2015年4月24日金曜日

春の里山 ・春の野道


昨年、種を取ってまいたオキナグサが花をつけました。

昨年、風に舞い散りそうな種を少しいただき、すぐに植木鉢にまきました。
すぐにまくのがコツで、来年の春まで置いておいたら、もう発芽しません。
  右写真のように白い綿毛をまとった種です。これが上品な白髪のようなので、翁(おきな)の名がつきました。

まいたら、たくさん発芽しました。
どの場所なら気に入って育ってもらえるか心配なので、あちこちに植えてみました。
 乾きでダメになり、犬が駆けまわってダメになり・・・でもいくつかは育ちました。
 宿根草ですから、何年も楽しめます。まさか、1年目で花が咲くとは思っていませんでした。
これから先、玉村では暑さに負けてだんだん弱ってくるかもしれないなあ・・・札幌でよく育っていた園芸種のオキナグサ(色が紫でもっと明るい色調)を植えたら、だんだん絶えてしまった経験があるので・・

 オキナグサは、明るい草原に生える植物で、今では絶滅危惧種の仲間入り。人がとってしまうのと、草原という生育環境がなくなってきたため。
富岡市にはもともとはたくさん自生していたようです。でも、今、自然のものはわずかに残るのみ。  手軽に見られる場所・・・南蛇井駅の構内。
 種をちょっといただいて、まいてみませんか。自然のものは下手にいじらないでほしいですが、駅や公園に植えられているものなどならOkかと。
 そろそろ種ができる頃です。
 きっと簡単に育つと思います。夏少し涼しめの、水はけの良いやせ地で。


藤の花とクマバチ

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庭先には藤の花穂が下がっています。
咲き始めたとたん、毎年クマバチがたくさんやってきます。
ぶんぶんと大きな羽音をさせてホバリングしています。大きくて恐ろしげな姿で。でも、まったく危険はないと聞くと、のどかな春から初夏の音に聞こえてきます。藤の甘いかおりとともに楽しんでいます。


里山はもう、初夏さえ感じさせています。春の自然の進みかたは本当に早い。ついこの間まで、銀のうぶ毛に包まれ、柔らかな緑の装いに、山桜の霞のような花が間をうめていたのに。

      かき混ぜてサラダにしたき春の山 
                       朝日新聞の朝日俳壇より

特に有名なコースでなくても、民家の点在する田舎道を歩けば、幸せ気分です。いくつか写真を載せますので、ご参考に。















   道端のニリンソウ 
(上日野にて、:この近くから南に、高くもない山を越えると、世界遺産になった高山社があります )
 少し標高を上げれば、まだ山桜の混じる新緑の山の姿も。晴れた日にこんな林の中を歩くと、本当に気持ちいい。
 里山では、小さなかわいい草花や灌木の花がたくさん見られます。 
  4月24日の山裾です。 群馬県南西部、鮎川沿い(鏑川に合流する川)三波川結晶片岩の分布する地域にて


クサイチゴ


あけび


                                                              
ヒメウツギ
ウマノアシガタ(きんぽうげ)
フデリンドウ
ウワミズザクラ
左も桜の仲間。ウワミズザクラといいます。つぼみを塩漬けにして「あんにんご」、実をお酒に漬けても楽しみます。でもやってみたことなし・・・家のすぐ近くにないものですから。
里山からもう少し高い山まで、花はけっこう見かけますよ。 薄ピンクの山桜の花が散った後に咲いています。

他にもいろいろ咲きます。
春早くのカタクリからはじまって、里山では様々な花たちに出会えます。心やさししくなれそうです。

ウラシマソウ





アマナ















ウラシマソウや
アマナは、今ではめずらしい花になってしまいましたが(この二つは5月になってからの撮影です)、ニリンソウはあちこちで見かける花です。
ある時、ニリンソウを見ていて、ふっと気づきました。
ニリンソウ
「あれ・・花びらの数が違う。いろいろある・・・」

5枚、6枚、7,8,9,10枚 花の数の多いのは5枚。・・・・ところで花びらに見えるのはじつはガクとのこと。本には"5~7個”と書いてあった・・・・・植物を調べるとき、花はいちばん大切な要素だよねえ・・・重要な「花」のつくりが、こんないい加減なことでいいのか?
  などと思ったわけ。
 調べたら、こんなことを言っている人がいました。
「ニリンソウはキンポウゲ科で進化のレベルの低いもの、つまり、古いタイプの植物。DNAのプログラミングがまだ不安定で、プログラムミスで誤差が出てしまう」
  おもしろい話・・・でも本当かな・・
今、植物の分類がDNAを基に、作り直されているそうです。形態を基にした今までのものと、分類がかなり違ってくるのです。今までと違うグループにはいったり、まったく違う分類名ができたり。DNAか・・・ニリンソウのプログラムの話、本当かも。
 下仁田自然学校名誉顧問の里見さんは、さっそく本を買いこんで、見て、「イヤー、大変だよ」.さっそく学習会で紹介していました。
  ネットにも解説がありますから、のぞいてみてもいいかも。
   本当に 「エーッ」です。
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  国土地理院地形図で「名無村」という地名を見つけて、「なんだこれは」と思ったことがありました。鮎川沿いです。以前通りかかったことがありました。良く覚えていないので、せっかくなので行ってみました。  ところで、何と読むと思いますか。「ななむら」だそうです。

住んでいそうな家が5本の指に収まるほど。一番近い集落まで、何キロあるかなあ・・

し下流に奈良山という集落があります。川沿いの道から、上り坂の道ができています。
だいぶ以前、ふらっと通りかかって「どこに行くんだろう?」と登っていったら、集落が・・・びっくりしました。
今回、標高を測ったら、鮎川付近が550m、しばらく登って集落がありますが、その、一番上の家が680m!さらに上に、以前家があったらしい跡もありましたが、そこが700m。ワラビがツンツン芽を伸ばしていました。周囲は山また山。

周囲の山々の中の奈良山
 「牛乳や卵、その他、日々の買い物はどうしているんだろうか」などと思ってしまいました。たしかに、昔は、農村ではヤギを飼い、鶏を飼って生活していたけれど・・こういった場所で、皆さん、頑張って生活してきたんだなあ・・と、感慨に近いものを感じてしまう。わがまま、贅沢なんて、言っていられなかったでしょう。えらいなあ。
(こんなことを書いて先ほど公開したのですが、ちょっと失礼だったかなあ、と・・日本各地、いえ、世界の各地で、様々なところで人は生活しています。その地域を守って生活の糧を得ながら。訪ねた村も、長きにわたり、その場で山の幸を相手に生活してきたはず.その証拠に、よく手入れされた庭木に美しく花の咲く所がたくさんあります。きちんと生活してきた証拠です。現代は若者の仕事のない場所となって、自給自足的な生活はなくなっていて、そこで私たちは「どうやって生活するのか」などと思ってしまう。でも、ずっと長い間、車もない時代、人々はここにきちんと生活してきたわけです。都会の生活基準でものを言うばかりで、ごめんなさい)



こうした山あいの集落、春先はどこへ行っても、花に埋もれています。まるで、桃源郷のよう。
サクラ、ハナモモ、ミツバツツジ、・・・スイセンなどもあふれるよう。きれいに手入れがされているのです。奈良山では、周囲の山々も魅力的です。
今回はこぼれるような花にはほんの少しだけ時期が遅かったかと思いますが、来年、春、ソメイヨシノの咲いた少しあと、こんな山あい・谷あいを訪ねてみませんか。

 三波川結晶片岩の様子も



岩石は平らに割れています。平行な筋もついています。
さすが、結晶片岩、という感じです。


 
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里の野道も紹介します。田んぼの畦です。
「おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」の世界は、雑木林のある里の風景だったでしょう。   春の野道はステキです。

ムラサキサギゴケ



麦の穂がでています。シロツメクサといっしょに


畦にはジシバリの花

















春なのでスミレものせようかとおもったのですが・・
下仁田には、たくさんの種類のスミレがあります。
里見さんが調べてくださったスミレの種類を載せます。
いくつわかりますか・・・私はほんの数種類、それも、図鑑を見ないと、間違うかも・・・




こんなにたくさんのスミレがあるのですね。
春早く咲くものもあります。里に咲くものもあります。香りのするもの、しないものと、いろいろ。
いくつか見わけられるようになったらと、願うのですが。



堤防に咲いていたスミレです。種類名がスミレです。
こちらは鮎川沿い・・えーっと、何スミレかな?





2015年4月19日日曜日

下仁田地質案内18 金剛萱と石器

3万年前 下仁田に人がいた!金剛萱(こんごうがや)の山の上に
      ・・・旧石器時代の局部磨製石斧(きょくぶませいせきふ)の発見・・・・



下仁田自然史館の近くにある金剛萱という山、ここでは約3万年前の旧石器時代の石器が見つかっていました。標高788mの山の山頂から少し下にある畑の跡地で拾ったものです。

下写真は向きを変えて見た金剛萱です。左斜面の少し緩やかになるところで、かつては馬の放牧として利用されたといいます。最近も畑利用したりしました。
(こんな山の上、大変だったろうなあと、思ってしまうのですが・・)

写真と図は下仁田自然学校作成
  「金剛萱に旧石器時代をさぐる」より

昨年11月、この金剛萱での発掘で、3万年前の旧石器時代の石器が発掘されました。埋まった状態でみつかったというのは、重要です。しかもその石器、「局部磨製石斧」という、”特徴ある石器”でした。というわけで、マスコミにも紹介し、新聞にも載せていただきました。

それにしても、あんな山の上のほうに、わざわざ何のために行ったのかなあ・・・
   (下地図の矢印の所です)
下仁田自然史館は標高300mほど、標高700mほどまで行くとしたらけっこうな標高差です。登るコースは右の地図。細い林道をクネクネと車でのぼり、やっとたどりつきます。わだちに車をとられたら・・と不安になる道・・・時々、車の底が何かでゴツン!という時も。作業向きの軽トラなら登れるけれど・・・という作業用林道です。

一般の方は、事故が起きても「自己責任」だし、車の使用はやめた方がよいでしょう。
 道は杉林の中を通り、ハイキングにはそれほど魅力的とはいえないかも・・・でも、上まで行くと、すてきな眺望があります。また、たくさんの種類の火山灰が整然と積み重なっている(関東地方屈指の場所かも)赤土の崖があります。おまけに、3万年前の人類の気配が・・・
 ジオサイトの価値があるということで、下仁田町では、この道のデコボコを補修してくれています。ありがたい話です。登山道としては整備されていなくて、山頂近くでは道もついていませんが、見たらわかる場所で、迷うようなことはないと思います。
4月に行ったとき、ちょうど、案内標識を手作りされた地元の方々が、その設置に来られていました


 
 日本の旧石器時代の遺跡は1万ヶ所ほど(?)あるそうですが、「局部磨製石器」は800個ほどしか見つかっていないとのこと。こう聞くと、「それって何?」と聞いてみたくなるのが、野次馬根性。  
 思いおこすのは、
「旧石器時代は打製石器で、新石器時代は磨製石器」などというステレオタイプの昔の記憶。ですから、旧石器時代に「磨製石器」?などと、単純に思ったりもしたわけです。

 山頂近くまで登れば、浅間山(左写真)妙義山(右写真)も、さらに目を転じれば榛名山や赤城山、高崎方面や、前橋の群馬県庁も見えてきます。






火山灰の層がたくさんみつかる赤土の崖

  ここからもう少し登って、狭いやせた尾根すじを少し歩き、山頂に登ると、さらに良い眺望。登ったのに、カメラを持って行かなかった・・(今ごろ強く反省・・)。
 今年4月12日、山頂付近の岩肌はミツバツツジの紫に彩られ、まだ葉のない木々の間からは山々がさらによく見え、二つのコブのような鹿岳も存在感たっぷり、さらに今まで見えなかった方向の景色もひろがります。
「あれは稲含山?下の集落は桑本かな。造成地のような広がりは何?・・・青倉の石灰岩を掘った場所なんだって」などなど。

 この場所ではもう何年も調査が続けられてきました。2008年から、下仁田自然学校関係者で結成された金剛萱研究グループによるものです

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発掘風景 2014年11月






発掘体験希望者は参加することができます。少々泥だらけになりますが。

発掘された貴重品、局部磨製石器は13.7cmの石斧の破片です。先端はツヤツヤと磨かれ、拡大すると、岩石の組織がくっきりと見えていました。御荷鉾緑色岩を使った石器でした。上写真の真ん中付近、白く丸い入れ物のわきにある小さな白い棒のように写っているのが石器です。拡大写真は、研究グループの発表物で見てください。

 あとから調べたら、下仁田の高速道路インター建設時に見つかった鎌田遺跡の発掘品の中にも局部磨製石器があったそうです。長野県の野尻湖周辺からはこの石器が200個ほども見つかっているそうで,
野尻湖発掘を長く担当している方が金剛萱にかかわってくださっていることも、すぐにこの石器に気づくことにつながったことと思えます。

何に使ったの?
ウーン・・ 木材伐採?動物の狩?両方?・・・決着ついてないそうです。
「あのー、木を切るには、何だか小さいように見えるんですけど」・・石器は破片だということ、それから、小さくなるまで修理しながら使っていたということも・・・木をきるというと、金太郎のかついだマサカリのようなものを 思い浮かべてしまうけど、ナイフのような使い方だってあるよね
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 この石器がみつかるところでは、通常、大規模な遺跡が多いそうです。石器が円形に集まって見つかったりもするとか。そこは多くの人が集まった場所なのでは。でも、あんな山の上・・・と、現代の私たちは思ってしまいます。「登るだけでも大変だよ」と言ったら、地元の中年の方「あんな所、子供の時なんかよく登ったよ。南側から登るんさ」と。現代人でも苦もなく登るということは、昔の人なら、もっと何でもない話かも。
 私たちが山間部を移動するときは沢沿いをつかいますが、昔は案外尾根すじを移動ルートにしていたかも、という人もいました。周囲が見通せて道は間違わないし、道路がついていなければ、沢沿いは案外歩きにくいし、と。
 はて、昔の人はなぜこんな山の上にやってきたのでしょうか


どうして3万年前とわかったの?・・・
このタイプの石器は、3.8万~2.9万年に見つかるとのこと。その後姿を消してしまいます。
でも、どうして年代がわかるの?
放射性同位元素を使って・・とかいった話はここでは置いておき、スコップと草かき鎌、移植ゴテだけしかない現場で、どうしてすぐに3万年前とわかっていたかを、説明します

 じつは、発掘場所には約3万年前に降り積もった火山灰AT(姶良丹沢火山灰)が顔を出しているのです。時折さし込む日光に、小さな粒がキラキラと輝くAT。日本列島に広く降り積もっていて、考古学にとても役立つ、有名な火山灰なのです。キラキラ光るのは、この火山灰にたくさんのガラスのかけらが含まれているから。とても特徴的です。でも、なれないと、日差しでキラキラしてくれないと、判別は難しいかも。噴出源は、なんと鹿児島。桜島のある、鹿児島のあの大きな湾です。大爆発で地下がカラになって陥没したのだとか。
 
 というわけで、この火山灰のすぐ下から出てきた石器は、年代がすぐに推定できたわけなのです


金剛萱に降り積もっている火山灰はどこから来たか  「金剛萱に 旧石器時代をさぐる」より 

顕微鏡で見た火山ガラス 、
プーとふくれたガラスが粉々になったような感じ

ボールペンの先が、地面の中のAT.

 
この場所は、下仁田自然学校に集う研究グループによって見つけ出されました。
最初は、関東山地団体研究グループが、火山灰の大きな崖があるのを発見し、関東火山灰研究グループに知らせました。下仁田自然学校の事務局長の小林さんは、この火山灰グループのメンバー。火山灰の調査をはじめたら、何と、耕作をやめた畑に、旧石器が転がっていたというわけ。そこで、「金剛萱研究グループ」を立ち上げて、毎年調査を続けてきたというわけです。みんなの連携のおかげで今があるというわけです。
 
 
 

3万年前・・・それって、人の歴史のなかで、どんな時代?

日本に人が住み始めたのはいつか・・・少なくとも、4万年前に住んでいたのは確実。
長野県野尻湖周辺でナウマン象を狩っていた人たちは4.8万年~3.3万年前と紹介されています。
3万年は日本のヒトの歴史の中では、けっこう古い時代にあたりそうです。

 では、北京原人は?ネアンデルタール人は?エジプト文明は?・・とか、どこかで聞いた人類の話が頭に浮かびます。
エジプト文明は紀元前3000年頃からはじまったということで、今から5000年前からになります。3万年とは桁がひとけたも新しい。
群馬にたくさんある古墳は、今からおよそ1,700年~1,300年まえころつくられたもの。
3万年前とは2万8,000年以上の年代の隔たりがあるわけです。
     こうしてみると、3万年って、古いなあ・・・・・

 ちなみに、北京原人とかネアンデルタール人は、現代人とは少し違った種類の人類で、北京原人が生きていたのは50万年とか70万年まえとかいう(正しい年代、よく知らないものですから)はるか古い時代。ネアンデルタール人は2万数千年前に絶滅した人類だけれど、現代の人類と混血していたとか。(今地球上にいる人類は、生物学的には1種類だけ、ホモ・サピエンスだけ。でも、昔はもっと、いろいろな種類の”人類”がいた。)
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局部磨製石器が最初に見つかったのは、群馬の東にある岩宿遺跡、1947年のこと。岩宿遺跡といえば、「日本には旧石器時代に人はすんでいなかった」といわれていたのに、それをひっくりかえした画期的な場所です。
 約3万年前、群馬にひとが 住み始めた頃、群馬の東には岩宿遺跡が、西には金剛萱の遺跡が・・・この人々は同じ時代に生きていたのだろうか、人々の交流は
あったのだろうかなどと、楽しい想像も浮かんできます。
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金剛萱についてまとめた冊子ができています。本の題名は
下仁田自然学校文庫8 金剛萱に旧石器時代を探る・金剛萱遺跡と下仁田ローム層」。1250円です。
この本が完成したちょうどそのとき、ここで紹介した局部磨製石器が発見されました。ですから、
この本にはこの石器については書かれてありませんが、そのほかのことはこまかく書かれてあります。

なお、このブログでも、火山灰についてなど 、載せてあります。
 降り積もった火山灰 その1
http://geoharumi.blogspot.jp/2014/03/blog-post_23.html

 

2015年4月8日水曜日

重い石 磁石にくっつく石 

かんらん岩や蛇紋岩といった、黒っぽい石の話をしてきました。
こんな石は、少し「重い」感じのする石です。持った時、大きさの割にずっしりと感じたりするときもあります。でも、「そうかなあ・・・・・」という気もします。何といっても、大きければ重たいわけで、普通に持っても、重いか軽いかなんて、よくわからない。たくさんの石に触れている人ならわかるかもしれないけれど・・・
そこで、今回は、この「重さ」について書いてみます。

<石の重さくらべ>

下仁田自然史館の展示をちょっと紹介します。
下仁田には、明らかに「重たい」石ころがあります。手で持って、誰でも納得する「重さ」です。
それは、中小坂鉄山(なかおさかてつざん)で拾った「磁鉄鉱」の鉱石の塊です。鉄の含有率、何と70~80%(重量比)とか。ずいぶんたっぷりと鉄が入っています。
   ほぼ同じ体積の石で重さ比べをしてみます。

  閃緑岩(利根川で ひろったもの)                       磁鉄鉱の鉱石(中小坂鉄山)
体積は
どちらも
約100cm

この測定からは
1cmの重さは
 
閃緑岩………
    約3g
磁鉄鉱鉱石…
    約5g

ちなみに
    1g
鉄は 7.85g
磁鉄鉱
    5.17g

はかりにのせた磁鉄鉱の鉱石は,手に持っても、小さい割には重たく感じます。
それでは、ほかの岩石は・・・ちゃんと調べられています。
マグマが冷えてできた岩石(火成岩)では 黒っぽいものほど重いと言われます。色の白っぽいものから順に、いくつか数字をあげます。1cmの重さです。密度といいます。(単位をつけない時は、比重とも呼んでいます)
 
 花崗岩  1.74~2.80 g/cm3                         
 閃緑岩  2.7~3.0       カンラン岩は数字が大きい、つまり、重い・・
   ハンレイ岩  2.8~3.1
 カンラン岩  3.3~3.58      下仁田の黒内山のカンラン岩も調べてみたくなります。
                測った結果は 3.4g/cm3  
  蛇紋岩  2.68程度          ちゃんと本にあった数値あてはまっていました。                  
 
 かんらん岩から変化してできたという蛇紋岩、どうして軽いのか?
   答は・・・・・水が加わってできるので、軽くなります。
     水は石と較べたら軽いですよね。1cmは1gですから。

 
ところで、こんな時、石の体積をどうやって測るかご存知でしょうか。
じつはとても簡単。石の密度なんて、家にある道具で自分で測れる!!

必要なのは石の重さと体積
 重さ・・・台所にあるはかりで計れます
 体積・・・これも、台所のはかりがあればOK

      左写真のように、水を入れた容器(なんでもいい)を
      はかりに乗せ、その水の中に、糸でつるした石を
      いれます。これだけ。


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どうして体積が計れるって?ちょっと解説
問に答えてみませんか(学校の勉強みたい・・・たしかに・・・小学校や中学校で浮力や密度、力の勉強をするとき、こうやって教えたりもしました。
           小学生の気分もいいかな、という方は、ちょっと読んでみてもいいかも。
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水の入った容器をはかりに乗せたら、400gでした
 
問1
今度は左図のように、糸でつるした石を水に入れたら、はかりの読みは、どうなるでしょうか。
   ①400gより少ない
   ②400g
   ③400gより多い          答えは③  当たりましたか
 


問2
左図のように、水入り容器が400g、石の重さが205g
石を水に入れたら、上皿ばかりは460gになりました。
バネばかりにぶら下げていたら、?は何gになるでしょう

                                  答は、145gです
水に入れると、軽くなるということは、体験的に知っているかと思います。ですからきっと、205gより軽くなる・・・この軽くなった分が、浮力。
押しのけた水のぶんだけ軽くなります。60g軽くなったということは、水60g分、水は1cm3が1gなので、体積は60cm3。減った60gは台ばかりが支えています。(ちなみに、油に入れたら、60g軽くはなりません。もっと少ない値・・・このあたりになると、テストなら、できない子がふえるだろうなあ・・・・・すっかり学校のペースの話になってしまいました・・・

こんなわけで、はかり1つで体積を知ることができるという話でした。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
下仁田のかんらん岩の密度を測ったとき
  ・水の入った容器をのせたら、400gでした。  
  ・糸につるした石を水の中に入れたら、はかりの読みは460gでした。
  ・石の体積は60cm3  石の重さは205gだったので、 205÷60で、約3.4
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自分の手でやってみるって、大切なことではないでしょうか。ネットでしらべるばかりでなく

水で満杯にした入れ物にポチャンと石を入れて、こぼれた水の量を調べても、体積を知ることはできますが、家庭には普通、正確に体積を量れるメスシリンダーみたいな物はないし、それに、水は表面張力で容器の表面がふくれたりして、誤差が多くなると思う・・・

(おまけ:この話、アルキメデスが金に銀が混じっているのではというのを解明するために、お風呂に入って、水があふれたことから、密度測定に気づいた、という、ちょっと知られた話があります。)

<磁石にくっつく石>

石の区別をするとき、磁石にくっつくかどうかも役に立ちます。磁鉄鉱が出てきたので、その話もしましょう。

磁石にくっつく石(鉱物)の磁鉄鉱は、クギなどの鉄もくっつけると思っている方もいると思いますが、ちょっと違います。普通はクギはくっつきません。黒板や冷蔵庫にぺたんとくっつけるマグネット(磁石)ならくっつきますが。
時々、磁鉄鉱が天然磁石になり、鉄くぎやゼムクリップをくっつけます。
                  詳しくは http://geoharumi.blogspot.jp/2013/12/blog-post_4.html

岩石に、磁石にくっつく鉱物(磁性鉱物)が入っていると磁石に反応するわけですが、昔は中小坂鉄山の磁鉄鉱のように、相当たくさんの量の磁性鉱物が入っていなければ、磁石にくっつくことはありませんでした。(磁性鉱物の一番ポピュラーなのが磁鉄鉱です)

ところが最近、強力磁石が登場し、今まで磁石にくっつかなかった石まで、強力磁石に反応する、くっつくようになりました。たとえば、安山岩や玄武岩が強力磁石になら、強くくっつくのです(普通にそこらにある磁石では、くっつきません)。
マグマが冷えてできた火成岩の多くがネオジム磁石のような強力磁石にペタッとくっつくのです。石の中に磁鉄鉱などが含まれているから・・と思っているのですけど.・・(どんな場合なら磁石に反応するか、詳しくは知らないものですから)。ただし火成岩でも、色の白い流紋岩や花崗岩では、反応が弱かったりします。
 
下の写真の黒い石、みんな同じに見えるけど、じつは違う・・・3種類ある
            どれも私の家の近くの利根川の川原に一緒に転がっている石です
   どうやって見わけようか?・・・・これに磁石を使います
 
 下や右の写真では紐の先にぶら下がているドーナツ型のネオジム磁石が玄武岩に引き寄せられてくっついています
磁石を近づけると、猛烈な勢いでペッタッと吸い寄せられてくっくのです



我が家の近くを流れる利根川で黒い石を拾ってくると、見かけはそっくりなのに、まったくピクリとも反応しないものもあります
   
泥岩起源の石らしい


そういえば、石器を調べるとき、石の材質を判断するために、この磁石で、火成岩かどうかをまず判断したりしているのを見たこともあります。なるほどなあ・・

ところが、同じような黒い石で、紐にぶら下げた磁石を近づけると、少しだけ反応し、弱く引き寄せられる石もあるのです。「これは一体どういうこと?・・・・」。

これはどうやら緑色岩らしい・・・同じような見かけの真っ黒な石なんですけどね。磁石を近づけると、弱く引き寄せられて、くっつきます

もともとは玄武岩などの石が、その後の変化を受けて変わってきた石です。その過程で磁鉄鉱などが無くなるというわけか・・・あるいは、磁鉄鉱のN極の向きがバラバラになるとか・・

昔ながらの棒磁石を思い浮かべて想像するとわかるのですが、磁石がみんなピッとそろって同じ方向を向いていれば磁力は強くなりますが、あっちこっち向いていては、力を弱めるばかりのはず(力を合わせると強い)。火成岩は冷えるとき、キュリー温度(これ以上では磁性が失われる温度)を通過しますが、この温度の時、地球の磁場が岩石中の磁鉄鉱に記録されて、すべての磁鉄鉱の磁性が同じ方向になるといいます。N極の方向が同じになるというわけ。その後、磁石の方向バラバラになってくれば、磁石の力も弱まるわけでしょう。
詳細は知りませんが、こんなことも考慮の中に入るかと。

  (ちょっとおまけ:キュリー温度を見つけたのはジョリオ・キュリー。ラジウム、ポロニウムを見つけ、放射線学を切り開いたキュリー夫人の夫です)

 それにしても、岩石が変化して性質が変わっていくことまで考慮せねばならないとは、自然はひとすじ縄ではいかない・・・・でも、原理を知っていると、いろいろ考えられますよね。
どれも利根川の河原に転がっていた見かけのそっくりな石ですが、磁石がないと見分けの難しい石でした。岩石薄片をつくって顕微鏡で見ればもちろん違いはわかるでしょうが、それは大変な作業と時間のかかる話です。


下仁田自然史館に磁石のぶら下がった所がありますから、どの石が磁石にくっつくか、確かめてみてもいいですね。
とにかく、この調べかた、反応がすぐわかるので、やっていて楽しい!

(緑色岩・・・石も名前もわかりにくいなあ・・・。下仁田の青岩の石(御荷鉾緑色岩類)も輝緑凝灰岩(今では緑色岩とよばれる)なども、緑色岩といわれますから。石のでき方が共通しているということです。見た目はずいぶん違ったりすることもありますが・・)
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春爛漫・・・次々とたくさんの花が咲き始めています。

紹介なんかしきれない。

部屋の中の花瓶の花、何でしょうか。
畑に咲いていて、もうほとんど終わりかけています。

ブロッコリーの花です。きれいな花はいくらでもあるけれど、こんな花にも目をとめていただけたらと思います。

桜に続く様々な花・花・花・・・見ないうちに、花が終わってしまう!!  
毎年、こんなことを言っているなあ・・・

吹きも美しい

←雑木林のコナラも

    庭さきの柿の芽も
          → 

美しい花は、写真ではなく実物で見てくださいね。 

2015年4月5日日曜日

下仁田地質案内17 馬山鉱山

下仁田地域の小さい鉱山   馬山(まやま)鉱山

下仁田地域は地質が複雑なだけあって、さまざまな小さな鉱山があったようです。
鉱山で採掘したものは、石灰、鉄、マンガン・・鉱物として有名な鶏冠石は花火などに使っていたと聞きました(ヒ素を含む鉱物です)・・・他に、砥石や石材、骨材利用など、さまざまなものが堀り取られてきました。

こうなるといろいろ噂が出てきて、「あそこでは金を掘ってみた」とか、ウソか本当かわからない話題も耳に入ってきます。

鉱山と言っても、どれも今は採掘していませんが、そんな一つ、馬山鉱山に立ち寄りました。
蒔田(まいた)の集落を通る道をしばらく進み、大きくカーブする道の端に、草に覆われた空き地と、その奥に崩された崖が見えます(右写真ですが、逆光でよくわからない写真で、すみません)。道端には「馬山鉱山」の古いプレートと、立ち入り禁止のためのチェーンが張られていました(うっかりして、写真撮ってこなかった)。

場所は下図の真ん中上の方の小さな黄色丸です。蒔田不動からそれほど遠くない位置。
蒔田不動はクリッペの上にありますが(③のマークのたくさんある薄茶色部分はクリッペ地域をあらわします)、この鉱山は三波川結晶片岩地域にあります。










「昔遊んだよ」という地元の方もいました。「何掘ってたの?」ときいても、子供時代のこと、そんなことは知らないわけです。

崖まで行くと、濃緑がかった黒っぽい石で、一部はツルツルしていて、全体に圧砕された感じ。断層らしいところは時に強く圧砕されて、平らにつぶれて粉々です。
「緑色岩、いや、蛇紋岩なのかな・・」などとながめていました。

 


を拾って帰ろうかと思ったのですが、向かい側の畑でトラクターを動かしているお年寄りが、作業を終えそうな雰囲気。ちょっと待って、話を聞いてみよう、と。
この鉱山のすぐ脇には、家が1軒あります。もしこの家の人なら、きっといろいろご存知だろう、と思ったわけです。

「お仕事中お忙しいところ、すみません。下仁田で地質を見たりしている者です。下仁田ジオパークというのにもかかわっているのですけど、この鉱山のこと、もしご存知でしたら、お聞きしてもよろしいでしょうか」「ああ、いいよ」













聞いてみたら、なんとまあ、この方、この鉱山を掘り始めた人で、ここでずっと働いていた方でした。
「東京オリンピックの年にはじめた。○○歳だったよ。平成17年までやっていた。年がわかっちゃうねえ。」
かなりのお年とわかります。でもとてもお元気に見えました。
「何掘っていたんですか?」「タルクだよ。タルク、知ってる?」「ええ。蝋石(ろうせき)とか・・」そう言いながらも、タルク(滑石)はずっと白い石のイメージで、この蛇紋岩のような石がさらに変質した石だったんじゃなかったっけ・・・私くらいの年の者は、ろう石で、コンクリートの上に絵をかいたりして遊んだので、記憶にあるわけです。最も軟らかい鉱物の一つとして、モース硬度計の1になっていると教わったり。
 ここの石は掘り取って、安中などの工場に運んで、細かな粉にしたとのこと。粉にしたら、スベスベしたパウダーで、白くみえて、滑石と同じ用途に使ったのかな

「タルクって、何に使ったんですか?」「農薬。」・・・「農薬??・・・」「農薬に混ぜて量を増やして、それをまいた。今なら水で薄めてまくけれど、これは粉でまいた。水と同じ役割さ」
「何の作物に使ったのですか?」「ウーン、稲だな。それから、今はそんなことしないけど、タイヤとかゴムの間に打ち粉してまぶした」・・・・そういえば、ゴムがくっついてしまわないようにと、何やら白い粉がくっついていたことがあったような気もする。

「タルクって、もっと白いイメージがあるんですけど」
「山のあっち、秋畑にもほっていたところあって、そこのは白いけど、かるくてフワフワして、舞ってしまうから、農薬には向いてなかった。ここのは蛇紋(蛇紋岩のこと)で重いから沈んで、こっちの方が良かった。」
なるほど、蛇紋岩などの石は比重が大きくて、ずっしり重い。粉も重いというわけか。細かな粉にしたのでけっこう白く見えたのかな。製品は、”タルク”で通用したのかな
  (秋畑の位置は、最初の地質図の右方に黄色に、”秋畑”と書いてあります)

鉱山をはじめるにあたり、電気を引いて、自分もここに住み着き、働いたそうです。いちばん人がいたときは15人働いていたとのこと。
表面は火薬で崩したけれど、あとはユンボで。5台あったそうです。
ダンプなら荷台が斜めになるので、下ろすのが楽になるけれど、最初の頃はダンプはなく、普通の平らな荷台のトラック。ベルトコンベアーで石を載せたりもした。
昭和45年にパワーショベル(ユンボのことですよね・・)を導入、鉱石を積むのにも使った。その前はブルトーザーしかなかった。

「もう、全部掘っちゃったんですか? もっとも、お金儲からなければ、やれませんものね」
「ウーン、だいいち、働くものがいないよ。一人じゃできないからね」
鉱山でそれなり生活が成り立っていたのでしょう。

こんな話をスラスラとしてくださった。まだまだ何か話が出てきそう。使った道具など見せてもらえるかもしれない・・「また何かお聞かせいただくかもしれませんけど」「うん、来なよ」

経験者に、いろいろお話し聞かせていただいて、記録を取っておくのも、いいなあ・・。
きっと高齢になっていらっしゃるでしょうし、今のうちにお聞きしないと・・・

←蒔田の道わきの斜面では、日差しを浴びて、
アズマイチゲが咲き誇っていました。
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 この鉱山をはじめた東京オリンピックの頃といえば、水田に農薬が使われるようになり、それによって魚がたくさん浮き上がっていたのを思い出します。
 学校帰りのあぜ道、道路わきの用水路から大きな魚が何匹も道に放りあげられていたことがありました。見たこともなかったような大きなナマズでした。それが何匹も何匹も。
白い腹を見せた魚たちの死骸が目に焼き付いた時代。ナマズは水田に産卵にきたりしたようですから、そんなナマズだったのかもしれんません。
 幼い頃、自転車の荷台に乗せてもらって夕暮れの道を通ったとき、道脇の水路にホタルが光っていたのが思い浮かびます。捕まえてきて、蚊帳の中に入れたこともありました。それも農薬をまくようになって、ぴたっといなくなったようです。
今「蚊帳(かや)」何だかわからない人も多いかも。 私の住む玉村町では家のまわりに堀を巡らした大きな農家がありましたが、そのお宅では堀にウナギがすみつくので、堀さらいをした時捕まえ、男の人たちは町の料理屋に売り、それでお酒を買い込んで一杯やって楽しんだりしていたそうです。他の魚は捕まえて焼いてから煮付け、食べたとのこと。農薬をまくようになったら、ウナギたちはいなくなったそうです。
 かつては地域の池の堀さらいでも、最後はウナギなど捕まえて食べた話を聞きました。
農薬は重労働を軽減してくれたのですが、その使用で子供の遊び相手でもあった用水路の小魚や昆虫たちは死に、さらに用水路のコンクリート化で、すっかり姿を消してしまいました。今は魚毒性の弱い農薬になっていますが、そんなわけで、水路の魚は目にしません。
田んぼや水路に、水辺に生き物の姿がたくさんみられること、それを素直に喜びたいとおもいます。
 こんな時代の変遷も、思い浮かんできた日になりました。

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←ザゼンソウ

3月後半の下仁田では、ザゼンソウの花が咲きます。
この花は寒冷地では普通に見られますが、太平洋側で標高の高くない場所ではまれです。
大切にせねば。


   ミヤマキケマンの黄色い花
         あちこちで見られます。


 

沢沿いにはダンコウバイの黄色いボンボン。 少し地味ですが赤っぽいフサザクラの花も。


房の下がるキブシの花は、独特の形で、誰でもすぐに覚えられます。

これらの花が終わりを迎え、岩肌にはツツジの仲間が華やかに咲きはじめています。

野外に出るのが楽しくなる季節がはじまりました。
うれしいですね。