2013年11月5日火曜日

岩石⑥ 火山岩



  下仁田の火山岩類

 

 冬鳥が姿を見せています。我が家の庭でも、ジョウビタキがちょこちこと動きまわっています。
今日は堅い話になってしまいそう・・・・
  

火山岩

 火山にある石のこと?・・・・・火山にはもちろんあります・・・・・・
でもそうすると、今、下仁田には火山がない。大昔の火山でできた石でもいい?
・・・・はい、OKです。
・・・・でも大昔の火山なんて、形も残っていないし、火山かどうかもわからないのでは?

  
火山岩とは、マグマが浅いところであまり時間をかけずに固まってできた岩石です。「具体的にどれくらいの時間?」と聞かれると、ちょっと困るのですけど。
「火山の岩」だから、火山から流れ出した「溶岩」のイメージが強いかも。でも、富士山のような火山でなくても、地下の浅いところで、地表に顔を出さずにマグマが固まっても、火山岩になります。
火山岩の名前をあげれば、 玄武岩・安山岩・流紋岩。  
     (教科書に必ず出てくる名前。覚えている人も多いかも。「流産・安産・元気な子」などと
       ゴロ合わせで覚えて・・もっともこれ、あまり子供向けじゃないと思うけど・・) 
この区別ができるといいですね。
   色の黒っぽい順に、「ゲンブ岩・安山岩・流紋岩」
    成分の違いが「色黒~色白」という、色の違いにあらわれます。
    学問的には、含まれる二酸化ケイ素 SiO2 の量で分けますが、ふつうは化学分析なんて
    しない・・・・・見かけと、含まれる鉱物を調べて区別します。
左は安山岩。黒い長方形の斑点は鉱物の結晶。斑点状なので、こんな結晶を斑晶とよびます。
右上は流紋岩。石英の粒が入っています。
どちらも利根川の川原でひろったものです。
 



左写真のような石も安山岩・・・このあたりになると、「エッ、ずいぶん黒い・・・玄武岩じゃないの?」という声が聞こえてきそうです。
下仁田の西部地域、荒船風穴付近の石です。色黒なのは、成分が玄武岩に近いということもあるでしょうが、斑晶のまわりがガラス質ということもあります(後の章でもう少し説明をする予定)。
荒船山の山頂の溶岩は、「安山岩」ではありますが、真っ黒くみえます。


 
下の写真は顕微鏡で見た岩石です。がらがら割れて積み重なって荒船風穴をつくっている石で、上の写真の石に似ています。石の種類は安山岩です。大きめの結晶が斑晶になります。点々と見えている小さな斑晶がここではこんなに大きく感じられます。右下の線が1mmです。 
薄片作成・写真撮影  中島啓治さん 

 「デイサイト」という名前もよく聞きます。安山岩と流紋岩の中間の成分で、以前は
”石英安山岩”とよびました。
日本の火山は安山岩質の岩石が多くみられます。

 火山岩は下仁田西部の本宿地域から妙義にかけての地域に、たくさん見られます。
かなり昔、700万年前とか950万年前とかいった昔に、大規模な火山活動のあった場所です。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
 地質学者の宮城一男さんが、賢治の書いた地質関連の作品をまとめていました。その中から少し紹介を。

宮沢賢治は流紋岩が大好きだったそうです。
当時は流紋岩とは言わず、石英粗面岩(せきえいそめんがん・リパライト)とよびました。盛岡高等農林学校時代の賢治の卒業論文は、はじめは、「盛岡市付近のリパライト」でしたが、途中まで研究が進んでいたのを、なぜか友人ととりかえてしまったとか。

賢治は中学生の頃、盛岡市の郊外の鬼越山に日曜ごと出かけ、鉱物や化石の採集に夢中になっていました。家族から「石っコ賢さん」とよばれていたほど。
鬼越山はリパライト(流紋岩)の山で、ここのリパライトは割れ目や穴のすき間がたくさん見られたようで、そんなすき間には鉱物の結晶が見つかることがありました。そんな「石の花」に夢中だったのです。賢治がリパライトの話を始めると、家族は「またリパライトか」といって笑い出すほどだったといいます。以下に、中学1年の時の短歌などを。

「鬼越の山の麓の谷川に 瑪瑙のかけらひろひ来りぬ」
「玉髄の  かけらひろへど  山裾の  紺におびへてためらふこころ」

岩手山の南麓一帯、小岩井農場を中心とする地域は、賢治が好んでくまなく歩きまわり、その地名が短歌・詩・童話などに登場します。ここは賢治の心のふるさと・自然を見る目をはぐくんだ場だったにちがいありません。
            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  石ヶ森は標高440mそこそこの低山、三角形の形の整った山らしい形の山です。
  ここについての短歌があります。かなり地質学的な内容です。

          いまははやたれか惑わん
              これはこれ安山岩の岩頸にして

岩手山の山麓の小さなこぶのようなこの山は、だれもが火山・岩手山に関係してできたものと思っていました。ところが違った・・・・・岩手山よりずっと古い時代、新第三紀の火山活動によってできた山だった!・・・これを短歌にしたものなのです。岩頸(がんけい)は昔のマグマの通り道がそのまま固まったものです。
  そういえば、妙義の山も本宿地域の山々も、新第三紀の火山活動の噴出物によってできたものです。この地域にある鹿岳(かなだけ)は岩頸で、その石は安山岩です。(このブログの「地形その1荒船山・ 鹿岳」参照)。

     
岩手山には、他にも岩頸があります。大森(標高460m)もその一つで、次のように紹介されています。
 *  「石の森の方は硬くて痩せて灰色の骨を露はし 大森は黒く松をこめ 
    ぜいたくさうに肥っているが 実はどっちも 石英安山岩(デイサイト)だ。」
()()
集めた石はガラス板に張り付け、うすく削り薄片にして、岩石顕微鏡で見ていたそうです。
高価な顕微鏡を何とか自力で手に入れたりもしたようです。

沼森というところもあります。賢治の文です。
* 「沼森がすぐ前に立っている。やっぱりこれも岩頸だ。どうせ石英安山岩。
   いやに響くなこいつめは。いやにカンカン云ひやがる。
   とにかくこれは石ヶ森とは血統が非常に近いものなのだ。」

たたくときれいな音がすることで知られカンカン石として有名な讃岐石(サヌカイト・安山岩です)ほどでなくとも、硬く、たたくと張りのある音のする石に出会うかもしれません。すてきな音のする石になったのは、どんな作用からなのか・・・などと、知りたくなってきます。
 
   。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

安山岩
 基本的には灰色がかった石。下仁田の川原の石にも

     たくさん見つかります。

右は荒船風穴近くの安山岩の表面の拡大写真。
スケールが入っていないのですが、点々と見える鉱物は小さくて、
利根川の川原のものとはちょっと違って見えますが、
これも安山岩です。
左はこの石の野外での写真です。傾いた柱のように見えますが、こんなふうに割れ目があって柱のようにみえることもよくあります。節理といいます。
ここではさらに柱を
輪切りにするような割れ目も見えました。





   
   

  




  
 
安山岩はどこにある?

あちこちたくさんあります。浅間山にも赤城山にも榛名山、そして妙義の山にも。
下仁田西部の国道254号線に沿った地域の本宿地域も、周囲の山々は安山岩質のものが圧倒的です。ただし、溶岩のように岩石として緻密に固まっていなくて、火山灰と安山岩の石のかけらの混ざった火山の噴出物も多く、これも安山岩の成分のものが一番多くみられます。
下仁田の例をいくかあげましょう。写真を『下仁田町と周辺の地質」(下仁田自然学校作成)からの転載も含めて紹介します。 

     

   < 鹿岳(かなだけ)>
  




 
 
 









2つのこぶは岩頸、かつて溶岩を吹き出したときのマグマの通り道が固まったもの。
安山岩でできています。
この岩頸を近くで見ると、柱のような柱状節理が見えます。右の写真です。
 
             右写真は本より転載















                                  <  物見山>   物見岩は柱状節理の発達した安山岩(写真 転載
 
 
 <大桁山 > きれいな柱状節理が見られます。現在は立ち入り禁止の採石場跡地に入らないと 
          見られません。ここの石は建築用骨材として盛んに使われていたそうです。



<荒船山の北壁 山頂の溶岩>
             (写真 転載)

 荒船山はいちばん上が厚さ50m~70mの厚さの硬い溶岩に覆われ、平らになっています。この溶岩は安山岩ですが黒い色をしています。700万年ほども昔に流れたようです。




           

                                                                 
<椚石(くぬぎいし)>   南牧川・磐戸の南にある石。変質を受けて少し白っぽく、柔らかくなっています。・コンニャク作業の石臼にも利用しました。 右写真は岩石の表面の様子です。スケールがないのですが、細かい結晶が点々とみられます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
安山岩質で、すこし深めの場所で少しゆっくりかたまったものは ヒン岩 とよばれます。成分の違いと冷え方の違いで、違った岩石名がついています。

ヒン岩のような石を「半深成岩」とよびますが、今後「半深成岩」という言葉も
「ヒン岩」という呼び名も使用しないことにするそうです。とはいえ、便利でもあり、実際には使用しています。本宿地域にはヒン岩とされる岩体もたくさんあります。今後、どうなっていくのかな・・


              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   

  流紋岩
   
基本的には白っぽい石   
砥石に使われた砥沢の石は、流紋岩が熱水変質したものです。
私は最初、火山灰の固まった石かと思いました。

自然学校でひらいた子供たちとの教室で、この石をひたすら磨いてつやを出し、ペンダントをつくったことがありました。飽きずに磨くのに、感心しました。
そこで、ここでは砥石ではなく、この石を使ったペンダントと石絵を紹介してみます。
  作成は 細矢尚さん。とてもきれいに仕上げられています。(私にはとてもできないです)
                                                                                            





 この石は結晶が細かく、また変質により加工しやすい石になっています。
  
・この流紋岩は900800万年前のもの。
・ 南牧川沿いの、砥沢という集落の南方にあります。ここは古い時代の地層・秩父帯の分布する地域なのですが、そこに後から入り込んだ(貫入した)マグマが固まったものです。
 
 

砥石とは・・・・


今では「といし」とルビをふらねば読めず、「砥石」も何に使うのか解説がなければわからない
人も多いかもしれません。

 文字の書かれた鉄剣(国宝・5世紀後半)が見つかったことで有名な埼玉県の稲荷山古墳には
鉄剣と一緒に砥石も納められていました。とても重要な物だったことがわかります。
(発掘されて保管されたままだったサビだらけの鉄剣にX線をあてたら、金象嵌の文字が浮き出
てきたと大騒ぎになったのを覚えています。刻まれた115文字は、歴史研究の貴重な資料になっ
ています。)
 
砥沢の砥石は高品質の砥石で、ここ砥沢は、かつて江戸時代には幕府直轄とされていたというほどの重要な場所でした。
自然学校には、砥石で上手に包丁を研ぐ人が何人かいます。子供の家に行くときは、砥石を持っていって研いできてあげる、という人も。いつも切れ味の悪い包丁を使い、砥石の使い方もよくわからない私は、弟子入りして、上手に研げるようになりたいもの、と思いつつ、実行していないなあ・・・

  賢治が夢中になったようなきれいな鉱物結晶の見つかる流紋岩は、下仁田には見当たらないように思いますが、キラキラとした鉱物のかけらではなく、きらきらとしたお金を稼いでくれた流紋岩だったようです。
  この流紋岩には微粒のザクロ石(ガーネット)が入っていて、砥石の性能を高めていました。ガーネットは硬く、もともと研磨剤に利用されることが多いものだったそうです。宝石を思い浮かべる私たちは、見えるか見えないかの小さな粒のガーネットなんて、価値のないものと思ってしまいます。でも、もし砥沢の石のガーネットの粒がもっと大きかったら、砥石としてはダメだったでしょう。地域に富をもたらしてもくれなかったかも。「価値」とは、わからないものです。
    かつて研磨剤には天然の鉱物が使われていましたが、今では人造研磨剤がつくられ、使用されています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

マグマが地表に流れて溶岩となるもの、貫入したて冷えたもの、どちらのタイプでも火山岩ができま
す。貫入したものについての分布図をのせます。この図のもう少し右上が下仁田の町になります。
貫入岩はピンク色の部分です。大きな岩体だけのせてあります。
砥沢は「南牧川」と書いてあるすぐ下の、「流紋岩」とある場所です。

 

貫入した安山岩や流紋岩の仲間(南牧川上流部)・代表的なもの
                  作成 下仁田自然学校  (色塗りがいい加減ですが、これは私の責任)

 ・玄武岩が出てきていません。あまり目にしていないので、今回は省略させていただきます。
また後で紹介するかもしれませんが・・・。

火山は、誕生してから活動を終えるまで、つまり、一生の間に、噴火の様子が変化していきます。ですから、マグマのタイプも変化していったりします。できる石も、少し変わっていったりもします。ですから「みんな安山岩」などと決めつけないで、丁寧に見るのは大切です。

ところで富士山はどんなマグマを流すかご存知ですか?
なんと、玄武岩!日本の陸地で玄武岩を大量に流す火山はあまりないと思います。
安山岩の火山は富士山型の山の形をつくり、玄武岩はもっとなだらかな山をつくると、教科書では教え
るのですが、その代表みたいな富士山が玄武岩の溶岩を出している!
・         何とも自然は一筋縄でいかないものです。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

   草野心平がこんな記述をしていました。
               (蛙の詩で知られた詩人・教科書にものっていたと思うけど)。

  「例へば富士山に関する詩を私は相当書いたが、私にとって富士山は海をくぐってミクロネシアにつづく物質であり、内部は静脈のやうな地下水が縦にながれ フジバザルトがその臀部なのだ」
                 (玄武岩は英語では basaltバサルト)
上の文章は、新幹線においてある旅雑誌、”トランヴェール”に紹介されていました。
富士山が玄武岩って知っていたんだ・・・ずいぶん科学的な情報が入って、しかも自由自在に自然の大きな編み目、つながりを感性で感じさせる表現をしています。
草野心平は宮沢賢治を生前から高く評価し、自分たちの同人誌への参加を求め、亡くなったときには追悼文を書き、賢治を世に紹介することに力をつくしたのだそうです。
 

こんな詩も載っていました。

 「三畳紀」
  レピドデンドロンとシギラリアの林のなかに。
o  牡の象がよこたわって。
  眠っているのではない眼をつむって。
  瀕死の喘えぎをしている。  ・・・・  中略
  峠を越えてASAMAの噴煙を左に見ながら五匹の仲間と。
  大とんぼメガネウロンなんかをざらざらの耳でひっぱたきながら。・・・ 中略
  レピドデンドロンの鱗のある木並のあいだからFUJIが見える。
  火を噴く夜のFUJIが。  ・・・・・・・・・・・・・・後略

 賢治との違いは、賢治は科学的に正確な内容で詩をや文章を書いていますが、心平は心のままに
時空を飛び越えて詩の形にしていることです。
レピドデンドロン・シギラリアは古生代石炭紀のシダに近い仲間の巨大な植物で、象はずっと後の時代、新生代に現れた動物、しかも昔は体も小さくて耳もあんなに大きくなかった。浅間や富士山は本当に最近できた火山だし、巨大トンボのメガネウラは古生代石炭紀の林を飛び回っていた・・・・レピドデンドロンのむこうに富士山が見えることは絶対にないし、象がメガネウラを耳でひっぱたくことも絶対ない。三畳紀がどこに出てくるのかもわからなくなってくる・・・
でも、こんな詩が棟方志功の版画の中に踊っていて、赤や青に彩られた富士がむこうに見えていたりすると、なにやら迫力とインスピレーションがわいてくるようで、不思議です。

心平はこんな思い出話をしていたことがあるそうです。
”『私が”銅鑼”という詩の同人誌に、賢治を誘ったところ、さっそく、詩二編と金1円の小切手と手紙をそえてね。”私は詩人としては自信がありませんけど、一個のサイエンティスト(科学者)としては認めていただきたいと思います”と書いてあるんですよ。変わった人がいるもんだなあと思いました。」

賢治の文の科学的正確さはこんな所から来ているとわかります。
科学を熱心に勉強していたんだなあ・・・

2 件のコメント:

  1. 今回の記事も読みごたえがありますね。
    宮沢賢治のほか草野心平まで・・・幅が広い話題があり、とても楽しく読ませていただいています。
    これからも楽しみにしています。

    返信削除
    返信
    1. お読みいただいてありがとうございます。なるべく親しみの持てる話題を入れられるようにしたいと思いますが、思い浮かばなくなるかも・・・、皆さんからの話題提供をお願いします。

      削除