2021年8月28日土曜日

最近の気象 

コロナウイルス蔓延でたいへんのですが、暑いので、お天気の話を少し。

数日前でしたが、空いっぱいに虹がかかりました。


明け方に上がった雨に朝日が差し、西の空いっぱいの虹。
てっぺんから地面近くまでしっかりとアーチを描いて。

夕立のあとに見ることもありましたが、これは東の空にかかります。西の空の虹ってあまり見てないな

虹に願いをかけたら、いいことあるかな。

わずかの時間で消えていった虹でした。
大きすぎて写真に全部おさまらなかったのが残念でした。


 8月は真夏なのに梅雨時のような長雨が続きました。
最近の雨の降り方は、”豪雨”という雰囲気が多く、情緒を感じる間がありません。
今年も西日本は大雨による災害が発生しています。いえ、日本列島のもっと北の方まで大雨です。
広重の版画
 ずっと以前、雨の中を着物姿の女性が小走りで駆け込んで行くような情景だったか、そんなテレビコマーシャルがありました。他にもいくつか雨の情景があったと思います。まるで広重の版画を見るような情緒あふれる雰囲気で心に残りました。
 四季折々の自然の味わいのある日本では、雨にもたくさんの名前を付け、それぞれを味わってきました。
雨の呼び名、たくさんあるといいますが、一体いくつ思い浮かぶか…わずかしか浮かばないわが身が悲しい。
  時雨 小糠雨 小雨 菜種梅雨 五月雨
  穀雨 白雨 氷雨 ・・・
 今どきはネットで調べるとたくさんの名前が出てきます。わあ~、こんなに細やかに雨を味わっていたんだ。
  
 それなのに、最近は雨が災害の元になっていて、線状降水帯、集中豪雨、ゲリラ豪雨といった言葉ばかり。
 そういえば、春と夏も時期がわずかになってきて、そのうち夏と冬だけになってしまうのではと、心配になってきます。

 地球温暖化で気候が変わってきたことは確定、と科学者が言っています。
群馬は養蚕が盛んで、蚕の飼育のため温度管理には気を遣っていました。ぶら下げた棒状温度計をいつも見ていたのです。今80歳代の方が言っていました。「私たちはいつも温度計を見ていたけれど、こんな35℃なんていうことはなかった。30℃超えたら、暑い暑いと言っていたのに」。 厚い藁ぶきの屋根は断熱効果があって、夏に家に入るとひんやりしたものです。冬には、私が子供の頃、つららが下がったものです。今はつららなんてありません。
 植物の育ち方も違います。冬に咲く日本スイセンの仲間は、藁で覆いをしなければ、花の茎が折れてしまい、お正月に飾る花に使えませんでした。今は、野外で普通に咲いています。

 今年の雑草の育ち方は、もう、大変。家の周りはすぐに草の山。
「うちは畑があるから、大変」知り合いが言っていました。雑草退治が、もう、やってられないほど、と。「特に去年からたいへんだよね」。
私も、朝はこの草たちと格闘です。毎年「雑草には負ける」と思っていましたが、今年は特にその気持ちを強く感じています・・・もういいや、とは思うのですが・・・

今年は高温で雨がふって、草の育つ条件がそろっていますね。


田んぼのある道を通ると稲穂が揺れ、ほっとする光景が広がります。
でも、こうなっているのは、誰かが手入れしているから。
道ばたの畔もきれい。農作業を知らない方は、これをあたり前と思うでしょう。でも、これは誰かが暑い中、草刈りをしてくれたおかげです。
 「誰か」って、田んぼの持ち主です。

時たま、稲と雑草が混じった田んぼを見かけます。
田植えまでは共同作業で何とか出来ても、そのあとの管理ができないのでしょう。田んぼは持っているけれど、
暑い中の作業まではできないのでしょう。

 右の写真、道端の草が、茶色く枯れています。除草剤をまいたから。
この田んぼは稲が植わっておらず、田んぼの世話をする人がいないわけです。もし田んぼを放置すれば、草が背丈高くおおい、数年すればやがてガマがはえ、ヤナギが育ってきます。以前、近所でそんな田んぼを見たことがあります。今は田に戻っています、何か手立てを講じたのでしょう。
ですから、そこまで行かないように、それなり何とかやっているわけでしょう。
道は車も通るし、いつまでも生い茂らせておくわけにもいかず、とりあえず除草剤で枯らしたわけでしょう。

かつては少しでも田んぼを増やそうとしてきたわけですが、今、相続した子供たちには、お金にもならず、面倒を見なければならないのが重荷になってしまっているわけです。

 「農業は無償で国土保全をになっている」と言っていた人がいました。なるほど。もしこうした手入れをする人がいなければ、地域はあっという間に草に埋もれます。
原発事故のあった福島を見ればわかります。立ち入り禁止となった地域が草木に埋もれ、家が朽ちていく様子があります。
汚染地域にあった飯館村は、「日本で最も美しい村」連合に加盟して、熱心に農業もやっていた村です。その努力が無にされかねない事態に、その場所で頑張ってきた人達は、どんな思いを抱いたことでしょう。

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夏なので、それほど高くない山で見られる花を少し紹介しましょう。今年はコロナで出かけることもあまりないですね。写真は、8月撮影ですが、今年のでないのが多いです。
ハナイカダが実をつけています
                                 
夏にはやっぱり、ヤマユリですね



モウセンゴケ
この花、何でしょう。
わかる人は花に詳しい人かも。私、草の中からこの花が見えた時、何だろうと、思わずちょっと引っ張ってしまいました。そうしたら、下にはなんと、モウセンゴケの葉っぱが。
  写真がぼけていてすみません。
ウメバチソウ
かわいくていいなあ

イヌタヌキモ
食虫植物で、何やら丸っこいものがついていますが
これが捕虫袋です。減少している植物です。
水辺の植物は埋め立て等が進んで
減少したものが多いですね


キノコは秋と思っている人、いませんか。実はキノコの見られるのは、秋ばかりではありません。ちょっと目を向けてみたらいかが。 こんなキノコもありました。右のは、いくつもの株が大きな輪を描いてならんではえていました。


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 ところで、世はコロナウイルスのまん延で、大変。

 ウイルスの手ごわさ、すぐに変身して、今は感染力を増して、コロナ感染が広がっている。それなのに自宅療養という名の自宅放置・医療放棄が急増。
対策が後手後手で専門家の言うことを聞こうともしないのは、これって、政治の責任、行政の失敗だろうに。
 さらに加えて、暑い! 雨ばかりが続いていたと思ったら、今度はまた暑さがぶり返している。この酷暑のなか、工事等で野外で働く人を見ると、頭がさがる。

 相変わらず、毎日テレビニュースなどを見て情報を得る時間が続く・・・世界を見れば災害や戦災で難民となる人々が大量に生まれている報道には胸が痛む。満足に寝起きする場所もないとは、耐えられない苦しみだろう。
科学技術の進歩で、過酷な労働が減り、食料も物資も豊かになると思ったのに・・・21世紀がはじまったとき、人々はこれからの時代に、豊かで穏やかな日々を夢見て、あれこれ期待を語っていたのだけれど・・
 世界の若者の間に、気候変動への問題視と行動が広がっているとのこと。私たち戦後世代は、地球の資源を食いつぶしてさんざん贅沢をし、ゴミを散らかし放題で逃げ切ったなどと言われかねない。

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 こんな調子で、家で文句を言っているだけではだめなのですが・・・

 私の少し下の世代は、今の生活が当たり前だと思っているのでは。蛇口からは飲める水が出る、スイッチを押せば明かりがつき、ご飯は炊きあがり、お風呂は温かいお湯が満たされる。暑ければクーラーを入れ、冷蔵庫にはいつでも食べ物がたっぷり。なくなればちょっと買いに行けばいい。遠く離れてもいつでも電話で話せ、いえ、今は映像付きでも話ができる。その他まだいろいろ・・・インスタントラーメン、保温のポット・電子レンジ、扇風機・その他その他・・・、こんなの昔からあった?

私が物心ついた頃、この中のいくつがあっただろうか。
実はほとんどありませんでした。登場したころを知っているのです。
 以前子供たちの理科の勉強の時、こんなことをクイズにしたものです。子供たち、びっくりしていたものです。
蛍光灯なんて、はじめて買った時「明るいな」と思ったのを覚えているのですが、それが既になくなろうとしている。製造されなくなっているでしょう。もちろん、白熱電球も。

ずいぶん豊かになった、と思ったら、無料や格安で利用できる子ども食堂が全国にできたり、今では学生から大人まで、無料食糧配布がある。住まいを失った人もたくさんいて、への援助を行っているグループもある。すっかり格差社会になってしまった。

 1950年代から後あたりを、「人新世」と名付けようという話が持ち上がっていますが、そんな時代を生きてきたんだな、と、実感を持って感じます。どうしてこの年代かというと、もちろん人間活動の急速な拡大がありますが、核実験で放射性物物質が地層中に入り込み、はっきり区別しやすいから、ということもあるようです。

ちょっと長くなったので、こんな話はまた後で。

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2021年8月13日金曜日

三国山の植物は・・・

コロナの感染状況は、災害級と専門家が訴えている。

インドで広がったラムダ株は、その感染力の強さで多大な感染者をだし、伝わるンドの状況に戦慄を覚えたほど。多くの死体を焼く光景、呼吸困難に必要な酸素が手に入らず、混乱する様子・・・

 ところが人口当たりの感染者数を見れば、東京はもう、インドと同じ状況だと専門家が警鐘を鳴らしているのに、「あおらないで」などと言って、「大丈夫」と思わせようとばかりしている人たちがいる。そして、政府は何も対策を打たない。腹がたつ。
 身近に感染者を見ることがない、病院のようすなどわからない・・・自分はかからないと思っている人が多数・・・

 そんな状況じゃない、水害だって、数年前には思ってもいなかった事態が、あちらでもこちらでも起こっている・・・災害の少ない時代がしばらく続き、科学技術のおかげで世の中次々”よくなって”、出来ることが増えていくのが当たり前、なんて思っているのは、世の中を見る目が曇っている。

 あまりのことに、一言書かずにはいられない。

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こんな時に花の話をするのも、何だかそぐわないかなあ。

大雨が降っていて、九州や広島、いえ、もっと広く災害が心配される状況。毎年こんな状況、これは地球温暖化の影響としか言いようがない。
かつて氷期が終わった時、北方系の生きものは北方へ逃げるか、山を登るかして生き延び、山に登った植物は高山植物として美しい花を咲かせて、私たちの目も楽しませてくれる。でも、これから気温がどんどん上がったら、しかも、気温上昇のスピードが速すぎるわけで、生きものが環境に身体を合わせて進化する、適応する時間がない・・・
生き延びられない者たちがたくさんでてくるのでは…何とかしてそんなことのならないように・・・ 

自然を見る目を養うと、自分のことしか考えない為政者の姿を見抜く力を養えるかもしれない。コロナに感染しませんように、そして、こんな自然を気持ちよく味わえる世の中になりますように。

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          三国山とその周辺の植物たち

サワグルミ
沢沿いと岩場、草原・低木とガレ場、多雪と強風…植物の育つ場所




*三国峠から登山道を登り始めると、ひんやりした沢の水の流れと大きな木が迎えてくれます。少し登れば水場もあり、冷たい水がのどを潤してくれます。サワグルミやトチノキの大木が見事な森をつくり、水場近くにはカツラの大木も育っています。
(写真は三国山以外で撮ったものもあります)
 

サワグルミ

これらは水の豊かな場所に育つ木々といえます。もう少し正確に言うと、サワグルミは水はたくさんあるけれど水はけのよい場所、沢沿いの岩や礫のある場所に育ち、渓畔林を作ります。トチノキは渓流沿いの肥沃地に育ち、サワグルミと一緒に生えていることが多いものです。水源涵養というとブナ林が有名ですが、こういった林も水を貯える働きがとても大きいものです。冬、大量の雪によってもたらされた水は、これらの林の腐葉土に保たれ、ゆっくりと地下に浸透し、地上に湧き出してきます。天然のダムのはたらきを果たしてくれているのでしょう。

ブナの芽生え 
 水を貯えると言えば、ブナ。ブナ林ではブナの芽生えを見ることもあります。
双葉を開いた芽生えの中に、種のはいっていた殻斗(栗のイガのようなもの)を頭に載せた、まるで帽子をかぶったような芽生えがありました。

山道を登りながら

*三国権現からさらに登り始めると、視界が開け、気持ちの良い光景が広がります。背の低いツツジの仲間などがはえ、お花畑となる草原やチシマザサの原が広がります。岩盤に張り付くように育つツツジは、水にも肥料分にも乏しい環境に育ちます。私たちにとっては周囲が見渡せて気持ちの良い場所ですが、そこに育つ植物にとっては,厳しい環境に生き抜けるものだけが育つ場所となっているようです。

オノエラン 岩陰にひっそりと


*多雪で知られるこの地域、冬には大量の雪に閉ざされます。
雪は斜面をずり落ち、植物の生育に大きな影響を与ます。
この付近は冬の季節風が山を越えるでしょうから、この風も植物たちに大きな影響を与えるでしょう。そういう意味でも大きな木は育つのが難しく思えます。目の前にはササや草原の光景が広がります。
標高1600mほどの三国山は、標高から考えたら山頂に大きな木がはえても不思議はないでしょう。大きな木が育つことのできないわけのある山と言えるのではないでしょうか。


おだやかな山容の三国山ではニッコウキスゲの花が有名でしたが、最近数が減っているそうです。残念ですね。


三国山から北方向に続く平標山(たいらっぴょう)で、低い背丈の草や木の山の姿を見てください。標高は2000mないのに、背の高い木は育っておらず、稜線を伝う登山道が見えます

                         

ササや背の低い植物の草原が続きます。



美しいお花畑もそこここに見られます。










*三国山の山頂付近は石のガレ場が見られます。ガラガラと崩れる割れた岩石片は常に移動し、植物のはえるのを困難にしています。限られた植物たちがところどころに見られます。
平標でも同様な場所がみられます。

ジョウシュウオニアザミでしょうか?
*ジョウシュウオニアザミは三国山付近に分布の限られるアザミ。アザミは地域により様々な変種が見られる植物です。平標山に登るとき見られたのはこのアザミだったでしょうか。三国山でもアザミの姿は見えました。 ジョウシュウオニアザミは「雪蝕裸地植物群落の構成要素」であり、この群落に必ず出現するといいます。(言葉からはすぐに雪崩を連想しますが、「稜線直下で風背地に雪庇がずり落ち、山稜直下をけずり、岩礫崩壊地を局所的につくり・・・」などと言う地形形成の説明文もありました。平標や谷川岳あたりならいかにもありそうですが、三国山の山頂付近のガレ場の形成はどうなのでしょうか

日本海側と太平洋側の植物

*雪の多い日本海側地域には雪国に適応した植物がみられます。日本海要素とよばれます。大雪に適応して背丈が低くなったり、太平洋側の植物と似ているものの少し違っていたりと、いくつかのタイプがあるようです。群馬県では大峰山から草津白根を結ぶ線よりも北側がこの植物の育つ地域になります。ですから、みなかみ町では大峰山付近を境にして、日本海型・太平洋型の両方の植物が見つかります。
 この境は、積雪50㎝以上、あるいは積雪日数100日以上にひかれています。
 ミヤコザサが育つ境目付近をミヤコザサ線とよんでいて、境目は、ほぼこの付近になるそうです。

三国山は日本海型。ていねいに見ていくと、いくつもの日本海型植物が見つかります。三国山周辺に見られるものを少しあげてみます。

スミレサイシン 
春早く咲きだします









ナエバキスミレ  かな?
日本海要素の植物の例
 オオバクロモジ ハイイヌガヤ エゾユズリハ 
 ケナシヤブデマリ  スミレサイシン
 ナエバキスミレ タニウツギ シラネアオイ  サンカヨウ  イワナシ
 オオイワカガミ チシマザサ    
 なお、ブナも太平洋側のものと比べ、葉が大きくなっています                  
エチゴキジムシロ かな?



           

他にもいろいろあるでしょう。日本海型には エチゴキジムシロ オオコメツツジ
  エゾアジサイ  オクノサワフタギ などの名前もあげられています。三国でみられたキジムシロやコメツツジ、サワフタギは日本海型なのでは。確認したいですね。

須藤志成幸さんのまとめた 日本海要素の植物                

いくつかのタイプがあり、たくさんの種類がある
①かつて広く日本に分布していたものが、多雪条件に適応して変種や独立種になった
      日本海側多雪気候に育つ(太平洋型気候に育つ)の順で書きます
 スミレサイシン(ナガバノスミレサイシン) ヒメミヤマカラマツ(ミヤマカラマツ) 
 
タニウツギ(ニシキウツギ)  エゾアジサイ(ヤマアジサイ)  チシマザサ(スズタケ)
 
オクノサワフタギ(サワフタギ) トウギボウシ(オオバギボウシ) オオバキスミレ(キスミレ)
 
ナエバキスミレ(キスミレ)  エチゴキジムシロ(キジムシロ) オオイワカガミ(イワカガミ)
 トリアシショウマ(アカショウマ) イワウチワ(カントウイワウチワ)   その他

エゾアジサイ ブルーが鮮やか

タニウツギ 園芸種かと思うような鮮やかなピンク色
  
トリアシショウマ
      
オオイワカガミ かな・・
    
   



 ②多雪で木が圧伏型になった
 エゾユズリハ(ユズリハ)   ハイイヌガヤ(イヌガヤ)  ミヤマナラ(ミズナラ)
 
オオバクロモジ(クロモジ)  ハイイヌツゲ(イヌツゲ) ケナシヤブデマリ(ヤブデマリ)
 
ツルシキミ(ミヤマシキミ)  マルバマンサク(マンサク)
     など
        

③近畿以西では日本海・太平洋両方に分布するが、東日本では日本海型気候区に限られる
 クロズル アカミノイヌツゲ アクシバ タムシバ  など

④古いタイプの日本固有の植物が、多雪条件で残った…雪は布団のようになって冬の寒さを防いでもくれるので
 シラネアオイ イワナシ サンカヨウ オオバツツジ   など
    オオバツツジは三国峠や清水峠にたくさんあるそうです

*その他 北方系の生き残りとか、いろいろ
   カラスシキミ  ナンブアザミ  コバノフユイチゴ  オニシモツケ  
   ナガハシスミレ モミジカラマツ  ベニサラサドウダン  オオイタドリ

カラスシキミ
コバノフユイチゴ(マルバフユイチゴ)

コバノフユイチゴ(マルバフユイチゴ)
  

コバノフユイチゴはとても美味しいですが、
カラスシキミは有毒です。


一部をあげただけですが、たくさんありますね。
山に行っていつも普通に見ているものが、多雪地の適応種だったのかもしれません。見ていても、写真撮ってないものもあり、写真にあげただけでなく、もっとたくさん目にします。


 
ナガハシスミレ 


  ナガハシスミレは花の後ろの筒が
  長いですね。
  群馬では三国付近にしかないようです




こんな花たちと、いつまでも会いたいですね。
高山植物を取っていく不心得者もいます。努力して環境に適応して生きる場所を確保して生きているわけです。やめてください。
いつまでも、こうしたステキな光景が壊されずにありますように。
長い歴史を、厳しい環境を必死に生き抜いてきたものたちなのです。

2021年8月10日火曜日

上越県境三国山

 ~~~~~~最近の世の中 オリンピックやったけど、本当はそれどころじゃない ~~

コロナ感染者数の急増に、不安が広がります。
病床が足りないからと、入院を制限する、重症者だけ入院で、あとは自宅で、などと政府が言って大問題に。少しコロナがおさまっていた時に、次期感染の備えをするんだよと、専門家もジャーナリストもさんざん言ってきたのに、前と同じことの繰り返し・・・・政府担当者からは、もうやる手がない、などと言う声もあるとか。「これやったらいい」という声は巷にあふれているのだから、少しは耳を傾けなさいよ、です。変なリーダーを持つと、庶民は戦争で殺されたりする・・感染症でも殺される・・・・1年くらい前そんなことを思っていたけれど、現実になってきた恐ろしさ、です。

 家にいることが多いので、ろくろく掃除も整理していなかった家の中の物の整理整頓を始める。暑い暑い夏は、草の繁り方も半端じゃなくて、これも大変。そんなこんなで、いつの間にか時間が過ぎる・・・

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資料の整理をはじめて、こんな「ちょぼっと」しかないのに整理できてないなんて、何やっていたんだ、と思う始末。
そんな中に、新潟との県境付近の三国山の説明を書いた文章がありました。
 紹介しようかと。文字ばかりですが。

 暑い夏、涼しい山に行きたいですね…でも、コロナの猛烈な感染、あちこち出歩くのはお勧めできません。上越県境三国の自然でも、ちょっと学んでみませんか。そして、いつか行ってみませんか。
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 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」 川端康成の「雪国」の冒頭の文は、上越県境の自然を実に視覚的にあざやかに表現しています。高く急峻な山、新潟側の豪雪と群馬のカラカラ天気。かつて田中角栄は、この山を削り取りたいと言ったとか。山によって、水蒸気が雪となって降り、新潟は雪に埋もれ、苦労を強いられるわけですから。
 この県境の山を超えるのは困難なことでした。少しでも低くなだらかなルートをと作られたのが、三国街道だったといいます。古い歴史を持っているようです。細い山道はわずかな物資を運ぶのがやっとだったことでしょう。冬の峠越えは無理。時には雪による遭難事故もありました。
 やがて谷川岳の下を掘ったトンネルで交通網が整備されていきました。いつごろできたのかなと思い、調べてみました。旅をしてネット紹介している「花鳥風月 Visual紀行」というページに、そんな歴史が書かれてありました。

  • 三国街道  奈良時代にはすでに人の往来があったかもしれない、と。山の中をぬって歩く道。みなかみ町では今でもその名残の道を歩いて楽しめます。
    中山道と三国街道を継承したような道が国道17号線となったのが1952年と書かれてありましたが、三国峠は通ることができなかったとか。自動車が通れるようになったのは1957年(昭和32年)、未舗装の道路でした。・・・こんな最近の話だったのか・・・
  • 国鉄上越線 1931年(昭和6年) 谷川岳の下を通るトンネル開通。みなかみから直接越後湯沢に。以後はすべてトンネルを掘ってのこのルート。
  • 上越新幹線 1982年(昭和57年)
  • 関越自動車道 1985年(昭和60年)  

 登山好きの人には魅力ある山々が連なるこの地域は、人々の行き来を困難にしてきた場所でもあったわけです。
最近、群馬県境トレイルが整備されました。山好きの人には魅惑のルートでしょう。山岳地帯の尾根を伝って歩く道…いいだろうなあ…体力ないと無理な道。

 三国山はどうやって山になったか、育つ植物にはどんな特徴があるか、10年ほど前、そんな話を書いたことがありました。この地域で自然ガイドをやっている人に聞かれて書いてみたものでした。
写真があればいいのですが、少ししかありません。当時はあまり写真を撮っていなかったなあ。  

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   三国山の生い立ち
        山はどうやって高くなるの?

そんなことあまり考えたことないでしょうね。

火をふく火山は、火山灰や溶岩が積み重なって高くなるんだろうと思えます。富士山も赤城山も榛名山も火山なので、火山噴出物がたくさん積み重なっています。

では、三国山は?

三国山に登る
三国山はどんな岩石でできている?
*三国山の山頂に登ると、砕けた岩石に敷き詰められたガレ場があり、登りやすいように幅の広い階段がつくられています。砕けた石の表面は白っぽい部分もありますが黒い部分も顔を見せています。たたき合わせると、カンカンと乾いた音がする硬い岩石です。
 この石は泥が固まって硬くなったもので、頁岩(けつがん)とよばれています。本の頁(ページ)のように薄く平らに割れやすいということからこんな名前が付けられたようです(なお、平らに割れやすくなっていない時は泥岩とよばれます)。地層には赤谷層という名前が付けられています。

*表面が白っぽいのは風雨にさらされて 風化したため。風化作用では細かく砕けてもいきます。寒暖の差が激しいと、温度差で岩石が伸びたり縮んだりして砕けやすくなり、さらに割れ目に入りこんだ水は凍って割れ目を広げ、岩は割れていきます。上越国境は豪雪地帯ですから雪による浸食等の影響もさまざまあるでしょう。ガレ場形成にも関係しているのでしょうか?雪・寒さ・さらに山を越える強風により、岩石のガレ場は風化でさらに砕け、下方に動いていきます。(雪の作用で、あの階段は壊れたりしないのでしょうか?)

泥はいつどこで積もった?

*泥は常識的に考えたら水の中に積もります。山の山頂には積もらないでしょう。実はこの山の山頂の岩石は、もともとは海の中に積もったとわかっています。しかも深い海の底。水深200mから2000m。どうしてわかるかというと、有孔虫という小さな生物の化石からわかるのです。水深1500mの海底にすんでいた有孔虫も見つかっているそうです。残念ながら三国山の山頂からは化石は見つかっていないのですが、湯宿温泉の川原の泥岩から有孔虫、カイメン、ウニなどの化石が見つかっています。三国山と湯宿には同じ地層が分布しているのです。三国山の岩石は後から熱などの影響を受けて、化石は消えてしまったようです。岩石が湯宿のものより硬いのは、そんな熱の影響もあると思われます。

*有孔虫からは堆積した時代もわかります。この泥が積もったのは1600万年から1350万年前。海が一番深くなったのは1400万年前。1㎜以下の小さな有孔虫が教えてくれました。ずいぶん昔の話なのでピンときませんが、人類誕生よりだいぶ昔になります。
(学校で教わる古い人類・アウストラロピテクスは150万~400万年前頃、恐竜が滅びたのは6600万年前といわれる)

*じつはこの時代、群馬県は広く海におおわれていたことがわかっています。
*海底火山の活動も活発で、赤谷地域には火山灰などからできた地層もあちこちに見られます。

海はいつから陸に?

*三国山は1646m。単純に考えて、仮に1500mの海底がここまで上昇したとしても、大地は3000m以上隆起していることになります。

山と谷の連なり
三国山の山頂に立った時、自分の足の下は昔深い海の底だったという事実、ちょっとワクワクしませんか。
三国山は大地が隆起してできた山と言えるわけです。

*深い海の底がどんどん隆起し始めたのは400万年ほど前からのようです。地下から大量のマグマが上昇してきていますから、押し上げたということもあるでしょう。
地下深くで固まったマグマは花崗岩の親戚で少し色の濃い石英閃緑岩といった岩石になります。花崗岩の仲間は谷川岳付近にも広く見られます。ところで地下で固まったはずのこの岩石が、今地上に見られるということは、これも大地が上昇したことを物語るわけです。
*三国山は昔は今のように高くはなかったようです。今から100万年より後の時代から急上昇して今のように高くなったようです。
*赤谷地域に陸地が姿を現した後からも大規模な火山活動があり、赤谷の地域にはその時の陸上の火山噴出物も見られます。

今でも上昇しているの?

国道17号線沿いには一等水準点が設けられています。標高を正確に測る場所です。明治時代1894年から測っているというのですから、貴重です。この記録を見ると、赤谷地域は今でも上昇しています。しかも三国山に近づくにつれて上昇の値が大きくなっています。
三国山は今でも上昇しているのです。
(図を参考に。年間㎜単位の見えないほどのわずかな上昇ですが、でも、1年に1mmでも100万年積み重ねたら1000m。馬鹿にできないわけです。

山道を歩くと、道のわきから急斜面の深い谷が見えます。長い間には削れてなだらかにならないかな、などと思ったりしますが、上昇し続けたら、急峻な地形になるのだろうな。









以前に水準点について紹介した時、上グラフで説明しました。以下のページです。

野道  山道: 水準点・三角点を見る

山はさらに上昇し、平野は沈降していく。そんな大地の動き、本当なんだ。

三国山は温かい?

地面を掘ると温度が上がります。平均では100m掘ると3℃上がると言われています。
沼田から山の方に向かうと、この数字が高くなり、温泉のある湯宿(ゆじゅく)では100mで8℃も上昇します。
全体的に三国山脈に近い地域は温度の上がる傾向がみられるということです。温泉のたくさん見られるこの地域は、地面の底で熱を生み出す活動があるのかもしれません。

<まとめ>

三国山はかつて深い海の底に積もった堆積物からできている
堆積物の年代は1600万年前から350万年前
400万年ほど前から上昇をはじめ、その後上昇が激しくなり、今の山ができた
三国地域の上昇は今でも続いている
この地域の地下は、温度が平均より少し高めになっている

年代については多少異論もあるかもしれませんが、大地の動きについて、なんとなくお判りいただけたでしょうか