2014年2月16日日曜日

褶曲 ・ずれ礫


大雪   家に帰れない・・ 日曜日は総出で雪かき・・・みなさん、いかがでしたか

普段あまり雪のない地域の大雪・・・・・関東は、もう,麻痺状態。
群馬県も麻痺、というと、「エッ,群馬って普段から雪がいっぱいなんじゃないの」という人もいることでしょう。上越県境近くのイメージがあるかもしれませんが、平野部は、雪はほとんどなしなのです。「かかあ殿下と空っ風」の県ですから。
  前橋の積雪73cm!・・・1896年に観測はじめて以来の最高値、しかも2番は37cmなのです。

「この程度の雪、普通じゃないか」と、雪国の方から言われそう
こんなの札幌に住んでいたときは、当たり前の光景でしたが・・
玉村町での光景です
近所でも、車を乗り捨てて7時間かかって歩いて帰ってきたとか、たった8㎞ほどの距離を車で5時間かかって帰り着いた方、動かなくなったJR高崎線の駅から2時間かかって歩いて帰り着いた人・・・・道には車がのりすてて・・・・もちろん新聞も配達できない・・
 スチール製のカーポートがずいぶん壊れていて、近所の住宅団地でも8件みましたし、ベランダがこわれていたり・・・次の日、スーパーマーケットではパンなどの棚はすっかりカラ・・・
 皆さんの周りではいかがだったでしょう。
テレビのニュースではいろいろ大変な様子が・・・下仁田のとなり、南牧村は、陸の孤島になって停電で、と、報じられていました。

天気予報が本当によく当たるようになって、いつも「すごいなあ」と感心しているのですが、自然の力のすごさには謙虚にならねばと思う次第です。それにしても、世界中で自然災害が増えているというのは気になります。

<3>
地層の褶曲
  岩石なのにどうしてアメのように曲がれるの?
 
鉄の棒も、長い間にはぐんにゃりまがったりします。ながーい時間力をかけ続ければ、鉄はもちろん、岩石も変形してまがることができるはず・・・・
この説明、ほとんど小学校低学年の子供の絵本の世界だなあ・・・・と思いつつ書いています。
     温度が高めなら曲がりやすいのか、地下での圧力のかかりかたはどんなのか・・・
    もっといい説明が書けるようになりたいのですが・・・難しそう

 曲がった地層は「褶曲している」といいます。
力が加わった時、曲がるだけではなく、岩石が破壊されてしまうことももちろんあります。このときは地震が起こり、断層ができます。

大桑原の褶曲                          写真 関谷友彦さん
大桑原でみられる褶曲した地層です。8000万年ほど昔に海に堆積した跡倉層とよばれる地層。曲がりすぎて横倒し」という感じですね。
    地層には砂泥の粒の大きさがだんだんかわっていくグレーディングがみられて、どっちが
    地層の上位かわかります。川の水をじゃぶじゃぶ渡らないとみられないけれど。

 下に教科書でよく見るような褶曲の形の説明をのせます。どれに一番近い?
   褶曲の構造にはいろいろな用語があってわからなくなりそうですが(例えば,大桑原の褶曲は
   シンフォーム状背斜とか・・・)、まず下の図のイメージを思い浮かべたらいかがでしょう。
                                地学図表 浜島書店より
下仁田駅から西に、大崩山(おおぐいやま)・川井山という小さな山がみられます。これらは、どこからか横すべりしてきた岩のかたまり、クリッペとして知られています。その周辺一帯も横滑りしてきた地層で、少し西に行った宮室では、すっかりひっくりかえった砂と泥の地層がみられます。そこに行く途中でこの褶曲がみられます。大崩山も中腹より上部はこの跡倉層で、跡倉層は,ずいぶん変動にさらされてきたのだなあ・・・と思えます。写真のように大きく褶曲していると、大きな力が働いたんだ、どんな大事件があったのだろうと、誰でも素直に感じられます。

                                  地学日曜散歩 1971年 より 一部改変

褶曲には、小さいのから大きいのまで、いろいろあります。山そのものが褶曲の一部という、大規模なときもあります。
    
 岩石の中に見られるこんな曲がりの模様も、褶曲といっています。

上はスティルプノメレンという鉱物を含む長瀞の結晶片岩。
この岩は虎岩とよばれていて、宮沢賢治が歌に詠んでいることでも知られています。


下は近所のお寺で見かけた石です。緑色岩やチャートでしょうか。




















<4>その他
     ずれ礫
      
下仁田では、「切れてずれて、お皿に盛ったお刺身のようにみえる礫」が見られます。
礫に何本も平行にひび割れがはいり、割れ目に沿ってずれています。

割れ目というより「断層の動いた力を受けて,切れている」、 といった方がいいかな・・
こんなに割れているのだから、取り出したら、ぼろぼろと崩れるかと思えば、まったくそんなことなし。硬くしっかりくっついています。


この礫を含む地層は神農原(かのはら礫岩とよばれ、ねこし峡でよく見られます。市街地裏山の浅間山(せんげんやま中腹にも。神農原礫岩は、さらに鏑川下流の神農原へと 分布しています。
   礫は花こう岩の仲間の石(石英はん岩)が大部分で、赤みがかった長石が目立つ石です。
   この礫にたくさんのひび割れがはいり、時には写真のようにずれているものがあるのです。
   こんな、切れたような礫、めったに見られるものじゃない・・・ぜひご覧あれ。



  
ずれた礫がたくさん見られるのは、はねこし峡や石淵橋、浅間山付近、あるいは鬼ヶ沢にある
かつての鉄道鉄橋付近などで、鏑川の下流へ少し離れた神農原などではあまりみられなくなるそう
です。

この石は8500万年ほど前に形成されたものらしいのですが、その後礫になり,礫岩のもとになりまし
た。でも、神農原礫岩がいつ堆積したかはわかっていません。2000万年前に堆積した地層に覆わ
れていますから、8500万年よりあとで、2000万年より前に堆積したことだけはわかります。
 

こんな礫、めったに見られるものじゃない  
  ほかのどこに行ったら,こんな礫が見られるでしょうか  

他の地域での「ずれ礫」の見られる所を調べて、水落幸広さん、棚瀬充史さんが下仁田自然学校の連絡誌クリッペに紹介してくれました(2008年)。

「ずれ礫(くいちがい礫)」の見られるところ
      これで見ても、 どこにでもあるというものではなさそう・・・という感じがします。
    愛知県北東部巣山 阿寺七滝礫層の「くいちがい礫」 (中央構造線沿いです)
    山梨県南巨摩郡早川町  (南部フォッサマグナ)
    福井県敦賀 矢良巣岳頂上付近の礫岩中のチャート  (飛騨外縁帯)
    襟裳岬 歌露礫層   (日高西縁)
    断層帯の中で礫が食い違っている例
  神奈川県神縄断層
  国府津―松田断層
  新潟県糸魚川市小滝
やっぱり、”断層関連”という感じがしてきます。

どうやってできた??
・・・中央構造線の近くにあるから、そのパワーが関係しているのかも・・・
究極のパワーストーン!?
 より強い力なら、砕けたりすりつぶされたりしてしまうはず。
    ちょうどうまい具合に力がかかったのか・・・

      上にあげた水落さん、棚瀬さん、ずれ礫を切って,その断面のスケッチを解説してくれました。たくさんの割れ目がみられます。
     ②の割れ目だけでなく、①の方向の割れ目もあります。②には右上に伸びる割れ目群が発達。これは②に伴うもので、左ずれで形成・・・これって、羽状割れ目の時解説した、ミ型とか杉型とかといった割れ目を思い出させる話です。
     顕微鏡でみて、含まれる鉱物の変形のようすも語られています。

下仁田自然学校の運営委員の中島啓治さんがこのずれ礫を岩石カッターで切って断面を出して磨いてくれました。断面では割れ目がしっかりくっついていて、ちょっと見た目には、どこにずれの割れ目があるのかわからないほど・・・ほとんど普通の石に見えて、写真をとるのも忘れてました。
自然史館に展示してありますので、ごらんになりませんか。

切れた方向・ずれの方向に規則性は、と調べ、報告された方々もいます。小坂共栄さんたちで、3タイプの断裂があるということです。
多くの人たちを引きつけるずれ礫、とはいえ調べるのはなかなか難しい話です。
下仁田では町の真ん中を通って東西方向に大断層(中央構造線)が通っています。
この断層に近い場所にずれ礫が多い感じがしますが、どうなのでしょうか。


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前回、洗濯機の話をちょっと書きました。
ほんの一時期、ちょっと変わった洗濯道具がありました。幼い頃の記憶にあります。丸い入れ物をグルグルまわしていたような記憶が。蓋を開けると、パンッといったとかも。ご存知のかた、いらっしゃるでしょうか。
それの記事が新聞に載っていたことがあって、「そうだ、兄やおじさんに見せてあげよう」と,とっておきました。ところがどこかに紛れてしまい・・・それが最近出てきました。あらためて読んでみました。
 こんなふうにいろいろ工夫し頑張る人が近くにいたんだ、という気分でした。何だかうれしいです。
たくさんの人の努力と工夫で今があるのだな,と思いました。



2014年2月9日日曜日

地層に見られる模様 その4  地層中の丸い塊は何?

    地層中の丸い塊は何?

時々、砂や泥などの地層の中に、丸い塊が見られることがあります。
「そんなの礫(丸い石)が転がり込んだので、何の不思議もない」と思うかもしれません。
でも、よく考えると変です。丸い石が転がり込む場所(それなり強い水の流れのある場所)に、一緒に細かな砂や泥がたまるでしょうか・・・・・泥や細かい砂の地層の中に石ころがぽつぽつと混じるというのは、少しおかしい・・・
じつは、丸い石ころと見えるものは、小石ではなかったのです。
下の写真をご覧ください。真ん中付近にある数個の丸いものが、ノジュールと呼ばれるかたまりです。


秩父31番札所  ラミナの目立つ砂岩層の中にノジュールが見られる

<タイプ1> 
ノジュール(結核・コンクリーション・団塊などともよぶ)

もともとはなかったのに、時間がたつにつれて地層中にできた塊
中に化石が見つかることがあり、化石採集をする人にはよく知られています。
水上町合瀬(かっせ)でみられたノジュール
火山灰質の地層の中に丸い塊がたくさんありました

石灰分が集まって
きた固い塊で
丸い球状のものが
印象的。
でも他の形のものも
あるといいます。
大きさもさまざま

集まる化学成分には他にもいろいろあるといいます。石灰分のものが目に触れることが多いような気がしますが。
他には、鉄分,ケイ酸分、そういえば深海にはマンガンノジュールというのが転がっているとか。これをさらって集めれば、マンガンを採掘できそうですが、なにぶん深い海の底の話、簡単に実現するわけはない・・
泥が舞い上がって環境問題にもなるでしょうし。


 <下仁田で見られたもの>
西牧川岸 下仁田層で化石採集して
いたら、小さな丸っこい玉が転がり出てきました  
下仁田でみつけたノジュール 


<タイプ2> 
 火山豆石(まめいし)
 
火山噴火が関係して、火山灰の丸い塊ができることがあります。
    例は少なめ。大きさもそれほど大きくなりません。

下仁田周辺では、2カ所で見つかっています。
①富岡の丘陵で 富岡層群の中に見られます
②本宿地域で 本宿層中にみられます



どうやってできたの?
火山噴火の噴煙の中で、気流の乱高下で火山灰が集まるといわれます。積乱雲の中で(ひょう)ができる仕組みが連想されます。あるいは、積もった火山灰の中に雨水滴が落ちてできたのではとも言われるようです。ちゃんとわかっていないのかなあ・・・

というわけで、今でも火山噴火の時、丸い粒ができることがあるはず。それが地層中にうずもれて、さらに私たちの目に触れるということは、どちらかというと、まれなことのように思えます。激しい火山活動があったのだろうな、と、想像はされますが。
本宿層の火山豆石

















<タイプ3>
 風化でできる丸い形


大桁山の登山道に,丸いかたまりが転がっていました。












安山岩が風化して,こんなふうになりました。そういえば以前、大桁山で拾った楕円形の塊が、まるで恐竜の卵のようにみえて、みんなでおもしろがったことがあったなあ・・
雨風にさらされているうちに、こうして風化して砕けていくわけです。
タマネギの皮をむくように丸くむけて砕けていくものを玉ねぎ状風化と呼んでいます。砂岩や泥岩にしばしば見られますが、写真が手元になかった・・・残念!何度も見たことある気がするのですけど・・・なかなかおもしろい形になるので、ネット検索で写真をみていただけたら・・・・写真がたくさん載っています。

富岡層群の牛伏砂岩層、縦横斜めに割れ目(節理)が入っている

タマネギのように風化する仕組みの解説ものっていました。それで、少し解説を。
左の写真のように、節理の入った地層では、この割れ目に沿って雨水、地下水がはいりこみ、岩石は粘土化し軟らかくなっていく。さらに熱・凍結・乾燥などで膨張収縮をくりかえし、剥離していく・・・こんな繰り返しでタマネギ状風化ができていくようです。





  岩石はやがて砕けて、砂や泥になっていきます。

ついでなので他の風化の様子をのせます


泥岩の風化の様子です。
泥岩はこまかく割れていきます。
 
写真はみなかみ町湯宿の川原ですが、
こういった風化は、普通にどこでも観察できます。


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先日、下仁田で写真のような実をもらいました。丸くふくれ少し透き通った感じの飴色のもの。
落ちているのを見ると拾いたくなる!!

割ると中から真っ黒い種が転がりでます・・・ご存知の方もいらっしゃるかと(でも知っている人
は少ないかも)。ムクロジの実です。
これをいただいた数日後、近所の方からもいただきました。神社に節分の行事で出かけ、落
ちていたのを拾ってきたとか。しかも物知りの年配の方に、この実についての話を、いろいろと
教わってきたそうです。 


 この実を見つけるなら、神社かお寺に行くにかぎります。もともと日本には自生していないもので、こんな場所にしばしば植えてあるので。

   黒い種に鳥の羽をさして、羽子板でつく正月の遊び、「はねつき」の羽根にしました。もっとも、最近は、はねつきって何?といわれそう。 

泡がたつかな・・・

   


もうひとつ、この実の利用価値は、かつてこの実を
石けんとして利用したという話。サポニンという成分を含みます。


子供の頃に、泡がたつか、などと実をつぶして遊んだことが,
記憶の底から転がり出てきました。あれはムクロジだった
のか、エゴノキだったのか。・・・ネットで見ると、ムクロジが
オーガニック材料として販売までされている!水に入れて
みたけれど、洗濯するまでいきそうもないなあ・・・
今の洗剤のありがたさを思っています。

戦争当時だったか戦後すぐのころだったか、石けんが手に
入らなくなり、入手できたときは本当にありがたかったと,
父が言っていたのを思い出します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今では、洗濯機にぽんと汚れ物を入れれば、きれいになって、すすぎ、脱水までしてくれる。
でも、これ、人類の歴史から見ると、本当に最近のこと。
今88歳の方の言っていた言葉が忘れられません。
「電気洗濯機を発明してくれた人にはノーベル賞をあげたいと思った」。
小学校の先生をしながら三人の子供を育てたこの方には、洗濯の負担は、そうとうのもの
だったでしょう。私の母は、私のおむつを手洗いで洗ってくれたのだと、あらためて感謝したもの
です。ゴム手袋もない時代、農家の主婦は朝早くから井戸水で手を赤くしながら洗濯したはずで
す。
地下水温はほぼその地域の平均気温ですから、玉村あたりなら15℃程度。冬暖かく夏冷たく感
じるとはいえ、それで水仕事をするのは楽ではありません。

だいぶ昔、石けんについてしらべたことがありました。子供向け本に載っていた記述に仰天しま
した。2000年ほど前のこと、ローマでは腐らせた尿を洗濯に使った、と。街角に桶を置き
通行人の尿を集めるのが洗濯屋の権利。この尿を腐らせ、尿からできるアンモニアが汚れを
落とすというのです。尿、さらにアンモニア・・少しでも理科を勉強した人なら、あの強烈な刺激
臭を思い出して、信じがたい思いをが強まるわけ。アルカリが汚れを分解してくれるわけなのですが・・・

中世ヨーロッパでは、服はたびたび洗濯できないような重いもので、あまり洗濯もしなかった
 ようです。ノミ・シラミも多い・・・(でも,私の子供の頃には、まだノミがいました。シラミは見たこと
ありませんけど)。日本の衣服事情はどうだったのかなあ・・・
16世紀になって、毛織物工業が栄えた時代、石けんは織物の仕上げに使われるために盛んに
作られるようになったそうですが、洗濯になんて使われたのかどうか・・・
 昔は石けんというのは貴重品で、ほとんど洗濯にはつかわれず、洗濯には灰や白土という土
などが利用されていたようです。洗濯は川へ行って踏み洗い、棒でつつくなど・・・。大きな鍋で煮
ている映像も見たことがありますが、ごく最近まで今こんなことがおこなわれていたということでし
ょうか。殺菌消毒したということなのでしょう。
18世紀から19世紀、産業革命の頃は「洗濯女」という職業もふえ、下層階級の仕事とされてい
たと思います。朝から晩まで,汚れ物と格闘していた重労働・・・
猫は自分の体をきれいになめています。人間は,衣類を着ので、誰かが衣類をきれいにしな
ければならない生き物になっている・・・

歴史のかなたの話と思われそうなので、今の話を。
ユニセフで手洗いキャンペーンを進めているニュースを見ました。学校で手を洗うことを教え、
子供を通して,親、地域にも手洗い習慣を広める・・石けんで手を洗うだけで、病気を減らせる,
子供の死亡率を減らせる・・・・中世の衛生状態を「昔はなんとまあ・・・」などと言っている場合
じゃないわけ。
世界では三人に一人がトイレのない生活をしている,11億人は屋外排泄していると言うので
。ちょっと信じられない数字。
子供の死亡原因の上位に、「下痢」があります。これ、きれいな水とせっけんによる手洗いで相当減らせるものなのです。

日本人はきれい好きといわれますが、ムクロジもそんな生活に貢献してきたかも。
今の日本ではやたらと衛生関連のグッズがありますが、まだ石けんの使用を広めねばならない地域がたくさんあることも知るべきと思いました。

公衆衛生の発展のおかげで、どんなに多くの命が救われたことか。石けんはそれに多大に貢献というわけで、今の日本の衛生的環境には感謝です。
かつてはムクロジにも,もしかしたら,感謝していた人たちがいたのかもしれません。
  

2014年2月2日日曜日

地層に見られる模様 その3 リップルマーク、足痕化石

地層に見られる模様 その3


③ 漣(   れん)(こん) (リップルマーク)・ 足痕化石

漣・・・「さざなみ」と読みますね。さざなみのあと・・文字どおりの模様が,地層の表面に見つかることがあります。下仁田町ではないけれど,近くに有名な場所があります。

下の写真は,神流町にある漣痕、というより、一緒についている恐竜の足跡で有名な場所です。日本で最初に見つかった恐竜の足跡と言うことで、とても有名ですから,ご覧になった方も多いかも。
でも、最初は「きれいな漣痕の見える場所」として、地質研究者・愛好者に知られた場所だったのです。

 
   

















 


上部のぽつぽつとした穴や右側で下から上に向かうでこぼこが足跡ですが、そのほかの部分も、一面にでこぼこしています。これがさざなみのあと、漣痕(リップルマーク)です。砂の層などに水(風のこともある)が流れたりすると、模様ができ、その模様が地層に残ったものです。
何か生き物のはい跡のようなものも見えます。

恐竜はこの垂直の崖を登ったのでしょうか??
まさか・・
もちろん,登っていません。この面は昔は水平でした。平らな面についた波や足跡が、やがて地下に埋もれ、その地層は後に地殻変動で傾き、ほぼ垂直になったのです。

この面は1953年、道路拡張工事の時に出てきました。その後はきれいなリップルマークの見える場所として有名になり、地質に興味を持つ人や学生の実習として見学者が訪れていました。じつは私もその一人。「あの穴は何だろう。恐竜の足跡?」などと、冗談を言っていたものです。

漣痕の見つかった当時、下仁田自然学校の運営顧問の細矢さんたちはこの大きな穴を、「何だかわからないから、とにかくきちんと記載しておこう」と、はしごをかけ、記録をとったそうです。
1985年、これが恐竜の足跡と国内ではじめて認定され、日本中に知れ渡りました。
 工事の折には、リップルマークの見える地層面が, すぐ近くにまだいくつかあったそうです。道路工事現場でもあり、また当時からボロボロ崩れたりして、残念ながら今はなくなっています。
あとから、近くにもっとこんな地層がないかと調べてほしいと、頼まれたりもしたそうです。



1981年には近くから恐竜の骨が見つかっています。それで、「恐竜の足跡かも」と、真剣に取り組んだのでしょうか・・・




                                                             
リップルマーク発見当時の写真。はしごに登っているのは調査中の細矢尚さん











写真を入れていた封筒に,解説文がはってありました。


このとがった波の形は地層の上面に見つかります。一緒に見つかった足跡も、地層の表面についたものです。
これは浅い水底にたまったものでしょうね。なにしろ、恐竜が歩いたのですから。
 砂の表面に波の跡がつき、その上をちょっと泥質の堆積物が覆ったりすれば、のちにそこから剥がれやすくなるでしょう。前回紹介した砂泥互層は少し深い海の中に堆積したものですが、それとは、少し違った堆積のようすを思い浮かべたほうがよいでしょう

  なお、「波の化石」と表現する人がいますが、正確には、これは間違い。「化石」という言葉は、
  正しくは、生き物に関係した時にだけ使うものなので。
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1967年発行の みやま文庫「自然の歴史」に自然学校運営顧問の細矢尚さんが、この漣痕について書いています。15ページにわたりますが、一部を転載してみます。当時の雰囲気を感じてみませんか。

<1億年前の波のあと>

   山中地溝帯の中生層より発見されたリップルマーク

リップルマークの発見
 三波石で有名な神流川を鬼石、万場とさかのぼって行くと、多野郡の中里村、上野村がある。この地方は「御荷鉾の三束雨」で知られた雷の多いところである。御荷鉾山に出た雲は、麦束三束たばねるうちに雨になるというのだが、山で突然襲われると山賊雨とよびたくなる。神流川ぞいのバスで中里村に入ると叶山(1106.3m)が天に向かって岩が突き出した形でそそり立って、川を見おろしているのに出会う。急な崖をめぐらした特異な形は石灰岩の山の特徴で、崖は白い岩はだを見せている。
 昭和32年(1957)の夏に、東京、埼玉、群馬の研究者、教師、学生をまじえたグループがこの叶山のふもとを中心に地質の調査に入った。むし暑い日が続き、そして午後四時になると決まって雨が降った。この十日ほど続いた調査の中頃であった。例によって朝から暑い日であったが、午後三時半頃から雨になった。この日は二班に分かれて、一班は叶山のふもと、もう一班は叶山の西隣の立処(たとろ)山(叶山と同じ石灰岩の山)の調査に当たっていた。
 立処山の班はいつもよりやや早い雨に山頂であい,雷鳴におどろきながら岩かげで少し雨やかどりして下山した。叶山の班の三人が雨にあったのは叶山の裏で、宿と山をへだててちょうど反対側であった。しかも道もはっきりしない草やぶの中で身を隠すところもなかった。そこで濡れるのを覚悟で思い切って雨の中を草をかき分けて三〇分ほど歩き、ずぶ濡れで瀬林という部落へたどりついた。雨は相変わらず降り続いていたが広い道へ出たのでほっとした。これからは間物沢川ぞいのゆるいくだり坂で、宿へ二〇分ほどである。歩き出して間もなく、「あっ」といって三人とも立ち止まってしまった。そしてしばらく雨に濡れた崖を見つめ「リップルだ」「すばらしい」と言い交わしていた。
 リップルマークとは古い地質時代の水底に印された波のあとが地層面にのこったもので「漣痕」とよばれている。志賀坂峠を越えて秩父にいたるこの道が拡張されたのはその数年前で、そのときの工事でこの崖が現れ、地元の人たちは「波の跡だ」と正しい判断を下していたそうであるが、地質研究者の目に触れたのはこのときが最初であった。この報告はその晩のグループの話題をにぎわし、翌日は地元の人たちも加わるので、予定を少し変えて全員でこの崖を見に行くことになった。翌朝、ほとんど垂直のその崖は朝日に照らされて、うろこ状の漣痕が美しく光っていた。
 こうして瀬林のリップルマークは発見され、続いた調査でこの奥の間物部落にも別の型のものが見つかり、研究者の関心を呼んだのである。

・・・・・中略・・・・・

リップルマークを求めて
 この解明には 現在リップルのできている海底をのぞかねばならないが、これはなかなか不可能に近い。ただ深海底の写真にはこの方のリップルはみられないし、化石も浅海性のものなので浅い海をねらえばよさそうである。それに波の向きがはっきりしているから水は往復運動ではなく、一定の方向が考えられる。そこで実験をしてみることになった。海のない群馬県での実験は用水堀を用いるより仕方がない。深さ、流速の変えられる掘を探し歩き、赤城の中腹でさがし当て実験にかかった。川底にもいろいろのリップルがみられるが、どうも瀬林のものと一致するものはみられない。いろいろと条件を変えて実験を重ねた結果、水深2~6cm、流速毎秒25~27cmのときもっともこれに似たものができることがわかった。砂の粒度は0.3mm前後がもっともできやすい。しかしリップルのできるようすをくわしく観察すると、浅い皿状をなした谷の部分では絶えず不規則な渦流が生じ、砂粒は躍動して次々に下流へ運び去られ、一方下流に凸所をむけた波頂にある砂粒は、比重の大きいものが一時的に定着しながらも波頂の位置はゆっくりと下流にむかって移動を続けている。波頂の移動速度はまちまちであるが、速いものは毎分25cm、遅いもので約3mmであった。このように流動を続けるリップルがなぜ定着し、保存されたのであろうか。

証拠さがし
生痕
再び瀬林のリップル面にもどって見よう。これをよく観察すると波形の凹所に小型動物による生痕が多数見られる。ほとんどのものが砂のもり上がったもので、長いものは50cm、20cmと続くものもあるが、多くは数糎で不規則に枝が出たり、表面に縄状のもようが見られたりして、多毛虫類のはいあるきあとを思わせる形をしている。これは或時間堆積の休止期があって、そこが海底であったとき、その海底面で虫が活動したことを示している。それでは堆積、休止、堆積、という変動がどのようにおこなわれたのであろうか。
ラミナのスケッチ
 それを解明する手がかりとしてもう一つラミナ(葉理)がある。流れによる砂岩中の縞もようであるが、波の面に近いところは乱れて不規則に波うったり、断絶したり、交叉したりしている。これは静かな堆積の後に水の動きがはげしくなり、海底の堆積物を再び乱して流動する中で堆積して行ったことを示している。、
 このように調査研究が進められていった中で、どうしても解明できない現象もあった。この崖の上部にある奇妙な二つの穴の成因、右上から下にかけての一筋の表面の乱れはどうしてできたのか等々。なおこれには恐竜のはいあとという夢もあるのだがどうだろうか
 

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 


 
いかに緻密に注意深く見ていらっしゃるかがよくわかります。恐竜についての夢を語っているのにも、うれしくなります。
当時、日本では「恐竜の化石はでない」と言われてきました。誰も恐竜化石を見つけようなどと思っていませんでした。日本の最初の恐竜化石発見は1978年。それ以後、発見が相次いだのです。足跡化石も同様です。人の目は、その気持ちで見ないと、あるものもみつけられない、見えてこないものなのだと、つくづく思います。

山中地溝帯(さんちゅうちこうたい)とよばれるこの地域の生い立ち・歴史については、現在では当時と違った見方がされてきています。ですから細矢さんが解説されたこの地域の歴史部分には、現在と違ったものもあります。科学の発達というものはそういったものです。それぞれが先人の努力を尊重しながら、さらに進めていく姿勢を持つことが大切でしょう。

 
 
<みやま文庫>について
  群馬県の企画で、昭和36年(1961)から年4冊発行している本。県立図書館に事務所をおいている。年会費を集め会員頒布だが、近年は一般むけ販売もある。自然、歴史、民俗、文学、産業・・・など、多彩な分野で県の記録となっていて、現在、200巻を超えている。
なお、 「みやま」とは「赤城山・榛名山・妙義山」の上毛三山を意味している。

刊行の言葉の一節を紹介してみます。志が高いですね。

  多年優れた研究、実践活動をつんでおられる人々に発表の機会を与え、「地元で、みんなの
  力で、よい本をだす」ことをきっかけとして、地元のよい仕事をより強く育て、希望と励みを高め
  るものであります。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

  
宮沢賢治も,地層の表面に動物の足跡を見つけて、大喜びしています。しかも、生徒と一緒にみつけ、一緒に掘り出しています。場所は花巻市の郊外、北上川の川辺で、賢治が「イギリス海岸」と名付け、暇を見つけては散策していた,賢治が大好きだった場所です
次のような詩や文を書いています。


    川上の
    煉瓦工場の煙突から
    けむりが雲につゞいてゐる
    あの脚もとにひろがった
    青白い頁岩の盤で
    尖って長いくるみの化石をさがしたり
    古いけものの足跡を
    うすら濁ってつぶやく水のなかからとったり
    二夏のあひだ
    実習のすんだ毎日の午后を
    生徒らと楽しくあそんで過したのに
    ・・・・

 その時、海岸のいちばん北のはじまで遡って行った一人が、まっすぐに私たちの方へ走って戻ってきました。
「先生、岩に何かの足痕あらんす。」
 私はすぐ壺穴の小さいのだらうと思ひました。第三紀の泥岩、どうせ昔の沼の岸ですから、何か哺乳類の足痕のあることもいかにもありさうなことだけれども、教室でだって手獣の足痕の図まで黒板に書いたのだし、どうせそれが頭にあるから壺穴までそんな工合に見えたんだと思ひながら、あんまり気乗りもせずにそっちへ行ってみました。ところが私はぎくりとして突っ立ってしまひました。みんなも顔色を変へて叫んだのです。
 白い火山灰層のひとところが、平らに水で剥がされて,浅い幅の広い谷のやうになってゐましたが、その底に二つづつの蹄の痕のある大きさ五寸ばかりの足あとが、幾つか続いたりぐるっとまはったり、大きいのや小さいのや、実にめちゃくちゃについてゐるではありませんか。
その中には薄く酸化鉄が沈殿してあたりの岩からは実にはっきりしてゐました。たしかに足痕が泥につくや否や、火山灰がやって来て,それをそのまま保存したのです。私ははじめは粘土でその型をとらうと思ひました。一人がその青い粘土も持って来たのでしたが、蹄の痕があんまり深すぎるので、どうもうまくいきませんでした。私は「あした石膏を用意して来やう」とも云いひました。けれどもそれよりいちばんいいことはやっぱりその足あとを切り取って、そのまま学校へ持って行って標本にすることでした。どうせ又水が出れば火山灰の層が剥げて、新しい足あとの出るのはたしかでしたし、今のは構はないでおいてもすぐ壊れることが明らかでしたから。
次の朝早く私は実習を掲示する黒板にこう書いておきました。
 八月八日
 農業実習 午前八時半より正午まで
  ・・・・ 略
 (午后イギリス海岸に於いて第三紀偶蹄類の足痕標本を採取すべきにより希望者は参加すべし)

  
足あとはもう四つまで完全にとられたのです。
 私たちはそれを汀まで持って行って洗ひそれからそっと新聞紙に包みました。大きなのは三貫目もあったでせう。
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この足痕化石、学校に少なくとも一年間は学校にあったようですが,その後どうなったかは今ではわからない話だそうです。
                                (壺穴・・・・ポットホールのこと)

大型の生き物の足あと化石って、魅力あるのですね。
足あとは下仁田ではみつかってはいませんが、地層に見られるいろいろなもように、ちょっと目をとめて見ませんか。

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 下の写真のもよう、何だと思いますか?下仁田のある場所で見つけました。
「リップルマーク!」と言う声が聞こえてきそう。
でも、この石、安山岩なのです。リップルマークは水の動きでできたものです。
ところがこれは、どろどろに溶けたマグマからできた安山岩の表面にできたもようなのです!。
地下の割れ目にマグマが板状に入り込んで固まった岩脈の表面です・・・・みんなで、「こんなの見たことない!」。   自然って、おもしろいですね。
   どうやってできたのか、どなたかわかりますか。