2013年11月24日日曜日

岩石⑧  泥や砂・礫からできた岩石  その2

<泥や砂からできた石 >   説明の続き

野外での肉眼鑑定は、目でみたり、触ったり,音を聞いたり(ハンマーでたたいたときの感覚)、それこそ感性を総動員です。
左の写真は薄く剥がれるように割れる泥質岩(下仁田のものではありませんが)で、割れる面に沿って化石が”ペタンコ”になって入っています。圧力を受けたんだなあ,と感じます。こんな石はスレート(粘板岩)でしょうか。

割ったばかりの泥質の石は黒光りしていたりしますが、その石も、割れ目・はがれた面はしばしば茶褐色や灰白色になっています(下の写真)。水や空気にさらされた風化作用によるもので、もっと風化すると,岩石全体が黄土色になったりもします。茶色は鉄成分の酸化でしょう。白っぽいのは・・・わかりません・・・












左のような石は,”普通”の泥岩。よく見ると、右端に貝の化石が入っています。
では右の石は,といわれると、慣れた人でないと、だんだん答えにくくなってきます。野外での産状も重要になるでしょう。
 



砂からできた石はごく普通に、「砂岩」。
何の不思議もない話ですが,でも考えるとちょっと不思議と思いませんか。
 砂や小石がどうしてバラバラにならずに石になるの?
 海岸の砂はさらさらとして固まりません。

 ・・・・「いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあいだより落つ  啄木 」

その砂が硬い岩になる・・・・・これは続成作用のおかげ。

強く押しただけでは砂や小石は固まらないように思えます・・・
地下水に成分が溶けたり、水に含まれた成分が再結晶したり、といったさまざまな作用がおこり、長い間には、砂粒の間には「のり」のようなものができたりするとのことですが、目で見ただけではわからないですね。糊にあたるのは、炭酸カルシウム、水酸化鉄などとのことです。低い温度、ふつう200℃以下の温度での変化をいいます。それ以上高温になると、続成作用ではなく、変成作用とよばれます。

左上は砂岩。
「そんなこといちいち説明されなくてもわかるよ」といわれそうです。
でも、粒子に火山噴出物がたくさん入っていると、「凝灰質砂岩」とよばれたり、それぞれ少しづつ違った顔つきになったりもします。

ところで、泥質岩が高い温度にさらされると、ホルンフェルスという石になります。やけどした石というわけです。 
下仁田でも、川井山石英閃緑岩のまわりに出てきます。石英閃緑岩でやけどしたのでしょう。
泥質岩の変身の一つですが、私にはきっと,肉眼で見てもよくわからない・・と思っています・・・
岩石分類では変成岩の一種になります。高熱をうけて新しい鉱物が生じているはずです。
泥質岩でなくても、やけどして変質した石はホルンフェルスというらしいのですが、これもよくわかりませんので、詳しい方、教えて下さい。
                                                              

下仁田で見られる砂・泥の地層  どこで見られるの?>


あらためて、下仁田でみられる岩石の分布図をのせます。下仁田自然学校作成の「かぶら川の石図鑑」からです黄色い部分が泥や砂,礫の見られるところです。左下が古くて,右上が新しい地層になります。(真ん中が縦に白くボケているのは,冊子のコピーそのままなので,ページの真ん中です。見苦しくてスミマセン。真ん中付近の下仁田と書いてあるあたりが下仁田市街地です。)



古い地層の順に説明をしてみます。

<秩父帯>
  図の左下の地域です。南の地域・秩父帯地域には、古い時代の砂岩や泥岩が分布しています。2億年から1億年といった古い時代に海に積もったものです。長い歴史をへてきたような、古そうに見える石。
 

南蛇(なんじゃ)()層の泥岩>
中生代という古い時代の黒色泥岩で、ジュラ紀から白亜紀にかけての海底に堆積しました(一部に砂岩もあります)。
図で”下仁田”という文字の上にある「泥岩」の地域です。中央構造線(図の赤い線)の北側で、下仁田市街地の裏山のゴミ処理場付近や不通(とおらず)渓谷、さらに南蛇井(なんじゃい)まで分布しています。

強い力を受けたらしく、小さい断層がたくさんはいり、細かい割れ目が無数に入り、圧砕されてつるつる光るように見えたりします。右の写真は,下仁田自然史館に展示されているものです。ぼろぼろ崩れるからでしょうか、まわりを石膏で覆っています。      
   ところでいつも思うのですが、「なんじゃい」って、妙な名前ですよね。全国珍地名とかに 登録されているのじゃありません?
 

跡倉(あとくら)層の礫・砂・泥の層>
図の真ん中付近、赤い線(中央構造線)の下で、礫岩・砂岩と書いてある部分。どこからか横滑りしてきた岩体・クリッぺをつくっている岩石です。
l  クリッペをつくる跡倉層は約8000万年前の地層です。
中生代の化石で有名な、アンモナイトの化石も発見されています。ですから、海に積もった地層ということになります。

   先日、中学生に説明していて、アンモナイトのことを話していたら「エッ、海だったの!!」と、とてもびっくりして目を丸くした女の子がいました。もちろん,知識としては海の生物が化石になって出てくるとかは知っていたでしょう。でも、実際の地層を目の前にしていると、突然、具体的なイメージとして頭の中で動き出したのでしょう。言葉だけでなく「目の前のこれが海の底にあった!」と。自然の不思議と夢をちょっと感じたのかも。そんな小さな知識や感覚や出会いを繰り返して,人は成長するものではないでしょうか。

跡倉層のいちばん古いほうには礫岩があり、跡倉礫岩という名前で、かつていろいろ議論を呼んで、地質学者には有名でした。長源寺(ちょうげんじ)橋付近でよく見えます。

l  大崩山(おおぐいやま)(下仁田自然史館の隣の山も跡倉層です自然史館のすぐ東にある青倉川の大断層で、すべり面の上にのっているのは跡倉層の砂岩。
            下仁田ジオパークの代表的なみどころ(ジオサイト)です。

l 南牧川沿いの宮室・ 万年橋付近では砂岩泥岩が交互に
 縞模様を作っています。右の写真です。
こんな見え方の地層は砂岩泥岩互層
砂泥互層 さでいごそう)とよばれます。()
 
さまざまな地質現象が見られるので、ここも有力なジオサイトです。
   * 砂泥互層   砂と泥が交互にリズミカルにくり返す
      地層のこと。   

      大陸棚斜面の堆積物が泥流のように一気に流れ
      下ってつもってできたもの。

     (この砂泥の流れを乱泥流・タービダイトとよびます)
      粒の大きな砂は早くに沈殿し、その上に泥が

        ゆっくり積もって、砂泥の1セットができます。
      これが何度もくり返されて、縞模様の地層を
      つくります。

        

 
<下仁田層>
 図の真ん中付近、”下仁田”の文字の左側で赤い線(中央構造線)のすぐ上の「砂岩」とか書かれた場所です。海でたまった泥岩や砂岩で、貝化石を含むので知られています。サメの歯やカニも見つかっているそうです。化石から推測すると、少し寒い海だったようです。約2000万年ほど前の地層です。
この下仁田層の分布する場所では、中央構造線(日本列島を横切る大きな断層)がはっきり見られ、有力なジオサイトになっています。何しろ、関東地方で,こんなにはっきり中央構造線が見られるところは他にない,という場所ですから。下仁田層の砂岩と三波川結晶片岩が,断層で接しているようすがはっきり見られます。


<富岡層群の地域>

下仁田の北の地域から富岡・安中さらに高崎の観音山などにかけての丘陵は、砂・泥・礫の地層が広がっています。富岡層群といいます。たくさん化石が出ることで知られている、1600万年から1000万年ほど前の地層です。カメやほ乳類の仲間(イルカの先祖にちかいもの、象の遠い親戚ともいえるパレオパラドキシア)、多種類のサメの化石など、多彩な化石が見つかっています。下仁田ではそれほどさまざまというわけではありませんが、化石を産出しています。
最近は、この地層をさらに、富岡層群と安中層群と分けると提唱されたりしています。なんだか複雑ですね。
いずれにしても、1600万年から1000万年ほど前の地層で、海にたまった砂や泥の地層で、化石をたくさん含む」ということです。下仁田地域では「時代の新しい地層」といえます。1600万年というと、人の感覚ではすごく古いのですけどね・・・
 
図では 砂岩(新)・泥岩(新) と書かれた地域です。
  
l  下仁田では、只川橋付近で砂岩層から貝化石などがみつかっています。下仁田自然学校で子供たちと一緒に化石採集をしていた時、サメの歯が出てきたこともありました。
小坂川では有孔虫の化石が見つかります。

化石については、のちほどもっと詳しく報告できたら・・化石のことはほとんど知りませんので、詳しい方に教えていただけたら、と思っているところです。自然学校運営委員の方には,長年にわたってこの地域の化石採集をおこない、調べてこられた方々もいます。

こまごま書いてきましたが、野外に行って見るときの参考になれば幸いです。






2013年11月19日火曜日

岩石⑧ 泥や砂・礫からできた岩石 


・・・、前回の補足・・・・溶岩からできるもの・・・・

前回、火山からの噴出物につて取り上げました。地下のマグマはさまざまな形をとって私たちの前に姿をみせる、ということで、その例をもう一つ。
 
 下仁田自然史館の展示室に、右の写真のものがあります。 岩が砕けてくっついたように見えます。
「ロダンの石」とのプレート,「ロダン?・・・いったいこれはなに?」。
解説は「灼熱の溶岩が水中に流れ込んで,バラバラに砕け固まったもの」。
加熱したガラスを水にいれると、細かくひび割れますが、そんな感じにも近いかな。水中自破砕溶岩とよばれるものでしょう。
なぜロダンの石とよぶか・・・この石を本宿地域から苦労して運び、展示台をつくっていたときの話・・なかなかうまくいかず、工夫し,考え込んだりしているうちに、ロダンの彫刻「考える人」がなぜか頭に浮かんできて・・・というわけで、こだわりの名付けになりました。ニックネームというわけです・・・なお、運んで、台をつくったのは,下仁田自然学校名誉校長の野村哲さんです。

”水の中に溶岩が流れ込む”話、以前にも書きました。そのときの話では、できるのは枕状溶岩です。これは枕を積み重ねたような塊で、砕けてなんかいません。この違いは何?
違いは水の量・・・水がたっぷりなら表面が固まって枕状溶岩になるけれど、水が少ない(溶岩の量より少ない)と激しく反応してバラバラに砕けるといいます。”ロダンの石”は少ない水の中に流れ込んだ溶岩だったのでしょう。たとえば、湖に流れ込んだとか想像されますよね。
このように、マグマからできる石も、それぞれのおいたち・環境で、さまざまな顔つきをみせてくれます。
 
 
ビー玉を加熱してから水に放り込むと,写真のようにひび割れます。中にはパリンと割れるものも。これをきれいなひもにはりつけるとネックレスになります。キラキラきれいで,子供に人気。

ガラスの器にうまくひび割れをいれた商品もありました。強度には難があるでしょうが、ながめるだけなら、すてきです。

 
水中自破砕溶岩では,ひび割れた部分がバラバラに砕け、その間を細かい溶岩のかけらが埋めて固まっています。溶岩は砕けながらさらに流れていきますから、割れた破片はバラバラになっていくわけです。
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泥・砂・礫からできた岩石

 
 ドロ・砂・・・・なんだか馴染みのある言葉です。
 子供はドロ遊びが大好き。泥沼でどろんこになったりします(最近はいやがる子もいるかな)。
「ドロ団子」づくりには,なぜか子供は夢中になります。
公園の砂場で子供は飽きずに砂遊びをしましたが、最近は「砂は猫のトイレになっていたりで不潔」だと管理が大変になったり,砂場そのものをつくらないとか、なかなか難しい話にもなっているようです。

 ずっと以前、児童文学の「さすらいの孤児ラスムス」を読んでいて、「ああ、この感覚!」とうれしくなったことがありました。(作者は児童文学の名作”長靴下のピッピちゃん”を書いたリンドグレーン)。「いったいどこがいいの?」といわれるかもしれませんが、でも私には胸にキュッとくる感覚があるのです。そして、「私と同じことを感じる人がいる」といううれしさも。というわけで、ちょっと引用。
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 夜なかに雨がふった。雨のあとの太陽がかがやく夏の朝だった。・・略・・ラスムスは水だまりの中を、はねをとばしながら、ピチャピチャはいっていった。
 「足、とてもいい気持ちだよ。」粘土が足指のあいだから、にゅるにゅるとおしだされてくるのを見て、ラスムスはそういった。「いや、もっと、からだじゅう、いいきもちだよ」  )
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私にとっては,田植えのたんぼでの、足の裏に刻みつけられた感覚だったのだろうなと、今思います。
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泥・砂・・・・どうやって決める

 
ところで、泥と粘土って,どう違うのか・・・何となくわかるけど、あまりに身近すぎて,よくわからない。
礫・砂・泥は粒の大きさにより区別されます。泥はさらにシルトと粘土に分けたりします。
つまり大きさの順に、  
    礫・砂・泥(さらにシルト・粘土と分けることもある)
     ( シルトってふつう聞かない言葉です。昔,こんなふうに教わったことがあります。
       泥を指にはさんでこすりあわせて、アカのようによれてきたら粘土、バラバラになって
       粒になってしまったらシルト)
 粘土は粒の大きさで決まるといいましたが、分野によってその大きさが違ったりするとか。
焼きもの・農学・鉱物学・セラミック工学など、粘土に関わりの深い分野はたくさんありますから、それぞれにとって便利な基準があるのでしょう。
   地質学で使う粒子の基準は以下です。
       礫:粒子の直径2mm以上   砂:2mm~1/16mm  泥:1/16mm以下

 

 泥・砂・礫・・・どこに積もる

 
岩石が砕け礫になり,川で運ばれるうちにさらに砕かれて砂になり、さらに泥に。ということで、砂も泥も、もとをたどれば岩石になるわけです。
最後はどこかに積もります。川沿いに広くつもれば平野ができます。
海の中に大量に積もるというのは、目に見えないので,うっかり忘れられたりしそう。でもこれが圧倒的に多いものです。
こうしてつもったものが固まれば、また硬い石になります。


 私の住むところは利根川のすぐわき。利根川最後の「崖」ではないかと思われる地形があり、川がそこからカーブすると、一気に広々とした川原が広がります。群馬県の西部を流れる川を集めて流れてきた烏川を、ここでさらに合流させているのです。・・・関東平野がはじまる・・と、そこに立つだけで感じてしまいます。利根川の洪水流量測定の重要ポイントの八斗島(やったじま)もすぐ近くです。そんなわけで、川が平野をつくったと、無理なく感じたものでした。
 

 <泥質の堆積物からできる岩石>
泥が石になる・・・・どうやって?

泥は水底に積もり地下に押し込められて圧力をうけていくうちに水が抜け,固まっていきます。
時間がたつにつれ、泥粒のあいだには鉱物が沈殿して糊のように粒をくっつけます。こうして泥はかたくなり、岩石になっていくというわけ。全体的に灰色~黒っぽい色の石になります。

泥は「泥岩」になるのですが、じつは受けた圧力の強さによって顔つきがだんだん変わり、呼び名も変わっていきます。
   
   ↓
  泥岩
   ↓ 
  頁岩(けつがん) (シェール)
  ↓ 
 粘板岩(ねんばんがん)(スレート)

 ↓ さらに強い圧力
千枚岩
 ↓

黒色片岩  
ここまで来ると、堆積岩ではなくて、変成岩と呼ばれます
たくさん名前が出てきましたが、連続的に変化して顔つきを変えていくので、厳密な境界はありません。ですから同じ石でも、人によって呼び名が違うときもあるのです。どれもけっこう似て見えますから。

泥や砂は見たらわかるし、石もそれなりわかる気がします。そんな気分で、まるっきり写真をとっていませんでした。というわけで、今回は写真なしで。解説だけを書きます。
  
<頁岩>
薄く割れやすくなったもので、本の頁(ページ)のようにはがれるということからついた名前です。
なかなか「けつがん」とは読めませんね。弱い圧力を受けた場合など、いくつかの成因があるとのことです。
英語圏でシェールとよぶのがこの岩石。最近、シェールガスといった言葉で頻繁にニュースにのるようになりました。この石の中から、ガスやオイルがとれるというのです。これからはシェールといった方がみんなに通じる言葉になっていくかも。

<粘板岩>
 頁岩よりさらに割れやすくなります。薄くはぐように割ることもできたりします。英語圏でスレートとよびます。昔、これで屋根をふいたから、今でもスレート瓦というのでしょうね。現在販売されているのは,もちろん自然の石ではなくて、人工的につくったスレート瓦です。ヨーロッパの寺院やお城には屋根や壁に天然のスレートを使ったものがたくさんあるはずです。
改装された東京駅の屋根もスレート。三陸津波で壊滅的被害を受けた雄勝(おがつ)に産出するスレートを使用しています。保管中の石が津波で流されたのですが、雄勝の方々はそれを手作業で45,000枚拾い集めたそうです。自らも津波の被害を受けた方々が、こうしてがんばってくれたわけです。雄勝以外に、国内他地域、スペイン産などを合わせて使用して、東京駅の屋根はできています。

粘板岩はすずり石や碁石に利用され、だいぶ昔ですが、黒板もこれで作ったそうです。

文明・文化に多大に貢献してきた石といえそうです。
 
小学校1.2年生がノート代わりにつかったという、小さな黒板といった感じの石盤というものがありました。どこかのお宅に、今でもあるかもしれません。私の家でも、昔、倉の中に転がっていましたから。もともとはこれも粘板岩からつくったのではないでしょうか。

石盤は赤毛のアン」や「トム・ソーヤーの冒険」にも登場します。「トム・ソーヤーの冒険」ならご存知でしょうか。授業中、気になる女の子の気をひこうと石盤に絵や言葉を書いていて、先生にとっちめられる場面とか。昔男の子だった方には「赤毛のアン」は知らないものかも。授業中、後ろに座っていた男の子がアンのお下げ髪を引っ張って「にんじん、にんじん」と。赤毛がコンプレックスだったアンは逆上して,持っていた石盤を男の子の頭の上にふりおろす・・・この男の子はのちによきライバルとして登場するというお話。
これいったい,いつごろの話かと思って調べてみました。トムソーヤー発表は1876年、赤毛のアンは1908年。20世紀なんですね。すぐ消えてしまう石盤の上での勉強は大変だったろうな。覚えたり復習したりするのは大変なはず。紙のノートを存分に使える時代にうまれて、考えてみたら,幸運だったんだなあ。ずいぶん勉強しやすくなっていたはずなんですけど、その恩恵がわかっていなかった・・・
ちなみに、古代ギリシャのアルキメデス(王冠が純金かどうかの判定方法をお風呂に入っているとき思いついて,裸で飛び出した、なんていう話が有名。天才的な数学者・発明家)は、砂の上に図形を描いて考えを巡らせていたとき、攻めてきたローマ軍兵士に殺されました。亡くなったのが紀元前212年です。アルキメデスの考えたことが、もし紙の上に書き残されてたくさん残っていたら、どんなにたくさんの財産になっていたかと、ふと思ってしまいました

昔はやわらかい白い石を使って、黒板に文字を書きました。ドーバー海峡の「白亜の崖」は有名で、この崖はチョークの崖とよばれ、ここからチョークという言葉ができたそうです。地質年代の白亜紀という言葉もここからできました。
チョークの主成分は炭酸カルシウムで、石灰岩と同じです。石灰岩と同じように、もともとは生物からできたもので、ドーバーの場合は、ココリスといった、海の小さな植物プランクトンが主になっています。

 
・・・・・・・・・おまけの解説・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

頁岩の中で、特に黒色の強いものを黒色頁岩とよびます。
黒色頁岩は深い海の酸素の少ない還元環境で堆積した泥といわれ、石油のもとが含まれている石です。黒いのは有機物や硫化物のためといわれます。

有機物とは、炭素の化合物で生物のからだを作っています。有機物が分解して無定形炭素になり、これが黒っぽい。
硫化物とはイオウの化合物のこと。イオウと金属の化合物には黒い色のものが多く見られます。地層中にふつうにたくさんみられる黄鉄鉱FeS2は金色の粒ですが、細粒のものがたくさん含まれる泥は黒っぽく見えます。

生物の体を作る有機物には炭素が含まれ、有機物の一種のたんぱく質は炭素だけでなくしばしばイオウを含みます。黒色頁岩は炭素やイオウを含み、これは生物起源のものを多量に含むということになります。石が砕けてできた粒子ばかりではないわけです。

今話題のシェールはこういった岩石で、ここからとれるシェールガスは石油と同じに、大昔の生物由来の化石燃料ということになります。


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人類は,生きるためにも文化のためにも、さまざまに岩石を利用してきたわけです。
 

 古くは石器類、建物そして黒板やチョーク・・・・石炭だって、「燃える石」と呼ばれました。

さまざまな金属も岩石から掘り出し、技術を磨いて取り出し、利用してきました。コンピューターの心臓部に使われる珪素(けいそ)これ、Siという記号で書かれる元素ですが、岩石の主要成分です。太陽電池に使われているのもケイ素。その他さまざまなものに使われています。
Siを含むものには、シリカとかシリコンといった言葉がはいったりします。お菓子の乾燥剤に使われるシリカゲル(半透明のつぶつぶのもの)はSiO2・nH2Oという化学式でかかれます。こんなところにもSiがありました。
 
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  子供たちが大好きなアンパンマン
アンパンマンは出版社・編集者といった大人からは支持されていなかったそうです(ちなみに、私も、「えーっ、顔を食べるの・・・」と思ったものです)。発表したら,子供たちに大人気。作者のやなせたかしさんは,戦争中の思い・経験から、人を飢えから救うことこそが最も大切、と このチャラクターをつくったそうです。見たこと・経験したことを決して忘れず,伝え続けようとした姿勢に,敬意をおぼえます。
下仁田での行事に参加していた子供が,アンパンマンの由来を一生懸命説明してくれました。そこで、今回は、自然史館に飾ってあるアンパンマンの絵を紹介します。流紋岩質安山岩の小石の上に描いてあります。
作成は 細矢尚さん
やなせさんは先月亡くなられました。みんなに多くの夢をはこんでくれて、ありがとうございました。
 


 

 




2013年11月12日火曜日

岩石⑦  凝灰角礫岩・溶結凝灰岩

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  はじめにちょっと一言
サツマイモの花って知ってますか?
  下仁田自然学校では毎年、子供たちと一緒に焼き芋大会をしてきました。
運営委員の堀越さんがたくさんのサツマイモを栽培して提供して下さっています。家庭菜園では、ごろんと大きいサツマイモになってしまったり,なかなかきれいな形にそろってくれないものなのですが、堀越さんのは毎年ちょうどいい大きさのサツマイモです。今年も11月11日が芋掘りでした。
我が家の近くの畑で、サツマイモの花が咲いていました。昨年も今年も。あまり見ることのない花のはずです。見たことありますか?
サツマイモはヒルガオ科、朝顔もヒルガオ科。花を見ると納得しますよ、サツマイモと朝顔が親戚だって。
これ以前に見たのは、10年以上前だったなあ。どんな条件の時咲くのかなあ・・・

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下仁田の石を ちょっと整理

<どこにどんな岩石があるのか>

下仁田のさまざまな石が登場してきました。
どこにどんな石があるのか、ここでちょっと整理したいですね。石はめちゃくちゃに混じって分布しているわけではなく、どこにどんな石があるかには、それぞれ理由があるので。
   「かぶら川の石図鑑」にのっている図で見てみます。
    

    ・・・・・・・・・ 石を仲間わけして、名前を色塗りしてみました・・・・・・・・
 : 火山にかかわるもの        ピンク: マグマが深くで固まった・深成岩
黄色: 砂や泥・小石からできたもの   ブルー: 生物からできたもの
 : 三波川結晶片岩の仲間     輝緑凝灰岩はどこにも入れにくいので、そのままにしました。
オレンジの線は中央構造線です

西の方には火山噴出物が多くて、中央構造線を覆って見えなくしています。


 
 

凝灰角礫岩(ぎょうかいかくれきがん)


聞き慣れない名前ですが、漢字を見ると何となくどんな石かわかります。火山灰と角張った岩片(溶岩の岩片)が混じって固まったものです。「凝」という字は「凝集」とか「凝縮」とか、「凝り固まる」とかいう言葉で使いますし。
火山活動活動があった証拠になります。ごつごつした岩肌をつくり、奇岩・奇峰の生まれることもあります。

  
   
左は荒船風穴の南にある沢で、水にあらわれて見えている凝灰角礫岩です。角張った岩のかけらがはいっています。落ち葉が邪魔な写真でスミマセン。写真の角礫は小さいものですが、場所によってさまざまな大きさがあります。かなり大きい物が含まれることもあります。


l  下仁田のどこにある? 

上の図の左部分の地域です。
妙義山の多くの部分、じいとばあ、鹿()の土台(突き出た部分は、マグマが通りぬけた跡で、安山岩ですが)、荒船山の土台、その他いたる所、下仁田の西部、本宿地域には広く分布しています。

700万年~950万年前 あるいは500万年前といった昔に、こんな岩石をつくる大規模な活動があったといいます。
 
   右は妙義の石・凝灰角礫岩です
   ずいぶんでこぼこして見えます。
水で洗われた所とは、ずいぶん違って見えますが、同じような石です。
 
 

l  正確に言えば、火山灰と岩片の量比で、すこしずつ違った名称になります。
  火山灰ばかりなら、凝灰岩とよばれるわけです。

でも、細かい分類を気にする必要はなく、昔の激しい火山活動をしのんでみたらいいのではないでしょうか
   
 
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下仁田での凝灰角礫岩の岩片を見れば、安山岩質のものが多くみられます。溶岩になって固まれば安山岩、吹き上げて火山灰と岩片の塊になれば、安山岩質凝灰角礫岩になるというわけです。
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溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)         


き慣れない名前ですが、「火砕流が固まった時できるもの」というと、「ん・・火砕流?どこかで聞いた言葉」という人が出てくるかもしれません。

火山から吹き出て、山麓を猛スピードで流れ下る高温の塊・・少し前の話になってしまいましたが、雲仙普賢岳の火砕流の映像を覚えている方もいらっしゃるかもしれません。モクモクとした灰色の雲のような塊が、ぐんぐん迫ってくる映像です。巻き込まれて多くの方が亡くなり、その危険性が知れ渡りました。

つもったあともその熱で内部が溶け、軽石などは溶けてつぶれてひものように見えます。
こんなものを溶結凝灰岩とよびます。すぐに冷えてしまったら内部が溶けることはないので、冷えるスピードの早い水の中では、ふつうつくられません。
地上に噴出した場合にできる岩石ということで、これが見つかると、昔、陸上で火山活動があったと考えられます。

古い時代の例なら、沼田市の”吹き割れの滝”は溶結凝灰岩でできているし、新しいものなら赤城山などでも見られます。
下仁田には今、火山はないけれど、古い時代の「溶結凝灰岩」なら、本宿地域のあちこちにあります。
右写真の上の方が溶結した部分です。荒船風穴の近くで見つけました。


溶結部分がわかりにくい場合もあり、見分けの難しいときもあります。下は利根川の川原の石ですが、これも溶結凝灰岩でしょうか。
 

 

 
l  どこにあるの?
物語山の北の阿唱念の滝・・ 溶結部分が硬くて滝になりまた。      
その他、あちこちに みられます。
下図は荒船山を縦に切ってみた断面図です。山頂はしっかりした硬い溶岩ですが、その下には
なんと、湖にたまった地層やら凝灰角礫岩やら、さらには溶結凝灰岩まであります。
                                             


溶結凝灰岩が広く厚く分布している地域・・・噴火当時の光景はどんなだったでしょう。
生き物はすべてが焼き尽くされ、荒涼とした風景が広がっていたにちがいありません。

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<おまけの情報>

地質調査している人にくっついて歩いていたり、時には地質の説明を聞いている時にも、
何だかわからない言葉が飛び交うことがあります。何のことやらまったくわからないと、
聞く気もなくなってきます。
   たいてい、単純に、英語などの言葉を,そのまま使っているだけなんですけど・・・
     

 「ぎょうかいかくれきがん」・・まともに発音していたら、舌をかみそうな言いにくさ・・当然、発音しやすい言葉を使います・・・そこで慣れた人は「タフブレ」といいます。「タフブレッチャー」の省略。タフは「火山灰」、ブレッチャーは「角礫岩」。

 
  ちょっと知りたいという人もいるかもしれません。そこで今まで出てきたものを中心に、
  よく使いそうな、いくつかの単語をあげてみます。
     (学生時代の単語暗記やってるわけではないのですけど。覚えてみたい人は,どうぞ)

安山岩・・・・アンデサイト
玄武岩・・・・バサルト
花こう岩・・・グラニット
凝灰角礫岩・・・タフブレ
結晶片岩・・・・・シスト
溶結凝灰岩・・・ウェルディッドタフ       
石灰岩はライムストーンですが、ふつう、石灰岩とよびます。チャートはそのままチャート。

火山灰・・・・・・・タフ
溶岩・・・・・・・・・ラバー   


 
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 世界遺産を目指している富岡製糸工場見学に、お年寄りグループと出かける機会がありました。

昔お蚕を飼って忙しく働いてきた人たちもいて、見学にも親しみがわくようです。

   私は数年前、まだ世界遺産なんてまるで話もない頃、ふらっと立ち寄ったことがあります。
 


 
門は開け放されていて、誰もいない場内を何となく見回って、「ふーん」と出てきました。きれいに残されているな、とは感じました。とりわけて感銘もなかったけれど、何しろ、日本史の教科書に必ず載っている場所ですから。

今回は観光バスも目にとまり、30分ごとに集合したメンバーをガイドさんが旗を持って案内説明していました



 解説を聞きながら見学してみて、「一人で何となくぶらついたときと、ガイドさんの解説のあるときでは、ずいぶん感銘が違うなあ」と。
レンガを見ながら、「瓦職人さんがレンガを焼いたんですよ。福島(”福島県”ではなくて、すぐ近くの富岡市の”福島”です)で焼いて。レンガなんて焼くのははじめて。こことここの出来映えを比べてみて・・今のようにコンクリートがないから、青倉の石灰岩で漆喰をつくって・・・」指さしながら表情をまじえての説明を聞くだけでも、すっと頭に入るものです。当時の人の気持ちが、何となく脳裏に浮かんできます。
フランス人が指導に来ていたけれど、その給料の高額さ!人がかかわっている場所ですから、その当時の人たちの「人」を感じると、なんだか身近になるものです。

工女を集めるのがたいへんだったことは聞いたことがありますが、仕方なくやってこさせられたお嬢様たちの中には、付き人を引き連れてきたのもいるとか。”幸か不幸か”やってきた和田英の「富岡日記」のおかげで私たちはいろいろここで話ができるんですよ、といった感じで、英さんって、どんな人だったかな、とか思ったり。給料は能力に応じて段階をつけたとか、経済観念のないお嬢さんたちの中には、付け払いですっかりお金を使いすぎ、支払金が足りず、迎えに来た人まですぐには帰れなくなったとかの裏話も。労働時間は8時間労働が守られ、休日も完全にとったとか、「へーっ」と思うことも。その後の女工哀史を思ってしまう。建物をつくるとき,いちばん大変だったのは煙突だった・・足場を組むのに,材料は竹しかなかったので、高い煙突をつくるのは大変!その他いろいろの解説。案内が終わったら、みんなで拍手でした。その後も、何か質問は・・といわれたら「あのー、瓦、大きくないですか?それに、屋根が波打ってみえるんですけど・・」などからはじまって、あれこれと。瓦は大きいし、波打って見えるのは『錯覚』だそうです。
個々のエピソード・内容は、いただいた印刷資料にも載っていたりしますが、やっぱり、実物を前に人の口から聞くのはいいものだと、あらためて思ったしだい。それに、ガイドさんも熱心に勉強している様子で、どんな質問にも答えていました。案内してもらって、何だか、得した気分でした。
それぞれの個性で、やり方で、伝えていくことの意義を思った次第です。

労働条件等、家に帰って調べてみて(ネット情報で)、ずっと8時間労働というわけではなかったとか、英さんは,初期の時期に1年いただけで、技術を持ち帰るべく頑張っていた人のようだとか、観光向けの解説とは少し違った現実があるような。養蚕・製糸から、日本の資本主義経済の始まりと歴史の断面をたどれそう。
今まで調べてみようとも思わなかったことを調べる気になったのですから、現地に行って話を聞くというのは,貴重です。

 
 というわけで、ガイドさんの役割をしっかり感じた日になりました。

 


 



2013年11月5日火曜日

岩石⑥ 火山岩



  下仁田の火山岩類

 

 冬鳥が姿を見せています。我が家の庭でも、ジョウビタキがちょこちこと動きまわっています。
今日は堅い話になってしまいそう・・・・
  

火山岩

 火山にある石のこと?・・・・・火山にはもちろんあります・・・・・・
でもそうすると、今、下仁田には火山がない。大昔の火山でできた石でもいい?
・・・・はい、OKです。
・・・・でも大昔の火山なんて、形も残っていないし、火山かどうかもわからないのでは?

  
火山岩とは、マグマが浅いところであまり時間をかけずに固まってできた岩石です。「具体的にどれくらいの時間?」と聞かれると、ちょっと困るのですけど。
「火山の岩」だから、火山から流れ出した「溶岩」のイメージが強いかも。でも、富士山のような火山でなくても、地下の浅いところで、地表に顔を出さずにマグマが固まっても、火山岩になります。
火山岩の名前をあげれば、 玄武岩・安山岩・流紋岩。  
     (教科書に必ず出てくる名前。覚えている人も多いかも。「流産・安産・元気な子」などと
       ゴロ合わせで覚えて・・もっともこれ、あまり子供向けじゃないと思うけど・・) 
この区別ができるといいですね。
   色の黒っぽい順に、「ゲンブ岩・安山岩・流紋岩」
    成分の違いが「色黒~色白」という、色の違いにあらわれます。
    学問的には、含まれる二酸化ケイ素 SiO2 の量で分けますが、ふつうは化学分析なんて
    しない・・・・・見かけと、含まれる鉱物を調べて区別します。
左は安山岩。黒い長方形の斑点は鉱物の結晶。斑点状なので、こんな結晶を斑晶とよびます。
右上は流紋岩。石英の粒が入っています。
どちらも利根川の川原でひろったものです。
 



左写真のような石も安山岩・・・このあたりになると、「エッ、ずいぶん黒い・・・玄武岩じゃないの?」という声が聞こえてきそうです。
下仁田の西部地域、荒船風穴付近の石です。色黒なのは、成分が玄武岩に近いということもあるでしょうが、斑晶のまわりがガラス質ということもあります(後の章でもう少し説明をする予定)。
荒船山の山頂の溶岩は、「安山岩」ではありますが、真っ黒くみえます。


 
下の写真は顕微鏡で見た岩石です。がらがら割れて積み重なって荒船風穴をつくっている石で、上の写真の石に似ています。石の種類は安山岩です。大きめの結晶が斑晶になります。点々と見えている小さな斑晶がここではこんなに大きく感じられます。右下の線が1mmです。 
薄片作成・写真撮影  中島啓治さん 

 「デイサイト」という名前もよく聞きます。安山岩と流紋岩の中間の成分で、以前は
”石英安山岩”とよびました。
日本の火山は安山岩質の岩石が多くみられます。

 火山岩は下仁田西部の本宿地域から妙義にかけての地域に、たくさん見られます。
かなり昔、700万年前とか950万年前とかいった昔に、大規模な火山活動のあった場所です。

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 地質学者の宮城一男さんが、賢治の書いた地質関連の作品をまとめていました。その中から少し紹介を。

宮沢賢治は流紋岩が大好きだったそうです。
当時は流紋岩とは言わず、石英粗面岩(せきえいそめんがん・リパライト)とよびました。盛岡高等農林学校時代の賢治の卒業論文は、はじめは、「盛岡市付近のリパライト」でしたが、途中まで研究が進んでいたのを、なぜか友人ととりかえてしまったとか。

賢治は中学生の頃、盛岡市の郊外の鬼越山に日曜ごと出かけ、鉱物や化石の採集に夢中になっていました。家族から「石っコ賢さん」とよばれていたほど。
鬼越山はリパライト(流紋岩)の山で、ここのリパライトは割れ目や穴のすき間がたくさん見られたようで、そんなすき間には鉱物の結晶が見つかることがありました。そんな「石の花」に夢中だったのです。賢治がリパライトの話を始めると、家族は「またリパライトか」といって笑い出すほどだったといいます。以下に、中学1年の時の短歌などを。

「鬼越の山の麓の谷川に 瑪瑙のかけらひろひ来りぬ」
「玉髄の  かけらひろへど  山裾の  紺におびへてためらふこころ」

岩手山の南麓一帯、小岩井農場を中心とする地域は、賢治が好んでくまなく歩きまわり、その地名が短歌・詩・童話などに登場します。ここは賢治の心のふるさと・自然を見る目をはぐくんだ場だったにちがいありません。
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  石ヶ森は標高440mそこそこの低山、三角形の形の整った山らしい形の山です。
  ここについての短歌があります。かなり地質学的な内容です。

          いまははやたれか惑わん
              これはこれ安山岩の岩頸にして

岩手山の山麓の小さなこぶのようなこの山は、だれもが火山・岩手山に関係してできたものと思っていました。ところが違った・・・・・岩手山よりずっと古い時代、新第三紀の火山活動によってできた山だった!・・・これを短歌にしたものなのです。岩頸(がんけい)は昔のマグマの通り道がそのまま固まったものです。
  そういえば、妙義の山も本宿地域の山々も、新第三紀の火山活動の噴出物によってできたものです。この地域にある鹿岳(かなだけ)は岩頸で、その石は安山岩です。(このブログの「地形その1荒船山・ 鹿岳」参照)。

     
岩手山には、他にも岩頸があります。大森(標高460m)もその一つで、次のように紹介されています。
 *  「石の森の方は硬くて痩せて灰色の骨を露はし 大森は黒く松をこめ 
    ぜいたくさうに肥っているが 実はどっちも 石英安山岩(デイサイト)だ。」
()()
集めた石はガラス板に張り付け、うすく削り薄片にして、岩石顕微鏡で見ていたそうです。
高価な顕微鏡を何とか自力で手に入れたりもしたようです。

沼森というところもあります。賢治の文です。
* 「沼森がすぐ前に立っている。やっぱりこれも岩頸だ。どうせ石英安山岩。
   いやに響くなこいつめは。いやにカンカン云ひやがる。
   とにかくこれは石ヶ森とは血統が非常に近いものなのだ。」

たたくときれいな音がすることで知られカンカン石として有名な讃岐石(サヌカイト・安山岩です)ほどでなくとも、硬く、たたくと張りのある音のする石に出会うかもしれません。すてきな音のする石になったのは、どんな作用からなのか・・・などと、知りたくなってきます。
 
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安山岩
 基本的には灰色がかった石。下仁田の川原の石にも

     たくさん見つかります。

右は荒船風穴近くの安山岩の表面の拡大写真。
スケールが入っていないのですが、点々と見える鉱物は小さくて、
利根川の川原のものとはちょっと違って見えますが、
これも安山岩です。
左はこの石の野外での写真です。傾いた柱のように見えますが、こんなふうに割れ目があって柱のようにみえることもよくあります。節理といいます。
ここではさらに柱を
輪切りにするような割れ目も見えました。





   
   

  




  
 
安山岩はどこにある?

あちこちたくさんあります。浅間山にも赤城山にも榛名山、そして妙義の山にも。
下仁田西部の国道254号線に沿った地域の本宿地域も、周囲の山々は安山岩質のものが圧倒的です。ただし、溶岩のように岩石として緻密に固まっていなくて、火山灰と安山岩の石のかけらの混ざった火山の噴出物も多く、これも安山岩の成分のものが一番多くみられます。
下仁田の例をいくかあげましょう。写真を『下仁田町と周辺の地質」(下仁田自然学校作成)からの転載も含めて紹介します。 

     

   < 鹿岳(かなだけ)>
  




 
 
 









2つのこぶは岩頸、かつて溶岩を吹き出したときのマグマの通り道が固まったもの。
安山岩でできています。
この岩頸を近くで見ると、柱のような柱状節理が見えます。右の写真です。
 
             右写真は本より転載















                                  <  物見山>   物見岩は柱状節理の発達した安山岩(写真 転載
 
 
 <大桁山 > きれいな柱状節理が見られます。現在は立ち入り禁止の採石場跡地に入らないと 
          見られません。ここの石は建築用骨材として盛んに使われていたそうです。



<荒船山の北壁 山頂の溶岩>
             (写真 転載)

 荒船山はいちばん上が厚さ50m~70mの厚さの硬い溶岩に覆われ、平らになっています。この溶岩は安山岩ですが黒い色をしています。700万年ほども昔に流れたようです。




           

                                                                 
<椚石(くぬぎいし)>   南牧川・磐戸の南にある石。変質を受けて少し白っぽく、柔らかくなっています。・コンニャク作業の石臼にも利用しました。 右写真は岩石の表面の様子です。スケールがないのですが、細かい結晶が点々とみられます。

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安山岩質で、すこし深めの場所で少しゆっくりかたまったものは ヒン岩 とよばれます。成分の違いと冷え方の違いで、違った岩石名がついています。

ヒン岩のような石を「半深成岩」とよびますが、今後「半深成岩」という言葉も
「ヒン岩」という呼び名も使用しないことにするそうです。とはいえ、便利でもあり、実際には使用しています。本宿地域にはヒン岩とされる岩体もたくさんあります。今後、どうなっていくのかな・・


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  流紋岩
   
基本的には白っぽい石   
砥石に使われた砥沢の石は、流紋岩が熱水変質したものです。
私は最初、火山灰の固まった石かと思いました。

自然学校でひらいた子供たちとの教室で、この石をひたすら磨いてつやを出し、ペンダントをつくったことがありました。飽きずに磨くのに、感心しました。
そこで、ここでは砥石ではなく、この石を使ったペンダントと石絵を紹介してみます。
  作成は 細矢尚さん。とてもきれいに仕上げられています。(私にはとてもできないです)
                                                                                            





 この石は結晶が細かく、また変質により加工しやすい石になっています。
  
・この流紋岩は900800万年前のもの。
・ 南牧川沿いの、砥沢という集落の南方にあります。ここは古い時代の地層・秩父帯の分布する地域なのですが、そこに後から入り込んだ(貫入した)マグマが固まったものです。
 
 

砥石とは・・・・


今では「といし」とルビをふらねば読めず、「砥石」も何に使うのか解説がなければわからない
人も多いかもしれません。

 文字の書かれた鉄剣(国宝・5世紀後半)が見つかったことで有名な埼玉県の稲荷山古墳には
鉄剣と一緒に砥石も納められていました。とても重要な物だったことがわかります。
(発掘されて保管されたままだったサビだらけの鉄剣にX線をあてたら、金象嵌の文字が浮き出
てきたと大騒ぎになったのを覚えています。刻まれた115文字は、歴史研究の貴重な資料になっ
ています。)
 
砥沢の砥石は高品質の砥石で、ここ砥沢は、かつて江戸時代には幕府直轄とされていたというほどの重要な場所でした。
自然学校には、砥石で上手に包丁を研ぐ人が何人かいます。子供の家に行くときは、砥石を持っていって研いできてあげる、という人も。いつも切れ味の悪い包丁を使い、砥石の使い方もよくわからない私は、弟子入りして、上手に研げるようになりたいもの、と思いつつ、実行していないなあ・・・

  賢治が夢中になったようなきれいな鉱物結晶の見つかる流紋岩は、下仁田には見当たらないように思いますが、キラキラとした鉱物のかけらではなく、きらきらとしたお金を稼いでくれた流紋岩だったようです。
  この流紋岩には微粒のザクロ石(ガーネット)が入っていて、砥石の性能を高めていました。ガーネットは硬く、もともと研磨剤に利用されることが多いものだったそうです。宝石を思い浮かべる私たちは、見えるか見えないかの小さな粒のガーネットなんて、価値のないものと思ってしまいます。でも、もし砥沢の石のガーネットの粒がもっと大きかったら、砥石としてはダメだったでしょう。地域に富をもたらしてもくれなかったかも。「価値」とは、わからないものです。
    かつて研磨剤には天然の鉱物が使われていましたが、今では人造研磨剤がつくられ、使用されています。
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マグマが地表に流れて溶岩となるもの、貫入したて冷えたもの、どちらのタイプでも火山岩ができま
す。貫入したものについての分布図をのせます。この図のもう少し右上が下仁田の町になります。
貫入岩はピンク色の部分です。大きな岩体だけのせてあります。
砥沢は「南牧川」と書いてあるすぐ下の、「流紋岩」とある場所です。

 

貫入した安山岩や流紋岩の仲間(南牧川上流部)・代表的なもの
                  作成 下仁田自然学校  (色塗りがいい加減ですが、これは私の責任)

 ・玄武岩が出てきていません。あまり目にしていないので、今回は省略させていただきます。
また後で紹介するかもしれませんが・・・。

火山は、誕生してから活動を終えるまで、つまり、一生の間に、噴火の様子が変化していきます。ですから、マグマのタイプも変化していったりします。できる石も、少し変わっていったりもします。ですから「みんな安山岩」などと決めつけないで、丁寧に見るのは大切です。

ところで富士山はどんなマグマを流すかご存知ですか?
なんと、玄武岩!日本の陸地で玄武岩を大量に流す火山はあまりないと思います。
安山岩の火山は富士山型の山の形をつくり、玄武岩はもっとなだらかな山をつくると、教科書では教え
るのですが、その代表みたいな富士山が玄武岩の溶岩を出している!
・         何とも自然は一筋縄でいかないものです。


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   草野心平がこんな記述をしていました。
               (蛙の詩で知られた詩人・教科書にものっていたと思うけど)。

  「例へば富士山に関する詩を私は相当書いたが、私にとって富士山は海をくぐってミクロネシアにつづく物質であり、内部は静脈のやうな地下水が縦にながれ フジバザルトがその臀部なのだ」
                 (玄武岩は英語では basaltバサルト)
上の文章は、新幹線においてある旅雑誌、”トランヴェール”に紹介されていました。
富士山が玄武岩って知っていたんだ・・・ずいぶん科学的な情報が入って、しかも自由自在に自然の大きな編み目、つながりを感性で感じさせる表現をしています。
草野心平は宮沢賢治を生前から高く評価し、自分たちの同人誌への参加を求め、亡くなったときには追悼文を書き、賢治を世に紹介することに力をつくしたのだそうです。
 

こんな詩も載っていました。

 「三畳紀」
  レピドデンドロンとシギラリアの林のなかに。
o  牡の象がよこたわって。
  眠っているのではない眼をつむって。
  瀕死の喘えぎをしている。  ・・・・  中略
  峠を越えてASAMAの噴煙を左に見ながら五匹の仲間と。
  大とんぼメガネウロンなんかをざらざらの耳でひっぱたきながら。・・・ 中略
  レピドデンドロンの鱗のある木並のあいだからFUJIが見える。
  火を噴く夜のFUJIが。  ・・・・・・・・・・・・・・後略

 賢治との違いは、賢治は科学的に正確な内容で詩をや文章を書いていますが、心平は心のままに
時空を飛び越えて詩の形にしていることです。
レピドデンドロン・シギラリアは古生代石炭紀のシダに近い仲間の巨大な植物で、象はずっと後の時代、新生代に現れた動物、しかも昔は体も小さくて耳もあんなに大きくなかった。浅間や富士山は本当に最近できた火山だし、巨大トンボのメガネウラは古生代石炭紀の林を飛び回っていた・・・・レピドデンドロンのむこうに富士山が見えることは絶対にないし、象がメガネウラを耳でひっぱたくことも絶対ない。三畳紀がどこに出てくるのかもわからなくなってくる・・・
でも、こんな詩が棟方志功の版画の中に踊っていて、赤や青に彩られた富士がむこうに見えていたりすると、なにやら迫力とインスピレーションがわいてくるようで、不思議です。

心平はこんな思い出話をしていたことがあるそうです。
”『私が”銅鑼”という詩の同人誌に、賢治を誘ったところ、さっそく、詩二編と金1円の小切手と手紙をそえてね。”私は詩人としては自信がありませんけど、一個のサイエンティスト(科学者)としては認めていただきたいと思います”と書いてあるんですよ。変わった人がいるもんだなあと思いました。」

賢治の文の科学的正確さはこんな所から来ているとわかります。
科学を熱心に勉強していたんだなあ・・・