10月上旬に「ずあげ」の晩々秋蚕(ばんばんしゅうさん)というのもあったようですが、これをおこなう家はまれだったようで、私もまったく記憶にありません。作業は晩秋蚕っとダブっておこなうものとのことです。なお、6回というのは、9月下旬から10月にかけての初冬蚕(しょとうご)とよばれるもので、温暖地で実施されたもので生産量も少ないとのことです。

春蚕がいちばん収量が多く、次が秋の晩秋蚕で、他の時期は,だんだんやらなくなってきました。海外の安いシルクも入ってきて、10年ほど前からは玉村町で蚕を飼う家は皆無になりました。

こんなお蚕の作業の間をぬって、麦刈り・田植え・田の草取り,秋にはさらに稲刈り・脱穀などがあり(私が幼い頃はすべて手作業で、田植えシーズンなどは、農繁休暇で学校もお休みになりました)、よくそんなに働いたものだと思ってしまうほどです。
こうして私たちを育ててくれた父母・祖父母・地域の人たちに、今、感謝の思いを感じています。


5 その他

山をつくるもの
 山と言えば富士山・・・富士山は、山が噴火して積み上がった山です。
家からは遠く小さいとはいえ、浅間山がよく見えました。富士山のような端正な形をして、冬には真っ白に輝きます。時折噴火して、灰が降ってきたりしました。音も聞こえたと思います。
 
  下仁田の金剛萱から見た浅間山
ずっと後になり、山は火山から吹き出したものばかりでないのを知りました。
下仁田の山々は、何からできているでしょうか。
自然史館から見える山は何からできている?
 小沢岳・・チャートの山。チャートは深海底に積もったものからできました。
大崩山(おおぐいやま)・・・くりっペの山で断層もよく見え、ジオパークではちょっと有名。砂や泥の地層が見えます。この地層の続きからは、海にすんでいたアンモナイトが出ますから、海に積もった砂や泥がつくった山になります。
隣の山、御岳も同じです。ただし、山の下部、ほたるやま公園から下の方は青岩の石で、結晶片岩の仲間です。これは地下深くで変化した石といいますから,不思議です。
          

下仁田にはたくさんの小さな山があります。石によって山の形に特徴が出てきたりもします。
何からできているか、ちょっと気にしてみるのもいいかも。

 


2 件のコメント:

  1. 和田さん、素晴らしいページを開設していただきありがとうございます。
    私のブログリストに追加させていただきました。
    大変勉強になります。これからも宜しくお願いします。 http://geo-shi.blogspot.jp/

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    1. お読みいただいてありがとうございます。
      下仁田に来てくださった方に、ジオパークの解説をするとき,少しでも役立てたらと思っています。

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