2020年12月22日火曜日

今年も終わり よい年を迎えたいものですが

今年も終わります。ニュース解説を、毎日見て過ごしていた気がします。

  誰もが同じことを言っているわけですが、コロナで始まりコロナで終わった年でした。
これからどうなるか、予想がつかない・・・
 自然は忖度(この言葉は知っていても、漢字は知りませんでした)してくれない、ということをわかっていない人がトップに立つ怖さ。自然は人事で支配なんてできませんから。自然の法則にしたがう、科学の世界ですから。。
トランプ政権を見て、リーダーによって戦争で殺されることがあるばかりでなく、こうした時にも、死ななくていい人が死ぬ、と思っていたのですが、日本も同じになるかも、と思うこの頃。

 ところで先日、玉村町では夜に空から轟音。少しの間をあけて2度も。行きと帰り?その数日前に、すぐ頭上をオスプレイが飛んでいた、写真をとればきっと撮れたとも聞いていました。飛ぶのは夜9時までと決めていたのに、その後押し切られてなのか、もっと遅くまで飛んでいるとか。12月18日の昼間には5機・・この日は別の場所の屋内にいたので、わかりませんでした。みなかみ町上空がオスプレイの飛ぶルートとして発表されていたのはいつだったっけ。ルートはどこまで広がっているのだろうか。

 緊急のコロナ対策は後手後手で、専門家の言うことを聞こうともしない、必要なことをしていないのに、防衛関係はせっせとしかも多額の予算をつけて…と思ったものです。とにかく、憂鬱なことが多い日々。

~~~~~~~~~~~~~~~

年末でもあり ここではもっといい話を。
毎年手作りカレンダーをいただいています。

いつもお地蔵さまがやさしいですね。         絵手紙 小林生子さん




 東北の大震災の時、お地蔵様の入った絵手紙をたくさん書いて持って行って、皆さんに手渡したとのこと。その後もずっとお付き合いが続いているわけです。
 オリンピックのためと早くに日本に来て、前橋でトレーニングを始めた南スーダンの陸上選手のことをご存知でしょうか。大量虐殺のあったスーダン、そこからやってきた若者たちに、”頑張って”と毎月絵手紙を送ったり(絵手紙教室の生徒たち)…コロナのためにオリンピック延期、今も前橋に留まる選手たちは、どんな思いでしょうか。
 いつも、絵手紙でまわりを明るく豊かにしていただいて、ありがとう。

 遠くには行かなくても、歩いたり自転車に乗ったりすると、車とは違った速度で見えてくるものがあります。絵手紙をみていると、そうした目も感じてきます。
冬咲きクレマチス

   クリスマスも近いですね。
   今年はお祭り騒ぎはダメ。
   いえ、職を失った人、住む家もない人も増えて
   いる 年の暮れ。
   今年を何とか乗りきらねばという人がたくさん
   出てきていると、ニュースも伝えています。

  我が家では、2年ほど前に買った
  「冬咲きクレマチス」が、
   絡まったツルからベルのような花を下げて、
   揺れています。
  何の手入れもしなくても、たくさん咲いてくれます。
           花を愛でるのはいいですね。

ブドウ果樹園



~~~~~~~~~~~~~~~

 ゆっくり近所をみれば、世の中の変化を感じるもの、ありました。

巨峰(ブドウ)の果樹園

 




太陽光発電パネルは、ずいぶん目立つようになりました。空き地利用が多いですが、農業をやりながら太陽光発電という施設も、身近に目につきます。

 ブドウ巨峰の果樹園です。ぶどう棚の上に何やら板のようなものが…これ、太陽光パネル。
発電とブドウの収穫を狙っています。欲張り? いえ、大丈夫なのだそうです。
利根川のすぐ近く、伊勢崎市西部です。ずいぶん昔のことですが、川が流れていて、川の礫がごろごろ埋まっていて、水はけがよく、果樹の生育に適している土地柄です。


左写真、ここは広い畑。

中に育ってるのがよくわかりませんでした。何だか、アシタバのように見えましたが、
お店で見かけないから、違うんだろうな。

玉村町から北方向に利根川を渡ってすぐの所。伊勢崎市かな?玉村町かな?





右も伊勢崎市の西の端。伊佐玉大橋を渡ってすぐ。パネルの下では、冬の季節で何も育っていなかったので、何を作っていたのかわからないなあ。


烏川の近くにも同じような施設があって、カボチャが植わっていたのを見ました。


 1年ほど前、自然エネルギー利用を訴えて全国で講演している方のお話を聞いたことがありました。金融機関で働いている方、城南信用金庫の吉原毅さん。原発セロ・自然エネルギー推進連名会長として活躍されています。「原発ゼロで日本経済は再生する」など、経済界からこうして活動していることが新鮮に見えます。この信用金庫は早くから自然エネルギーに関心を向けていたはずです。この時のお話で、農業をやりながらの太陽光発電のあることを知りました。目を向けると、なんと、結構あちこちにあるのです。こうして、広く知識を知らせている人たちがいるわけです。

豪雨が増えて、水害ニュースも目立つ昨今。夏の猛暑にも、温暖化を感じる日々。
自然エネルギー利用の重要性が、他人事でなく感じられます。

コロナも温暖化も、とにかく、正しい知識を持って、ちゃんと科学の世界を大切にして、

よい年を迎えたいものです。

このブログはすっかりさぼってしまいましたが、みんながよい年を迎えられますように。
当たり前の日常が迎えられますように。




2020年11月28日土曜日

近所で秋を楽みませんか 

照葉峡にて
コロナが勢いを増していて、何とも気が重い。
今年の紅葉は美しいと言われるのに、あまり見に行かなかった。あっという間に時は過ぎる・・
妙義山に行こう、と思っていたはずなのに。

でも、早い時期に急に思い立って照葉峡(てりはきょう)に行ったのはよかった。渓谷とそこに見られる小さな滝の連続と色づいた葉。みんな車で時折停まっては通りすぎていきましたが、私たちはしっかり歩きました。
グズグズしてないで、エイっと物事は始めるものですね
木の冬芽
オオカメノキです
これからはこんな木の芽でも
楽しめます

今の時期楽しむのは、イチョウを代表とする平地での身近な紅葉でしょう。きっと身近に、きれいだなという木や場所があると思いますよ。

左は近所のゴルフ練習場にあるメタセコイアです。
均整の取れた円錐形に大きく育ち、秋になると葉は色を変え、落葉していきます。

 これぞ「生きている化石」の代表格で、日本人が化石で見つけて名前を付けたら、中国の山奥で生きているのが見つかったという、ドラマのような話があります。
 子どもの頃、父がこの枝をもらってきて差し芽をしていたのを覚えています。誰かとの思い出があると、心に深く残るものかもしれません。そんな思い出がたくさんあったら、豊かな人生なのかもしれません。
 日本中あちこちに植えられたので、学校などに大きく育っています。個人の家では、ちょっと手に余る木ですね。植えても、きっとみんな切ってしまったでしょう。

 メタセコイアの写真があまりにみすぼらしいので5月の頃の写真をのせます。
メタセコイアの葉
近所の、元学校のあった場所のメタセコイアの写真を撮ろうとしたら、枝が大胆に刈り取られていましたので。確かに、大きくなりすぎますよね。

花の終わったオキナグサが綿毛になりかけて、5月の風にそよいでいます。
向こうの方に メタセコイアが育っています。公園ですね。


近所で自然を楽しむのには、我が家では川沿いが最適です。 
高崎市を流れ下ってきた烏川の川原には、オギがいっぱい。

  オギ??と言われそう。ススキと思っている人が多いでしょうね。
水の多めの所にはえているのは、ススキとちょっと違う「オギ」が多いでしょう。
少し違う種類なのです。
人の名前にも、荻原オギワラさんがいます。昔の人も、ちゃんと区別していたわけです。



世の中は心配事でいっぱいなのに、ずいぶんのんびりしたことを書いていると言われそう。

 ちょっと、世の中に関わる事を。
我が家のすぐ近くの利根川では、洪水対策工事がまた始まっています。昨年大々的に土砂を掘り取った場所を、さらに掘り取っています、
最近の豪雨災害によって、こうしたことに国の予算・県の予算が投入されるようになってきているのでしょう。


利根川中流域 玉村町五料橋付近
昨年、川原に堆積した土砂を2mほども取り去ったのですが、
おなじ場所の土砂をまた撤去しています
国交省の事業です

ここも玉村町。古い小さな堤防を、新しく作り直す工事が始まっているようです。
群馬県の事業です

最近の豪雨と洪水被害で、各地で水害対策事業が始まっているようです。
流域全体で水害に備えると言っています。
ありがたい話です。が、利根川上流の八ッ場ダムの建設の反対運動などあるときには、
河床の土砂撤去などは一切行われてこなかったことを思わずにいられません。我が家の近くの利根川では大きな中洲も形成され、たくさんの木も生い茂っていました。生き物の生息場所にはよいのですが、河床が上がってしまうので治水対策には難点が出てきます。洪水の心配の増す場合があるわけです。バランスをとる必要があるわけです。

 河床の土砂撤去や堤防の強化をと、何度も声をあげる人たちは、ずっと無視されてきました。ダムによる治水が中心とばかり、予算をほぼダムに投入していたのです。河床整備や堤防強化の方が安く迅速に工事が進むと言っても、聞く耳を持たなかったと言えます。これって、どういうこと、と言いたくなります。

今、グリーンディールという言葉があるそうです。環境関係の計画を総称したもの。
欧州グリーンディール委員会にはこんな一節もあります。
「2030年までに脱ダム化した河川を総延長2万5000㎞5に増やす」
日本も良い政策を高く掲げてほしいです。


2020年11月13日金曜日

イチョウの履歴 マツタケジャゴケ

 紅葉のたよりが、関東でも平野部に移ってきました。


そういえば、先週、ちょっとした山に行った時,光に照らされて黄色く色づいた葉が輝き、
時折ハラハラと舞い落ちていたなあ。

キラキラというより、光そのものが舞っているようで、しばし見とれました。

落ち葉を カサカサ 踏みながら歩く気分もいいもので、そんな情緒を詩人や文学者はしばしば書いていますね。

何という木か覚えたい時も、紅葉した葉を見るのなら、なんだか楽しいです。


マツタケジャゴケ







いっしょにいた人に、変わったものを教えてもらいました。
 コケの仲間です。マツタケジャゴケ。
ジャゴケって、家の裏などの湿った所にはえるゼニゴケに近いような仲間で、ジャは蛇かな。あまり印象の良いとは言えない姿。ですがこれ、なんと
 「マツタケの香り」  がするのです。
マツタケなんて食べないから香りわからないと一緒にいた人が言ったら「永谷園のお吸い物の匂い」と即答した人あり。香りはまさにその通り。同じ成分が入っているのでしょうか。
これ、全国にあるそうですが、あまり見かけるものではなく、よくわっかっていないコケのようです。

いろいろな人と一緒に出かけると、それぞれ知っていることが違うので、新しいことを知りあえて、楽しいですね。

          もう少しすると、イチョウが色づきます。

我が家のすぐ近くの畑、この銀杏は大粒でおいしいです。
手入れをして、きれいに洗って出荷しています。あまりお金にならないけれど。ここまで育た木ですから、やはり放ってはおけないのです。

イチョウは自然の野山では見かけません。つまり、人が持ち込んだもの。どんな履歴を持つか、ご存知でしょうか。

 「 生きている化石 イチョウ 」

   金色の ちひさき鳥の かたちして
     銀杏ちるなり 夕日のをかに    与謝野 晶子

誰もが大好きな字あざやかに黄色く色づいたイチョウの木。
神社、お寺によく見かけます。年の街路樹にもたくさん採用されています。東京都の木はこのイチョウですよね・・ゴミ収集車のイチョウのマークが脳裏に残っているのですが。
防火のためにイチョウを街路樹に植えようと奮闘した人がいたと聞きました。防火??と思いますよね。イチョウは燃えにくいのだそうです、これが防火帯の役割を果たし、延焼を防ぐと。実際に関東大震災で燃え残ったイチョウが役割を果たしたとのこと。
どこかで聞いた話でしたが、人気番組「チコちゃんに叱られる」で、取り上げていました。これできっと、多くの人に知られたでしょうね。

 日本人なら知らない人はないというおなじみのこの木、しかしヨーロッパの人にとっては驚きの的でした。1690年ころ、鎖国中の日本にやってきたドイツ人ケンペルは、長崎のお寺の境内のイチョウを見てびっくり。それを伝えられたヨーロッパの学者もびっくり!なぜってイチョウの仲間は化石ではたくさん見つかるけれど、もうとっくに死に絶えたと考えられていたのですから。今でも生き残っていたなんて!
 イチョウの仲間はジュラ紀という時代などに全盛を誇っていました。恐竜たちと一緒に生きていたということになります。2億年前には現れ、1億5千万年とかいう前には大変に栄え、世界中に広がっていたといいます(この年代、最近の研究結果で少し変わっているかなあ?)。それが中国に生きのび、多分仏教伝来の頃につたえられました。今では親戚にあたる種類は一つもなく、分類の上では1属Ⅰ種、それでもたった1種で頑張っています。そして、こんな古いタイプの生きものたちを守ってきたのが中国や日本の地域だったわけです。

身近なものにも、壮大な歴史があるわけです。銀杏を食べながら、太古の昔に思いをはせてみましょうか。



2020年10月28日水曜日

最近、地図を見ましたか?


 最近、地図を見ましたか?
  地図が主役の展示~~ 前橋・高崎地区をメインにして

以前にも、「地図見ましたか」と聞いたような気がする。
 地図?スマホで見ているよーーー そうそう、スマートフォンが広まってから、きっと昔よりたくさんの人が地図を見ているのでは。手もとにあるスマホであれこれのお店情報を見たりしたり。

「宇宙から10mの大きさのものがわかるんだって」とすごいなあと思ったのはいったい、いつだっただろうか。技術の進歩は著しく、カーナビで迷うこともなく出かけられて家に帰れ、そのナビもスマホでまにあうと、変化もめまぐるしい。(老眼になると、スマホのあの小さい画面では、運転中見るのはちょっと無理と思ったり)

 一方で、紙の地図を見ることは減っているでしょう。ましてや、国土地理院発行の地形図など、地図記号を学校で習ってから後、等高線の書いてある地図なんて見たこともない、読み方を知らないという感じでしょうか。

 ですが、今ではちょっとクリックすれば得られる情報が、先人たちの大変な努力と苦労のおかげで獲得されてきた、そんな地図の歴史を、地図を作るのがどんなに大変なことだったか、そんな苦労しても作る価値のあるものだということを、知っていただきたいとも思うのです。


群馬県庁1階ロビーで、地図の展示会が開かれていました。前橋・高崎地域の地図です。

まずは、1/2500の縮尺の写真が床に敷き詰められていて、そこを歩きます。1km が40㎝です。

ついつい、自分の家のあるあたりを探しますね。




川の流れを目安に、場所の見当がつきます。

空を飛ぶ鳥でなくても、上から見下ろした
大地の姿を見られるのですから、うれしいです。



 日本で地図と言えば、伊能忠敬。
その出来栄えの見事さといい、家督を息子に譲って隠居の身になってから新たに天文学を学び、その知識をもって日本中歩いたという生き様は、賞賛以外の何物でもないです。しかも、地図作りの目的は、もともと地図作成ではなく、地球の大きさを知りたい、そのために子午線1度の長さを求めたいという、純粋に学問的、スケールの大きなものだったのですから、驚きです。

 伊能忠敬は海岸を歩いて測量し、日本列島の形を描いたのは知られていますが、内陸にも入っていて、群馬の図もあります。その図と測量日記のコピーなどがありましたが、私がついつい見たのは、毎日の歩いた距離が表になった資料。何と、毎日20㎞前後の距離を歩いている!!記録をとりながらですよ・・夜には天体観測をしながら・・・何人もの人間が参加しながらとはいえ、相当な体力もいるだろう。私なら、1日20㎞歩いたら、次の日はゆっくり休みたい・・・41.1㎞という日もあったけれど、これはいったい、足で歩いたものなのだろうか・・・

 最近の伊能忠敬を取り上げたテレビ番組で、あの時代の歩き方は今と違って、体のねじれがなく負担が少ない・・とのこと。そういったこともこれだけ歩けることに関係しているとか言っていたけれど、それにしてもすごい。


 下図は明治18年(1885年)の2万5千分の1の迅速測量図前橋と高崎です。
迅速って何かと言えば、三角点に基づかない測量で作成したというもの。まだ三角点がきちんと整備できていない時だったけれど、正確さを競うより、とにかく早く地図が欲しかった。明治政府(山形有朋ら)が西南戦争で地図の重要性を痛感したということから作成を急いだとのこと。
 地図はいつも重要な軍事的意味を持ってきたわけです。伊能忠敬作成の地図も、シーボルトが帰国に際しそれを持っていたことからシーボルト事件が起こり、多くの関係者が処罰がされました。

 

 話が飛びますが、ここで思いだすのは、下仁田に残されている原三角点のこと。
じつは下仁田には、明治15年という、とても初期につくられた三角点の原形ともいえるものが残っているのです。

下仁田の原三角点とは、明治15年(1882年)に作られているもの。内務省が全国各地に約50カ所設置したものの一つで、群馬では赤城山頂と下仁田白髪岩山頂に設置されたといわれる。多くはその後1等三角点となり、標識も変わったり動いたりしていて、残っていない。原三角点として発見されていたのは雲取山と米山で、下仁田のものは2000年に発見された。白髪岩は一等三角点には使用されず、忘れ去られていたため、元のままの姿で残っていたというわけ。


使われた石は、下仁田の隣の南牧村産のくぬぎ石です。道もない中これを担ぎ上げたわけです。

<三角点設置の歴史>
   *下仁田の原三角点は明治15年(1882年)内務省の仕事でした

明治16年(1883年)陸軍参謀本部により1等三角点の設置
明治25年(1892年)東京都港区麻布台・当時の東京天文台の三角点を「三角点原点」と定める(明治16年と25年の方位角観測により原点方位角が決定され、これによって全国に整備された三角点の位置が順次決定されていった・・・原点方位角?なんだかわからないけれど、とにかく大変な努力が必要だったことはわかります)

 ちなみに,経度の基準となっているグリニッジ子午線が経度0度と万国測地会議で認められたのが明治17年(1884年)とのこと。世界中で、地図を正確に作るのも、まだまだ曙の時代だったことを感じます。そんな中で日本では三角点(位置の基準)、水準点(標高の基準)といったものが、早くから整備されてきたと、当時こうして三角点や水準点の設置に努力された方々に、あらためて敬意の気持ちを感じます。

他にもいくつもの地図が。1894年、1907年など・・・。1916年(大正5年)のものは陸軍士官学校作成。

目立った市街地があるのが前橋と高崎。鉄道がいかに重要だったかも感じられます。

 1944年アメリカ陸軍地図局作成の前橋市街地マップがあり、1945年の前橋空襲につながっています。1946年から48年の米軍による空中写真も展示。
1964(昭和39年)年から1997年(平成9年)にわたっての2万5千分の一の地形図なども、展示され、都市部の変遷など興味深いものでした。古い地図では地名の変遷も興味の湧くものとなります。

 地図には様々なものがありました。町村編入変遷、バス路線図、治水地形分類図、農地の変化、なかには、伊香保案内図、草津案内などの、温泉地の宣伝図もありました。

 私の育った家はお蚕を飼っていたので、農地の変化に目がとまりました。
変遷が一目で見て取れます。
   緑:水田  うす紫:桑園  黄色:畑  赤:果樹園 




 今ではいろいろなウェブ地図閲覧サービスがあるのに、それを利用するだけでも、どんなにたくさんのことを知ることができるかと思うのに、まるで利用していないなあ・・・
どんなものがあるのか、どうやって閲覧するのかも、定かでない有様。

 でも、もしかしたら、誰かと一緒に見たりしたら、楽に情報にコンタクトできて、楽しんだりできるかもしれないな、などと、虫のいいことを思ったりして。
 さまざまな地図は役に立つ情報の宝庫でしょうが、見て知るだけでも楽しい知識・情報が、あちこちにあるような気がしてきました。


2020年10月20日火曜日

秋・・カエデの種類 キノコはわからないけれど


秋の話題は…紅葉の季節かなあ
キノコです

日本学術会議への菅政権の任命拒否問題でカッカとしているうちに、今日は急に寒い日に。厚地の服を取り出す。気づけばもう、10月も半ばを過ぎている。

 それにしても薄ら寒い政治状況。
新聞にも「”いやな感じ”がはっきり姿をみせた”」と。
「意に染まぬものへの警告めいた政治介入は、ひいては学問や表現の自由の首を絞めかねない」と。金と人事で、何でも自分たちの思い通りになると思っているのだろうか。自分たちを何様と思っているのだろうか。他の人に対する敬意がない。ナメている。

「小さな芽がはらむ 深刻な結末」・・・・ こんな見出しの新聞記事でした

歴史に学まねば、再び暗い世をうむ。


秋を感じた日、もみじを見たいなあ、と思いました。天気がもう一歩なのが気がかり。

ところでカエデの種類、たくさんあるの、ご存知ですか。
 日本にはたくさんのカエデの種類があり、それぞれが繊細に色づいていきます。見分けられたらいいと思うものの、なかなかわからない。

下仁田地域の検索表を作ったことがあります。こんな感じで大まかに分けてみたら、だんだん区別ができるようにならないかな、と思ったわけです。図がきれいに見えませんが、一応紹介してみます。

下仁田は雪の少ない地域ですが、雪の多い地域には、また少し違った種類があったりもします。オオモミジはなくてヤマモミジになるとか。
ちょっと気合を入れないと、覚えきれないなどと思いつつ、いまだにうろ覚えです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

カエデの仲間  ●葉っぱの付き方が対性(木には「互い違いに葉っぱのつく
                            互生の木の方が多い)

        ●実の姿はどれも似ているが、少しづつ違う。

        ●葉っぱには、いわゆる「もみじタイプ」でないのもある。
         普通の葉っぱに見えるのとか、3枚がくっついて見えるのとか

        ●標高の違いで、見られるカエデは少し違ってくる

        ●雪国でみられる種類や、雪の少ない太平洋側で見られる種類などもある


   
  キノコ、見ましたで

キノコも秋のイメージですが、秋でなくてもたくさんはえています。ですが食べると死ぬものなどあるし、さわっただけでも被害を受けるものもあるといいますし、見分けも難しいし、とにかく、「取らない・食べない」ですね。
最近会ったキノコを、ちょっと紹介。これは山寄りのものですが、平地にも、庭にも公園にもあります。キノコで自然に親しむのも,いいかも。








               



この赤いキノコ、大きな輪を描いてはえています。輪が大きくて、うまく写真に入りません。キノコがつくる輪は、妖精がダンスした跡だといわれてフェアリーリングと名付けられています。毎年生えるのですが、もっとキノコらしい形のきのこなら、妖精のイメージなのに、などとぜいたくを言っています。

  最近、巨大化したキノコが見つかるそうです。昨年は博物館で巨大キノコを見ましたし、今年はテレビニュースで。散歩途中で見つかるかもしれませんよ。


2020年10月10日土曜日

秋のイメージカラー‥‥赤?

  ついこの間まで 「暑い暑い!と言っていたのに・・・・

10月9日の前橋の最高気温は15.4℃。
今年の寒露は10月8日。草木に冷たい梅雨が下りる頃。ですからもともとはこれが平年並みなのかもしれませんが。

長袖、カーデガンをとりだして、とにかく変化についていけない。

 「秋物は1週間で首になり」  朝日新聞川柳より

  ヒガンバナ
ヒガンバナ(彼岸花)を取り上げてなどと思っていたのですが、のそのそしているうちに花も終わりそう。まあ、のんびりしているのもいいのだから、よしとするか・・・

 以前ヒガンバナはも田んぼの畔やお墓でよく見ました。

 別名「曼殊沙華」で、いかにも仏教などに関連しそうな名前。彼岸やお墓に関連するイメージからか、死人花、葬式花などと呼ばれたり、花の咲くころ葉がないという変わった性質からか、幽霊花と呼ばれたり、とにか、不吉な感じが漂う呼び名があります。さらに、日本のヒガンバナは、花は咲いても、実がなりません。三倍体という染色体数から来る性質です。さらに、この植物は毒草です。リコピンという強い毒を草全体が持っていて、たべられません。そういえば、幼い頃、触っちゃいけないと言われました。
少し変わり者とはいえ、身近な花なのか、地方名・方言はとにかくたくさんあるようです。
川沿いのヒガンバナ

 今、この華やかな赤はみんなに喜ばれ、公園にも植えられています。飢饉の世には、この球根(鱗茎)のでんぷんをとり、よく水にさらしてから食べたといわれますが、果たしてどうだったのでしょうか。鱗茎には強い毒がありますが、水でさらしてよく毒を抜くと、何とか食べられる・・沖縄ならソテツの実が同じように使われていたそうです。「ソテツ地獄」という言葉もあるとか。必死で生きてきた人たちとかかわりながら、身の周りに人々が植えた植物がヒガンバナなのでしょう。
 
 花が終わると葉を出します。冬に緑ふさふさとして光合成をして栄養分を蓄えるという、これも変わっています。競争相手のたくさんいる中では生き残るのが大変と、あえて条件の寒い冬に葉をだすという、我慢の生活を選んでいるのですね。

秋のイメージカラーと言ったら茶色? それではいかにも暗いので
・・・・”赤”はどうでしょう。   いかにも唐突?真っ赤は夏の色じゃないの?

夏の暑さもここまでと、9月中旬、他のあぜや土手・墓地で、
真っ赤なヒガンバナが教えてくれます。          暑さ寒さも彼岸まで

やがて秋の空に赤とんぼの姿を見かけます。
                         夕焼けこやけの  赤とんぼ
                         おわれてみたのは いつの日か
それにしても、トンボの姿は減りました。
いくらでもいたとんぼ、空いっぱいに飛んでいた赤とんぼの姿を思いうかべるのは、難しくなりました。校庭の水たまりに、トンボたちが産卵していて、そこじゃダメだよ、と思ったものです。

  澄んだ空 、透明度を増したひんやりした空気の中では、
  美しい夕焼け、真っ赤な夕焼けが見られます。
  そして秋も深まれば、木々の葉っぱもまっかに・・・

 まっかだな   まっかだな             まっかだな   まっかだな
 つたの葉っぱが まっかだな             からすうりって まっかだな
 もみじの葉っぱも まっかだな            とんぼの背中も まっかだな
 沈む夕日に   照らされて             夕焼け雲を   指さして
 まっかなほっぺたの 君と僕             まっかなほっぺたの 君と僕 
真っ赤な秋に かこまれている            真っ赤な秋に 呼びかけている
   (薩摩 忠 作詞   まっかな秋  より)


昔からあったサザンカ
もう咲いていました

昨年の柿です
夕日に柿の実が映え 庭先のたき火の赤い炎が恋しくなって、赤いさざんかの花が庭先をかざる・・・
 色彩豊かな秋を こうして思いうかべてみたいものです。





夏の名残・・・・・  ツユクサの色 3種ありました

 しっとりとした露が似合う花です。白と水色と、それから普通のブルーの色です。
 さわやかですね。 来年も見られるかなあ。